『夢の鎮魂 ー後編ー』

 

 切り株の上に無造作に置かれた丸太の上に、鉈が降り下ろされる。ごく軽く振るっただけのように見えるが、丸太は小気味のよい音を立てて二等分に、そして髪間いれずに四等分、時に八等分へと分割される。
 見事なまでの手並みで薪を割っているのは、人間ではなかった。

 見上げる様な巨体のリザードマン――元魔王軍軍団長の獣王クロコダイン。彼の太い腕にかかれば、普通の大人には重くて扱いにくい鉈もごく小さなナイフのようなものだ。
 特に力を込めている風でもないのに、軽々と鉈を振るっては黙々と薪を作り続けているクロコダインに気さくな声が変えられる。

「おお、もうこんなに薪を用意してくれたとは、さすがじゃな! お疲れさん、これだけあればもう充分じゃ」

 そう声を掛けたのは、バダックだった。
 パプニカ城の古株の兵士である彼は、感心した様に文字通り小山のように積み上げられた薪を見上げた。

 一度は滅亡しただけに、パプニカ城ではとにかく物資も人手も不足している。たかが薪とは言え、今のパプニカでは手に入れるのは苦労を伴う。
 石で作られた城は頑健さでは申し分ないとはいえ底冷えを誘うため、通常ならば初秋になりかかった頃から朝晩は暖炉に火を入れるのが普通だ。

 だが、現状ではとてもそんなことをする余裕はない。本格的な寒波が押し寄せるまでは薪は節約して当然だと誰もが認識し、命じられるまでもなく我慢している。
 食事に使う分の薪でさえ切り詰めつつ使っているような有様だが、つい先日、レオナの勅命により一ヵ所だけ薪を惜しまず潤沢に使うようにと厳命が下った部屋があった。

 それは、ポップが寝泊まりしている病室である。
 戦いで一度死亡し、蘇生を果たしたもののまだ完全に回復していないのか体調が崩れがちなポップを心配する気持ちは、仲間の誰もが持っている。

 クロコダインも、その一人だ。
 ポップのために、何かをしてやりたいという気持ちもある。
 だが、困ったことにクロコダインは怪物だった。リザードマンの頑丈な肉体は戦闘には向くが、病人――しかも、人間の少年の看護という繊細な作業にはとことん向かない。

 人間の倍以上もあるような巨大な手では、病人の熱を下げるために冷やしたタオルを取り替えてやることさえ難しい。
 だからクロコダインはポップの側に付き添うのは早々に諦め、その代わりに力仕事で少しでもポップのためになることをしようと決めた。

 この薪割りも、その一つだ。
 ポップのためだけでなく、この城の住民にとっても役に立つと分かっているのなら、尚更やりがいがある。

「そうか? もっとあるならいくらでも引き受けるぞ、じいさん」

 最初から、日暮れまでに割れるだけの薪を割ってほしいという話だったが、もう日は沈んだとは言えまだ太陽の余韻が残っている。それに、人間に比べればクロコダインははるかに夜目が利く。

 このまま作業を進めても何の不満もなかったが、バダックは薪の小山を見ながら満足そうに首を横に振った。

「大丈夫、これだけあれば余るぐらいじゃ! おかげで、当分薪割りの腰痛から開放されるわい」

 カカカと笑いながら、バダックは持ってきた水筒をクロコダインに渡した。本来は隊商用の巨大な水筒だが、巨漢のクロコダインにとってはちょうどいいサイズだ。
 それを一口で飲み干して、クロコダインは頬をほころばせる。かすかにハーブで匂いを付けた水は、皮の水筒にありがちな埃っぽさや独特の臭いの感じられないものだった。

「こいつはうまい。ありがとうよ」

「なーに、礼を言うのはこっちの方じゃ。後はワシ等に任せておいてくれ!」

 自信満々にそう言いながら、バダックは部下の兵士に指示を出しながら薪運びにかかる。その様子は矍鑠たる、と表現するのにぴったりだった。
 人間達が忙しく働いているのを、クロコダインは好ましいものを見つめる目で眺めていた。

