『日頃の行い ー後編ー』

 

 不自然な格好で床に倒れこんだポップの姿を目の当たりにして、エイミは呆然と立ちすくむ。
 実際、その姿には見ている人を絶句させてしまうインパクトがあった。

 本人が横着して椅子からすべり落ちるようにして横になったせいで、その格好はまさに椅子から立ち上がろうとして倒れたかのような姿勢になっていた。
 散らばる書類が否応なく非常時感を醸し出し、さらに言うのなら机の上に空しく転がるベルがまた曲者だ。

 意図したものでは、もちろんないだろう。
 しかし、偶然とは恐ろしいものである。気分が悪くなったポップが誰かを呼ぼうとしたのに、それを果たせずに倒れた――そんな雰囲気をひしひしと演出してしまっている。

「……っ!?」

 驚き過ぎて、咄嗟に声を上げられなかったのも、かえって災いした。
 もし、ここでエイミが悲鳴でも上げていたのなら、ポップもそれで目を覚ましたかもしれない。
 だが、動揺のせいでエイミは大きな声などだせなかったのも問題を大きくする元だった。

「ポ、ポップ君っ、しっかりっ!?」

 かすれた声で呼び掛けながら、エイミはとりあえず回復魔法を彼にかける。しかし、覚醒魔法ならまだしも、熟睡に回復魔法をかけたって効果があるはずもない。
 むしろ、その心地好さのせいでますます眠りが深まるだけだ。
 が、それを知らないエイミにとっては、驚愕すべき出来事だった。

(そんな……っ!? 回復魔法も効かない程、具合が悪化したの!?)

 大戦直後やその後のポップの無茶な行動や、時折倒れていた現場を目撃していたエイミにすれば、とっさにそう思ってしまうのも無理はない。
 焦るエイミの目に見える範囲に、ベルがあったのもまた、騒動のもとだった。

 普通の侍女や兵士ならば、そのベルの存在は知っていても、詳細な使い方までは知らないし、ましてや勝手に使う度胸などありはしない。
 しかし、三賢者のエイミはレオナの側にいる時間が長いだけに、ベルの使い方も知っているし、実際に自分で使ったこともある。

 人を呼ぶための最短手段として、迷わずベルを手に取った。
 そして、最大の危機を知らせるための緊急連絡用の鳴らし方で、ベルを振った。
 普通に振るだけなら並のベルと同じように鳴るだけだが、緊急時にはとあるボタンを押しながら振ることで音を消して鳴らすことができる。

 暗殺者など不審な侵入者がいた場合、相手に気付かれないように救援の兵士を呼ぶための連絡方法の一つである。
 そのおかげで、鳴らしてからいくらも経たないうちに近衛隊長であるヒュンケルを筆頭に数人の兵士が完全武装して駆け付ける。

 本来なら、そのままの勢いで部屋に突入しただろうから、その騒音でさすがのポップも目覚めただろう。
 しかし、そうはならなかった。

「あっ、ヒュンケル……ッ」

 不安のあまりじっとしていられず、廊下まで出ておろおろと兵士を待っていたエイミは思いがけないところで出会えたヒュンケルを見て、自分から駆け寄ってきた。
 そのせいで兵士の一団も足を止めたため騒音が緩和され、ポップは目を覚まさなかった。

「エイミ? いったい、何があったんだ?」

「た、大変なの、ポップ君が……っ。倒れていて……、回復魔法をかけても意識が戻らないの……!」

 動揺のままに、エイミはヒュンケルにすがりつく。
 こんな非常時であっても、乙女心というのは発動するものである。ヒュンケルが相手なせいか、彼に対して甘える……というよりも、頼りにする精神が生まれてしまった。

 これが相手がただの兵士であったのなら、エイミも自分の役職上、部下の動揺を抑えるためにもてきぱきと発言や行動をしただろう。
 現状を伝えながらポップの応急手当てを続けただろうし、そうしていれば誤解が解けた可能性もあった。

 だが、相手がヒュンケルなだけに、彼に縋りたいという乙女心が働いたせいか、素のままの不安を覗かせてしまう。
 ちょっとした、女の子の甘え……だが、朴念仁の不幸戦士にはそれをただの事実として受け止めてしまった。

 即ち、『三賢者でさえ、手の出しようのない状態』だと認識してしまったのである。
 おまけにこの時、隊長であるヒュンケルも含め、およそ十人近くいた一個小隊の誰もが『ポップが倒れている』ことに疑問を抱かなかった。

