『夢の鎮魂 ー後編ー』 |
切り株の上に無造作に置かれた丸太の上に、鉈が降り下ろされる。ごく軽く振るっただけのように見えるが、丸太は小気味のよい音を立てて二等分に、そして髪間いれずに四等分、時に八等分へと分割される。 見上げる様な巨体のリザードマン――元魔王軍軍団長の獣王クロコダイン。彼の太い腕にかかれば、普通の大人には重くて扱いにくい鉈もごく小さなナイフのようなものだ。 「おお、もうこんなに薪を用意してくれたとは、さすがじゃな! お疲れさん、これだけあればもう充分じゃ」 そう声を掛けたのは、バダックだった。 一度は滅亡しただけに、パプニカ城ではとにかく物資も人手も不足している。たかが薪とは言え、今のパプニカでは手に入れるのは苦労を伴う。 だが、現状ではとてもそんなことをする余裕はない。本格的な寒波が押し寄せるまでは薪は節約して当然だと誰もが認識し、命じられるまでもなく我慢している。 それは、ポップが寝泊まりしている病室である。 クロコダインも、その一人だ。 人間の倍以上もあるような巨大な手では、病人の熱を下げるために冷やしたタオルを取り替えてやることさえ難しい。 この薪割りも、その一つだ。 「そうか? もっとあるならいくらでも引き受けるぞ、じいさん」 最初から、日暮れまでに割れるだけの薪を割ってほしいという話だったが、もう日は沈んだとは言えまだ太陽の余韻が残っている。それに、人間に比べればクロコダインははるかに夜目が利く。 このまま作業を進めても何の不満もなかったが、バダックは薪の小山を見ながら満足そうに首を横に振った。 「大丈夫、これだけあれば余るぐらいじゃ! おかげで、当分薪割りの腰痛から開放されるわい」 カカカと笑いながら、バダックは持ってきた水筒をクロコダインに渡した。本来は隊商用の巨大な水筒だが、巨漢のクロコダインにとってはちょうどいいサイズだ。 「こいつはうまい。ありがとうよ」 「なーに、礼を言うのはこっちの方じゃ。後はワシ等に任せておいてくれ!」 自信満々にそう言いながら、バダックは部下の兵士に指示を出しながら薪運びにかかる。その様子は矍鑠たる、と表現するのにぴったりだった。 単純に運ぶ薪の量で換算するのなら、兵士数人がかりでもクロコダインには及ばないだろう。 その点、兵士達は慣れたものだ。 一人一人ではクロコダインに比べてわずかな量しか運べないが、総合的に見れば人間達はクロコダインではとても真似できないほどの量を仕事をやり遂げていく。 もっと見ていたいと思ったが、ここにいては邪魔になるだろうとクロコダインは食堂へと向かう。 のんびりと歩いていたクロコダインだが、ふと、顔をしかめて足を止めた。 (ポップ……?!) 物憂げな表情で、どこを見るともなくぼんやりとしているポップは、いつもよりもずっと弱々しく見えた。 そのせいかポップは気抜けしきった様子で、隠すことのない素のままの態度を見せていた。 ひどく傷つき、だが泣くこともできずにしょんぼりとしている幼い子供の様に、頼りなげに見えた。 だが、今のポップを見ても、クロコダインの考えは変わらなかった。 だが、信頼と心配とは、全く別の問題だ。 まだ完全に体調が治りきってもいないのだ、夜風や朝晩の冷え込みは身体に障るだろう。それを差し引いて考えても、窓枠に座っているというだけで見ていて心臓に悪い。 普段のポップなら空を飛べるからいいとしても、体調が悪い時は魔法の微妙な制御が狂う、つい昨日見たばかりだ。 「おい、ポップ。そんな所にいると、危ないぞ」 「え? ……ああ、おっさんか」 声をかけると、ポップはやっと気がついたように下を向く。 「中に入ったらどうだ。そんな所では、冷えるぞ」 「あー……、ちょっと頭を冷やして考えたいことがあってさ」 上の空で答えながら、ポップは相変わらず足をぶらぶらとさせている。どうやら、すぐに中に戻るつもりはまるっきりないらしい。
