『数えきれない光 ー前編ー』

 

 空の色はゆっくりと、だが確実にその色合いを変えていた。
 地平線から徐々に白くなっていく光が、黒に限りなく近い濃紺だった空を朱の混じった明るい色へと塗り替えていく。

 空に一面瞬いていた星が次第に薄れていき、夜の闇の中ではあれ程までに輝いて見えた月が白く霞んでいくのを、ポップはぼんやりと眺めていた。
 普段は何気なく見過ごしていた穏やかな夜明けが、今日はひどく特別な光景のように感じられるのは、あの時に見たもう一つの『現在』のせいだろうか。

(あれ……結局、夢だったのかな。それとも、ゴメの力でやり直しのやり直しができたのかな)

 ゴメちゃん……ダイによってそう名付けられたあの金色のスライムは、神の涙と呼ばれる世界にたった一つしかない貴重な魔法道具だった。
 大魔王バーンでさえ警戒した神の涙ならば、奇跡を起こすのも容易いとポップは戦いが終わった後になってから知った。

 その力を使って、ポップに予知夢を見せて警告してくれたのか。
 それとも、ポップが本当に過去に戻ってやり直していたところを、奇跡の力で再度巻き戻してくれたのか。
 今となっては、どちらだったのかポップには分からない。

(ま、冷静になってみりゃ、どっちにしろあの野郎の話にのらなくてよかったけどよ)

 あの時はもう少しで誘惑に負けるところだったが、よくよく考えれば危ないところだったとポップは思う。
 なにせ、あの道具を見せびらかしに来たのはキルバーンだ。

 彼が正直者とは、口が裂けても言えやしない。あの魔法道具に強い魔法力があったことだけは確かだが、それが死神が言った通りの効果だとは限らない。というか、限りなく怪しすぎる。

 本当に人生をやり直す効果があったかどうかでさえ怪しいものだし、実際のあの体験の中ではやり直しどころか最悪とも言える展開を辿っていた。
 それを考えれば、本当にゴメちゃんの手助けはありがたかった。どちらだったにせよ、彼に助けられたのには変わりはないのだ。

 だが、知らなかったとは言え、ずっと近くにいてくれた小さな友達と別れてしまったことが、やはり寂しくて辛い。
 その辛さを埋めるようにダイの剣に寄り添って、ポップはぼんやりと消えていく星を数えていた――。

 


 と、少し離れた所から息を飲む音が聞こえてきた。

「ポップ君……っ?!」

「え? あ……ひ、姫さん?! な、なんで、ここに……っ?!」

 振り向いた先にいたのは、紛れもなくレオナだった。さらにその後ろにいるのは、なぜか近衛兵の盛装を着たヒュンケルだ。
 なんでと言いかけたポップだが、考えてみればレオナが早朝に剣のところまで散歩に来るのは割とよくある話だ。

 彼女もまた、ダイの身を案じている者の一人なのだから。
 ヒュンケルの方も、同じことだ。
 今のところパプニカ城の居候であるヒュンケルが、彼女の護衛をしているのもそれほど不思議はない。

 別に仕官しているわけではないが、パプニカ王国を一度は滅ぼした罪を自覚するヒュンケルは、贖罪の思いがあるせいかレオナの頼みを断ったためしがない。
 レオナが望むのなら、それこそ真夜中だろうと彼女の気紛れなお忍びに付き合い、護衛として付き添うし、その際に盛装を求められれば素直に応じるだろう。

 まあ、さすがに夜明け直後のお忍びの散歩というのは早すぎる気がしないでもないが、毛を逆立てんばかりに怒ってズカズカとこちらに歩いて来るレオナをみては、そんな些細な疑問を口にする勇気も消え失せる。

「それはこっちのセリフよ、ちょっと、ちょっとポップ君っ?!、なんだって寝坊なあなたが、こんな時間にこんな所にいるのよっ?!」

 けたたましい声がついさっきまでの感傷など一気に吹き飛ばし、ポップを現実へと引き戻す。
 まずいなと思いつつ、ポップはなんとか引きつった笑みを浮かべつつごまかそうとした。


「い、いや、たまにはおれだって早起きする時だってあるって」

「へーえ。早起き、ねえ〜?
 それにしては、あなたの目の下にはクマも浮いているし、なんだか疲れきっているみたいに見えるんだけど?
 まさかとは思うけど、昨夜からずっとここにいるんじゃないでしょうね?」

