『深い、深い森の中で ー前編ー』

 

「……ったく、おまえと出会ったのは人生最大の失敗だったよ」

 苦々しい声で、吐き捨てるように言ったのはポップだった。
 その視線は疑問の余地もなく、真正面にいる人物に注がれている。なにしろ、ここは深い森の真っ直中だ。

 木々の落とす影のせいで、昼間だというのに薄暗い鬱蒼とした森。
 遠くから獣とも怪物ともつかない声が不気味な聞こえてくるような森の中では、人の姿が他にあるわけもない。
 小さな焚き火を挟んで向かい合っているのは、『勇者』と『魔法使い』だ。

「そんな……っ」

 相棒からの冷たい一言に、ダイはちょっぴり傷ついたような表情を見せるが、ポップは容赦しなかった。

「やかましいっ、何が『そんな……っ』だっ?! だいたい、誰のせいでこんな羽目になったと思ってんだっ?! 全部、おまえのせいだろうがっ!」

「え?! おれのっ?!」

 今度こそ、ダイは手放しに驚かずにはいられない。だが、ポップの方はダイのその反応の方が我慢ならないとばかりにまくし立ててくる。

「なぜ、そこで驚く?! だいたいだなぁ、おまえって奴は進歩ってもんがないのか?!
 地図も見ないで『だいたいこっちだと思う』って方向に進んだりするから、こーやって迷子になってるんだろうがっ! もう三日もこの森を彷徨ってるんだぞ、おれらはっ!」


 いかにも不満げにポンポンと文句を言うポップの言葉に、ダイは首を傾げずにはいられない。
 ポップの言っていることは、ある意味で正しい。
 が、いくつか抜けていることがあるのだ。

「えー? でも、地図を見なかったのはポップも同じじゃないか。面倒だから、おれに任せるって言ったし」

 確かに、ダイは地図を見るのは苦手だ。だが、それはポップだってよく知っている。
 そもそもダイとポップでは、ポップの方が格段に地図を見る能力が上だ。
 アバンについて一年半に渡って旅をしていた上に、その後も一人旅をしていたポップは、地図を見るのは得意中の得意だ。

 ダイから見ればただの丸だの三角だの変な線だけにしか見えない地図でも、ポップには意味が分かるらしく、どちらの方が険しい山だとか、この先は行き止まりだとか一目で看破する。

 だが、その割には、目的地のない時のポップの旅の仕方は行き当たりばったり方式だ。多少迷ったって問題ないだろうなどとアバウトなことを言ってるし、地図を広げるのも面倒がって、ダイに全部を丸投げするなんて珍しくもない。

 まあ、任されるのは別にいいのだが、好きな方向へ行っていいといわれたからそうしたのに、後になってから文句を言われるのは何かが間違っている気がする。
 その自覚はさすがにポップにもあるらしく、やや焦ったような調子で言い返してきた。


「そ、そんなのっ、おまえが地図を見てると思ったんだよっ、地図はおまえが持ってるんだし!」

 いささか動揺の見えるポップに、ダイはいたって冷静に言葉を返す。

「そりゃ、おれが持ってるけど、これってポップが押しつけたんじゃないか。余分な荷物持つの嫌だって言って」

 地図に限らないが、一応荷物は分配しているとはいえ重い物や厄介そうな物を全て持っているのは、ダイの方だ。
 が、ダイはまさに『持っているだけ』だ。それらの荷物は、全てポップの選択だ。旅には必要だと言いながらも、自分で持つのは面倒だからとダイに押しつけたものばかりだ。
 

 正直な話、ダイはポップから預かった物はきちんと持ってはいるが、それをいちいち活用するなんてことはしていない。何せ、中にはポップが絶対に中を見るななんて理不尽な言いつけと同時に渡してきた荷物もあるのである。

 そんな風にポップがダイに押しつけた荷物は、実はダイの荷物の半分以上を占める。だが、ダイはそれに文句も言わず、ポップがあれを出せと言わない限り、荷物の奥にしまいこんでいる。

 別にそれに不満もないからダイも普段はそんなの気にしてもいないが、さすがにこんな風に文句をつけられるのは筋違いな気がする。
 ポップの方も荷物を押しつけているのが悪いと思う気持ちが少しはあるのか、ダイの反論に怯んだ風だった。

