『こぼれおちる真実 ー後編ー』

 

 パプニカ城の中庭を一望できる、最上級の一室――そこは、代々のパプニカ王の執務室にあたる場所だ。
 現在のその部屋の主、王女レオナは一日の大半をその部屋で過ごす。優雅な手つきで絶え間なく羽ペンを動かし、次々に書類にサインをするのが彼女の役割と言っていい。

 お姫様という地位に相応しくない、単調で代わりばえのない作業を根気よくこなすレオナの手を止めたのは、いささか乱暴なノックの音だった。

 姫の部屋を叩くノックとしては雑な叩き方で、使用人のそれとは全く違う。
 その違いに首を傾げるまもなく、無礼にも許可を与える声よりも早く飛び込んできたのは、旅装束姿の二人の少年だった。

「ただいまっ、レオナッ!」

「よっ、ひさしぶり、姫さん。あーあ、相変わらず仕事、忙しそうだな」

 一国の王女に対しては無礼と思える、ざっくばらんな話しかけをレオナは咎めなかった。それどころか満面の笑顔で、レオナは二人を歓迎する。

「ダイ君、ポップ君! 相変わらずなのはそちらもみたいね、どう、元気だった?」

 世界を救った勇者ダイに、その親友であり、勇者の片腕として最後まで戦った魔法使いポップ。
 この二人の存在は、レオナやパプニカ王国にとって特別だ。

 騙し討ちも同然な急な旅立ち直後にはいささか腹を立てたものの、今となってはレオナも二人の来訪を心待ちにしている。

 月に一度、ふらっとやってきては遠慮無しに王女の部屋に押しかけてくる勇者コンビを咎める者など、誰もいない。先触れよりも早くレオナの部屋に駆け込んでくるダイとポップに対して、レオナを初めとして、パプニカ城の一同全員で大歓迎するのが常だ。

「うんっ、おれもポップも元気だよっ。あのね、今回のレオナへのお土産、すっごいんだよー」

 にこにこしながら、ダイが荷物の中からやたらと大きな塊を引っ張りだそうとするのを見て、ポップが驚いたような顔をする。

「えっ、まさか……?! あの時のアレ、おまえわざわざ持ってきたわけ?! おれ、やめろって言ったよな?」

(あらら。今回のお土産はハズレみたいね)

 内心ではそう思いながらも、レオナの笑顔は変わらなかった。
 怪物島育ちのダイの美的センスは常人とはいささかズレている部分があり、彼の持ってくる『お土産』に驚かされたことは一度や二度ではない。――悪い意味で。

 だが、ダイは間違いなく善意で選んでいるのだし、なによりその気持ちが嬉しい。だからこそ、レオナは雑に包んだだけの変にデコボコした包みを笑顔のまま受け取りながらも、決してすぐには開けなかった。

「ありがとう、ダイ君! これはお茶の後ででも開けさせてもらうわね、そうそう、マァムからの手紙ももうきているのよ」

「え、マジかよ? いつもより早くねえか?」

 ポップの顔に、またも驚きが浮かぶ。ただし、さっきと違って嬉しい驚きだ。
 ネイル村に帰ったマァムは、律義なことに月に一度のロモスとパプニカを結ぶ定期船の度に必ず手紙を送ってくる。

 ダイとポップはそれに合わせてパプニカにやってくるのだが、船便というのは予定よりも遅れがちなものだ。予定日に合わせてやってきても、いつもなら2、3日待たされるのは普通だ。

 しかし、レオナはテーブルの上にすでに開封された一通の手紙を取り出した。丸みを帯びた文字。上手いとは言えなくとも真面目に、丁寧に書かれたその文字は紛れもなくマァムの筆跡だ。

「そうね、今回は風向きがよかったんじゃないかしら。はい、ポップ君」

 そう言いながら、レオナはその手紙をポップへと渡す。
 マァムの手紙は、あて先こそはレオナ宛になっているものの、実際にはレオナだけでなくダイやポップ、ヒュンケルなど仲間達全員に当てられた手紙だ。エイミやマリン、アポロへの呼び掛けも多い。

