『天の川、地上の川 ー前編ー』 |
(先生ってば……おれのこと、まだガキだと思っているのかな〜?) 溜め息混じりに、ポップはアバンの手紙とそれに添えられていたものを眺めやらずにはいられない。 もちろん、師からの手紙は歓迎だ。 想い人と結ばれたばかりのアバンをポップは心から祝福していたし、こんな風に手紙をもらうのだって嬉しい驚きだ。 自分から望んで世界各国への留学を願い出たとは言え、復興の手助けのために忙しい毎日を送っている上、不慣れな城での生活や礼儀に苦労しているポップにとって、師からの手紙はいい息抜きになった。 カール王国の復興のために女王フローラの補佐を勤めるアバンは、それこそポップ以上に目の回るような忙しさだろうに、手紙からはそんな忙しさは微塵も感じ取れない。 遠く離れていても弟子を変わらずに気遣かってくれる心は、素直に嬉しいと言える。しかし、アバンから届けられた手紙と一緒に添えられていたのは、一枚の短冊だった。 もっとも子供ならいざ知らず、ある程度成長してしまえば本気でそんなおまじないなど信じるわけがない。 良い子にプレゼントをくれるというサンタクロースと、同じような物だ。そこそこの年齢になってしまえば、サンタクロースにプレゼントをねだるのなんて恥ずかしくなるように、今のポップも短冊に願いを書くのなんて子供っぽすぎるように思える。 だからこそ手紙は繰り返し読みはしたものの、短冊はそのまま机の隅に置いたままだった。 「失礼します、大魔道士様。本日は、火はお入り用でしょうか?」 ノックの後、控え目に入ってきたのは、薪を持ってきた兵士だった。 「ん、今日は別にいらないよ」 最初の頃は少なからず戸惑ったが、毎日のことなのでポップもすでに慣れた。 世界でもっとも北方に位置するオーザムは、その気温の低さで知られている。真夏であっても、夜間は底冷えするのは珍しくもない。 だが、貴人や年配者や病弱な人間などに対しては、真夏であっても暖炉の支度は欠かさない物だ。 「さようですか。 挨拶の後、兵士がポップの手元を見て何気なく尋ねる。 「え? あんたら、タナバタを知ってんの?」 一瞬驚いたものの、ポップはすぐに納得する。アバンと一緒に旅をした経験や、後に文献で調べた経験から言うと、東方伝説は一定の地域にのみ残っている伝説ではない。 それを考えれば、極寒の地であるオーザムに、東方伝説が色濃く残っていても不思議はない。 「ええ、この地では短冊は願いを書いた後、船の形に折り畳んで川に流す習わしがあります。 「へえ、それってちょっと面白いな」 初耳の習慣に、ポップは興味を動かされた。 「特に、この城の近くの川には不思議な伝説があるんです。 「異界への扉?」 聞き捨てならない言葉に、ポップは耳をそばだてる。 「ええ、そうです。なんでも、異界の扉を潜り抜けた者は、恐ろしい怪物のいる闇の世界へ迷い込んで、二度と帰れなくなってしまうのだとか。 そう言って笑う兵士は、すでに子供時代に聞かされたおとぎ話など、とっくに信じてなどいないのだろう。 この世界は三つの界が存在すると言うのが、古くから伝わる伝承だ。 しかし、そのうち天界と魔界は、ただの伝説だと思われている。古い時代の文献には資料として残っているが、信頼性、現実性が薄いというのが学者達の共通の意見だ。 魔界は存在する、と。他ならぬ大魔王バーンが教えてくれたのだ……地上の下に、太陽が決してささない魔界が存在するのだと。 様々な文献を調べてみても、人間が魔界へ実際に行ったという公式記録など残されていない。 テランに伝わる竜の騎士の伝説のように、古くからの伝承には思いも掛けない真実に隠れている時がある。 偶然からこの世のものとも思えない美しい世界へと行ったのはいいが、ほんのわずかの時間しか過ごさなかったのに、彼が村に戻ってくると百年の時間が過ぎ去ってしまった――妖精の国に関する伝説は数多い。 その次に多いのが、迷いこむ先が怪物が無数に存在する闇の世界という伝説だ。あからさまに魔界を連想させる伝説を、ポップは軽視するつもりはなかった。 「まあ伝説はともかくとして、城の近くの川は願いを掛けるのには丁度いいところです。流れが穏やかで蛍がたくさん住んでいる、とても綺麗な川ですよ」 そんな風に、少し自慢げに教えてくれる兵士の話を、ポップは興味深げに聞いていた――。
「へえ……確かに、こりゃあ見事だな」 感嘆の声を漏らし、ポップは光の溢れる川を見つめる。 兵士から話は聞いてはいたが、実際に目にするとそれは予想以上に見事で、幻想的な光景だった。 星の輝く天の川に、無数の蛍が飛び交う地の川。 だが、川辺を吹く風の冷たさにポップはぶるっと身を震わせた。 ちょっとの間だけだからと、部屋着のままの格好で外に出てしまったことをポップは今更ながら後悔した。 だが、ここで部屋に戻るわけにも行かない。 幻想的な光景を惜しく思いながらも、ポップは地面を蹴って空中へと飛び上がった。高い位置から川を見下ろしながら、ポップは何か普通と変わった部分はないかと注意深く目をやる。 天の川と地の川が重なる、という意味が今一歩分からないが、視点を変えて眺めることでなにか変わった部分が見つかるかもしれないと考えたのだ。 「あれは……っ」 不規則に飛ぶ、蛍の群れ。 川が一番太くなっている中州の上辺りで、そこだけ規則的に動いている蛍の群れがあった。 以前、レオナが生み出した大破邪呪文に匹敵する輝きが、そこにはあった。 あまりにもはっきりと出現した『扉』に、ポップが戸惑ったのは瞬き数回程の間だけだった。 文献では決まって、『扉』は長く持つ物ではないとされている。 魔法儀式にとって生み出された物ならともかく、偶然が生み出した『扉』はひどく不安定で、いつまで持つかという保障なんかない。 偶然のもたらす、ほんの一瞬の奇跡――それを逃せば、異界への扉は閉ざされる。 いや、覚えていたとしても、行動は同じだっただろう。
