『死神の贈り物 ー後編ー』

 

 見開いたポップの目の前に、赤い色が広がる。倒れる怪物の身体から噴き上がる、生命の源である赤は鮮やかなまでにその場を濡らす。
 思わず身を引きたくなるような血飛沫は、しかし、ポップの身体には一滴もかからなかった。

 だが、その血は怪物を切ったばかりの戦士の身体を、剣を濡らしていた。
 耳を塞ぎたくなるような奇声をあげて倒れる怪物に、返り血を浴びた戦士は続け様に剣を振るう。
 迷うことなく一太刀で怪物の首を切り落とした戦士は  アバンだった。

(アバン先生……っ?!)

 胸が詰まって、声にならなかった。
 どうせ声を出そうとしたところで言葉にはならないのは分かっていたが、それ以上に何を言っていいのか分からない。

 アバンの今の姿は、それだけポップには衝撃的だった。
 服もぼろぼろで、新旧の返り血のせいで斑に染まったアバンはトレードマークの眼鏡さえかけてはいなかった。

 どうせ伊達の眼鏡だから無くてもよいといえばその通りだが、いつもアバンはその眼鏡をかけ、丁寧に髪もセットするのが常だった。
 だが、今のアバンは身なりを整えるだけのゆとりも無いのだろう。

 とっくにカールの取れた髪は素のままで肩に垂れ下がり、無精髭すらそのままだ。身嗜みに熱心なアバンを知っているだけに、今の格好のひどさに驚かずにはいられない。
 それ以上に驚かされたのは、アバンの戦い方そのものだった。

 一匹を屠ったアバンは、返す刀をそのまま一閃し、周囲にいる怪物達を威嚇する。威嚇だけで済まされず、怪物に少なからぬ傷を負わせたのか人外の悲鳴が続け様に上がるが、アバンの動きは止まらなかった。
 その迷いの無い動きが、ポップの目には信じられないものとして映る。

 ポップの知っている限り、アバンはこんな風に容赦のない戦い方をする人ではなかった。 無意味な殺生を嫌う心の優しい師は、怪物と戦う際は確実に倒すよりも追い払うことを目的とする人だった。

 そのアバンが、ここまでなりふり構わない格好で相手を気遣う余裕も無い戦いを強いられている。
 そうしなければならないほど、ここにいる怪物は強敵のようだ。

 見覚えのない怪物達は、最後の戦いでザボエラが呼んだ魔界の怪物達にどこか似ていた。 そして、数える気にもならないぐらいに溢れ返っている怪物達の様子は、尋常では無かった。

 どことなく覚えのある感覚に、ポップは古い記憶を辿り……思い出す。初めてダイに会った日、デルムリン島で暴れていた怪物達と似ている。
 劣勢の中、孤軍奮闘のままで戦い続けるアバンの姿に、ポップが感じた焦燥感は並のものじゃなかった。

 もし、身体が自由に動くのなら。
 アバンを助けたいと心の底から思うのに、ポップは目の前の出来事に何一つ関与はできない。ただ、黙って見ているしかできなかった。

(先生っ、危ないっ!)

 アバンの背後に怪物の爪が迫る瞬間を見て、ポップの心は悲鳴を上げる。だが、それを言葉として発することはおろか、目を閉じることすらポップにはできなかった――。

 シュッ。

 しかし、風を切る音が響き、アバンのすぐ背後にいた怪物が崩れ落ちる。

「大丈夫ですか、アバン殿?」

 その声と、見上げるような巨体に、ポップは泣き出したくなるような安堵感を覚えた。 獣王クロコダインが、そこにいた。
 だが、安堵はすぐに戸惑いと驚きに変わる。

(お、おっさん、その腕はっ?!)

 叫んだつもりの声も、言葉にはならない。
 見上げるような巨体はそのままだし、その顔に浮かぶ不敵な笑みも以前のままだ。だが、クロコダインの身体にはポップの見た記憶のない傷跡が古傷として幾つも刻まれ、なにより片腕がなくなっていた……!

