『死神の贈り物 ー前編ー』

 

 月明りの下、ポップは音もなくそこに下り立った。
 崖の先端に突き立った、一本の剣の前に。

 ここはパプニカの岬だ。
 城からそう遠くない場所にあるこの岬は昼間は海を一望することが出来るし、パプニカの町並みを一目で眺めることのできる絶景ポイントだ。

 後になって聞いたが、ここはレオナの両親がことのほか好んでいた場所だと言う。
 レオナはその場所を選んで、ダイの剣を設置した。いつか、ダイが戻ってくる時に目印になる様に、と。
 だが、残念ながらその願いは未だに叶っていない。

 ダイの剣を記念のように飾ってあるこの場所は、多くの人々が勇者を慕って訪れる場所だ。
 しかし、さすがに深夜に近いこの時間に剣を見にくる物好きなどいやしない。

 レオナはよく、人の来ることのない早朝の時間を狙って三賢者や近衛兵と共にダイの剣を見にくるが、ポップはそれとは逆に夜中に一人で来ることが多かった。
 剣の宝玉が赤く光っているのを確かめて、ポップは無意識に安堵の笑みを浮かべていた。


 その光は、勇者の生存を証明している。剣の制作者であるロン・ベルクが保証したのだ、ダイの命が有る限りその宝玉の光が消えることはない、と。
 それを知っているからこそ、仲間達は時折ここを訪れては宝玉の光を確かめにくる。

 この剣は常にレオナが部下に命じて定期的に光を確認させており、何か異常があった際は即座に仲間達に連絡するいう手筈が約束されている。
 だが、そうと分かっていても、やっぱり自分自身の目でダイの無事を確かめたいと思うのが、仲間というものだ。

 何の変化もない赤い光は、いつだって安堵を感じさせてくれる。
 その宝玉に触れようとポップが手を伸ばし掛けた時、その声が聞こえてきた。

「やあ、魔法使いクン。グッドイブニ〜ング。ずいぶんとお元気そうじゃないか♪」

 陽気で気さく、なおかつフレンドリーな挨拶に、ポップは露骨に顔をしかめて声の方を見やる。
 細い三日月の光の下でも、相手の顔の判別ぐらいはできる。

 いかにも親しげな口調で話しかけてくる相手は、確かに知り合いではある。だが、ポップ的には二度と顔を合わせたくもない相手だった。

「てめえの面なんざ、見たくもねえよ。とっとと失せやがれ」

 心の底から本気で、これ以上できない程つっけんどんにそう言ったにもかかわらず、相手は楽しげに笑いながら軽やかな足取りで近付いてくる。
 だが、そのわざとらしい足取りさえも癪に障る。その足は、よくよく見れば地面についてはいなかった。

 空中に忽然と姿を表し、あたかも踊るような足取りで崖の方へ向かって歩いて来る黒づくめの道化師は、笑みの形に張りついた仮面の下からくぐもった笑い声を立てる。

「おやおや、ツレないねェ〜。せっかく、またキミに会いに来たというのにさ。
 もう少しは愛想よくできないものかねえ? 物も言わないその剣に対しては、そんな風に熱心に会いに来る癖にね」

 そう言いながら、道化師はわざとらしい芝居掛かった仕草でポップの目の前にある剣を指し示した。
 それは、別に攻撃を意図したものではない。だが、何とも言えぬ不快感を感じて、ポップは剣を庇うような位置に立った。

 その剣が、ただの剣ではないことはポップが一番良く知っている。伝説の金属オリハルコンで作られた、勇者の剣……ダイのためだけに作られた特別な剣がどれ程の威力を持ち、また、信じられない程の頑強さや再生能力を備えているかも承知している。

 正直な話、単純に防御力を比べるのであればこの剣の方がポップよりも遥かに強いだろう。
 だが、それでもポップはダイの剣を庇わずにはいられない。
 この剣こそが、今のところダイに繋がる立った一つの手掛かりなのだから――。

「おっと、そう警戒することはないよ。ボクは別に、勇者クンの剣になんか興味はないからね。
 会いたければ何時だって彼本人に会えるし」

 しゃあしゃあとそう言うキルバーンが、わざと自分の神経を煽っていると分かっていても苛立つ気持ちが抑えられない。
 ダイに、会いたい。

 その一心でポップは必死になってダイを探しているが、いまだにそれが果たせないでいる。

 それを知っていながら、この癪に障る死神がヌケヌケとそう言うのは、自分に対する挑発であり罠だと分かりきっていてもむかつく気持ちに変わりはない。
 が、キルバーンときたら、人の神経を逆撫でする腕に関しては超一級品だった。

「それにしても、ここもすっかりと草ぼうぼうになったものだね。ククッ、人間なんてほーんと忘れっぽいものだよねえ〜。
 最初こそは大袈裟に勇者に感謝しても、すぐにそれを忘れちゃうんだから」

(ホントに嫌な野郎だぜ……!)

