『藍を突き抜けた青』
  

 真っ先に目に飛び込んできたのは、抜けるような青の色だった。
 空に広がる色も、海に広がる色も、同じ青さを持って輝いている。その色のまぶしさに、マトリフは思わず舌打ちしていた。

「チ……ッ」

 数日ぶりに洞窟の外に出たせいか、目が眩む。薄暗いとは言え、常に照明を灯し安定した明るさと保ち続ける洞窟内と違って、外はあまりにも明るすぎた。

 光の洪水のような輝きに、目が眩む。
 特にここ数日は伏せていたせいか、目眩とは別の理由でも足下がふらつく。

「だ、大丈夫かよ、師匠?」

 頼りない腕がマトリフを支えようとするが、その手をマトリフはピシャッと叩いて払いのけた。

「フン、要らねえ世話だ。それより、おめえはあっちに行きやがれ」

 そう言って、しっしっと追い払うように手を振ると、目の前にいる弟子――ポップは少しばかりむくれたような表情を見せる。減らず口だけは達者なポップなら文句の一つや二つ、言いそうなものだが、今日は珍しくも大人しく言うことに従った。

 いつもとは違うその反応を、マトリフは黙って見やる。
 特に距離を指定したつもりはないが、ポップは数メートルほど離れた場所に立ち、じっとこちらを見ている。表情がどこか不安そうに見えるのは、生意気にもこちらを心配しているせいだろうか。

 だが、それでいてポップの目には強い光が宿っている。
 貪欲なその目は、探究心の表れだ。

 こちらの一挙一動を見逃すまいとするかのような鋭い眼差しは、明らかにこちらを観察していた。
 その様子を見て、マトリフは内心苦笑する。

(ホント、勘だけはいいガキだぜ)

 ポップの取った距離は、最適だった。
 攻撃魔法には、ある程度の距離があった方がいい。近距離から放つことも可能とは言え、術者自身がダメージを受けないようにするには、目標への距離は多少離れていた方が使いやすい。

 また、呪文を習う上でも距離は大切だ。
 至近距離から他人の魔法を見るよりも、少し離れた場所から見た方が客観的に判断しやすく、習得しやすくなる。

 ポップとマトリフの間の距離は、その意味では最適の距離だった。
 攻撃呪文を仕掛けるならこの距離こそが望ましいと思える間合いを、ポップは自然に取っている。

 彼が代々魔法使いを産出してきた名門出身の魔法使いならば、それぐらいは知っていても不思議はない。しかし、ポップは元々はごく普通の村人だったという。

 村に魔法使いが一人もいないような田舎の村出身で、一年半程前にアバンに弟子入りしてから魔法を習い始めたと聞いた。そんな短い時間で魔法使いになったと言うだけでも驚きだが、教えを授けたのが本職の魔法使いではないという点も見逃せない。

 万能型の才能を持っているとは言え、マトリフの知っている限りアバンの才能は剣技に傾いている。その上、学者の家系だったアバンは本職の魔法使いとして教育を受けたわけでは無いため、彼の知識にはやや偏りがあった。

 天才と呼ばれるに相応しい才を持った男だったが、魔法使いとして見ればせいぜいが二流、よくて一流半程度であり、魔法使いならではの常識を認識しきれていないところがあった。

 なまじ防御力を持つ戦士だっただけに、魔法使いならば当然身につけるべき間合いの知識や、敵との距離の取り方などは甘さがあった。そんな彼が、ポップに呪文攻撃に最適な距離感までも教え込んだとは思いにくい。

 なのに、これを自然に行えるというのなら、ポップの才能は並外れていると言わざるを得ない。

 弟子の特別さを改めて実感しながら、マトリフは軽い会話の間も体内の魔法力を高める。もっとも、その高まりはマトリフにとってはひどく鈍く感じられた。

 くすぶるばかりで火付きの悪い薪を相手にしているような苛立ちが、マトリフの中に生まれる。

(チッ、昔なら時間稼ぎもいらなかったのによぉ……)
 
 思えば、この呪文を使うのは何年ぶりだろうか。
 十年……いや、もしかするとそれ以上かもしれない。長年放置しておいた道具が錆ついて動きにくくなるように、自分の中の魔法力の流れに滞りを感じてしまう。