 隻眼隻椀となりながらも、クロコダインは危なげのない斧捌きで怪物達を倒していく。アバンとの協力もあって、彼らがなんとか怪物達の群れを殲滅した。
 だが、それが楽な戦いでは無かったのは一目瞭然だ。

 幾つもの生傷を負い、肩で息をしながらも勝利を収めた二人は、血糊のついた武器を持ったまま少し離れた岩影へと移動する。
 ちょうど戦場からは死角となる位置の岩影に隠れていたのは、ぐったりと横たわっている老人とそれを看護する少女だった。

(マァム?!)

 血に染まった武闘着姿のマァムは、青ざめた顔で必死になって老人の身体に両手を当て、回復魔法を送り込んでいる。

 マァム自身もかすり傷を負っているのに、彼女はそれを気にすることもなくただひらすらに倒れている人の手当てに専念していた。
 そんなマァムに向かって、アバンが何気なくかけた言葉は衝撃的だった。

「ノヴァ君の容体はどうですか?」

(え……っ?!)

 ポップは目を剥かずにはいられなかった。
 げっそりとこけ、尖った頬骨がやけに目立つ顔や、痩せ衰えた手足、白髪となった髪や艶のない皮膚……それらはどう見ても年老いた人間のものとしか見えない。

 だが、骨と皮ばかりに痩せこけてしまっているものの、よくよく見ればその皮膚には老人特有の皺はない。
 なによりも、横たわる人物には確かに見覚えがあった。

(ノヴァ……!!)

 ノヴァは、ポップよりも一つ上なだけだ。なのに、こんなに数十才も一気に年を取ったかのように衰えているのが信じられない。呆然とするばかりのポップの前で、マァムが暗い声で呟く。

「……今回も、命は助かりました。でも、こんなことを続けていればいずれ……」

 堅い声とは裏腹に、今にも泣き出しそうな表情をするマァムに、アバンやクロコダインはただ、沈黙している。
 重苦しい空気の中、足音が近付いてきた。一瞬身構えかけたアバン達だが、それが味方物と知り、力を抜く。

「大丈夫ですか、チウ君」

 大ネズミと金属生命体であるヒムの姿の凸凹コンビを見て、一瞬頬を緩めかけたポップだが、すぐにそれは消え失せた。
 堅く強張り、ひどく辛そうに歪んでいるチウの顔を見てしまったから――。

「え、ええ、ぼくは平気です。でも、隊員25号と31号が……」

 平気と答えるチウだが、その毛並みにべったりと血がついているのが見える。ボロボロになったその身体が、生傷だらけなのは一目で分かった。
 だが、チウは自分の傷になど見向きもしなかった。

「彼らを、地に帰してやらないと……」

 ヒムが両手に抱えた、小柄な怪物二体をチウは辛そうに見つめている。ぴくりとも動かないその怪物達が生きていないのは、一目で理解できた。
 ポップには見覚えがない怪物達だが、チウが隊員と呼ぶ以上、彼の部下となった怪物なのだろう。

 見た目によらず男気に溢れるチウが、どれほど部下を大事にしているか知っているだけに、今のチウを見ているのはポップには辛かった。
 それは、ヒムにとっても同じだったらしい。

「隊長さんは休んでいていいぜ、オレがやっておくからよ」

 丁寧に怪物の遺体を地に下ろし、その辺の瓦礫を拾って地面に穴を掘り始めるヒムだが、チウは頑固だった。

「いや、これは隊長であるぼくの責任だ。ぼくの命令で、彼らは勇敢に戦って命を懸けてまで任務を全うしたんだ。
 その任に報いるのが、隊長の役割だ。だから……ぼくがやる」

 疲れきっておぼつかない手で穴を掘り始めるチウを、もう誰も止めなかった。彼の隣に並んで、クロコダインも穴を掘るのを手伝う。

「どれ、オレも手伝おう」

 墓穴を掘る、陰鬱な音だけがその場に響く。
 熾烈な戦いを終えたのに、その後に安らぎがあるどころかこれほどまでに辛く、休まらない休憩しか取れない仲間達。その姿にポップが呆然としていたのは、それほど長い時間ではなかった。

 驚きが薄れれば、それは怒りへと取って変わる。理不尽すぎる『現実』に対して、吹き上がるような憤りが込み上げてきた。

 平和になったはずの世界になぜこれほど強力な怪物達が溢れ返り、なぜアバン達がここまで身体を張って戦わなければならないのか――それはポップには分からない。
 だが、理由など知らなくても、この現実だけで打ちのめされてしまいそうだった。

(なんで……なんで、だよ……っ?!)

