『こぼれおちる真実 ー中編ー』 |
「え……? 旅、ですって?」 意外すぎるその言葉に、マァムは絶句せずにはいられなかった。 「わわわっ、マァムさんっ?! 危ないですよっ」 と、チウがすかさずそのバスケットに飛び付く。大ネズミとはいえ、仮にも武術の神様と言われたブロキーナの弟子でもあるチウは、短足さに似合わず動きは素早い。 思い切ったスライディングキャッチが成功してどうにかバスケットは地面に落ちずにすんだが、マァム的にはそれはどうでも良かった。 「それ、本当なの?!」 食ってかかるような勢いと鋭い目を向けられ、ヒムがかえって驚いたような表情を見せる。 「な、なんだよ、まさか、あんたが知らなかったのか? どこか戸惑ったような顔でそう言うヒムの言葉に、嘘は感じられない。だいたいヒムがマァムに対して嘘をつく理由なんてないし、人伝に聞いた風の噂ならまだしも、話の出所がレオナだとすれば、これ以上信憑性のある話もないだろう。
少なくとも、マァムは今の今までそう思っていた。 今まで何度も手紙をやり取りしていたのに、ダイとポップが旅に出たなんてことは一言も書いてなかった。 だからこそ、マァムは今もダイとポップがパプニカにいると思い込んでいたのだ。 「それって、ポップの野郎が魔界から戻ってきた頃の話だろ? だけど、あいつがいつまでもおとなしくしているわけがねえだろうが。 ヒムのその言葉は、掛け値無しの真実だ。瞬間移動呪文と飛翔呪文が使える上、世界各地を旅した経験のあるポップの移動範囲は、限りなく広い。 「実際、いつ噂で聞いても、違う場所にいるしな、あいつら。この間、クロコダインから話を聞いた時は砂漠で遭難しかけていたとか言っていたし、その前にゃ流氷の上で会ったとかってラーハルトが言っていたっけ。 極端な旅路をヒムは笑うが、マァムはとても笑えなかった。 「…………それで……ポップ達が、旅に出たのっていつからなの?」 「ん? いつもなにも、かなり前だろ。 「――――――――――!!」 声にもならない憤怒を、マァムは必死に噛み殺す。 瞬間、マァムの身体から凄まじいまでの殺気が放たれる。臨戦状態の武闘家が見せる気迫の凄まじさに、今まで呑気に話していたヒムも、バスケットから感じ取れるいい匂いに夢中になっていたチウも、驚かずにはいられない。 「お、おいっ、あんたっ?!」 「マ、マァムさん……っ?」 呼びかける声に、マァムは答えなかった。 平和な世界に相応しい村娘風の格好をしていたはずのマァムは、いまや魔王軍の戦いの中でさえそうそうは見せなかった険しい表情をヒムへと向ける。 「……どこ?」 問いかける言葉は、短く、静かなものだった。 「言いなさい。ポップは、どこにいるの?」 再度問う言葉は静かではあったが、隠し立てをすれば只では済まさないとばかりの気迫を込められていた。 オリハルコン製の身体は生半可な攻撃ではかすり傷一つつかないが、その身体でさえ砕く魔法に対して感じた戦慄を、ヒムは決して忘れないだろう。 金属の身体では流れるはずもない脂汗の存在を意識しつつ、ヒムは必死に首を横に振った。 「い……いや、知らねえよ、そんなの! さっきも言った通り、オレはあいつらに会ってもいないし、それにあいつらの噂を聞いたのはずいぶん前だしよォ……」 言い訳がましい台詞を必死になって紡ぐヒムに、マァムはわずかに眉をしかめて唇を噛む。 「そう……」 その呟きが漏れたかと思った瞬間、マァムの姿が一瞬で掻き消える。 「ええっ、マ、マァムさんっ?! ど、どこですっ?!」 マァムの姿を見失ったチウが、うろたえて辺りをキョロキョロする。それほど、マァムの動きは素早かった。 予備動作も一切なく、マァムは目を疑うようなスピードでチウとヒムの間をすり抜け、通り過ぎたのだ。その動きが余りにも早いから、周囲はマァムが残像を残して消えたかのような錯覚を覚える。 ヒムは辛うじてマァムの動きを目で追うことができたが、とても止められない早さだった。 ……まあ、止めることができたとしても、今の彼女を遮るのは怖すぎてやりたくはないが。 「あっ、マァムさんっ、どこに行くんですかっ?! アップルパイならここですよっ」 ヒムの目の動きでマァムの位置を見て取ったチウは、バスケットをさも大事そうに両手で掲げ持ちながら振って見せる。 (バ、バカかっ、このネズミわっ?! んなもの、どうでもいいっつーの!!) と、心の底でツッコむヒムの声はチウどころか誰にも聞こえなかった。 「急用を思い出したの。後のことは任せるわ」 振り向きもせずにそう言うと、マァムは廊下の窓から外へと飛び出す。 「え、おいっ、ここ、2階だぜっ?!」 さすがにギョッとして、ヒムは思わず叫んでいた。 二階程度の高さならマァム程の武闘家なら飛び下りて怪我をするはずもないのだが、ヒムは思わず身を乗り出して窓の外を見た。 魔法を使えないはずの彼女が瞬間移動呪文を使ったことに驚いてから、ヒムは似た効力を持つ魔法道具の存在を思い出した。 「キメラの翼かよっ?!」 キメラの翼は、使用した者を一定の場所へと運ぶ効力を持つ魔法道具だ。効果は瞬間移動呪文に似てはいるが、自分の意思で移動できず、あらかじめ決められた場所にしか飛べないという点が違っている。 落雷で死んだキメラを原材料にしているためどうしても生産量が少なく、貴重な魔法道具でもある。 