一人で考える時間や、悩むことも時に必要だろう。 ポップの周囲には、いくらでもその相手はいる。ポップの悩みを自分のことの様に心配し、手を貸したいと望む多くの仲間が――。 「…………言えるわけねえよ」 「なぜだ?」 「だって……先生のこととか話したら……みんなだっていろいろ、思い出しちまうだろ? ダイだって、マァムだって、ヒュンケルの奴だって 」 姫さんにも、師匠にも言えないと呟くポップを見て、クロコダインはようやく悟った。 ポップが今まで、一人で抱え込んでいた悩みの源を。 (そうだったのか……) かつて魔王ハドラーを倒し、多くの人間の心を惹きつけた勇者アバン。 ならば、彼を直接知っている者に対してはなおさらだろう。 アバンを思い出させ、悲しませてしまうのを恐れて。 「――ならば、オレに話してはくれんか」 ハッとした様に、ポップがクロコダインを見返した。 「オレは、アバン殿のことを直接は知らない。だから、おまえが何を話したとしても、初めて聞く話なだけだ。 クロコダインの誘いに、ポップは何度も目を瞬かせる。口を開きかけ……まだなにかをためらう様に、また閉じる。 悩みを打ち明けるか、やめるか。 なにしろ、自分はかつてはダイ達に敵対していたのだ。ポップが悩みを打ち明けたくないと思ったとしても、当然だとさえ思う。 「だけど……聞いたら、おっさんだって呆れるぜ。――おれって、薄情な奴だって」 「薄情? おまえがか?」 あまりに意外すぎる言葉に、クロコダインは思わず聞き返してしまった。 なにしろ、命を賭けてまで親友を助けようとした少年だ。 ロモス城にやってきたポップは、追い詰められたような表情をしていたし、足も震えていた。 ポップがそれだけの勇気をふり絞る根本には、ダイへの友情だったのだろう。 「薄情にも程があるよ。 そこまで言ってポップは、言葉を詰まらせる。だが、クロコダインにとってはそれ以上を聞く必要はなかった。 ハドラーを倒すには至らなかったとは言え、自己犠牲呪文を唱えて相打ちを狙ったアバンの戦法を聞いた時は、さすがは大勇者だと胸の震える思いを味わったものだ。 おそらくは、自分の弟子達を――ダイとポップを庇うために……そのために、彼は命を懸けたのだ。 それは、英断と言っていい。 「先生はおれとダイを庇って死んだのに……それなのにおれ……少しずつ、先生を忘れて……先生の夢を見たのだって、久しぶりなんだ。前は、しょっちゅう見ていたのにさ……」
「――ダイと旅を始めた頃は……先生の夢を見たら、おれ、平気じゃいられなかった。情けない話だけど、その度に泣いちまってた。なのに、今じゃこうやって平気で話しているし……」 こんなに薄情な話はないと、ポップは本気で信じ込んでいるのだろう。 「そうか? おれには、おまえが平気なようには、とても見えないがな」 クロコダインは、ポップがアバンの死を嘆く姿も、アバンの夢を見てうなされる姿も見てはいない。 泣くだけが、悲しみではないことを。 「それに、オレはおまえがアバン殿を忘れているとも思わん。 クロコダインはポップがアバンの書を読む時、彼がどんなに嬉しそうな顔をしていたのか、知っている。 その証拠に、ポップほどアバンの書を詳しく補足した者などいない。アバンの書をダイに読んで聞かせながら、実際に自分の習ったアバンの教えを披露した時のポップの楽しそうな様子は、いまだに印象に新しい。 アバンの教えを、ポップがどんなに詳しく覚えているか。そして、アバンの教えは本人が意識していなくとも、ポップの根幹となってしっかりと根差している。 「おまえは、アバン殿の死を今も悼んでいるし、何も忘れてなどいない。 わずかに声を張り上げ、クロコダインは頭上の魔法使いの少年に呼び掛ける。この声の様に、この想いも届けと願いを込めて。 「…………」 日が完全に沈んだせいで、わずかの間にすっかりと暗くなってしまい、クロコダインの視力をもってしてもポップの表情は闇に溶け込んで見えなくなってしまった。 「ポップ。とにかく、これ以上話が長引く様ならそんな所にいないで部屋に戻ったらどうだ。オレも、すぐそちらに行くから」 そう声をかけて歩きだそうとしたクロコダインだが、思いがけない返事が戻ってきた。