 一応は疑問系の問い掛けの体裁はとっているものの、威嚇するかのように睨めつけるその目は、まさに犯罪者を眺めるそれだった。
 それに、いつものことながらレオナの指摘は見事なまでに核心を射ぬく。

 実際にはその通りなだけに内心ギクリしたポップだったが、敢えてなんでもない風を装う。

「や、やだな〜、何言ってるんだよ、姫さんっ。さ、さぁ〜て、腹も減ったし朝飯でも食べに行こうかな〜」

 ……なんでもないどころか、気負い過ぎて怪しさ大爆発である。わざとらしいまでに下手くそな演技に、レオナはますます憤然として肩を怒らせ、ヒュンケルまでもが呆れた顔をする。
 が、急に顔をしかめて、そそくさと通り過ぎようとポップの腕を掴んだ。

「なにすんだよ、てめえっ?!」

 いきなりの行動に腹を立てポップは腕を振り払おうとするが、ヒュンケルはますますしっかりとポップの腕を掴んで引き寄せる。

「手……怪我、しているな」

 言われてから、ポップはようやくその怪我を思い出した。たいして痛くはなかったし、他のことに気を取られたせいですっかりと忘れていたが、半ば乾いた血が手にこびりついていた。

「たいした怪我じゃねーよ、こんなの。後で手当てしとくって」

 わざわざ回復魔法をかけるほどの怪我ではないと判断し、ポップはそう答える。多少の怪我ならば、魔法に頼るよりも普通の人がそうしているように薬草を当てて治療する方がいい。
 回復魔法は便利な力だが、多用し過ぎると人体に自然に備わっている治癒力を損ねる場合もあるとされている。

 利き手ならば仕事に差し支えるから魔法をかける気にもなるが、左手なら別だ。絆創膏でも張っておけば済む程度の傷だし、最悪でも数日包帯を巻くだけのことだ、問題はないだろう――そう考えたポップだが、レオナが強引にその手を取った。

「何言ってるの、駄目よ! 今日はオーザムからの使者が迎えにくるっていうのに、うちで一番の賢者に手に包帯なんか巻かれていたら困るのよ!
 賢者ともあろう者が自分の怪我も治せないなんて思われたら、魔法王国パプニカの評判にまで関わるじゃないの」

 と、ぷりぷりと腹を立てつつもレオナが掛けてくれた回復魔法で、ポップの手はあっさりと完治する。
 が、ポップにとってはそれよりもレオナの聞き捨てならない台詞の方が気掛かりだった。
「へ? オーザムの使者って?」

 思わず尋ねた瞬間、レオナの眉が一瞬ヒクッと震え、周囲の気温が下がったかのようにその場が冷たく凍りつく。

「へ……へーえ〜、そう、忘れたの? 昨日も、あんなに念を押して確認したばかりなのに?
 明日、オーザムの王子の誕生会が開かれるから、是非、二代目大魔道士にもご招待をって、ずいぶん前から誘われていたじゃないの! 今日、オーザムからの使者が迎えに来るから、早くからきちんとちゃんと盛装しておいてねってあれほど言ったじゃない!」

「え……あっ、あれかっ。悪いっ、わ、忘れてたわけじゃねえんだけどよ〜」

 昨夜、レオナからその話を聞いたことはちゃんと覚えている。というか、それを覚えているからこそ、ポップはダイの剣の所へと来たのだ。
 オーザムへ行くこと自体は、嫌ではない。

 各国に留学しては古い文献を調べているポップにとって、短い間とは言え一時は暮らしていた国だ。
 世話になった恩義もあるし、ポップはオーザムの王子とは個人的に面識もある。

 今度の誕生日でやっと5才になるオーザム王子は、かの王族の唯一の生き残りとして国民の希望を一心に背負っている。
 その幼さにもかかわらずなかなか賢い子供であり、ポップを尊敬して素直に慕ってくれる無邪気な王子のことは、ポップは大いに気に入っている。

 彼の誕生日を祝うのは別に嫌なんかじゃないし、招待状を受け取る前から個人的に何かプレゼントを送ろうと思っていたが、国で開かれる正式なパーティに呼ばれるのは気が重い。

