『藍を超える青』

 

 パプニカ王国の海沿い、人もあまり訪れない海岸の際にある崖。その崖の一部に偽装する形に存在する岩の奥に、人知れず存在する洞窟があった。

 そこが、大魔道士マトリフの住み家だった。
 全ての魔法使いの頂点に立つ者と呼ばれ、各国から宮廷魔道士へと請われた程の才を持つ男……自他ともに認める、希代の天才。

 幾多の賢者を生み出してきたパプニカ王国の過去数百年の歴史を振り返ってみても、彼ほどの逸材はいなかった。

 魔法使いとしての力も、僧侶としての力で鑑みても、マトリフの能力はずば抜けている。パプニカ王国のみならず、各国の歴代の宮廷魔道士を探してみたところで、おそらく彼を超える能力を有していた者はいないだろう。

 だが、どんな才を持つ者に対しても、時は平等に流れていく。
 加齢による衰えは、確実にマトリフに忍び寄っている。
 しかも、彼が今まで使ってきた禁呪法の魔法のツケは、老魔道士の健康を少しずつ蝕み、もう手の施しようのない段階まで彼の身体を衰弱させていた。

 今すぐに命が危ういと言う程、まだ余命は短くはない。
 だが、すでに先は見えている。絶え間ない咳や微熱はすでに日常的なものになっているし、魔法も自由には使いこなせなくなってきた。

 目には見えないほどゆっくりと、しかし着実に、マトリフに死が近付いていた――。








(……ああ。寝ちまってた……のか?)

 自宅としている洞窟の奥で、マトリフは静かに横たわっていた。ここ数日は、そんなことが多かった。

(まったく、オレも老いぼれたものだぜ)

 苦笑混じりに、マトリフは今の自分を自嘲する。
 魔法使いにとって、本来加齢はさして問題にはならない。
 むしろ年を取れば取る程に精神力が鍛えられるため、戦いの駆け引きや熟練度は上がる傾向がある。

 だが、魔法の技術に関しては年老いても問題がないとはいえ、体力の衰えに関しては如何ともし難い。

 魔法力と体力は、連動している。
 いかに高い魔法力を持っていたとしても、体力が衰えてしまえば強力な魔法を使いこなすのは困難になる。

 体力だけではない。反射神経に動体視力、集中力や持久力など、戦いに必須とされる様々な身体能力は加齢と共に衰える一方だ。
 年を取ればとる程、身体が衰えるのは自然の摂理だ。

 どうもここのところ、マトリフの体調はパッとしなかった。
 原因は分かっていた。ハドラーとの魔法合戦をして以来、マトリフの体調は優れないままだ。久し振りの実戦もさることながら、あれほど強力な魔法を使う羽目になったのだから、それも無理はない。

 今までの経験を駆使して衰えをカバーし、15年前よりも明らかに強くなった魔王と互角以上にやり合うことは出来ても、目減りしていく体力を補う方法はない。

 若い時ならばどんなに無茶をしても、充分な睡眠と休息を取れば回復したものだが、今となってはそれ程の回復力などマトリフにはない。

 どんなに安静にしても、気休めにもならない。
 無数の穴の空いた水袋から水が漏れる様に、回復する傍らから魔法力がこぼれ落ちていく様な感覚がある。

 結果、一向に魔法力や体力が回復されず、澱の様に疲労感だけが残るという悪循環が続いていた。

 着替えるだけの気力も湧かず、ベッドに横たわっているだけの時間が長くなっている。
 起きているのか眠っているのか、どちらとも分からないあやふやな時間を、マトリフは甘受していた。

 こうやってベッドに横たわっていると、意識が曖昧になってくるのをマトリフは自覚していた。

 その際には、夢とも思い出ともつかない、幻のような物を見る。
 懐かしい人々や、今まで戦った無数の敵達、会いたい人、顔も見たくない人、顔だけは思い出せるがどんな縁を持っていたかは忘れてしまった人――。