 が、ポップは旗色が悪くなったからって、素直に自分も悪かったと認めるような性格じゃない。
 慌てたように、別方向からの突破口を切り開いてきた。

「そ、それにだなぁっ、このキノコ! これを見つけてきたのも、飯にしたのもおまえの仕業だろうがっ!」

 役人が命令書を振りかざすがごとく、妙に高飛車に指を突き付けてくるポップに、ダイは怒りもせずに素直に頷いた。
 なぜなら、それは純然たる事実だからだ。

「うん。
 おれもびっくりしたよ。このキノコ、食べたらいけなかったんだね」

 だからこそ素直に事実を認めたのだが、なぜかその態度はさっきまでの反論以上にポップの神経を逆撫でしたらしい。

「アホか、おのれはっ?!
 そんな間抜けなことを言ってのけるおまえに、びっくりだわっ?! こんな見るからに怪しいキノコを食べようだなんてどうして思ったのか、むしろそれを聞きたいぜっ!」

 カンカンになって怒鳴るポップの手に握られているのは、世にも不気味なキノコだった。 真っ赤なカサに、白い丸がぽつぽつと浮いたデザインは見るからに派手で、毒キノコだから気をつけろと自ら警告を発しているようにしか見えない。

 山奥の村で暮らしていたポップからしてみれば、絶対に手を出そうなんて思いもしないキノコだ。
 しかし、人里離れた無人の怪物島育ちのダイの感性や常識は、ポップとは大幅に違っていた。

「だって、これ、別に動かないから食べてもいいかなって思って。さすがにおばけキノコの小さいのとかだと、食べるのはちょっとかわいそうかな〜って思うけど、ただのキノコならいいかなって」

「『いいかな』じゃねえよ、『いいかな』じゃっ!! いいわけねーだろうがっ、こんなもんっ」

「だって、おなかすいてたんだもん。もう三日もろくなもの食べてないんだよー」

 思わず声が哀れっぽくなってしまうのは、どうしようもない。
 食いしん坊と言うなかれ。
 現在14才のダイは男の子ならほとんどの者が一度は通る道……少しでも多くの食料を食べまくりたいと考える時期に突入した。

 言わば食べ盛りの年齢のダイは三食とおやつをたっぷりと食べてもなお、まだおなかが空くお年頃だ。
 だが、今回は運が悪かった。

 小さなメダルを100枚集める旅、なんて酔狂な目標を掲げたポップは、さらにもう一つ物好きにも程のある目標をあげた。
 それこそが『ルーラ禁止令』だ。

 旅だった日こそはルーラを使いまくっていたが、旅をゆっくりと楽しむためには自分の足で歩いた方がいいと言い出したのである。
 よほどの緊急の用事でもない限り、ルーラもトベルーラも使わない――その規則に、ダイも賛成した。

 そもそもダイはあまりルーラもトベルーラも得意とは言えないし、なにより今回の旅は別に急ぎたい類いのものではない。ポップと一緒に遊ぶために旅をしているようなものだ、時間が掛かるのはむしろ望むところである。

 足の頑丈さには自信のあるダイにとっては、歩くのは全く苦にはならない。むしろ、言い出しっぺのポップの方が歩くのを嫌がってぶつくさ言う時があるが、それでも二人ともルーラを使わないという点では意見が一致している。

 足の向くまま気の向くままの当てのない旅を始めたダイやポップだが、主に町や村をベースに回りながら旅をすることが多い。
 それは主に、野宿なんてかったるい、寝床や食事はまともな方がいいというポップの主張に沿ったものだったりするが、今は理由はどうでもいい。

 つまるところ、ダイとポップの食事は宿屋か食堂で済ますことが多いのである。
 旅人の常識として一応は保存食は持っているものの、正直なところあまり多くは持ち歩かない。

 と言うよりも、おなかがすいたという毎日ひっきりなしに起こる非常時に、ダイが食べてしまうのである。
 そのせいで、ダイ逹が持ち歩く保存食はいつもほとんどギリギリ程度の量しかない。

 今回のように店に買い出しに行けない状態だと、結構きついものがある。おまけに、場所も悪かった。

 川や湖、海が近くにあれば、ダイは迷わず魚を捕ってきただろう。でなければ、適当な獲物を狩ってきてもいい。
 食べられる植物に関してはポップの方が詳しいし、二人そろっていればいざと言う時には自給自足できるはずなのだが……この森は特別だった。

 偶然迷い込んだこの森ときたら、怪物がやたらと多いせいで動物の姿を全く見掛けない。 気の立っている怪物に襲われるぐらいは、ダイにもポップにもたいした問題ではない。脅かすか、少しばかり痛い目に遭わせて追い払えばそれですむ。
 道を完全に見失って森の中をうろうろしているのも、たいした問題じゃない。