 歯がみしたい気分で、ポップはキルバーンを睨みつける。
 癪に障るという点で計るなら、ヒュンケルと僅差で争う相手ではあるが、油断のならなさという点ではぶっちぎりでポップ内の敵リストのトップだ。

 だが、迂闊には手を出せない相手でもあった。
 ふざけた言動や人をからかう態度とは裏腹に、キルバーンは凄腕の暗殺者だ。魔王軍の軍団長さえ恐れる殺し屋は、悪辣な罠を得意とする策士でもある。

(この野郎……何を考えていやがる?)

 大戦の最後に死んだと思われていたこの死神は、ポップの前にひょっこりと姿を表したのは、つい最近のことだ。

 体調を崩し、寝込んでいるポップの元に訪れたのだ。パプニカ王国の幽閉室という、侵入しにくい場所だったにもかかわらずたやすくやってきたキルバーンは、さんざん思わせぶりなことを言った揚げ句、予想外にあっさりと引き下がっていった。

 その後、再襲撃を予測してポップの周辺の警備は強化されポップ本人も警戒していたが、キルバーンが再び姿を表すことはなかった。
 しかし、たまに一人で城を抜け出した途端、これである。
 どうやらこの死神は、ポップが一人になる時を執念深く狙っていたらしい。

「そんなに怖い顔をしないでくれよ。ボクが今日来たのは、キミにプレゼントがあるからさ。
 この前のお見舞いでは手ぶらだったしね」

「へーえ、花でもくれるってのか?」

「いやいや、すぐに枯れてしまう花なんかよりも、もっと良いモノさ。
 ほら……どうぞ、ご遠慮なく。
 快気祝いのプレゼントとでも思ってくれればいいよ」

 そう言いながらキルバーンが差し出したのは、小さな砂時計のようなものだった。
 手のひらの上に乗る程の大きさのごく小さな砂時計は、やけに凝ったデザインの物だった。

「……なんだよ、それ?」

 そのデザインはポップの記憶にはない。
 だが、凄まじいまでの魔法力が感じられることから、それが魔法道具……それも、おそらくは古代期に作られたものだという推察はできる。
 果たして、その予感は外れなかった。

「キミは知らないかな、時の砂を?」

「それなら知っているぜ、時間を一定時間だけ巻き戻せるって魔法道具だろ。
 けど、そいつは見た目も違うじゃねえか」

 時の砂――かつては実在していたが、現在は失われてしまった魔法道具であり、伝説と呼ばれる幻の魔法道具の一つだ。
 本物は見たことはなくとも文献では時折扱われているだけに、ポップにも知識はある。
 だが、目の前にある砂時計はポップの知っている時の砂に似ているようで、全然デザインや砂の色合いが違う。

「そりゃあそうさ、これは時の砂なんてチンケなアイテムとはものが違う。
 これはバーン様が秘蔵していた魔法道具の一つなのさ」

 かつての大魔王の名に、ポップはわずかに眉を潜めたがそれは嫌悪のせいではなかった。 むしろ、バーンの名のせいでいっそう信憑性が増したと言ってもいい。

 バーンの凄まじいまでの強さや魔法力、彼の動かした鬼岩城やバーンパレスを思えば、どんな奇想天外な魔法道具だったとしても有り得ないと笑い飛ばすことなんてできない。 それだけに、否応もなくポップの意識はその魔法道具に引きつけられてしまう。

「これには『時遡の砂』が封じ込められている……フフフ、これで遡れる時間は、一定時間なんてケチなものじゃないさ。
 何年……いや、これに秘められている魔力から言って、何十年、何百年もの年月でも遡れるだろうねえ。
 その本人がもっとも後悔している時間まで遡り、そこからやり直すための道具なのさ」


 さも楽しそうにそう言ってのけるキルバーンの言葉を、否定する余裕すらポップにはなかった。
 そんなバカなと思う気持ちと、そうであって欲しいと切望する気持ちが、同時に込み上げてくる。

 その葛藤の前には、敵を前にしている緊張感や警戒心すら薄れる。
 キルバーンの話など聞かず、さっさと逃げた方が得策だと考えていたことすら、すでにポップの意識にはなかった。

 ポップの脳裏を占めているのは、『やり直せる』という言葉だけだった。
 その熱意や迷いを見透かしているかのように、キルバーンは仮面の奥から妖しく笑みをのぞかせる。

「このアイテムを使えば、人生をやり直せると言っても過言ではないだろうね。
 どうだい?
 試したくはないかい?」

(試したくないか、だって?!)