 エイミの報告がなかったとしても、この場の光景を見れば誰もが同じ判断をしたに違いない。
 ヒュンケルは近衛隊長という役職に相応しい険しい表情のまま、エイミの報告と部屋の中を見比べ、部下達に命令を飛ばす。

「すぐに侍医を呼べ! そして、城門閉鎖及び、城内探索を手配しろ! ポップの執務室を中心に、不審物、及び不審者がなかったかチェックするんだ!」

「はっ!」

 隊長の命令に、近衛兵達は一斉に返事をする。
 近衛隊長として、この判断は適格だろう。
 ポップが倒れた原因が分からない以上、一概に体調の悪さのせいと決め付けられない。

 最悪の事態を想定して、なんらかの不審物の有無、さらには不審者がいなかったかどうかを調べるのは、警護責任者としては当然だ。
 そして、ヒュンケルはエイミに向かって少しばかり声を和らげて頼む。

「申し訳ないが、君に姫へのご報告を頼んでもいいだろうか? 可能なようなら、姫にもこちらに来ていただけるようと助かるのだが……」

 頼みが遠慮がちになるのは、仲間としての親しみに付け込んでいる自覚があるせいだろう。
 いくらこの国で一番の回復魔法の使い手であるとは言え、臣下の治療のために王女を呼び出すなど礼儀知らずもいいところだ。

 そもそも、本来近衛隊長が自分よりも高位にあたる三賢者に対して命令する権利などない。
 だが、恋する乙女にとっては思い人からの頼み事は、王命と同じぐらいの価値があった。

「ええ、分かったわ!」

 ヒュンケルに頼まれたのが嬉しいとばかりに、エイミはすぐに駆け出していく。それと入れ違いに、副長が声をかけてきた。

「隊長、ざっと執務室を探しましたが、特に不審物らしきものは見当たりませんでしたぜ。ところで城内探索はこっちで引き受けますんで、隊長にはこのまま大魔道士様の警護をお願いしたいんですが、いいですかい?」

「ああ。……感謝する」

 自分よりも年上の副長の言葉に、ヒュンケルは素直に礼を言う。
 城内探索には隊長が先頭に立って指揮をする方が効率的だし、ヒュンケルもそのつもりだった。

 だが、ポップはヒュンケルの弟弟子だ。いわば、身内も同然である。
 ポップを心配する気持ちは当然あるし、せめて意識を取り戻すまで付き添っていたいと思うのも当然だ。

 その気持ちを見抜いた上で、ポップの警護をヒュンケルにと薦めてくれたのは、世慣れた副長の思いやりと言うものだろう。

「いいえ、こっちはこれが仕事ですから。じゃ、大魔道士様を頼みましたぜ」

 あくまで軽く言ってのけ、副長はてきぱきと部下達に指示を飛ばしながら足早にその場を立ち去る。
 残されたヒュンケルは、ポップの側に近付いた。

 倒れた原因が分からない以上、下手に動かすよりもこのまま侍医なりレオナの到着を待つつもりではあったが、さすがに床に倒れたまま放っておくのは気が引ける。
 せめてソファにでも移動させようと、ヒュンケルは最大限に気を使いながらポップを抱きあげた。

 これがもし、エイミが付き添いに残っていたなら、最初から他人を移動させるような力が無いため姿勢を整える程度の世話しかしなかっただろう。もしくは、兵士の誰かが残っていたとしても、同じことだ。

 大魔道士であるポップに対しての気遣いや礼儀が先に立つため、迂闊に触れるのを躊躇し、抱き上げるような大胆な行動はできなかった可能性は高い。
 が、幸か不幸かヒュンケルにはポップを移動させるぐらいの力は充分にあったし、なおかつ大魔道士に対する遠慮など微塵もない。

 だからこそヒュンケルはためらいなくポップを抱き上げ、移動させようとした訳だが――さすがに、そこまでされればどんなに良く眠っていたとしても、目も覚める。

「……!? な、なんだよっ!? って、ヒュンケル!?」

 最初、いきなり動かされたことにびっくりしたポップは、次の瞬間にそれがよりによって、反発を感じてやまない兄弟子の手によるものだと気が付いて、激しく反応する。

「なにしてるんだよっ、離せよっ!?」

 じたばたと手足を振り回そうとするが、所謂お姫様抱っこ風に抱き上げられた段階で抵抗など不可能だ。
 それにポップの身を案じているせいだろう、ヒュンケルが腕に力を込めるせいでますます動けなくなる。

