『芽吹く想い』 |
「あ……」 それは、初夏が近付いてきた日のこと。 彼がここにいること自体は、別に不思議はない。 まあ、まだ式典の開始までは時間があるが、それにしても仮にも王子がこんな所で地べたに寝そべっていてもいいのだろうかと、メルルは案じずにはいられない。 なにしろ今日の式典には、祝辞を贈るためにパプニカ王国から派遣された最高の賢者――ポップがやってくるのだから。 邪魔をする気はないが、めったに会えない彼を一目でも見たいと望んでメルルは侍女も連れずにこっそりやってきたのだが、まさかここでドライに会うだなんて思いもしなかった。 (起こした方がいいのかしら?) 一瞬、そう迷ったが、メルルが声を掛けるよりも早くドライは目を閉じたまま答えた。
さすが占い師というべきか、目を閉じていても彼にはお見通しのようだ。 「そうですか。……あの、いつぞやは予知をありがとうございました」 目を閉じている相手には見えないのは承知だが、メルルは深々と頭を下げる。 あの日の翌日には、すでにドライは早々に別荘に帰ってしまった。宮廷で顔を合わせたついでならともかく、わざわざ別荘に押しかけてまで礼を言うのは少し大袈裟な気がして、結局礼を言いそびれたままだった。 「礼には及ばないよ。 飄々と言ってのけるドライに、メルルは感謝を込めて告げる。 「いいえ、あなたの予知は確かでしたわ。私では見えない未来を、見てくださいました」
もし、チョコレートを手元に残しておけば、その時、メルルはポップにそれを渡すことができたかもしれないと思えば尚更だ。 望んだ未来があるのなら、がむしゃらに望みに向かって進めばいいと分かっていたのに。 どうしても親友を助けるのだと決めた固い意志のままに行動したポップは、ついにこの春、念願を果たした。 もちろん、メルルもその一人だ。 「ただ……私に勇気がなくてせっかくの助言を活かすことができなかったのは、申し訳ないと思っています」 自分自身も占い師なだけに、メルルは占い師の心理は分かる。 それだけに申し訳なさが先に立って思わず謝ってしまったが、それを聞いてドライは不意に起き上がった。 「申し訳ない? それに、活かせなかった?」 怪訝そうな顔をそう言ってから、ドライは少し目を閉じる。 「……ああ、なんだ。キミはそんな風に思っていたのか」 くすりと笑い、ドライはゆっくりと神殿を指差して見せた。 「思い違いもいいところだね。さすがの占い師も、自分のことは占えないと見える。 「え……?」 戸惑うメルルの目の前で、ドライはもう話すことはないよとばかりに再び寝転んで目を閉じてしまう。 (それって……まさか――) 思い付く答えは、一つだけだった。
慌てたように振り返るポップの顔に浮かんでいた表情は、悪戯が見つかった時の子供の浮かべる顔のようだった。 いや、実際にその通りと言えるかもしれないが。 メルルが神殿に入った時、ポップの他には誰も見当たらなかった。おそらくは、今日の儀式の重責を担う少年に、一人でリハーサルをする時間を与えてやろうと考える神官達の気遣いだろうが、それが思いっきり裏目にでているようだ。 いくら誰もいないからと言って、その大胆さにメルルは呆れるのを通り越して感心してしまう。 だが、さすがにまずいことをしたという自覚はあるらしく、メルルを見てあたふたしながら言い訳し始めた。 「い、いやっ、ちょっと腹が減ったからさあ、つい! メルル、このことは内緒にしててくんないかな、こんなのバレたら後で姫さんにこっぴどく叱られちまうよ〜」 儀式のためにいつもよりもずっと華美で立派な衣装を着ていながら、言っている内容がこれでは台無しもいいところだ。 恋する人にすがりつかれるように懇願されるくすぐったさを感じながら、メルルはドキドキする気持ちを抑えて聞いてみる。 「あの……ポップさん、聞いてもいいですか?」 「え? 何を?」 「どうして……よりによって、このチョコレートを食べたんですか?」 祭壇にある食べ物は、メルルの作ったチョコレートだけではない。何しろ年に一度の竜の神への儀式のためにと、国内外から贈られた様々な食品が溢れんばかりに祭壇に乗せられている。 その中では、片隅においてあるメルルの手製のチョコレートは埋没して目立たない。なのに、それをわざわざポップを選んだ理由がメルルには分からない。 「だって、これが一番おいしそうに見えたから。実際、ホントにいけてたぜ、これ。 何の気なしに言ったポップは、きっと知らないだろう。 それが嬉しくて――メルルは笑う。無理に作った笑みでも、どこか諦めを含んだ笑みでもない、心の底から嬉しそうな笑顔でメルルは言った。 「ありがとうございます。それ、私が作ったんです」 「え? これ、メルルが……?」 驚くポップの顔から、メルルは目をそらせない。それどころか、自分でも驚く程に大胆な言葉が口から飛び出す。 「ええ、バレンタイン・デーの時に」 「……?!」 ポップの顔が、途端に真っ赤になる。このチョコレートを作った時に夢想した会話や光景が、順序が違えど現実化していた。 地に戻そうとした想いは、決して消えなかった。 (やっぱり、私は……ポップさんが好き) たとえ、彼の心が自分になかったとしても。 どんなに諦めようと思っても、諦めきれない。 『まだ、過去なんかじゃないさ。 占い師のくれた言葉が、メルルの背を後押ししてくれる。 「心配しなくてもいいですよ、このことは内緒にしてあげます。私とポップさんだけの、秘密ですね」 好きな人と分け合う、二人っきりだけが知っている秘密の味は、チョコレートよりも甘く感じられる。 『地に埋める想い』の続きです。 片思いしているメルルが実に可憐で好みなので切ない話を書いてしまうことが多いんですが、たまにはいい感じの話を書くのもいいかな〜と。
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