『数えきれない光 ー前編ー』 |
空の色はゆっくりと、だが確実にその色合いを変えていた。 空に一面瞬いていた星が次第に薄れていき、夜の闇の中ではあれ程までに輝いて見えた月が白く霞んでいくのを、ポップはぼんやりと眺めていた。 (あれ……結局、夢だったのかな。それとも、ゴメの力でやり直しのやり直しができたのかな) ゴメちゃん……ダイによってそう名付けられたあの金色のスライムは、神の涙と呼ばれる世界にたった一つしかない貴重な魔法道具だった。 その力を使って、ポップに予知夢を見せて警告してくれたのか。 (ま、冷静になってみりゃ、どっちにしろあの野郎の話にのらなくてよかったけどよ) あの時はもう少しで誘惑に負けるところだったが、よくよく考えれば危ないところだったとポップは思う。 彼が正直者とは、口が裂けても言えやしない。あの魔法道具に強い魔法力があったことだけは確かだが、それが死神が言った通りの効果だとは限らない。というか、限りなく怪しすぎる。 本当に人生をやり直す効果があったかどうかでさえ怪しいものだし、実際のあの体験の中ではやり直しどころか最悪とも言える展開を辿っていた。 だが、知らなかったとは言え、ずっと近くにいてくれた小さな友達と別れてしまったことが、やはり寂しくて辛い。
「ポップ君……っ?!」 「え? あ……ひ、姫さん?! な、なんで、ここに……っ?!」 振り向いた先にいたのは、紛れもなくレオナだった。さらにその後ろにいるのは、なぜか近衛兵の盛装を着たヒュンケルだ。 彼女もまた、ダイの身を案じている者の一人なのだから。 別に仕官しているわけではないが、パプニカ王国を一度は滅ぼした罪を自覚するヒュンケルは、贖罪の思いがあるせいかレオナの頼みを断ったためしがない。 まあ、さすがに夜明け直後のお忍びの散歩というのは早すぎる気がしないでもないが、毛を逆立てんばかりに怒ってズカズカとこちらに歩いて来るレオナをみては、そんな些細な疑問を口にする勇気も消え失せる。 「それはこっちのセリフよ、ちょっと、ちょっとポップ君っ?!、なんだって寝坊なあなたが、こんな時間にこんな所にいるのよっ?!」 けたたましい声がついさっきまでの感傷など一気に吹き飛ばし、ポップを現実へと引き戻す。
「へーえ。早起き、ねえ〜? 一応は疑問系の問い掛けの体裁はとっているものの、威嚇するかのように睨めつけるその目は、まさに犯罪者を眺めるそれだった。 実際にはその通りなだけに内心ギクリしたポップだったが、敢えてなんでもない風を装う。 「や、やだな〜、何言ってるんだよ、姫さんっ。さ、さぁ〜て、腹も減ったし朝飯でも食べに行こうかな〜」 ……なんでもないどころか、気負い過ぎて怪しさ大爆発である。わざとらしいまでに下手くそな演技に、レオナはますます憤然として肩を怒らせ、ヒュンケルまでもが呆れた顔をする。 「なにすんだよ、てめえっ?!」 いきなりの行動に腹を立てポップは腕を振り払おうとするが、ヒュンケルはますますしっかりとポップの腕を掴んで引き寄せる。 「手……怪我、しているな」 言われてから、ポップはようやくその怪我を思い出した。たいして痛くはなかったし、他のことに気を取られたせいですっかりと忘れていたが、半ば乾いた血が手にこびりついていた。 「たいした怪我じゃねーよ、こんなの。後で手当てしとくって」 わざわざ回復魔法をかけるほどの怪我ではないと判断し、ポップはそう答える。多少の怪我ならば、魔法に頼るよりも普通の人がそうしているように薬草を当てて治療する方がいい。 利き手ならば仕事に差し支えるから魔法をかける気にもなるが、左手なら別だ。絆創膏でも張っておけば済む程度の傷だし、最悪でも数日包帯を巻くだけのことだ、問題はないだろう――そう考えたポップだが、レオナが強引にその手を取った。 「何言ってるの、駄目よ! 今日はオーザムからの使者が迎えにくるっていうのに、うちで一番の賢者に手に包帯なんか巻かれていたら困るのよ! と、ぷりぷりと腹を立てつつもレオナが掛けてくれた回復魔法で、ポップの手はあっさりと完治する。 思わず尋ねた瞬間、レオナの眉が一瞬ヒクッと震え、周囲の気温が下がったかのようにその場が冷たく凍りつく。 「へ……へーえ〜、そう、忘れたの? 昨日も、あんなに念を押して確認したばかりなのに? 「え……あっ、あれかっ。悪いっ、わ、忘れてたわけじゃねえんだけどよ〜」 昨夜、レオナからその話を聞いたことはちゃんと覚えている。というか、それを覚えているからこそ、ポップはダイの剣の所へと来たのだ。 各国に留学しては古い文献を調べているポップにとって、短い間とは言え一時は暮らしていた国だ。 今度の誕生日でやっと5才になるオーザム王子は、かの王族の唯一の生き残りとして国民の希望を一心に背負っている。 彼の誕生日を祝うのは別に嫌なんかじゃないし、招待状を受け取る前から個人的に何かプレゼントを送ろうと思っていたが、国で開かれる正式なパーティに呼ばれるのは気が重い。 村で友達の誕生日に家に招かれたのなら、よその母親の料理を堪能してケーキにありつくのを楽しみしていればいいが、一国の王子の誕生日ともなればそんな気楽なものではない。 