『死神の贈り物 ー後編ー』 |
見開いたポップの目の前に、赤い色が広がる。倒れる怪物の身体から噴き上がる、生命の源である赤は鮮やかなまでにその場を濡らす。 だが、その血は怪物を切ったばかりの戦士の身体を、剣を濡らしていた。 (アバン先生……っ?!) 胸が詰まって、声にならなかった。 アバンの今の姿は、それだけポップには衝撃的だった。 どうせ伊達の眼鏡だから無くてもよいといえばその通りだが、いつもアバンはその眼鏡をかけ、丁寧に髪もセットするのが常だった。 とっくにカールの取れた髪は素のままで肩に垂れ下がり、無精髭すらそのままだ。身嗜みに熱心なアバンを知っているだけに、今の格好のひどさに驚かずにはいられない。 一匹を屠ったアバンは、返す刀をそのまま一閃し、周囲にいる怪物達を威嚇する。威嚇だけで済まされず、怪物に少なからぬ傷を負わせたのか人外の悲鳴が続け様に上がるが、アバンの動きは止まらなかった。 ポップの知っている限り、アバンはこんな風に容赦のない戦い方をする人ではなかった。 無意味な殺生を嫌う心の優しい師は、怪物と戦う際は確実に倒すよりも追い払うことを目的とする人だった。 そのアバンが、ここまでなりふり構わない格好で相手を気遣う余裕も無い戦いを強いられている。 見覚えのない怪物達は、最後の戦いでザボエラが呼んだ魔界の怪物達にどこか似ていた。 そして、数える気にもならないぐらいに溢れ返っている怪物達の様子は、尋常では無かった。 どことなく覚えのある感覚に、ポップは古い記憶を辿り……思い出す。初めてダイに会った日、デルムリン島で暴れていた怪物達と似ている。 もし、身体が自由に動くのなら。 (先生っ、危ないっ!) アバンの背後に怪物の爪が迫る瞬間を見て、ポップの心は悲鳴を上げる。だが、それを言葉として発することはおろか、目を閉じることすらポップにはできなかった――。 シュッ。 しかし、風を切る音が響き、アバンのすぐ背後にいた怪物が崩れ落ちる。 「大丈夫ですか、アバン殿?」 その声と、見上げるような巨体に、ポップは泣き出したくなるような安堵感を覚えた。 獣王クロコダインが、そこにいた。 (お、おっさん、その腕はっ?!) 叫んだつもりの声も、言葉にはならない。 隻眼隻椀となりながらも、クロコダインは危なげのない斧捌きで怪物達を倒していく。アバンとの協力もあって、彼らがなんとか怪物達の群れを殲滅した。 幾つもの生傷を負い、肩で息をしながらも勝利を収めた二人は、血糊のついた武器を持ったまま少し離れた岩影へと移動する。 (マァム?!) 血に染まった武闘着姿のマァムは、青ざめた顔で必死になって老人の身体に両手を当て、回復魔法を送り込んでいる。 マァム自身もかすり傷を負っているのに、彼女はそれを気にすることもなくただひらすらに倒れている人の手当てに専念していた。 「ノヴァ君の容体はどうですか?」 (え……っ?!) ポップは目を剥かずにはいられなかった。 だが、骨と皮ばかりに痩せこけてしまっているものの、よくよく見ればその皮膚には老人特有の皺はない。 (ノヴァ……!!) ノヴァは、ポップよりも一つ上なだけだ。なのに、こんなに数十才も一気に年を取ったかのように衰えているのが信じられない。呆然とするばかりのポップの前で、マァムが暗い声で呟く。 「……今回も、命は助かりました。でも、こんなことを続けていればいずれ……」 堅い声とは裏腹に、今にも泣き出しそうな表情をするマァムに、アバンやクロコダインはただ、沈黙している。 「大丈夫ですか、チウ君」 大ネズミと金属生命体であるヒムの姿の凸凹コンビを見て、一瞬頬を緩めかけたポップだが、すぐにそれは消え失せた。 「え、ええ、ぼくは平気です。でも、隊員25号と31号が……」 平気と答えるチウだが、その毛並みにべったりと血がついているのが見える。ボロボロになったその身体が、生傷だらけなのは一目で分かった。 「彼らを、地に帰してやらないと……」 ヒムが両手に抱えた、小柄な怪物二体をチウは辛そうに見つめている。ぴくりとも動かないその怪物達が生きていないのは、一目で理解できた。 見た目によらず男気に溢れるチウが、どれほど部下を大事にしているか知っているだけに、今のチウを見ているのはポップには辛かった。 「隊長さんは休んでいていいぜ、オレがやっておくからよ」 丁寧に怪物の遺体を地に下ろし、その辺の瓦礫を拾って地面に穴を掘り始めるヒムだが、チウは頑固だった。 