『こぼれおちる真実 ー中編ー』

 

「え……? 旅、ですって?」

 意外すぎるその言葉に、マァムは絶句せずにはいられなかった。
 あまりの驚きに手の力が抜けたのか、大切に持っていたバスケットが滑り落ちる。そのままなら、せっかく焼いたアップルパイがめちゃくちゃになるところだった。

「わわわっ、マァムさんっ?! 危ないですよっ」

 と、チウがすかさずそのバスケットに飛び付く。大ネズミとはいえ、仮にも武術の神様と言われたブロキーナの弟子でもあるチウは、短足さに似合わず動きは素早い。

 思い切ったスライディングキャッチが成功してどうにかバスケットは地面に落ちずにすんだが、マァム的にはそれはどうでも良かった。
 たった今聞いたばかりの衝撃の真実に、心を釘付けにされてしまっていたから。

「それ、本当なの?!」

 食ってかかるような勢いと鋭い目を向けられ、ヒムがかえって驚いたような表情を見せる。

「な、なんだよ、まさか、あんたが知らなかったのか?
 本当もなにも、これってパプニカのお姫さんから聞いた話だぜ。勇者ダイとあの魔法使いが、そろって旅に出たって話はよ」

 どこか戸惑ったような顔でそう言うヒムの言葉に、嘘は感じられない。だいたいヒムがマァムに対して嘘をつく理由なんてないし、人伝に聞いた風の噂ならまだしも、話の出所がレオナだとすれば、これ以上信憑性のある話もないだろう。
 だが、そうと分かっても、マァムはなかなか聞いたばかりの話を受け入れられなかった。


「ちょ……ちょっと、待ってよ?! だって、ポップはパプニカ城で休養を取っているはずじゃなかったの?!」

 少なくとも、マァムは今の今までそう思っていた。
 パプニカ王国から送られてくる手紙は、レオナの物だけでなく、決まってポップやダイの物も交じっていたのだから。

 今まで何度も手紙をやり取りしていたのに、ダイとポップが旅に出たなんてことは一言も書いてなかった。
 それに、レオナの手紙にはしょっちゅうダイやポップの名前が入っていたし、ダイとポップの手紙も同様だった。

 だからこそ、マァムは今もダイとポップがパプニカにいると思い込んでいたのだ。
 だが、当惑したような表情を浮かべながらも、ヒムはあっさりと自分の知っている情報を真相を教えてくれた。

「それって、ポップの野郎が魔界から戻ってきた頃の話だろ? だけど、あいつがいつまでもおとなしくしているわけがねえだろうが。
 なんせ、あの魔法使いときたらどこにでも飛べる翼をもっているようなもんなんだからよ」

 ヒムのその言葉は、掛け値無しの真実だ。瞬間移動呪文と飛翔呪文が使える上、世界各地を旅した経験のあるポップの移動範囲は、限りなく広い。
 一度、外へ飛び出したポップは、それこそ空を飛ぶ鳥のようにどこへでも好きな所へ飛べる。

「実際、いつ噂で聞いても、違う場所にいるしな、あいつら。この間、クロコダインから話を聞いた時は砂漠で遭難しかけていたとか言っていたし、その前にゃ流氷の上で会ったとかってラーハルトが言っていたっけ。
 自由にも程があるだろって感じだよな」

 極端な旅路をヒムは笑うが、マァムはとても笑えなかった。
 ふるふると震える身体を抑えるよう、ぎゅっと拳を握り締めながら努めて冷静になろうと努力しつつ、尋ねる。

「…………それで……ポップ達が、旅に出たのっていつからなの?」

「ん? いつもなにも、かなり前だろ。
 お姫さんがせっかく部屋を用意したのに、すぐに逃げられたってボヤいてたし。魔界から戻ってからすぐに逃げられたって話だから……あいつらが旅だったのって、半年ぐらい前じゃねえの?」

「――――――――――!!」

 声にもならない憤怒を、マァムは必死に噛み殺す。
 今の言葉は、マァムの中の何かを確実にぶち壊してくれた。それは俗に言う堪忍袋の尾というものかもしれないし、あるいは竜の逆鱗と言うものかもしれない。

 瞬間、マァムの身体から凄まじいまでの殺気が放たれる。臨戦状態の武闘家が見せる気迫の凄まじさに、今まで呑気に話していたヒムも、バスケットから感じ取れるいい匂いに夢中になっていたチウも、驚かずにはいられない。

「お、おいっ、あんたっ?!」

「マ、マァムさん……っ?」

 呼びかける声に、マァムは答えなかった。
 もし、ここにいたのがダイならば竜闘気と見間違えるような気迫が、マァムの身体から立ち昇る。
 ――いや、むしろヒュンケルの暗黒闘気に近い邪悪さすら漂う気迫だった。