 しかし、食料という面から見れば大問題だった。
 怪物島育ちのダイにしてみれば、動物よりも怪物の方に馴染みがある分、狩りの獲物にはしにくい部分がある。

 ポップが怪物を食べるなんて御免だと言い張るせいもあり、基本的に怪物は獲物の対象外だ。
 だが、そうなると――食べるものに困るのは必然である。

 食べられる植物も見つからないため、乏しい食料を分け合いつつ三日を過ごしたが……正直、ダイは限界だった。
 二人の名誉のために言っておくと、ダイとポップの食料分配はいつだって平等だ。きっちりと同じ量を分けている。

 だが、小食気味なポップにはなんとか我慢できる量であっても、見た目によらぬ大食漢のダイには決定的に物足りない。
 だからといって、ポップの分の食料を取り上げるなど、ダイにとっては論外だ。

 普段は文句やわがままばかり言っているポップだが、本質的に彼は優しい。ダイが本気でおなかを空かしていると分かれば、ポップは自分の分を削ってでもダイに食事を分けてくれるだろう。
 だが、それはダイの望むところではない。

 さりとて空腹感に耐えきれず、ダイはなにか他に食べれるものはないかと探しまくり――件のキノコに目を止めたのである。

「でも、おれ一人で食べるつもりだったのに、一人だけ食べるのはずるいってポップが分けろって言ったんじゃないか〜」

「うっ?!」

 今度はポップが呻く番だった。
 実際のところ、ダイも少しは思ったのだ……このキノコは危ないかもしれない、とは。 知識はなくとも、ダイの勘は捨てたものではない。野生動物の本能並みの鋭さで、危険なものか、そうではないものかを見分けることができる。

 ダイの野生の勘は、このキノコはもしかすると危ないかもしれないと告げていた。
 だからこそ、ダイはポップには内緒でこっそりと食べようと思ったのである。仮にも竜の騎士であるダイは通常以上に身体も頑丈であり、毒素にも強い抵抗力を持っている。

 軽い毒キノコぐらいなら、食べても死なないだろうと言う自信もある。まあ、普通の人間なら毒キノコを食べるかもしれないリスクと空腹の天秤ならば、後者を選択するだろうがダイは迷わずに前者を選んだ。

 しかし、ポップに同じ危険な橋を渡らせる気はなかった。
 竜の騎士の血で蘇った経験のせいか、毒には多少強いという特性はあるが、ポップは普通の人間だ。

 それに苦痛にもそう強いわけでもないし、もしかするとおなかが痛くなるようなものをポップに食べさせるのは気が引ける。
 だからこそダイは、ポップが眠っている時間を狙ってこっそりと一人で食べるつもりだった。

 朝寝坊なポップは、そうそう朝早くから起きだしたりはしない。
 ポップが眠っている間にこっそりとキノコを食べようと思ったのは、悪気でもなければ独り占めするつもりでもない。

 その証拠に、ダイはちゃんとポップの分のキノコもとってきた。ポップが今持っているキノコこそが、それだ。
 もし、ダイが食べてしばらくしてもなんともないようなら、ポップに分けるつもりだったのだから。

 ただ、誤算だったのは、ダイがキノコのスープを作っていたら、物音のせいかそれとも匂いのせいか分からないが、ポップが起きてしまったことだった。
 目が覚めたポップは、朝食なら自分にも分けろといって騒ぎ、ダイはそれを拒否できなかった。

 ダイよりも小食とはいえ、ポップだっておなかが空いていないわけがない。ポップとて17才で、まだ育ち盛りな年齢なのだ。
 先に食べ始めた自分がなんともなかったし、それなら別にいいかと思ったせいもある。 が、それは結果から言えば見事なまでに大失敗だったのだが――。

「それにポップだって、おいしいって言っておかわりだってしたじゃないか」

 的確に真実をついてくるダイに、ポップは慌てふためいて怒鳴りつけてくる。

「う、うるせーな、だいたいてめえ、勇者の癖に生意気なんだよ!」

 やけにテンパっているせいか、ほとんど言い掛かりのような文句のつけっぷりにさすがにダイもカチンときて、言い返さずにはいられない。

「なに、それ?! っていうか、今、勇者なのはポップの方だろ!」

「そこが一番の大問題なんだろうがぁっ!! ったく、いったいぜんたいなんだってこんなことになったんだよぉおっ?!」

 魔法使い……いや、勇者ポップの絶叫が、森の中に大きく響き渡った――。

 

 

 きっかけは、頭痛だった。
 ダイ一人で食べている時はなんともなかったのに、ポップも一緒に食べ始めてから5分と立たないうちに、激しい頭痛が二人を襲った。

 全身を痙攣させる程の頭痛に、まずポップがひとたまりもなくその場に倒れ込んだ。それを助けようと慌てて手を伸ばしたダイだが、ポップの身体に触れた途端に強いショックを感じて弾き飛ばされた。