 そんな無数の人々の顔の中で、最も鮮明に思い出せるのはやはり、かつての仲間達だった。

 昔、一緒に一行を組んでいたアバン、ロカ、レイラ、ブロキーナのことは、今、目の前にいる現実かと思うぐらいはっきりと思い出せる。
 ことに、アバンが何か物言いたげに、自分を見つめているような気がしてならない。

(……分かっているさ、アバン。おまえの弟子達のことだろう? ……分かっているとも)

 分かっているどころか、このところマトリフを芯から悩ませているのは、アバンの弟子の内の一人、ポップの存在だ。

(なあ、アバン……おまえもつくづく、突飛な弟子ばかり育てやがったもんだぜ。
 伝説の竜の騎士の子供にも度肝を抜かされたが、妙に才能のある魔法使いまで甘やかして育てやがって)

 魔法使いポップ。
 最初に見掛けた時は、正直、マトリフは呆れたものだった。
 お調子者で考えが浅く、度胸が据わっていない。初対面の時の印象は、そんなものだった。

 仮にも勇者一行に参加する魔法使いにしては、あまりにも弱すぎる。よく生き延びてきたものだと、逆に呆れたぐらいだ。

 ダイ達の話では彼らは相当な激戦をくぐり抜けてきたらしいが、あのレベルの魔法使いではお話にもならない。
 主戦力にならないどころか、援護をさせるために後方に置くにしても、知力体力ともに最低の基準値さえ満たしてはいない。

 正直、戦いに参加させるにはレベルが低すぎて不安要素になるだけだ。
 戦士や僧侶ならば、たとえレベルが低くても前線に置く価値はある。多少のダメージを受けるとしても、戦いという危険の中でしか得られない経験も多い。

 だが、魔法使いに同じことをさせるのは無茶と言うものだ。
 基礎体力が違うだけに、戦士や僧侶なら耐えられる軽い一撃でさえ魔法使いにとっては致命傷になりかねない。経験を積むつもりで命を失うのでは、本末転倒もいいところだ。

 もし魔法使いを実戦で鍛えたいと思うのなら、前線に立つ者の援護が欠かせない。
 後方に下げてでさえ、常に敵の攻撃に気を配り配慮しなければならないのだが、マトリフの見たところ、ダイ達にはそこまでの余裕はなかった。

 ダイとマァムは、自分で自分の身を守りながら戦うぐらいの力量はあるものの、明らかに戦力外の人間を守りきれる程の力は無い。

 おまけにポップ自身、たいした魔法を使えるように見えなかった。
 だいたい、あの燃え盛る気球船から脱する方法を思い付かない時点で、魔法使いとしては失格だ。

 単に攻撃魔法を放てるだけでは、魔法使いとは呼べない。様々な呪文を駆使して、仲間の援護を果たせるだけの力や知恵を備えてこそ、初めて魔法使いは一行の戦力に数えることができる。それこそが、マトリフの持論だ。

 そんなマトリフの目からみれば、ポップは魔法使い失格だった。
 アバンから直接、いずれは弟子にとってほしいと頼まれていなければ、見捨てていたかもしれない。

 だが、旧友の頼みに加えて、マァムの仲間だと言うことで、ちょっと手を出す気になった。

 それは、マトリフにしてみればほんのお節介心のつもりだった。
 マトリフにとって、仲間達の子供であるマァムは孫娘も同様だ。素直に口にしたことはないが、幼い頃から成長を見守ってきた少女の悲しみの表情は見たくはないと思っている。

 父親譲りの勝ち気さが目立つが、母親似の優しさを持つあの少女が、一度仲間と認めた少年に心を許しているのは一目で分かった。
 あの魔法使いがどんなに頼りないと思っても、それを追い出して別の有能な魔法使いを探せばいいなんて合理的な発想は、マァムには無い。

