『こぼれおちる真実 ー前編ー』 |
「ん……っ」 ナイフを身構え、マァムは無意識に呼気を吐きだしていた。 だが、今、マァムが手にしているナイフは、敵と戦うためのものではなかった。 「けっこう、難しいわね、これ」 力仕事は得意なマァムだが、手先の器用さが要求される家事はいささか苦手だ。 一生懸命やっているのは傍目からでもよく分かるが、マァムの剥いているリンゴはいささかデコボコしているし、皮の幅も一定せずにやけに厚く幅広い部分もあれば、逆に今にも千切れ落ちそうに細くなった部分もある。 「もっと肩の力を抜きなさいな。そんなに力を入れるとかえってケガをしやすいし、上手くも剥けないものよ?」 たどたどしいマァムの手つきに比べると、母親であるレイラの手つきはさすがだ。 まるでリボンを解くようにするすると剥けたリンゴの皮は、とぎれることはない。幅までそろった、一本の紐となる。 「すごいわね。……私、とても母さんみたいにはできないわ」 「こんなのは、慣れよ。長年やっていれば、自然に上手くもなるわ」 いささかしょんぼりしている愛娘の姿が、レイラの目には微笑ましく映る。 あの時は戦い以外のことを考える余裕などなかっただろうし、戦後も様々な混乱や後始末が長らく尾を引いたのだから。 行方不明だった勇者ダイが半年前に無事に見つかったのを最後に、戦いに一区切りがついたと言えるだろう。 仲間達を手助けするためにとしょっちゅう村を空けていたマァムが、こんな風に親子そろって肩を並べ、レイラと料理をできるようになったのはつい最近のことだ。 18歳になったマァムは、普通の村娘としての生活を満喫していると言えるだろう。 母子が肩を寄せ合って暮らす、細やかだが幸せな毎日――それにレイラは心から満足している。 だが、それを永遠にと望みはしないつもりだ。いつまでも手元に置き娘に家事を覚えさせるだけが、母親の役目ではない。 「知っているかしら、マァム? こうやって一本に剥いたリンゴの皮だけでできる、占いがあるのよ」 悪戯っぽく笑いながら、レイラは紐状になったリンゴの皮を軽く手でまとめ、ぽいっと肩越しに後ろに放ってみせる。 「え? なに、それ?」 きょとんとしているマァムに、レイラはわずかに声を潜め、とびっきりの秘密でも打ち明けるかのように囁いた。 「恋占い、よ。こうして投げたリンゴの皮は、将来結ばれる男性のイニシャルの形になるって言われているの。そのリンゴで作った料理を、その相手に渡せばさらに威力は倍増するそうよ」 結婚し、子供も生んだ今のレイラから見れば、それは他愛のない占いだ。 角度を変えて眺めては、ああでもない、こうでもないと友人達と騒ぎ合ったのは、今となってはいい思い出だ。 そして、男性を射止めるのなら、まずは胃袋から攻めるべしというのは鉄則だ。手作りの料理をせっせと差し入れる娘の存在は、相手の心を大きく動かすだろう。 穿って解釈すれば、若い娘の結婚への夢を利用して、自主的に料理の腕を磨かせるようにするための言い伝えにすぎない。 「……?!」 自分の手元にある一本のリンゴの皮を見ながら、マァムの頬がまさにリンゴのように赤く染まる。 「あら、マァム、その皮を放り投げてみないの? 楽しみね、Pの字が浮かぶかしら? それとも、Hかしらね?」 「か、母さんったら!」 照れ隠しのつもりか、リンゴの皮を慌てて一纏めにしたマァムは、それを放り投げずにぎゅっとごみ箱に押し込もうとする。 小鳥の餌が乏しくなってくるこの時期、果物の皮は庭の決まった場所に置くか、地面に投げ出しておけば、小鳥達の良い餌場になる。 心優しいマァムは普段はそれを決して忘れないのだが、今はそれさえ意識していないらしい。 「そ、それより、早くアップルパイを作りましょうよ。そろそろ、オーブンが熱くなった頃でしょう?」 どう聞いてもごまかそうとしているとしか思えないマァムの言葉に、レイラは笑いを堪えながら立ち上がる。 