『少し、重たい秘密 ー中編ー』

 
「……思っていたよりもずっと、ひどい場所なんだな」

 思いっきり眉をしかめ、ノヴァは目の前にある『廃坑』を眺めやる。
 ノヴァの故郷リンガイアもそこそこ鉱山はある方だし、見学した経験がないわけではないが、これほどまでに荒んだ雰囲気の所を見るのは初めてだった。

 ポップの瞬間移動呪文で一度近くの場所まで移動し、後は飛翔呪文を使って辿り着いた坑道はちょっとした山の上にあった。
 現在は使われていない……というよりも、山自体も放っておかれているのだろう。

 一応入り口に板を張って塞がれてはいるが、それはひどくおざなりなものであり、しかも朽ちてボロボロになっていた。
 それでもまだ『国王命令により立ち入り禁止』と書かれた札の文字は、薄れ掛けてはいても読むことができる。

 しかし、ポップは全く気にする様子もなく、無造作に板を蹴飛ばしてどかすと、さっさと中に入ってしまう。

「ちょっと待ってくれよ、ボクが先を行くよ」

 洞窟探索の基本は、体力がある者を先頭に立てるのが基本だ。いくら腕が立つとは言っても、防御力の低い者が先陣を切るのは不用心過ぎる。
 ごく当然の様に、ノヴァはポップを追い抜いて先に立った。ノヴァにしてみれば当たり前と思える行動だが、それはポップには面白くはなかったらしい。

「ちぇっ、おまえまでヒュンケルみたいな真似しやがって……」

 などと文句をぼやきつつも、それでもポップはそれ以上の意地を張ることもなく、後ろをおとなしくついてきながら聞き慣れない呪文を唱える。
 途端に、薄暗かった洞窟内が光に満たされた。

「な、なんだい、これは?」

 驚いて、ノヴァは周囲を見回した。光といっても、眩いものではない。魔法を使う瞬間に放たれる輝きとも、また違っていた。
 まるで月明りの様に、夜を明るく照らすような優しい光が洞窟内全てを満たしていた。 その光の中で、ポップの得意げな表情がよく見える。

「これ、レミーラの呪文だよ。前に試しに契約してみたんだけど、案外使えるんだよな、これ」

 呪文の名前を聞いてから、ノヴァはやっと昔習ったことのある知識を思い出した。
 古代期は普通に使われていたものの現在では失われつつある呪文は数多いが、レミーラもその一つだ。

 洞窟など闇に閉ざされた場所を明るく照らしだす効果があり、松明よりもずっと光量が大きく広範囲に渡って作用する。
 しかも、一度唱えればその効力は長時間に及ぶ。

 だが、使用する魔法力そのものは微量にすぎないのに、発動には術者のセンスが必要とされる。
 飛翔呪文と同様に使い手が限られるせいか、あまり使われることのないまま廃れていった魔法である。

(相変わらずすごいな)

 ポップはヘラヘラと調子がよいだけの軽い少年の様に見えるが、見た目とは裏腹に、確かな知識と卓越した魔法センスを持ち合わせている。
 その点は、ノヴァも高く評価していた。だが――ノヴァは、明るくなった坑道を見て顔をしかめた。

「しかし、……外に輪を掛けて、中の道もひどいものだな」

 レミーラは、ランプや松明などとは比べ物にならないぐらいに周囲を明るく、そして広く照らしだす魔法だ。
 おかげで、本来なら気がつかなかったであろう坑道の荒れ果てた様子が、よーく見える。
 土が崩れてこない様に設置された木製の柱や支えが、朽ちてボロボロになっている図など、むしろ見えない方が気楽だったかもしれないとノヴァは密かに溜め息をついた。

「なにしろ、古いからなー。
 さっき、入り口を封鎖していたロモス王の名前も5代ぐらい昔の名前だったもんな」

 後ろの方から、ポップの気楽な声が聞こえる。
 あれだけ無造作に封印を破ったくせに、よくもまあそんな細かいところまで記憶し、なおかつ他国の王の歴史にまで精通しているものである。

「使われなくなってからもう数十年……いや、もしかすると数百年近くは経つんじゃないかな?
 足下と頭上と、毒ガスには気をつけた方がいいぜ」

(そこのどこが危険じゃないと言うんだ?!)