 それは、ダイも同じように思えた。
 どこかアバンを思わせる真っ直ぐな目をもつあの子供は、計算で戦えるタイプとはとても思えない。

 仲間意識が強いからこそずっと一緒にいて、そして実力不足でその仲間を失うとなったら、ポップ本人にとっても不幸なだけだし、ダイもマァムも傷つくだろう。

 それを危惧したからこそ、マトリフはポップにきつい修行を施した。
 実戦ではなく、訓練で死線を感じさせることによって経験を積ませようと考えたのだ。

 それは、ポップを鍛える目的だけでやったとは言えない。半分以上の確率で、ポップが逃げ出す可能性も考えてはいた。

 人には、自分の生きる道を選択する権利がある。
 自分がいかに危険なことをしているか自覚し、その危険から遠ざかるのも、また選択の一つだ。

 もう、こんな修行や戦いは嫌だと音を上げて逃げる様なら、それでもいいと思っていた。むしろ、半分はそうなる可能性を見越して、仲間であるレイラやブロキーナの家の近くにわざわざ連れて行ったのだから。

(しかし、あのガキときたら、臆病なんだか負けん気が強いんだか、分からねえ奴だぜ)

 当時を思い出し、マトリフは一人で苦笑する。
 ポップの資質には、マトリフは特訓を始めてからすぐに気がついた。
 危機に追い込まれた方が、人の資質と言うものは見えやすくなる。まずは小手調べと、マトリフは怪物をけしかけてポップを追いかけ回した。

 いきなりの敵襲に対し、ポップがどんな反応を見せるのか興味があったからだ。

 ゴートドンはそれ程強い怪物ではない。
 中級以上のレベルの魔法使いなら、魔法で倒すのも可能だ。

 だが、ポップは魔法を使う素振りも見せずにいきなり逃げにかかった。
 賑やかに騒ぎ立ててはいたものの、マトリフに質問したり会話する程の余裕があると頃を見ると、パニックを起こしていると言う訳でも無い。

 戦うのが嫌い、と言うよりも根本的にはポップは好戦的な性格ではないのだろう。自衛のためであれ、戦いよりも逃亡を選んだ点については、別に文句はない。

 戦士ならばいざ知らず、魔法使いならば前線に立って戦う必要などない。むしろ、猪突猛進になりがちな戦士を抑える役目を負い、常に撤退を戦術の一つとして考える方が正解と言える。

 臆病なぐらいで、ちょうどいいのだ。
 ……とは言え、滑稽なぐらい大袈裟に逃げ回るポップには多少呆れもしたが。

 だが、その呆れはすぐに驚きに変わった。
 魔法使いにしてはやけに逃げ足が達者なポップは、本人は自覚はしてはいなかったが明らかに魔法力を使っていた。

 ピリオムやボミオスなど身体能力強化の呪文も覚えていないのに、ポップは魔法力を直接放出して身体に影響を与える方法をとっていた。

 身体の動きに合わせて微量に魔法力を放出することで、ダッシュの速度を上げる。
 口で言うのは簡単だが、それはそう簡単に出来ることではない。

 きちんと系統立てられた魔法ならば、呪文を唱えるだけで自動的に効力が発揮されるが、純粋な魔法力を放出して独自の効果をあげるためには本人の力量に大きく左右される。

 魔法の仕組みや使い方をきちんと理解しているか、でなければ並外れた魔法センスがなければ出来ない芸当だ。

 マトリフの見たところ、どちらかといえば後者の可能性が高い。
 魔法力を身体から放出することができるのに、ルーラも使えないというのであれば、本人が意識して制御しているとも思えない。

 と、なれば本人を無理やりにでも追い詰めて魔法を使わざるをえない状況に追い込むのが手っ取り早いと、マトリフは考えた。
 獅子は千塵の谷に我が子を落とすという諺があるが、まさにマトリフはそれを実行したのだ。