 慈愛に満ちた彼女らしく、仲間達全員に平等に呼びかけられる手紙は、名前の上がった全員で回し読みすることになる。

 素早く数枚の手紙を黙読するポップだが、その表情は面白い程豊かに変化する。嬉しそうな表情になったかと思うと、ちょっと悔しそうに眉をしかめ、すぐにそれはデレッとしただらしのない笑みへと変化する。

「ポップ、何が書いてあるの? マァムは元気?」

 難しい字を読むのはいまだに苦手なダイは、ポップの側にまとわりつきつつ熱心に尋ねるが、ポップの反応はいつもと同じだった。

「ああ、マァムなら元気そうだぜ。ほら」

 と、ポップは読み終わった手紙をダイに渡す。ダイもポップと同じように手紙に目をやるものの、彼にはざっと黙読というのは難度が高すぎる。

「えっと? 『れおな、みんな』……ねえ、レオナ、これ、読んで、読んで! マァムはなんて書いているの?」

 あっさりと努力を放棄して助けを求める勇者に、レオナはまんざらでもない様子で手紙を受け取り、ゆっくりと読み聞かせだす。

「慌てないで、ダイ君。じゃあ、最初から読むわね……『レオナ、みんな、元気かしら? ネイル村ではちょうどリンゴの収穫期を迎えたところで……』」

 ダイの注意が手紙へと移った頃を見計らって、ポップはレオナに軽く合図を送り、そっと部屋を抜け出した――。

 

 

「うむ、体調はいたって良好。特に問題はなさそうですな。――ああ、もう服を着て下さって結構ですよ」

 もっともらしく頷きながら、侍医は診療記録にさらさらと流暢な文字を書いていく。

「そりゃ、ここんとこずっと体調いいもん。もう、診察なんかいらないぐらいだって」

「いえいえ、姫様たっての命令ですからな。それにいくら回復が順調とは言え、禁呪のダメージは侮れません。完全に治るまでには、数年はかかります。くれぐれも無理は禁物ですぞ」

 慎重な侍医の念押しにポップはおざなりにはいはいと頷き、そそくさと服を整えると逃げるように医務室を抜け出した。
 個人的に侍医が嫌いなわけではないが、薬の臭いの染み付いた医務室から抜け出すと、それだけでホッとする。

(やれやれ、毎度のことだけど面倒くせえよなぁ)

 月に一度、侍医の健康診断を受けるようにとポップに厳命したのはレオナだ。
 大戦中や勇者行方不明中、無理な魔法を使い続けたポップの体調悪化を心配しているからこその命令だと分かっているから、ポップもそれにしぶしぶ従っている。

 しかし、侍医の診察を受けるのも一苦労だ。
 受けるだけなら別にいいのだが、ポップとしてはそれをダイには隠しておきたいという事情がある。

 他人への思いやりがあり、人一倍責任感の強い小さな勇者は、戦いや勇者捜索のためにポップの体調が悪くなったと知れば自分のせいだと思い、自責の念にかられるだろう。
 それを防ぐためにも、ポップは自分が健康診断を受けている所をダイには知られたくはない。

 が、ダイはいつもポップの側にいる。
 パプニカに戻ってきた時も、それは変わらない。ポップが席を外しても後を追って来るし、下手にダイを撒こうとしても気配を追って探し回りだすから厄介だ。

 結局、ダイの目を盗むためにポップはマァムからの手紙を利用している。
 勉強嫌いでいまだに読み書きが苦手なダイは、マァムからの手紙を読むのにも書くのにもやたらと時間がかかるし、誰かのサポートが必要だ。

 その間はレオナにダイの面倒を見てもらい、ポップはささっと診察をしてもらうのがいつものパターンだ。
 ダイがポップの不在に気がついて探しに来る前に合流しようと、ポップはレオナの執務室ではなく客間へと移動する。

