『天の川、地上の川 ー中編ー』

 

「なにすんだよっ、ダイッ?!」

 そう叫ぶポップは、怯えよりも混乱の方が強かった。
 いきなり突き付けられた敵意は、分かる。
 目の前にいる少年が、見たこともない怪物をナイフ一本で撃退した手腕も見ている。

 だが、相手がダイだと言うだけで、ポップの中から全ての警戒心は抜け落ちていた。本気でダイに攻撃されるだなんて、微塵も思えない。自分に向かって突き付けられたナイフが、そのまま自分を攻撃するなんて可能性すら頭をかすめなかった。

 だから、ポップはナイフなどほとんど気にしなかった。
 ただ、様子がおかしい親友の元に近付こうとポップは足を進める。
 それに対して怯えたように身を竦めたのは、ダイの方だった。

「近よるな……! それに、ダイ、なんて呼ぶな!」

 威嚇する態度とは裏腹に、そう叫ぶ声には懇願を思わせる悲痛さがあった。だから、威嚇などポップには気にならなかった。
 それよりも癪に障るのは、ダイが拒否を口にしていることの方だ。

「何言ってやがる、てめえはダイだろうがっ!」

「そ、それはそうだけどっ」

 軽い突っ込みについ口ごもるダイを見て、ポップは少し安心する。
 武器を手に威嚇してまで他人を拒否しようとしているのに、相手の言葉を否定できない真面目さ辺りが、ダイらしいと思ったからだ。

「なら、ダイをダイって呼んで、何が悪いんだよ。……ったく、何、そんなにピリピリしてんだよ、おまえらしくもない。
 ちったぁ、落ち着けよ」

 とにかく、ダイを落ち着かせればいい――ポップはそんな風に考えていた。
 ここがどこかは分からないが、初めて見る敵の存在や、ここまで神経を尖らせているダイの様子を見れば、過酷な環境だったことは容易に想像できる。
 他人を信じられない状況であったとしても、何の不思議もない。

 だからこそ、ダイの気をなだめようとポップはできる限りいつも通りの口調で声をかけたのだが、それはむしろ逆効果だった。

「だ、だまれっ、ポップの顔をして、ポップの声でおれをダイなんて呼ぶな!」

「なんだよ、そりゃあ?! だいたいだなぁ、ンなこと言ったって、この顔も声も生まれつきだっ!」

 優しくしようと決めたはずなのに、あまりにも強固に反発され続けるのに腹が立って、ポップはつい怒鳴り返してしまう。
 それに対するダイの反応もまた、予想外のものだった。

 怒鳴られた瞬間、ダイは傷ついたような表情を見せる。信頼していた人に苛められた、子供のような幼子のような表情を浮かべ  その顔のまま、泣き叫ぶような勢いで怒鳴った。

「なんで……本当に、なんでなんだよっ?! 顔だけじゃなくて、口調も、態度も……そんなに似てるのに……っ?! どうせポップのふりをするなら、もっとうまくやれよっ! この偽者め……っ!!」

「偽者ぉ? おれが?」

「そうだよ! ポップが飛べるわけ、ないじゃないか!」

「はぁ?」

 あまりにも予想外な否定の根拠に、ポップは呆気に取られてしまった。
 ポップ的には、そんな風に言われるだなんて言い掛かりもいいところだ。生きているからおまえは人間じゃない、と決め付けられたような理不尽すぎる言い分に、ポップは毒気を抜かれてしまう。

「お……おいおい、おれがトベルーラが得意なのは、おまえだって知ってるだろ」

「なんだよ、とべるーらって? だいたい、人間が飛べるわけないじゃないか」

 いかにも常識だと言わんばかりにダイに諭され、ポップは軽い屈辱感を味わう。

(うわっ、よりによって常識知らずのおまえだけには言われたかねーよっ!)