 村で友達の誕生日に家に招かれたのなら、よその母親の料理を堪能してケーキにありつくのを楽しみしていればいいが、一国の王子の誕生日ともなればそんな気楽なものではない。

 パプニカ留学中の宮廷魔道士見習いが、オーザム王子の誕生会に招かれるともなれば、それはれっきとした公式行事であり、外交の場となる。しかも他国のパーティに参加するともなればよくて一日、悪ければ泊まりがけになって数日の時間が掛かってしまう。

 ダイを探すために全力を尽くしたいポップにとっては、その時間のロスがなによりも痛い。
 自分がこんな風に呑気に過ごしている間にも、ダイがどうなっているかと思うだけで、いてもたってもいられないような焦りを感じてしまう。

 だからこそ、その焦りを沈めるためにポップはダイの剣を見に行ったのだ。
 が、あの後キルバーンとの遭遇やらなにやらの騒ぎのせいで、すっかりと忘れてしまっていた。

(まじかよ〜、堅苦しいお偉方とのパーティなんて、ただでさえ苦手なのによ〜)

 うっかりとキルバーンの相手をしてしまったせいで、ポップはパーティの準備など何もしていない。
 おまけに成り行きとはいえ、今のポップはほぼ完徹状態だ。

 あの不思議な体験が実体験か、ただの夢なのかは置いておくとして、ポップが感じている疲労感は半端なものではない。
 それこそ魔法力を使い果たしたようにやけにだるい上に、眠くてたまらない。

 さすがにこの状態でオーザムに行き、そのままパーティに参加するのは体力的にきついものがある。

「あー、えっとさぁ、姫さん、ものは相談だけどさ、その誕生会って欠席するわけには……いかないよな、さすがに、ははは」

 おそるおそる申し出た第一希望だが、レオナがぎろりと光らせた目の冷たさを見て、ポップは慌ててそれを引っ込めた。
 短期の留学であっても、また、見習いであり名目だけの宮廷魔道士であっても、仮にも宮廷に仕える者には当然のように権利とともに義務がある。

 宮廷魔道士ならば、その国の文献や秘文書の閲覧を要求できる権利があるように、王の命令に従う義務が伴うものだ。
 一応パプニカ王宮に居候している以上、ポップが他国に対して非礼を行えば、その責任だの面子の問題だのは当然パプニカ王宮にも向けられることになる。

 一国の王子の誕生日への招待ともなれば、体調不良程度では欠席は許されないようだ。 ならばそれは諦めるにしても、せめて2、3時間でもいいから仮眠をとっておかないと、後がきつい。
 素早くそれを計算したポップは、次善の策へと飛びついた。

「あー、それじゃ、今日は気球船はナシってことにしてくんない?」

「はあ?」

 驚きのせいか、レオナが姫にはいささか相応しくないはしたない声をあげる。
 その驚きも、無理もない。
 ポップとて、今となっては国から国へ移動するのに瞬間移動呪文は不作法だという宮廷の常識は分かっている。

 瞬間移動呪文の使い手が少ないというのが最大の理由ではあるが、基本的に他国へ招待される時は、その国が推奨する移動手段を使って行くのが礼儀というものだ。
 そもそも、術者のイメージ次第で城の中枢部分にまで入り込めてしまう瞬間移動呪文は、魔法に慣れていない者にとっては驚異以外のなにものでもない。

 だからこそ王族や貴族はたとえ配下に魔法の使い手を抱えていても、通常時には時間をかけて船だの馬車だのを使って他国を訪問するのが常だ。
 魔法を使えば一瞬で行けるとしても、非常時以外にそうするのは相手に対して失礼だという暗黙の了解がある。

 それはポップも分かっているし、時間が掛かる船ではなく、レオナの協力と口添えのおかげで気球船を使う段取りがついていたのはむしろラッキーだと思っていた。
 パプニカ自慢の気球船は、普通の船や馬車など比べ物にならない速度を誇る。

 普通なら数日から数週間はかかる日程の旅行になるが、気球船を使えばパプニカからオーザムまで半日と掛からない。
 しかし、今のポップにはその半日さえも惜しかった。

「大丈夫、大丈夫、ぎりぎりの時間になったらおれが直接オーザムまでルーラするから! その方がよっぽど早いし、その分ゆっくりと眠れるし! つーか、少しでもいいから寝ないと持たないんだよっ」

