『天の川、地上の川 ー後編ー』 |
「な? もう終わっただろ?」 と、得意そうにそう言いながらポップがダイのもとに戻ってくるまで、ものの数分とは掛からなかった。 傷一つ負うどころか、息すら乱さないままケロリとした顔で戻ってきたポップを、ダイは口をあんぐりと開けたまま見ていた。 「さ、治療の続きをしようぜ。もうちょっとの間、じっとしていろよ」 さっきの手当てで、一応は傷を塞いだ。だが、ダイの傷は背中のものだけではなかった。 よく見ればダイの身体は生傷、古傷問わずに傷だらけだった。ろくに手当てもしないまま自然治癒したと思える傷、もしくはその途中である傷も幾つもあった。 それに顔色の悪さや目の下に浮かんだクマを見れば、ダイが今までどんなに過酷な旅をしてきたのか、容易に想像がつく。 わずかに緑色を帯びた暖かな光を受けて、ダイがほうっと息をつく。 「すごいや……どんどん、身体が楽になる。なんか、夢でも見ているみたいだ」 「まっ、タナバタの夢、とでも思っておきゃあいいよ。おれもそう思うことにするしさ」 「たなばた……」 最初、不思議そうにそう呟いたダイを見て、もしかしてこのダイもタナバタは知らないのかとポップは思ったが、意外にもそれは裏切られた。 「ああ……もう、そんな季節だったんだね。すっかり忘れてた」 初めて、笑顔がダイの顔に浮かぶ。それはかすかなものだったし、どこか寂しそうな顔ではあったが、笑顔なのには変わりはなかった。 「七夕は……いつも、ポップと一緒に過ごしたんだよ」 「そうなのか」 「うん。 懐かしむように、そしてひどく嬉しそうにそう言うダイだったが、ぐったりとして身動きもできないままだったし、目は少しばかり焦点があってなかった。 出血のダメージもさることながら、これ程の怪我を負いつつ過酷な世界を旅してきた疲れは、決して少なくはないだろう。 それに回復魔法による急激な回復というものも、意外と身体や精神へ負担がかかるものだ。 「だるいんだったら、寝てていいぜ。一眠りして、目が覚めた時には身体が回復してるはずだからよ」 いかにも眠そうに目をとろんとさせているところや、口調があやふやな辺りを見れば、短い時間であっても眠った方がいいと思った。 「やだよ。だって、目を閉じてるぐらいなら、ポップの顔を見ていたいもん」 聞いている方が照れくさくなることを、さらっと言えてしまうストレートさは、ダイそのものだ。 「……おまえって、ホント、ダイそっくりだな。顔が似てる奴は、中身も似るものなのかねえ?」 ポップにしてみれば、それは治療の合間の暇潰しの軽口に過ぎなかった。 だが、そんな理屈など明らかに知らないらしいダイは、首を捻って生真面目に考えこんでしまった。 「うーん、どうだろ? 難しいことを考えている時の癖も共通しているのか、眉を寄せて一生懸命に考えている顔もダイにそっくりだ。 「でも、似てる。全然違うのに、すごくそっくりだよ」 「なんだよ、そりゃ?」 語彙が乏しいと言うか、言うことが少しばかり直球すぎて、ちょっと分かりにくい辺りも本物のダイとご同様のようだ。 「おれを助けてくれるとこ、よく似てる。 (おーおー、耳が痛いねえ) 自分が言われているわけじゃないと分かっていても、ポップはつい肩を竦めたいような気分にさせられてしまう。 「でも、ポップがおれが困った時や辛い時は、いつだって助けてくれるんだ。 そこで、言葉が唐突に途切れた。 「ポップは……おれを助けるために、奴に連れて行かれちゃったんだ」 ぽつり、と押し出された言葉は、すでにポップに語っている言葉ではなかった。 「もう、二度と戻れなくなるって分かっていたくせに、おれを庇って……っ。――だから、おれが助けに行かないと……っ!」 悔しさが滲み出ているその言葉を、ポップは無言のまま聞いていた。 「そうか……その気持ち、分かるぜ」 自分を庇って、いなくなった親友を助けたいと思う気持ち――それこそ、ポップが抱いているものと全く同じだ。 詳しい事情までは分からないが、この世界ではポップがダイを庇い、そしていなくなってしまったのだろう。 だが、それはいくらなんでも無茶がすぎるのではないだろうか。 なによりさっきダイの見せた辛そうな表情が、ポップの目に焼きついていた。 違うとは分かっているのに、それでもポップは力を込めて魔法の力を注ぎ続けることに専念する。 「あれ? おまえの身体……なんか、色が薄くなってない?」 「え?」 ダイに言われて自分の身体を見下ろし、ポップは魔法の輝きが薄れ始めたのに気が付いた。 慌てて魔法陣の方を振り返ると、空に浮かんでいる魔法の光も先程よりも幾分弱まっているのが見て取れる。 (やべ……っ、まずいかも) 真っ先に浮かんだのは、その危機感だった。 魔法陣とて、それは変わらない。 失われたら、もう一度作り出すのは不可能かもしれない……つまり、言い換えれば、あの魔法陣が消滅したらポップは二度と元の世界に帰れなくなる可能性が高い。 「そうか? 気のせいなんじゃねえの? あ、それとも魔法が決定的に足りてないのかな、特にここら辺が」 ことさら何でもないように言いながら、ポップはダイの頭を乱暴に撫でつつ、回復魔法の光を強める。 「ちょ……っ、ポップ、そこは最初からケガしてないよっ?!」 「ふうん、そうかー? なんか、中身が空っぽな手応えがするんだけどよ〜」 「えーっ?! なんだよ、それっ!!」 からかうとムキになるあたりもダイに似ていると実感しつつ、ポップはさりげなくダイの目の上に手を当てた。 「いいから、少し目を閉じていろよ。今、完全に回復させてやるからさ」 すでに八割程度は回復しているはずだが、ポップは治療途中でダイを放り出して慌てて魔法陣に戻る気にはなれなかった。 せめて、完治させるまでぐらいは手を貸してやりたい――そう思う。 わずか数分――だが、されど数分だ。 (……悪いな、ダイ。 目の前にいるダイではなく、自分の親友であるダイに向かって、ポップは心の中だけで囁きかける。 というか、絶対に戻らなければならない理由が、ポップにはある。 多少の危険を冒してでも、親友そっくりな――いや、違う世界のもう一人のダイを助けたいと思う。 「わっ?! な、なんだよ、急に、びっくりするじゃないか。おまえなぁ、回復魔法をかけおわるまでじっとしてろって、何度言えば分かるんだよ?!」 「ご、ごめん。でも、ずいぶん身体が楽になったから、ここらで一度場所移動しときたいと思って。 正直、ポップにしてみれば少しぐらい危険でも、この場にとどまってさっさと魔法をかけ続けたいところだが、なにしろここは異界だ。 「分かった。で、どっちに行けばいいんだ?」 「こっちだよ」 と、ダイはポップの手を引き、そのまま飛び上がった。これには、ポップも少なからず驚いた。 「なんだよ、おまえ飛べるのかよ?! さっき、人間が飛べるわけないとか言ってたじゃないか」 てっきり、この世界の人間は全般的に飛べないものかと思っていただけに、ポップの抗議はいささか八つ当たりっぽいものになる。 「うん、人間は飛べないよ。でも……おれは、人間じゃないから」 子供っぽい口調にそぐわない、どこか大人びた寂しげな表情にポップは一瞬、息を飲んだ。 「何言ってやがるんだよ、そんなのおまえが飛べるっつーだけだろ?! おれはな、飛べるけどれっきとした人間だっつーの。 理屈にすらなっていないポップの屁理屈を聞いて、ダイは少しばかり目を丸くし――それから笑った。 「……そんなとこまで、似てるんだね。 そう言いながら、ダイは空中でギュッとポップに抱きついてくる。力任せのその抱擁に、ポップはとりあえず文句を付けてみる。 「おい。これじゃ、飛びにくいっつーの」 飛翔呪文に基本的に視覚は関係がないとは言え、首の辺りに思いっきりしがみつかれたせいで、ダイの身体が邪魔して前が全く見えなくなった。 ダイの方がポップよりもずっと腕力があるせいで、力づくでこられると振りほどくのは難しい。ならば、抵抗するだけ体力のムダだとポップは敢えてもがこうとはしなかった。 それに、お人好しなダイは人が本気で嫌がることをするタイプじゃない。いつでも手放してもらえると思う安心感があるからこそ、ポップはダイの好きなようにさせていた。 なにより――ダイの抱擁も、ポップにとっては懐かしいものの一つだ。 「さっきは言わなかったけど、ポップって時々、すごく無茶なことをするんだ。 それはちょっと聞いただけならば、さっきまでダイが話していたもう一人のポップの話と大差はなかった。 「だから――ごめん。おまえのウソには、騙されないよ」 「――――?!」 いきなり明るいところへと放り出された違和感と、上下感覚すら分からない一瞬の浮遊感。 そのせいで、ポップは自力で飛ぶこともしないまま、突き飛ばされたいきおいのままで魔法陣の中へと飛ばされる。 つい一瞬前までは確かに触れ合っていた少年が、魔法陣の光の減少に合わせるように闇の中へ消えていく。 「助けてくれて、ありがとう」 最後に、その言葉が聞こえた気がした――ような気がしたのは、果たして現実か、それともポップの都合のいい幻想か。