 マァムの手紙を読み、なおかつ自分も手紙を書くというダイにとっては難作業の後は、ご褒美もかねてみんなでお茶をするのが習慣だ。
 大抵は先にダイとレオナが、時には三賢者やヒュンケルが待っているのだが、今日、客間にいるのはレオナ一人っきりだった。

「なんだよ、姫さんだけか? ダイは?」

「ダイ君なら、まだお手紙を書いている最中よ。アポロに見てもらっているから、心配ないわ」

 そう答えながら、レオナは優美な手つきでお茶の支度を始める。

「でも、まだ時間がかかりそうだから、先にお茶でもいかが? これ、マァムから送られてきた特別なお茶なのよ。ポップ君の体調を心配して、特に送ってくれたの」

「へえ、マァムが?」

 意中の少女の名に、ポップは素直にレオナの向かいのソファにストンと腰を下ろす。差し出されたお茶は、いささか匂いも味も変わっていた。
 薬草茶のような苦みと癖に一瞬顔をしかめたものの、ポップは砂糖を足して味を調えつつそのお茶を飲む。

「なんか、これ薬みたいな味だなー」

「そうね。でもマァムっていつもそうじゃない? ポップ君を心配して体調を聞いてくるし、手紙に添える荷物もあなたへのお見舞いみたいな品が多いでしょ。
 あの娘、心配性だものね」

 そうくすくすと笑ってから、レオナはすっと眦睚(まなじり)を正す。飲み終わったポップのカップを眺めながら、レオナはゆっくりと言った。

「――と、ずっと思っていたんだけど……ね〜え、ポップ君。
 確か、一番最初にマァムからの手紙が来た時、あなたはこう言ったわよね? 旅の話は自分が直接マァムに教えたいから、かぶらないようにあたしには書かないでくれないかって」

 そう聞かれた時、ポップは内心、ギクリとする。
 が、あえて何事もなかったように空惚けて見せた。

「え…、えーと、そうだったっけ?」

 ポップの返事に、レオナは朗らかな笑顔を見せた。

「いやあね、忘れちゃったの? それとも、忘れたふりをして惚けているだけ?」

「ははっ、な、何言ってんだよ、姫さんっ、もちろん、忘れたふりして惚けているだけだよ……って、ええっ?!」

 自分で自分の発言にびっくりし、目をパチクリさせるポップに向かって、レオナが相変わらずニコニコしながら話し続ける。

「まあ、やっぱりそうだったのね。
 そうよねー、ポップ君に限ってマァムに関することをうっかり忘れるなんて、有り得ないってあたしも思っていたのよ。
 つまり、ポップ君は意図的に自分が旅に出たことをマァムには隠していたわけね。……どうしてかしら?」

 その時になってから、ポップはようやく気がついた。
 にこやかに笑っているように見えるレオナだが、その目だけは全く笑っていない事実に。
 

「だ、だってよ、それはっ  ……マァム……にだけ……は、本当のことは知られたくなか、ったから。だから、マァムをごまかそうとして姫さんもついでに騙して……ってっ、くそっ、なんでっ?!」

 慌てて自分で自分の口を押さえるポップだが、それにも関わらず自分の言葉を抑えることはできなかった。本来だったら決して教えるつもりのない言葉が、勝手に口から溢れだしてしまう。
 自分の意思では制御できない自分の口に狼狽するポップを、レオナは平然と眺めていた。


「あらあら、すごいわぁ。さすがはマトリフ師のお薬よねー。
 それってね、飲んでしばらくの間は本音しか言えなくなる効果があるんですって。しかも、黙秘もできないの。こっちの質問に対して絶対に答える効果があるのよ。
 ――ねえ、そうでしょう、マァム?」

 と、窓際に向かって話しかけるレオナの言葉に応じるように、カーテンがゆらりと揺れる。
 まとめてあるカーテンの束の中から静かに姿を現した少女を見て、ポップは目を剥いた。