 呆れて言葉もないのか珍しく絶句しているレオナに、ポップはここぞとばかりに畳み掛けるように熱心に頼み込む。

「な、使者が来たら、うまく騙くらかして丸めこんでおいてくれないかな?
 あー、できれば少しでもお茶とかご馳走とか振る舞って、時間稼ぎして使者を引き止めてくれると、マジ助かる――」

 恥も外聞もなく必死で、ついでに常識すらうっちゃってレオナに頼み込むのに熱中していたポップは、近寄ってくる足音には全く気づかなかった。

「…………黙って聞いていれば、一国の王女にそんな失礼な行動の共犯を持ちかけるだなんて何を考えてるんだよ、キミって人は。
 呆れたね」

 と、冷ややかな声をかけられ、ポップはぎょっとしてそっちを向く。
 半ば寝ぼけていたせいもあるが、ポップはこの場にいるのがレオナやヒュンケルだけだと疑ってもいなかった。

 ポップがそう思い込んだ最大要因は、主にレオナの態度にある。
 公私の区別をはっきりとつけるタイプのレオナは、他人の目がある所では王女として恥ずかしくない振る舞いを心掛ける。

 頭ごなしにポップを怒鳴りつけるなんて真似は、プライベートでしか見せないのだ。だからこそてっきり、この場には知り合いしかいないと思い込んでいたのだが、こんな話を仲間以外の人間に聞かれるのはまずい。

 それだけに慌てたものの、ヒュンケルのさらに後ろからこっちにやってきた人影を見て、ポップは気が抜けるのを感じた。

 北欧地方特有の淡い色彩の髪の、鋭い目付きが印象的な少年。
 ポップとほぼ代わらない年齢にもかかわらず、騎士の盛装っぽい立派な衣装が様になっているその少年は、見知った顔だった。

「ノヴァ?!」

 北の勇者と呼ばれたこの少年は、ポップにとっては仲間の位置づけにいる相手だ、多少の醜態やら礼儀しらずなところを見せようとも問題はない。

 そういう意味ではホッとしたものの、いきなりこうも高飛車に文句を言われてはとても黙ってはいられない。
 生来の負けん気が込み上げてきて、ポップは次の瞬間には顔をしかめて言い返していた。


「……って、なんでおまえがここに? つーか、余計なことに口だししてくるんだよっ?! おまえには関係ねーだろ!」

 そう突っ撥ねたのは、悪気ではなかった。
 ポップにしてみれば、レオナとヒュンケルだけでも厄介だと言うのに、そこにノヴァも加わったら面倒だと思ったまでだ。
 だが、その一言は明らかにノヴァの中の何かを刺激したらしい。

「……関係ない?」

 カチンときたとばかりに大袈裟に眉をしかめ、ノヴァの顔にもポップと負けず劣らずの負けん気の強い表情が浮かぶ。

 だが、感情のままに怒鳴り散らすポップと違って、ノヴァはそのまま自分の憤慨をまき散らすような真似はしなかった。
 いかにも腹立たしそうに鼻をフンとならしつつも、ノヴァは敢えて落ち着いた声を出そうとする。

「ああ、そう言えば挨拶が遅れたね――これは、こちらに非があった。一応謝るよ」

 とても謝罪しているとは思えない尊大な態度でそう言ったかと思うと、ノヴァはスッと背筋を伸ばしてポップの前に跪く。
 そして、堂々とした声で高らかに宣言した。

「ご挨拶が遅れて失礼を致しました、二代目大魔道士殿。
 我が名はリンガイア将軍ノヴァ、この度オーザム王国より要請を受け、大魔道士様のご送迎の大任を預かりました。
 若輩者の身ではありますが、精一杯努めますのでよろしくお願いします」

 ついさっきまでの尖った態度や口調はどこへやら、恭しいと言っていい態度や口調でそう言ってのけるノヴァには一見、非の打ち所もない。
 騎士に相応しい礼儀正しさと、流暢な挨拶にポップはしばし呆気に取られてぽかんとせずにはいられない。

「と、言うわけで、ボクも立派な関係者ってわけなんだ。言っておくけど、そう簡単に丸め込めると思われちゃ迷惑だね」

 皮肉たっぷりにそう言うと、すっくと立ち上がったノヴァはどことなく挑発的な視線をポップへと投げかけた――。
                                    《続く》

 

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