 心の底からそう怒鳴りたい衝動が込み上げたが、ノヴァはなんとかそれを堪えた。なにしろここまでボロボロの坑道では、大声で騒ぐなどの振動さえまずいかもしれない。
 とにかく、こんな危険な場所の捜索などさっさと終わらせるのが得策と、ノヴァは無言のまま歩を進めた。

 

 

 襲い来る怪物に対して、ノヴァの剣は目にも止まらぬ速度で一閃する。

「ヒギイィッ?!」

 計ったように正確に鼻先を掠めた剣に驚いたのか、怪物は奇妙な悲鳴を上げて逃げ出した。
 油断なくその後ろ姿を見送るノヴァの背後から、気の抜けた称賛の声がかけられる。

「ヒュ〜、やるじゃん! お見事、お見事」

 一応、言葉だけ聞くのなら褒められてはいるのだろう。だが、ぱちぱちとやる気のない拍手を添えられているせいもあり、むしろバカにされているとしか思えない。

(まったく、少しはキミも何かをしたらどうなんだ?!)

 喉元まで込み上げるその言葉をノヴァはクッと堪え、辛うじて飲み込んだ。
 気分的には言いたいのは山々だが、それではノヴァがここまでついてきた意味がなくなってしまう。

 ポップが一人で無茶をするのを防ぐために、ノヴァはわざわざこんな所までついてきたのだから。
 それに、正直言ってポップの手を借りる程の相手でもなかった。

 出会う怪物の種類や数こそは多いものの、そのほとんどが雑魚とも言える低レベルの怪物ばかりだ。
 正直、目をつぶっていても勝てる相手だった。
 ノヴァの剣の素早さと正確さをもってすれば、怪物を一刀両断にするなどたやすい。

 実際、少し前  まだ、ダイ達と出会う前のノヴァなら、そうしていただろう。
 だが、ノヴァは敢えて怪物を脅すだけにとどめ、追い払うことに専念していた。
 怪物の退治命令が出ているならともかく、そうでないのなら無益な殺生をしたいとは思えない。

 そんな心境になったのは、ダイやその仲間達の影響が大きい。
 勇者ダイの仲間の中には、怪物や元魔王軍なども含まれていた。最初はそれに驚き、警戒も感じたノヴァだったが、しばらくすると自分の中の警戒心がただの偏見だったと理解できる様になった。

 知能の高い怪物や魔族は、ほぼ人間と変わらない感情や思考を持っている。中には尊敬に値する相手もいるものだと、ノヴァが納得するまでそう時間はかからなかった。
 だからこそ、今となっては敵対しているわけでもない怪物をわざわざ殺したいとは思わない。

 確かめもしなかったが、ポップも同じ考えらしく、ノヴァが怪物を追い払っているだけなのを見ても一言も文句を言わない。

「それにしても、さっきから出てくる怪物がみんな雑魚ばっかりだよなー。記録だと、かなり強い怪物が出現したって話だから、もっと手強いのが出てくるかと思ったのに」

(そう思うのなら、キミも手伝えばいいだろう?!)

 と、口からはみ出そうになった感想を何とか堪え、ノヴァはポップに言い返す。

「だけど、それはもう随分昔の話なんだろう?」

「ああ、数百年前の話だし。当時の勇者がその怪物を倒した後、この坑道は封鎖されたって話なんだ」

「なら、いいことじゃないか」

 そうノヴァは思ったが  ポップはあからさまにがっかりしている様子だった。

「……ちょっとは強い怪物がいた方が、希望があったんだけどなー」

 ぽつりと呟かれた聞き捨てならない独り言に、ノヴァは思わず突っ込まずにはいられない。

「おい?! キミは何を期待しているんだ?!」

「あっ、いや、別にーっ。それより、えーと、今度はその三差路を一番左、だな」

 手にした古い羊皮紙を見ながら、わざとらしく話を逸らすポップをいまいましく思いながらもノヴァはそれでも律義に答えた。

「三差路? ここ、どう見ても道が二つしかないよ」

「え? あー、古い地図だからなー、後で道が塞がれたみたいだな。
 地図だとここら辺だから、ちょっと壁を崩してくれよ」

「お茶の時に砂糖を渡すみたいな言い方で、気軽なこと言わないでくれよっ?!」

「なんだよ、おまえならできるだろ? ほら、闘気技でぱーんっとさ」

「だから、簡単に言わないでくれったら、できることはできるけど、あれはあれで結構大変なんだよ!」

 などと言い争いをしつつ、ポップとノヴァは洞窟の奥へと向かっていった――。

 

 

「ここ……かい?」

 思わず息を潜めながら、ノヴァは『それ』を見つめる。
 『それ』は、明らかに異質な存在だった。
 廃鉱の奥、人間の手によって堀進められたのではなく、自然の洞窟部分と思える部分の最奥にぽつんと存在する、歪な闇。