 単純に運ぶ薪の量で換算するのなら、兵士数人がかりでもクロコダインには及ばないだろう。
 だが、クロコダイン一人では量はともかくとして、運び先が限定される。城に詳しくない上、身体が大きすぎて狭い入り口には不向きな彼では向かない場所は多い。

 その点、兵士達は慣れたものだ。
 予め打ち合わせ済みなのか、兵士達は迷いもせずに命名の場所へと移動していく。薪小屋へ、台所へ、客室へ、いざと言う時の備蓄のために城の倉庫へ、と。

 一人一人ではクロコダインに比べてわずかな量しか運べないが、総合的に見れば人間達はクロコダインではとても真似できないほどの量を仕事をやり遂げていく。
 協力し合うことで、自分達の力を数倍にも高める『人間』という種族……その素晴らしさは、クロコダインの目には眩いほどだ。

 もっと見ていたいと思ったが、ここにいては邪魔になるだろうとクロコダインは食堂へと向かう。
 薪割りに夢中になって食事の時間に遅れてしまったが、誰かがクロコダインの分を用意しておいてくれるだろうという確信があった。

 のんびりと歩いていたクロコダインだが、ふと、顔をしかめて足を止めた。
 城の二階に当たる部屋の一つで、窓が大きく開け放たれていた。それだけなら別に構わないが、問題なのは窓枠に座って外を見ている少年の姿だった。

(ポップ……?!)

 物憂げな表情で、どこを見るともなくぼんやりとしているポップは、いつもよりもずっと弱々しく見えた。
 窓の外を見ている様でいて、ポップの目は何も見てはいない――その証拠に、すぐ下にいるクロコダインに気がついてさえいないのだから。

 そのせいかポップは気抜けしきった様子で、隠すことのない素のままの態度を見せていた。
 クロコダインが見舞いに行く度に見せる調子のいい明るさなど、今のポップには少しも感じられない。

 ひどく傷つき、だが泣くこともできずにしょんぼりとしている幼い子供の様に、頼りなげに見えた。
 あの様子を見たのなら、ダイがいつになく心配するのも分かる。

 だが、今のポップを見ても、クロコダインの考えは変わらなかった。
 前にダイに言った言葉は、何の誇張もなく真実だ。
 クロコダインは、ポップの強さを信じている。放っておいても、ポップは自分で立ち直るだけの強さを持っていると確信している。

 だが、信頼と心配とは、全く別の問題だ。
 信念とは無関係に、自分にとって大切な人間が沈み込んでいるのを放置するのは、感情として落ち着かない。
 それに、ポップのしていることは明らかに無謀だ。

 まだ完全に体調が治りきってもいないのだ、夜風や朝晩の冷え込みは身体に障るだろう。それを差し引いて考えても、窓枠に座っているというだけで見ていて心臓に悪い。
 不安定で、今にも落ちそうな場所でぶらぶらと足を空中に揺らしている様を見るのは、あまりいい気持ちがしなかった。

 普段のポップなら空を飛べるからいいとしても、体調が悪い時は魔法の微妙な制御が狂う、つい昨日見たばかりだ。
 それにぼうっとしているせいかポップはバランス感覚も失っているらしく、重心が崩れそうで見ていてひどく危なっかしい。

「おい、ポップ。そんな所にいると、危ないぞ」

「え? ……ああ、おっさんか」

 声をかけると、ポップはやっと気がついたように下を向く。

「中に入ったらどうだ。そんな所では、冷えるぞ」

「あー……、ちょっと頭を冷やして考えたいことがあってさ」

 上の空で答えながら、ポップは相変わらず足をぶらぶらとさせている。どうやら、すぐに中に戻るつもりはまるっきりないらしい。
 ポップらしくもない、沈み込んだ表情を見ていられなくて、クロコダインは声をかける。


「考えるのもいいが、なにも一人で悩むこともないだろう。誰かに相談でもしてみたらどうだ?」

 一人で考える時間や、悩むことも時に必要だろう。
 だが、一人で抱え込めばどんどん膨れ上がり、重くなっていくのが悩みというものだ。そんな時には、他人の助けを借りるのも一つの選択だ。