 分かりきったことなど聞くなと怒鳴りたくなるような衝動を、ポップは必死で耐えていた。
 時を遡って、人生をやり直したい――全く、それを望まない人間がいるものだろうか?
 ましてや強い後悔を胸に抱くものなら、なおさらだ。夜も昼も、決して忘れることのできない後悔がポップの中にはある。
 何度も繰り返して、見る夢がある。

 目覚める度にいまだに胸を痛め、なぜ自分はあの時、もっと違う行動を取らなかったのだろうと思い返さずにはいられない過去が。
 夢の中でさえ、やり直すことのできない過去  それを現実のものにできると囁かれるのは、想像を絶する以上の誘惑だった。

「……………………」

 狡猾な死神は、最低限の説明をした後は珍しくも沈黙を保ったままで手を差し延べている。
 ポップが望めば、すぐにそれを手に取れる程、近くに。

 言葉を尽くして説得するよりも、この沈黙の方がよほどポップに対しては効果があると確信しているかのように。
 それは実際に効果絶大だった。

 ごくり、と喉が鳴る。
 理性では、これがいかに危険なことかは理解していた。
 キルバーンが、よりによってダイと引き裂かれるきっかけを作ったあの残忍な死神が、ポップに対して有利になるような贈り物をするだなんて到底思えない。

 それに、古代期の魔法道具は威力が強いのと引き換えに、代償も大きい。本人が命を落とすどころの危険ではすまない発動条件を持つ魔法道具など、いくらでもある。
 伝説によれば、些細な好奇心から使った魔法道具のせいで一国が一夜で消し飛んだという言い伝えすらあるぐらいだ。

 なにより、ポップ自身の勘も強く訴えていた。
 これはヤバい代物だ、と。
 今まで何度となくポップを救ってきた持ち前の勘が、激しく警鐘を鳴らす。

 だが、その勘さえ捩じ伏せて感情が叫ぶ。
   それでもいいから、やり直したい、と。
 目も眩むような葛藤のせいか、ふらついたポップは縋るように手近なものにすがりつく。手が僅かに痛んだが、それを確かめる余裕などポップにはなかった。

 ポップがよろめいた分、近付いてきたキルバーンがどうぞとばかりに手を差し伸べてくる。

「ククク……ッ、さあ、どうするかい、魔法使いクン……?」

 さっきよりもよほど近くに差し延べられた小さな砂時計に、ポップはおずおずと手を差し出していた。
 その瞬間、赤い光が強く輝いた――。

 

 

「……っ?!」

 次の瞬間、ポップは身を切るような風に晒されていた。
 自分一人では到底出せない速度で空を飛んでいるのだと気がつくまで、瞬き一つ。
 そして、自分が抱きかかえているものがよりによってキルバーンだと知ってギョッとする。

 咄嗟にそのまま攻撃を仕掛けそうになったが、ピクリとも動かない道化師の反対側にダイの姿を見つけて、心臓が跳ね上がるのを感じた。

「ダイ……ッ」

 ボロボロになったしまった服や傷だらけの身体は、彼が今まで激戦を行っていたのだと如実に示していた。
 忘れもしない勇者を再び見ることができて、それだけで歓喜が込み上げてくる。

(少しも変わってないんだな……いや、当たり前か)

 戦いが終わってからと言うもの、ポップは一年半の間ずっとダイを探していた。
 伸び盛りの年齢であるはずのダイは、今頃は成長しているだろうかとあれこれと予測もしていたが、今、目の前にいるダイは少しも変わっていない。
 別れた時、あの時のままだ。

 だが、それも当たり前だろう。今は、『別れる前』なのだから。
 幼い顔には似つかわしくない、険しい表情でまっすぐに前を睨みつけているダイが、何を考えているのか――今のポップは知っている。
 そして、彼がどんな結論をだすかも、すでに知っている。

