『秘するべき使命 1』 |
「ポップ? この印って、なに?」 ダイがそう聞いたのは、単に疑問に思ったからだった。 だが、その意味が分からずにダイは首を傾げた。 しかし、ポップのカレンダーはそれとはずいぶん違う。 なによりそのカレンダーときたら、見たくないと言わんばかりに部屋の隅っこにかけられているし、書かれている記号は不定期、かつ不規則なものだった。 なぜなら仕事の日ばかりではなく休日のはずの日でも、大きなバツ印がついているのだから。 「なんか、バツばっかりだね、これ。あ、前の月にはちょっぴりだけ丸もあるけど」 ダイにしてみればポップを待つ間の手持ちぶさたを潰すために、何気なく聞いただけのちょっとした疑問。 「そ、そんなの、たいした意味なんかねーよ! つーか、勝手に見るなよっ!」 勝手に見るなと言われても、カレンダーというものが見てはいけないものだったなんて、ダイには初耳だ。 「え? カレンダー見ちゃ、いけないの?」 「いや、そうじゃないけどよ……ああっ、面倒臭いな、とにかくこのカレンダーはおまえには関係ないんだから、気にしなくてもいいんだよ! 頭をガシガシ掻きむしりながら、ポップはわざわざ机から席を立ってまでダイを部屋から追い出しに掛かる。 「えーっ!? だって、さっきポップがここで待ってていいって言ったじゃないかーっ!!」 今日は珍しくポップの午後からのスケジュールが空くので、たまには一緒に遊びに行こうと前から約束していた日だ。 楽しみで楽しみで待ちきれなくて、待ち合わせよりもちょっと早くポップの部屋に押しかけてしまったのは事実だが、そのポップ本人がもう少しで仕事が終わるからその辺で待っていろと言ったのだ。 「さっきはさっき! とにかく後ちょっとで終わるんだから、邪魔すんなって。 (もー、ポップってホント、わがままだよなぁ) 廊下に出されてしまったダイは、ちょっぴり溜め息をついたものの、まあいいかとすぐに思い直す。 ダイに手伝えることがあるのならなんでもしてあげたいといつも思っているのだが、残念なことにダイには手も足も出ない。 それに、仕事さえ終わればポップと一緒に遊べると思えば待つのもそんなに苦にならない。 あそこでなら、確かに退屈しないだろう。運がよければ、ポップが好きそうなお菓子だのヘンテコな魔法道具なども買えるかもしれない。あるいは、レオナが好きそうなキラキラとした小さな小物などでもいい。何の役にも立たない上に食べられもしないのに、アクセサリーと呼ばれる小物をレオナはひどく喜ぶ。 (んー、ヒュンケルは……あんまりそーゆーの欲しがらないよね。でも、こないだドロルの置物は気に入ってくれたみたいだし、あーゆーのがいいのかな? あ、アポロさん達にもおんなじのをお土産にしよ!) 考えようによっては嫌がらせとほぼ紙一重なお土産計画なのだが、純真な勇者様には常識と言うものが大幅に欠けている。
ダイを追い出したポップは、改めて自分でもカレンダーを見てしかめっ面をしていた。その目付きは、まるっきり借金の借用書を見るそれだった。 カレンダーのバツは、実はヒュンケルに助けられた日の印だ。 例えば、ポップが書類の山を抱えて運ぶのに苦労している時に、たまたま通り掛かったヒュンケルが運ぶのを手伝ってくれたり。 そんなちょっとした親切というか手助けは、本来なら日常生活において日常茶飯事だ。ポップだって他人がそんな風に困っていればそれぐらいはいつだって手を貸すし、逆に、そんな風に手助けしてもらうことも多い。 だが、ヒュンケルに関してだけは、そうもいかない。 (だいたいあの野郎はよー、ちょっとばかり年上だからって兄貴ぶりやがって、人を子供扱いするのもいい加減にしろっつーんだよ!) 初対面の時の悪印象に加え、未だにヒュンケルにコンプレックスというか拘りを抱え込んでいるポップにしてみれば、素直に礼を言う気になんてとてもなれない。 本音では助けなどいらないと突っ撥ねたい処だが、意外と面倒見のいいのかヒュンケルはポップが礼も言わず、むしろ不機嫌になると分かっているくせに助け手を差し延べるのを止めない。 いくらなんでも助けられっ放しというのは気が済まないので、嫌だけど一応は記録をつけ、適当な機会を見つけては借りを返す様にしているのだ。 例えば、ヒュンケルが提出した書類の不備をこっそりと直してやったり。 ……まあ、ポップの隠れた努力や思惑はどうであれ、ヒュンケルはそんなことはまったく気にしていない。 