 それはノヴァにとっては、初めて見るものだった。空気中に唐突に、三日月形の黒い闇が浮かび上がっている。そのせいで、ごく小さな黒い月が突然そこに現れたように見える。 しかし、その禍々しさはただ事とは思えなかった。

 ノヴァもそこそこ以上に魔法を使える自信があるが、その歪な闇から感じられる魔法力はいい方向のものとはとても思えない。
 不吉さをひしひしと感じさせる『それ』に近寄るなと、本能が警告を発している。
 だが、ノヴァ以上に魔法力が高いはずのポップはためらいすらしなかった。

「ああ……やっと見つけた」

 そう呟いて、ポップは無造作に近付いて歪な闇に触れようとする。見過ごすにはあまりに危険な行動を取る魔法使いを、ノヴァは慌てて止めた。

「おい、何をするつもりだ?! いきなり正体不明なものに触ろうだなんて、無茶なことはやめろ!」

「無茶じゃねえよっ、それにこれだって正体不明じゃねえよ! こいつは、空間の歪みなんだ……」

 ノヴァの制止にムッとした顔をしながらも、ポップの目は歪な闇から動かない。ひどく熱心に『それ』を見つめながら、ポップは早口に言った。

「ずっと、探していたんだ……こいつは魔界へと通じる穴なんだよ!
 めったにあることじゃないけど、地上と魔界の間に繋がる穴が出現することがあるんだ。ひどく不安定で出現期間も一定じゃないって聞いたけど、本当にあったんだ……!」

 興奮のせいか、ポップの顔は紅潮し、声は明らかにうわずっていた――。

 

 

(すげえ……! まさか、本当に見つけられるだなんて……!)

 強い興奮を、ポップは抑えきれなかった。
 魔界への情報を集める中で、ポップが最も熱心に調べているのはその行き方だ。
 地上から魔界へ行くのは、非常に困難だとされている。

 伝説では、地上と魔界、そして天界はそれぞれが行き来できないように厳重に封じられているとされている。
 三つの世界を自由に行き来できるのは、天界に属する者だけが持つ特権だ。

 しかし、魔界と地上の間にある封印は、天界のものと比べればいささか緩い。そのせいか、ところどころにこの二つの世界に繋がる空間の歪みが発生することがある。
 強大な魔法力と頑健な肉体を持った魔族ならば、場所と時間さえ選べば無理やりに空間の歪みを開き、そこを通り抜けることも可能だ。

 だが、人間のポップにはそれは不可能な方法だった。実行するには魔法力が絶対的に足りないし、仮に魔法力が足りたとしても肉体強度が足りなくて、空間の歪みを開いた瞬間に身体が引きちぎれてしまうだけだ。

 しかし  それでも、ポップは可能性を捨てきれなかった。
 空間の歪みは、いつ、どこで発生するのかは誰にも分からない。しかも、それは長持ちはしない場合が多い。

 ほとんどが偶発的に発生する物であり、しかも大抵の場合は数回使用すれば自動消滅……つまり、何かが数度通り抜ければ消えてしまう物なのだ。
 古い記録を調べてみると、ごくまれに魔界の怪物が地上に現れたり、人間が突然黒い闇に飲まれたっきり行方不明になった事件などが記されている。

 今まで誰も立証したことはないが、それらは空間の歪みに触れて世界を移動した事件……そう解釈できるのではないかと、ポップは前から考えていた。
 調べられる範囲で、ポップは空間の歪みに関係すると思われる伝承を徹底して洗ってみたのだが、残念なことに場所を特定できる物はほとんどなかった。

 それでも可能性が高そうな場所に幾度となく行ったこともあるが、すでに歪みは失われていて何もなかった。
 しかし――ポップは、ロモス王国の古い記録を見逃さなかった。

 とある鉱山の坑道で不気味な黒い月が出現し、そこから見たこともない怪物が出てきた。恐れおののいた人々はそこに至る道を塞ぎ、鉱山自体を廃棄した……そんな記録を見た時から、ポップはずっと疑いを持っていた。

 そしてその疑惑は、大きく外れてはいなかったようだ。
 まあ、正直言えば、この手の話はポップは今まで数十余りも読んできた。その中でも可能性の高そうなものを選んで実際に洞窟探索してきたものの、成果はゼロだった。

 そのせいもあって今回もどうせ空振りだろうと思ってたいした期待もせず、一応確かめるつもりできたのだが――本物の空間の歪みを発見したのは嬉しい驚きだった。
 初めて見る空間の歪みは、見た目以上の魔法力が感じられるものだったし、禍々しい気配に満ちている。

 近寄ってはいけないと、ピリピリと本能に警戒が走る。
 だが、その警戒心以上に、ポップには喜びの気持ちの方が強かった。

(ダイ……ッ!)