 ポップの周囲には、いくらでもその相手はいる。ポップの悩みを自分のことの様に心配し、手を貸したいと望む多くの仲間が――。
 だが、ポップは小さく首を振った。

「…………言えるわけねえよ」

「なぜだ?」

「だって……先生のこととか話したら……みんなだっていろいろ、思い出しちまうだろ? ダイだって、マァムだって、ヒュンケルの奴だって  」

 姫さんにも、師匠にも言えないと呟くポップを見て、クロコダインはようやく悟った。 ポップが今まで、一人で抱え込んでいた悩みの源を。

(そうだったのか……)

 かつて魔王ハドラーを倒し、多くの人間の心を惹きつけた勇者アバン。
 クロコダインは前にレオナが、アバンへの憧れを語るのを聞いた。師事を受けてさえいないのに、あの聡明で気丈な姫にあそこまで言わしめたアバンの死は、多くの者に衝撃や悲しみを与えたに違いない。

 ならば、彼を直接知っている者に対してはなおさらだろう。
 それを良く知っているからこそ、ポップは自分に近しい仲間達……言い換えれば、アバンに近しい仲間達に自分の悩みを打ち明けられずにいた。

 アバンを思い出させ、悲しませてしまうのを恐れて。
 自分自身が悲しみの中に沈んでいるのに、他人の悲しみを思いやる気持ちを忘れていない魔法使いの少年に対して、クロコダインは静かに呼び掛けた。

「――ならば、オレに話してはくれんか」

 ハッとした様に、ポップがクロコダインを見返した。
 大きく目を見開いて自分を見下ろすポップの顔に浮かぶ表情は、さっきまでの俯いていた時のそれとは明らかに違う。

「オレは、アバン殿のことを直接は知らない。だから、おまえが何を話したとしても、初めて聞く話なだけだ。
 それで傷つくことも、悲しむこともない」

 クロコダインの誘いに、ポップは何度も目を瞬かせる。口を開きかけ……まだなにかをためらう様に、また閉じる。
 そんなポップの迷いを、クロコダインはじっと見上げたまま、待っていた。

 悩みを打ち明けるか、やめるか。
 その選択は、ポップが決めればいいと思った。

 なにしろ、自分はかつてはダイ達に敵対していたのだ。ポップが悩みを打ち明けたくないと思ったとしても、当然だとさえ思う。
 だが、ポップの返事は、いつものことだがクロコダインの予想もしないものだった。

「だけど……聞いたら、おっさんだって呆れるぜ。――おれって、薄情な奴だって」

「薄情? おまえがか?」

 あまりに意外すぎる言葉に、クロコダインは思わず聞き返してしまった。
 クロコダインの評価とは、正反対な意見である。クロコダインから見たポップは、薄情などとは程遠い。

 なにしろ、命を賭けてまで親友を助けようとした少年だ。
 かつて、敵としてダイ一行と相対したクロコダインは、ポップが自分に怯えていたのを知っている。

 ロモス城にやってきたポップは、追い詰められたような表情をしていたし、足も震えていた。
 ダイがいる時でさえ、後衛で援護するのも怖がって逃げ出した少年が、無謀にもたった一人で戦う覚悟で挑んできたのだ。

 ポップがそれだけの勇気をふり絞る根本には、ダイへの友情だったのだろう。
 クロコダインにしてみれば、ポップほど情に厚い人間など知らない。だが、ポップはまるっきりそうとは思っていないらしかった。

「薄情にも程があるよ。
 おれ、家出して、先生に無理やり弟子入りしたんだ。先生は最初は困っていたけど、それでもおれを弟子にしてくれた。
 なのに、おれは修行もサボってばかりいたし、戦いだって嫌いで逃げてばかりで、先生に迷惑かけてばかりだった。最後の最後まで――」

 そこまで言ってポップは、言葉を詰まらせる。だが、クロコダインにとってはそれ以上を聞く必要はなかった。
 当時、魔王軍に在籍していたクロコダインはハドラーとアバンの戦いの成り行きを聞いているのだから。