 平和な世界に相応しい村娘風の格好をしていたはずのマァムは、いまや魔王軍の戦いの中でさえそうそうは見せなかった険しい表情をヒムへと向ける。
 素朴なスカート姿の修羅が、そこにはいた。

「……どこ?」

 問いかける言葉は、短く、静かなものだった。
 だが、魔王ハドラーの配下であり、歴戦の戦士でもあるヒムでさえ震え上がらせる何かが、今のマァムにはあった。

「言いなさい。ポップは、どこにいるの?」

 再度問う言葉は静かではあったが、隠し立てをすれば只では済まさないとばかりの気迫を込められていた。
 マァムと目が合った瞬間、ヒムの背筋を戦慄が走り抜ける。それはかつて大戦の中で、ポップの極大消滅呪文を見た時以来の恐怖だった。

 オリハルコン製の身体は生半可な攻撃ではかすり傷一つつかないが、その身体でさえ砕く魔法に対して感じた戦慄を、ヒムは決して忘れないだろう。
 それと同じ恐怖を、素手のマァムから感じてしまう。

 金属の身体では流れるはずもない脂汗の存在を意識しつつ、ヒムは必死に首を横に振った。

「い……いや、知らねえよ、そんなの! さっきも言った通り、オレはあいつらに会ってもいないし、それにあいつらの噂を聞いたのはずいぶん前だしよォ……」

 言い訳がましい台詞を必死になって紡ぐヒムに、マァムはわずかに眉をしかめて唇を噛む。

「そう……」

 その呟きが漏れたかと思った瞬間、マァムの姿が一瞬で掻き消える。

「ええっ、マ、マァムさんっ?! ど、どこですっ?!」

 マァムの姿を見失ったチウが、うろたえて辺りをキョロキョロする。それほど、マァムの動きは素早かった。

 予備動作も一切なく、マァムは目を疑うようなスピードでチウとヒムの間をすり抜け、通り過ぎたのだ。その動きが余りにも早いから、周囲はマァムが残像を残して消えたかのような錯覚を覚える。

 ヒムは辛うじてマァムの動きを目で追うことができたが、とても止められない早さだった。

 ……まあ、止めることができたとしても、今の彼女を遮るのは怖すぎてやりたくはないが。
 しかし、チウはある意味、大物だった。

「あっ、マァムさんっ、どこに行くんですかっ?! アップルパイならここですよっ」

 ヒムの目の動きでマァムの位置を見て取ったチウは、バスケットをさも大事そうに両手で掲げ持ちながら振って見せる。

(バ、バカかっ、このネズミわっ?! んなもの、どうでもいいっつーの!!)

 と、心の底でツッコむヒムの声はチウどころか誰にも聞こえなかった。
 そして、当然のごとく、マァムはチウにもヒムにも見向きもしなかった。

「急用を思い出したの。後のことは任せるわ」

 振り向きもせずにそう言うと、マァムは廊下の窓から外へと飛び出す。
 マァムのしなやかな身体が、猫のように空を踊った。

「え、おいっ、ここ、2階だぜっ?!」

 さすがにギョッとして、ヒムは思わず叫んでいた。
 気が向くと窓から外に飛び出すのを得意としているポップならともかく、普段は常識家であるマァムとは思えない突飛な行動に焦らずにはいられない。

 二階程度の高さならマァム程の武闘家なら飛び下りて怪我をするはずもないのだが、ヒムは思わず身を乗り出して窓の外を見た。
 空中で器用に姿勢を整えたマァムは、手にしていた何かを高く空へと放り投げる。その瞬間、彼女の姿は光の軌跡となって消えた。

 魔法を使えないはずの彼女が瞬間移動呪文を使ったことに驚いてから、ヒムは似た効力を持つ魔法道具の存在を思い出した。

「キメラの翼かよっ?!」

 キメラの翼は、使用した者を一定の場所へと運ぶ効力を持つ魔法道具だ。効果は瞬間移動呪文に似てはいるが、自分の意思で移動できず、あらかじめ決められた場所にしか飛べないという点が違っている。

 落雷で死んだキメラを原材料にしているためどうしても生産量が少なく、貴重な魔法道具でもある。
 緊急時には非常に便利な魔法道具であるため、いざと言う時に一つ身に備えていると便利な品ではあるが、なにせキメラの翼は一度しか使えない使い捨て品だ。

 そのため、そうそうめったなことで使わないのが普通である。
 だが、マァムは今、ためらいもせずにそれを使った。
 つまり――彼女にとって、今こそが緊急時だということなのだろう。

(あーあ……オレ、ひょっとして、とんでもねえ失言をしちまったのかねえ?)

