『日頃の行い ー前編ー』

 全くの偶然だが、その二つの事件は同じ日に、同じ城の中で起きた。
 発生した時間は、ほぼ同時。場所こそは多少離れているものの、条件もほぼ同じと言っていい。

 だが、片方の『事件』が、それこそ城を揺るがすような大事件へと繋がり大騒動になったのに対し、もう片方の『事件』は事件とさえ呼べなかった。問題になるどころか、単なる注意のみであっさりと終わってしまった。

 二つの『事件』のあまりにも異なる結末に至った理由とは、……多分、日頃の行いというものだろう、きっと――。

    






「ポップーッ、ねえねえ、お昼だけどごはん食べにいこうよっ! ……って、ポップ!?」
 いつものように元気よくポップの執務室に飛び込んだダイは、ギョッとして目を剥いた。床に何枚もの書類が散らばり、そしてその書類の中央に力なく横たわっているポップが目に飛び込んできたのだから。

(ポップ……ッ!? 嘘、だろ……っ)

 衝撃のせいで立ちすくむダイの目の前で、目を閉じていたポップが何度か瞬きをしてぱちりと目を開けた。

「んー? ああ、ダイか……なんだ、もうそんな時間なのかよ」

 あくび混じりに開いた口から聞こえるのは、気が抜ける程に呑気な声。
 後一秒でもそれが遅かったのなら、ダイはおそらく大声を上げて叫びながら、ポップを揺さぶり起こそうとしただろう。

 ポップが起きたことに心から安堵しつつも、それでもダイは慌てて彼の側に近寄った。起き上がろうとしたポップをやんわりと支えながら、焦って尋ねる。

「そ、それより、ポップ、動いて平気なの? おれ、レオナ呼んでこようか?」

「へ? 姫さんを? なんで?」

 なぜ、そんなことを聞かれるのか分からないとばかりにきょとんとするポップを見て、ダイもようやく変だなと思わないでもなかった。
 よくよく見れば、今のポップは別に顔色も悪くないし至って元気そうだ。

 だが、さっき、床に倒れていたポップを目撃した衝撃が生々しいだけに、完全には不安を拭いされない。
 なにしろ、ポップには嫌という程前科がある。大戦の頃からずっとそうだった。無理をし過ぎたせいで彼が倒れたところを、ダイは何度目撃したことか。

 自分が知らない間に、ポップが無茶をしていたこともダイはなんとなく察している。
 それに、ポップはいつも忙しい。
 レオナの補佐としてパプニカの政治に関わっているポップの仕事量は、やたらと多いのだ。

 いつ、オーバーワークで倒れてもおかしくはない……その認識があるせいで、不安は尽きなかった。

「なんでって……だって、ポップ、倒れてたんだろ、回復魔法とかかけた方がいいんじゃ……」

 心配するあまり、言葉がしどろもどろになりかかっているダイの話を聞いて、ポップはやっと得心がいったとばかりに笑う。

「あー、へーきへーき。第一、おれ、倒れてたんじゃねえって。単に寝ちゃっただけだし」

「……寝てたの?」

 あまりにも予想外な言葉に、ダイは目を真ん丸くせずにはいられない。

「ああ、寝転がったまま書類見てたんだけど、いつの間にか寝ちゃったみたいだな」

 あーあ、くしゃくしゃになっちまったとボヤきながら、ポップは散らばっていた書類をざっと集める。

「なんだって、わざわざ床で書類なんて読んでたんだよっ!?」

 正直、床に書類が散っていたせいもあって、ますますポップが倒れていた感が強まって不安が強まっただけに、ダイはちょっぴり非難をこめて叫ぶ。
 が、ポップはけろりとしたものだった。

「だってよ、城の床って大理石でできてるだろ? 夏場は寝そべるとひんやりしていて、結構気持ちいいんだせー」

 そう言いながら、ポップは自分の言葉を証明するように再びゴロリと床に身を投げ出す。今度は俯せの姿勢になり、床に懐くように身体を伸ばすポップは、心底気持ちが良さそうに呟く。

「もー、ここんとこ毎日暑いんだもんな。ったく、やってらんねえぜ」

 ポップのそのぼやきを聞きながら、ダイの中に真っ先に浮かび上がってきた感想は、安堵だった。

(よ、よかった〜、ポップ、なんともないんだ)

 だが、それはそれとして、気になることもある。 

「……でもさ、ポップ、そんなことしてるの、あんまいくないんじゃないかな?」

 あまり行儀にこだわらないダイにさえ、この行為が礼儀正しいとは言えない上に人騒がせなのは分かる。
 なにより手足を投げ出してぐったりと横になっている姿は、どう見ても倒れているようにしか見えなかった。

 ダイだって、事情を聞かなければポップが寝ているのではなく、気絶してのだと思っただろう。
 それだけに、他の人が見てもそう心配するんじゃないかと思わずにはいられない。が、ポップの方は気楽なものだった。