 だが、それでもマトリフは焦る様子は微塵も見せなかった。軽口に紛らせ、いとも容易くやっているかのように魔法力を練り上げ、使って見せた。
 目の前にいる魔法使いの少年に、見せつけるために。

「出来るか……これ?」

 右手からは、ヒャドを。左手からは、メラを。
 左右の手から同時に魔法を使って見せたマトリフに、ポップは大きく目を見開く。

「わ……分かんねえ……やったことねえから……」

 自分の手を見返しながら答えるポップの声には、戸惑いが強く感じられた。だが、その答えにマトリフはほくそ笑む。

(第一関門は突破か。ま、当然だがな)

『有り得ない』

『バカな、出来るはずがない』

『そんなことは不可能だ』

『信じられない……!』

『火と氷が同一? 正反対に決まっているではないか!』

 かつて、凄腕ともてはやされた魔法使いや天才と謳われた賢者達から、何度そんな言葉を聞いたことだろう? マトリフがメドローアの呪文を理論立て、試行錯誤していた頃から、実際にメドローアを使えるようになった後になってまで、幾度となくそう言われた。

 彼らは、まだ机上の空論に過ぎなかった頃のマトリフの理論はもちろん、実際に目の前でメラとヒャドの魔法を使って見せてもなお、その事実を否定した。出来るはずがないと最初から決めつけ、拒否したのだ。

 マトリフに言わせれば、その時点で彼らはメドローア習得は不可能だ。
 なぜなら、初手ですでに失格している。

 魔法とは、意志の力により威力を発揮する力だ。本人が出来るわけがないと決めつけた術を、成功させられるわけがない。
 魔法の本質を見極めることも出来ず、二種の魔法を使うこと自体が無理だと決めつける者には、その時点でその先の成長はない。

 しかし、ポップは驚きはしても『出来ない』とは言わなかった。目の前の事実をしごくあっさりと受け入れ、その上で反応したのだ。

(にしても、よりによって『やったことがない』と答えるとは思わなかったがな)

 笑みがこぼれそうになるのを、マトリフは口元にグッと力を込めて押さえ込む。
 ポップ自身は意識していないだろうが、無意識の言葉こそ本音が宿るものだ。

 ポップは確かに言った――やったことがないから、分からない、と。
 その言葉自体が、試すことを前提にしたものだと気づいていない。ポップ自身は意識していなくとも、彼はすでに同時に二種類の魔法を操ることを肯定し、それを自身が試すことを考えている。裏返して深読みするならば、やれば出来ると考えているとさえ言える。

 マトリフから見れば、ポップはその段階でこの呪文の後継者足りうる。
 続く第二関門も、問題は無かった。
 乾ききった砂がいくらでも水を吸い込むように、ポップは極大消滅呪文の理論をすんなりと飲み込んだ。その上で、魔法を覚えたいという強い熱意を隠しもしない。

 本来なら、ここで第三関門――秘呪文を授けるに値する倫理観が備わっているか、数年をかけてでも確かめるところだが……マトリフはそこは華麗にスルーした。

 なぜなら、そんな必要はないからだ。
 マトリフが教えるまでもなく、そんな部分はアバンがしっかりと育てている。仲間のために自爆呪文さえ厭わない者の倫理観など、問い直すだけ時間の無駄というものだ。

 だから、マトリフがポップに問いただすのは、ただ一つのみ――最終関門でもある、『覚悟』だけだった。

 触れるもの全てを消滅させる極大消滅呪文……大魔道士マトリフが生涯をかけて獲得し、作り上げた呪文を習得するだけの覚悟。
 それは、同時に敵を消滅する覚悟をも問うものだ。

 そのためには、消滅させられる恐怖を教えておかなければならない。術の恐ろしさを真に理解しない者に、覚悟など宿るまい。

 マトリフは十数年ぶりに作り上げた魔法の弓を引き絞り、ピタリとポップへと狙いを定める。怯え、慌てふためく弟子に対して、マトリフは不敵に言ってのけた。

「いくぜ……ポップ……! 死にたくなけりゃ……切り抜けてみな」





 逃げたければ、逃げればいい。
 むしろ、逃げて欲しい――と半分以上は思いながら、マトリフは全精力を注ぎ込んで魔法の矢を引き絞る。とっくに狙いを定めたにも関わらず、マトリフはすぐには矢を放とうとはしなかった。