と、ポップが叫んだのと、バシャッと派手な水音が上がったのは、どちらが先か。 「ゲ、ゲホッ、ゴホッ……ちくしょーっ、あの野郎、どこまでダイみたいな真似してくれるんだよ……っ?!」 何度も咳込み、ポップは激しく頭を振るって水滴を飛ばし、ついでに顔も拭く。特に、目の辺りを何度もこすっているのは、溺れかけた苦しさと悔しさのせいだ――少なくとも、ポップはそう思いたい。 やっと落ち着いて周囲を見回し、ポップはここが自分が元いた川だと気がついた。 天の川と地上の川が重なり合う奇跡の時間は、終わってしまった……ほとんど直観的だが、ポップは何となくそれを悟った。 それが分かるだけに、元の世界に戻れた喜びよりも、喪失感にも似た無念の方が強かった。 だが、夜風の冷たさは、水に濡れた身体には厳しすぎた。とても、現実を忘れてこの場に佇んではいられない。 「まあ……、そうだよな。あいつが正しいっていえば、正しいよな」 あの瞬間のダイは、正しかった。 それを思えば、それぞれが元の世界で、それぞれの親友を助けるのが筋というものだ。そんなのは、ポップにも分かっていた。 「……だからって、礼を言う気にはなれねーけどよ」 はっきり言って、ポップは黒の核晶から助けるためとはいえ、ダイに蹴飛ばされたことだって許しちゃいない。 (あいつ……あんなに、嬉しそうにしてたくせによ) じっと、自分を見つめ続けていたあのダイの目を、ポップは覚えていた。 あのダイがどこに行くつもりだったか知らないが、回復魔法や攻撃魔法を得意とするポップの手助けなら、絶対に役に立ったはずだ。 「だから、おまえは大バカ野郎だってんだよ……! ったく、ダイと名のつく奴は、どいつもこいつも大バカばっかりだ!!」 腹立ち紛れに罵りながら、とにかくポップはオーザム城に戻ろうとした。このままでは、夏だというのに冗談抜きで凍死してしまいそうだ。 だが、まだ懐に入れていた短冊に気が付いて、ポップは足を止めた。 少しだけ考え、ポップは素早くペンを短冊に走らせ、乾くのも待たずに船を折る。 「悪ィな。 無人島育ちでごく当たり前の常識すら知らないダイにとっては、きっと初めて聞く話に違いない。 全くの白紙の状態のダイは、何の偏見もなくごく自然に初めてのものを受け入れる。 ダイとの旅は、楽しかった。ダイと一緒にいるだけで、何気ない日常でさえどんなに新鮮味に溢れていた楽しい日々だったか。 「ダイ。おめえはどうだったろうな」 ポップがダイとの旅を楽しんだように、ダイもポップとの旅を楽しんでくれていたのなら、いい。 オーザム式のタナバタも悪くはないが、ポップにとってやはり印象深いのはアバンや母から聞いた方法だ。 秋には豊かな秋の実りを満喫しながら、収穫祭を楽しもう。食いしん坊な小さな勇者と一緒に、食べ物なんて見るのもイヤになるぐらい目一杯食べ歩きをしてみよう。
あの話を聞いた時から、ポップは春になったらダイのためにサプライズパーティを開いてやろうと決めていた。 誕生日パーティなんて知りもしない小さな勇者のために、その時にはみんなで盛大にダイの誕生日を祝おう。 大切な人が生まれてきた日を特別な一日として、他の祝日と同じか、それ以上にお祝いするものなのだと教えてやろう。そして、ポップや他の仲間達の誕生日も祝えと、プレゼントを強要してやる。 まあ、お子様な上に世間知らずで、しかもちょっとセンスがずれているダイのことだから、きっととんちんかんなプレゼントを大真面目に持ってきそうだが、それぐらいは大目に見てやってもいい。 魔王軍との戦いの時は過ごすことのできなかった四季折々を、細やかな日常を、今度こそダイと一緒に過ごすのだ。 「そうだよな……簡単な話じゃねえか」 自分に言い聞かせるように、ポップは低く呟く。 『順番通りじゃねえか……何が、おかしい?』 不可能への挑戦を微塵も感じさせない不敵さで未来を断じた魔法使いの少年は、今もその心を違えていない。 「おれは、生きている。 今にも途切れそうな、細く、困難な道なのは否定しない。 いや、信じる。信じ抜いて見せる。 いつか、自分の手で必ずかなえると堅く心に誓った願いは、すでにポップの中に深く根差している。 「おれの相棒は、おまえだけだ」 口に出して、ポップはその言葉をはっきりと自分に言い聞かせる。 そして、ポップを突き放したあのダイも、それは望んではいないだろう。 『もう一人のダイが、もう一人のおれと会えますように』 今年の短冊に、ポップはそう書いた。 だが、ポップはたった今自分が流した船の行方も、目で追わなかった。それをするのは、もう一人のダイとポップの役割だ。 『七夕は……いつも、ポップと一緒に過ごしたんだよ。 自分とは違う、タナバタの日の願いのかけ方。自分達とは違う形の、だがとても大切な日常が、きっと彼らの間にもあったのだろう。
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