「無理をするな。すぐに侍医がくる」

「はあ?」

 呆気に取られたように目を見張ってから、ポップはやっと誤解が生まれていることに気が付いた。

「侍医って……おい、待てよ、てめえもダイと同じかよっ!? 勘違いしてんじゃねえよ、おれは平気だっつーの!」

 ポップの反論にヒュンケルが眉を顰めたのは、間近で怒鳴られたせいだけではないだろう。

「倒れたばかりなのに、そう暴れるな」

「だからっ、倒れてたんじゃなくって寝てただけだよっ!! 平気に決まってんだろ、いいからとっとと下ろせよ!」

 そう叫んだポップの言葉は、掛け値なしの真実だった。だが――それが全く信憑性がない言葉として聞こえてしまったのは、それこそ日頃の行いというものか。

「………………」

 無言のまま、ヒュンケルはじっとポップを見つめる。……が、その沈黙こそが雄弁に、ポップへの疑惑を表していた。
 それを感じ取り、ポップが一際むくれて怒鳴り散らす。

「あーっ!? てめえ、疑ってやがるな、余計な心配なんかいらねえんだよっ、ホントになんでもねえんだからよ! それよりいい加減下ろせってぇの、暑いしみっともねえだろっ!!」

 と、ポップはひたすらわめき立てるが、正直なところヒュンケルがすぐにポップを下ろさなかったのは、実はその暴れっぷりのせいだった。
 ポップがそこまでムキになって暴れなければ、ヒュンケルはすぐに彼をソファに下ろしただろう。元々、その予定だったのだから。

 だが、ここまで嫌がって暴れるようなら、手を離した途端逃げ出しかねないという不安があるせいで、躊躇してしまう。
 だいたいヒュンケル的には、ポップが倒れていた原因が体調不良だったのの意地を張っているだけなのか、それとも他の原因があるのか、まだ分からないままなのである。

 ついでにいうと、ポップの夏バテも誤解の要因であった。
 夏バテ気味なせいとなによりも寝起きのせいで、本人も自覚はしていないが暴れる手足にいつもよりも力が籠もっていない。

 そのせいも手伝って、ポップの発言への信用度はどんどん下がる一方だ。
 そして、誤解を解き終わる前に、部屋に別の人物が参入してきた。

「ヒュンケル、ポップ君は無事なの!?」

 高貴な身分に似合わない闊達さで、勢いよく部屋の飛び込んできたのは紛れもなくレオナだった。

 血相を変え、息を切らして飛び込んできたレオナは、ヒュンケルに抱きかかえられているポップを見て、ちょっと意外そうに目を見張る。
 ぱちぱちと二、三度瞬きをしたかと思うと、その口許に皮肉たっぷりの笑みが浮かんだ。

「……あら〜? どこの新婚さんの部屋にきたかと思っちゃったわ、エイミがここにいなくてよかったわね」

「誰が新婚さんだっ!? 気色悪いこと言うなよ、姫さんっ! つーかヒュンケル、おまえ、姫さんまで呼んだのかよっ!?」

 非難がましく兄弟子を責めるポップだが、それに対して済ました顔で答えたのはレオナの方だった。

「あら、あたしだけじゃないわよ。すぐに侍医がくるわ。
 それに実は、マトリフ師にもエイミを使いにだしたところなの。追っ付け、連絡がくると思うけど」

「ちょっと待てよっ!? なんで、師匠にまで!? いったい、どこまで話を広げて――」

 ポップが文句を言い終わる前に、バタバタと走ってくる兵士達の足音が響き渡る。

「隊長! 城門封鎖は完了しました! 兵士達を班ごとに分け、大魔道士様の執務室を起点に城内捜索を開始します!」

 張り切って報告をした兵士は、ヒュンケルが頷くのを見て敬礼を返し、そのまま足音も高らかに去っていく。
 と言うよりも、執務室の周囲にはかなり大勢の兵士がいるらしく、足音やら人のざわめきが賑やかに聞こえてくる。

 今更ながら大騒動になっていることを自覚して、ポップの顔色がいささか青ざめる。と、そこにレオナが詰め寄った。

「あら、これぐらい当然だと思うけど? 
 何せ、『大魔道士ポップ』が倒れたとの緊急連絡が入ったのよ、最悪に備えて色々と手を打つのは当然だと思わない? あたしだって、さっきエイミから報せを聞いた時はびっくりしたわよ……心臓が止まるかと思っちゃったわ」