 急ぐ必要など、微塵もない。
 制御が難しく、魔法力消費の激しいメドローアは、元々連発できるような呪文ではないが、衰えた今のマトリフには一度しか使えないだろう。時間に余裕があるのなら、せめて一回でも試射を見せてやりたかったが、生憎それだけの力も今のマトリフにはない。

 これほどの強力な呪文を一度使えば、おそらく、数日は寝込むことになる。勇者一行の死の大地への出立がすでに決まっていることを思えば、一回勝負に全てを賭けるしかない。

 たった一度しか試せない呪文ならば、早撃ちで威力を損なわせる気など無い。

 むしろ、たっぷりと時間をかけて魔法力を練り上げ、己に出来る最高の魔法を見せてやるつもりだった。もちろん、威力を高めれば高めるほど、ポップへの試練が厳しくなるのは承知の上で。

(ヘ……ッ、全く、無茶にも程がある話だよな)

 ほんの僅かでもかすれば丸ごと消滅させてしまう呪文を、まともに受け止めさせ、相殺させる。――提案したマトリフ自身でさえ、正気を疑うような無茶な特訓だ。

 しかも、ポップにとっては初見のみ、一度っきりの挑戦だ。
 試しに二つの魔法をポップに同時に使わせるだけの練習時間さえ、マトリフは与えようとしなかった。時間をかけて繰り返したところで、さしたる意味は無いと分かっていたからだ。

 火と氷、両方の魔法を同一エネルギーだと理解し、実行するだけの力が無ければ、最悪の場合、練習段階で自己崩壊しかねない。そうさせるぐらいなら、他人のメドローアを相殺させる方がまだ、力の制御を掴みやすい……と、マトリフは考えているが、それを立証することはできない。

 メドローアの創始者であるマトリフにとっても、この術を他者に授けるのは初めてなのだから。

(さあ……てめえは、どうする?)

 光り輝く矢の向こうに見える弟子を睨みながら、マトリフは皮肉に笑う。
 自身の消滅を恐れず、立ち向かう心が無ければどうせメドローアは使えない。

 初めて会った時と同様、腰が据わりきっていないような表情でオタオタと周囲を見回しているポップは、逃げる手段を探しているように見える。

 ルーラで逃げるつもりなら、それはそれでいい。
 ポップほどの才能の持ち主なら、一度、見た魔法を自力で再現することだって不可能とは言えない。

 ただ、その場合は、ポップは敵との戦いの最中に、自力で秘呪文を習得するか、力及ばないまま敵と戦うかの選択を迫られることになるが……いずれにせよ、それがポップの選択ならば口を出す気は無かった。

 故に、マトリフは狙いをずらさずに一点のみに集中する。
 自らの手で、孫と言ってもいい年齢の少年を殺しかねないと承知していながら、マトリフの手は微塵も震えていなかった。

 それは、ポップの生死を割り切って考えられるからではない。
 むしろ、マトリフにとってポップは、今となっては最も親しみを感じる存在とも言える。家族もなく、仲間も半分失ったマトリフにとって、ポップはかけがえのない弟子だ。

 いつの間にか、我が子とも思えるほどに思い入れてしまった。
 その死は、マトリフに耐えがたいダメージを与えることだろう。
 だが、それが分かった上で、大魔道士マトリフは先代勇者一行の魔法使いとして、世界を救うために冷徹な決断を下したのだ。

(すまねえ、ポップ……! もし、てめえを殺しちまったら……オレも……後を追わせてもらうからよ)

 それは、死んで償うという意味合いではない。
 そもそも、こんな老いぼれの自死程度では、釣り合わないと分かっているのだから。

 最悪の時にはポップの代わりに命に替えても戦いに協力し、せめてハドラーぐらいは道連れにする心積もりもあるが……その程度では償いにもなるまい。

 ポップの存在は、すでに勇者一行の主軸となっている。
 魔法力や知識以上に、ポップの存在そのものがみんなに力を与えている。本人はあまり自覚していなさそうだが、ポップの価値は身近にいるダイこそが、一番良く知っているだろう。

