『おやつの時間 ー後編ー』 |
「さあっ、みんなっ、いいか!? これはだな、あのマァムさんが作ってくださったお菓子なのだ、心して食べる様に!」 高々と振り上げられた手に握られたナイフとフォークが、キラリと光る。 「いや、隊長さん、オレは別にいらねえんだけどよー」 と、ぼやくヒムの表情には、どうせ言っても無駄だろうと悟っているかのように、どことなく諦めのようなものが浮かんでいる。 「はっはっは、遠慮は無用だ! 手に入れた報酬を公平に部下達に配付するのも、隊長の努めだからな!!」 少々やせ我慢している風ではあるがそれでも立派なことを言ってのけるチウを見て、ヒムを除く獣王遊撃隊達は一斉に『さすがは我らが隊長だ!』と尊敬の目を向ける。 マァムの手作りのパイというものが、彼女に憧れているチウにとってどれ程貴重なものか、同じくマァムに恋するポップにはよく分かる。 ましてや、恋する娘の手作りともなれば独り占めしたくなるのが人情だ。 普通の怪物ならば、人間の食べ物になど興味は示さないものだが、魔王軍との戦いに参加した遊撃隊のメンバーは一応は人間とほぼ同じ食事を食べていた時期がある。 ものすごーく羨ましそうにアップルパイに視線を注ぐ仲間達を前にして、宝を独り占めするほどチウは性格が悪くはない。 すごく惜しかったのか涙目になりかかっているものの、そう決心したチウは実に公平だった。 もっとも子供には意外と甘いブラスはチウ達の取り分が少しでも増える様にと遠慮したし、ポップも今はおなかがいっぱいだからと辞退したが。 ついでにいうなら、ヒムも「どうせ、食べなくても平気だし」と辞退した一人だったのだが、部下達を平等に扱うと決めたチウは彼を例外にはしなかった。 「さあっ、みんな、いただきますっ、だ!」 チウの合図に合わせて、全員が一斉にそれぞれの種族での鳴き声をあげ、目をキラキラさせてアップルパイにかぶりつく。 「な、なんじゃっ!? どうしたんじゃ、みんなっ!?」 驚き、心配してオタオタするブラスの目の前で、遊撃隊の面々はのたうち回ったり、必死になって水を飲んだりしている。 「あー、やっぱ、こんなオチかよ〜」 と、他人事のようにつぶやく魔法使いの少年に向かって、チウは顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。 「き、きさまぁっ!? よくもボクをだましたなぁっ!!」 「人聞きが悪いことを言うなよ、別に騙しちゃないって。それ、本当にマァムが作ったんだぜ――半分はな」 一応はマァムの手作りなのは間違いないのだが、そのアップルパイときたらとんだ失敗作なのである。 「……やっぱ、食わなくって正解だったかー」 しみじみと頷きながら、ポップは自分で自分の先見の明を褒めたたえずにはいられない。 その際、久々に出会った女の子同士で盛り上がって、なぜか手作りのアップルパイを作ろうと言う話が持ち上がったらしい。 その間、別室で読書していたポップは手作りの現場は見ていないが、三賢者がしょっちゅう「ひっ、姫様っ!? それは砂糖ではなく塩ですっ」などと叫んだり、やたらと奇妙な音やら匂いが漂ってきたのは、知っていた。 ほぼ万能型の才能を見せる王女ではあるが、どうやらレオナはあまり料理が得意ではないらしかった。 そう思っていただけに、ポップにとっては最終的に外見はまともな品物ができた方が、よほど不思議だった。 やけに自信たっぷりなレオナや、「ちょっと失敗しちゃったけど、ごめんね」と申し訳なさそうにしていたマァムは、まだいい。 まあ、それだけなら別に食べるのは不満はないが、致命的なことにこのアップルパイは一人で食べるのには量が多すぎる。 寝不足で胃が荒れているのか、それともあまり定期的な食事をとらないせいで胃が弱ったのか、今のポップはあまり消化の悪いものは受けつけられない。 それに、食欲や体調以外の理由でもポップはこのアップルパイを食べるのを遠慮したい理由があった。 だが、ポップは知っていた。 その事情を知っているポップからしてみれば、このアップルパイはマァムとレオナの合作とは思えない。 (姫さんもよ、本来ならあいつに食わせたかっただろうに……) 女の子が熱心に手作りの菓子を食べさせたがる相手というのは、決まっている。想いをよせた相手にこそ、それを望むはずだ。 