 幸せになる、はずだった。
 アバンはフローラと結ばれ、カール王となるはずだった。
 王という地位がアバンにとってそう魅力のあるものとは思わないが、フローラと一緒にいる時のアバンはこの上なく幸せそうだった。

 我が子を自慢するアバンの手放しの親馬鹿ぶりを見る度に、先生の幸せを実感してポップまで嬉しくなった。

 クロコダインだって、そうだ。
 あの人のよい獣王は、チウと共にロモス王国に仕えて魔の森を警護しつつ、人と怪物の交流の掛け橋になってくれた。

 ポップも忙しいせいでめったに会えないが、会う度にクロコダインは持ち前の豪快な笑顔を見せてくれたし、いちいち突っ掛かってくるチウとケンカをするのも楽しかった。

 遊撃隊だって、そうだ。
 チウが率いる獣王遊撃隊は、まるで子供が兵士ごっこをして遊んでいるような微笑ましさがあり、会いに行く度に新メンバーを紹介されるのが楽しみだった。
 増えるのを望みこそすれ、減るだなんて思いもしなかった。

 普段はデルムリン島にいるヒムだって、ぼやきつつも何だかんだ言ってチウの手助けをしてやる姿は、それなりに楽しそうだった。
 ノヴァのやつれようも、ポップには衝撃だった。今のノヴァには、リンガイア王国将軍とロン・ベルクの弟子の二足草鞋を履いている逞しさなど微塵も感じられない。

 ポップ的にはついこの前ノヴァと会ったばかりなだけに、どうしても今のノヴァの姿が受け入れられない。
 不摂生をせずにちゃんと健康に気をつけろとポップに説教をしていたあのノヴァの、あのやつれようを信じたくなかった。

 マァムだって、こんな風に戦場にいる必要なんかない。
 誰よりも笑顔でいてほしいと願った少女が、こんな風に辛そうな、思い詰めたような表情で黙々と苦行に挑むように人を癒す姿なんて、見たくもなかった。

 正直言えば、ポップの知っている『今』のように、カール王国の領主になるのがマァムの幸せとは思ったことはないが、それでも今よりはましだ。
 僧侶としては、マァムの能力はごく低い。

 なにしろ中級回復魔法までしか使えない上、武闘家に転職をした段階で僧侶としての成長は止まってしまった。
 魔法力も、以前に比べれば半減してしまっている。そんな彼女が、こんな激戦の回復役として活動するのには無理がある。

 マァムの能力では、人を助ける以上に、人を助けられずに苦悩することの方が多いだろう。

(ヒュンケルの奴は、何をやってやがるんだよ?!)

 腹立ち紛れに、ポップは兄弟子を思わずにはいられない。マァムの無茶を、なぜ止めようとしないのか――そう思った瞬間、ポップの身体は浮き上がった。

 ちょうど、瞬間移動呪文に似た感覚で浮き上がったせいで、上空からその大地を見下ろすことになる。
 空からの視点を見たおかげで、ポップはここがどこなのかを知った。

(……そんな……っ)

 見えたのは一瞬だったが、特徴的な地形を見間違えるはずがない。荒れ果てて復興の気配すら感じない荒野の広がる場所は、オーザムだった。
 ポップの知っている『現実』では見事に復興を果たし、多くの人々が戻ってきて国としての活気を取り戻しつつある国。

 だが、今、目の前に広がる『現実』では、魔王軍との戦いが終わった直後のように荒れた荒野だけが広がっていた。
 もう、日が暮れかけているのに明かりの全く見えない薄暗い大地は、一瞬で遠ざかった――。

 

 