 意外と空気を読めるタイプのヒムは、マァムの怒りの原因がポップの旅立ちにあることに、とっくに気づいていた。
 詳しい事情は分からないが、マァムが旅について知らなかったことに、ポップが無関係とは思えない。

 何しろポップはその気になれば、知り合いの家にはいつだって飛べるのだ。旅に出たと一言告げることぐらい、ポップには簡単なはずだ。
 実際、今までヒムが出会ったダイとポップの仲間達は全員が、二人が旅だったことを知っていた。旅のついでに、二人が顔を見せにきたのだと誰もが口を揃えて言っていた。

 なのにマァムにだけは会いもせず、旅立ちについても教えなかった辺り、明らかな意思を感じてしまう。
 おそらく、ポップは意図的にマァムにだけは自分達の旅立ちを伏せていたのだろう。

 それに気がついたからこそ、マァムも激怒した――凄まじいまでに面倒な騒動勃発の予感に、ヒムは溜め息をついた。

 もはや、後は時間の問題だ。
 マァムの所持していたキメラの翼が、どこに飛ぶためのものだったか知らないが、仲間達のどこかの所へ行ったのは間違いない。

 直接ポップの所に行ったのではなくとも、恐るべき気迫で文字通り飛んでいったマァムは、いずれはポップを見つけるだろう。
 惚れた弱みか、ただでさえマァムに弱いポップが、怒り狂う彼女に対抗できるとは思えない。

 彼がひどい目に遭うのは疑問の余地がないし、自業自得だと思うが――問題は、ポップはそうは思わないだろうということだ。

 どんな騒ぎが起ころうとも、当事者であるポップとマァムだけの間ですむ話なら、そんなのはただの痴話喧嘩の範疇だ。ヒムにはそんな中に介入するなんて、馬に蹴られそうな真似をする気などさらさらない。

 ……が、ヒムにその気はなくとも、ポップの方からよくもマァムにバラしたなと文句をつけてくる予感が、ひしひしとする。

 そして、怒りまくった大魔道士はある意味でマァムよりも厄介な存在だ。正義感が強くて気真面目なマァムは、とりあえず第三者のヒムには何もしなかったが、ポップの場合はその限りではない。

 短気な上にわがままなポップは、感情的になると手に負えない。腹立ち紛れに、大魔法をぶっ放してきかねないのである。
 しかもポップの場合、どんなにぶちきれても理性や計算を残しておくのがなおさら質が悪い。

 大魔法を放っていい相手と、そうではない相手を冷静に計って八つ当たりしてきそうだ。 なまじヒムには魔法はほぼ効かないと分かっているだけに、手加減せずに苛立ちを解消できる的として魔法の対象にされかねない。

 八つ当たりも甚だしいが、ポップならやりかねない――まざまざと不吉な未来の自分を思い浮かべたヒムは、頭を抱えて呻いた。

「また、とばっちりかよっ?!」

 そんなヒムのすぐ隣では、チウがバスケットを抱えたまま喝采をあげる。

「やったねヒムちゃん! マァムさんに任されたってことは、このアップルパイはボクが好きなようにしていいんだなっ」

 一切の空気を読まず、嬉しそうに尻尾をピコピコさせて喜ぶチウ君は、確かに大物ではあった――。





「あん? ポップがどこにいるかだって? そんなのは、オレだって知らねえな」

 ちょっと皮肉っぽい、落ち着き払った口調でそう答えたのは、初代大魔道士マトリフだった。
 二代目大魔道士ポップとは比べ物にならない程の経験と、険しい戦いを乗り越えてきた老魔道士は、さすがに役者が違う。

 突然、キメラの翼を使ってまで、修羅の表情でやってきたマァムにも、全く動じる気配すら見せない。
 怒りのせいで血相を変えたマァムを目の前にしながらも、マトリフは自分のペースを崩さなかった。

「なにしろあいつは、ダイと組んで小さなメダル探しの旅とか言って、あちこちの村や町をうろついていやがるからな。
 あいつの現在地を正確に知っている人間なんざ、ダイ以外いないだろうよ」

「……そう、なの」

 固い声でそう答えるマァムの顔が、微妙に強張る。
 それはわずかな変化に過ぎなかったが、慧眼で知られた大魔道士はもちろんそれを見逃さなかった。

 しかし、マトリフは気付いていながら敢えてその点には触れず、素知らぬ顔で言葉を続ける。

「まあ、あいつを探しているってんなら、ここに来たのは正解だがな。
 なにせあの野郎は、月に一度は必ずパプニカ城に戻ってくるし、そのついでにちょいちょいオレの所に顔を出すんだよ。
 洞窟探索もしているらしくて、時々変なアイテムや呪文書を見つけてはここに持ってきやがる。まったく、迷惑な話だぜ」