 浮かべている表情は笑顔のまま、だが、どことなく不穏な迫力を漂わせて近付いてくるレオナに、ポップは無意識に逃げようとした。
 だが、他人に抱きかかえられている状態で、逃げようにも逃げられるはずがない。

「い、いや、だから、それ誤解……つーか、おれはただ寝てただけなのに、なんでこんな騒ぎに……?」

 段々と語尾が小さくなっていくポップに向かって、レオナは笑みを浮かべつつにこやかに話しかけてくる。

「おほほほ、そうよねー、なんでこんな騒ぎになったのかしらねー? っていうか、前にもこんなことがあったような気がしない? あの時で、まーだ懲りてなかったのかしらねえ?」

 実に朗らかに、楽しげに話しかけてくる姫君の背後に、ポップは般若の幻をはっきりと見て取ったのであった――。






   

 さて、ポップの執務室にエイミが訪れ、城がひっくり返るような騒ぎが発生しだした頃――ダイのいる教室にも人が訪れていた。
 奇しくも、ダイの教室に訪れたのも三賢者の一人、アポロだ。

 『きょうしつで、はしってはいけません』『ドアは、ゆっくりとあけましょう』と、実に分かりやすく書かれた張り紙を手に教室のドアを開けたアポロは、ギョッとして立ちすくむ。

「ダ、ダイ君っ!?」

 教室の床に、ゴロンと仰向けに倒れ込んだ勇者の姿。
 教科書だけでなく、なぜか靴も靴下も脱ぎ捨てられ周囲に散らばっている有様に一瞬だけ驚いたものの、アポロはすぐにダイに近寄っていって肩を揺さぶり起こした。

「ダイ君。ダイ君、どうしたんだい?」

「……んっ、あれ? アポロさん?」

 すぐに目をぱっちりと開けたダイは、慌てて窓の方を見る。

「おれ、寝ちゃってた!? 今、何時ぐらい?」

「今かい? そうだね、ちょっと前に昼の鐘がなったところかな」

 アポロの答えに、ダイはあからさまにホッとした表情を見せる。

「よかった、じゃ、まだお昼休み終わってないんだね」

「でも、ダイ君、教室で……いや、他の部屋でも、床で寝たりしちゃだめだよ。お行儀が悪いからね」

 寛大なアポロの優しい注意に、ダイは素直に頷いた。

「うん、ごめんなさい。もうしないよ、アポロさん」

 この謝罪は、ダイにとって本気だった。
 いくら床に寝そべって眠るのが気持ちよくても、寝過ごしてポップのところに行くのが遅れては、ダイ的にはなんの意味もない。
 もう二度としないぞと心に誓いながら、ダイは慌てて荷物を片付ける。

「分かってくれればいいんだよ」

 にこにことアポロがそう答え――それだけで、この辺は片付いた。
 問題となる前に、きれいさっぱりと一件落着した『細やかな事件』のことなど、ダイは全く意識していなかった。

 廊下に出て、兵士達が妙に行き交う姿を見掛け、城が妙に騒がしいなと思ったが、ダイとしてはポップの方が気にかかる。いつも通りの時間に来なかったと、ポップがむくれて機嫌を悪くしていないなと思いながら、ダイはいつも通りポップの執務室へと向かった。
 そこで、どんな騒ぎが起こっているかなど、知りもしないままで――。


 





 その後。
 レオナに耳を引っ張られ連れて行かれたポップと、ついでに巻き込まれて一緒についていったダイが、いったいどんな説教を食らったのかは誰も知らなかった。

 レオナはニコニコしながら『軽〜く、注意しただけよ♪』と答えるのみだったし、ダイとポップは二人そろって海よりも深い沈黙を保ったのだから。

 ただ、ダイの教室とポップの執務室に『おしろのゆかに、ねころがってはいけません』との張り紙が夏いっぱい張られていたことは、三賢者を初めとする、ごく一部の人間のみが知っている秘密である――。


                                      END



《後書き》

 大騒動お昼寝話、パート2です(笑)
 キャラクターが昼寝をしている、という設定の二次創作が好きなんです!
 普段とは違う面に、ちょっぴりどきどきしたりとか、ほのぼのしたりするのがもう、好きで、好きでv

 …しかし、なんだかよそ様で見掛けるのと違って、筆者が書くとほのぼのというよりはいつも大騒動になっている気がします(笑)

 

前編に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system