『青空に羽ばたいて ー前編ー』

 

「……あのさ、ポップ。
 おれがさ、遠いトコに行きたいって言ったらどうする?」

 それは、よく晴れた日の昼下がりのこと。
 雲一つさえ見えない、見事なまでの蒼天――敢えて言うのなら、勇者がいなくなった日によく似た空だった。

 その空を、どこか虚ろな目で見つめながらの、ためらいがちな言葉。
 世界を救い、二年という時間を経てやっと地上に戻ってきたばかりの勇者は、ぽつりと、そう呟いた。

 そこに浮かんでいる表情は、けっして明るいものではなかった。半月ほど前、地上に戻ってきたばかりの頃、仲間達に迎えられた時に見せていた底抜けの笑顔はすでにない。
 空を見つめる目には、明らかな苦悩が浮かんでいる。

 寂寥感、とでも言おうか。
 穏やかな声音には、どことなく諦めきった響きが込められている。

 そんな勇者のすぐ真向かいに居るのは、ポップだった。
 最後の戦いの時も、勇者のすぐ隣に居続けた魔法使いは、一瞬だけ同情に満ちた視線を親友へと向ける。
 だが、すぐにポップは、ダイと同じ視線を空に向けて呟いた。

「遠いトコ行きたいなら止めねーけど、おれも連れていってくれよ」

 ダイの声に寂しさや諦めが込められていたとすれば、ポップの声はいっそ楽天的な程に軽い。
 だが、それでいて本気さを感じさせる声だった。

「……ポップ…ッ、それ、本気?」

 思わずポップの方を見たダイは、答えを聞くまでもなく確信する。
 ふざけた口調とは裏腹に、その目を見ただけで分かる……この魔法使いもまた、勇者と全く同じことを考えていたのだ、と。
 事実、二人の心は一致していた。

「――つーかっ、おれの方が遠くまで逃げたいわいっ! 姫さんめ……っ、人に安静にしろと言いながら、これなら動かなくても読めるでしょ? なんて言いながら、ここぞとばかりに次から次へと書類の山をもってきやがってッ! もーっ、こんなのやってられっかよっ?!」

 ポップがキレて書類の束を放り投げながら叫ぶのとほぼ同時に、ダイもまた目の前に積まれた本の山の上に突っ伏す。

「おれだって……! こんなの、難しくて分からないよ〜っ。もーやだぁ〜っ」

 ダイにしては珍しく、泣きべそをかきそうな顔で弱音をはくのも無理はない。
 ダイの目の前にずらりと並ぶのは、初歩の勉強のための本だ。ごく簡単なものではあるが、勉強が嫌いな上に簡単な読み書きすらも怪しいダイにとっては古文書か暗号文にも匹敵する難度の高さとして感じていた。

「全くだぜ。まさか、今更こんな苦労をするとは思わなかったよな〜」

 と、ポップがうんざりして眺める書類の山は、パプニカ王国でも秘中と呼ぶに相応しい重要な政務用の書類ばかりである。

 高度な知識がなければ読むことさえ難しい書類の山は、ダイの目の前の初歩の教本とはレベルの上では雲泥の差があったが、感情的な意味で嫌いだと言う意味では大差はなかった。

 だが、どんなに嫌でもそれを断れないという意味でも、二人の意識は共通している。
 なにしろダイに勉強の本を、ポップに書類の山を渡したのは、他ならぬレオナなのだから。

『ダイ君もポップ君も、ほんっと無事でよかったわ! で、これからはやっぱり二人には、知性や礼儀を磨いてもらいたいと思うの!』

 ダイとポップの二人そろっての帰還を心から喜んでくれたレオナが、二人のために準備してくれたものが、好意からくるものであることは疑っていない。

 平和となった国には、勇者や魔法使いはある意味では無用の長物だ。単に強い力を持っているとか、強力な魔法を使えることよりも、城での習慣や常識に馴染んでいる方が重要なのだ。