「マッ……マァムッ?!」

 ポップにとって見慣れた武闘家姿ではなく、ごく普通の村娘っぽい簡素な服装を着て、髪を自然に肩に流していても見間違えるはずもない。

「うふふ〜、じゃあ、そろそろ邪魔者は退散するわ。後は若いお二人さんにお任せするわね♪」

 自分の方が年下なのにそんなことを言いつつ、レオナはそそくさと退出する。

「まっ、待ってくれよっ、姫さんっ?!」

 そう叫んだポップの目の前でパタンと扉はしまり、マァムとポップだけが取り残された。 妙に思い詰めたような目をしてこちらを睨んでいるマァムを前に、ポップは最大の気まずさを味わっていた。

 こんな風に無言の沈黙を見せるなんて、彼女らしくもない。はっきりとした性格のマァムは、怒る時もからりとしている。陰に籠るタイプではなく、直接的に文句を言ったり、ぶん殴ったりするタイプだ。

 そんな彼女がいつになく沈み込んだ様子を見せている図は、ポップにはいたたまれない。これなら、まだレオナに面白半分に尋問された方が増しなぐらいだ。
 自分のしたことは怒る気力も無くす程、マァムを悲しませてしまうことだったのか――その罪悪感を感じながら、ポップはなんとか言い訳をしようと口を開きかけた。

「あ、あのよ、マァム、おれはおまえを騙そうとしてたってわけじゃなくって、その、これには訳があって――」

 なんとか言いくるめようとするポップの言い訳を遮って、マァムは案外と静かに問い掛けてくた。

「教えて。なぜ、旅に出たの?」

「ダイと、一緒にいたかったから」

 考えるよりも早く、するりとポップは答えていた。

「別に、おれは旅に出たかったわけじゃねえよ。あいつがパプニカにいるってんなら、おれも姫さんの手伝いでもしながらパプニカに居候でもしようかなって思ってた。
 もし、ダイがデルムリン島に帰るようなら、おれもついてくつもりだったし。
 あいつが旅に出たいって言ったから、おれも旅に出ることにしたんだよ」

 自分でも驚く程すらすらと、ポップは本音を打ち明けていた。誰にも――そう、ダイにさえ打ち明けるつもりのなかった本音を。

「おれは、あいつと一緒にいたいんだよ。
 ダイが帰ってきたら、もうそれでいいかと思っていたんだけど……おれ……ダイと一緒に地上に戻ってきた日に、見た夢があるんだ」

 頭では、黙っておきたいと思っていても、ポップはどうしても自分の口を押さえることができなかった。
 一度綻びて穴の空いた堤防から水が溢れだすように、今まで胸の奥底に秘めてずっと隠しておいた事実まで全部口にしてしまう。

「……嫌な夢、なんだ。
 あの夢を見た後は、すっげえ気分が悪くなるし、嫌って程落ち込んじまう。
 夢を見たのは、その日だけじゃないんだ。同じ夢を、何度も繰り返して見ている」

「ポップ、そんな話は一度もしなかったじゃない!」

 驚き、憤りながら怒鳴るマァムを前にしても、それは変わらなかった。
 前から、ポップはマァムにそこまで話す気などなかった。いや、今でさえ理性はマァムにはそこまで教えない方がいいと判断し、戒めようとしている。しかし、その思考を裏切って、ポップの口は余すことなく本音を吐きだしていた。

「だって、言えるわけないだろ、んなみっともない話なんか。いい年こいて夢が怖いんです、なんてガキじゃあるまいしみっともねえ……!
 でもあの夢は……あの夢だけは、ダメなんだ。
 あんな夢を見るぐらいなら、もう一度大魔王とでも戦った方がよっぽどマシだぜ……!」


 言いながら身体が震えるのは、断じて夢の恐怖のせいではなかった。一番弱みを見せたくない相手の目の前で、自分の一番弱い部分をさらけ出さなければならない羞恥のせいだ。 だが、マァムはそうは思わないらしく、明らかに表情が変わる。