「いや、これは隊長であるぼくの責任だ。ぼくの命令で、彼らは勇敢に戦って命を懸けてまで任務を全うしたんだ。 疲れきっておぼつかない手で穴を掘り始めるチウを、もう誰も止めなかった。彼の隣に並んで、クロコダインも穴を掘るのを手伝う。 「どれ、オレも手伝おう」 墓穴を掘る、陰鬱な音だけがその場に響く。 驚きが薄れれば、それは怒りへと取って変わる。理不尽すぎる『現実』に対して、吹き上がるような憤りが込み上げてきた。 平和になったはずの世界になぜこれほど強力な怪物達が溢れ返り、なぜアバン達がここまで身体を張って戦わなければならないのか――それはポップには分からない。 (なんで……なんで、だよ……っ?!) 幸せになる、はずだった。 我が子を自慢するアバンの手放しの親馬鹿ぶりを見る度に、先生の幸せを実感してポップまで嬉しくなった。 クロコダインだって、そうだ。 ポップも忙しいせいでめったに会えないが、会う度にクロコダインは持ち前の豪快な笑顔を見せてくれたし、いちいち突っ掛かってくるチウとケンカをするのも楽しかった。 遊撃隊だって、そうだ。 普段はデルムリン島にいるヒムだって、ぼやきつつも何だかんだ言ってチウの手助けをしてやる姿は、それなりに楽しそうだった。 ポップ的にはついこの前ノヴァと会ったばかりなだけに、どうしても今のノヴァの姿が受け入れられない。 マァムだって、こんな風に戦場にいる必要なんかない。 正直言えば、ポップの知っている『今』のように、カール王国の領主になるのがマァムの幸せとは思ったことはないが、それでも今よりはましだ。 なにしろ中級回復魔法までしか使えない上、武闘家に転職をした段階で僧侶としての成長は止まってしまった。 マァムの能力では、人を助ける以上に、人を助けられずに苦悩することの方が多いだろう。 (ヒュンケルの奴は、何をやってやがるんだよ?!) 腹立ち紛れに、ポップは兄弟子を思わずにはいられない。マァムの無茶を、なぜ止めようとしないのか――そう思った瞬間、ポップの身体は浮き上がった。 ちょうど、瞬間移動呪文に似た感覚で浮き上がったせいで、上空からその大地を見下ろすことになる。 (……そんな……っ) 見えたのは一瞬だったが、特徴的な地形を見間違えるはずがない。荒れ果てて復興の気配すら感じない荒野の広がる場所は、オーザムだった。 だが、今、目の前に広がる『現実』では、魔王軍との戦いが終わった直後のように荒れた荒野だけが広がっていた。
(ここは……テランか) 何度となく瞬間移動呪文で飛んだ経験があるだけに、一目で分かる。 しかし、今の移動はポップの望みのままに行われていても、ポップの意思で移動しているわけではない。 テランは、ある意味でポップの記憶のままだった。初めて見た時と同じように、人の気配の感じられない静かな風景の広がる、閑散とした国のままだ。 ポップの知っている範囲では、テランはずいぶんと変わった。 だが、武器を嫌う性質はそのままでも、薬草の栽培や輸出に力を注ぎだしたテランは、明らかに活気を取り戻していたはずだった。 いや、もしかすると、前よりもひどいかもしれない。壊れたままの家屋の多さに顔をしかめながら、ポップは首を傾げる。 ほとんど廃屋のような壊れかけた教会の中に入ると、祭壇の前で祈りを捧げている少女とシスターが見えた。 (メルル……っ?!) メルルはテラン王家の要請を受け、正式な手続きを踏んでテラン王女となったはずだ。だが、今、ポップの目の前にいるメルルは、どう見ても王女には見えなかった。 黒を基調とした服は、明らかに喪服だ。 長く豊かな髪は、貴族の女性の誇りだ。それゆえ、貴族ならば必ず女性は髪を長く伸ばすことを心掛ける。王族の女性ならば、なおさらだ。 襟足ぎりぎりに短く切られたその髪は、それはそれで彼女に似合っていたが、元の長い髪の少女を知っているポップの目にはどこか痛々しく見えた。 それがまだ、熱をこめた祈りならばもう少しは安堵したかもできない。だが、メルルの様子はまるっきりの生人形だった。 祈りのポーズをとっているものの、それはまさに形だけのものだ。悄然とした様子で空ろな目をしているメルルは無気力に、祈りとも言えない祈りのためにその場に跪き続けていた。 そんなメルルに一言、二言話しかけているシスターを見て、ポップはハッとする。 見違える程やつれてしまっているが、それはエイミだった。 エイミもそれ以上敢えてメルルに話しかけることなく、近くにあった小さな花束を手にして教会の外に出て行く。 教会の裏の墓地からかなり外れた場所にぽつんとある真新しい墓……その前で、エイミは足を止めた。 墓碑銘どころか、名前すらも書かれていない粗末で小さな墓――だが、その墓の前で沈痛な表情で俯くエイミの表情が、それが誰の物かを教えてくれる。 (ヒュンケル……ッ?!) 絶望と共に、ポップはなぜ自分がここに連れてこられたのかを思い知った――。