 そのためには、まずはダイに基礎的な教育をと考えたレオナの考えは間違ってはいまい。 ついでに言うのなら、ポップにパプニカ王国の政務に関わってほしいと望むのは、大戦直後からのレオナの望みでもある。

 経験こそなくとも、優れた頭脳を持つポップなら政務に置いてもその力量を発揮してくれるだろうと見込んでのことだ。

 これまではポップがなによりもダイ捜索を優先していたことを考慮し、そんな余裕もないだろうと勧誘も遠慮していたレオナだが、ダイが見つかった今となってはそんな気遣いもない。
 やや強引なぐらいの勢いで、ポップをパプニカ王国に引き込もうとしている。

 ついでに、ダイに徹底教育をほどこそうとするのも当然だろう。
 ダイとレオナは、ただの少年と少女ではない。
 世界を救った勇者と、一国の王女……二人の気持ち次第では将来結婚し、ダイがパプニカ国王となる未来もあり得る。

 まあ、ダイの方はまるっきりそこまでは考えてないらしいが、聡明なレオナはその可能性も考慮した上で、ダイの教育に熱を注いでいると見える。
 ダイはともかくとして、ポップにはレオナのその気持ちは理解できる。

 大戦の頃から、レオナがダイへ好意以上の感情を抱いているのは一目瞭然だったし、ダイが行方不明中も彼女がダイを一途に待ち続けたのも知っている。
 結婚云々は二人の問題だし、まだ先の話だから置いておくとしても、ポップとしてはレオナのために力を貸すのは吝かではない。

 ダイを捜索している間、レオナに力を貸してもらった分を返すために手伝いをしてもいいとは思っていたが……レオナは、明らかにやり過ぎていた。

 ダイが帰ってきたのが嬉しくてたまらないのと、ポップが他国へ取られるのを恐れるせいか、やたらと強引なものになってしまったのである。
 おかげで、ダイもポップもすっかり値を上げてしまった。

「よしっ、こーなったらホントに旅にでも出るか!」

 レオナがいるこのパプニカ城も悪い住み心地ではないが、やっぱり城の生活はどこか窮屈で息が詰まる。

 かと言って、故郷に戻って静かに暮らしたいとは、思わない。まあ、万一そうしたところでダイとポップの実家など、レオナはとっくに把握済みだ。
 連れ戻される可能性も考えると、旅に出た方がずっと安全だし、なによりも気楽だ。

「ホント?! ポップ!」

 ポップのその言葉を聞いてダイもパッと目を輝かせたが、すぐに不安そうな顔になり心配そうに聞いてくる。

「あ……でも、ポップ、身体は大丈夫?」

 ダイが心配するのも、無理はない。
 魔界での壮絶な戦いが悪かったのか、それともそれまでの無理が出たせいか、ポップはダイと共に地上に戻ってきてから、しばらく寝込んでいた。

 大事を取るという名目で、未だに安静を言いつけられているポップは、まだ幽閉室……もとい、自室から出る許可がでていない。本人はもう平気だと言っているのだが、それが一向に信用されないのは日頃の行いと言うべきか、それとも他の者の方が心配性過ぎるのかは、意見の分かれるところだろう。

 どちらにせよ、治療技術も知識もない上に、とことん素直に他人の言葉を信じてしまうダイには、その辺の区別をつけるのは難しい。
 まだ、どこか具合が悪いのではないか……そんなダイの心配を、ポップは気軽に笑い飛ばす。

「あ、へーきへーき。もう、とっくにすっかり良くなったって。むしろ、閉じ込められているせいで運動不足なぐらいだよ」

 レオナを初めとしたみんなに心配をかけた自覚もあるだけに、ポップにしては珍しくおとなしくしてきたつもりだ。
 だが、そろそろ体調も復帰してきたことだし、部屋に閉じ込められているのにも飽きてきた。

