『日頃の行い ー前編ー』 |
全くの偶然だが、その二つの事件は同じ日に、同じ城の中で起きた。 だが、片方の『事件』が、それこそ城を揺るがすような大事件へと繋がり大騒動になったのに対し、もう片方の『事件』は事件とさえ呼べなかった。問題になるどころか、単なる注意のみであっさりと終わってしまった。 二つの『事件』のあまりにも異なる結末に至った理由とは、……多分、日頃の行いというものだろう、きっと――。
(ポップ……ッ!? 嘘、だろ……っ) 衝撃のせいで立ちすくむダイの目の前で、目を閉じていたポップが何度か瞬きをしてぱちりと目を開けた。 「んー? ああ、ダイか……なんだ、もうそんな時間なのかよ」 あくび混じりに開いた口から聞こえるのは、気が抜ける程に呑気な声。 ポップが起きたことに心から安堵しつつも、それでもダイは慌てて彼の側に近寄った。起き上がろうとしたポップをやんわりと支えながら、焦って尋ねる。 「そ、それより、ポップ、動いて平気なの? おれ、レオナ呼んでこようか?」 「へ? 姫さんを? なんで?」 なぜ、そんなことを聞かれるのか分からないとばかりにきょとんとするポップを見て、ダイもようやく変だなと思わないでもなかった。 だが、さっき、床に倒れていたポップを目撃した衝撃が生々しいだけに、完全には不安を拭いされない。 自分が知らない間に、ポップが無茶をしていたこともダイはなんとなく察している。 いつ、オーバーワークで倒れてもおかしくはない……その認識があるせいで、不安は尽きなかった。 「なんでって……だって、ポップ、倒れてたんだろ、回復魔法とかかけた方がいいんじゃ……」 心配するあまり、言葉がしどろもどろになりかかっているダイの話を聞いて、ポップはやっと得心がいったとばかりに笑う。 「あー、へーきへーき。第一、おれ、倒れてたんじゃねえって。単に寝ちゃっただけだし」 「……寝てたの?」 あまりにも予想外な言葉に、ダイは目を真ん丸くせずにはいられない。 「ああ、寝転がったまま書類見てたんだけど、いつの間にか寝ちゃったみたいだな」 あーあ、くしゃくしゃになっちまったとボヤきながら、ポップは散らばっていた書類をざっと集める。 「なんだって、わざわざ床で書類なんて読んでたんだよっ!?」 正直、床に書類が散っていたせいもあって、ますますポップが倒れていた感が強まって不安が強まっただけに、ダイはちょっぴり非難をこめて叫ぶ。 「だってよ、城の床って大理石でできてるだろ? 夏場は寝そべるとひんやりしていて、結構気持ちいいんだせー」 そう言いながら、ポップは自分の言葉を証明するように再びゴロリと床に身を投げ出す。今度は俯せの姿勢になり、床に懐くように身体を伸ばすポップは、心底気持ちが良さそうに呟く。 「もー、ここんとこ毎日暑いんだもんな。ったく、やってらんねえぜ」 ポップのそのぼやきを聞きながら、ダイの中に真っ先に浮かび上がってきた感想は、安堵だった。 (よ、よかった〜、ポップ、なんともないんだ) だが、それはそれとして、気になることもある。 「……でもさ、ポップ、そんなことしてるの、あんまいくないんじゃないかな?」 あまり行儀にこだわらないダイにさえ、この行為が礼儀正しいとは言えない上に人騒がせなのは分かる。 ダイだって、事情を聞かなければポップが寝ているのではなく、気絶してのだと思っただろう。 「あー、へーきへーき。バレなきゃいいんだよ、こんなの。それにこれってマジ、気持ちいいんだぜ。 「えっと、こう?」 根が素直なダイは、言われるままにポップの勧めに従って隣に横たわる。 「あ、ホントだ。ひんやりして、気持ちいーね」 「だろ? これ、他の連中には内緒にしといてくれよ、バレたらあれこれ言われちまうんだから」 ポップとすぐ隣り合って寝そべり、秘密を共有する――それはなんだかくすぐったいぐらい嬉しくて、特別なもののように感じられる。 「うんっ、おれとポップだけの秘密だね!」
「あ……あちい……もー死ぬ……っ」 羽ペンを握り締めつつ、ポップは机の上に突っ伏して呟く。 気温の急激な変化のせいですっかりバテてしまったポップは、もはや書類書きをする気力すらなかった。 (まったく、太陽がほしいって言ってたどこぞの大魔王様に、今日の太陽をまとめて押しつけてやりたいぜ……!) 半ば八つ当たり気味にそんなことを考えながら、ポップはぼんやりと床に目をやった。ポップが発見した納涼方法……すなわち、床に寝そべってお昼寝作戦を実行したいところである。 昨夜は余り寝ていないせいか、眠くて眠くてたまらないだけに、白く輝く大理石の床が極上のベッドであるかのようにポップを誘惑する。 ダイの前では不覚を取ったが、基本的にポップは誰にも見られないように気をつけて、この納涼方法を実行している。 だいたい床に直接ごろごろするなんてのは、王宮だけでなく一般家庭でも叱られる元なのだ。 (えーと、確か昼過ぎに誰かが書類を取りにくるって言ってたっけな。侍女とかにばれたら、後で姫さんから文句言われそうだし) 書類を引き渡すと約束した時間まで、後一時間もないだろう。