『アルキードの姫君 ー後編ー』 |
「まぁ……! まあ、まあ、なんて……っ。面差しがソアラ様そっくりですわ、特にその目許はお母上譲りですのね。 人の良さそうな中年の貴婦人が目を潤ませながらそう言うのに応じて、すぐ側にいた侍女らしき女性も大仰に頷く。 「ええ、全くですわ、奥様。よく似ておられます。お髪も、アルキードの特徴そのままで……」 声を弾ませてそう語る貴婦人達を前にしながら、ダイは少しばかり当惑を感じずにはいられなかった。 (え、えっと、この人達は……誰、だっけ?) パーティで初めて出会う際は、必ず自己紹介をし合うのが礼儀だ。だから、一応、名前は聞いた――はずだ。 だが、困ったことに、今日のパーティの参列者は多かった。パーティとしてはごく小規模とは言え、一度に数十名の人間と一度に出会い挨拶されたのなら、とても覚えきれるものではない。 もちろん、中にはそれを楽々と成し遂げる者もいる。たとえばポップやレオナなどは一度会った人の顔も名も、決して忘れない。 だからこそ、二人に助けてもらいたくてさっきから何度となく振り向いて目で救援を訴えているのだが、ポップもレオナも一向に助けてくれる気はないらしい。 目が合うと、二人ともニッコリと笑って軽く手を振ってくれる。その際、さり気なく親指を立てて応援メッセージを盛り込んではくれるのだが、助け船を差し向けてくれる気はないらしい。 (う〜、ポップもレオナもひどいや〜) ちょっぴり恨めしく思いながら、ダイはそれでも自力で頑張ってみようと、努力はしていた。 ダイにとっては同種類の怪物の見分けをつけるのは簡単だが、綺麗に着飾った貴婦人の区別は付きにくい。お化粧をしているせいでかえって匂いが曖昧になって、判別しにくいのだ。 (あうう、この人は多分、さっきも挨拶した人だから……もっかい名前を聞いたりしたら、失礼、になるんだったっけ?) ここ数日、ポップから叩き込まれた宮廷マナーを思い出そうとしつつ、ダイはどこか引きつった笑顔を浮かべるだけで精一杯だ。 母親の話を聞くのが嬉しいだけに、尚更どう答えていいか分からずにオロオロとしていると、また、別の人が声を掛けてくる。 「そうしていると、まったく、本当にソアラ姫を思い出しますな。あの姫も、よくそのようにはにかんだ笑みを浮かべておられたものです」 「そうでしたな、控え目ながら美しい姫でした。それが、まさかあんな――」 2、3人の男連中がそんな風にダイに話しかけてきた時、スッとレオナが割り込んできた。 「あら、お久し振りですわね。パーティは楽しんでいただいていますでしょうか、クルー男爵」 「おお、これはレオナ姫! このたびはお招きありがとうございます、勿論、楽しませていただいておりますよ」 パーティの主催者であるレオナの登場に、話題の中心は一気に彼女に集まる。それも、彼女の計算のうちだ。 さっきまでダイに話しかけていた貴婦人達の様に、ただ思い出話をしたいだけの善良な女性の話を拒む理由など、ない。まあ、正直に言えばレオナの乙女心的にはちょっぴりの不満はあるが、それ以上にダイに母親の話を懐かしんで欲しいと願う。 だが、ソアラとバランと駆け落ちの話を貴族側の人間がどんな風に考えているかは、まだダイに知らせなくてもいい。 話がまずい方向に進むかもしれないと危惧して話題を変えるレオナの意思は、目配せをするまでもなくポップに通じていた。 「ダイ、おまえ、さっきから何も食べてないだろ? あっちに行って、少し食べてきていいぜ」 「え? いいの」 パッと嬉しそうな顔をして、ダイは目を輝かせる。 が、食べてばかりいては駄目だとポップに予め釘を刺されていたので、ダイはずっと我慢していたのである。 「ああ、少しならな。それに、おまえも疲れたろ。