 ハドラーを倒すには至らなかったとは言え、自己犠牲呪文を唱えて相打ちを狙ったアバンの戦法を聞いた時は、さすがは大勇者だと胸の震える思いを味わったものだ。
 そして、ダイ達と出会ってからクロコダインはアバンがそんな無謀な戦法を取った理由を知った。

 おそらくは、自分の弟子達を――ダイとポップを庇うために……そのために、彼は命を懸けたのだ。
 アバンのその判断を、クロコダインは高く評価する。

 それは、英断と言っていい。
 アバンが守ろうとしたものには、それだけの価値があるものだったとクロコダインには思える。だが、当の本人の片方は、そうは思っていないようだった。

「先生はおれとダイを庇って死んだのに……それなのにおれ……少しずつ、先生を忘れて……先生の夢を見たのだって、久しぶりなんだ。前は、しょっちゅう見ていたのにさ……」


 それがとてつもない大罪であるかのように、ポップは述懐する。

「――ダイと旅を始めた頃は……先生の夢を見たら、おれ、平気じゃいられなかった。情けない話だけど、その度に泣いちまってた。なのに、今じゃこうやって平気で話しているし……」

 こんなに薄情な話はないと、ポップは本気で信じ込んでいるのだろう。
 だが、自己嫌悪に陥っているポップには決して見えないものが、クロコダインには見えていた。
 だから、それを教えてやりたいと思った。

「そうか? おれには、おまえが平気なようには、とても見えないがな」

 クロコダインは、ポップがアバンの死を嘆く姿も、アバンの夢を見てうなされる姿も見てはいない。
 だが、今現在、アバンを語るポップがひどく辛そうで、しょげきっている姿は見ている。 自分の中の悲しみを抱え込んだままのポップは、まだ、気がついていないだけだ。

 泣くだけが、悲しみではないことを。
 悲しみを胸に秘めながら、それでも前に進もうとする姿が、どれほど気高いものなのかを。

「それに、オレはおまえがアバン殿を忘れているとも思わん。
 むしろ、よくもあんなに覚えているものだと、感心したぞ」

 クロコダインはポップがアバンの書を読む時、彼がどんなに嬉しそうな顔をしていたのか、知っている。
 アバンを忘れるどころか、ポップは彼の思い出を鮮明に覚えている。

 その証拠に、ポップほどアバンの書を詳しく補足した者などいない。アバンの書をダイに読んで聞かせながら、実際に自分の習ったアバンの教えを披露した時のポップの楽しそうな様子は、いまだに印象に新しい。

 アバンの教えを、ポップがどんなに詳しく覚えているか。そして、アバンの教えは本人が意識していなくとも、ポップの根幹となってしっかりと根差している。
 それに気がついてないのは、きっとポップぐらいのものだ。

「おまえは、アバン殿の死を今も悼んでいるし、何も忘れてなどいない。
 それなのに、何を嘆く?」

 わずかに声を張り上げ、クロコダインは頭上の魔法使いの少年に呼び掛ける。この声の様に、この想いも届けと願いを込めて。

「…………」

 日が完全に沈んだせいで、わずかの間にすっかりと暗くなってしまい、クロコダインの視力をもってしてもポップの表情は闇に溶け込んで見えなくなってしまった。
 おまけに、ポップが黙り込んでしまったせいで、声の調子から彼の感情を伺うこともできない。

「ポップ。とにかく、これ以上話が長引く様ならそんな所にいないで部屋に戻ったらどうだ。オレも、すぐそちらに行くから」

 そう声をかけて歩きだそうとしたクロコダインだが、思いがけない返事が戻ってきた。


「……いや。おれの方が、そっちに行くよ」

 問い返すより早く、ポップは何のためらいもなく窓枠から飛び下りる。

「ポッ、ポップッ?!」

 慌てて、クロコダインはとにかく両手を目一杯広げて落下に備える。幸いなことにポップはいつものように飛べはしなかったものの、多少なりとも緩やかに落下するぐらいの魔法力はあったらしい。