「あー、へーきへーき。バレなきゃいいんだよ、こんなの。それにこれってマジ、気持ちいいんだぜ。
 おまえもやってみろって」

「えっと、こう?」

 根が素直なダイは、言われるままにポップの勧めに従って隣に横たわる。

「あ、ホントだ。ひんやりして、気持ちいーね」

「だろ? これ、他の連中には内緒にしといてくれよ、バレたらあれこれ言われちまうんだから」

 ポップとすぐ隣り合って寝そべり、秘密を共有する――それはなんだかくすぐったいぐらい嬉しくて、特別なもののように感じられる。
 だからこそ、ダイはニコニコしながら頷いた。

「うんっ、おれとポップだけの秘密だね!」
   






 それから数日後――パプニカ王国は、とびっきりの猛暑に見舞われた。

「あ……あちい……もー死ぬ……っ」

 羽ペンを握り締めつつ、ポップは机の上に突っ伏して呟く。
 元々ポップは暑さにも寒さにも弱い方だが、今日の暑さは、ハンパじゃなかった。昨夜が雨が降って割と涼しかっただけに、その反動の蒸し暑さが堪える。

 気温の急激な変化のせいですっかりバテてしまったポップは、もはや書類書きをする気力すらなかった。
 ちゃんと文章を書いているつもりなのに、ふと気が付くと謎のダイニングメッセージを書いている始末である。

(まったく、太陽がほしいって言ってたどこぞの大魔王様に、今日の太陽をまとめて押しつけてやりたいぜ……!)

 半ば八つ当たり気味にそんなことを考えながら、ポップはぼんやりと床に目をやった。ポップが発見した納涼方法……すなわち、床に寝そべってお昼寝作戦を実行したいところである。

 昨夜は余り寝ていないせいか、眠くて眠くてたまらないだけに、白く輝く大理石の床が極上のベッドであるかのようにポップを誘惑する。
 だが、今は時間がよくない。

 ダイの前では不覚を取ったが、基本的にポップは誰にも見られないように気をつけて、この納涼方法を実行している。

 だいたい床に直接ごろごろするなんてのは、王宮だけでなく一般家庭でも叱られる元なのだ。
 誰にも見つからないようにこっそりやるに、こしたことはない。

(えーと、確か昼過ぎに誰かが書類を取りにくるって言ってたっけな。侍女とかにばれたら、後で姫さんから文句言われそうだし)

 書類を引き渡すと約束した時間まで、後一時間もないだろう。まあ、その書類はすでにできているから問題はないとして、暑さにぐったりして、しかも疲れて眠気が込み上げている中で一時間待つのは辛い。

 かと言って、残念ながら自分から書類を届けるだけの余裕はポップにはなかった。誰かに頼もうにも、人を呼ぶのも面倒臭い。
 普通、高位の文官レベルともなれば、常に側に秘書だの警備の兵士だのが付き添うものだが、ポップには基本的に付き添いはいない。

 庶民出身のポップにしてみれば、近くに常に召し使いがいるというのはどうにも落ち着かないし、一人の方が集中できるからと秘書も断ったのだ。
 その代わりにと、ポップに与えられたアイテムがある。

(あー……あのベル、どこにやったっけなー?)

 正式名称は忘れたが、ポップの自室と執務室には特別なベルが用意されている。外見は優美なデザインのベルだが、実は魔力を持つれっきとした魔法道具だ。
 二対になっていて、片方のベルを鳴らせばもう片方のベルも鳴る仕組みになっている。
 つまり、自室でベルを鳴らすだけで、別室で控えている人に呼び出しの意思を伝えられる便利なアイテムなのである。鳴らし方により、兵士や侍女を呼び出せる便利な道具である。

 それはレオナが使っているものと同じものであり、パプニカ王宮にも数組とない貴重品だった。
 しかし、それを日常的に使いこなし有効利用しているレオナと違って、ポップはほとんど使ったことがない。

 なくした覚えはないからどこかにはあるだろうが、散らかし癖のあるポップの机は雑然としており、本人でさえ小物の位置など分からない。
 一応ベルを探そうと机の上を掻き分けてみたポップだが、すぐに面倒臭くなって努力を放棄した。

(あー……ねむ……)

 とにかく、眠くて眠くてやっていられない。後先など考えず、眠ってしまいたかった。 だが、こんなに眠くて堪らないのであれば、一度眠ってしまえばちゃんと起きられるかどうか自信がない。

 最悪の場合、書類を取りにきた人がノックしても気が付かず、眠りこけてしまうかもしれない――そう考えてから、ポップははたと気付いた。

(あ、ダイがいるじゃん)

 兵士の訓練に参加しているか、レオナの命令で他国を訪問していない時は、お昼になると同時に、ダイは決まってポップの所に駆け込んでくる。

 時を知らせる教会の鐘などよりもよっぽど正確に、呆れるぐらいきっちりと食事の誘いにくるダイは、時としてポップにはちょっぴり迷惑だったりもするのだが、こんな時には助かる。

 書類引き渡しの時間は、正午をしばらくすぎた頃と聞いている。それなら、侍女よりもダイの方が来るのは早い。
 もし、熟睡してしまってもダイが起こしてくれるだろう。

(なら……いっか……)