「まあ、旅に出るなら、マジで今のうちだよな。このまま、城にいたらこの仕事はもっと増えまくり決定だし、おまえだって勉強が増える一方だろうし」

「そ、それは、やだよっ! これ以上、勉強なんかしてたらおれ、頭がパンクしちゃうもん!
 おれだって、ポップと旅に出たいよ!」

 大袈裟に悲鳴を上げる勇者に対して、魔法使いはニッと笑って親指を立てて見せる。

「じゃ、決まりな。
 しかし……旅に行くのは良いとして、どこに行くかねえ?
 おい、ダイ。おまえ、なんか行きたいところとか、目的はないのか?」

 ポップにしても、旅に出るのは不満はない。
 当てもなく、ふらふらと旅に出るのもいい。とは言え、とりあえず、なんらかの行き先というか、目安や目的はほしかった。

 まあ、ポップとしては杖でも放り投げてそれが向かった先に向かっても構わないのだが、相棒に希望があるのならそれを優先したいとは思う。
 だが、そう聞かれれば、ダイとしては困ってしまう。

「えっと? うーーん、目的って言われても?」

 こんな窮屈な所にいるより、自由に旅に出たい。
 そう思っているのは確かだが、だからといって具体的な目標があるわけじゃない。
 大戦の時はずっと旅をしていたダイだが、当時だって自分で行く先を決めて進んでいたわけじゃない。

 レオナを助けたいとか、立ちはだかる敵を倒すためになど、その都度生まれた目的を追いかけていったら、自然に旅になってしまっただけだ。
 南海の小島で暮らしていたダイには、旅の具体的なイメージや目的など備わっていない。当然、行きたいところなんて思い付きもしない。

「昔は、勇者になるために旅に出たかったんだけど」

「って、今、おまえは実際に勇者じゃねえかよ。今更そんなの目的にしてどうするよ?
 じゃ、行きたい場所とかはないのか?」

「? んーと?」

 首を捻り出すダイにお構いなく、ポップはさっさと本棚に向かう。

「えーと、地図はこの辺にしまっておいたかな?」

 ごそごそとその辺からポップが地図を取り出す際、小さな革袋が一緒に転げ落ちる。チャリンと金属的な音と立てて床に落ちた袋を、ダイは拾い上げた。

「ポップ、これ、なに?」

「ん? ああ……、懐かしいな」

 目を細め、ポップはその袋を開けて逆さに降る。すると、中から小さなコインが数枚転がり出てきた。
 普通のお金とは全く違う、初めて見るデザインのコインだ。

「これ、小さなメダルって言うんだよ。アバン先生と旅をしている時に、手に入れたんだ。先生の話によるとさ、これには面白い御伽話があるんだってさ。
 世界のどこかに小さなメダルを集めている不思議な王様がいて、そこでは100枚のメダルと引き換えにすごいお宝をもらえるとか言ってたっけ」

「へー、すごいんだね、これ」

 と、ダイは素直に感心したが、ポップは笑って違う違うと手を振った。

「ぜーんぜん! このメダルって、そんなに珍しいもんじゃねえぜ。実際、おれも集めようと思ったら、何枚かは手に入れられたし。
 洞窟の宝箱の中とか、遺跡とかなんかでよく見つかるんだ。古くからある村なんかだと、一枚や二枚持っている人がいても珍しくないしよ」

「そうなの?」

「ああ。これだけ流通していたんだから、多分古代の貨幣だったとは思うんだけど……不思議な話なことにいつの時代のものかはっきりしないんだってさ。
 つまり、歴史的な価値とかはないんだよ、これって」

 貨幣と言うものは、国家がきちんと機能していなければ成立しない。故に、歴史を探る上で貨幣は重要な意味を持つ。

 鋳造の善し悪しでその国の技術レベルを測ることができるし、金属の含有率によってその国家の財力を計ることができる。
 さらには、その貨幣が発見した場所から、その国がどのぐらいの規模の交易を持っていたか推し量ることもできる。

 だが、小さなメダルは特別中の特別だ。
 どんなに歴史を調べても、このメダルを貨幣として使っていた記録はおろか、どこで鋳造されたものかも定かではない。

 金属としての価値も、ごく低い。
 金や銀などの含有率が高ければ、まだ貨幣というよりも鋳塊や延べ棒の一種として扱われていたと考えることも可能だが、小さなメダルにははっきりいって金属的に価値があるものではない。