 空を飛んだ身体が、山脈を越えて湖の側の地へと移動する。その光景を見て、ポップは現在地を悟った。

(ここは……テランか)

 何度となく瞬間移動呪文で飛んだ経験があるだけに、一目で分かる。
 今の移動が自分の呪文でなくてよかったと、ポップは思わずにはいられなかった。
 もし、ポップ自身が移動呪文を操っていたのなら、この精神的動揺のせいで失敗していただろうから。

 しかし、今の移動はポップの望みのままに行われていても、ポップの意思で移動しているわけではない。
 そのまま自動的に動く身体をどこに連れて行かれるのかと危ぶみつつも、ポップは周囲を見回していた。

 テランは、ある意味でポップの記憶のままだった。初めて見た時と同じように、人の気配の感じられない静かな風景の広がる、閑散とした国のままだ。
 だが、それがいい意味合いとはポップにはとても思えなかった。

 ポップの知っている範囲では、テランはずいぶんと変わった。
 ポップがこの国に留学している最中にも、多くの人が国に帰還し、人口が一気に増えた。 まあ、元々が村といってもいい程に人数の少ない国だっただけに、人が増えてもまだまだ他国に比べれば人口密度は少ないのは否めない。

 だが、武器を嫌う性質はそのままでも、薬草の栽培や輸出に力を注ぎだしたテランは、明らかに活気を取り戻していたはずだった。
 しかし、今のテランはどうだろう。
 初めて見た時と同様に、寂れた寒村、そのままだった。

 いや、もしかすると、前よりもひどいかもしれない。壊れたままの家屋の多さに顔をしかめながら、ポップは首を傾げる。
 ヒュンケルに会いたいと望んだのに、なぜテランにきたのかが分からない。だが、ポップの疑問に関係なく、ポップの身体はとある教会へと運ばれる。

 ほとんど廃屋のような壊れかけた教会の中に入ると、祭壇の前で祈りを捧げている少女とシスターが見えた。
 その少女の姿に、ポップは息を飲まずにはいられない。

(メルル……っ?!)

 メルルはテラン王家の要請を受け、正式な手続きを踏んでテラン王女となったはずだ。だが、今、ポップの目の前にいるメルルは、どう見ても王女には見えなかった。
 質素な服に、共も連れずにこんな寂れたところを一人っきりで行動するなんて、まず、王族に許されることではない。

 黒を基調とした服は、明らかに喪服だ。
 王女が着るものにしてはあまりにも粗末な服である他にも、メルルの髪は短くばっさりと切られているのも、彼女が貴族階級とは無縁だと証明しているようなものだ。

 長く豊かな髪は、貴族の女性の誇りだ。それゆえ、貴族ならば必ず女性は髪を長く伸ばすことを心掛ける。王族の女性ならば、なおさらだ。
 だが、今のメルルの髪は短かった。

 襟足ぎりぎりに短く切られたその髪は、それはそれで彼女に似合っていたが、元の長い髪の少女を知っているポップの目にはどこか痛々しく見えた。
 寂れ、神父の姿すら見えない壊れかけた教会で跪き、祈りを捧げている。

 それがまだ、熱をこめた祈りならばもう少しは安堵したかもできない。だが、メルルの様子はまるっきりの生人形だった。

 祈りのポーズをとっているものの、それはまさに形だけのものだ。悄然とした様子で空ろな目をしているメルルは無気力に、祈りとも言えない祈りのためにその場に跪き続けていた。

 そんなメルルに一言、二言話しかけているシスターを見て、ポップはハッとする。
 シスターの通例通り、完全に髪を覆い隠す独特の衣装のせいで分かりにくかったが、よく見ればそれは知った顔だった。

 見違える程やつれてしまっているが、それはエイミだった。
 彼女が何を言ったかまではポップには聞こえなかったが、その言葉にメルルが頷かなかったのだけは分かる。

 エイミもそれ以上敢えてメルルに話しかけることなく、近くにあった小さな花束を手にして教会の外に出て行く。
 そのエイミに引きずられるように、ポップもまた移動していた。

 教会の裏の墓地からかなり外れた場所にぽつんとある真新しい墓……その前で、エイミは足を止めた。
 そして、小さな花束をその墓に丁寧に備える。

 墓碑銘どころか、名前すらも書かれていない粗末で小さな墓――だが、その墓の前で沈痛な表情で俯くエイミの表情が、それが誰の物かを教えてくれる。

(ヒュンケル……ッ?!)

