『思い出の甘さ ー前編ー』

 

 なんとなく、物足りない。
 仲間達がずらりと勢揃いし、素朴ながらもたっぷりと用意された食事が並ぶ食卓を囲みながら、ヒュンケルはそう感じずにはいられなかった。

 別に、食事に不満があるというわけではない。
 戦時下だというのに、パプニカ城では勇者一行を初めとした城で働く者達への食事には十分以上の配慮がされている。

 その方向性を一言で言えば、量優先。
 高価な物や珍しい食材を用意するのではなく、安くとも良質で栄養のある食事をたっぷりと、全員が取れるように――それが、現在のパプニカ城の食事方針だ。

 その方針のせいで、王女であるレオナから、城で下働きしている侍女や兵士までもがほぼ同じ食事内容となっているが、ヒュンケルはそれを称賛こそすれど異議などない。

 一度はパプニカを滅ぼした自分にさえ食事を与え、同じ食卓囲むことを許すレオナの懐の広さと寛大さにはいつも感謝の念を抱いている。

 王女という身分にも関わらず気さくなレオナは、勇者一行と共に囲む食卓が気に入っているようで、時間の許す限り食事の時間は皆で顔を合わせようとしている。

 全員で雑談を交わしながら賑やかに過ごす食卓は、ヒュンケルにとっても心地の良いものではあった。

 もっともどちらかと言えば口下手で無口なヒュンケルは必要最小限以外はほとんど話もせず、ただ黙々と食べているに過ぎないのだが、賑やかさの一端を味わっているだけで満足だ。

 直接会話に参加しなくても、仲間達が楽しげにはしゃいでいる姿を見ているだけでいい。それだけで、十分以上にヒュンケルも楽しんでいるのだから。

 だが……今日の食卓は、妙に静かだった。
 沈んでいる、というわけではない。いつもと同じ程度には、食卓で会話が交わされている。

 しかし、どうにも盛り上がりに欠けるというのか、いつものようには会話が弾まない。その原因は、明白だった。

(……こんなに違うとはな)

 一人分だけ空いたままの席に、ヒュンケルは目をやらずにはいられない。
 ダイとマァムの間にぽっかりと空いた椅子は、いつもならポップが座っている場所だ。だが、風邪を引いてしまったポップは今は病室で寝込んでいる。

 その影響は、大きかった。
 ポップ一人がいないだけなのに、いつもは賑やかな食卓がずいぶんと静かで閑散とした印象になる。
 そう思うのは、決してヒュンケルだけではなかったようだ。

「ごちそうさま。おれ、もういいや」

 最初に出された食事を食べ終わったダイが、腰を上げるのを見てマァムが声をかける。

「ダイ、もういいの? お代わりは?」

 育ち盛りのダイは、見た目を裏切る大食漢だ。小さな身体のどこに入るのかと疑問に思う程の量の食事を、ペロリとたいらげてしまう。
 一度だけのお代わりでは足りず、もっと食べたいとねだることも多い。
 だが、今日は食欲がないようだった。

「うん、なんか、もう食べたくないんだ」

 困ったような笑顔でそう言うと、ダイはどことなくしょんぼりとした様子で食卓を離れる。
 いつもなら、ポップと一緒に先を争うように外へ飛び出す姿とは雲泥の差だ。

 ダイほど露骨では無いものの、他のメンバーとは多かれ少なかれ同じようなものだった。ポップと顔を突き合わせる度にすぐケンカを始めるチウでさえ、ポップの不在が物足りないのかつまらなそうで、いまいち冴えない感じである。

