『死神の贈り物 ー前編ー』 |
月明りの下、ポップは音もなくそこに下り立った。 ここはパプニカの岬だ。 後になって聞いたが、ここはレオナの両親がことのほか好んでいた場所だと言う。 ダイの剣を記念のように飾ってあるこの場所は、多くの人々が勇者を慕って訪れる場所だ。 レオナはよく、人の来ることのない早朝の時間を狙って三賢者や近衛兵と共にダイの剣を見にくるが、ポップはそれとは逆に夜中に一人で来ることが多かった。
この剣は常にレオナが部下に命じて定期的に光を確認させており、何か異常があった際は即座に仲間達に連絡するいう手筈が約束されている。 何の変化もない赤い光は、いつだって安堵を感じさせてくれる。 「やあ、魔法使いクン。グッドイブニ〜ング。ずいぶんとお元気そうじゃないか♪」 陽気で気さく、なおかつフレンドリーな挨拶に、ポップは露骨に顔をしかめて声の方を見やる。 いかにも親しげな口調で話しかけてくる相手は、確かに知り合いではある。だが、ポップ的には二度と顔を合わせたくもない相手だった。 「てめえの面なんざ、見たくもねえよ。とっとと失せやがれ」 心の底から本気で、これ以上できない程つっけんどんにそう言ったにもかかわらず、相手は楽しげに笑いながら軽やかな足取りで近付いてくる。 空中に忽然と姿を表し、あたかも踊るような足取りで崖の方へ向かって歩いて来る黒づくめの道化師は、笑みの形に張りついた仮面の下からくぐもった笑い声を立てる。 「おやおや、ツレないねェ〜。せっかく、またキミに会いに来たというのにさ。 そう言いながら、道化師はわざとらしい芝居掛かった仕草でポップの目の前にある剣を指し示した。 その剣が、ただの剣ではないことはポップが一番良く知っている。伝説の金属オリハルコンで作られた、勇者の剣……ダイのためだけに作られた特別な剣がどれ程の威力を持ち、また、信じられない程の頑強さや再生能力を備えているかも承知している。 正直な話、単純に防御力を比べるのであればこの剣の方がポップよりも遥かに強いだろう。 「おっと、そう警戒することはないよ。ボクは別に、勇者クンの剣になんか興味はないからね。 しゃあしゃあとそう言うキルバーンが、わざと自分の神経を煽っていると分かっていても苛立つ気持ちが抑えられない。 その一心でポップは必死になってダイを探しているが、いまだにそれが果たせないでいる。 それを知っていながら、この癪に障る死神がヌケヌケとそう言うのは、自分に対する挑発であり罠だと分かりきっていてもむかつく気持ちに変わりはない。 「それにしても、ここもすっかりと草ぼうぼうになったものだね。ククッ、人間なんてほーんと忘れっぽいものだよねえ〜。 (ホントに嫌な野郎だぜ……!) 歯がみしたい気分で、ポップはキルバーンを睨みつける。 だが、迂闊には手を出せない相手でもあった。 (この野郎……何を考えていやがる?) 大戦の最後に死んだと思われていたこの死神は、ポップの前にひょっこりと姿を表したのは、つい最近のことだ。 体調を崩し、寝込んでいるポップの元に訪れたのだ。パプニカ王国の幽閉室という、侵入しにくい場所だったにもかかわらずたやすくやってきたキルバーンは、さんざん思わせぶりなことを言った揚げ句、予想外にあっさりと引き下がっていった。 その後、再襲撃を予測してポップの周辺の警備は強化されポップ本人も警戒していたが、キルバーンが再び姿を表すことはなかった。 「そんなに怖い顔をしないでくれよ。ボクが今日来たのは、キミにプレゼントがあるからさ。 「へーえ、花でもくれるってのか?」 「いやいや、すぐに枯れてしまう花なんかよりも、もっと良いモノさ。 そう言いながらキルバーンが差し出したのは、小さな砂時計のようなものだった。 「……なんだよ、それ?」 そのデザインはポップの記憶にはない。 「キミは知らないかな、時の砂を?」 「それなら知っているぜ、時間を一定時間だけ巻き戻せるって魔法道具だろ。 時の砂――かつては実在していたが、現在は失われてしまった魔法道具であり、伝説と呼ばれる幻の魔法道具の一つだ。 「そりゃあそうさ、これは時の砂なんてチンケなアイテムとはものが違う。 かつての大魔王の名に、ポップはわずかに眉を潜めたがそれは嫌悪のせいではなかった。 むしろ、バーンの名のせいでいっそう信憑性が増したと言ってもいい。 バーンの凄まじいまでの強さや魔法力、彼の動かした鬼岩城やバーンパレスを思えば、どんな奇想天外な魔法道具だったとしても有り得ないと笑い飛ばすことなんてできない。 それだけに、否応もなくポップの意識はその魔法道具に引きつけられてしまう。 「これには『時遡の砂』が封じ込められている……フフフ、これで遡れる時間は、一定時間なんてケチなものじゃないさ。