「ポップ……それって、どんな夢なの?」

 その声音には、ポップを気遣う響きが感じられた。怒りよりも心配を全面に見せ始めたマァムに耐えきれず、ポップは目を逸らす。

「夢の中で……。おれはまだ――あいつを探しているんだ」

 目を逸らしてもなお、マァムが小さく息を飲む音が聞こえた。それから逃れるように、ポップはマァムに完全に背を向ける。
 今は、自分の顔を彼女に見られたくなかったし、自分を案じる彼女の顔も見たくはなかった。

「おかしな話だよな。夢の中のおれは、夢の中なのに目を覚ますんだ。
 まだ夜明け前の暗い森だとか、寂れた宿屋とか、その時によって場所は違うけど、起きた時はおれはいつも独りで旅をしている。
 そんで、気がつくんだよ……ああ、今まで見ていた方が夢だったんだなって」

 言いながら、ポップはさっきマァムが出てきたカーテンにしがみつく。それに隠れようとするかのように半ば埋もれながら、ポップはうわ言のように告白を続けていた。

「おれはまだ、ダイを探す旅をしている途中で……でも、ダイの手掛かりなんかまるっきりなくて、どうすればいいのか分からない。
 ダイが帰ってきたって言う夢を見ていただけなんだって、そう気がつくんだ。
 自分に都合のいい夢を見ているだけで、おれの手は相変わらずからっぽでさ……」

 縋るようにカーテンを握り締めながら、ポップは自分で自分の告白に耐えていた。

「分かってるんだ。こんなの、ただの夢だって。
 ただの夢なのにすっげえリアルで、こっちが本当なんだっていつも騙されちまう」

 夢の中で、それが夢か現実か見極めるのは困難だ。だからこそポップはそれに何度も引っ掛かるし、悪夢の印象はいつまでたって薄れない。

「そんな時はいつも、世界が色を失うみたいな感じがする。
 ごく当たり前だと思っていたものがなくなって、もう二度と手に入らないんだって思うだけで胸が潰れそうになる。
 すげえ嫌で……不安な気分になるんだ。

 そんな時に、起きて、ダイの顔を見るとすっごく安心できるんだよ。
 そりゃあ、起きただけでも今までのは夢だったって分かるんだけどさ、後味ってやつはなかなか消えてくれないからさ。

 自分でもバカみたいだって思うけど、実際にダイの面を見て、あいつを小突いたり、馬鹿話の一つもしてからやっと、こっちが現実なんだって実感できるんだ」

 言いながら、ポップはわずかに赤面するのを感じていた。
 弱みを見せるのも嫌だが、こんな風にダイへの友情をわざわざ口にするのも、それを聞かれるのも、なんだか恥ずかしい。
 だが、ポップの感情とは裏腹に、言葉は止められない。

「ダイと一緒にいると、安心していられるんだ。夢も少しずつだけど見なくなってきているし、そのうちこんなの笑い話になるだろうって思っている。
 それまで、あいつといたいんだ。だから……おれは、あいつと旅に出たんだよ」

 そこまで白状してから、やっとポップの『告白』は止まった。ホッとしたのと、『告白』に抵抗しようとした分、精神に負担が掛かった疲労感が一気に襲いかかってきて、ポップはその場にペタンと座り込んでしまう。

(あー……おれ、今、すげえみっともねえ)

 立ち上がるだけの気力もなく、気が抜けたようにカーテンに寄り掛かるポップの背中から、か細い声が聞こえてくる。

「……分かるわ。
 あなたにとって、ダイの存在がすごく大きいのは、知っているもの。そうね、あなたのその傷はダイにしか癒せない……」

 その声はどこか悲痛で、ひどく痛々しい印象があった。今にも泣き出しそうな声音に、ポップは一瞬、マァムが泣いているのではないかと思う。
 だが、ポップが振り向くよりも早く、マァムは叫んだ。

「でも、それじゃあ、私は?
 ポップは、私のことをどう思っているの?!」

 叩きつけられるような『質問』に、ポップの身体がビクンと震える。

「マァムは………………」

 勝手に答えを紡ぎだしそうになる衝動に、ポップはカーテンにしがみついて耐えようとした。

(嫌だ……っ)