 半ばはそのまま戻ってこないか、あるいは戻ってきても厳しい修行からは逃げ出すかと思っていたポップだったが、意外にも彼はマトリフへの弟子入りを望んだ。

 自分から修行の続きを受けたいと言い出したのは、マトリフには嬉しい誤算だった。

(まあ、逃げ出そうとしても逃がしてやる気なんざなかったけどよ)

 にんまりとした、人の悪い笑みがマトリフの顔に浮かぶ。
 ポップが勇者一行から抜け出て、一般人に戻るというのなら干渉をする気はない。だが、勇者一行の魔法使いとして行動する気なら、それに相応しいだけの実力を身に付ける様になるまで力を貸すつもりだった。

 それこそ本人が嫌がって泣こうがわめこうが甘えた根性を叩き直すつもりだったが、そうするまでもなく自力で成長する決意を固めたのなら、それが一番いい。
 本人のやる気があってこそ、修行の効果も強まる。

 マトリフは、ポップの成長に確かな方向性を与えた。
 無意識で行っていること、もしくは潜在的に素養があることを、意識的にできるようになるように――マトリフがポップに与えた修行の眼目は、そこにある。

 実戦形式の厳しい特訓にも、ポップはついてきた。ある意味で、これ以上教えるのに楽な弟子というのもいない。
 元々、アバンによって十分な下地は鍛え上げられていただけに、ポップの成長速度は目覚ましかった。

 知識も、基礎的な訓練も、倫理観すら教える必要すらない。それらは全てアバンがすでに教えてある。
 おまけに、魔法センスが抜群にいい。

 ルーラを覚えた途端、教えもしないうちからトベルーラを使って見せたのにはさすがのマトリフも目を見晴らされた。
 確かにトベルーラはルーラの応用系の魔法には違いないが、制御が難しいために使い手の少ない魔法の一つだ。

 だが、ポップはトベルーラの見本を見せるよりも早く、自力で応用に成功した。
 ずば抜けた魔法センスにひどく範囲の広い応用力を持ったポップは、見る見る内にマトリフの教えを吸収した。

 それは魔法力の成長だけでなく、精神的な意味でもだ。幼い勇者を支える優しさや、戦いを組み立てるだけの知識も、ポップにはあった。
 ごく短期間のうちに、ポップはお荷物な足手まといの立場から、勇者一行の参謀と呼べるだけの実力にまで駆け上がった。

 だが――マトリフは今になって、それをすこしばかり後悔してもいる。この後悔は、病いで痛む胸の疼きよりも強く、深く胸に食い込んでくる。

「なぁ……もしかするとよ、おめえの方が正しかったのかもしれねえな、アバンよ」

 敢えて口にした独り言に、応える者など当然いない。
 だが、マトリフの目にはここにはいない懐かしい友の面影を追っていた。人の良さそうな笑みを浮かべた、眼鏡をかけた勇者の家庭教師の姿を。

 ポップの甘えっぷりに呆れていた頃は、マトリフは彼に教えを授けたアバンを非難したい気分でいっぱいだった。

 最初の頃、ポップには戦いに対する覚悟や心構えがまるっきりなかった。
 あのアバンのことだ、おそらくは母鳥が雛を守るかのように甘やかし放題に甘やかして育てた様子が目に浮かぶ様だと、呆れもした。
 そんなアバンの甘やかしのせいで、ポップの成長は極端に遅れたのだから。

 だが、甘えを捨てる様にと鍛えた結果、マトリフはポップの困った資質に気がついた。

 ポップは、戦いを好まない。
 しかし、それ以上に、戦いにより誰かを失うのをひどく嫌がる傾向がある。それを避けるためになら、ポップは手段も選びはしない。

 文字通り、自分の命を投げ捨ててでも目的を優先する無茶さが、彼にはあるのだ。
 いかに口先では崇高なことを言っても、他人のために自己犠牲呪文を実際に唱える人間など、そうめったにいる者ではない。

 だが、ポップはその稀な一人だった。
 しかも、ポップの無茶はそれだけにとどまらなかった。

(まったく、あの馬鹿が……無茶にも程があるってものだぜ)

