『少し、重たい秘密 ー後編ー』 |
「ポップッ?!」 魔法使いの少年の名を叫びながら、ノヴァは必死になってその身体を支えていた。だが、全く力の入っていない身体が、目を閉じたままの青ざめた顔が、返らない返事が、不安を掻き立てる。 (こんなことになるなんて……!) それは、一瞬のことだった。 咄嗟に危ないと感じ、ポップの腕を引っ張ったつもりだったが 一歩、遅かった。黒い歪みはその一撃と共に消えたが、一瞬の光は、ポップの胸を切り裂いていた。 超魔ゾンビと化したザボエラと戦った頃に感じた背筋が凍る程の悪寒が、ノヴァの身体を震わせていた。 油断していたつもりはない。実際、護衛としてノヴァがとっていた行動は概ね間違ってはいまい。 しかし、今は自分の未熟さを悔やんでいる場合ではない。ノヴァは震える手で、ポップの首筋に手を伸ばす。 「ポップ……ポップ、聞こえたら返事をしてくれ! ポップ!」 焦っているせいか、それとも動揺のせいか、首筋にあるはずの大動脈の位置を探し当てるのに手間取る。 (よかった、生きている……) 生存を確信してから、ノヴァは思い切って傷口に触れ、傷の深さを確かめる。 これなら、回復魔法をかければ確実に助かるだろう。 「ポップ! 起きるんだっ、目を覚ませっ!」 怪我人をこんな風に乱暴に扱うのに罪悪感を感じないでもなかったが、この状況ではそれがポップを助ける唯一の道だ。 しかしポップならば、意識さえ取り戻せば自分で自分に回復魔法が使える。 そう思ったからこそ心を鬼にして揺さぶった結果、ポップが呻き声を上げながら目を開けた。 「ポップ、気がついたかい?! いいかい、まずは自分で自分に回復魔法をかけて……」 そう言いかけた言葉を遮ったのは、ポップの咳き込みだった。
(まさか、肺まで傷が届いているのか?!) ポップの傷はそれ程深いようには見えなかったが、もし肺にまで達する様な重傷だとすれば話は根本的に変わってくる。 「しっかりするんだ……! 今、人を呼んでくるから」 言いながらノヴァはポップをできるだけそっと地面に下ろし、横向きに横たえさせる。 本当ならこのままポップを連れて迷宮脱出呪文を唱え、瞬間移動呪文で安全な場所に連れて行き、手当てを受けさせた方が早いのは分かっている。 だが、病人や怪我人を移動系の呪文で運ぶのは、よくないとされている。 重傷者の場合は看護をする者を連れてくる方が、ベストだ。しかし、立ち上がろうとしたノヴァの手を、弱々しい手が掴む。 「……へー…き、だ……からよ。少し、待てば……自分で、治せる……」 「そんな有様で、何を言っているんだよ?! そんなわけないだろ?!」 ここに10人の人がいたら、10人ともがノヴァに賛成するに違いないだろう事実を、ポップは首を振って否定する。 「自分で…治せ……る、から……行くな……!」 その言葉を信じたわけではない。 もうノヴァの手を握るのに回す力も無いのか、横倒しになった姿勢のまま咳き込むポップをとても放っておけず、ノヴァは彼の側に屈み込んだ。 ひどく苦しげなポップに対して何もできないが、せめて背を撫でずにはいられない。ゴツゴツした背骨をすぐ皮膚の下に感じる、痩せた身体付きが不安を煽るのを感じながら、ノヴァは馬鹿の一つ覚えの様に同じ言葉を繰り返した。 「ポップ……、ポップ、しっかりしてくれ」 聞いているだけでも胸が苦しくなる様な咳き込みは、幸い、長くは続かなかった。 「う…ぇー……ぜーー、はぁー……」 苦しそうに息をつきながらも、呼吸がある程度鎮まるのを待ってからポップは改めて自分の胸に手を当てて、小さく呪文を唱える。途端に柔らかい光が広がって、青ざめていたポップの顔色が格段に良くなった。 裂けた服の間から見えていた傷跡は見る見るうちに消え、新しい皮膚が再生されていく。瞬く間に、ポップの傷は完治していた。 「な、平気だって言ったろ?」 ニヤリと笑ってちょっと自慢そうに言ってのけるその調子のよさは、いつものポップのものだ。 「…………」 それを見て、ノヴァは大きく息をつくと同時にへなへなとその場に座り込んでいた。自分でも意識してはいなかったが、それだけ気を張っていたせいもあるし、安堵感で力が抜けたのだ。 が、そのまましばらく放心した様に座り込んでいたノヴァだったが、ポップが身体を起こそうとするのを見て正気に返った。 「お、おい?! さっき怪我したばかりなのに、まだ動いたりしては……」 怪我は治ったとはいえ、ポップの動きはいかにも鈍くて辛そうだ。それだけに押しとどめようとしたが、ポップときたらノヴァの手をうるさそうに払いのけながら周囲を見回す。
