『藍を超える青』 |
パプニカ王国の海沿い、人もあまり訪れない海岸の際にある崖。その崖の一部に偽装する形に存在する岩の奥に、人知れず存在する洞窟があった。 そこが、大魔道士マトリフの住み家だった。 幾多の賢者を生み出してきたパプニカ王国の過去数百年の歴史を振り返ってみても、彼ほどの逸材はいなかった。 魔法使いとしての力も、僧侶としての力で鑑みても、マトリフの能力はずば抜けている。パプニカ王国のみならず、各国の歴代の宮廷魔道士を探してみたところで、おそらく彼を超える能力を有していた者はいないだろう。 だが、どんな才を持つ者に対しても、時は平等に流れていく。 今すぐに命が危ういと言う程、まだ余命は短くはない。 目には見えないほどゆっくりと、しかし着実に、マトリフに死が近付いていた――。
自宅としている洞窟の奥で、マトリフは静かに横たわっていた。ここ数日は、そんなことが多かった。 (まったく、オレも老いぼれたものだぜ) 苦笑混じりに、マトリフは今の自分を自嘲する。 だが、魔法の技術に関しては年老いても問題がないとはいえ、体力の衰えに関しては如何ともし難い。 魔法力と体力は、連動している。 体力だけではない。反射神経に動体視力、集中力や持久力など、戦いに必須とされる様々な身体能力は加齢と共に衰える一方だ。 どうもここのところ、マトリフの体調はパッとしなかった。 今までの経験を駆使して衰えをカバーし、15年前よりも明らかに強くなった魔王と互角以上にやり合うことは出来ても、目減りしていく体力を補う方法はない。 若い時ならばどんなに無茶をしても、充分な睡眠と休息を取れば回復したものだが、今となってはそれ程の回復力などマトリフにはない。 どんなに安静にしても、気休めにもならない。 結果、一向に魔法力や体力が回復されず、澱の様に疲労感だけが残るという悪循環が続いていた。 着替えるだけの気力も湧かず、ベッドに横たわっているだけの時間が長くなっている。 こうやってベッドに横たわっていると、意識が曖昧になってくるのをマトリフは自覚していた。 その際には、夢とも思い出ともつかない、幻のような物を見る。 そんな無数の人々の顔の中で、最も鮮明に思い出せるのはやはり、かつての仲間達だった。 昔、一緒に一行を組んでいたアバン、ロカ、レイラ、ブロキーナのことは、今、目の前にいる現実かと思うぐらいはっきりと思い出せる。 (……分かっているさ、アバン。おまえの弟子達のことだろう? ……分かっているとも) 分かっているどころか、このところマトリフを芯から悩ませているのは、アバンの弟子の内の一人、ポップの存在だ。 (なあ、アバン……おまえもつくづく、突飛な弟子ばかり育てやがったもんだぜ。 魔法使いポップ。 仮にも勇者一行に参加する魔法使いにしては、あまりにも弱すぎる。よく生き延びてきたものだと、逆に呆れたぐらいだ。 ダイ達の話では彼らは相当な激戦をくぐり抜けてきたらしいが、あのレベルの魔法使いではお話にもならない。 正直、戦いに参加させるにはレベルが低すぎて不安要素になるだけだ。 だが、魔法使いに同じことをさせるのは無茶と言うものだ。 もし魔法使いを実戦で鍛えたいと思うのなら、前線に立つ者の援護が欠かせない。 ダイとマァムは、自分で自分の身を守りながら戦うぐらいの力量はあるものの、明らかに戦力外の人間を守りきれる程の力は無い。 おまけにポップ自身、たいした魔法を使えるように見えなかった。 単に攻撃魔法を放てるだけでは、魔法使いとは呼べない。様々な呪文を駆使して、仲間の援護を果たせるだけの力や知恵を備えてこそ、初めて魔法使いは一行の戦力に数えることができる。それこそが、マトリフの持論だ。 そんなマトリフの目からみれば、ポップは魔法使い失格だった。 だが、旧友の頼みに加えて、マァムの仲間だと言うことで、ちょっと手を出す気になった。 それは、マトリフにしてみればほんのお節介心のつもりだった。 父親譲りの勝ち気さが目立つが、母親似の優しさを持つあの少女が、一度仲間と認めた少年に心を許しているのは一目で分かった。 それは、ダイも同じように思えた。 仲間意識が強いからこそずっと一緒にいて、そして実力不足でその仲間を失うとなったら、ポップ本人にとっても不幸なだけだし、ダイもマァムも傷つくだろう。 