息苦しい程の後悔に、ポップはその場を動けなかった。 その事実が、ポップを打ちのめしていた。 まるで、縫い止められたようにここから動けない。 (……もし、おれが……あいつの身体を治していれば……こうはならなかったのか?) 戦いの後、ポップはヒュンケルに治療呪文を施した。正直に言えば一か八かの賭けのような治療で危険度が半端でなく高かったが、なんとかそれでヒュンケルの身体は元に戻った。 だが、ポップが死んでしまっている『今』では、誰も彼を助けられなかったのだろうか。 そして、ポップはヒュンケルの馬鹿さ加減も承知している。自分の身体が不完全だろうと、また、敵がどんなに強かろうとも、怯みもせずに無謀に敵陣に突っ込んでいく男だ。
(どうして……誰か、止められなかったのかよ?!) 例えば――レオナなら。 そして、ダイ。 よく考えれば――いや、考えるまでもなく、それは不自然だ。正義感が強く、仲間想いのダイはいつだって先頭に立って戦おうとする。 (ダイ……ッ)
テランを離れ、そのまま海を越えてホルキア大陸へと移動する。見慣れたパプニカの町を目にするのは、ホッとする気分だった。……たとえ、それが本来のパプニカよりも格段に規模が小さく、どことなく荒れた雰囲気を伴っていたとしても。 てっきり城に移動するだろうと思っていたのに、ポップが移動した先は、岬だった。 まだ夜明けの岬に見える人影は、三つ。 (ダイ……姫さん……っ) 無事な姿に安堵してから、一歩遅れて疑問が込み上げてくる。 ダイの背の伸びは目覚ましくて、デルムリン島を出た日から最後の戦いの頃まで、ぐんぐんと伸びていた。それは、いつも一緒にいたポップが一番よく知っている。この調子で伸び続ければ、遠からず追い抜かれてしまうのではないかと危機感を覚えたのは、一度や二度じゃない。 だからこそ、今でもポップはよく、ダイはどのくらい身長が伸びているだろうと考える時がある。 背の伸びの感じられないダイと違って、レオナはポップのよく知っているレオナと、そう変わりはないように見えた。 「お願いよ、ダイ君……! もう、あなたしか頼れる人はいないの……!」 すがりつくような哀願を、レオナは口にする。泣きださんばかりの表情で、他に頼れる者はいないとばかりにダイに助けを求めている。 どんなに困った時でも、また、実際に助けを求めるにしても、まずは自力でなんとかしようという気構えを見せる雄々しさは、今のレオナには微塵もなかった。 自分ではもう何もできないとばかりに、ただ、ただ、一心に助けを求めるだけの姿はひどく弱々しく見える。 「いやだよ。 冷たい拒絶が、何に対するものなのか。全ての会話を聞いていないポップには、知ることはできない。 「そんな……ダイ君、このままじゃ多くの人達が死んでしまうわ……。 仲間の名前をだした哀願でさえ、ダイはバッサリと切り捨てる。 「関係ないね。 淡々と答えるダイの目は、ひどく冷たかった。 こんなにも無表情で、それでいてどこか殺気だった表情を見せるのなんて、竜の紋章の力をコントロールできていなかった時ぐらいのものだ。 自分自身の意思で、人間や仲間などどうでもいいと言い切った小さな勇者を、ポップは呆然と見つめていた。 「……でも、ポップ君はもう……」 涙の浮かぶ目を瞬かせて、レオナは口を開こうとした。だが、ダイはそれを最後まで言わせもしなかった。 「ポップは、死んでなんかいないっ!」 さっきの投げやりさが嘘のように、ダイは強く叫ぶ。 「だってあの時……っ、ポップの死体は見つからなかった……! レオナだって知っているじゃないか、みんなであんなに探したのに、何も見つからなかったんだ。だから……っ、だから、ポップはきっと生きているよ!!」 無茶な理屈だと、聞いているポップでさえ思ってしまう。あれほどの爆破に巻き込まれた人間が、只ですむ訳がない。 身体の一片すらも残さず、消滅してしまっても少しもおかしくない規模の爆発だった。死体が見つからないことなど、生存の証明になどならない。 