 ドサリと自分の手元に落ちてきたポップを何とか受け止めるのに成功し、クロコダインは大きく息をついた。

「あまり驚かすなポップ、落とすかと思って、一瞬、ひやりとしたぞ」

 もし、クロコダインが手を滑らせてしまったら只では済まなかったと思うとゾッとするが、ポップの方はケロリっとしたものだった。

「まっさかー、そんなわけねえじゃん。飛べなくたって、おっさんが下にいるんだし」

 絶対に有り得ないとばかりにそう言うポップが楽な姿勢を取れる様に、クロコダインは軽く片腕を曲げて高さを調節してやる。
 ポップもそれをすぐに悟って、クロコダインの顔と向き合う様な高さに落ち着いた。

「ありがとうな、おっさん」

 それは、何に対する礼なのか。
 それを問う前に、ポップの頭が、細い両手が、クロコダインの太い首に押しつけられる。 太い樹に寄り掛かる様にもたれかかった姿勢で、ポップは呟いた。
 ごく、ごく、小さくて、すぐ側にいる人間にでなければ聞こえないような囁き声で。

「……おれ……あの時…………ダイをどうしても連れていかせたくねえって思ったのも、ホントだけど…………アバン先生と同じことをして、先生と同じ所に行くんだったら、いいかなって思ったんだ……」

 あまりに密着しているせいで、顔を見ることができない。
 だが、すがりつく様に首に回された手が、呟く声が、かすかに震えているのが分かる。――これもまた、ポップの本音なのだろう。

 しかし、ポップには悪いが、クロコダインは思わずにはいられない。
 ポップのその願いが、叶わなくて良かった、と。おそらく仲間の誰もが、同じことを言うだろう。
 だが、それが分かっていながら、クロコダインはポップの言葉を否定しなかった。

「そうか……」

「……会えなかったけどさ……おれ……あの時、先生に会いてえって、思った……」

 死亡していた間、ポップは夢を見たと言っていた。死後の世界を思わせる場所で、ゴメちゃんに引き止められたのだ、と。
 それが本当に死後の世界での出来事なのか、単にポップの見た夢なのかは、クロコダインにはもちろん分からない。

 だが、真実アバンとの再会を願うポップの気持ちは、痛い程伝わってくる。
 一途に師を慕うその思いが、夢でも構わないから会いたいと願うその純粋さが、ポップ本来の年齢をクロコダインに思い出させてくれる。

 やっと、15才。
 魔王軍と戦う勇気や実力、それに並外れた利口さを持っていたとしても、それでもポップはまだ子供にすぎない。
 年相応の弱さや未熟さが、ないわけがないのだ。

「――アバン殿は、おまえに会うにはまだ早いと考えたのだろうよ」

 細心の注意を払って、クロコダインは自分の武骨な手でポップの背を撫でてやる。頼りなさすぎる背は、まだまだ少年っぽくて大切な人の死を背負うには早すぎるように見えた。 見えない荷を、少しでも減らしてやりたいと思いながらクロコダインはポップの背を撫でる。

 かすかな震えが、強まるのが分かる。
 そのままその震えが本格的なものへと変わったとしても、クロコダインは受け止めてやるつもりだった。
 だが、思いがけない邪魔が、頭上から入った。

「ポップ?! どこだっ?!」

 切羽詰まった様な叫び声に、窓が大きく開かれる音。
 音の大きさにびっくりしたのか、クロコダインだけでなく顔を埋めていたポップもそろって上を向く。

 そこにいたのは、窓を両手で押し開いた体勢で固まっているヒュンケルだった。
 もともと窓は開いていたはずなのだが、強い力で再び開け放った窓は蝶番の限界を超えて外壁に押しつけられている。壁に叩きつけられた衝撃で壊れなかったのが、不思議なぐらいだ。