「はいはい。ポップ君やヒュンケルさんへの差し入れにするアップルパイを、焼きましょうね」 「ち、違うわよっ?! これは別にっ、ポップ達にだけってわけじゃなくって、みんなに食べてもらうつもりなんだから!」 無駄な足掻きを見せる娘の照れを楽しみながら、レイラは軽く窓の外を見やった。地面に不規則な形に落ちたリンゴの皮は、特に何の文字とも言えないような形にすぎない。 しかし……そう見えるといいと願う心こそが、リンゴの皮から亡き夫のイニシャルを浮かび上がらせる。
(まったくもう、母さんったら最近、あんなことばかり言うんだから!) 翌日、マァムはぷんぷんに怒りながらもバスケットを片手に、森の中を歩いていた。 だが、ネイル村周囲を覆う深い森は、昔から怪物の多さで知られている。魔の森の異名で知られたその森は、旅人どころか猟師でさえもさける難所だ。 ろくな道もない上に、怪物にでっくわす危険が大きいということで、近付く者はほとんどいない。 たとえ怪物と遭遇しても追い払える自信があるからこそ、マァムの足取りは揺るがない。恐れる様子もなく正確な足取りで、一路、城を目指す。 大戦中は一時的に途絶えたものの、パプニカ王国とロモス王国の間には定期的な交易や交流が行われるようになった。 その時期に合わせてマァムがロモス城を訪れるのは、仲間達からの手紙が目当てだ。村でおとなしく待っていたとしても、ロモス城から兵士が運んでくれるだろうが、マァムは一度もそれを待ったことがない。 一刻も早く仲間達からの連絡を知りたくて、自分から城へ向かうのが常だった。 特使と言えば堅苦しいが、勇者一行としてパプニカ王家と協力してきたマァムにとっては、レオナに近しい王宮の人間は大半が顔見知りだ。 (今回の特使って、誰かしら? レオナは会ってからのお楽しみって、書いてあったけど)
可能性がありそうな人が複数いるのは承知しているが、その中でどうしても期待してしまう人がいる。 ヒュンケルは本人の希望もあり、パプニカ王国の正式な近衛騎士となったと聞いている。特使、もしくは特使の護衛として訪れるには、申し分のない身分だ。 過去に拘り、自分の贖罪ばかりを考えて自分自身の未来をないがしろにしていた感のあるヒュンケルが、前を向いてくれたようで心が温まる。 (ポップは……どうしているかしら?) どうにも憎めない、お調子者の魔法使いを脳裏に思い浮かべながら、マァムは彼と会えなくなってからの日数を数えてみる。 皮肉な話だが、ダイが行方不明中だった頃の方がポップにはちょくちょく会えていた。 瞬間移動呪文の使い手でもあるポップは、その気になれば自分の知ってる場所にならどこへでも飛べる。 その移動力を利用して、ポップはマァムの所にちょくちょくやってきた。それこそ寂しいとか、そろそろ会いたいとか思う間もない程度の頻度で、ポップはいつだって不意打ちに現れた。 しかし、ポップがマァムの所に来なくなって半年――寂しいと思わないでもなかったが、仕方がないことだとは思う。 ひどく体調を崩して昏睡状態にまで陥ったポップには、ずいぶんと心配させられたものだ。 特に、禁呪と呼ばれる魔法がポップに与えたダメージは深刻であり、身体を蝕むものだったのだと。 なのに戦いの最中も、その後も、ポップはその事実を直隠しにしようとし、行方不明になったダイを探すために無茶を繰り返していたのだ。 それを知った時の激しい憤りを、マァムは決して忘れないだろう。そんな大事なことを、なぜ自分に隠していたのかと文句を言いたい心境だったし、実際にポップが起きてから文句を言ったりもした。 そんなマァムを宥めてくれたのは、レオナだった。 幸いにもポップの病状は致命的なものではなく、魔法を極力使わない生活を送れば、数年程度で健康体に戻れるだろうと診断されたことも教えてくれた。 