 感情が、訴える。こんな形で、マァムへの想いを告げたくはない、と。
 自分の中の一番の弱みを吐きだしてしまった時以上に、抵抗を感じずにはいられない。 だが、ポップの精一杯の抵抗を嘲笑うように、告白への衝動は強まる一方だった。

「…………お、れはっ……マァム……を……くそっ……ちくしょう……っ」

 まるで溺れかけているような息苦しさに喘ぎつつ、ポップは抗う。しかし、ポップの抵抗はすでに壊れてしまった堤防を素手で塞ぐようなものだった。
 溢れだす本音はポップの中では収まりきらないぐらい大きくなり、どうしても口にしないではいられない衝動が強まる。

 それでもかろうじて我慢しようとするポップの背後で、何か音が聞こえた。そんな些細なことが、ポップの中の最後の抵抗を破る。

「おれは……マァムと一緒にいると――落ち着かないんだよっ!」

 怒鳴るように一度叫んでしまうと、もう抑えが効かない。流れ出す本流のように、ポップは一気にまくし立てていた。

「だいたい、落ち着けるわけねえよ……おまえ、会う度にどんどん女っぽく、きれいになっていくんだからよ……!
 二人っきりになっちまうとドキドキしちまって、ちっとも落ち着かねえ……!

 だってよ、しかたがねえじゃないか! おれはおまえが好きだし、前に告白した返事だって聞きたいし……っ!
 けどよぉ、おまえはおれにあんまり興味なさそうだし、なにより――まだ、心が決まってないことだって、知っている……!」

 すでに顔を真っ赤にしながら、ポップはマァムへの想いを告白していた。
 本当は、こんなことなど決して言いたくはなかった。
 答えをだせるようになるまで待ってほしいと言ったマァムが、自分からポップに答えてくれるようになるまで、待ちたいと思っていた。

 正直、ポップにとってその待ち時間は苦痛だし、時折せっつきたくなる時もあるのだが、そうしたくはなかった。

 ポップにだって、男としての見栄がある。
 年下の弟みたいと甘やかされるのではなく、頼りがいに満ちた包容力のある男として見られたい。

「おまえの答えを聞きたいし、一緒にいてほしいけど――でも、無理強いはしたくねえんだ。
 だって、おまえは優しい奴だから……おれなんかを好きじゃなくっても……おれの心配してくれる。
 けど、そんなの……弱みに付け込んでいるみたいじゃねえか」

 ギュッと目を閉じて、ポップはカーテンにほてった顔を押しつける。そうやって一瞬だけでも堪えようとしたが、ポップの口はポップを裏切ってマァムには決して教えたくない真実を告げる。

「いまのおれが旅に出るなんて言えば心配させるのは分かってたし、おれの夢のことを知ったら……おまえ、ほっとけないって思うだろ?
 ホントはおれよりもヒュンケルの野郎が気になってても、自分の心を殺してでも、無理をしてでもおれの側にいてくれるだろ?」

 質問をする形になったポップの言葉に、マァムは返事を返さなかった。だが、確かに背後で息を飲むような気配を感じる。
 気配には疎いポップでもはっきりと分かる、人の気配がそこにがあった。

「弱みにつけこんででも、おれの側に縛りつけたいって思う時もあるけど……おれは、マァムにそうまでさせたくねえ。そんなこと、してくれなくっていいんだ。
 いて……さえくれれば。それだけで、いいよ」

 本心から、ポップはそう言っていた。
 その途端、気持ちが楽になる。
 言葉を遮ろうと抗っていた時にはずっと感じていた抵抗感がふっと軽くなるのを感じながら、ポップはマァムに自分の想いを告げる。

「近くじゃなくってもいいんだ。おれのためじゃなくってもいい。おまえが、この世界にいてくれる……それだけで、いい。
 忘れないでくれ。おれのすべては、マァム――おまえに救われてるんだからさ」

 

 