そのため、そうそうめったなことで使わないのが普通である。 (あーあ……オレ、ひょっとして、とんでもねえ失言をしちまったのかねえ?) 意外と空気を読めるタイプのヒムは、マァムの怒りの原因がポップの旅立ちにあることに、とっくに気づいていた。 何しろポップはその気になれば、知り合いの家にはいつだって飛べるのだ。旅に出たと一言告げることぐらい、ポップには簡単なはずだ。 なのにマァムにだけは会いもせず、旅立ちについても教えなかった辺り、明らかな意思を感じてしまう。 それに気がついたからこそ、マァムも激怒した――凄まじいまでに面倒な騒動勃発の予感に、ヒムは溜め息をついた。 もはや、後は時間の問題だ。 直接ポップの所に行ったのではなくとも、恐るべき気迫で文字通り飛んでいったマァムは、いずれはポップを見つけるだろう。 彼がひどい目に遭うのは疑問の余地がないし、自業自得だと思うが――問題は、ポップはそうは思わないだろうということだ。 どんな騒ぎが起ころうとも、当事者であるポップとマァムだけの間ですむ話なら、そんなのはただの痴話喧嘩の範疇だ。ヒムにはそんな中に介入するなんて、馬に蹴られそうな真似をする気などさらさらない。 ……が、ヒムにその気はなくとも、ポップの方からよくもマァムにバラしたなと文句をつけてくる予感が、ひしひしとする。 そして、怒りまくった大魔道士はある意味でマァムよりも厄介な存在だ。正義感が強くて気真面目なマァムは、とりあえず第三者のヒムには何もしなかったが、ポップの場合はその限りではない。 短気な上にわがままなポップは、感情的になると手に負えない。腹立ち紛れに、大魔法をぶっ放してきかねないのである。 大魔法を放っていい相手と、そうではない相手を冷静に計って八つ当たりしてきそうだ。 なまじヒムには魔法はほぼ効かないと分かっているだけに、手加減せずに苛立ちを解消できる的として魔法の対象にされかねない。 八つ当たりも甚だしいが、ポップならやりかねない――まざまざと不吉な未来の自分を思い浮かべたヒムは、頭を抱えて呻いた。 「また、とばっちりかよっ?!」 そんなヒムのすぐ隣では、チウがバスケットを抱えたまま喝采をあげる。 「やったねヒムちゃん! マァムさんに任されたってことは、このアップルパイはボクが好きなようにしていいんだなっ」 一切の空気を読まず、嬉しそうに尻尾をピコピコさせて喜ぶチウ君は、確かに大物ではあった――。 「あん? ポップがどこにいるかだって? そんなのは、オレだって知らねえな」 ちょっと皮肉っぽい、落ち着き払った口調でそう答えたのは、初代大魔道士マトリフだった。 突然、キメラの翼を使ってまで、修羅の表情でやってきたマァムにも、全く動じる気配すら見せない。 「なにしろあいつは、ダイと組んで小さなメダル探しの旅とか言って、あちこちの村や町をうろついていやがるからな。 「……そう、なの」 固い声でそう答えるマァムの顔が、微妙に強張る。 しかし、マトリフは気付いていながら敢えてその点には触れず、素知らぬ顔で言葉を続ける。 「まあ、あいつを探しているってんなら、ここに来たのは正解だがな。 それを聞いて、マァムは露骨に眉をしかめた。 「そう。それで……ポップは、元気なの?」 「まあな。 それを聞いて、マァムは一瞬だけ安堵の表情を浮かべ、ホッとしたように溜め息をついたのも、マトリフはもちろん見逃さなかった。 「そうなの……! それじゃ、マトリフおじさん、ポップはいつ頃ここにくるの?!」 「おーおー、おっかないねえ。ただじゃあすまさねえって勢いだな」 「当たり前だわっ! ポップったら、そんなに前から旅に出ていたのに、私にだけ、何も教えてくれないなんて……! その口許には、いつも彼が浮かべている皮肉なニヤニヤ笑いが浮かんでいるものの、その目はいつになく優しい。 「――面白えもんだな。ずっと昔の話になるが、おまえの母親も似たようなことをオレに愚痴ったことがあったんだぜ」 それは、今となっては18年前――魔王ハドラーが初めて世界を支配しようとしていた頃のことだった。 「私だって、今が世界の優先順位は分かっているつもりなんです。 当時、17、8才……奇しくも、今のマァムと同じ年頃だったレイラは、生真面目な顔でそう言ったものだった。 それだけに、勇者一行の一因としての使命感に燃えていた。 「でも、あの人ったら、二言目にはアバン様、アバン様って、そればっかり! そりゃあ、勇者のアバン様が世界を救うために欠かせない存在なのも、ロカがそれを助けるために全力を尽くしていることだって知っていますけど」 膨れた顔に、彼女の隠し様もない若さが見えたことを、マトリフは今でも覚えている。 不満いっぱいに、ロカに対して文句を言う時のレイラ本人は意識していなかったろうが、旗から見ている方にはよく見えるものだ。 「でも! 私には怪我をしたことさえ隠そうとしたり、女は戦いに向かないなんて言って追い返そうとしたり!
やけに上機嫌に昔話をしながら、マトリフはごそごそとその辺の棚を漁って、『それ』を取り出した。 ほとんど迷う様子もなく、マトリフはマァムの目の前に『それ』を差し出す。 「なんなの、それ?」 首を傾げるマァムに、マトリフはニヤリとした笑みを浮かべる。 「そいつはな、人の本音を引き出す薬だよ。 |