 そう言い返したくて堪らなかったが、それを辛うじて我慢できたのはようやく違和感に気がついたせいだ。

 目の前にいるのは、どう見てもダイだ。
 だが、服装や話す内容にどうもかけ違いというか微妙なずれがある。だが、その差は微妙であり、状況のせいで相手が混乱しているだけだと思おうと思えば、そう思い込める程度の差だった。

 だが、具体的に指摘できる違いにポップは今こそ気が付いてしまった。
 ダイが油断なく手にしたままの、ナイフ――赤い宝玉のついたナイフは、ポップもよく見慣れたパプニカのナイフそのものだ。

 しかし、それは有り得ない。
 ダイがレオナにもらって大切にしていたパプニカのナイフは、バランとの戦いの時に消滅した。

 その後でダイがもう一度レオナにもらったパプニカのナイフは、宝玉の色が緑だったはずだ。

「……ダイ……おまえ、なんでそのナイフを持っているんだよ? それは壊れたんじゃ……」

 その質問を口にした時には、ポップはすでに気がついていたのかもしれない。
 あまりにもダイとの再会を望んでいたからこそ、無意識に目を逸らしていた数々の違和感を、ポップが今まで磨き抜いてきた観察力は見落としてはいなかった。
 だからだろう――答えを聞く前からポップは不吉を感じていたし、それは外れなかった。


「……何を言ってるんだよ、ポップ?」

 当惑気味にそう聞き返すダイが、自分を『ポップ』と呼んだことを喜ぶ気持ちすら沸かなかった。
 ただ、不吉さばかりが膨れ上がっていく。

「じょ、冗談はやめよっ、おまえの冗談なんか笑えないんだよ! 忘れたなんて言うなよ、それ、姫さんからもらったナイフだろ?!」

 そうだと言ってほしい。いや、それ以外の答えなんか聞きたくもない。
 望んでいたのは、否定だけだった。
 切望のせいでほとんど悲鳴じみた質問に対して、返って来た答えが無情にもとどめを刺す。

「姫さんって、誰?」

 まるっきり思い当たらないとばかりに、目をきょとんとさせる表情はダイそのものだ。だが――ダイなら絶対に言わないであろう言葉に、ポップに与えた絶望が大きかった。
 そして、同時にポップの受けた衝撃は、ダイにも同じ痛みを与えたようだった。

「ポップこそ……っ、忘れちゃったのかよ?! これは大巫女様にいただいた守り刀だ。ポップが水を取ってきてくれて、レオナが宝玉をくれて、おじさんが鍛えてくれた刀じゃないか!
 そんなの、ポップが一番よく知っているはずじゃないか……っ!」

 ごく当たり前のように分け合っていた思い出が食い違っている――その意味に、ポップはやっと思い当たった。

 いや、本当は最初から薄々と気がついていたのかもしれない。だが、常識よりも期待を望む心が、なによりも親友を求める心が、真実から目を背けようとしていただけだ。
 しばしの沈黙の後、ポップはやっと真実の苦杯を受け入れる。

「……は、はははっ……、……そうだよな……ここは、異界なんだったよな……」

 できるなら笑い飛ばしたかったが、自分自身でさえ無理をしていると分かる程、声が震えて頼りないものになってしまう。
 異界――この世界とは似ていて、異なる世界。

 昔、アバンに習ったことある。
 パラレルワールドとか平行世界……確か、アバンはそんな風に教えてくれた。今、自分達が生きている世界とは別に、少しずつ違う世界が存在するのだと。
 そこに住む人達は自分達とそっくりのようでいて、違う存在なのだと教わった。

 わずかな選択肢の違いにより分岐し、全く違う様相を見せる世界。
 詳しくは忘れてしまったし、アバンお得意の夢に溢れたほら話と思って忘れかけていたが、今はその説明がやけに現実感を持って迫ってくる。

「そうだよな、ここは異界でおれの世界じゃない。こんな場所も、あの怪物も聞いたこともないし、衣装だってずいぶんと違う。
 そして、おまえは……おれの知っているダイじゃないんだな」

 自分に言い聞かせるためのポップの呟きを、ダイもまた聞いていた。
 ダイにそっくりでありながらダイではない少年は、すでにポップに敵意をなくしたのか、武器を身構えるのもやめて当惑の表情を浮かべている。

 その顔はおかしいぐらい、本物のダイにそっくりだった。ダイと一緒にアバンの授業を受けたポップには、何度となく見た顔だ。
 ダイには理解しにくい理論や説明を聞いている時に浮かべる表情、そのままだ。