問い返すより早く、ポップは何のためらいもなく窓枠から飛び下りる。 「ポッ、ポップッ?!」 慌てて、クロコダインはとにかく両手を目一杯広げて落下に備える。幸いなことにポップはいつものように飛べはしなかったものの、多少なりとも緩やかに落下するぐらいの魔法力はあったらしい。 ドサリと自分の手元に落ちてきたポップを何とか受け止めるのに成功し、クロコダインは大きく息をついた。 「あまり驚かすなポップ、落とすかと思って、一瞬、ひやりとしたぞ」 もし、クロコダインが手を滑らせてしまったら只では済まなかったと思うとゾッとするが、ポップの方はケロリっとしたものだった。 「まっさかー、そんなわけねえじゃん。飛べなくたって、おっさんが下にいるんだし」 絶対に有り得ないとばかりにそう言うポップが楽な姿勢を取れる様に、クロコダインは軽く片腕を曲げて高さを調節してやる。 「ありがとうな、おっさん」 それは、何に対する礼なのか。 「……おれ……あの時…………ダイをどうしても連れていかせたくねえって思ったのも、ホントだけど…………アバン先生と同じことをして、先生と同じ所に行くんだったら、いいかなって思ったんだ……」 あまりに密着しているせいで、顔を見ることができない。 しかし、ポップには悪いが、クロコダインは思わずにはいられない。 「そうか……」 「……会えなかったけどさ……おれ……あの時、先生に会いてえって、思った……」 死亡していた間、ポップは夢を見たと言っていた。死後の世界を思わせる場所で、ゴメちゃんに引き止められたのだ、と。 だが、真実アバンとの再会を願うポップの気持ちは、痛い程伝わってくる。 やっと、15才。 「――アバン殿は、おまえに会うにはまだ早いと考えたのだろうよ」 細心の注意を払って、クロコダインは自分の武骨な手でポップの背を撫でてやる。頼りなさすぎる背は、まだまだ少年っぽくて大切な人の死を背負うには早すぎるように見えた。 見えない荷を、少しでも減らしてやりたいと思いながらクロコダインはポップの背を撫でる。 かすかな震えが、強まるのが分かる。 「ポップ?! どこだっ?!」 切羽詰まった様な叫び声に、窓が大きく開かれる音。 そこにいたのは、窓を両手で押し開いた体勢で固まっているヒュンケルだった。 いつになく焦った態度を露にしたヒュンケルは、真下を見て……彼にしては実に珍しく、気抜けした様に呟いた。 「………………そこか」 兄弟子をきょとんと見上げていたポップだが――一拍置いて、吹き出した。 「……ぷっ……あはははッ!!」 腹を抱え、遠慮なしに笑う弟弟子に、ヒュンケルはムッとしたように強く言う。 「し、食事も取らずに、しかもそんなパジャマ姿のままで、何をしているんだ?!」 本気で怒っていると言うよりは、いつになく慌ててしまった姿を見られてしまった照れ隠しの意味合いが強いのだろう。 「飯の前に、ちょっと外の空気を吸いに出ただけだろ、別に言われなくってもすぐに戻るって……ぷくくっ」 「すまんな、ヒュンケル。だが、ポップが外に出たのは本当に、ついさっきだ。オレが呼び掛けたのが悪かったんだ、あまり叱らないでやってくれ」 クロコダインがフォローすると、ヒュンケルもそれ以上は文句も言わなかった。だが、ヒュンケルの横からひょっこりとダイが顔を出す。 「ポップーッ、今、暖かいのもっていくよ!」 そう言ったかと思うと、ダイは止める間もなく飛び下りてきた。 が、ちゃんと足から着地してダメージを見事に殺し、ケロッとした顔をしている辺りはさすがは勇者と言うべきか。 「はいっ、ポップ! これに包まれば、暖かいよ!」 「暖かいよ、じゃねえよ、ダイ! てめえなーっ、なに無茶なことやってんだよ、普段はルーラも使えない癖によ〜」 ついさっき、同じことをしたポップにそれを言う資格があるのだろうかとクロコダインは思わないでもなかったが、とりあえずそれは口にしなかった。 