『芽吹く想い』

 

「あ……」

 それは、初夏が近付いてきた日のこと。
 神殿のすぐ近く、木陰で無造作に寝転んでいる人影を見て、メルルは一瞬目を丸くする。 行事用の立派な装束のままで横たわっているのは、見覚えのある人物――テランの第三王子ドライだった。

 彼がここにいること自体は、別に不思議はない。
 今日は、竜の神に感謝を捧げる年に一度の式典の日だ。テラン王族はもちろん全員出席が義務づけられるし、他国からも祝辞のための来賓が多数訪れる。

 まあ、まだ式典の開始までは時間があるが、それにしても仮にも王子がこんな所で地べたに寝そべっていてもいいのだろうかと、メルルは案じずにはいられない。
 式典までは、まだかなり時間がある。
 だが、人が集まってくるのは時間の問題だろう。

 なにしろ今日の式典には、祝辞を贈るためにパプニカ王国から派遣された最高の賢者――ポップがやってくるのだから。
 彼を一目見たいという目的のためだけにでも、大勢の人が押しかけてくるに違いない。
 メルルだって、その例外ではない。まだ時間に余裕はあるのに、とてもじっとしてはいられなかった。
 今日の式典ではポップが大事な役割を果たすはずで、その練習や打ち合わせのために彼はもうテランに来ているはずだ。

 邪魔をする気はないが、めったに会えない彼を一目でも見たいと望んでメルルは侍女も連れずにこっそりやってきたのだが、まさかここでドライに会うだなんて思いもしなかった。

(起こした方がいいのかしら?)

 一瞬、そう迷ったが、メルルが声を掛けるよりも早くドライは目を閉じたまま答えた。


「大丈夫だよ、メルローズ。別に、眠ってなんかいないから」

 さすが占い師というべきか、目を閉じていても彼にはお見通しのようだ。

「そうですか。……あの、いつぞやは予知をありがとうございました」

 目を閉じている相手には見えないのは承知だが、メルルは深々と頭を下げる。
 もっと早く礼を言うつもりだったが、生憎メルルはドライとはなかなか会う機会がなかった。

 あの日の翌日には、すでにドライは早々に別荘に帰ってしまった。宮廷で顔を合わせたついでならともかく、わざわざ別荘に押しかけてまで礼を言うのは少し大袈裟な気がして、結局礼を言いそびれたままだった。

「礼には及ばないよ。
 なにしろボクの予知は役立たずで有名だし、選択したのはキミ自身なんだから」

 飄々と言ってのけるドライに、メルルは感謝を込めて告げる。

「いいえ、あなたの予知は確かでしたわ。私では見えない未来を、見てくださいました」


 あの後、ポップは予定よりもずっと早くパプニカに帰還した。
 バレンタイン・デーよりも、もっと早い時期に。
 そして、ダイを連れ戻すまでの間、ポップはずっとパプニカで休養することになった。その事実を後に知った時、メルルが全く後悔しなかったと言えば嘘になる。

 もし、チョコレートを手元に残しておけば、その時、メルルはポップにそれを渡すことができたかもしれないと思えば尚更だ。
 だが、メルルは諦めと共にその現実を受け入れた。文字通り、自分で選んだ道なのだから。

 望んだ未来があるのなら、がむしゃらに望みに向かって進めばいいと分かっていたのに。
 そのいい例が、ポップだ。
 メルルを初めとする全ての占い師が、ダイの行方を捜すことができなかったのに、ポップは諦めなかった。

 どうしても親友を助けるのだと決めた固い意志のままに行動したポップは、ついにこの春、念願を果たした。
 勇者ダイは大戦から2年の時間がかかったが地上に戻り、この春は誰もが喜びに満たされている。

 もちろん、メルルもその一人だ。
 ダイの帰還は嬉しいし、それ以上に親友の帰還を喜ぶポップの姿を見ているだけで、心が満たされる。
 だが、その心にぽつんと小さな痛みが残るのも事実だった。

「ただ……私に勇気がなくてせっかくの助言を活かすことができなかったのは、申し訳ないと思っています」

 自分自身も占い師なだけに、メルルは占い師の心理は分かる。
 占う相手のよりよい未来を望んで、少しだけ力を貸すのが占い師の役割だ。だが、どんな優れた予知も助言も、結局は本人の強い意志がなければ無意味だ。

 それだけに申し訳なさが先に立って思わず謝ってしまったが、それを聞いてドライは不意に起き上がった。

「申し訳ない? それに、活かせなかった?」

 怪訝そうな顔をそう言ってから、ドライは少し目を閉じる。
 だが、数秒と待たずに彼は再び目を開けて頷いて見せた。

「……ああ、なんだ。キミはそんな風に思っていたのか」

 くすりと笑い、ドライはゆっくりと神殿を指差して見せた。

「思い違いもいいところだね。さすがの占い師も、自分のことは占えないと見える。
 まだ、過去なんかじゃないさ。
 キミが予知を活かすことができるかどうかは、これからにかかっているんだよ」

「え……?」

 戸惑うメルルの目の前で、ドライはもう話すことはないよとばかりに再び寝転んで目を閉じてしまう。
 だから、メルルは独力で考えるしかなかった。

(それって……まさか――)