 ダイが魔界にいるのなら、魔界へと通じているはずのこの空間の歪みこそが、ダイに繋がる道となる。
 とてもじっとしていられず、ポップは手を伸ばさずにはいられない。
 だが、それを邪魔するのは後ろからポップをがっちりと押さえる手だった。

「ポップ! それに触るのはやめるんだっ、何かよくない気配がする!!」

 必死になって怒鳴りながらポップを引き止めるノヴァが、自分を心配してくれているのは理解できる。だが、今のポップにはそれは邪魔としか思えない。
 気持ちはありがたいと思うし、ここまでくるのに協力してくれたのには、感謝する。しかし、肝心要のところで邪魔をされるのはまったくもって嬉しくなかった。

「平気だって! いいから離せよっ、邪魔するなって!」

 もがいてノヴァの腕を振り切ろうとするものの、腕力ではポップよりもノヴァの方が上だった。
 絶対に離すものかと言う気迫を込め、ノヴァは怒りに満ちた目でまくし立ててくる。

「どこに平気だという根拠があるんだ?! だいたいキミが言ったんだろ、これが魔界に繋がっているって!
 まさか、一人でこっそり魔界に行く気だったのか、キミはっ?! ロモス留学中にいきなり行方不明になる気なのかいっ、そんな迷惑で人騒がせなことはやめるんだっ!」

 強くそう言われ、ポップはやっと正気を取り戻した。
 ダイと会えるかもしれないという可能性に目が眩んで我を忘れていたが――冷静に考えてみれば、ここでいきなり魔界に行くのはあまりにも無謀すぎる。

 理想を言うのなら、ポップだって単独で魔界に行くなんて無茶はしたくはない。できるのなら、仲間の協力やバックアップは欲しい。

 魔界へ行く手段も見つけられない状態では仲間達もあまり積極的に手を貸してはくれない上、ポップの無茶を諫めがちだったが、現実に行く道を見つけたのなら話は違ってくるだろう。

 アバンやマトリフは魔界でも通用するような知識を知っているだろうし、レオナやフローラは王族ならではの魔法道具を所持しているかもしれない。
 魔界から来たロン・ベルクには、もっと詳しい話を聞いておきたい。

 ラーハルトやヒム、それにクロコダインならば、人間と違って魔界へ行っても瘴気で身体がやられることもないはずだ。
 彼らの協力は、ぜひ欲しい。

 もちろん、危険があるだけにいろいろと反対されるのは目に見えているが、それでもポップ一人で無茶をするよりもずっと成功率が上がるはずだ。
 

 それを思えば、ポップだって一人で無理をするよりも、ちゃんと仲間の協力が欲しい。
 やむを得ない事情で一人で魔界に行くことになるならなったでしょうがないが、せめて当座の食料や水、最低限の装備ぐらいは用意しておきたい。いくらなんでも、武器も無しのまったくの手ぶら、着のみ着ままで魔界に行くのはあんまりではないか。

 できれば留学に一段落付いてから、それが無理でも最低限、せめて置き手紙ぐらいは残していくぐらいのつもりはある。……一応は。

「い、いや、こっそりと一人で魔界に行く気なんかは、ないって、今んとこ」

 ポップからすれば掛け値無しの本音だったのだが、ノヴァの疑わしそうな視線は強まる一方だった。

「だったら、なんで不自然にどもるんだい?」

「ホ、ホントだって! 今日はなんの準備もしてねえし、確かめに来ただけなんだよ。
 ここの空間の歪みがまだあるかどうか、をさ」

 やっと見つけた空間の歪みに我を忘れかけていたが、本来、ポップはここを確かめにきただけだ。
 魔界への道が開けていることを、ではない。
 魔界への道が閉ざされただろう事実を、だ。

 まだ十分に資源が残っているはずなのに封鎖された廃坑……それをもう一度発掘すれば、ロモス王国にとって有益になると思った。
 恐ろしい怪物が発生してくるから閉ざされたと言うのなら、その怪物さえいなくなれば再び利用するのに不都合はなくなる。

 古い文献を見た限りでは魔界からやってきた怪物はすでに倒されたようだし、もし別の怪物がまだいたとしてもポップの力でも倒せそうな種類だった。
 空間の歪みは不安定なものだし、時間が経つと自然に消えてしまう場合は多い。