揚げ句にこの言いっぷりに、ノヴァがカチンとするのも無理もあるまい。 「そんなこと?! キミは今、死にかけたばっかりなんだぞっ、なのによくそんなことを言えるなっ?!」 心配させられた反動で、ノヴァの文句は自然にきついものになってしまう。その勢いに押されたのか、多少たじろぎつつもポップは取り繕う様な笑みを浮かべ、調子よく反論する。 「あ、いや〜、んな大袈裟な。死ぬって程の怪我じゃないんだし、第一もう治ったんだから、いーじゃん、な?」 「そう言う問題じゃないだろ! だいたいボクがあれほど言ったのに、あんな不気味で得体のしれないものに不用心に魔法を使ったりするからそんな目に遭ったんじゃないか!!」
一応謝ってはいるものの、どうにも誠意も反省も欠ける態度に目を釣り上げつつも、まだ動きの悪い身体をひねってあちこちを見回すポップを見て、ノヴァは溜め息をついた。 ざっと見ただけでもすでに周囲にあの闇が無いのが一目瞭然なのだが、ポップはまだ熱心にあの闇を探している。 ポップの諦めの悪さは、ノヴァもよく知っている。事実を教えなければ、彼はきっと納得しないだろう。 「……あれなら、さっき弾けて消えたよ」 怪我をしたポップには、見る余裕は無かったかもしれない。だが、ノヴァは一部始終を見ていた。 「え……」 それを聞いた途端、ポップの顔に浮かんだ表情もノヴァは見てしまった。 「そ……、そっかぁ、じゃあ、しかたがねえか。あーあ、今回も無駄足だったな。ちぇっ、こんなことなら昼寝でもしていた方がましだったぜ」 伏せた顔からは表情は伺えないが、いかにもポップらしいあっけらかんとした明るい口調だった。その言葉だけを聞いていたのなら、ノヴァもまんまと騙されてしまったかもしれない。 しかし、さっきの一瞬の表情を見てしまった後では、今のポップの言葉は空元気としか思えなかった。 「じゃ、帰るとしますかね」 と、立ち上がって伸びをして見せるポップは見事なまでにいつも通りで、先程の傷心ぶりを感じることはできない。 「あ、ああ。もう動いても、平気なのかい?」 それだけに気遣う言葉が出てしまうが、ポップは何事も無かった様に笑って見せた。 「ああ、へーきへーき。 もったいぶったポップの言葉に、ノヴァは即答した。 「ボクにできることなら」 普段なら、まず、ノヴァはすぐそうは答えなかっただろう。 それだけに、まず話を聞いてからでなければそうそう頷けるものではない。 「へえー」 ノヴァの返事が意外だったのか、ポップは一瞬きょとんとして、それからニヤリと笑う。
「なんだって?」 思わず、ノヴァは眉をしかめてしまう。 騎士の能力は戦いにこそ使われるべきであって、戦いや事件の解決を考える必要はない。それは、王の役割なのだから。 騎士は政治的な方面に関与する必要はないし、王の判断に従い戦いのみに全力を注げばいい……少なくとも、ノヴァはそう考えている。 「それは……賛成はできないな。王は、国内で起こった事件を知る権利と義務があると思わないか? 「かもな。 そう言うポップの口調は、穏やかだった。態度にも、動揺は見られない。 「つまり、ここはもう二度と空間の歪みなど発生しないんだぜ。 ポップのその言葉を最後まで聞き終え、ノヴァはしばし瞑目してから答えた。 「分かったよ……やっぱり賛成は、できないけどね」 常識的にはいろいろと問題がありそうな気もするが、ポップの判断自体はノヴァは間違ってるとは思わない。 実はロモスには魔界と人間界が通じている穴がありました、二代目大魔道士がそれを調べようとしたらいきなりその穴が破裂して重傷を負いました、なんて知らせは大騒動を起こすだけだ。しかも本人の怪我はすでに完治、穴も完全に塞がれています、では、対処もへったくれもあるまい。 