 その衝撃に、ダイもポップも一瞬とはいえ気絶してしまった  らしい。
 すぐに意識は戻ったのだが、真っ先に感じたのは強烈なまでの違和感だった。

「な……、なんだ、いまの……? マホトーン……?」

 ポップがそう呟いたように、それは魔法封印の効果に似ていた。だが、そうではないとダイはすぐに気づいた。
 今まで時間を掛けて蓄積してきたものが自分の中からなくなってしまった感覚……それは、記憶喪失になった時の感覚に似ているようで、違っていた。

 勇者としての技能や記憶は、すっぽりと抜け落ちた。だが、ダイの中には代わりに魔法使いの技能が存在していたのだから。

「え? ……えっ、な、なんだよ、っこれっ?! まさか、おれ達の職業が入れ替わったってえのかよ?!」

「う、うわ、どーもそうみたいだよ?」

 ポップは持ち前の頭脳で、ダイはほとんど直感で同じ結論に辿り着く。
 だが、真に驚愕するのはその後のことだった。

「なんだよっ、これっ?!
 ぜんっぜん魔法が使えないぞっ、あー、くそ、メラゾーマもベホマも使えないだなんて……!」

 ポップが数種類の呪文を続け様に唱えてみたものの、それらは発動しなかった。
 勇者は魔法使いの魔法も僧侶の魔法もある程度までは使えるものだが、あくまでもある程度にすぎない。

 ましてやダイは魔法が苦手な上に、まだ成長途中だ。本来、勇者が使えるはずの魔法であれ、ダイが習得していない魔法は今のポップにも使えないらしい。
 それだけでも困ったものだが、ダイもダイで驚愕していた。

「嘘だろ……っ?! 剣が全然使えなくなっちゃった?!」

 混乱しきったように、ダイは剣を持ったまま呟く。
 ダイが今持っている剣は、ダイの剣ではない。平和な世界を旅をするのには必要はないからと、あの剣はパプニカに置いてきたままだ。

 ダイの今持っている剣は、その辺の武器屋で買ったありふれた鋼の剣にすぎない。
 本来なら軽々と振り回せるはずのその剣を、今のダイは持て余していた。本来なら自在に振るえるはずなのに、剣の持ち方さえぎこちない。
 だが、杖と剣を交換してみても問題が解決したわけじゃない。

「……重いぞ、これっ」

 きちんとした持ち手で剣を握ったポップだが、剣先が極端に下がるのは単に腕力に欠けていてしっかり持てていないせいだ。
 逆にダイの方は杖の軽さに頼りなさを感じているのか、ぶんぶんと無闇に振り回しては首を傾げている。

 そう――二人の職業が変換してしまったのに、彼らの本来の能力値はどうやら変化していないようなのだ。
 なんとも厄介なその事実に、ダイもポップも頭を抱えずにはいられない。

 ダイとポップの能力値は、それぞれの職業に特化していると言っていい。ダイは主に戦士系の能力が秀でているものの魔法は苦手としているし、ポップは魔法使いらしく頭脳方面のスキルが高く肉体能力が劣っている。

 そんな二人が、能力値はそのままに職業を交換させたらどうなるか――。
 本来なら高レベルの勇者ダイと魔法使いポップは、今やレベル1のへっぽこ勇者と魔法使いになったも同然だ。

「いったい、どうすりゃいいんだよ、これ……っ!!」

 苦々しげに呻くポップの声に応じるように、どこからか不気味な吠え声が響いてくる。 意外な程近くから聞こえてくるその声に、ポップはぎくりとせずにはいられなかった。


「ま、待てよ……!! これって、けっこうヤバいんじゃねえのか?」

 昨日……いや、今朝までは、ダイにしろポップにしろこの森を全く恐れてなどなかった。この森ときたら、マァムの住んでいた魔の森並に怪物の種類も多い上に好戦的な怪物揃いではあるが、ダイとポップのレベルならば簡単にあしらえる敵だった。
 だが、職業が交換してしまったのなら話は全く別だ。

「うん……なんか、おれもそんな気がする」

 さすがのダイも眉間に目一杯皺を寄せ、難しい表情を見せる。
 全滅の二文字が、ポップの脳裏をちらついていた。同じく、ダイの脳裏にも同じ言葉は浮かんでいたが、彼の場合は『ぜんめつ』の四文字だったりするのだが。

 このままではまずい――その思いは二人とも一致していたが、残念なことに対策を思い付くよりも怪物達の反応の方が早かった。

「グゥァアアアアッ!!」

 奇声を上げて、一匹のライオンヘッドが茂みの影から躍り出てきた――!
                         《続く》 

 

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