このアップルパイをポップ以上に喜び、食べたがるはずの少年が誰か知っているだけに、自分が代わりに食べるのにはためらいがあった。 だからこそ喜んで食べてくれそうな上に、なおかつ有効利用できそうな相手としてチウを選んだのである。 怪物だからと差別する気はないが、クロコダインを始め、怪物に育てられたダイや魔物に育てられたヒュンケルは食べ物の味にはいささか無頓着だった。 その幅広い味覚を思えば、塩と砂糖を取り違えた素人料理でも大歓迎するだろうとポップは思っていた。 「分かっていたのなら、こんな危険物を人に薦めるなぁーっ!」 「危険物って、何大袈裟なこと言ってるんだよ。せいぜい、ちょっと間違えたぐらいだろ、それ」 「いや……そんな生易しいものじゃないぜ、これって……。本当に、人間が作ったものなのかよォ?」 オリハルコン製のヒムまでもが、口許を押さえつつ低い声で呻く。 「まあまあ、そう怒るなって。今回は悪かったけど、そのうち埋め合わせに何か美味い物でも持ってきてやっからさー」 などと、調子よく言いながらポップはその場を去る……そのつもりだった。ポップが手に入れたい情報ややりたいことは幾らでもあるし、時間は幾らあっても足りないぐらいなのだ。 しかし。 不味な手作り菓子のダメージからやっと抜け出した怪物達は、みんながみんな、しょんぼりと沈み込んでしまっていた。 「きゅぅ〜ん……」 「くぅ〜ん……」 ドラキーのように小さな怪物から、グリズリーのように大きな怪物までもが一様に、肩を落として切なげに鳴いている図は、哀れ味を誘う。 いくら急いでいるからとはいえ、彼らをそのまま放置できるほどポップは図太くも薄情でもなかった。 「あーっ、もうしょうがねえな、おれが悪かったよ!」 ジュッと、軽い音がその場に響く。 それは火で炙ることで、何とも言えない香ばしい匂いを漂わせる。その匂いに釣られたのか、ごくっと唾を飲み込む音が複数か所から聞こえる。 たいして力を入れた様には見えないのに、ポップのそのわずかな動きに合わせてフライパンの上でホットケーキがくるっと見事に回転して裏返る。 さっきと違って裏側の焼具合は目で確かめることはできないが、目で確かめなくてもポップには自信があった。 『いいですか、ポップ。いい料理人というものはですね、味覚だけでなく五感全ての感覚に優れているものなのですよ。 料理にはやたらとこだわりのあった師の言葉を思い出しながら、ポップは微かに聞こえる音や匂いだけで最適の焼き加減を察知する。 完成を確信すると同時に皿の上でぽんとフライパンを直接ひっくり返し、ふんわりと焼けたホットケーキをそこに落とす。 ホットケーキの熱でバターが見る見るうちに溶けだしていき、ねっとりとした蜂蜜と絡み合ってじんわりと焼きたての生地に染み込んでいく。 「ほれ、いっちょあがりだ」 と、グリズリーの前に差し出すと、嬉しそうな雄叫びをあげつつ彼はホットケーキを食べ始める。 「うぉおお〜ん♪」 「そ、そうか? 美味い……のか? それはよかったな」 ポップにはダイと違って怪物の言いたいことなど分からないが、彼らが喜んでいることぐらいは分かる。 (これが、そんなに嬉しいもんかねえ?) 怪物達が大喜びしているのは疑いようがないが、こんなものはただのホットケーキだ。 ポップの感覚では、ホットケーキなんてあまりにも手軽すぎてお菓子のうちにさえ入らない。 (まあ……これ、材料が材料なんだけどよ) なにしろ、ここはデルムリン島だ。 卵はキメラからもらった物であり、ミルクはあばれうしどりの物と、ポップの感覚から言うとちょっと悩んでしまうような食材ではある。 だが、そんな有り合わせの物でも、とりあえず作れてしまうのがホットケーキの手軽さと言う物だ。 ポップ的には、それがちゃんとした蜂蜜なのかどうかという疑惑を捨てがたいのだが、少なくとも味は普通の蜂蜜っぽかったし怪物達は誰も気にしていないのでいいことにしている。 詫び代わりにと、とりあえず一番簡単にできるお菓子ということでホットケーキを作ると言い出したのはポップだが、それがここまで受けるとは思いもしなかった。 「おう、これならオレでも分かるぜ。結構、美味いんじゃねえのか、これ」 「そりゃどーも」 ヒムの褒め言葉をおざなりに聞き流し、ポップはせっせとホットケーキを焼きまくる。手軽に焼けるとはいえ、なにせ食べたがっている相手は一人や二人じゃない。 