 思い付く答えは、一つだけだった。
 そして、思いつくと同時にメルルは走り出していた――。

 


「……ッ、メ、メルルッ?!」

 慌てたように振り返るポップの顔に浮かんでいた表情は、悪戯が見つかった時の子供の浮かべる顔のようだった。

 いや、実際にその通りと言えるかもしれないが。
 なにしろポップときたら、誰もいないのをいいことに神殿の祭壇に飾られていたチョコレートをつまみ食いしていたのだから。

 メルルが神殿に入った時、ポップの他には誰も見当たらなかった。おそらくは、今日の儀式の重責を担う少年に、一人でリハーサルをする時間を与えてやろうと考える神官達の気遣いだろうが、それが思いっきり裏目にでているようだ。

 いくら誰もいないからと言って、その大胆さにメルルは呆れるのを通り越して感心してしまう。
 テランの民ならば間違っても竜の神に捧げた食材をつまもうだなんて夢にも思わないものだが、ポップはその辺の信仰心は極めて薄い。

 だが、さすがにまずいことをしたという自覚はあるらしく、メルルを見てあたふたしながら言い訳し始めた。

「い、いやっ、ちょっと腹が減ったからさあ、つい! メルル、このことは内緒にしててくんないかな、こんなのバレたら後で姫さんにこっぴどく叱られちまうよ〜」

 儀式のためにいつもよりもずっと華美で立派な衣装を着ていながら、言っている内容がこれでは台無しもいいところだ。
 だが、そんな姿さえ可愛く見えてしまうのは、恋する欲目というものか――。

 恋する人にすがりつかれるように懇願されるくすぐったさを感じながら、メルルはドキドキする気持ちを抑えて聞いてみる。

「あの……ポップさん、聞いてもいいですか?」

「え? 何を?」

「どうして……よりによって、このチョコレートを食べたんですか?」

 祭壇にある食べ物は、メルルの作ったチョコレートだけではない。何しろ年に一度の竜の神への儀式のためにと、国内外から贈られた様々な食品が溢れんばかりに祭壇に乗せられている。
 もっと珍しい物や、もっと美味しそうな物もいくらでもある。

 その中では、片隅においてあるメルルの手製のチョコレートは埋没して目立たない。なのに、それをわざわざポップを選んだ理由がメルルには分からない。
 だが、ポップはあっけらかんと言った。

「だって、これが一番おいしそうに見えたから。実際、ホントにいけてたぜ、これ。
 おれ、こんなに美味いチョコレートを食べたのなんて、初めてだよ」

 何の気なしに言ったポップは、きっと知らないだろう。
 その言葉が、メルルにとってどんなに嬉しい言葉なのか。メルルが心から望んでいて、だが、口に出すことさえ禁じていた夢を、ポップはあっさりと叶えてくれた。

 それが嬉しくて――メルルは笑う。無理に作った笑みでも、どこか諦めを含んだ笑みでもない、心の底から嬉しそうな笑顔でメルルは言った。

「ありがとうございます。それ、私が作ったんです」

「え? これ、メルルが……?」

 驚くポップの顔から、メルルは目をそらせない。それどころか、自分でも驚く程に大胆な言葉が口から飛び出す。

「ええ、バレンタイン・デーの時に」

「……?!」

 ポップの顔が、途端に真っ赤になる。このチョコレートを作った時に夢想した会話や光景が、順序が違えど現実化していた。
 叶わぬ夢と諦め、望むまいとしていたはずなのに、こんな風に夢が叶うだなんて思いもしなかった。

 地に戻そうとした想いは、決して消えなかった。
 むしろ、土に埋められた種のように予想に反して大きく芽吹き、花咲いたかのような気さえする。

(やっぱり、私は……ポップさんが好き)

 たとえ、彼の心が自分になかったとしても。 どんなに諦めようと思っても、諦めきれない。
 いくら抑えようとしても、溢れる想いがメルルの中にはある。
 ならば、無理に抑えようとか、捨てようなどと思うのは滑稽だ。

『まだ、過去なんかじゃないさ。
 キミが予知を活かすことができるかどうかは、これからにかかっているんだよ』

 占い師のくれた言葉が、メルルの背を後押ししてくれる。
 喜びの表情を抑えきれないまま、メルルはこっそりと囁いた。

「心配しなくてもいいですよ、このことは内緒にしてあげます。私とポップさんだけの、秘密ですね」

 好きな人と分け合う、二人っきりだけが知っている秘密の味は、チョコレートよりも甘く感じられる。
 こうして、二人だけしかいない神殿の中で、メルルは予言通り美しい思い出を手に入れた――。
                                   END


 『地に埋める想い』の続きです。
 と言うよりも、最初は一つの話として考えていたんですが、ちょっぴり長くなるのと時系列がはっきりと別れているので、二つの話に割りました。
 まあ、内容的には前編、後編なんですけど(笑)

 片思いしているメルルが実に可憐で好みなので切ない話を書いてしまうことが多いんですが、たまにはいい感じの話を書くのもいいかな〜と。
 実は、ポップはつまみ食いをしているだけで、ロマンチックからは遠い気もするんですけどね。

 

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