ちょっと、休んでこいよ」 「うんっ」 ポップの思いやりが嬉しくて、ダイは喜んで指示に従った。 気疲れがするというのだろうか、身体は全然疲れていないのに精神的にひどく疲れた感覚がするのだ。 もっと食べたいと思う気持ちはあるが、ポップに『少し』と注意されたから、あまり食べるのも悪いと思う。 レオナとポップがそれぞれ別の客人のグループを相手にしているせいか、今までひっきりなしにダイに話しかけてきていた人の波が引き、やっとダイは落ち着いてパーティを眺めることができた。 その中で特にダイの目を引くのは、やはりアルキード王女……ソアラの肖像画だった。 なにせ、国ごと滅んでしまったせいで、残念ながらアルキードに関する資料や絵画は今となってはほとんど見つからない。 レオナの説明によると、王女や貴族の姫は年頃になると必ず肖像画を描かせ、その複製を何枚も各国に送る風習があるのだと言う。 これもそのうちの一枚で、特別に借りてきたものらしい。レオナは軽くそう言っただけだが、おそらく、それを成し遂げるためにずいぶんと頑張ってくれたのだろう。 (うーん……そっかなぁ? そんなに、似てるとは思えないけど……) 今日、パーティに来た人達ばかりでなく、レオナやポップ、ヒュンケルまでもがダイは母親似だと言う。 確かに父のバランもそう言っていたが、ダイの目には、ソアラと自分の顔は全く別人なようにしか見えない。 性別や年齢の差はあるし、性格も全然違うから浮かべる表情はずいぶんと違っているが、それでいて印象がそっくりだ。 (だって、母さんの方がずっとずっときれいだし) 夢の中で会った、母。 レオナよりも少し年上な程度しか見えなかったソアラの姿は、普通の少年が想像する母親とは少しばかりイメージが違っている。 花畑の中で幸せそうに笑っていた顔も、戦いに行くダイを見送ってくれた悲しそうな顔も、どちらも美しかった。 勿論、姿形は同じだ。 しかし、バランが太陽の様だと表した明るさや暖かさまでは感じられないのだ。 それでも、ダイには夢の中のソアラの方が魅力的だった様に思えるのだ。 それは、パプニカ王女として振る舞うレオナを見ているのと、同じ気持ちだ。 だが――レオナが自分とは離れた所にいるようで、ちょっぴり寂しく感じてしまうのだ。 夢の中のソアラと、肖像画のソアラに対して感じるのも、同じ感覚だった。だが……たった一つ、レオナとソアラでは違う点がある。 (母さんは……どっちが、ホントの母さんだったんだろ?) レオナに関しては、ダイは疑ってはない。自分や仲間と一緒にいる時のレオナが、本来のレオナだ。本人もはっきりとそう言っているし、王女として振る舞っている時よりも素のままで振る舞うレオナの方がずっと生き生きしているし、楽しそうだ。 しかし、ソアラにとってはどうだったのか――ダイに、それを知る術はない。 ダイに比べればかなり年上の人が多いが、もしソアラが生きていれば彼女達と同じぐらいの年齢だろう。 アルキード王国があんなことにならなければ、彼女の人生は全く違ったものになっていたであろう。 「……ご気分でも悪いのですか、ダイ様?」 「え!?」 珍しくも物思いに耽っていたダイは、声を掛けられるまでまったくラーハルトの接近に気がつかなかった。 「お顔の色が優れない様ですが」 ぶっきらぼうの上に無表情なラーハルトの言動は、どうしても素っ気なく見える。だが、ラーハルトの忠誠心を知っているダイには、押し殺された彼の優しさや気遣いが良く分かる。 ダイがラーハルトと共に過ごした時間は、そう長いとは言えない。なにせ最後の戦いでいきなりダイの配下になりたいと言われてから、一緒に戦った時間はごく短かったのだから。 だが、ポップやヒュンケルから聞いたラーハルトの印象は鮮烈だったし、自分が魔界にいる間、彼がどんなに熱心に自分を探してくれたかも話に聞いている。 