それを危惧したからこそ、マトリフはポップにきつい修行を施した。 それは、ポップを鍛える目的だけでやったとは言えない。半分以上の確率で、ポップが逃げ出す可能性も考えてはいた。 人には、自分の生きる道を選択する権利がある。 もう、こんな修行や戦いは嫌だと音を上げて逃げる様なら、それでもいいと思っていた。むしろ、半分はそうなる可能性を見越して、仲間であるレイラやブロキーナの家の近くにわざわざ連れて行ったのだから。 (しかし、あのガキときたら、臆病なんだか負けん気が強いんだか、分からねえ奴だぜ) 当時を思い出し、マトリフは一人で苦笑する。 いきなりの敵襲に対し、ポップがどんな反応を見せるのか興味があったからだ。 ゴートドンはそれ程強い怪物ではない。 だが、ポップは魔法を使う素振りも見せずにいきなり逃げにかかった。 戦うのが嫌い、と言うよりも根本的にはポップは好戦的な性格ではないのだろう。自衛のためであれ、戦いよりも逃亡を選んだ点については、別に文句はない。 戦士ならばいざ知らず、魔法使いならば前線に立って戦う必要などない。むしろ、猪突猛進になりがちな戦士を抑える役目を負い、常に撤退を戦術の一つとして考える方が正解と言える。 臆病なぐらいで、ちょうどいいのだ。 だが、その呆れはすぐに驚きに変わった。 ピリオムやボミオスなど身体能力強化の呪文も覚えていないのに、ポップは魔法力を直接放出して身体に影響を与える方法をとっていた。 身体の動きに合わせて微量に魔法力を放出することで、ダッシュの速度を上げる。 きちんと系統立てられた魔法ならば、呪文を唱えるだけで自動的に効力が発揮されるが、純粋な魔法力を放出して独自の効果をあげるためには本人の力量に大きく左右される。 魔法の仕組みや使い方をきちんと理解しているか、でなければ並外れた魔法センスがなければ出来ない芸当だ。 マトリフの見たところ、どちらかといえば後者の可能性が高い。 と、なれば本人を無理やりにでも追い詰めて魔法を使わざるをえない状況に追い込むのが手っ取り早いと、マトリフは考えた。 半ばはそのまま戻ってこないか、あるいは戻ってきても厳しい修行からは逃げ出すかと思っていたポップだったが、意外にも彼はマトリフへの弟子入りを望んだ。 自分から修行の続きを受けたいと言い出したのは、マトリフには嬉しい誤算だった。 (まあ、逃げ出そうとしても逃がしてやる気なんざなかったけどよ) にんまりとした、人の悪い笑みがマトリフの顔に浮かぶ。 それこそ本人が嫌がって泣こうがわめこうが甘えた根性を叩き直すつもりだったが、そうするまでもなく自力で成長する決意を固めたのなら、それが一番いい。 マトリフは、ポップの成長に確かな方向性を与えた。 実戦形式の厳しい特訓にも、ポップはついてきた。ある意味で、これ以上教えるのに楽な弟子というのもいない。 知識も、基礎的な訓練も、倫理観すら教える必要すらない。それらは全てアバンがすでに教えてある。 ルーラを覚えた途端、教えもしないうちからトベルーラを使って見せたのにはさすがのマトリフも目を見晴らされた。 だが、ポップはトベルーラの見本を見せるよりも早く、自力で応用に成功した。 それは魔法力の成長だけでなく、精神的な意味でもだ。幼い勇者を支える優しさや、戦いを組み立てるだけの知識も、ポップにはあった。 だが――マトリフは今になって、それをすこしばかり後悔してもいる。この後悔は、病いで痛む胸の疼きよりも強く、深く胸に食い込んでくる。 「なぁ……もしかするとよ、おめえの方が正しかったのかもしれねえな、アバンよ」 敢えて口にした独り言に、応える者など当然いない。 ポップの甘えっぷりに呆れていた頃は、マトリフは彼に教えを授けたアバンを非難したい気分でいっぱいだった。 最初の頃、ポップには戦いに対する覚悟や心構えがまるっきりなかった。 だが、甘えを捨てる様にと鍛えた結果、マトリフはポップの困った資質に気がついた。 ポップは、戦いを好まない。 文字通り、自分の命を投げ捨ててでも目的を優先する無茶さが、彼にはあるのだ。 だが、ポップはその稀な一人だった。 (まったく、あの馬鹿が……無茶にも程があるってものだぜ) フィンガー・フレア・ボムズ――五指爆炎弾。 その並ならぬセンスには素直に兜を脱ぐが、正直な話、マトリフはそれを褒めてやる気にはなれない。 