 勇者ダイの存在こそが人間達の支えであり希望だというのなら、ポップの存在はダイの支えであり、一行の希望だ。そのポップが戦いを前に死亡したのならば、ダイにどれほどのダメージを与えることになるか……それは、想像もしたくない惨劇だ。

 場合によっては、ダイの心そのものを挫くことになりかねない。心が折れた竜の騎士がどれほど危険な存在になるかは、12年前のアルキード王国の悲劇が証明している。

 それでなくとも、勇者を失った人間達が魔族に勝てるとはとても思えない。ポップの死は、そのまま人類の滅亡に繋がる一本道となりかねないのである。
 その危険性を承知の上で、それでもマトリフは賭けに打って出た。

 一か八かの大勝負だが、それでもマトリフにとって勝算のない賭けではなかった。
 軽く息を吸い込み、マトリフは一瞬だけ瞑目する。

(信じているぜ……ポップ。おめえは、オレとアバンが見込んだ魔法使いなんだ)

 信じている。
 マトリフは、信じる。かつて、仲間であったアバンを。かの勇者が見込んだ弟子の力を。

 マトリフは、信じる。生涯で最後の弟子と定めた、あの魔法使いの少年を。
 そう思ってポップの様子を最後に確かめようとした時……彼の変化に気づいた。

 怯えていたはずの魔法使いの少年は、足をわずかに開いてしっかりと身構えた。踏ん張るようなその姿勢は、ルーラで飛び上がるための予備動作ではない。

 こちらを睨むように見つめる目も、さっきまでの怯えた目では無かった。逃げる気配など、もはや微塵も無かった。どんな呪文でも真っ向から迎え撃つと、覚悟を決めた目でポップは身構えている。

「……っ」

 その姿に、不覚にもマトリフは動揺する。
 心に湧き上がったのは、思いも寄らぬ喜び、だった。
 マトリフが一方的に与えようとした無茶な特訓に、ポップは応えようとしている。

 その事実が、自分でも意外なほど嬉しくて心が揺れる。
 もちろん、その動揺を魔法に影響させるようなマトリフではない。はち切れそうな魔法の矢をつがえたまま、誰にも聞こえないほど小声で呟く。

「……ありがとよ……!」

 その言葉が、ポップに聞こえたわけではなかっただろう。
 が、まるでその言葉に応じるように、ポップは両手から魔法を生み出した。 右手には、ヒャドを。
 左手には、メラを。

 さっきマトリフが見せた見本の通り、そのままそっくりと再現してみせたのだ。その凄まじいまでの才能に舌を巻きながら、マトリフはついに魔法の矢を放つ。
 光り輝く消滅魔法の矢が、ポップめがけて一直線に飛んでいった――。
  END  

 


《後書き》

 これは『藍を越える青』の続きというか、元々はあちらの話の一部となるはずだったお話です。

 ポップにメドローアを放つ際のマトリフの心理や葛藤を書いてみたくて、昔、ノートに一気書きしたアイデアだったりします。……が、手書きのアイデアノートって、あまり意味が無い気がしてきましたよ〜。

 実はこの話は、かなり前から書きたいなと思っていたのですが、なまじっかダイ大だけで大学ノート30冊(笑)ほどのアイデアやネタを書きためていたので、量が多すぎて、何処に何が書いてあるのか本人にもさっぱりなんですっ!

 これがまだ、パソコンでテキスト化してあったのならば、単語で検索して検討ぐらいつけられるのですが、手書きのノートだと探すのは一冊一冊手に取って、目で探すしか無いと言う……。

 しかも、過去に自分に言いたい!
 話をまとめずに、時系列もバラバラに適当に書くんじゃない、と。おかげでネタをふと思いついて『あ、そういや、この話、途中まで書きかけていなかったっけ?』と探した際、見つかる確率の方が低いです(笑)

 ついでに愚痴るなら、苦労の末探したところで、ネタや書き出しの出来が悪くて参考にもならない確率が50%以上……っ。なんだか、ネタ帳がない方がマシなような気さえする時がありますよ。

 昔のメモを探すより、新たに描き直した方がよっぽど早いです。
 そう開き直り、アニメでメドローア特訓を見た感激そのままに、一気に書き上げました♪ ……マジで、ネタ帳がない方がいいんじゃないかと思えてきましたよ。


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