「ううん、気分は悪くなんかないよ。ただ、さ……あの人と……母さんのこと、考えていたんだ」 「……そうでしたか」 ラーハルトの相槌は、素っ気ない。 「あの絵の母さん、きれいだよね。本物のお姫様みたいで」 「ええ。実際に、一国の王女だったと伺っています」 「幸せそうに笑っているし、服もすごく豪華だし」 「そのように見えますね」 ラーハルトの返事は事務的というか、やけに素っ気ない。今は亡き両親のことを思う少年を、気遣う風すら見受けられない。だが、それが反って気楽といえば気楽だった。 「――おれが産まれなければ、よかったのかな……」 もし、そうだったとすれば。 ぼんやりと肖像画の母親を見つめていたダイは、ラーハルトが眉を潜めるのを見なかった。 「……ダイ様。ご無礼を」 短い、だが毅然とした響きを込めた声でそう言った直後、ラーハルトの右手が一閃した。 和やかな内輪のパーティには相応しくないその音は、予想以上に響き渡った。 きょとんとしたままのダイと、人をひっぱたいておいて何の悪びれもせず立っているだけのラーハルト――全員の目が彼らに注目するが、二人は動かない。 「あ……あ、ラーハルト! おまえなー、いくらなんでもやり過ぎなんだよ、ほらっ、ちょっとこっちに来いよ」 ポップがダイとラーハルトの両方の手を引っ張って広間を出て行く傍らで、レオナはレオナで驚いている客人達に向かって『ダイの頬に止まっていた虫を退治しただけ』などと、ちょっと苦しい言い訳をしてお茶を濁す。 こうして、ダイとヒュンケル、そしてラーハルトの初のパーティは冴えない幕切れを迎えたのであった――。 「その必要があると思ったから、そうしたまでだ。 不敵にも堂々とそう言い切るラーハルトに対して、レオナのこめかみがぴくりと引きつる。 「いや、『必要』って、意味分かんねーから! だいたい話の流れが読めねえよ、なんだっていきなりおまえがダイをひっぱたく必要が出てくるんだよ?」 大魔王にさえその英知を認められた大魔道士も、理解しきれないとばかりに頭を抱えて、ラーハルトに文句をぶつける。 一応、ダイから大まかな事情を聞いたものの、ポップの頭脳を駆使してもラーハルトの行動目的が見えない。……まあ、ダイの説明が大雑把過ぎて分かりにくかったことも、否定はできないが。 無言のままだが、ヒュンケルも何か問う眼差しを親友に向けている。 「……どうして?」 戸惑う目で、そう問い掛けてくる少年にのみ、ラーハルトは返事をする。 「私が同じことを呟いた時、バラン様にひっぱたかれました」 「とう……さんが?」 いつもそうだが、ダイが父親を呼ぶ時にはぎこちなさが残る。たどたどしい呼び方を聞きながら、ラーハルトは頷いた。 「はい。私の父は魔族でしたが、私の母は人間でした。 気の毒としか言えない身の上を、ラーハルトは他人事のように淡々と語る。だが、その生い立ちは話す本人以上に、聞いている者にとって耳に痛い話だった。 そこへの道程がいかに遠いか、人間と魔族がいかに相容れない存在であるかを立証するかのような境遇は、聞くだけで辛いものがある。 特にダイは、思い当たることがあるのか、自分の方がそんな目に遭ったかのように辛そうな顔をして俯いた。 「私を産まなければ、母はもっと長生きして幸せになれたのではないか――私は、ずっとそう思っていました。 そう言いながら、ラーハルトはふと思い出したように自分の頬に一瞬だけ手を当てた。 「そして、お叱りを受けました。二度と、言うな、と。そんなことを言うものじゃないと……バラン様は、そうおっしゃいました」 「…………!!」 はじかれた様に顔をあげたダイの目と、幼い主君をじっと見つめていたラーハルトの目が、ぶつかりあう。 