 だからこそポップは、無言のまま何かを思い詰めているような顔をしているダイに向かって、なんとか手を伸ばす。
 危険極まりない人形を手放さないようにしっかりとキルバーンを掴んでいるダイの手に、軽く手を触れさせた。

「……ポップ?」

 驚いたようにこちらを見る親友の顔が、ひどく嬉しく思える自分に呆れながらポップは言った。

「なあ、ダイ。おまえが何を考えてるか、当ててやろうか。
 おまえ……おれを蹴り落とす気だろ?」

 心底驚いたようにぎょっと目を見張るダイの顔を見て、ポップは耐えきれずに笑ってしまう。
 このバカ正直な勇者ときたら、思っていることがそのまま顔に出てしまうタイプだ。

「このままおまえと一緒に、ってんならそれもいいって思ったけど……でも、おまえは納得しねえんだろうな。
 おまえってバカで頑固だからよ」

 あの時も、そうだった。
 ポップはダイと一緒ならば、あのまま爆弾に巻き込まれても構わないと思ったが、ダイはそうではなかった。

 おそらく、何度繰り返したとしてもそれは変わらない。
 どう誘おうが、説得しようが、懇願しようが、ダイの気を変えさせることはできないだろうと、ポップはとっくに諦めていた。

 だから――やり直すことができるのであれば、違う手段を取ろうと決めていた。

「だから……おまえは、みんなのところに帰れよ、ダイ」

 触れあう手に、ポップは自分に残った残り少ない魔法力を込める。
 いや――吸い取る、と言った方が正解かもしれない。

「ポ、ポップッ?! 何をっ?!」

 驚愕の声を上げたダイの身体が、そのままずり落ちる。慌ててダイはキルバーンの身体を掴もうとしたようだが、急激な魔法力の低下のせいで目眩のする身体では自由が利かない。

 驚愕の表情のまま、掴もうとした指がそのまま離れ、ダイが落下する。
 より力と速度を込めて飛び上がったポップと落下するダイは、一瞬で遠ざかっていた。


(惜しいな。どんな面したのか、見たかったけどな)

 ちらりとそう思ったが、そんな余裕がないのはポップが一番よく分かっていた。ここは、ダイをうまく落とせただけでもよしとすべきだろう。
 魔力吸収――マホトラの呪文は油断していたダイには効果覿面だったようだ。

 飛翔呪文を使えなくなれば、当然落下するより他に道はない。この高さからの落下は命に関わるが、ポップはその心配はしていなかった。
 下には、仲間達がいる。
 彼らがいれば、必ずダイを助けてくれるだろう。

(これで、いいんだ……)

 やっと、安堵感が込み上げてきた。
 一緒に死ぬ夢は、果たされなかった。やり直してもそれは叶えられなかったが、まあ、別にそれはいい。

 ポップが本当に望んだのは、ダイの生還なのだから。
 ダイが戻ってこなかった時の絶望や、みんなの嘆きは、嫌という程身に染みている。
 ダイがいなくなった直後から、ポップはずっと昏睡してしまっていた。いなくなったダイを探すこともできず、ただただ、呑気に寝くたばっているしかできなかったのだ。

 昏睡から目覚めた時のみんなのあの表情を、ポップは忘れたことはない。誰もが、ひどく暗い表情をしていた。疲れきったような顔をして、焦燥の色が濃かった。
 あの勝ち気なマァムが、不安そうに泣きじゃくっていたのが忘れられない。

 あの時から、ずっと思っていた。
 もし、戻ってきたのが自分ではなくダイだったのなら、みんながあんな顔をすることはなかっただろう、と。

 どちらか一人しか戻れないのだとすれば、ダイが戻るべきだった――あの時からずっと思い続けていた後悔をやっと払拭できた気がして、この上ない満足感を味わう。


(これでいいんだ、これで……)

 仕返しに、最後にダイを一発殴るか、蹴り落とすかしてやりたかったが、残念ながらポップにはそれだけの力はない。
 それに、もう、その時間もなかった。

 爆破の脈動の感じられる死神の抜け殻を、ポップはしっかりと抱え直す。
 覚悟は、もうできている。
 ただ、あまり痛くないといいなと思いながらポップは目を閉じた。

「ポップ?! やめろぉおおおお――っ!!」

 遠くで、ダイの叫んだ声が聞こえた……ような気がした――。
                                    《続く》

 

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