 ようやく止まった『告白』の後、ポップは放心したようにカーテンにしがみついたままじっとして動かなかった。
 と言うよりも、動けなかった、と言った方がいい。

(……言っちまった……! 言っちまったよ、おれ……っ)

 一生言うつもりもなかったことをそのまま口にしてしまった……しかも、普段だったら絶対に言わないような気障ったらしいことまで言ってしまった事実に、ポップは身悶えしたいような羞恥心を味わう。

 今すぐにでも逃げ出したいような不安感と、万一を望む期待感が同時に胸を苛む。
 それは、以前、バーンパレスでマァムに告白した後の感じに似ていた。
 怖くて堪らないが、新しい何かが始まる期待が確かにある。ドキドキしながらマァムの返事を待つポップの背後から、聞き慣れた声が聞こえてくる。

「……あのさ。それって、マァムに言った方がいいと思うんだけど」

 その声に、ポップは全力で振り返る。そこにいたのは、予想通りの人物だった。

「ダイッ?! な、なんでおまえ、ここに……っ?!」

 きょとんとしたような顔でそこに突っ立っているのはダイだけで、肝心要のマァムはどこにもいない。
 そして、ダイの後ろのドアは大きく開かれたまま開けっ放しになっていた。

「なんでって、お手紙を書き終わったからお茶を飲もうと思って。なのにレオナはいないし、ポップはカーテンに向かって話してるし」

 素直にそう言うダイに悪気は微塵もなかっただろうが、ポップの顔はなお赤くなる。あの告白を聞かれただけでも恥ずかしいが、それをカーテンに向かって話していたと思われるとは屈辱にもほどがある。

「だっ、誰がカーテンに話したっ?!
 つーかっ、てめえっ、どこから聞いていやがったっ?!」

「な、なに怒ってるんだよ、ポップ? それより、ポップの夢って、何?」

「やかましいっ! んなもん、なんでおまえに教えなきゃいけないんだよっ?! そんなの、もう一生、誰にも言うもんかっ!」

 力一杯に天然勇者様を怒鳴りつけた後で、ポップは『告白』への衝動がきれいさっぱり消えていることにやっと気がついた――。

 

 

「マトリフおじさん。これ、やっぱり返すわ。これは、使わない方がいいと思うの」

 きっぱりとそう言ってから、マァムは小さな小瓶をマトリフへと手渡した。

「そうか。じゃあ、この後はどうするつもりだ?」

 その問い掛けに、マァムは考えもせずに答える。

「まず、ポップに謝りにいくわ。本当に……ひどいことを、してしまったと思うから」

 沈痛な表情は、彼女の反省の深さをそのまま現わしていた。
 実際、マァムはひどく後悔していた。
 騙されたという憤りと、相談したレオナの勢いに押されたとはいえ、こんな形で人の心を暴こうとするのは間違っている。

 それをはっきりと自覚したのは、ポップに自分のことをどう思っているかと問い掛けた時のことだった。
 薬の強制力に必死に抵抗するポップの苦悩を見て、マァムは自分の間違いを悟った。だからこそ、本音を聞く前にその場から立ち去ったのだ。

「薬の力で無理やり人の本音を聞き出そうとするなんて、卑怯だったわ。もう、こんな薬なんか二度と使わない……!」

 自分自身に誓うように俯いてそう言った後、マァムは顔を上げてきっぱりと宣言する。


「それから、改めてポップに文句を言うことにするわ。だって、ポップが嘘をついていたのは許せないと思うし、どうしてだか知りたいのは変わらないもの」

 そこだけは譲らないぞとばかりに身構える生真面目なその表情を見ながら、マトリフは苦笑じみた笑みを浮かべる。

「やっぱり親子だな。変なところだけ、似ていやがる」

 二代の勇者一行に関わった老魔道士は、自分の助力が断られ、自作の薬を否定されたのに少しも不快な様子を見せない。むしろ、喜んでいるかのような表情を浮かべていた。

「レイラも昔、そう言っていやがったぜ。ロカの心を知りたくって、たまらなかった癖によ。
 薬なんかで相手の本音を聞いちまったらきっと一生後悔するから、こんなものはいらないってな」