 早く、ポップが良くなればいい――そう思いながら、ヒュンケル自身もそれ程食が進まないまま席を立った。








 夕暮れ前に、ヒュンケルは剣の稽古を早めに切り上げ城の中へと戻る。
 これは、ヒュンケルにとっては珍しいことだった。

 普段ならば彼は、修行を優先してなかなか城には戻らない。元々、クロコダインと共に別行動を取ることも多いヒュンケルは、そもそも団体行動自体に馴染めない。

 野宿でもしながら一人で修行した方が、よほど気楽だと思うし効率もいいと考えている。 
 なにより今は、自分を少しでも鍛え直すべき時期だ。

 魔王軍の戦力は、いまや半減したと言っていい。ハドラー親衛隊という新たな敵が出現したという不安要素もあるが、今こそが勝負所だとヒュンケルは考えている。

 今まで人間達は、魔王軍の攻撃に対して常に受け身だった。敵が攻めてくるのを耐え凌ぐだけで精一杯だったし、それさえ堪えきれずに複数の国に多大な被害が生じていた。

 だが、それと引き換えに魔王軍の六団長の戦力は大幅に削った。
 今や残っているのはミストバーンとキルバーン、それにもう戦力としては恐れる必要もないザボエラだけだ。

 今こそ、こちらから敵陣に乗り込んで打って出る時だとヒュンケルは考えているし、レオナもそれに賛同してくれた。

 来たるべき決戦に備え、レオナは各国の王達と連携をとって戦いの準備を整える手筈を整えてくれている。ダイを初めとする勇者一行の面々も、準備期間の間に少しでも自身を鍛え、戦力を高めるためにはどうしたらいいのか熱心に話し合っている。

 実際、ダイとヒュンケルは武器の修復を最優先するため、一度、ロン・ベルクの所へ行くことで合意している。
 だが、まだそれは実行されていない。

 体調が整わないから、ではない。
 ダイもヒュンケルも鬼岩城の戦いで少なからぬダメージを負ったのは事実だが、二人とも回復力はずば抜けている。

 戦いの翌日にはすでに8割方回復していたし、もしそうでなかったとしても、問題が自分だけのことならヒュンケルは怪我の完治を待たずに旅立っていただろう。

 だが、ダイとヒュンケルが目覚ましい回復を見せたのとは逆に、ポップは翌日から熱を出して寝込んでしまった。
 戦いの疲れが出たのか、それとも氷海に漬かったダメージのせいか……どちらにせよ、ポップに休養が必要なのは確実だった。

 そんなポップを心配して、ダイは彼が元気になるまでは側にいると言い張ってきかない。
 それに習ったように、ヒュンケルもパプニカ城からあまり遠くには行かないように心掛けていた。

 それには、防衛の意味もあった。
 ポップには悪いが、風邪を引いて本調子ではない魔法使いを戦力として数えるわけにはいかない。

 いざと言う時の戦力が不足している状態で、本拠地を手薄にするわけにはいかない――それが一番の理由ではあるが、ヒュンケル自身自覚していた。
 それらの理由は限りなく建て前に近い、と。

 本音を言えば、ヒュンケルもダイと同じだ。単にポップのことが心配で、離れがたいだけだ。

 理屈では、ポップはただ風邪を引いただけでそう具合が悪いわけでもないし、パプニカ城にいれば彼を看病する者は必ずいるのだから、まず心配がないことも分かっている。

 ポップのことはレオナ達に任せ、さっさとロン・ベルクの所に行けばいい。ダイがポップの回復を待つつもりでも、ヒュンケルだけ先行するのは可能だ。
 と言うより、そうするのが一番効率がいいだろう。

 だが、感情は理屈で消しされるものではない。
 ポップの体調復帰を確かめずに遠出をするのは、ヒュンケルとしてもどうしても気が進まなかった。

 せめて少しでも身体を慣らそうと城の周辺で修行をしていても、どうも身に入らない。

 気が散っているこの状態ではいくら修行をしたところで意味はないと、早めに城へと帰還したヒュンケルは、城の廊下をとぼとぼと歩いている少女を見掛けた。

 いつもなら背筋をピンと伸ばして生き生きと動くはずの少女は、今は肩を落としているというのか、どうにも生彩に欠ける雰囲気でしょんぼりと歩いていた。
 後ろ姿でも一目で分かる仲間の姿に、ヒュンケルは迷わずに声を掛ける。

「マァム」

「あ……ヒュンケル? 今日は早いのね」

 呼び掛けに振り向いた顔にはいつものように笑みは浮かんだものの、どうにも元気のないものだった。
 これが、他の者だったのならヒュンケルはそれ以上関わろうとは思わなかっただろう。

 だが、マァムは特別中の特別だ。
 同じようにアバンの教えを受けた仲間であり、自分を闇の中から救ってくれた天使――それだけにマァムの憂い顔は気に掛かる。

 だからこそヒュンケルはいつも他人に対して張っている拒絶の壁を解き、踏み込んだ質問をしてみる。

「……どうした?」

 尋ねてみると、マァムはまるでそれを待ち兼ねていたように、一気に不安をぶちまけた。

「実は、ポップのことなの。
 今日は私が昼食の当番だったんだけど、ポップは今度も全然食べてくれなくって……。ジュースでさえちょっと飲んだだけで咳き込んでしまって、全然喉を通らないの……」