 絶望と共に、ポップはなぜ自分がここに連れてこられたのかを思い知った――。

 

 


(なんで……なんで、こんなことに……?)

 息苦しい程の後悔に、ポップはその場を動けなかった。
 ――なにもかもが、間違っている。そんな気がしてならない。最善を求めてやり直したはずなのに、うまくいくどころか前よりも格段に悪くなってしまっている。

 その事実が、ポップを打ちのめしていた。
 エイミが丁寧に墓や周囲を掃除し、必要以上に熱心に祈りを捧げ、やがて名残惜しげにその場を去った後も、ポップの身体はそこに居続けていた。

 まるで、縫い止められたようにここから動けない。
 アバン達のことも気になるのに、どうしても消せない後悔が押しとどめているのか、ポップはヒュンケルの墓の前に居続けていた。

(……もし、おれが……あいつの身体を治していれば……こうはならなかったのか?)

 戦いの後、ポップはヒュンケルに治療呪文を施した。正直に言えば一か八かの賭けのような治療で危険度が半端でなく高かったが、なんとかそれでヒュンケルの身体は元に戻った。

 だが、ポップが死んでしまっている『今』では、誰も彼を助けられなかったのだろうか。 そして、ポップはヒュンケルの馬鹿さ加減も承知している。自分の身体が不完全だろうと、また、敵がどんなに強かろうとも、怯みもせずに無謀に敵陣に突っ込んでいく男だ。


 先程までのアバン達の激しい戦いを見れば、ヒュンケルがどうして若くして鬼籍に入ることになったのか、容易に想像がついた。
 だが、そうと分かっても悔いや悲しみを消せるわけではない。

(どうして……誰か、止められなかったのかよ?!)

 例えば――レオナなら。
 ヒュンケルの罪を許し、彼に新しい生き方を指し示したあの姫君の制止ならば、ヒュンケルの気を変えることはできなくとも、押しとどめることはできたのではないか。

 そして、ダイ。
 ダイはなぜ、ヒュンケルを助けようとしなかったのか。
 そう言えば、とポップは今更のようにまだダイに会えていないことを思い出す。戦っているアバン達の中に、ダイはいなかった。

 よく考えれば――いや、考えるまでもなく、それは不自然だ。正義感が強く、仲間想いのダイはいつだって先頭に立って戦おうとする。
 そのダイが、ここまで姿を見せないのはもしや……。

(ダイ……ッ)


 不吉な予感が、ポップの胸を締めつける。
 ダイの安否を確かめたい――そう強く思うポップの心に反応して、ポップの身体はまた自動的に移動していた。

 

 

 テランを離れ、そのまま海を越えてホルキア大陸へと移動する。見慣れたパプニカの町を目にするのは、ホッとする気分だった。……たとえ、それが本来のパプニカよりも格段に規模が小さく、どことなく荒れた雰囲気を伴っていたとしても。

 てっきり城に移動するだろうと思っていたのに、ポップが移動した先は、岬だった。
 本来なら、ダイの剣が記念碑のように立てられている場所であり、ポップがキルバーンからあの砂時計を受け取った場所。

 まだ夜明けの岬に見える人影は、三つ。
 一人は、少し離れた場所で佇んでいる魔族の男……ラーハルトだ。特に変化のない様子に、ホッとせずにはいられない。
 そして、ちょうど剣のあった場所で向かい合って立っているのは、ダイとレオナだった。
 

(ダイ……姫さん……っ)

 無事な姿に安堵してから、一歩遅れて疑問が込み上げてくる。
 ダイの姿は、以前のままだ。
 最後の戦いの時と同じ格好に、同じ背丈……成長した様子が全くないのが疑問といえば疑問だ。

