『天の川、地上の川 ー中編ー』 |
「なにすんだよっ、ダイッ?!」 そう叫ぶポップは、怯えよりも混乱の方が強かった。 だが、相手がダイだと言うだけで、ポップの中から全ての警戒心は抜け落ちていた。本気でダイに攻撃されるだなんて、微塵も思えない。自分に向かって突き付けられたナイフが、そのまま自分を攻撃するなんて可能性すら頭をかすめなかった。 だから、ポップはナイフなどほとんど気にしなかった。 「近よるな……! それに、ダイ、なんて呼ぶな!」 威嚇する態度とは裏腹に、そう叫ぶ声には懇願を思わせる悲痛さがあった。だから、威嚇などポップには気にならなかった。 「何言ってやがる、てめえはダイだろうがっ!」 「そ、それはそうだけどっ」 軽い突っ込みについ口ごもるダイを見て、ポップは少し安心する。 「なら、ダイをダイって呼んで、何が悪いんだよ。……ったく、何、そんなにピリピリしてんだよ、おまえらしくもない。 とにかく、ダイを落ち着かせればいい――ポップはそんな風に考えていた。 だからこそ、ダイの気をなだめようとポップはできる限りいつも通りの口調で声をかけたのだが、それはむしろ逆効果だった。 「だ、だまれっ、ポップの顔をして、ポップの声でおれをダイなんて呼ぶな!」 「なんだよ、そりゃあ?! だいたいだなぁ、ンなこと言ったって、この顔も声も生まれつきだっ!」 優しくしようと決めたはずなのに、あまりにも強固に反発され続けるのに腹が立って、ポップはつい怒鳴り返してしまう。 怒鳴られた瞬間、ダイは傷ついたような表情を見せる。信頼していた人に苛められた、子供のような幼子のような表情を浮かべ その顔のまま、泣き叫ぶような勢いで怒鳴った。 「なんで……本当に、なんでなんだよっ?! 顔だけじゃなくて、口調も、態度も……そんなに似てるのに……っ?! どうせポップのふりをするなら、もっとうまくやれよっ! この偽者め……っ!!」 「偽者ぉ? おれが?」 「そうだよ! ポップが飛べるわけ、ないじゃないか!」 「はぁ?」 あまりにも予想外な否定の根拠に、ポップは呆気に取られてしまった。 「お……おいおい、おれがトベルーラが得意なのは、おまえだって知ってるだろ」 「なんだよ、とべるーらって? だいたい、人間が飛べるわけないじゃないか」 いかにも常識だと言わんばかりにダイに諭され、ポップは軽い屈辱感を味わう。 (うわっ、よりによって常識知らずのおまえだけには言われたかねーよっ!) そう言い返したくて堪らなかったが、それを辛うじて我慢できたのはようやく違和感に気がついたせいだ。 目の前にいるのは、どう見てもダイだ。 だが、具体的に指摘できる違いにポップは今こそ気が付いてしまった。 しかし、それは有り得ない。 その後でダイがもう一度レオナにもらったパプニカのナイフは、宝玉の色が緑だったはずだ。 「……ダイ……おまえ、なんでそのナイフを持っているんだよ? それは壊れたんじゃ……」 その質問を口にした時には、ポップはすでに気がついていたのかもしれない。
当惑気味にそう聞き返すダイが、自分を『ポップ』と呼んだことを喜ぶ気持ちすら沸かなかった。 「じょ、冗談はやめよっ、おまえの冗談なんか笑えないんだよ! 忘れたなんて言うなよ、それ、姫さんからもらったナイフだろ?!」 そうだと言ってほしい。いや、それ以外の答えなんか聞きたくもない。 「姫さんって、誰?」 まるっきり思い当たらないとばかりに、目をきょとんとさせる表情はダイそのものだ。だが――ダイなら絶対に言わないであろう言葉に、ポップに与えた絶望が大きかった。 「ポップこそ……っ、忘れちゃったのかよ?! これは大巫女様にいただいた守り刀だ。ポップが水を取ってきてくれて、レオナが宝玉をくれて、おじさんが鍛えてくれた刀じゃないか! ごく当たり前のように分け合っていた思い出が食い違っている――その意味に、ポップはやっと思い当たった。 いや、本当は最初から薄々と気がついていたのかもしれない。だが、常識よりも期待を望む心が、なによりも親友を求める心が、真実から目を背けようとしていただけだ。 「……は、はははっ……、……そうだよな……ここは、異界なんだったよな……」 できるなら笑い飛ばしたかったが、自分自身でさえ無理をしていると分かる程、声が震えて頼りないものになってしまう。 昔、アバンに習ったことある。 わずかな選択肢の違いにより分岐し、全く違う様相を見せる世界。 「そうだよな、ここは異界でおれの世界じゃない。こんな場所も、あの怪物も聞いたこともないし、衣装だってずいぶんと違う。 自分に言い聞かせるためのポップの呟きを、ダイもまた聞いていた。 その顔はおかしいぐらい、本物のダイにそっくりだった。ダイと一緒にアバンの授業を受けたポップには、何度となく見た顔だ。 「イカイとか、おまえの言ってること、よく分かんないよ。でも……」 ぐにゃりと、ダイの表情が歪む。堪え難い苦痛に耐えるかのように、ダイは震える声で呟いた。 「…………………やっぱり、おまえはポップじゃないんだね……」 その言葉と同時に、糸がふっつりと切れたようにダイの身体が崩れ落ちた。 「おっ、おいっ?!」 