 いかにも心配そうな顔でそう言うマァムの愚痴を聞くのは、初めてではなかった。

 だいたいポップが寝込んで以来、食堂での最大関心事の話題が彼の容体だ。魔王軍への対策を上回る熱意で、誰もがポップの病状の話を聞きたがっているのだが――残念ながらあまりいい方向に進んではいない。

 風邪自体はそう重くもないし、数日おとなしく寝ていれば治る程度の容体にすぎない。
 が、問題なのはポップに安静の意思が全くない辺りだ。

 少しでも目を離せばこっそりベッドから抜けだすという無茶をやらかすポップは、優良患者とはとても言いがたい。
 そのせいか風邪は治るどころかこじれる一方で、今や喉を痛めて食事もろくに取れない状態になっているらしい。

 朝食の時よりも悪化してしまったポップの最新の病状に、ヒュンケルは内心溜め息をつかずにはいられない。

「……しかたのない奴だな」

「本当にポップったら……! みんながこんなに心配しているのに!! せめて、少しでも何かを食べてくれると安心できるのに……! いろいろとポップが好きそうな飲み物とか試してはいるんだけど、全然ダメなの」

 怒ったように文句を言いながらも、マァムは心配でたまらない様子だった。
 そんな彼女を見ながら、ヒュンケルは一つ、思い出したことがあった。

「マァム。一つ、試してみたい飲み物があるんだが、材料はあるだろうか――」








 少しばかり緊張しながら、ヒュンケルは『それ』を手にしてポップの病室へと向かう。

 しかし、こんな風にポップの見舞いへ行くのはいささか気後れするというか、気恥ずかしいものがあった。

 もちろん仲間である以上、ヒュンケルはポップと一緒にいる時間は少なくはない。だが、正直なところポップとヒュンケルはあまり気があっているとは言い難い。

 と言うよりも、ポップが一方的にヒュンケルに突っ掛かってくると言った方がいい。

 まあ、ポップも本心からヒュンケルを嫌っているというよりも、兄に反発する弟のようにやたらとムキになっている印象で、ヒュンケルとしては本気で気にしたことはない。

 むしろ、普段はポップの遠慮無しの反抗心を好ましくさえ思っているぐらいだが、今は少しばかりまずい。

 寝込んでいる病人を興奮させるのはまずいだろうと、ヒュンケルは極力ポップの看病は自粛していた。見舞いにさえ気を使って、誰か他の者と一緒にちらりと部屋を覗く程度に留めていた。

 それだけに、こんな風に改まって一人で見舞いに向かうのはなんだか照れくさい気がする。

 本当は飲み物を用意した後はマァムに届けてもらいたかったのだが、彼女は笑顔でそれを拒否した。
 ヒュンケルから話を聞いたマァムは、飲み物を作るのに協力してくれたが、運ぶのだけは手伝ってくれなかった。

『それなら、あなたがポップに直接渡した方がきっといいわ』

 そう言って、口下手なヒュンケルが反論を考えるよりも早くさっさと台所から背中を押しだした。
 こうなってしまっては、自分自身で行くしかなさそうだ。

 せっかく用意した飲み物が冷めないよう、急ぎ足でポップの病室へと向かったヒュンケルはノックをしないで、そっとドアをあける。
 もしポップが眠っているようなら、すぐに引き返すためにそうしたのだが、ポップの部屋に入ってすぐ、ヒュンケルは目を剥かずにはいられなかった。

 なにしろ食欲も無く、睡眠も良く取れていないはずの病人が、窓を大きく開けて外に飛び出そうとしている真っ最中だったのだから。

 まさに空に羽ばたこうとしている寸前なのか、大きく身を乗り出しているポップを見てヒュンケルは自分で思っていた以上に焦っていたらしい。
 考えるよりも早く、声をかけていた。

「何をしている、ポップ」

 だが、その声は彼を止めるどころかはっきり言って逆効果だったらしい。驚いたポップが、慌てふためいて悲鳴を上げる。

「う、うわわわぁっ!?」

 危うく窓から落ちそうになったポップを見て、ヒュンケルは即座に行動に出ていた。手にしていたカップをそこらに置き、できる限りの早さでポップに近付き、引き戻す。

 焦り過ぎていたせいで引き戻す場所を選ぶ余裕が無く、襟首を強く引っ張ってしまい、乱暴にし過ぎたかとヒュンケルは焦る。

 その焦りのせいか、ヒュンケルは力加減を間違えてしまった。単にベッドの方角に引き戻すだけのつもりが、予想以上にポップが軽かったせいもあり、そのまま突き飛ばすような格好になってしまった。