 ダイの背の伸びは目覚ましくて、デルムリン島を出た日から最後の戦いの頃まで、ぐんぐんと伸びていた。それは、いつも一緒にいたポップが一番よく知っている。この調子で伸び続ければ、遠からず追い抜かれてしまうのではないかと危機感を覚えたのは、一度や二度じゃない。

 だからこそ、今でもポップはよく、ダイはどのくらい身長が伸びているだろうと考える時がある。
 それが全く無駄に終わって、拍子抜けした気分だった。

 背の伸びの感じられないダイと違って、レオナはポップのよく知っているレオナと、そう変わりはないように見えた。
 きちんと成長しているところは、変化はない。
 だが――浮かべている表情を見て、違うと直感した。

「お願いよ、ダイ君……! もう、あなたしか頼れる人はいないの……!」

 すがりつくような哀願を、レオナは口にする。泣きださんばかりの表情で、他に頼れる者はいないとばかりにダイに助けを求めている。
 こんなレオナを、ポップは知らない。

 どんなに困った時でも、また、実際に助けを求めるにしても、まずは自力でなんとかしようという気構えを見せる雄々しさは、今のレオナには微塵もなかった。

 自分ではもう何もできないとばかりに、ただ、ただ、一心に助けを求めるだけの姿はひどく弱々しく見える。
 そして、すがりつくレオナを見返すダイもまた、ポップの知らない表情だった。

「いやだよ。
 ……別に、他の人間なんかどうなったっていいじゃないか」

 冷たい拒絶が、何に対するものなのか。全ての会話を聞いていないポップには、知ることはできない。
 だが、ダイとはとても思えない冷たい返事に、聞いているだけのポップでさえ身が竦みそうだ。

「そんな……ダイ君、このままじゃ多くの人達が死んでしまうわ……。
 アバン先生やマァム達だって……」

 仲間の名前をだした哀願でさえ、ダイはバッサリと切り捨てる。

「関係ないね。
 今、この世界が平和なのはポップがあの時に爆弾を引き受けてくれたからなのに……なのに、ポップを探そうともしない連中なんか、知るもんか。
 どうでもいいよ」

 淡々と答えるダイの目は、ひどく冷たかった。
 戦いの時でさえ、ダイがこんなに冷めきった目でいるのを見た記憶がない。
 いかにも子供っぽく、無邪気な笑顔を見せていたダイとは思えないぐらい、今のダイの表情は凍り付いて見えた。

 こんなにも無表情で、それでいてどこか殺気だった表情を見せるのなんて、竜の紋章の力をコントロールできていなかった時ぐらいのものだ。
 だが、今、ダイは竜の紋章の力に振り回されているわけではない。

 自分自身の意思で、人間や仲間などどうでもいいと言い切った小さな勇者を、ポップは呆然と見つめていた。
 ポップと同様に、レオナもまたショックを隠しきれてはいない。

「……でも、ポップ君はもう……」

 涙の浮かぶ目を瞬かせて、レオナは口を開こうとした。だが、ダイはそれを最後まで言わせもしなかった。

「ポップは、死んでなんかいないっ!」

 さっきの投げやりさが嘘のように、ダイは強く叫ぶ。
 紅潮した顔には、本気の怒気が感じられる。ぶるぶると震える手が、逆鱗に触れられた怒りを物語っていた。

「だってあの時……っ、ポップの死体は見つからなかった……! レオナだって知っているじゃないか、みんなであんなに探したのに、何も見つからなかったんだ。だから……っ、だから、ポップはきっと生きているよ!!」

 無茶な理屈だと、聞いているポップでさえ思ってしまう。あれほどの爆破に巻き込まれた人間が、只ですむ訳がない。
 伝説の竜の騎士の防御力ならばともかく、ポップはただの人間だ。しかも魔法力が尽きた状態ともなれば、爆破から身を守る術などあるわけがない。

 身体の一片すらも残さず、消滅してしまっても少しもおかしくない規模の爆発だった。死体が見つからないことなど、生存の証明になどならない。
 むしろ何の痕跡も見つからなかったからこそ、死んでしまったのだと判断する方がどう考えても正解だろう。