 それを聞いて、マァムは露骨に眉をしかめた。

「そう。それで……ポップは、元気なの?」

「まあな。
 ポップの野郎も一応は自重しているのか、魔法はあまり使わないようにしているみてえだからな。
 あいつ、戦いやら面倒ごとは全部ダイに押しつけていやがるしよ。
 あの様子なら、体調的には問題ないだろうよ。まっ、本来なら旅をするよりもどこかに定住した方がいいとは言えるが、あれぐらいなら大丈夫だろうよ」

 それを聞いて、マァムは一瞬だけ安堵の表情を浮かべ、ホッとしたように溜め息をついたのも、マトリフはもちろん見逃さなかった。
 しかし、聖母を思わせるその優しい表情はすぐに、怒りの表情へと取って代わった。

「そうなの……! それじゃ、マトリフおじさん、ポップはいつ頃ここにくるの?!」

「おーおー、おっかないねえ。ただじゃあすまさねえって勢いだな」

「当たり前だわっ! ポップったら、そんなに前から旅に出ていたのに、私にだけ、何も教えてくれないなんて……!
 ポップったら、いつもそうなんだからっ。
 余計な軽口はいくらでも叩く癖に、大事なことはなんにも話してくれないなんて……!」
 ひどく悔しそうに、怒りを抑えきれないようにわななくマァムを、マトリフはしばし眺めていた。

 その口許には、いつも彼が浮かべている皮肉なニヤニヤ笑いが浮かんでいるものの、その目はいつになく優しい。
 そして、わずかに口調を改め、孫娘に等しい少女に向かって話しかける。

「――面白えもんだな。ずっと昔の話になるが、おまえの母親も似たようなことをオレに愚痴ったことがあったんだぜ」






 それは、今となっては18年前――魔王ハドラーが初めて世界を支配しようとしていた頃のことだった。

「私だって、今が世界の優先順位は分かっているつもりなんです。
 このままでは、魔王に世界が蹂躙されてしまう……それを防ぐためには、勇者の力がどうしても必要なんだって、理解しているつもりです」

 当時、17、8才……奇しくも、今のマァムと同じ年頃だったレイラは、生真面目な顔でそう言ったものだった。
 まだ年若いとはいえ、僧侶として最高回復呪文を納めた彼女は正義感も強く、真面目な性格だった。

 それだけに、勇者一行の一因としての使命感に燃えていた。
 だが、同時に彼女は若い娘でもあった。

「でも、あの人ったら、二言目にはアバン様、アバン様って、そればっかり! そりゃあ、勇者のアバン様が世界を救うために欠かせない存在なのも、ロカがそれを助けるために全力を尽くしていることだって知っていますけど」

 膨れた顔に、彼女の隠し様もない若さが見えたことを、マトリフは今でも覚えている。 不満いっぱいに、ロカに対して文句を言う時のレイラ本人は意識していなかったろうが、旗から見ている方にはよく見えるものだ。

「でも! 私には怪我をしたことさえ隠そうとしたり、女は戦いに向かないなんて言って追い返そうとしたり!
 あんまりじゃないですか?!
 ホントにあの人ったら……! 私にはロカが何を考えているか、さっぱり分からないわ」







「――ま、そんな感じでしょっちゅう愚痴っていたからよ、オレはこいつを作ってレイラにくれてやったんだよ」

 やけに上機嫌に昔話をしながら、マトリフはごそごそとその辺の棚を漁って、『それ』を取り出した。
 マトリフの住居の洞窟はごちゃごちゃとしていてどこに何があるかさえ分からないほど雑然としているが、住人であるマトリフにはどこになにがあるのか一目瞭然らしい。

 ほとんど迷う様子もなく、マトリフはマァムの目の前に『それ』を差し出す。
 古びた箱に納められてるのは、手のひらに乗るぐらいの小さな小瓶だ。
 中に入っている液体はほぼ透明で、ただの水のようにしか見えないのだが、マトリフがここまでもったいぶって出してきたものがただの水であるはずもない。

「なんなの、それ?」

 首を傾げるマァムに、マトリフはニヤリとした笑みを浮かべる。

「そいつはな、人の本音を引き出す薬だよ。
 それを飲んだ人間はしばらくの間、嘘や隠し事ができなくなる……つまり、本音しか言えなくなるんだよ。
 どうだい、おまえも試してみるかい?」
                                                                                                 《続く》

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