 いつになく焦った態度を露にしたヒュンケルは、真下を見て……彼にしては実に珍しく、気抜けした様に呟いた。

「………………そこか」

 兄弟子をきょとんと見上げていたポップだが――一拍置いて、吹き出した。

「……ぷっ……あはははッ!!」

 腹を抱え、遠慮なしに笑う弟弟子に、ヒュンケルはムッとしたように強く言う。

「し、食事も取らずに、しかもそんなパジャマ姿のままで、何をしているんだ?!」

 本気で怒っていると言うよりは、いつになく慌ててしまった姿を見られてしまった照れ隠しの意味合いが強いのだろう。
 それが分かるのか、ポップもいつものようにヒュンケルの言葉に突っ掛からず、まだ笑いを忍ばせながら返事をする。

「飯の前に、ちょっと外の空気を吸いに出ただけだろ、別に言われなくってもすぐに戻るって……ぷくくっ」

「すまんな、ヒュンケル。だが、ポップが外に出たのは本当に、ついさっきだ。オレが呼び掛けたのが悪かったんだ、あまり叱らないでやってくれ」

 クロコダインがフォローすると、ヒュンケルもそれ以上は文句も言わなかった。だが、ヒュンケルの横からひょっこりとダイが顔を出す。

「ポップーッ、今、暖かいのもっていくよ!」

 そう言ったかと思うと、ダイは止める間もなく飛び下りてきた。
 手にしっかりと毛布は持っているが、その程度で落下の速度を緩められるわけがない。しかも、わざとクロコダインから離れた場所を狙って飛び下りたダイは、大きな音を立てて地べたに落下する。

 が、ちゃんと足から着地してダメージを見事に殺し、ケロッとした顔をしている辺りはさすがは勇者と言うべきか。

「はいっ、ポップ! これに包まれば、暖かいよ!」

「暖かいよ、じゃねえよ、ダイ! てめえなーっ、なに無茶なことやってんだよ、普段はルーラも使えない癖によ〜」

 ついさっき、同じことをしたポップにそれを言う資格があるのだろうかとクロコダインは思わないでもなかったが、とりあえずそれは口にしなかった。
 どちらにせよ、文句を言われたダイは全く気にしてはいないようだし。むしろ、いいことを聞いたとばかりに目を輝かせる。

「そっか、ルーラを使えるようになれば、こんな時はいいよね。
 おれ、明日っからトベルーラも練習するよ! だって、そうすればポップを抱っこして上まで連れて行けるし」

「どーゆー状況を想定してんだよ、おまえはッ?! ルーラを使うなら、他にも使いどころがあるだろうが。
 だいたい持ってくるなら、毛布より靴にしてくれりゃいいのに」

 靴も履いてないポップを、クロコダインは毛布で包み直してから抱き直す。

「まあ、少しぐらい我慢することだな。どれ、部屋まで戻ろう」

 そう言ってから、クロコダインは確認する様にもう一度、聞いた。

「……それで、いいか?」

 ダイやヒュンケルの手前、言葉は控えたものの、自分が言いたいことをポップは読み取っただろうとクロコダインは確信していた。
 もし、ポップが望まないのなら、無理に部屋に連れ戻すつもりはない。まだ悩みが晴れないのであれば、ポップの望みは極力叶えてやりたいと思っている。

 見た目以上の利口さを持つ魔法使いの少年は、言葉にはしなかったクロコダインの本心を理解したのだろう。
 少しの間、クロコダインをじっと見た後、ポップの顔にお得意のニヤリとした、不敵な表情が浮かぶ。

「ああ、それでいいぜ、おっさん。ホント、ありがとな。
 おれは、もう大丈夫だよ」

 最後の言葉だけ、語調が強められたことにクロコダインは気がついていた。

「だから早く、部屋に戻ろうぜ。腹も減っちゃったし、第一、ヒュンケルの野郎があんなに慌てたとこなんてめったに見れないぜ、からかわない手はないしよ〜」

 おかしそうに笑って見せるポップからは、さっきの弱々しさは消えていた。

(……やはり、強いな)

 いささか強がっている感はあるが、それでもいつもの自分をちゃんと取り戻して、立ち直れるのがポップの強さだ。

 どんなに強い人間でも、たまには己の中の弱さに負けてしまうことがある。
 そんな時には泣いてもいいと思ったし、正直、ポップがそうしたいのなら泣かせてやるつもりだった。
 自分の中の負の感情を思いっきり吐きだすのも、思う存分泣くのも、時には悪くはない。