   実際、ポップはあれで死んだ。
 レオナもそう考えているのか、沈痛な表情を見せるばかりだ。何も言わないのはダイの無茶な理屈に同意しているからではなく、単にダイを傷つけるようなことを言いたくないだけだろう。

 しかし、ダイはそんなレオナの思いやりにさえ気付く余裕はなかった。狂気すら感じられる目を、焦ったように海の方に向ける。
 冷めた態度と激昂した態度の差、目まぐるしいまでの感情の激変ぶりには、どこかしら壊れているような危うさがあった。

「どこかで怪我をして、動けないでいるのかもしれないんだ、早く、ポップを探しにいかなくちゃ……!
 じゃあ、レオナ、もうそんなつまらない用事で呼ばないでくれよ」

 それだけを言い残して、瞬間移動呪文で飛んでいくダイを、ラーハルトは一瞬だけレオナに無言で頭を下げ、それから追っていった。
 そして、その場に取り残されたレオナが崩れ落ちるようにその場に座り込む。深く顔を伏せたレオナの細い肩が、小刻みに震える。

 思わず手を伸ばしたポップだが、その手はレオナに触れることはできなかった。手は、まるで空気を掴んだかのように空しくレオナの身体をすり抜ける。

(そうか……おれには、何もできないんだった……)

 だって、死んでしまったから。

 そう実感してから始めて、どうしても拭いされない後悔が胸を喰い荒らす。

(死を選ぶんじゃなかった……!)

 今となってから、それが間違いの始まりだとはっきりと自覚する。
 死神との取引の結果、確かにダイは生き延びた。だが――誰も、幸せになどなっていない。

 どこか壊れてしまったダイも。
 辛い戦いを強いられているアバン達も。フローラやレオナも、おそらくは政治的に辛い戦いをおくっているのだろう。

 ダイに付き従っていたラーハルトでさえ、幸せなはずがない。レオナに一礼したしぐさを、ポップは見逃さなかった。傲岸不遜なあの魔族は、王女だからといって礼儀正しく振る舞うような男ではない。

 あれは明らかに、レオナに対する同情からの一礼だ。ダイの行動に従っていても、今のダイの全てに賛成しているわけではないのだろう。
 だが――今のダイに、誰の声も届かない。

 ポップの死を認められず、人間達を敵視してしまったダイに何があったのか、その心がどれ程荒れ果ててしまったのか……それはポップには分からない。
 しかし、もしポップが声をかければ、少しは変えることができただろうか。

 もし、生きていたのなら。
 もし、やり直すことができたのなら……胸が焼ける程強くそう願った瞬間、眩いまでの赤い光がポップを照らしだした――。

 

 


「…かい、魔法使いクン?」

 ふざけた口調で話しかけられ、ポップはハッと目を見開いた。

「え……?」

 戸惑いに、何度も瞬かずにはいられない。
 だが、何度瞬きしても目の前の光景は変わらない。
 ダイの剣が記念碑のように立てられた、パプニカの岬。そして、すぐ目の前には忌まわしい砂時計を手にしたキルバーンがいる。

 すぐには状況を掴めなくて戸惑ったが、手の痛みがポップを『現実』に引き戻す。うっかりとダイの剣の刃の部分を強く握り込んだせいで、手が切れてしまったらしい。
 たいした怪我ではないがズキズキと痛む傷は、これが現実だと強く認識させてくれた。
 

(いってぇ〜)

 顔をしかめながらも、その痛みにポップはむしろ安堵を感じる。
 まだ、間に合う――それを確信してから、ポップは目の前に迫った死神の手を払いのけた。

「……いらねえよ、こんなものっ!」

 ポップが払いのけたせいで、砂時計はキルバーンの手から地面へと転がり落ちる。その一瞬だけ、キルバーンの仮面の奥の目が殺気だって鋭く光る。
 だが、その殺気はすぐににこやかな声に打ち消された。