「でも……おれ……っ」 まだ自分の感情をうまくまとめきれず、混乱しているダイに、レオナがつかつかと歩みよった。 「いいこと、ダイ君! ダイの頬に手を当てて強引に自分の方に向かせ、レオナはきっぱりと宣言する。 「現役のお姫様のあたしが、保証してあげる。 お姫様とはとても思えない勇ましいセリフとは裏腹に、レオナの目は優しい。 「少なくとも、あなたのお母様もそう思われたんだわ。 目を丸くして聞いているダイの頬を名残惜しげに撫でてから、レオナは一歩引いて場所を譲る。 「なあ、ダイ。おめえは、どう思うんだよ?」 調子がよくて気楽な、だが、そのくせ不思議なぐらい心に染み透る声。それに促される様に、ダイはゆっくりゆっくりと、たどたどしいながらも一生懸命に言葉を紡ぐ。 「……おれ……肖像画の母さんもきれいだと思ったけど……でも、夢で見た母さんは、もっともっと、きれいだと思ったんだ」 「――なら、それでいいじゃねえか」 ポップの手が、ポンとダイの頭上に乗せられる。 「らしくもなく、色々と考えようとするから迷ったりするんだよ。おまえは考えるより、直感と本能で動く方があってるんだから、無理すんなって」 「な、なんだよ、それ〜!? ひどいや、まるでおれがバカみたいじゃないか!?」 思わずの様に抗議するダイに、ポップは笑いながらより乱暴に頭を撫でる。 「だって、実際にそうじゃねえかよ。……でも、それでいいんだ。 それは、魔法の様だった。 「……うん……っ!」 やっと、ダイの顔にいつもの笑顔が戻るのを見て、その場にいた全員もホッとした表情を浮かべる。 「よかったわ……………………だけど!」 心底嬉しそうな、零れんばかりだった笑顔が、力強さを増していく。 「これが練習パーティで、ホント〜によかったわ。公式なものだったら、言い訳もできなかったもの。 「あ、ああ……」 傲岸不遜な半魔にも、今のレオナの笑顔がただ事ではないのが分かるのだろう。彼にしては珍しく、些か怯む様な素振りを見せる。 「う、うんっ!」 決して逆らってはいけない相手に接する様に、ダイは直立不動の姿勢でレオナの言葉を待ち受ける。 「パーティの最中は、何があろうと絶対に暴力禁止なの! どうしても相手をひっぱたかなきゃ気がすまないって言うのなら、パーティが終わってからにしてちょうだいッ! それこそ城の裏庭か、なんなら死の大地跡辺りで、思う存分やるといいわ!!」 花も恥じらう麗しの美姫の口から漏れるとは信じられないぐらい、過激な叱責が響き渡る。 「まったく、これじゃ台無しよ! 「へ?」 それまで、まるっきり人事のような顔でダイとラーハルトが叱責されているのを聞いていたポップだが、突然の名指しに慌てふためく。 「な、なんでおれがっ!?」 「あら?」 思わず問い返すという失態を犯してしまったポップが悟ったのは、自分を振り返ったレオナの目を見た時だった。 「何か、文句でもあるの?」 ただ、それだけの台詞。 だが、真正面からレオナの顔を見たはずのポップの膝が震え、怯えきった様にこくこくと頷くのをこの部屋にいた誰もが、目撃した。 かくして、辛うじて合格点に達したヒュンケルはさておくとして、ダイとラーハルトのパーティの訓練はその後、当分続くことになったのであった――。
☆ワンポイントな犬の躾 い、いえ、これは決してラーハルトがそう思っているとか、そーゆーことではなくて、単なる蘊蓄披露だったりしますが(笑) 忠義一徹なラーハルトがダイを怒るとしたら、バランに関わることじゃないかな〜と考えた揚げ句、こういう話になりました。 ところで原作を見ると、バランはダイのことを母親似だと言っているんですが、ラーハルトはバランに似ていると言っているんですよね。
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