フィンガー・フレア・ボムズ……名前こそは違うが、それは古代で使用されていた魔法であり、現代ではとっくに失われた魔法の一つだ。 資料と実体験から、マトリフはあの魔法がどれ程危険であり、身体に深刻な悪影響を及ぼすものか知っていた。 しかも、ポップはまだ子供だ。 それは、薄氷の上で盛大に跳ね回る行為に等しい。弟子が命綱すらない危険な綱渡りをするのを、黙って見守る気はマトリフにはさらさらなかった。 自分の弱味を見せるのは、マトリフの本意ではない。 (けどよ……あいつも変に、頑固な奴だからなぁ) 自分自身の左手を見つめながら、マトリフは溜め息をつく。 あの時、ポップはひどく心配そうに自分を見下ろしていた。 年寄りの死という、しごく当たり前に訪れる摂理に対して、まるでとてつもなく理不尽な不幸にでっ食わした様な顔をして、それを聞いていた。 忠告は必ず守ると約束しようとはしなかったポップを見て、寿命を削るという危険さえ彼への歯止めにはならないだろうと、マトリフは予測した。 (……くそぅ、身体の自由さえ利けば、もう少し打てる手もあるのによ) 歯がみをしたいもどかしさを感じながら、マトリフは洞窟内の天井を見上げる。 数日前、パプニカに何かあったらしいことは察していた。地震の様な揺れに、爆音や戦いの喧騒らしきものがここまで響いてきた。 あの騒動は、紛れもなく魔王軍の攻撃だろう。そして、それに対抗するために勇者一行が戦うのは必然。 戦いが長引いているのか、戦いの事後処理に手間取っているのか分からないが、あまりいい傾向とは思えない。 (どうせ、また何か無茶をしでかしたんだろうぜ。まったく、厄介な野郎だ) ポップが余りにも危っかしかったからこそ、マトリフは彼が成長するように手を貸した。 だが、成長を促したが最後、ここまで無茶をすると分かっていたのなら、マトリフも最初からポップの修行方針を考えていただろう。 あれ程無茶をするのなら、彼には歯止めが必要だ。本人がもっと成長して危険への自覚や思慮深さを身に付けるまでは、彼を押しとどめる役目を持つ者が側についている方がいい。 一見臆病で、ヘラヘラと調子のよいポップの中に秘められていた、死をも恐れぬ勇気。 アバンは優しく、穏やかで気の長い男だった。 もちろん、まだ若いだけあってポップには荒も多い。特に精神面に関してはそれが顕著で、感情の起伏が激しくて自分を抑えきれない点が目立つなど欠点も目立つが、それらは時間が解決する問題だ。 魔法力においてもその頭脳においても、経験を積みさえすればポップは、マトリフをも超える大魔道士になれる素質を持っている。 (肝心のその時間がないときていやがる。ヤツにも、オレにも、だ) 現在、魔王軍の侵略はより激しさを増してきた。 彼ら以外に、戦力がないのだ。 それを一番肌で感じているのは、最前線で戦っている勇者の魔法使いだろう。 はっきりとは、意識してはいないかもしれない。 生き急ぐかのような性急さで強さを望む弟子に、先行き短い自分が師として何を与えられるのか。 (………………やっぱり、『アレ』しかねえか) これほどまでに衰弱しきった身体でありながら、マトリフの眼光の鋭さだけは微塵も衰えていない。 もし、弟子が望むのであれば。 そして、まるで師の決意を待っていたかの様なタイミングで、弟子の声が聞こえてくる。 「師匠、いるかい? ……あのよ、今、話ができるかい?」 いつになく遠慮がちな様子で洞窟に入ってきたのが誰か、確かめる前にマトリフには分かっていた。 「ああ、いるぜ。どうした、遠慮なんてする柄じゃねえだろう。勝手に入ってきな、ポップ」 首をわずかに起こして、マトリフはおそらくは彼にとって最後の弟子になるであろう、そして全てを受け継がせようと決めた魔法使いの少年を側に招いた――。 《後書き》 ものすごく珍しい、マトリフ師匠のシリアスでモノローグ的なお話です♪ 鬼岩城後、ポップがメドローアを覚える直前辺りの時間設定だったりします。 スケベでふざけた面を見せるマトリフ師匠も好きですが、病に弱り、それでも弟子のために何かをしてやろうと、渋い一面を見せる師匠も大好きなんです! 最初は全然思い付かなくて『藍より青し』と仮名をつけておいたら、どうしても別の漫画のタイトルにしか見えなくって(笑) |
◇『藍を突き抜けた青』続く←