数年と言わず、ポップが望むのならいつまででもそこでゆっくりと身体を休めることができるようにと言う心遣いだ。 それを聞いたからこそ、マァムはポップを心配しながらも自分の村に戻った。 だが、ポップは定期便の度に短い手紙をくれるものの、一向に尋ねてくる気配が無い。 ポップだけでなくダイやレオナからの手紙を見る限り、ポップの体調は順調に回復しているように思える。 三人の中で、最も手紙を書き慣れているのはレオナだ。 ポップは月に一度、パプニカ城の侍医に診断を受けることになっていて、レオナはその診察結果を掻い摘まんでマァムに伝えてくれるのだ。 レオナに比べると、ダイの手紙は情報源としての手紙としては少々頼りない。 今日はポップと一緒におやつを食べたとか、魚釣りに行ったとか、二人ともレオナに怒られたとか、そんなものだ。 ポップの手紙も、情報源としてはダイと似たり寄ったりである。 近況報告という意味ではダイよりも書いてあることが少ないぐらいだが、それでも確かにポップの字で書かれた手紙が交じっている意味は大きかった。 だが、まだ会えないのは――多分、魔法を使える程にはよくなっていないせいなのだろう。 特にマァムの前ではその傾向が強く、調子が悪くても平気なふりをするのが分かっているからこそ見舞いに行くのもためらわれ、結局まだ一度も尋ねていない。 ――マァムはそっと、バスケットに手を添える。 ある程度、日持ちがするように焼き上げた菓子だからパプニカまで郵送できる。だが、日持ちだけを考えるのなら有効な菓子は他に幾らでもあるのに、マァムが今回アップルパイを選んだのには理由がある。 ポップが前に好きだと言っていたのを、覚えていたからだ。
「よぉ、元気か?」 気軽な口調で話しかけてきた『特使』を見て、マァムはレオナの予告通りに驚かずにはいられなかった。 「……!」 思わず息を飲むマァムの代わりのように大声を上げたのは、もう一人……というか、もう一匹の特使だった。 「バカモノォっ! マァムさんに向かって、そんなぞんざいな挨拶をする奴がいるかぁっ! 失礼にも程があるぞっ」 ジャンプして飛び上がってまで相方に鉄拳をくらわせた大ネズミは、フンと鼻をならした後にマァムに向き直る。 「お元気そうですねっ、マァムさんっ。お変わりないようでなによりですっ、あ……っと、そうじゃなくって」 弾んだ声でそう挨拶した後、大ネズミは慌てて服のポケットを探って一枚の紙切れを引っ張りだす。 「え、えーと、コホン、『前よりもずっとキレイになられましたね。時はあなたに魔法をかけたようですね』」 カンニングペーパーを見ながらたどたどしくお世辞を述べるチウの言葉を、マァムはろくすっぽ聞いていなかった。 「本当に久しぶりね、ヒム、それにチウ。まさかあなた達が来るだなんて、思いもしなかったわ。
「それじゃ、二人はレオナやアバン先生の頼みで親善特使になったわけなのね?」 マァムの問い掛けに対し、チウとヒムの反応は両極端だった。 「頼まれたっていうか、いつの間にか口車に乗せられてたっていうか、ま、そんな感じだな。 苦笑混じりのヒムのぼやきを、マァムは嬉しく、そしてどこかしら誇らしく思いながら聞いていた。 それを素晴らしいと思いながらも、マァムにはそのための具体的な手段など思いつきもしなかった。 その話を聞くのも嬉しかったし、仲間達の近況を聞くのはそれ以上に嬉しくて心が弾む。なにせ久しぶりに会った仲間から聞ける仲間の話なのだ、盛り上がらないわけがない。 「ところで二人とも、ダイやポップに会った?」 その質問の返事が戻ることを、マァムは疑いもしなかった。 「いや、会わなかったぜ。あいつらなら、旅に出ているって話だったし」 「え……?!」 思いもしない返事に、マァムの笑顔は一瞬で凍りついた――。
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