幸いにもアバン仕込みの料理の腕があるポップには、複数のフライパンを使って連続的にホットケーキを焼くのはさして難しくもない。 ここのところ、自分が必要以上に焦っている自覚がなかったわけではない。たまには息抜きした方がいいと分かっていても、ダイの行方が気になってじっとしていられず、十分な休みを取れないことが多かった。 ダイ捜索とは全く関係のない行動を、これほど長く取るのはポップにとっては久し振りだ。 「まったくじゃな、ポップ君。 その一言に、悪気はなかったのだろう。 だが、その言葉にポップは一瞬凍り付いたように動けなくなる。 「さすがはアバン殿のお弟子さんじゃな、アバン殿も料理が上手かったから……、ポップ君もやはりアバン殿から料理を習ったのかの?」 「あ、ああ、うん、そーなんだ。正直、男が料理なんか習うのは嫌だったんだけどさー」 (そんなの……無理なんだよ、じーさん) 今になってから、ポップは思い出してしまう。 ダイやゴメちゃんには、一度もホットケーキを作ってやったことなど、なかったのだから。 だから、ポップは魔王軍との戦いの最中、一度もホットケーキなど作りはしなかったし、作ろうとさえ思ったことはなかった。 ダイと出会って以来、旅と冒険の連続だったのだから。 アバンから料理もある程度受け継いだポップには、戸外で料理するなんて難しいことではない。 あの無邪気な怪物と勇者は、きっと今のチウ達の様に目を輝かせ、焼き上がったホットケーキを見てお日様の様な笑顔を見せたに違いない。 だが――ポップは面倒がって、一度も作りはしなかった。その気になればいつでも機会はあると思って、幾度もあったはずのチャンスをあっさりと見逃し続けてしまったのだ。 (ダイ……ッ) 胸を締め付けるような、切ない痛みが込み上げてくる。だが、その痛みに引きずり込まれそうになったポップを現実に引き戻したのは、チウの声だった。 「おいっ、なんか焦げ臭いけど平気なのか、それ?」 「あ、いけね」 気が付けば、一つのホットケーキを焼き過ぎるところだったのに気付き、ポップは慌てて裏返す。 「ほれよ、これ、おまえにやるよ」 器用にチウの皿へと入れてやると、二代目獣王は不満そうに頬を膨らませた。 「なんでボクのだけ焦げたのをよこすんだっ!? 嫌がらせかっ!?」 「大袈裟なこと言うなよ、別にそれ、そんなに味は悪くないと思うぜ。それによ、次はうんといい出来の奴をおまえにやるからさ」 いいながら、ポップは再びフライパンに新しいホットケーキのたねを落とした。 (そうだ……失敗なんて、やり直せばいいだけの話じゃないか) 失敗してしまったからと、諦めたのならそこまでだ。 正体が神の涙というアイテムだったとしても、ゴメちゃんは確かに存在したし、条件さえ整えばいつか再びこの地上に戻ってくるはずだ。 だが、それでも叶わない夢ではないはずだ。 これから探せばいいだけのことだ。 (待ってろよ、ダイ……!) 今度、ポップがひっくり返したホットケーキは焦げ目のない綺麗な出来で、まるでお日様のような明るい黄色だった――。 《後書き》 ホットケーキ、大好きですっ。 ついでに言うと、市販のホットケーキの粉を使用しないで自分で小麦粉と砂糖を調整して焼くのも、結構好きです。 さらにさらに、バター&メープルシロップも好きなんですが、チープにマーガリン&蜂蜜が好きなんですよ〜っ。 ――と、ホットケーキへの熱意が溢れ過ぎて食べ物の描写が長引きましたが(笑)、ダイが行方不明中のポップの魔界探索話の一つです。 魔界のイメージは人によって違うでしょうが、筆者のイメージはだいたいこんな感じです。 そして、クロコダインがいないのは、彼は今、ロモス王に頼まれて魔の森を守る役割を負っているからです。もう少し経ったら、クロコダインだけでなくチウ君もロモス王国森林警備隊の一員になりますが、今はその過渡期だったりします。 ところで、レオナ姫のポイズンクッキングの腕の冴えを、ポップはこの頃は知りません。 この時はマァムの全面手助けがあったから威力が弱いものの、食べたのが怪物達だったのが不幸中の幸いというものです。 もし、ポップがうっかりと食べていたら……一人旅中だし、体力も落ちていたしで、最悪そのまま儚くなっていた可能性が(笑)
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