その葛藤の前には、敵を前にしている緊張感や警戒心すら薄れる。 ポップの脳裏を占めているのは、『やり直せる』という言葉だけだった。 「このアイテムを使えば、人生をやり直せると言っても過言ではないだろうね。 (試したくないか、だって?!) 分かりきったことなど聞くなと怒鳴りたくなるような衝動を、ポップは必死で耐えていた。 目覚める度にいまだに胸を痛め、なぜ自分はあの時、もっと違う行動を取らなかったのだろうと思い返さずにはいられない過去が。 「……………………」 狡猾な死神は、最低限の説明をした後は珍しくも沈黙を保ったままで手を差し延べている。 言葉を尽くして説得するよりも、この沈黙の方がよほどポップに対しては効果があると確信しているかのように。 ごくり、と喉が鳴る。 それに、古代期の魔法道具は威力が強いのと引き換えに、代償も大きい。本人が命を落とすどころの危険ではすまない発動条件を持つ魔法道具など、いくらでもある。 なにより、ポップ自身の勘も強く訴えていた。 だが、その勘さえ捩じ伏せて感情が叫ぶ。 ポップがよろめいた分、近付いてきたキルバーンがどうぞとばかりに手を差し伸べてくる。 「ククク……ッ、さあ、どうするかい、魔法使いクン……?」 さっきよりもよほど近くに差し延べられた小さな砂時計に、ポップはおずおずと手を差し出していた。
「……っ?!」 次の瞬間、ポップは身を切るような風に晒されていた。 咄嗟にそのまま攻撃を仕掛けそうになったが、ピクリとも動かない道化師の反対側にダイの姿を見つけて、心臓が跳ね上がるのを感じた。 「ダイ……ッ」 ボロボロになったしまった服や傷だらけの身体は、彼が今まで激戦を行っていたのだと如実に示していた。 (少しも変わってないんだな……いや、当たり前か) 戦いが終わってからと言うもの、ポップは一年半の間ずっとダイを探していた。 だが、それも当たり前だろう。今は、『別れる前』なのだから。 だからこそポップは、無言のまま何かを思い詰めているような顔をしているダイに向かって、なんとか手を伸ばす。 「……ポップ?」 驚いたようにこちらを見る親友の顔が、ひどく嬉しく思える自分に呆れながらポップは言った。 「なあ、ダイ。おまえが何を考えてるか、当ててやろうか。 心底驚いたようにぎょっと目を見張るダイの顔を見て、ポップは耐えきれずに笑ってしまう。 「このままおまえと一緒に、ってんならそれもいいって思ったけど……でも、おまえは納得しねえんだろうな。 あの時も、そうだった。 おそらく、何度繰り返したとしてもそれは変わらない。 だから――やり直すことができるのであれば、違う手段を取ろうと決めていた。 「だから……おまえは、みんなのところに帰れよ、ダイ」 触れあう手に、ポップは自分に残った残り少ない魔法力を込める。 「ポ、ポップッ?! 何をっ?!」 驚愕の声を上げたダイの身体が、そのままずり落ちる。慌ててダイはキルバーンの身体を掴もうとしたようだが、急激な魔法力の低下のせいで目眩のする身体では自由が利かない。 驚愕の表情のまま、掴もうとした指がそのまま離れ、ダイが落下する。
ちらりとそう思ったが、そんな余裕がないのはポップが一番よく分かっていた。ここは、ダイをうまく落とせただけでもよしとすべきだろう。 飛翔呪文を使えなくなれば、当然落下するより他に道はない。この高さからの落下は命に関わるが、ポップはその心配はしていなかった。 (これで、いいんだ……) やっと、安堵感が込み上げてきた。 ポップが本当に望んだのは、ダイの生還なのだから。 昏睡から目覚めた時のみんなのあの表情を、ポップは忘れたことはない。誰もが、ひどく暗い表情をしていた。疲れきったような顔をして、焦燥の色が濃かった。 あの時から、ずっと思っていた。 どちらか一人しか戻れないのだとすれば、ダイが戻るべきだった――あの時からずっと思い続けていた後悔をやっと払拭できた気がして、この上ない満足感を味わう。
仕返しに、最後にダイを一発殴るか、蹴り落とすかしてやりたかったが、残念ながらポップにはそれだけの力はない。 爆破の脈動の感じられる死神の抜け殻を、ポップはしっかりと抱え直す。 「ポップ?! やめろぉおおおお――っ!!」 遠くで、ダイの叫んだ声が聞こえた……ような気がした――。
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