「イカイとか、おまえの言ってること、よく分かんないよ。でも……」

 ぐにゃりと、ダイの表情が歪む。堪え難い苦痛に耐えるかのように、ダイは震える声で呟いた。

「…………………やっぱり、おまえはポップじゃないんだね……」

 その言葉と同時に、糸がふっつりと切れたようにダイの身体が崩れ落ちた。

「おっ、おいっ?!」

 慌てて、咄嗟にダイを支えたポップは、やっと気がついた。ダイの背中に深々と刻まれた傷跡に。
 巨大な獣の爪で抉られたような傷が、そこにはあった。

「おまえっ、いつから……っ?! これ、ひでえ怪我じゃねえか?!」

 まだ血の滴る傷跡は、かなり深いのだろう。
 それに青い着物を赤黒く染める染みの大きさを見れば、出血量の多さが分かる。
 いつからそれを我慢していたのか分からないが、この怪我を隠して敵と戦い、さらにはポップとのやり取りもこなしていたとは、あきれる程の意思の強さだ。

 これ程の怪我をしているのであれば、相当以上の激痛を感じているはずだし、意識を保っているだけでも難しいだろう。
 なのに、ダイはどこまでもダイらしかった。

「……はやく……逃げろ……。じゃないと……巻き添えになる……あいつらは、おれを狙っているから……っ」

 ダイを支えるポップの手を押しやろうとしながら、そう言う。すでに自力で立つ力すらなくしているくせに、それでも他人を庇うことを忘れてはいない。
 自分ではなく、ポップを心配しているその態度に、とても我慢なんかできなかった。

「この……っ、強情っぱりが!」

 ついさっき、ダイが『自分』に対して腹を立てた気持ちがよく分かる。
 本物ではないのに、本物の親友と見間違えるぐらいにそっくりすぎる――それが、どんなに心に痛みを与えるものなのか。

 嬉しくて嬉しくて堪らないのに、本物ではないという事実に胸を刻まれる。嬉しいのか、それとも苛立たしくて悲しいのか、まるっきり分からない混乱が込み上げてきて、とても平静でいられない。
 だが、一つだけはっきりしていることがあった。

「怪我人が余計な心配なんか、してるんじゃねえよ! いいからじっとしていろ!」

 叫びながら、ポップはダイをすばやく、だが丁寧に地面に横たえさせた。傷に触らないように俯せの姿勢に寝かせ、苦痛を与えないように気をつけながら手で触れる。
 そして、精神を集中させて魔法力を放った。

「……え?」

 暖かな光に照らされ、ダイが戸惑ったように瞬きする。

「な、なに、この光……っ?」

 その驚きの大きさに、ちくりと胸が痛む。本物のダイなら、ポップが回復魔法を使ったからと言ってここまで驚くはずもない。
 だが、このダイには初めて見るものなのか、驚きは大きかった。振り返ろうともがくダイの背を、ポップは軽く押さえつける。

「じっとしてろって言ったろ?
 安心しろよ、これは魔法の光だ。おまえの怪我を治して、体力を回復させる効果がある……だからじっとしてろって、じゃないと治るものも治らないんだよっ!」

 再び振り返りかけたダイを見て、ポップは今度は傷口の真上を抑えた。さっきより力を込めてしまったせいか、ダイが情けない声を上げる。

「い、いたたっ?! ち、治療にしては乱暴すぎない、これ?!」

「こーゆー魔法なんだから、しかたがないだろ! 痛いのぐらい我慢しろ! ほら動くなよ、おまえが動くと魔法がかけにくくなってこっちも迷惑だっつーの!」

 相手が回復魔法について無知なのをいいことに適当なことをいいつつ、強引にダイを押さえつけてポップは魔法に集中する。
 まさかそれが嘘とは知らないせいか、とりあえずダイはぴたりともがくのはやめた。だが、まだ落ち着かないように、ダイは目だけで周囲を見回していた。

「だけど……っ、まだ牛頭や馬頭がいるのにっ」

「ゴズにメズ? なんだよ、変な名前だなぁ、それってあのモンスター達の名前か?」

 ダイが動かないようにしっかりと抑えながらも、ポップは周囲に目を配るのを忘れてはいなかった。
 ダイやヒュンケルに比べれば気配を感じる力は劣っているとはいえ、ポップとて伊達に長い間アバンについて旅をしていたわけではない。

 それに荒野のように何もない風景では、いかに薄暗くても巨漢の影は一目で分かる。バラバラの方向から、数匹の影がゆっくりとこっちに近付いてきているのに、ポップはとっくに気がついていた。

「もんすた? ううん、あれは鬼だよ。気をつけて、ここは黄泉平坂なんだ……もし、鬼に掴まったら、そのまま地獄に連れて行かれてしまう……!」

 正直な話、ポップには聞いた覚えのない固有名詞も混じった説明は分かりやすいとは言えなかった。
 だが、やけに真剣に、親身になって忠告するダイの雰囲気から、敵の強さや危険度を推し量ることはできる。

「鬼、ねえ? やれやれ、おとぎ話だけの存在かと思ってたのに、まさか本当にでっくわす日がくるとは思わなかったぜ。
 もし、先生がここにいたら大喜びしただろうな」

 東方伝説贔屓の師ならば、嬉々として自分の知っている蘊蓄を得意げに披露してくれただろう。

(鬼だとか、妖怪だとか、先生、好きだったものなー。
 こんなことならとんだホラ話だと聞き流さないで、ちったぁ真面目に聞いておけばよかったかな?)