まあ、その書類はすでにできているから問題はないとして、暑さにぐったりして、しかも疲れて眠気が込み上げている中で一時間待つのは辛い。 かと言って、残念ながら自分から書類を届けるだけの余裕はポップにはなかった。誰かに頼もうにも、人を呼ぶのも面倒臭い。 庶民出身のポップにしてみれば、近くに常に召し使いがいるというのはどうにも落ち着かないし、一人の方が集中できるからと秘書も断ったのだ。 (あー……あのベル、どこにやったっけなー?) 正式名称は忘れたが、ポップの自室と執務室には特別なベルが用意されている。外見は優美なデザインのベルだが、実は魔力を持つれっきとした魔法道具だ。 それはレオナが使っているものと同じものであり、パプニカ王宮にも数組とない貴重品だった。 なくした覚えはないからどこかにはあるだろうが、散らかし癖のあるポップの机は雑然としており、本人でさえ小物の位置など分からない。 (あー……ねむ……) とにかく、眠くて眠くてやっていられない。後先など考えず、眠ってしまいたかった。 だが、こんなに眠くて堪らないのであれば、一度眠ってしまえばちゃんと起きられるかどうか自信がない。 最悪の場合、書類を取りにきた人がノックしても気が付かず、眠りこけてしまうかもしれない――そう考えてから、ポップははたと気付いた。 (あ、ダイがいるじゃん) 兵士の訓練に参加しているか、レオナの命令で他国を訪問していない時は、お昼になると同時に、ダイは決まってポップの所に駆け込んでくる。 時を知らせる教会の鐘などよりもよっぽど正確に、呆れるぐらいきっちりと食事の誘いにくるダイは、時としてポップにはちょっぴり迷惑だったりもするのだが、こんな時には助かる。 書類引き渡しの時間は、正午をしばらくすぎた頃と聞いている。それなら、侍女よりもダイの方が来るのは早い。 (なら……いっか……) 安心したせいで、ポップはずるりと椅子から身体をずらすように滑り落ち、床に寝そべる。 その拍子に、ちょっとばかり書類の山が崩れて床に落ちたり、さっき探していたベルがコロコロと転がりでたこととなど、ポップは気がつきさえしなかった。
「ううぅ〜、あ〜つ〜い〜よ〜ぉ〜」 ポップが床に寝そべったのと同じ頃、ダイもまた同じく床に寝そべっていた。 ポップどころか、兵士達みんなが夏バテで元気をなくしているところをダイ一人が元気いっぱいに走り回っているところなど珍しくもない。 「こんなの……頭が煮えちゃうよぉ〜」 もはや半べそになりかかりながら、ダイは一枚のプリントを前に床をコロンコロンと転がっていた。 『ここに、バナナが24本あります。それを三人で仲良く分けるとすれば、一人何本で、あまりはいくつになるでしょうか?』 (えっと、三人だと、おれとポップとレオナで分ければいいのかな? あ、でも美味しいバナナならマァムにもあげたいし、ヒュンケルにだってあげたいし、アバン先生にあげたら美味しいケーキかなにかにしてくれるかもだし、それにクロコダインやチウだって好きそうだし――) なぜみんなで仲良く一本ずつ分けてはいけないのだろうかと悩みつつも、ダイはそれでも一生懸命問題に取り組んできた。 どう頑張ったところで、指が足りない。 家庭教師がいればこんな不作法な真似はしないのだが、今日は先生に急用ができて自習を言いつけられている。 もっとも、今日は先生に急用ができたと言う話で、ダイは一人で宿題をやっていた。 見張りがいないから適当にサボろうなどとは思いもしない辺りがダイの真面目さというものだが、だからと言って問題が解けるというわけではない。 (あ〜……なんか、眠くなってきちゃったよ……) 床のひんやりとした感触を味わいながら、ダイはうとうとしかかっていた。いたって健康優良児の上、早寝早起きをモットーとしているダイはめったなことで昼寝をしたいとは思わない方だが、不思議なことに勉強中だけはやたらと眠くなる。 いつもなら先生がいるし、ちゃんと机に向かって座っているからなんとか我慢しているのだが、こんな風に横たわっていると普段よりももっともっと眠くなってしまう。 まるでアルミラージの合唱を聞いているかのように、ひどく眠くて眠くて、とても我慢できなかった。 (ん……ちょっとだけ……) お昼の鐘が鳴るまでの間、ちょっとだけ……そう思って軽く目を閉じたダイはそのまま眠りに落ちてしまった――。
それは昼を告げる鐘が鳴って、しばらく経ってからのこと。 もし、ここでドアをノックしたのがただの侍女か兵士なら、ここまで騒ぎは大きくはならなかっただろう。 三賢者という高い地位にいる彼女は、本来ならこんな風な使い走りに等しい雑用などやる必要はない。 それにポップの受け持つ書類は、明日の会議のためには欠かせない草案だ。早めに受け取り、充分に検討しておいた方がいいと思うだけに、主君思いのエイミは自ら雑用を買って出たのである。 「ポップ君、入るわよ」 返事がないのを多少不審に思いつつも、エイミはあっさりとドアを開ける。 だが、大戦の頃からの付き合いだし、ポップの気さくさを知っているだけに、エイミは特に気にすることもなく気軽にドアを開ける。
|