 自分やダイなら、普通に足を踏ん張って踏みとどまれる程度の力しかいれなかったのだが、どうやらポップに対しては乱暴過ぎたらしい。
 ポップから手を放したヒュンケル自身が驚くような勢いで、細身の身体は投げ飛ばされるようにベッドに一度沈み込む。

 やりすぎたかとちらりと思ったが、ポップは案外元気に起き上がって即座に文句を付けてきた。

「危ないだろっ、ヒュンケル!? いきなり、何をしやがるんだよっ!?」

 そう睨みつけられ、ヒュンケルが真っ先に感じたのは安堵感だった。
 マァムやダイから聞く話では、ポップの風邪はどうやらかなりこじれてしまっているようで、あまり元気とは言いがたい様子だった。

 それだけにもっと具合が悪いのではないかと案じていたのだが、実際に対面して見るとポップの口調はいつも通りのままだ。
 それにホッとしたものの、じっとポップの様子を見つめるとその安堵感も薄れてしまう。

 口調こそは威勢がいいのだが、それと反比例して顔色はよくないのだ。あまり眠れていないのも、目の下のクマを見れば一目で分かる。
 これでは、ダイ達が心配するのも当たり前だ。

 それにも関わらず一人になった途端にこっそりと抜け出そうとしたポップに対して、怒りじみた感情すら沸いてくる。
 だが、それでもヒュンケルはその感情を抑えようとした。なんと言っても相手は安静を必要とする病人なのだ、言い争いをする気など最初からない。

 しかし、その思いとは裏腹に、ヒュンケルの口からついて出たのは自分でもいささか冷たいと思える責めるような言葉だった。

「――それはこっちの台詞だ。今、何をしようとしていた」

「う……っ!?」

 さすがに自分が無茶をしているという自覚ぐらいはあるのか、ポップは気まずそうに目を泳がせる。
 だが、そのまま殊勝に反省するような素直さなど持ち合わせていないこの魔法使いは、開き直って文句を言い返してきた。

「……な、何って、なんにもしてねーよっ! ただ、ずっと窓を締めっ放しで暑くなったから、ちょっと開けただけだろ!?」

 震えている癖によくもまあ、そこまで白々しい言い訳を言えるものだと、ヒュンケルは呆れずにはいられない。
 その点を指摘しようかと思わないでもなかったが、まず、ヒュンケルは窓を閉めるのを優先した。

 ヒュンケルにとっては心地好く感じる微風も、今のポップにとっては身体を凍えさせるに違いないから。

 それから、ヒュンケルはサイドテーブルへと戻り、カップを確かめる。
 さっき外へと出ようとしたポップを止めるためにかなり焦っていたため、もしかするとこぼしてしまったのではないかと思ったが、カップは幸いにも無事だった。

 手で触れてみると、十分に暖かい。
 それを確認してから、ヒュンケルはカップを手に取ってポップへと差し出した。
 だが、ポップは受け取ろうとさえしない。

「……な、なんだよ?」

 さっきからベッドの上に座り込んだままのポップは、きょとんとした顔でこちらを見ているばかりだ。
 その態度が、ヒュンケルにはいささか不公平なものとして映る。

 非常に不本意ではあるが、ポップが体調を崩しているのを見るのはこれが初めてではない。一度、自己犠牲呪文で死んだ後もポップはしばらくの間、体調を崩して寝込んでいた。

 その間も、周囲の者は心配をして、ポップの看病や身の回りの世話を行っていた。

 その際、ポップは飲み物や薬を渡されれば、素直に受け取っていた。薬は明らかに好きではなさそうだったが、それでもしぶしぶでも受け取っていたのは間違いがない。

 仲間だけでなく、初めて会った侍女や兵士の手から受け取った物でも、ポップは特に抵抗を見せなかった。

 が、ヒュンケルが差し出した物だけは受け取らないとは、少しばかり心外だ。
 そこまで信用されていないのかと、ちょっぴりとショックを受けながらもヒュンケルは手にしかカップを薦める。

「飲め」

 そう言い、押しつけるようにポップにそれを手渡すや否や、ヒュンケルは彼に背を向けて暖炉へと向かう。
 暖炉の火が弱り掛けているのに気づいたせいもあるが、そう振る舞った最大の原因は――怖かったからだ。

 自分が渡した飲み物を、ポップがいらないと拒否するかもしれない……それはそれで仕方がないと思いはするものの、ショックなのには変わりはない。
 ポップに断られるのを見たくないと背を向け、必要以上に熱心に暖炉に火をくべながら、ヒュンケルは懐かしい人のことを思い出していた――。


                                    《続く》

 

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