 心は、目には見えない。
 心は、形にはならない。
 確かに存在するはずなのに、それを証明するのがこれ程難しいものは他にあるまい。

 だからこそ、人の心を知りたいと思う――それは、誰もが思うこと。ましてや、恋する者ならばなおのことだ。
 恋人が、真実自分を想ってくれているか。
 恋に落ちた人間で、それを気にしない人間などいまい。

 そして、恋は盲目だ。
 ただでさえ真実というものは分かりにくいものなのに、恋の目の眩んだ目では真実を探り当てるのは一層難しくなる。

 だが、それでも相手の心を知りたいと望むのが、恋という感情だ。
 手段を選ばずにがむしゃらに真実を探ろうとするのも、どこまでも自分の力で手探りで探りあてようとするのも、その人次第というものだ。
 それもまた、恋の楽しみなのだから。

「ま、それもいいだろうよ。
 真実なんてものは、所詮、胸の奥に秘めておくもんだからな」

 ニヤニヤと笑いながら、初代大魔道士は軽く肩を竦めてみせる。

「余さずに全部ぶちまけさせるだけが、いいってわけじゃない。
 覚えておきな――本音なんてのは、たまにちょっぴりこぼれ落ちるぐらいで丁度いいのさ」

 その昔、黒髪の僧侶の娘にくれてやったのと同じ忠告を、赤毛の武闘家の娘へと与えてやった後、マトリフは軽く手を伸ばす。

「ほれ、そうと決まったらとっととあのバカ野郎のところにいってやりな」

 そこでマァムの背を押してやるのなら、非の打ち所のない忠告者で終わっただろうが、マトリフの手はからかうようにマァムの背中ならぬお尻を押す。

「きゃっ?! もうっ、マトリフおじさんったら!」

 いろいろと台無しにしてくれるセクハラっぷりに、マァムは怒り顔を見せるものの殴るまでには至らなかった。

 一度だけ振り返って文句を言った後、マァムは押し出された勢いのままに走り出す。本人は意識はしていないだろうが、ほんのわずかの時間すら惜しんで駆けていくマァムの足取りは弾んでさえいる。
 一心に目的地であるパプニカ城を見つめているその表情も、明るい。

 とても、謝罪のために走っているようには見えない。彼女の行く先には、彼女が望んでいる大切なものがあるのだと、傍目からでも一目で分かるような――そんな、どこか楽しそうな走りっぷりだった。

「へ……っ、若いってのはいいねえ」

 マトリフの位置からは、マァムの顔は見ることはできない。
 だが、先を急ぐマァムの心そのままに、彼女の後ろ姿はどんどん小さくなっていくのは見て取れる。

 孫娘にも等しい少女が自分の愛弟子に会いに行く姿を、マトリフは洞窟の外でたたずんだまま見送っていた――。
                                     END



《後書き》

 4周年記念アンケート企画、11のお題挑戦の一つ…そして、これが最後のお題です!
 こちらのお題では『建前が無くなって素直に本音でしか話せなくなる薬』『また、とばっちりかよっ?!』『やったねヒムちゃん!』『忘れるな。それだけで俺のすべてはお前から救われているんだ』と、ついでに旧勇者一行のメンバーがちらっと登場しています♪

 しかし、結局の所ポップの告白って肝心なところは届いていませんね。
 ポップはダイへの気持ちをマァムへ、マァムへの気持ちをダイへ告白しちゃっていますよ(笑)

 もしかして、ひっそりと隠れて盗み聞きしていた(かもしれない)レオナが、一番しっかりと彼の告白を聞いていたのではないかとの疑いすら浮かんできます。

 ところで作中に出てくるりんご占いは、西洋では結構種類があるりんご占いの中でももっとも有名な一つです。
 ロカの綴りの最初がRでいいのかLになるのか分からなかったので、作中ではその辺は曖昧に書きましたが、LはともかくRに見える形ってのはかなり難しい気がしますね(笑)

 

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