「――おやおや。また、フラれちゃったかな? 残念だねえ、これって実に素敵に特別な、一度っきりしか使うことのできない取っておきのアイテムなのにねえ」

 くすくすと余裕たっぷりに笑い、死神は砂時計に手を伸ばす。そして、そのまま砂時計を地面に押し込むのと同時に、自分自身の身体もずぷりと地面へと沈み込む。

「さすがに手強いというべきか、なかなか誘惑されてくれないね。
 フフフ……じゃあ、またね、魔法使いのボウヤ……!」

「うるせえよっ、もう来るなっ!!」

 思わず叫び返したポップに答えるように、最後まで残した片手がパタパタと振られ、地面にとぷんと沈んで消えた。

 それをしばらく睨み続けたのは、まだあの油断のならない死神が本当に消えたかどうか確信できなかったせいだ。
 だが、ダイの剣、正確に言うのであれば宝玉の部分からフワリと光が浮き上がる。

「あ……」

 それを見た途端、一気に気が抜けたのか腰が砕けてへなへなと座り込んでしまった。そんなポップの周囲を、光が飛ぶ。
 ふわふわと頼りなく飛んでいる光は、宝玉の光そのものではない。その光が飛び去った後も、変わらずにダイの生存を示す赤い宝玉は光っているのだから。

 浮かび上がったのは、蛍よりももっと弱々しい光だった。
 それに、ポップはそっと手を伸ばす。
 光に触れることは当然できないが、それでも光を撫でるような位置に手を伸ばすと、指越しに光が透けて見える。

「ありがとうな、助けてくれて」

 感謝を込めて、ポップは礼を口にする。
 ――もう、ポップにはその光の正体が分かっていた。だからこそ、やり直しをした世界で見知らぬ声に話しかけられた時と違って、かける声には自然に親しみがこもる。

「……バッカだなぁ。てめえ、ダイのためにとっておいた力だったんだろうに、おれなんかのために使ってるんじゃねえよ」

 小さくとも暖かいその光を見ながら、ポップは語りかけた。
 前にアバンから、キルバーンとの戦いの際、アバンの身体にわずかに残っていたハドラーの残滓が炎からアバンを守ってくれたと聞いたことがある。

 強い想いが残された物質には、作った者や持ち主さえ意図しない奇跡を呼ぶ力があるのかもしれない。
 ましてやそれが、神々の作り出した遺産ともなれば尚更だろう。

「安心しろよ、あんな死神野郎が今後何を言ってこようと、もう惑わされたりしねえよ。 やっぱり初志貫徹するからさ。
 やり直しはやめて、あの大バカ迷子を地の果てまでも探し出しに行って、ぶん殴ることにしてやる。
 そうだな、殴るだけじゃ物足りないから、やっぱり蹴りも付け加えとくとするかなぁ?」


 笑うポップの手の中で、小さな光が瞬いているのは、苦笑しているのだろうか。それともこんな冗談さえ真面目に受け取って、本気でちょっぴり困っているのだろうか。
 そのどちらもがありそうだと思いながら、ポップは優しく手を伸ばして光をそっと上へと押し上げる。

「だからおめえも安心して眠って……そんでもって、早く帰ってこいよ――ゴメ」

 ポップの呼び掛けに応じるように、小さな光は瞬きながら空へと昇り、やがて溶けるように空の星に紛れて、見えなくなった――。 

                                                                           END


《後書き》

 4周年記念アンケート企画、11のお題挑戦の一つです!
 こちらのお題では『一番悔いの残る過去をやり直すけど副作用が半端じゃない』『ノーマル設定』の課題をクリアしています♪

 ついでにリクエスト課題の一つ、登場キャラクターもなにげにあれこれと出している話でもあるんですが……ろくな出番じゃなくてごめんなさいっ。
 やり直しというよりも夢落ちかよ、という気が自分でもしますが、暗黒ルート未来がまた一つ増えた気がします(笑)

 バッドエンディングルートを考える度に、世界が破滅しているよーな気がしますよ、とほほ。

 まあ、暗黒未来はさておき、ゴメちゃんのかけらの一部がこの世にとどまっていて、いざと言う時に仲間達を助ける、というのはありそうな気がします。
 ゴメちゃんの出番はめったにないので、すごく微笑ましい気分で書けました♪ …本体じゃないんですけど(笑)

 

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