そんな風に自分で納得できる程度のお返しをして、これで借りはチャラだと自分に言い聞かせてきたのだが、今月はそれが一切できていない。 (やべえ。よく見たら、今月はもう10回近くあいつに借りを作ってるじゃん! そのくせ、一回も借りを返してないしっ! なにやってたんだよっ、おれっ!?) 自分で自分を責めまくりたい気分で、ポップはカレンダーを凝視する。 あまりに忙しすぎて、ダイとろくに話す時間すらとれないぐらいだった。そのせいかダイがやけにしょんぼりしているのを気にしたレオナが、特別にわざわざ半日の休暇を組んでくれたのである。 (ったく、普段は鬼のように仕事にはうるさいくせに、姫さんはダイには甘いんだからよ〜) などと思うポップだが、ダイを待たせないようにと書類書きに戻ったポップ自身もまた、相当にダイに甘いのだが本人にはまったく自覚はなかった――。
副隊長を初めとする兵士が数人、苦い顔をしてデータの書かれた書類を広げ、頭を付き合わせている。 「た、隊長っ!?」 驚いて慌てて敬礼をする近衛兵達の中、のんびりと声をかかえたのは副隊長だった。 「おや、隊長。わざわざお出でになったのですか、確か、今日は非番だったはずでは? たまにはのんびりされた方が、いいんじゃないすかね」 当番表を確認するまでもなく、私服姿のヒュンケルが非番なのは一目で分かる。だが、隊長職についていながら未だに勤務に便利という理由で城に住み込んでいるヒュンケルには、休みはのんびりすごすという発想はない。 と言うより、休みの概念自体が薄いのだろう。勤務中と全く変わらない態度で、問い掛けた。 「そんなことはどうでもいい。それより報告を聞かせろ。ポップに何かあったのか?」 パプニカ城の近衛兵に選ばれた者達は、例外なく一つの命令を拝命する。重要でありながら、決して表沙汰にはならない秘密の使命。 それは王族を守ると言う絶対命令と同じレベルで、順守すべき命令である。 ごく一部の者しか知らない話ではあるが、大魔道士ポップの健康状態はあまり良いとは言えない。大戦の時に禁呪を放つと言う無茶を重ねたせいで、いささか衰弱した体調は未だに無理は禁物である。 日常生活には差し障りはないが、一度体調が崩れ始めるとダメージは大きい。普通の人ならばただの風邪ですむ軽い病気でさえ、ポップの場合は命取りになりかねない。 それを重視して、レオナは徹底した健康管理を近衛兵や侍医に命じた。 「はっ。昨日、大魔道士様がご自室に戻られるのがいつもより遅い時間でした。その際、多少のふらつきが確認されました」 部屋の構造状、ポップが自室にしている幽閉室に出入りする際は必ず見張りの近衛兵の前を通る必要がある。 ポップだけに限らないが、城の中枢部部へ出入りする者の人数や通過時間は、警備の都合上きちんと記録するのが規則だ。 「……ここ数日、連日だな。朝はどうなんだ?」 朝、ポップが決まった時間までに起きてこない場合、見張りをしている兵士が一声かけ、それでも反応がない場合、安否を確認する――それも、パプニカ近衛兵の決まりである。 「はい。ここ一週間、勇者様が兵士達の朝練に参加されているせいか大魔道士様は寝過ごされることが多く、時間ぎりぎりか、呼び掛けに応じてやっとお起きになります」 それを、単なるポップの寝坊と見ることもできるだろう。 仕事が忙しいせいもあるが、夜更かしして寝過ごしがちなタイプだ。さらに言うのならポップは朝、少しでも布団の中で眠るのを優先して、朝ご飯を抜いてしまうタイプでもある。 それはあまり健康に良くないから改めるようにと何度となく忠告されているはずなのに、ポップときたら右から左へと聞き流してしまう。 ダイに甘いポップは、文句を言いつつもダイの誘いに乗って起きるし、一緒に食事も取る。 「食事はどうなんだ?」 「それが……大魔道士様は、ここのところ食欲があまりおありではないようでして……。食堂にもあまり行きませんし、侍女が軽食を用意してもお断りになるか、ほとんど残されるそうです」 まるで自分が悪いことをしてしまったかのようにそう答える兵士には悪いが、ヒュンケルの渋面はますますひどくなる。 現在、兵士の特別訓練として早朝訓練を実地中であり、ダイもそれに参加しているのが悪い方向に作用しているのかもしれない。 ただでさえ寒さに弱いポップには、てきめんに身体にこたえているようだ。 