 安心したせいで、ポップはずるりと椅子から身体をずらすように滑り落ち、床に寝そべる。

 その拍子に、ちょっとばかり書類の山が崩れて床に落ちたり、さっき探していたベルがコロコロと転がりでたこととなど、ポップは気がつきさえしなかった。
 ひんやりとした床の感触を心地好く味わいながら、ポップはそのまま眠りに落ちた――。

  






「ううぅ〜、あ〜つ〜い〜よ〜ぉ〜」

 ポップが床に寝そべったのと同じ頃、ダイもまた同じく床に寝そべっていた。
 ポップと違い、南の島育ちのダイは暑いのは得意である。というか、むしろ暑い方が身体の調子がいいぐらいだ。

 ポップどころか、兵士達みんなが夏バテで元気をなくしているところをダイ一人が元気いっぱいに走り回っているところなど珍しくもない。
 だが……、身体的に暑いのは平気でも、脳の暑さに関しては如何ともし難かった。

「こんなの……頭が煮えちゃうよぉ〜」

 もはや半べそになりかかりながら、ダイは一枚のプリントを前に床をコロンコロンと転がっていた。
 そこには、世にも難解な問題の数々が書き込まれていた――ダイ的には。

『ここに、バナナが24本あります。それを三人で仲良く分けるとすれば、一人何本で、あまりはいくつになるでしょうか?』

(えっと、三人だと、おれとポップとレオナで分ければいいのかな? あ、でも美味しいバナナならマァムにもあげたいし、ヒュンケルにだってあげたいし、アバン先生にあげたら美味しいケーキかなにかにしてくれるかもだし、それにクロコダインやチウだって好きそうだし――)

 なぜみんなで仲良く一本ずつ分けてはいけないのだろうかと悩みつつも、ダイはそれでも一生懸命問題に取り組んできた。
 両手の指を折り、それでも足りないから足の指も使って頑張ってきたのだが……20本目で悲劇が起こった。

 どう頑張ったところで、指が足りない。
 考え過ぎて頭が熱くなってきたせいもあり、ダイは床に寝そべってコロンコロンと転がっていた。

 家庭教師がいればこんな不作法な真似はしないのだが、今日は先生に急用ができて自習を言いつけられている。
 ダイのために用意されたこの教室は、生徒はダイ一人、先生は高名な学者の中から選び抜かれたメンバーが数人いて、一人ずつ交替しながら授業するという贅沢さだ。

 もっとも、今日は先生に急用ができたと言う話で、ダイは一人で宿題をやっていた。
 宿題として残された問題を全部解くか、でなければ終業の鐘が鳴るまで教室にいるようにと言われていたダイは、先生の命令に忠実に従っていた。

 見張りがいないから適当にサボろうなどとは思いもしない辺りがダイの真面目さというものだが、だからと言って問題が解けるというわけではない。

(あ〜……なんか、眠くなってきちゃったよ……)

 床のひんやりとした感触を味わいながら、ダイはうとうとしかかっていた。いたって健康優良児の上、早寝早起きをモットーとしているダイはめったなことで昼寝をしたいとは思わない方だが、不思議なことに勉強中だけはやたらと眠くなる。

 いつもなら先生がいるし、ちゃんと机に向かって座っているからなんとか我慢しているのだが、こんな風に横たわっていると普段よりももっともっと眠くなってしまう。
 考え過ぎて、発熱したように暑くなっている頭には、ひんやりとした床の感触がひどく気持ちがいい。

 まるでアルミラージの合唱を聞いているかのように、ひどく眠くて眠くて、とても我慢できなかった。

(ん……ちょっとだけ……)

 お昼の鐘が鳴るまでの間、ちょっとだけ……そう思って軽く目を閉じたダイはそのまま眠りに落ちてしまった――。

   






「ポップ君。……ポップ君、いる?」

 それは昼を告げる鐘が鳴って、しばらく経ってからのこと。
 声をかけながら、エイミは申し訳程度にポップの部屋の扉をノックする。
 ――先走って結論を言うのなら、これが問題を大きくした一端だった。

 もし、ここでドアをノックしたのがただの侍女か兵士なら、ここまで騒ぎは大きくはならなかっただろう。
 書類を取りにくるなんて雑用は、本来なら侍女か兵士の役割なのだから。

 三賢者という高い地位にいる彼女は、本来ならこんな風な使い走りに等しい雑用などやる必要はない。
 だが、エイミはフットワークが軽くて行動的な性格だ。

 それにポップの受け持つ書類は、明日の会議のためには欠かせない草案だ。早めに受け取り、充分に検討しておいた方がいいと思うだけに、主君思いのエイミは自ら雑用を買って出たのである。

「ポップ君、入るわよ」

 返事がないのを多少不審に思いつつも、エイミはあっさりとドアを開ける。
 並の侍女か兵士なら大魔道士に対して遠慮や躊躇もあるし、もう少し長い間、ノックや呼び掛けを大きくする作業を繰り返しただろう。

 だが、大戦の頃からの付き合いだし、ポップの気さくさを知っているだけに、エイミは特に気にすることもなく気軽にドアを開ける。
 その結果、エイミが見たものは数日前、ダイを驚かせたのと同じ光景だった――。


                                     《続く》

 

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