 フィンガー・フレア・ボムズ――五指爆炎弾。
 知識もなく、見てもいなかったはずのその技を、ポップは伝聞と自分自身のセンスだけを元に組み立て、成功させた。

 その並ならぬセンスには素直に兜を脱ぐが、正直な話、マトリフはそれを褒めてやる気にはなれない。

 フィンガー・フレア・ボムズ……名前こそは違うが、それは古代で使用されていた魔法であり、現代ではとっくに失われた魔法の一つだ。
 マトリフも文献でならそれを知っていたし、自分自身も若い頃に似た様な魔法を使った覚えがある。

 資料と実体験から、マトリフはあの魔法がどれ程危険であり、身体に深刻な悪影響を及ぼすものか知っていた。

 しかも、ポップはまだ子供だ。
 成長期さえ終わっていない少年が、突出した魔法力で無茶な魔法を行うなど無謀もいいところだ。

 それは、薄氷の上で盛大に跳ね回る行為に等しい。弟子が命綱すらない危険な綱渡りをするのを、黙って見守る気はマトリフにはさらさらなかった。
 だからこそマトリフは、今まで伏せていた自分の病状をポップに気づかれるのを承知の上で、彼を呼び寄せて忠告を与えた。

 自分の弱味を見せるのは、マトリフの本意ではない。
 だが、痩せ衰え、血を吐く魔法使いの末路の姿がポップの歯止めになってくれるのなら、それもいいと思った。

(けどよ……あいつも変に、頑固な奴だからなぁ)

 自分自身の左手を見つめながら、マトリフは溜め息をつく。
 吐血のせいで血に染まった右手の代わりに、マトリフは左手で弟子の手を握り締めながら、禁呪は二度と使うなと忠告をした。

 あの時、ポップはひどく心配そうに自分を見下ろしていた。
 戦いにおける甘さは徐々に抜けてきたものの、基本的な性格の甘い部分は全く変化はないらしい。

 年寄りの死という、しごく当たり前に訪れる摂理に対して、まるでとてつもなく理不尽な不幸にでっ食わした様な顔をして、それを聞いていた。
 病気の師を案じてか、ポップはいつものように反論はしてこなかった。だが――頷きもしなかった。

 忠告は必ず守ると約束しようとはしなかったポップを見て、寿命を削るという危険さえ彼への歯止めにはならないだろうと、マトリフは予測した。

(……くそぅ、身体の自由さえ利けば、もう少し打てる手もあるのによ)

 歯がみをしたいもどかしさを感じながら、マトリフは洞窟内の天井を見上げる。

 数日前、パプニカに何かあったらしいことは察していた。地震の様な揺れに、爆音や戦いの喧騒らしきものがここまで響いてきた。
 だが、体調のひどく悪いマトリフには情報収集するどころか、外へ見にいくことさえ叶わなかった。

 あの騒動は、紛れもなく魔王軍の攻撃だろう。そして、それに対抗するために勇者一行が戦うのは必然。
 普段ならポップはこまめにこの洞窟に顔を出して戦況を話し、この先について相談しにくるのだが、ポップはまだやってこない。

 戦いが長引いているのか、戦いの事後処理に手間取っているのか分からないが、あまりいい傾向とは思えない。
 怪我をしたか魔法力を使い果たして昏睡したせいで、寝込んでいる可能性すらある。

(どうせ、また何か無茶をしでかしたんだろうぜ。まったく、厄介な野郎だ)

 ポップが余りにも危っかしかったからこそ、マトリフは彼が成長するように手を貸した。

 だが、成長を促したが最後、ここまで無茶をすると分かっていたのなら、マトリフも最初からポップの修行方針を考えていただろう。
 ある意味では、足手まといだった頃よりも今の方が遥かに死亡する危険性が高い。