根っからの庶民育ちのポップは、自分の身の回りの世話を他人にやってもらう習慣に未だに馴染まない。 同じく、定期的に食事やお茶などを差し入れる係もポップは追い返してしまう。 なにしろ、ずぼらなポップは面倒がって薪の継ぎ足しをサボりまくりのだから。 いつでもつけられると思うからこそ、消えてしまっても少しも気にしないから始末に悪い。 「さて、どうしますかい、隊長? 一応、姫にチクっ……いえいえ、ご報告申し上げて侍医の診断を仰ごうかと思ってはいるんですがね」 微妙に本音の漏れている副隊長の提案に、ヒュンケルはもちろん賛成だった。 彼女の命令ならば、ポップも不承不承ながらも言うことを聞くだろう。 それが一番丸く収まる方法だと思い、ヒュンケルは頷こうとした。だが、まさに丁度その時、見張りの若い兵士が困ったような顔で飛び込んできた。 「副隊長! あ、隊長もいらしたんですか? あの、大魔道士様が門を通せとおっしゃっているんですが……、お通ししてよろしいんでしょうか?」
門番とやり合っているポップの声は、遠くからでもよく聞こえる。 だが、ポップの健康状態について指令室で会議をしていることは、近衛兵なら下っ端でも知っている。 だが、ポップにしてみれば自分が外出を禁じられる理由も分からないのだから、不満を感じるのも当然だろう。 「あっ、隊長!」 「げ、ヒュンケルかよ?」 兵士とは真逆に露骨に顔をしかめたポップは、それでも丁度いいとばかりにヒュンケルに向き直って噛み付いた。 「門番に変な命令を出したの、おまえかよ!? なら、さっさと取り消せよ、おれは今日の午後は休暇なんだよ! ダイと待ち合わせてんだよ、さっさと通せってば」 イライラと怒鳴り散らすポップの文句を、ヒュンケルはろくに聞いていなかった。彼が注目していたのは、言葉の内容よりも疲れきっているように見えるポップの顔色の方だった。 (……やはり、休ませた方がよさそうだな) そう判断したヒュンケルは、きっぱりと言い放った。 「……駄目だ。おまえには、当分外出は遠慮してもらう」 「なんでだよっ!?」 早速文句を付けてきたポップに、ヒュンケルは少し考えてから尤もらしい説明を口にする。 「最近、例の『反対派』の動きが活発になってきた。……そう言えば、分かるだろう?」 ポップの表情が引き締まるのを見て、ヒュンケルは自分の出任せを彼が信じたのに安堵する。 「またかよ。最近は根回しもだいぶ進んできたし、数も減ってきたはずなのに……」 レオナが掲げ、ポップが後押ししているパプニカの新政策……人間と怪物の共存に反対する意志を持つ者を、一纏めに『反対派』として呼んでいる。 もちろん、二人の努力により新政策に協力する者は徐々にだが増えているし、世間に広く浸透し始めている。 「今、近衛兵が全力を挙げて『反対派』の実行犯の動きを捜査中だ。
「……おい、その話、もっと詳しく聞かせろよ。場合によっちゃ上からの圧力のかけ方とか、手の打ち方を考えないと」 「……!?」 今度は、ヒュンケルが息を飲む番だった。 普段なら、ポップのその申し出はありがたい。 「……こんな所で話せる話ではないぐらい、分かるだろう。いいから、おまえは自室に戻っていろ!! 犯人逮捕は、オレの仕事だ!」 嘘がばれるのを恐れ、必要以上に強く言ったその言葉に、ポップは一瞬、目を丸くする。 「あ、あの、隊長……っ!?」 いくら兄弟弟子の間柄とはいえ言い方があまりにきつすぎるのではないかと、オタオタする兵士の目の前で、ポップは憤然とした様子で踵を返す。 「ああ、そうかよ! 悪かったな、てめえの仕事に口を出してッ!!」 ズカズカと足音を立てて城の中へと戻っていくポップを、ヒュンケルはホッとして見送った。 とりあえず、今は外出を取りやめさせて休ませれば、それでいい。後で、レオナの助けを借りてなんとかポップを丸め込み、警備のためだとごまかして数日だけ安静に近い状態をとらせればいい。 カンカンに腹を立てたポップが、一応は城の中には向かっていたものの、自室に戻って休む気など毛頭なくしていること――。 (もーっ、あったまにきた! 見てやがれ、絶対に見返しついでに、借りをまとめて返してやらぁ!) ヒュンケルの考えとは全く逆の方向へと決意を固めてしまった意固地な弟弟子は、その高い頭脳を無駄に使って作戦を練り始めていた――。
《続く》
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