それだけに、この件が露見すればポップの行動の方が問題視されることになるだろう。 本人の自覚はさておくとして、大魔道士ポップはいまや世界的な有名人であり、重要人物だ。 そんな彼が独断で危険なことをやらかした事実が表沙汰になるのは、あまりよろしくない騒ぎを引き起こす。 心配の感情から、ポップの行動に制限を加えようと考えるだろう。 なにより――さっきの傷ついたようなポップの表情が、忘れられない。 それを失って、ポップがどれ程傷ついたか……想像するのは難しくなかった。 「ボクはこの件を秘密にすると、誓うよ。北の勇者の名前に懸けてもいい」 生真面目に誓いの言葉を口にすると、ポップは途端にホッとしたような顔を見せる。 「ありがとな、助かるぜ」 そこで終わっていればよかったのだが、生憎そうはいかなかった。 「ついでに頼みたいんだけどよ、ノヴァ。このことは先生や姫さんには、内緒にしといてくんないかな?」 「…………えー?」 『ついで』と言うには大きすぎる隠匿に、ノヴァは露骨に顔をしかめずにはいられない。が、ポップは構わずにガンガンと押してきた。 「だって、あの二人に知らせたら間違いなく国際問題だぜ? ただでさえ長ったらしくて時間のかかる世界会議の時間を、これ以上長引かせたいのかよ?」 「いや、……ボクもそれはちょっと嫌だけどさ……」 立場上、ノヴァも戦後に世界会議に参加したことがあるが、それを光栄と思えたのはたった一度っきりで、そんな殊勝な気持ちなど今や綺麗に消え失せてしまった。 むしろ、時間がかかるだけの退屈なものとしか思えない。それを引き伸ばすようなことは、できるなら避けたい。
他国の国主とはいえ、ノヴァは大戦中に知り合った勇者一行への尊敬や信頼は深い。しかも、ポップはアバンの弟子であり、レオナとは一応兄弟弟子に当たる仲のはずだ。 こんな風にいささか無視のいい頼みごとでも引き受けてくれるだろうと、ノヴァでさえ信じられる。 「冗談! 姫さんに教えるなんて、論外だって!! んなことがバレたら、姫さんがどれ程怒りまくると思ってんだよ?!」 大袈裟に怯えて見せるポップに、ノヴァは首を傾げずにはいられない。 「……あのレオナ姫が、かい?」 ノヴァにとって、レオナ姫は尊敬のできる王族でありながら、ノヴァを仲間の一員と認めて気さくに話しかけてくれる相手だ。 レオナの怒りをぶつけられた経験が無いだけに、ポップの怯えようがピンとこないのである。 「ったく、猫を被った顔しか知らないって、幸せだよな〜。冗談じゃないって、姫さんってばマァムよりもずーっと性格きついんだよ。姫さんの説教を一度でも食らえば、おまえも意見がコロッと変わるぜ」 大戦中の経験から言って、マァムよりきつい女性がいるとは思えないけど と思ったものの、ノヴァはそれは口に出さずに別人を推薦した。 「なら、アバン様にお話したらいいじゃないか」 「いやだよ、そんなの。アバン先生は怒ったりはしないけど、心配を掛けたくないしさー。ほら、今はフローラ様が大切な時だろ?」 その意見には、ノヴァも同意せざるを得ない。 「…………そうだね。仕方がないか」 「後、ついでにヒュンケルの奴にも。あいつには、こんなの、ぜーったいに知られたくねえんだよっ!」 まあ、その気持ちはノヴァにも分からなくはない。 ダイに散々こだわり、意識しまくった過去を持つノヴァにしてみれば、そんなライバル心に振り回される意地は理解できる。 (……でも、なんでヒュンケルさんなのかは理解できないけどさ) 言ってはなんだが、ポップとヒュンケルでは比べようにも差があり過ぎる。 途方もなく無駄な意地を張っているなと些か呆れたものの、これも乗りかかった船だとノヴァは頷くことにした。 「……わかったよ。彼にも黙っておくよ」 「後、ロン・ベルクさんにも」 「先生にもかい?!」 「だって、ロン・ベルクさんに話したら、親父と母さんに筒抜けになっちまうじゃないか。さすがに、これ以上心配はかけたくねえよ」 その言い分が正論だと思えるだけに、ノヴァはこれにもしぶしぶ頷いた。 なにしろ、ノヴァにとってはジャンクやスティーヌは師匠の隣人であり、しょっちゅう顔を合わせて世話になっている相手だ。