 記念品や美術品として作られたと考えるには、小さなメダルのデザインはあまりにもチープ過ぎるのだ。周囲に5つの丸を配置した星が描かれ、表に当たる方には中央にスライムの模様があるだけのコインは、貨幣としてはかなり稚拙だ。

 オモチャじみた幼稚なデザインの代物であり、亜鉛の合金で作られているため価値は皆無に等しいのだ。

 だからこそポップも最初の頃は面白がって集めようと思ったものの、すぐに飽きた。長い間、持っていることさえもすっかりと忘れて、しまいこんだままだった。
 だが、ダイはひどく物珍しそうにメダルをまじまじと見つめている。

「ふうん、そうなんだ。でも、……なんか、いいよね」

(へえ……)

 羨ましそうにそう呟く言葉に、思わずポップは目を見張る。
 それは、ダイにしてはひどく珍しい。ダイは物欲が薄いと言うか、おおらかであまり物事に拘らない性質だ。

 それだけに、今日のように熱心にアイテムに興味を示すなんてのは珍しい。
 だからこそ――ポップは言った。

「なら……いっちょ探しに行くか? メダル・クエスト! メダル捜しの旅ってのも、悪くないじゃん」

 ポップのその言葉に、ダイは驚いたような顔をして彼を見返す。

「え? い、いいの?」

「いいも悪いもないだろ。ほら、思い立ったが吉日だ。とっとと、旅に出ようぜ」

 ポップは手早くその辺から荷物をポイポイと選びだし始める。地図だの、ランプだの、布袋だのとこまごまとした道具は明らかに旅に向けたものだ。

「おい、おまえも早く支度しろよ。旅に出たいんだろ?」

「そりゃ、行きたいけど……でも、レオナが許してくれるかなぁ」

 おそるおそると言った口調で、ダイがぽつりと呟く。
 当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、レオナはダイやポップが旅立つのを歓迎はしてくれないだろう。

 バーンとの戦いが終わった直後に、不安そうにダイにどこにも行かないよねと聞いてきた彼女の顔が、忘れられない。
 普段は勝ち気なレオナが、いつになくしおらしげにそう聞いてくれたのが、ダイには印象的だった。

 それに対し、ダイは地上が一番好きだし、どこにも行かないと答えた。なのに、他に手段がなかったとはいえ、結果的に彼女を置き去りにして行方不明になってしまったのは、ダイにとって未だに負い目になっている。

 できるなら、レオナを悲しませたくはない……そう思う気持ちが、ダイにはある。
 だが、ポップは気楽なものだった。

「平気だって。姫さんだって、実際に旅に出ちゃえば止めようがないしよ」

「でもさ、それ、難しいんじゃないのかなー。第一ポップなんか、この部屋からさえ出してもらえないじゃないか」

 勝手な外出を禁じられているという意味では、ポップの方がより厳重に見張られている。……まあ、その思惑にはポップの体調を心配して幽閉しているというよりも、ポップさえ押さえておけばダイも勝手にどこかに行ったりはしないだろうという、某お姫様の計算が感じられるのだが。

 なにしろ塔に近い造りのこの幽閉室は、出入り口となる階段の下には常に兵士が見張っている。
 安静中のポップが部屋から出ようとすると、すぐに兵士からレオナへと連絡がいくシステムになっている。

 出入りをする際に、彼らの目を盗むのは不可能だ。
 窓には格子がはまっているし、それこそ魔法でも使わない限りここから脱出するのは不可能だろう。

 そもそもこの部屋では魔法を使用すると、それだけでバレてしまう造りになっているらしい。

 レオナの許可がない限り、城から出るどころか部屋から出ることすら、不可能なように思える。
 だが、ポップは自信たっぷりだった。

「だーいじょうぶだって。こんな時のために用意しておいた、とっておきのアイテムがあるんだよ」

 ニヤリと笑ってポップがどこからか取り出したのは、古ぼけたデザインの奇妙な杖だった――。
                                    《続く》

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