慌てて、咄嗟にダイを支えたポップは、やっと気がついた。ダイの背中に深々と刻まれた傷跡に。 「おまえっ、いつから……っ?! これ、ひでえ怪我じゃねえか?!」 まだ血の滴る傷跡は、かなり深いのだろう。 これ程の怪我をしているのであれば、相当以上の激痛を感じているはずだし、意識を保っているだけでも難しいだろう。 「……はやく……逃げろ……。じゃないと……巻き添えになる……あいつらは、おれを狙っているから……っ」 ダイを支えるポップの手を押しやろうとしながら、そう言う。すでに自力で立つ力すらなくしているくせに、それでも他人を庇うことを忘れてはいない。 「この……っ、強情っぱりが!」 ついさっき、ダイが『自分』に対して腹を立てた気持ちがよく分かる。 嬉しくて嬉しくて堪らないのに、本物ではないという事実に胸を刻まれる。嬉しいのか、それとも苛立たしくて悲しいのか、まるっきり分からない混乱が込み上げてきて、とても平静でいられない。 「怪我人が余計な心配なんか、してるんじゃねえよ! いいからじっとしていろ!」 叫びながら、ポップはダイをすばやく、だが丁寧に地面に横たえさせた。傷に触らないように俯せの姿勢に寝かせ、苦痛を与えないように気をつけながら手で触れる。 「……え?」 暖かな光に照らされ、ダイが戸惑ったように瞬きする。 「な、なに、この光……っ?」 その驚きの大きさに、ちくりと胸が痛む。本物のダイなら、ポップが回復魔法を使ったからと言ってここまで驚くはずもない。 「じっとしてろって言ったろ? 再び振り返りかけたダイを見て、ポップは今度は傷口の真上を抑えた。さっきより力を込めてしまったせいか、ダイが情けない声を上げる。 「い、いたたっ?! ち、治療にしては乱暴すぎない、これ?!」 「こーゆー魔法なんだから、しかたがないだろ! 痛いのぐらい我慢しろ! ほら動くなよ、おまえが動くと魔法がかけにくくなってこっちも迷惑だっつーの!」 相手が回復魔法について無知なのをいいことに適当なことをいいつつ、強引にダイを押さえつけてポップは魔法に集中する。 「だけど……っ、まだ牛頭や馬頭がいるのにっ」 「ゴズにメズ? なんだよ、変な名前だなぁ、それってあのモンスター達の名前か?」 ダイが動かないようにしっかりと抑えながらも、ポップは周囲に目を配るのを忘れてはいなかった。 それに荒野のように何もない風景では、いかに薄暗くても巨漢の影は一目で分かる。バラバラの方向から、数匹の影がゆっくりとこっちに近付いてきているのに、ポップはとっくに気がついていた。 「もんすた? ううん、あれは鬼だよ。気をつけて、ここは黄泉平坂なんだ……もし、鬼に掴まったら、そのまま地獄に連れて行かれてしまう……!」 正直な話、ポップには聞いた覚えのない固有名詞も混じった説明は分かりやすいとは言えなかった。 「鬼、ねえ? やれやれ、おとぎ話だけの存在かと思ってたのに、まさか本当にでっくわす日がくるとは思わなかったぜ。 東方伝説贔屓の師ならば、嬉々として自分の知っている蘊蓄を得意げに披露してくれただろう。 (鬼だとか、妖怪だとか、先生、好きだったものなー。 過去の自分の不真面目さを少しばかり後悔しつつも、ポップには迷いはなかった。 「あんな連中、おれが追い払ってやるよ。 そう言いながら、ポップは一端魔法を中断して立ち上がった。 「ポップ?! でも、ポップ一人じゃ……っ」 心配そうに叫んだダイが、起き上がろうとするよりも早くポップは釘を刺す。 「おっと、先に言っておくけど動くなよ。今動かれると、せっかくの魔法が台無しになるからな」 応急処置で血は止め、傷も一応は塞いだ。だが、それは本当に応急的なものであり、完全に怪我を回復させたわけではない。 (あ、こいつは竜の騎士じゃないかもしれないのか) 本物のダイとこの世界のダイを混同しかけていた自分に気がついて、ポップは苦笑してしまう。 だが、それでも。 「……ポップ……っ」 心底心配そうに、俯せの姿勢のままじっと自分を見上げている少年を、ポップはもう一度見つめた。 いつもよりもずっと幼い、勇者らしからぬ顔……本来の年相応に感じられる子供っぽさをみせるダイを安心させるため、ポップは意図的に軽く言った。 「心配すんなって、すぐに終わらせるからよ」 軽くウインクをしてから、ポップは敵に向き直った。 正確にいうのなら『こちら』ではなく、『ダイ』を、というべきか。 「わぁあっ?!」 鬼が上げる悲鳴と爆音に混じって聞こえる驚きの声は、ダイのものだ。 その反応に心が痛まないといえば嘘になるが、ポップは次々に連続して爆烈呪文を放った。 もはやダイの声どころか、敵の声すら聞こえない騒音に紛らせるように、ポップは叫んでいた。 「絶対、死なせない……!」 すでに、それはポップの中では譲れない決意として刻まれている。 それを無視することなど、ポップにはできない。 「失せやがれ……っ、てめえらになんかダイを渡してたまるもんかっ!!」 本心からの叫びと共に、ポップの渾身の魔法がその場に炸裂した――。
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