 過去の自分の不真面目さを少しばかり後悔しつつも、ポップには迷いはなかった。
 目の前にいるのが全く知識にない正体不明の怪物だからと言って、逃げる気なんて全くない。

「あんな連中、おれが追い払ってやるよ。
 だから、おまえはもうしばらくじっとしていな」

 そう言いながら、ポップは一端魔法を中断して立ち上がった。

「ポップ?! でも、ポップ一人じゃ……っ」

 心配そうに叫んだダイが、起き上がろうとするよりも早くポップは釘を刺す。

「おっと、先に言っておくけど動くなよ。今動かれると、せっかくの魔法が台無しになるからな」

 応急処置で血は止め、傷も一応は塞いだ。だが、それは本当に応急的なものであり、完全に怪我を回復させたわけではない。
 まだ痛みは残っているだろうし、なにより失血で失われた体力までは取り戻していない。
 いかに底知れぬ潜在能力を持つダイであっても、動ける状況じゃない――そう思ってから、ポップは気がついた。

(あ、こいつは竜の騎士じゃないかもしれないのか)

 本物のダイとこの世界のダイを混同しかけていた自分に気がついて、ポップは苦笑してしまう。
 目の前にいるのが、本物のダイではないとポップはもう知っている。

 だが、それでも。
 ここまでダイにそっくりな少年を見捨てるなど、ポップにできるはずもない。

「……ポップ……っ」

 心底心配そうに、俯せの姿勢のままじっと自分を見上げている少年を、ポップはもう一度見つめた。
 動きたくて堪らないのか、肩に妙に力が入っている。だが、ポップの脅しを頭から信じ込んでいるせいか、手をギュッと握り締めて我慢している姿が微笑ましくみえる。

 いつもよりもずっと幼い、勇者らしからぬ顔……本来の年相応に感じられる子供っぽさをみせるダイを安心させるため、ポップは意図的に軽く言った。

「心配すんなって、すぐに終わらせるからよ」

 軽くウインクをしてから、ポップは敵に向き直った。
 巨体の怪物達は、それぞれが見慣れない武器を、あるいは武器にも勝る爪の生えた豪腕をひけらかすかのように、ゆっくりとこちらの方へと向かってくるのが見える。

 正確にいうのなら『こちら』ではなく、『ダイ』を、というべきか。
 身構えているポップには見向きもせず、怪物達はダイにだけ注目している。
 その到着を待たずに、ポップは魔法を放つ。

「わぁあっ?!」

 鬼が上げる悲鳴と爆音に混じって聞こえる驚きの声は、ダイのものだ。
 本物のダイなら、見慣れたはずの爆烈呪文を信じられない奇跡でも見るように目を見開き、見入っている。

 その反応に心が痛まないといえば嘘になるが、ポップは次々に連続して爆烈呪文を放った。
 一つの呪文が消えないうちに続け様に唱えられる呪文が炸裂するせいで、凄まじいまでの光と爆音が響き渡る。

 もはやダイの声どころか、敵の声すら聞こえない騒音に紛らせるように、ポップは叫んでいた。

「絶対、死なせない……!」

 すでに、それはポップの中では譲れない決意として刻まれている。
 ダイを、助けたい。
 戦いの中でもずっと持ち続けていた思いは、戦いが終わってからなおさら強固なものとなった。

 それを無視することなど、ポップにはできない。
 たとえ本物でなかったとしても、自分とは無縁な異界の住人だったとしても、関係ない。 ダイを、助けたい――それがポップの本音だ。
 それを邪魔する者に対して、容赦なんかするつもりはない。

「失せやがれ……っ、てめえらになんかダイを渡してたまるもんかっ!!」

 本心からの叫びと共に、ポップの渾身の魔法がその場に炸裂した――。
                                    《続く》

 

後編に進む
前編に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system