『少し、重たい秘密 ー前編ー』 |
「ポップ……?!」 思わずそう呼びかけた自分の声が思っていたよりも大きく、心配そうな響きを帯びているのだと、ノヴァは一斉に集まった周囲の視線を見て悟った。 (しまった……!) 内心、ノヴァは舌打ちしたい気分だった。 だが、他国の城の中で素のままで振る舞うのは、いささかまずい。 だが、今のは明らかに失敗だった。 通常ならば、高位の文官が護衛を伴って馬車等を使って他国を訪れるのが普通だ。 火の車なんて生易しい物ではなく、赤字の上に赤字を重ねてもなお足りないぐらいの苦しいにも程のある財政であり、国として成立しているのが不思議なぐらいである。 当然ながら、余分な出費にかける費用なんて物はない。 護衛やら移送費用やらその他もろもろの雑費を省くために、白羽の矢を立てられたのがノヴァだった。 年齢の若さも、勇者一行の一員として最後の戦いに加わったという実績を考えれば問題はないと、判断されたのだ。 将軍の地位についているとはいえまだ若いノヴァには、軍事力はともかくとして政治力は皆無に等しい。 他国の王の前で、遺憾なく外交術を発揮出来る力量などありはしない。 失礼のない様、他国の王族への挨拶を何度も練習してきたと言うのに、謁見室に並んでいるロモス王や重職の面々の中に、知った顔を見つけてしまったのが失敗の元だった。 ましてや、賓客の名は大魔道士ポップ……世界有数の有名人であり、各国の王達が競う様に自国に招きたがっている重要人物だ。 ノヴァの祖国であるリンガイアを皮切りに、オーザム、カール、テランの国々を巡り、それぞれの復興に大きく助力したポップの功績を称える者は、大きい。 が、どんなに予習をしていても、咄嗟の時には素の反応が出てしまうらしい。 礼儀にうるさいリンガイアの貴族達の前でこんなミスを犯せば、よくて厳重注意、最悪の場合なら降格処分ものだ。 「なんだよ、ノヴァじゃねえか。久しぶりだな〜、元気だったか? おまえもここに用事だったなんて、奇遇だな」 人懐っこい笑顔で、親しげに話しかけてくるポップの口調。 「おお、遠路はるばるよく来てくれたねえ、ノヴァ君! 一度、君には会ってみたいと思っていたんだよ、なんといっても君は『北の勇者』だと評判だからねえ」 そう気さくに声をかけてくれたのは、ロモス王国の王たるシナナ王。 だが、その気さくさはノヴァにとっては大いな助けになった。おかげでその後はそう緊張することもなく、命じられた書簡を渡すことができたのだから。 「ありがとう、ノヴァ君。長旅でさぞ疲れただろうね、まずは客室でゆるりと寛ぐといい」
一見非常識と思えるポップのその申し出に対して、ロモス王はニコニコと人の善い笑みを浮かべながら快諾した。 「ああ、いいとも。ではポップ君、ノヴァ君、夕食の時間になったら迎えを差し向けるから、おなかを減らして待っていてくれよ」 (い、いいのかな、それで……) 傍らで聞いているノヴァの方が心配になるような庶民的なやりとりだが、大魔道士と王の会話を聞いて眉を潜める者など一人もいなかった。 その辺がロモス王国の国柄……と言うよりは、シナナ王の人徳と言うものだろうか。 だが、シナナ王にはそんな欠点など微塵も見られない。 「楽しみにしててくれて、いいよ。今日は、妻の自慢のシチューがメインだからね」 (愛妻家、というのも噂以上みたいだな) 普通の国ならば王妃自らが厨房に立つなどとは考えられないのだが、さすがは庶民派の王の后と言うべきか。