実際、ポップはあれで死んだ。 しかし、ダイはそんなレオナの思いやりにさえ気付く余裕はなかった。狂気すら感じられる目を、焦ったように海の方に向ける。 「どこかで怪我をして、動けないでいるのかもしれないんだ、早く、ポップを探しにいかなくちゃ……! それだけを言い残して、瞬間移動呪文で飛んでいくダイを、ラーハルトは一瞬だけレオナに無言で頭を下げ、それから追っていった。 思わず手を伸ばしたポップだが、その手はレオナに触れることはできなかった。手は、まるで空気を掴んだかのように空しくレオナの身体をすり抜ける。 (そうか……おれには、何もできないんだった……) だって、死んでしまったから。 そう実感してから始めて、どうしても拭いされない後悔が胸を喰い荒らす。 (死を選ぶんじゃなかった……!) 今となってから、それが間違いの始まりだとはっきりと自覚する。 どこか壊れてしまったダイも。 ダイに付き従っていたラーハルトでさえ、幸せなはずがない。レオナに一礼したしぐさを、ポップは見逃さなかった。傲岸不遜なあの魔族は、王女だからといって礼儀正しく振る舞うような男ではない。 あれは明らかに、レオナに対する同情からの一礼だ。ダイの行動に従っていても、今のダイの全てに賛成しているわけではないのだろう。 ポップの死を認められず、人間達を敵視してしまったダイに何があったのか、その心がどれ程荒れ果ててしまったのか……それはポップには分からない。 もし、生きていたのなら。
ふざけた口調で話しかけられ、ポップはハッと目を見開いた。 「え……?」 戸惑いに、何度も瞬かずにはいられない。 すぐには状況を掴めなくて戸惑ったが、手の痛みがポップを『現実』に引き戻す。うっかりとダイの剣の刃の部分を強く握り込んだせいで、手が切れてしまったらしい。 (いってぇ〜) 顔をしかめながらも、その痛みにポップはむしろ安堵を感じる。 「……いらねえよ、こんなものっ!」 ポップが払いのけたせいで、砂時計はキルバーンの手から地面へと転がり落ちる。その一瞬だけ、キルバーンの仮面の奥の目が殺気だって鋭く光る。 「――おやおや。また、フラれちゃったかな? 残念だねえ、これって実に素敵に特別な、一度っきりしか使うことのできない取っておきのアイテムなのにねえ」 くすくすと余裕たっぷりに笑い、死神は砂時計に手を伸ばす。そして、そのまま砂時計を地面に押し込むのと同時に、自分自身の身体もずぷりと地面へと沈み込む。 「さすがに手強いというべきか、なかなか誘惑されてくれないね。 「うるせえよっ、もう来るなっ!!」 思わず叫び返したポップに答えるように、最後まで残した片手がパタパタと振られ、地面にとぷんと沈んで消えた。 それをしばらく睨み続けたのは、まだあの油断のならない死神が本当に消えたかどうか確信できなかったせいだ。 「あ……」 それを見た途端、一気に気が抜けたのか腰が砕けてへなへなと座り込んでしまった。そんなポップの周囲を、光が飛ぶ。 浮かび上がったのは、蛍よりももっと弱々しい光だった。 「ありがとうな、助けてくれて」 感謝を込めて、ポップは礼を口にする。 「……バッカだなぁ。てめえ、ダイのためにとっておいた力だったんだろうに、おれなんかのために使ってるんじゃねえよ」 小さくとも暖かいその光を見ながら、ポップは語りかけた。 強い想いが残された物質には、作った者や持ち主さえ意図しない奇跡を呼ぶ力があるのかもしれない。 「安心しろよ、あんな死神野郎が今後何を言ってこようと、もう惑わされたりしねえよ。 やっぱり初志貫徹するからさ。
「だからおめえも安心して眠って……そんでもって、早く帰ってこいよ――ゴメ」 ポップの呼び掛けに応じるように、小さな光は瞬きながら空へと昇り、やがて溶けるように空の星に紛れて、見えなくなった――。 END 《後書き》 4周年記念アンケート企画、11のお題挑戦の一つです! ついでにリクエスト課題の一つ、登場キャラクターもなにげにあれこれと出している話でもあるんですが……ろくな出番じゃなくてごめんなさいっ。 バッドエンディングルートを考える度に、世界が破滅しているよーな気がしますよ、とほほ。 まあ、暗黒未来はさておき、ゴメちゃんのかけらの一部がこの世にとどまっていて、いざと言う時に仲間達を助ける、というのはありそうな気がします。
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