 だが、今のポップには涙は必要がないようだ。
 夢に溺れることなく、自力で心の安定を取り戻したポップを、クロコダインは素直に尊敬する。

 そして、ポップの雰囲気が微妙に変わったのが、ダイには分かったらしい。
 ダイには、ポップの様に筋道立てて推理する能力も、相手の考えを見抜く洞察力もない。
 だが、動物的と呼べるずば抜けた直感で、驚くほど敏感に他人の考えや感情を見抜く勘に長けている。
 今も、きちんと言葉では説明できないながらも、ダイは漠然と何かを感じ取っていた。


「……?」

 物問いたげな目で、ポップとクロコダインを見比べるダイに対して、獣王はポップには見えないようにこっそりと頷いて見せた。
 それだけで、ダイはパッと嬉しそうな顔をしてクロコダインの背中に飛び乗ってきた。
 クロコダインの巨体にしてみれば、ダイやポップぐらいの子供の一人や二人など、人間にとっての子犬や子猫と大差がない。
 止めもせずに好きにさせてやると、ダイはクロコダインの肩に勝手によじ登りながら、腕に抱かれたポップにしがみつく。

「ね、ポップ! 今日、おれさ、ポップのとこで寝てもいい?」

「え? なんだよ、急に」

「だって、今日、アポロさんにむずかしいこといっぱい聞かれて、なんか疲れちゃったし。ねえ、ダメかな?」

 勇者とはいえ、ダイもまだ子供だ。甘えた声でねだる、自分よりも年下の子供を相手にしては、ポップもちょっと背伸びをして兄貴ぶりたいらしい。

「ったく、しょうがねえ奴だなぁ、いいけど、今日は特別だぞ。姫さんに見つかったら、おれが怒られるしよ」

「わぁいっ、ありがと、ポップ!」

 はしゃぎまくる勇者と魔法使いのやり取りを、クロコダインは微笑ましく、そして、嬉しく思う。
 この分なら、もう、ポップが夢にうなされることもないだろう。

 ならば、それでいいと思う。
 自分が手を貸さずともポップが元気になると言うのなら、クロコダインにとってもそれが一番望ましい。

(オレが手を貸すのなど、いつでもいい)

 いつか、ポップが助けを必要とする時がきたのなら。
 いつかポップが自分の中の弱さや悲しみに耐えきれず、涙と共に吐きだしたいと思う時が来るのなら。

 そして、その時の自分に何かができるのであれば、その時は無条件で手を貸すつもりだった。ポップが泣きたいと望むのなら、黙って胸を貸してやろう。
 誇り高き獣王はその誓いを、誰にも話さないまま胸に刻む。

 

 


 そして、大魔王との戦いの最中、獣王のその密かな誓いは果たされることになる。だがそれは、これよりもう少し先、未来での話になる――。
                                    END


《後書き》

 333333hit 記念リクエスト、二次小説道場向けで『年相応の幼さを見せるポップとクロコダインがメイン』です♪

 原作でお気に入りシーン、死の大地でダイを見捨ててきたポップが、クロコダインに庇われて慰められて大泣きするシーンが大好きなので、そこを意識つつ、しかし被らないように書いてみました♪

 ところで、ポップがメガンテ直後にアバンの夢を見てうなされる、というアイデアは実は連載当時から持っていました。

 それにダイを絡めるバージョン、ヒュンケルを絡めるバージョン、マトリフを絡めるバージョンと、大まかに三パターンに別けてそれぞれさらに分岐したパターンをいくつも書きまくったりした結果、2、30パターンぐらいのネタがアイデア帳には書いてあったりしました。

 しかし、ご存じの通りアバン先生が復活なさったので、その衝撃で『い、今更恥ずかしくてこんな話書けない!』と封印して○○年……今ごろになってから役に立つとは、人生、本当に分からないものです(笑)

 しかも、当時はアイデアになかったクロコダインを主軸に据えたら話が気持ち良く書けて、自分でも新鮮でした♪

 

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