などと、自分で自分で言い聞かせようとしているノヴァだが、ポップの方は遠慮というものが無かった。 「それと、マァムの奴もあれで結構心配性だしな、知られたくねえんだ。あ、おっさんにも内緒な、心配かけちまうだけだし。 「どれだけ秘密にしておきたいんだっ、キミはっ?!」 次々と知り合いの名前をあげまくるポップに呆れながら、ノヴァは自分で言い出したこととはいえ迂闊な誓いを立てたことを後悔したくなった。 ポップのことを思えば、むしろ約束を破って仲間に触れ回った方がよかったのかもしれないとさえ思えてくる程だ。 「まったく……! ほら、とりあえず肩を貸すから、リレミトで脱出してからロモスに戻ろう。ほら、しっかりと掴まってくれよ」 腹を立てつつ、ノヴァはポップの腕を強引に引っ張って自分の肩に回させる。姿勢を安定させてから、ノヴァは迷宮脱出呪文を唱えた――。
「ほら、ポップ、ちゃんと歩いてくれって!」 洞窟の入り口に飛んでいたノヴァは、肩を貸したポップを半ば引きずるように歩きだす。 なにしろ瞬間移動呪文は障害に弱く、移動軌道上に障害物があると失敗してしまう。 天井や樹木に頭をぶつけて落下、なんて無様な真似をしないためにも、空が見える地点まで移動する必要がある。 「って、そうせかすなよ、歩きにくいんだから! つーか……おまえさ、背、伸びた?」 と、ジト目で自分を見上げる少年を見下ろしている事実に、ノヴァは初めて気が付いた。 ノヴァがポップに肩を貸したのは、これが初めてじゃない。魔王軍との戦いの中、海で遭難したポップを救出した時も、こうやって肩を貸した覚えがある。 あの時は、ポップとノヴァの間にそれ程の体格の差はなかった。だから肩を貸すのもやりやすかったが、あの時に比べて今の方がやり難さを感じるのはポップがふらついているのが原因ではない。 「やっぱ、背ェ伸びてるよ、絶対! それになんかよ、おまえって肩幅も前よりずっとたくましい感じになってねえ?!」 やけにムキになって、食ってかかる様にいってくるポップに、ノヴァは呆れずにはいられない。 「そりゃあ成長期だし」 背が伸びるなんて、ごく当たり前の自然現象にケチをつけられても困る。が、ポップはとんでもない不公平にでっ食わした様に膨れてみせる。 「だからって、いつの間に……っ。ちぇっ、おまえばっかりずりいな〜」 「何いっているんだよ、キミだって成長期だろ」 「そりゃあそうだけどよ〜 」 いちゃもんをつけるチンピラのようなチープさでぶつくさと文句をいっていたポップが、そこで突然ぷっつりと黙り込んだ不自然さにノヴァは気が付かなかった。 何より、ついさっきポップから預けられたばかりの秘密の重さに気を取られていたノヴァは、新しい秘密には気がつかなかった。 「ほら、ルーラを唱えるからちゃんと掴まっていてくれよ。さっさと戻って、その服を何とかしないと」 黙ったままのポップを不思議に思うこともなく、ノヴァは移動呪文魔法を唱えた――。
貴重な鉱石が豊富に取れる鉱脈はロモスにとって大きな益を運ぶものであり、魔王軍の攻撃によって荒らされた国を復興させるどころか、国をさらに大きく発展させる源となった。 そのためロモスの歴史書には、救国の英雄として二代目大魔道士ポップの名が刻まれることになるが、それは少し先の話である――。 《後書き》 ポップのロモス王国留学編のエピソードの一つです♪ 留学中の話はまだ少ないのですが、ポップはこんな調子で各国を留学してはその国の復興を手助けしていたという感じで考えています。 しかし、その手伝いをする羽目になったノヴァ君、なんだかすごく重い秘密を抱えこまされることになった気が(笑) 多分、普通の王族っぽく見合いだと思うんですが、見合いの場で会った時から相手が気に入って、それから静かで穏やかな、だが確実な愛を育んできたのではないかと予測っ。 彼は善良な王様であるのと同時に、良き夫、良き父親なイメージを持っています♪
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