王間を出た回廊を歩きながら、ポップは聞く。 「いや……」 ――君、大丈夫なのかい? そう聞きかけた言葉を、ノヴァは辛うじて飲み込んだ。 「いや、なんでもないんだ。それよりさ――」 疑問は押し込めて適当な会話をしながら並んで歩きつつ、ノヴァは気がつかれないようにこっそりとポップの横顔を伺う。 (……噂より、ひどいみたいだな) 本人は余り意識していない様だが、ポップの噂は各国の王宮で簡単に耳に入る。なんと言っても勇者一行の一員であり、二代目大魔道士だ。 ノヴァはそれを、単に疲れが出たせいだろうと解釈していた。 ポップ本人は自分はたいしたことなんてしてないと言うが、彼の手柄なのは傍目からは明らかだ。 だが、休む間もなく留学し続け、復興に関わり始めてからすでに一年近く経つ……そろそろその疲れが溜まってきても、なんの不思議もない。 「ポップ、キミ、たまには実家に帰った方がいいんじゃないのかい?」 そう進めたのは、実家ならポップも気を緩めてのんびりと過ごせるのではないかと思ったからだ。 「んー、時々は帰ってるって」 「……嘘つきだな、キミは。言っておくけどね、その嘘はボクには通用しないよ。先週、ボクはジャンクさんと会ったばかりなんだ。キミ、ここ一年以上実家には帰ってないんだってね」 細やかな非難を込めてそう反論すると、ポップは大袈裟に顔をしかめた。 「げっ。……なんだよー、知ってたのかよ〜。ってことは、おまえはランカークスにしょっちゅう行ってるわけ?」 「そんなにしょっちゅうってわけでもないさ。せいぜい10日に一度、それも2、3日がやっとだよ。本当はもっと頻繁に行きたいんだけど、なかなか時間が取れなくてさ」 いくら瞬間移動呪文が使えるとはいえ、それだけで時間の余裕ができるわけではない。 将軍としての仕事は、一般の人間が思う以上に多いものである。ましてやノヴァは、最年少で将軍に着任した。 家柄上、魔王軍との戦いの直前に騎士隊長の任に就き、それなりの実績は上げてきたとはいえ、異例の大出世には違いない。 「そんだけ行ってりゃ充分だろ。で、そういやロン・ベルクさんは元気なのかよ? いまいち想像がつかないんだけどさ、鍛冶とかどんな風に教えてくれてるわけ?」 ちょっと意外なくらい、ポップはロン・ベルクの話に興味を示して聞いてくる。それに釣られるようにおしゃべりにつきあっていたノヴァだが、ポップの足取りがやけに遅いのに気が付き、話を切り上げにかかる。 「……って、そんな話は後でもいいだろ? それより、キミの部屋はどこだい?」 そう尋ねたのは、ポップを部屋に送っていこうと無意識に考えたせいだった。つい、ボディーガードとしての意識でこの魔法使いに接してしまう それは、ポップがリンガイアに留学していた時に、ノヴァの身に染み付いてしまった習慣だ。 「あー、いや、おれ、ちょっと散歩したいから、まだ部屋には戻らないよ。ノヴァの部屋は確か北東の客室とか言っていたから、あっちだぜ」 回廊の曲がり角でそう言いながら軽く手を振り、そそくさと立ち去ろうとしたポップの肩を、ノヴァはしっかと掴んだ。 「ちょっと待った!」 怪しい――そんな予感が、ひしひしとする。 なにせ相手は世界を救ってくれた英雄の一人だ、注意をするなんてためらわれるのか、大抵の者は遠慮をしてしまうらしい。 しかし元仲間の誼で、ノヴァはポップに正面きって注意をしたり、文句を言ったりするのに抵抗がなかった。 ポップのリンガイア留学が終わると同時に正式な任務は終了したはずだが、だからと言ってその意識まで完全に消滅するわけではない。 「いったい、どこに『散歩』に行く気なんだい? っていうか、キミが出かけることをロモス王や護衛兵達はちゃんと知っているんだろうね?」 詰問気味に問い詰めると、ポップが微妙に目を泳がせる。 「え、ああ、もちろん」 「……それも、嘘だろ。まったくキミって人は……! いったい、どこまで散歩に行くつもりなんだい? ポップがリンガイア留学中にやらかしてくれた騒動を苦々しく思い出しながら皮肉を言うと、彼はあからさまにギクッとした。 「い、いや〜、死の大地みたいなヤバいとこに行く気はないって! ただ、ちょーっと一人で見に行っておきたいところがあるんだよ。