「そっか、ルーラを使えるようになれば、こんな時はいいよね。 「どーゆー状況を想定してんだよ、おまえはッ?! ルーラを使うなら、他にも使いどころがあるだろうが。 靴も履いてないポップを、クロコダインは毛布で包み直してから抱き直す。 「まあ、少しぐらい我慢することだな。どれ、部屋まで戻ろう」 そう言ってから、クロコダインは確認する様にもう一度、聞いた。 「……それで、いいか?」 ダイやヒュンケルの手前、言葉は控えたものの、自分が言いたいことをポップは読み取っただろうとクロコダインは確信していた。 見た目以上の利口さを持つ魔法使いの少年は、言葉にはしなかったクロコダインの本心を理解したのだろう。 「ああ、それでいいぜ、おっさん。ホント、ありがとな。 最後の言葉だけ、語調が強められたことにクロコダインは気がついていた。 「だから早く、部屋に戻ろうぜ。腹も減っちゃったし、第一、ヒュンケルの野郎があんなに慌てたとこなんてめったに見れないぜ、からかわない手はないしよ〜」 おかしそうに笑って見せるポップからは、さっきの弱々しさは消えていた。 (……やはり、強いな) いささか強がっている感はあるが、それでもいつもの自分をちゃんと取り戻して、立ち直れるのがポップの強さだ。 どんなに強い人間でも、たまには己の中の弱さに負けてしまうことがある。
そして、ポップの雰囲気が微妙に変わったのが、ダイには分かったらしい。
物問いたげな目で、ポップとクロコダインを見比べるダイに対して、獣王はポップには見えないようにこっそりと頷いて見せた。 「ね、ポップ! 今日、おれさ、ポップのとこで寝てもいい?」 「え? なんだよ、急に」 「だって、今日、アポロさんにむずかしいこといっぱい聞かれて、なんか疲れちゃったし。ねえ、ダメかな?」 勇者とはいえ、ダイもまだ子供だ。甘えた声でねだる、自分よりも年下の子供を相手にしては、ポップもちょっと背伸びをして兄貴ぶりたいらしい。 「ったく、しょうがねえ奴だなぁ、いいけど、今日は特別だぞ。姫さんに見つかったら、おれが怒られるしよ」 「わぁいっ、ありがと、ポップ!」 はしゃぎまくる勇者と魔法使いのやり取りを、クロコダインは微笑ましく、そして、嬉しく思う。 ならば、それでいいと思う。 (オレが手を貸すのなど、いつでもいい) いつか、ポップが助けを必要とする時がきたのなら。 そして、その時の自分に何かができるのであれば、その時は無条件で手を貸すつもりだった。ポップが泣きたいと望むのなら、黙って胸を貸してやろう。
《後書き》 333333hit 記念リクエスト、二次小説道場向けで『年相応の幼さを見せるポップとクロコダインがメイン』です♪ 原作でお気に入りシーン、死の大地でダイを見捨ててきたポップが、クロコダインに庇われて慰められて大泣きするシーンが大好きなので、そこを意識つつ、しかし被らないように書いてみました♪ ところで、ポップがメガンテ直後にアバンの夢を見てうなされる、というアイデアは実は連載当時から持っていました。 それにダイを絡めるバージョン、ヒュンケルを絡めるバージョン、マトリフを絡めるバージョンと、大まかに三パターンに別けてそれぞれさらに分岐したパターンをいくつも書きまくったりした結果、2、30パターンぐらいのネタがアイデア帳には書いてあったりしました。 しかし、ご存じの通りアバン先生が復活なさったので、その衝撃で『い、今更恥ずかしくてこんな話書けない!』と封印して○○年……今ごろになってから役に立つとは、人生、本当に分からないものです(笑) しかも、当時はアイデアになかったクロコダインを主軸に据えたら話が気持ち良く書けて、自分でも新鮮でした♪
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