 ダイを思えば、時空の歪みを発見した方がいいのはもちろんだが、駄目なら駄目でメリトがあった方がいい。
 ここに何もないと分かれば、安心してロモス王に古い坑道の再発掘を薦めることもできるし、空間の歪みの消息も確かめることができて一石二鳥だとポップは思っていたのだ。


「まさか、本当にまだ空間の歪みがあるとは思わなかったんだよ! 分かっていたら、おれだってもっとちゃんと準備してきたし、第一おまえを連れてこないで一人で来たよ!」


 心底の後悔を込めての言葉は、真実だっただけに説得力があったのか、今度はノヴァも信じたらしい。
 もっとも、北の勇者のしかめっ面はますます強いものになったが。

「まったく、キミって奴は……! 本当に、今日はボクが一緒でよかったよ。
 じゃあ、相談は後でゆっくりするとして今日はこのまま一度戻ろう。あまり遅くなると、ロモス王も心配されるだろうしね」

 そう言ってノヴァはそのままポップの腕を引いて歩きだそうとしたが、さすがにここでそのままはいそうですかと帰れない。

「ま、待ってくれよ、ノヴァ!
 帰る前に、一つだけ確かめさせてくれ!
この空間の歪みが本当に生きているかどうか……!」

「冗談じゃないよ、それでキミが魔界に言ってしまったら、ボクは戻ってみんなになんて言えばいいんだい?
 そんな危険なこと、絶対見過ごせるものか!」

 痛い程に腕に力を込められ強引に引きずられそうになり、ポップは慌てて首をブンブン振る。

「だから待てっつーの、別におれが今すぐ魔界に行くだなんて言ってない! 触らなくてもいいから、あれを魔法力で調べてみたいんだよ!!」

 ポップの知っている範囲の知識では、空間の歪みというものには魔法力が働いているものだ。
 魔法使いにとって、目の前のものにどの程度の魔法力が込められているのか関知するのは、そう難しいことではない。

 さすがに細かい仕組みや術式までは分からなかったとしても、魔法力の絶対量を感じ取ればその空間の歪みが今も起動可能なものかどうかぐらいは、見当を付けることができる。


「………………………仕方がないな。でも、あの歪みに近付かないようにしてくれよ」

 ノヴァが渋々許可を出し、やっと腕を離してくれた。
 だが、まだ信用できないとばかりにポップの側にぴったりとくっついているのがいささか癪に障るが、この際、些細なことにかまっている場合ではない。

 ノヴァの気が変わらないうちがチャンスとばかりに、ポップは手のひらに魔法力を集めながら、それを空間の歪みに向ける。
 途端に、手のひらを通じて強い魔法力を関知し始る。

 だが、それはずいぶんと不自然なものだった。
 ひどく澱んでいて、不安定で、少し触れただけなのにもかかわらず、ぐにゃりと不自然に歪む。

「……っ?!」

 その感覚に引きずられたのか急激な目まいが起こり、ポップは一瞬とはいえ立ち眩みを起こす。
 と、その瞬間を狙ったかのように空間の歪みがいきなり弾け、凄まじい光がポップを襲う。

「ポップッ?!」

 ノヴァの悲鳴じみた声と、腕が抜けそうな程引っ張られるのは同時だった。
 だが、それよりも早く、灼熱感がポップの胸を貫いていた。

「……ぐぁあっ?!」

 わずかに上がった鈍い声が自分の悲鳴だと、ポップはノヴァの腕の中でやっと気が付いた。
 ノヴァに腕を引っ張られたおかげで、辛うじてポップは光の直撃は躱したらしい。

 だが、それでも完全には避けきれなかったのか、胸元が大きく切れて血が滲みだしているのが見えた。
 不思議なもので、傷口を目の当たりにしてから初めて、じりじりと痛みを感じ始めていた。

「ポップ、ポップ?! 聞こえるかい、しっかりしろっ!!」

 ひどく焦ったノヴァの声がやけに遠くから聞こえるなと思いながら、ポップはそれに返事をすることができなかった。

(……ち…くしょう、こんな時に……っ)

 傷の痛みとは別に、覚えのある胸の疼痛が込み上げてくる。同時に、いきなり水の中に突き落とされたような息苦しさに、意識が遠のきかける。
 踏ん張ろうとしたものの、とても耐えきれずにポップはその場に倒れ込んだ――。
                                    《続く》

 


後編に続く
前編に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system