それにちゃんと夕食までには戻るからさ、なっ、見逃してくれって」 などと言いながら窓の方へとこそこそと後ずさるポップを、ノヴァは当然のことながら素直に見送る気なんかなかった。 「そんなわけにはいかないだろ! いったい、どこに行く気なんだい?」 ポップの腕を掴み、しっかりと彼の目を睨み付けながらノヴァは尋ねた。素直に答えなければ只ではおかないぞとの気迫を漲らせたその問い詰めに、ポップは溜め息を一つ付いてから肩を竦めた。 「だから、別に危険な所に行くわけじゃねえって。ただ、見物しておきたい廃坑があるだけだよ。 (……なんか、廃坑って物自体が安全とは言えない気がするけどね) 一抹の不安を感じつつも、ノヴァはポップの言葉を吟味するようにじっくりと考えていた。 使われなくなった廃坑や、それにまつわる古文書の数は多いだろう。 実際、ポップは古文書を読みあさった知識を元に、カール王国で一度は戦火のせいで失われたパデキアを見事に復活させた。 その功績を考えれば、ポップの意見は軽視すべきではないと思える。だが、ポップ一人が単独で動くのは賛成できなかった。 「だったら、先に陛下に奏上して正式な許可をもらってから調査すればいいじゃないか。 キミ一人で調査するよりもその方が効率的だろう?」 宮廷魔道士見習いの留学が名目ではあっても、各国がポップへ期待していることは実質的な国の復興への手助けだ。 ポップが願い出るのであれば、本来なら時間が掛かるような申請でも優先されるだろう。だが、ポップは首を横に振った。 「それは後で、きちんとやるって。でもさ……正式な調査団を組む前に、一つだけ確かめておきたいことがあるんだ」 それは小さな呟きにすぎない。だが、やけに真剣なその表情には、ノヴァは見覚えがあった。 仮にも、勇者一行の一員と見なされているノヴァは、世間で言われる二代目大魔道士ではなく、勇者ダイの隣に常にいた魔法使いだった頃からポップを知っている。 強い渇望の感じられる目。 本人は、自覚はないかもしれない。 『ダイに関係あることなのかい?』 聞くつもりだった言葉を、ノヴァは自分の中へ押し込める。 たとえ、どんなに可能性が薄かろうと、どんなに危険が待っていようと、関係がない。 勇者の魔法使いは、勇者を助けられる可能性がごくわずかにでもあるのなら、手間や苦労を厭わずに自分自身で確かめようとするだろう。 「――分かったよ。本当に、夕食までに戻るんだね?」 念を押すと、ポップが意外そうに目を見開く。 「え……っ、い、いいのかよ?」 「だって、キミは止めたってどうせ聞かないだろう? もし、ここでノヴァが無理やりにでもポップを止めたとしても、同じことだ。 「いやー、おまえ、なんか、しばらく会わないうちに話が分かるようになったじゃん! と、軽く手を振るついでにノヴァの手も振り払おうとしたポップの腕を、ノヴァはがっちりと掴み直す。 「ちょっと待て。後を引き受けるつもりはないよ。 どうせ止めることができない上に、勝手な行動をさせたならさせたで、その安否が気になって仕方がない相手――それぐらいなら、まだ自分も一緒についていった方がいい。 「ええーっ?!」
急かす様に背を押すノヴァに、ポップは戸惑いを隠せない。 「お、おいおいっ、おまえ、性格変わってるんじゃねえ?!」 いつになく慌てた風に見えるポップがおかしくて、ノヴァは内心、こっそりと笑いを噛み殺す。 (別に、そういうわけでもないんだけどね) 実際、ノヴァの個人的な感情や考えに従うなら、規則に則ってポップに抗議し、引き止めていただろう。 ノヴァの頭に浮かんだのは、今はここにいない小さな勇者。 「さあ、時間があまりないんだ。急いでくれよ」 「あ、ああ。……しゃーねえなぁ」 苦笑を一つ浮かべ、ポップはノヴァの手を掴んで瞬間移動呪文を唱えた――。
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