悲鳴じみた声を上げ、ポップは地べたに転がった。 なにしろ、ポップは『川』に向かって飛んだのだ。 「……な、なんだよ、こりゃあ?」 世界は、一変していた。 夜だとしても、ついさっきまでいた明るい夜空とは比べ物にならない。 まるで吸い込まれるような一面の闇――それなのにポップが周囲を見ることができるのは、魔法陣の光のおかげだった。 そのおかげで、ランプもないのに周囲の様子を見るのはたやすかった。 北方特有の、冷えきった乾燥した空気とは打って変わった、肌にまとわりつくような湿気と熱気の混じり合った不快な大気はどこか息苦しかった。 (ここが、魔界……なのか?) さすがに緊張して、ポップは改めて周囲を見回す。 それは別にいいが、ダイと再会する前に瘴気で身体をやられては話にならない。まずは毒素の解除と防御をしようと、解毒魔法を唱え掛け――ポップは気付いた。 「……っ?」 まるっきり効果のない魔法の反応で、ポップは自分が毒素に犯されていないと知った。ということはすなわち、この空気には毒素が全く混じっていないということになる。 「………………ってことは……なんだよっ、せっかく覚悟を決めて飛び込んだのに、無駄骨かよっ?!」 憤慨して思わず絶叫してから、ようやくのように自分の今の行動がちょっとばかり無謀だったかな、と思い返す。 あの兵士は二度と戻れないと言ったが、本当に戻ってこれなかったとしたら、伝承自体が伝わらないはずだ。 気分を落ち着けてみれば、空にある魔法陣から充分な魔法力が放たれているのが分かるし、今の自分からもそれと同じ輝きや感覚を感じる。 おそらく、この光が消滅するまではあの魔法陣は有効と考えていい。 (なら、時間ぎりぎりまでここを調べてみるか。魔界ではなさそうだけど、異界には違いなさそうだし) 危ないから危険なことはよそうとか、念を入れて早目戻った方がいいとか、そんな風な殊勝な思考などポップには一切なかった。 まずは地形を把握とばかりにふわりと空へと飛び上がったポップは――耳を貫く奇声に顔をしかめた。 「な、なんだっ、なんだ?!」 驚いて目をやった先に、見たこともない形をした怪物がいた。それも一匹ではなく、数匹が。 先頭を走る小柄な影が人間だと気が付いた途端、ポップはそっちに向かって飛んでいた。 なかなかに早いが、怪物とは歩幅が違い過ぎる。クロコダインを遥かに上回る巨体の怪物達に追われている少年は、哀れな程小さく見えた。 (あっ、バカッ、だめだっ!) 内心、ポップは叫ばずにはいられなかった。 怪物もそれが分かっているのか、好機とばかりに爪を振り上げる。少年の胴を遥かに上回る豪腕から繰り出されるその一撃は、一掠りで彼の命を絶つだろう。 「はぁぁあっ!!」 気迫を込めた叫びと共に、少年が全身をフルに使って腕を振り上げる。その手に、ナイフが握られているのを見たは、怪物の腕がバッサリと切り落とされた後だった。 「え……っ」 器用にも、空中で一瞬硬直してしまったポップの目の前で、少年は信じられないような力強い動きで次々とナイフを振るう。 すでに体格差や、獲物の差など問題ではなかった。狩っているのは少年の方であり、怪物達は怯えた動物のように悲鳴を上げ、四方八方に散っていく。 (なーんだ、わざわざ来るまでもなかったじゃん) 拍子抜けにも程のある出来事に驚きながらも、ポップは一応、少年の側へと下り立った。 助ける、という目的は無駄になったものの、異界でせっかく人に会えたのなら、話ぐらいは聞いてみたい。 それに怪物を追い払ったとはいえ、少年も全く無傷という訳ではないのか、苦しそうに肩で息をしているのを見たせいもあった。 「おい、おまえ、大丈夫か? ……って、あんだけすごいことをしたヤツに聞くのも、変な気がするけどよ」 その声かけに、少年はハッとしたように振り向いた。 だが、小柄ながらがっちりとした体格や、戦士としての経験を感じさせる身構えは、並の少年離れしている。 「…………?!」 ポップにとっては初めて見る、風変わりな仕立ての青い服を着ているのが違いと言えば違いだが、他は見慣れたものだった。 さっき空中で硬直した時のように、ポップは再び金縛りにされていた。目の前にいる少年に目を釘付けにされ、瞬きすら自由にできない。 だが、その苦しさよりも、どうしても目が熱いもので滲んでしまって、せっかくの少年の顔がよく見えないことの方が辛かった。 「ダイ……ッ、探した……ぜっ」 やっと出た声は、自分でも情けなくなるぐらい震えていた。 「……ポッ……プ…?」 呼び掛けられた声に、目眩すら感じる。 そのまま、ポップはダイに抱き付こうとした。疑いもせず、それはダイも同じだろうと思っていた。 だが。 「近よるなっ!!」 殺気すら感じる気迫に、ポップはこの日一番の驚愕を味わっていた。棒立ちになるポップに、ダイは敵に対する目を向ける。 「聞こえないのか?! それ以上近付けば、容赦なんかしないぞ……!」
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