 あれ程無茶をするのなら、彼には歯止めが必要だ。本人がもっと成長して危険への自覚や思慮深さを身に付けるまでは、彼を押しとどめる役目を持つ者が側についている方がいい。

 一見臆病で、ヘラヘラと調子のよいポップの中に秘められていた、死をも恐れぬ勇気。
 それさえも見抜いた上で甘やかし続けていたというのなら、アバンの人を見る目は自分以上だとマトリフは思う。

 アバンは優しく、穏やかで気の長い男だった。
 そして、長い時間を掛けてでも成長させてみたいと思う程、ポップは魔法使いとしての資質に恵まれている。

 もちろん、まだ若いだけあってポップには荒も多い。特に精神面に関してはそれが顕著で、感情の起伏が激しくて自分を抑えきれない点が目立つなど欠点も目立つが、それらは時間が解決する問題だ。

 魔法力においてもその頭脳においても、経験を積みさえすればポップは、マトリフをも超える大魔道士になれる素質を持っている。
 だが――。

(肝心のその時間がないときていやがる。ヤツにも、オレにも、だ)

 現在、魔王軍の侵略はより激しさを増してきた。
 ポップやダイを初めとするアバンの使徒達は、まだ子供と言った方がいい年齢なのに戦わなければならない。

 彼ら以外に、戦力がないのだ。
 とてもじゃないが、成長を待つ時間などはない。そんな悠長なことをしていれば、正義の使徒達が育ちきる前に地上は残らず魔族によって滅するだけだ。

 それを一番肌で感じているのは、最前線で戦っている勇者の魔法使いだろう。

 はっきりとは、意識してはいないかもしれない。
 だが、戦いの激化を悟り、戦いによって仲間が失われるのを恐れるからこそ、ポップは手段を選ばずになりふり構わずに強くなろうとしている。

 生き急ぐかのような性急さで強さを望む弟子に、先行き短い自分が師として何を与えられるのか。
 この数日、マトリフはずっとそれだけを考えていた。

(………………やっぱり、『アレ』しかねえか)

 これほどまでに衰弱しきった身体でありながら、マトリフの眼光の鋭さだけは微塵も衰えていない。
 何度となく繰り返して考え抜き、最善手を選び抜いた大魔道士は、すでに覚悟を決めていた。

 もし、弟子が望むのであれば。
 自分が命を懸けてまで編み出し、そしてあの世まで持って行こうと決めた秘伝を授けてやってもいい、と――。

 そして、まるで師の決意を待っていたかの様なタイミングで、弟子の声が聞こえてくる。

「師匠、いるかい? ……あのよ、今、話ができるかい?」

 いつになく遠慮がちな様子で洞窟に入ってきたのが誰か、確かめる前にマトリフには分かっていた。

「ああ、いるぜ。どうした、遠慮なんてする柄じゃねえだろう。勝手に入ってきな、ポップ」

 首をわずかに起こして、マトリフはおそらくは彼にとって最後の弟子になるであろう、そして全てを受け継がせようと決めた魔法使いの少年を側に招いた――。
                                                                         END
 


《後書き》

 ものすごく珍しい、マトリフ師匠のシリアスでモノローグ的なお話です♪ 鬼岩城後、ポップがメドローアを覚える直前辺りの時間設定だったりします。
 マトリフから見たポップの成長話ってのは、前から挑戦してみたかったものの一つなんです。

 スケベでふざけた面を見せるマトリフ師匠も好きですが、病に弱り、それでも弟子のために何かをしてやろうと、渋い一面を見せる師匠も大好きなんです!
 ところでこの作品、実はタイトルに悩みました〜。いやもう、実は大半の作品で一番の悩みどころはタイトルだったりするんですけどね。

 最初は全然思い付かなくて『藍より青し』と仮名をつけておいたら、どうしても別の漫画のタイトルにしか見えなくって(笑)
 ああ、ネーミングセンスがほしいです〜。
 

◇『藍を突き抜けた青』続く←

小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system