パプニカ留学中の宮廷魔道士見習いが、オーザム王子の誕生会に招かれるともなれば、それはれっきとした公式行事であり、外交の場となる。しかも他国のパーティに参加するともなればよくて一日、悪ければ泊まりがけになって数日の時間が掛かってしまう。 ダイを探すために全力を尽くしたいポップにとっては、その時間のロスがなによりも痛い。 だからこそ、その焦りを沈めるためにポップはダイの剣を見に行ったのだ。 (まじかよ〜、堅苦しいお偉方とのパーティなんて、ただでさえ苦手なのによ〜) うっかりとキルバーンの相手をしてしまったせいで、ポップはパーティの準備など何もしていない。 あの不思議な体験が実体験か、ただの夢なのかは置いておくとして、ポップが感じている疲労感は半端なものではない。 さすがにこの状態でオーザムに行き、そのままパーティに参加するのは体力的にきついものがある。 「あー、えっとさぁ、姫さん、ものは相談だけどさ、その誕生会って欠席するわけには……いかないよな、さすがに、ははは」 おそるおそる申し出た第一希望だが、レオナがぎろりと光らせた目の冷たさを見て、ポップは慌ててそれを引っ込めた。 宮廷魔道士ならば、その国の文献や秘文書の閲覧を要求できる権利があるように、王の命令に従う義務が伴うものだ。 一国の王子の誕生日への招待ともなれば、体調不良程度では欠席は許されないようだ。 ならばそれは諦めるにしても、せめて2、3時間でもいいから仮眠をとっておかないと、後がきつい。 「あー、それじゃ、今日は気球船はナシってことにしてくんない?」 「はあ?」 驚きのせいか、レオナが姫にはいささか相応しくないはしたない声をあげる。 瞬間移動呪文の使い手が少ないというのが最大の理由ではあるが、基本的に他国へ招待される時は、その国が推奨する移動手段を使って行くのが礼儀というものだ。 だからこそ王族や貴族はたとえ配下に魔法の使い手を抱えていても、通常時には時間をかけて船だの馬車だのを使って他国を訪問するのが常だ。 それはポップも分かっているし、時間が掛かる船ではなく、レオナの協力と口添えのおかげで気球船を使う段取りがついていたのはむしろラッキーだと思っていた。 普通なら数日から数週間はかかる日程の旅行になるが、気球船を使えばパプニカからオーザムまで半日と掛からない。 「大丈夫、大丈夫、ぎりぎりの時間になったらおれが直接オーザムまでルーラするから! その方がよっぽど早いし、その分ゆっくりと眠れるし! つーか、少しでもいいから寝ないと持たないんだよっ」 呆れて言葉もないのか珍しく絶句しているレオナに、ポップはここぞとばかりに畳み掛けるように熱心に頼み込む。 「な、使者が来たら、うまく騙くらかして丸めこんでおいてくれないかな? 恥も外聞もなく必死で、ついでに常識すらうっちゃってレオナに頼み込むのに熱中していたポップは、近寄ってくる足音には全く気づかなかった。 「…………黙って聞いていれば、一国の王女にそんな失礼な行動の共犯を持ちかけるだなんて何を考えてるんだよ、キミって人は。 と、冷ややかな声をかけられ、ポップはぎょっとしてそっちを向く。 ポップがそう思い込んだ最大要因は、主にレオナの態度にある。 頭ごなしにポップを怒鳴りつけるなんて真似は、プライベートでしか見せないのだ。だからこそてっきり、この場には知り合いしかいないと思い込んでいたのだが、こんな話を仲間以外の人間に聞かれるのはまずい。 それだけに慌てたものの、ヒュンケルのさらに後ろからこっちにやってきた人影を見て、ポップは気が抜けるのを感じた。 北欧地方特有の淡い色彩の髪の、鋭い目付きが印象的な少年。 「ノヴァ?!」 北の勇者と呼ばれたこの少年は、ポップにとっては仲間の位置づけにいる相手だ、多少の醜態やら礼儀しらずなところを見せようとも問題はない。 そういう意味ではホッとしたものの、いきなりこうも高飛車に文句を言われてはとても黙ってはいられない。
そう突っ撥ねたのは、悪気ではなかった。 「……関係ない?」 カチンときたとばかりに大袈裟に眉をしかめ、ノヴァの顔にもポップと負けず劣らずの負けん気の強い表情が浮かぶ。 だが、感情のままに怒鳴り散らすポップと違って、ノヴァはそのまま自分の憤慨をまき散らすような真似はしなかった。 「ああ、そう言えば挨拶が遅れたね――これは、こちらに非があった。一応謝るよ」 とても謝罪しているとは思えない尊大な態度でそう言ったかと思うと、ノヴァはスッと背筋を伸ばしてポップの前に跪く。 「ご挨拶が遅れて失礼を致しました、二代目大魔道士殿。 ついさっきまでの尖った態度や口調はどこへやら、恭しいと言っていい態度や口調でそう言ってのけるノヴァには一見、非の打ち所もない。 「と、言うわけで、ボクも立派な関係者ってわけなんだ。言っておくけど、そう簡単に丸め込めると思われちゃ迷惑だね」 皮肉たっぷりにそう言うと、すっくと立ち上がったノヴァはどことなく挑発的な視線をポップへと投げかけた――。
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