『綻びていく秘密 1』 |
「ふうむ、こいつはいい。こんな上物は、久し振りだ」 どちらかと言えば無口で、無愛想なはずの武器職人は珍しく顔を綻ばせ、喜色を現す。 その喜びようは、極上の酒をもらった時に匹敵するものだった。 普通の人間なら特に興味も持ちそうもないその固まりを、彼はこの上ないプレゼントでももらったかの様に、上機嫌で何度も眺めまわす。 ヒュンケルは知らなかったが、ラーハルトに言わせるとそれはミスリル銀と呼ばれる非常に珍しい鉱物らしい。 もっとも珍しすぎて普通の職人では扱い方さえろくに知らないような代物で、いつものように冒険の収穫品として適当な店に売り飛ばすこともできない。 「貴重な物を、どうもありがとうございます。話には聞いたことがあるけど、ボクは本物のミスリル銀を見たのは初めてですよ」 そう礼を言いながら、ノヴァはそつのない動作でヒュンケルとラーハルトにお茶を差し出す。 「……ずいぶんと、背が伸びたな」 本心からの驚きを込めて、ヒュンケルはノヴァを見返した。 それからというものの、彼とは会う機会がなかった。 その際、ノヴァがロン・ベルクの通いの弟子となって、リンガイアとランカークスを往復しながら鍛冶の修行をしているとは聞いたが、自分の目で見たのはこれが初めてだ。 まず、背が伸びたのは一目瞭然だ。 前はいかにも貴族の坊っちゃんと言った育ちの良さが拭えなかったのだが、今は職人風の格好が様になっている。 そう見えるのは、筋肉のつき方が以前より増したせいかもしれない。将軍という兵役についたせいか、鍛冶という力仕事を日常的に行っているせいか、肩回りなど以前よりも一回り以上逞しくなっているのが一目で分かる。 火傷や小さな傷が無数についた両腕は、痛々しさよりも本職ならではの逞しさの方をより強く感じさせる物だった。 さすがに成長期というべきか、16才から17才への一年間はノヴァに大きな変化をもたらしていた。 「そうですか? 自分では、あまり分からないんですが」 それに精神の持ち様も以前とは違ってきたのか、背が伸びたという褒め言葉をノヴァはさらりと受け流す。 「そういえば、ついこの前、ロモスでポップに会った時にも同じことをいわれましたっけ」 思わぬところから飛び出してきた弟弟子の名に、ヒュンケルは思わず耳をそばだてる。
「ふん。あいつらしいな」 憎まれ口の様なラーハルトの相槌に、ヒュンケルも同感だった。 ポップが宮廷魔道士見習いとして各国に留学を始めたのは、もう一年以上も前のことだ。 もっとも、ポップは忙しいはずの留学生活の合間も、相変わらず魔法を使って好きな所を飛び回っているらしい。 レオナや他の仲間達とは頻繁に連絡を取っているらしく、ヒュンケルやラーハルトがどこに行っても、あちこちで彼の噂は聞く。 だが冷静に思い返せば、ポップが留学を開始する直前にパプニカで会ったのを最後に、それっきり会っていない。 「ポップは、元気だったか?」 思わずそう聞いてしまうのは、ヒュンケルが最後に会った時は、ポップが体調を悪くして寝込んでいたせいだろう。 ポップの活躍を耳にしている以上、彼が元気になったのは疑いようがないのだが、ヒュンケルの中では、ダイを探して憔悴しきっていた頃のポップのイメージが拭いがたく残っている。 魔王軍との戦いの時に魔法を使い過ぎた後遺症で健康を損ね、休養を薦められたのにも関わらず、倒れるまで無理を繰り返していた。 「うーん。元気だった、と言いたいところなんですが…………」 ノヴァはためらうように口ごもったあげく、ボソリと呟いた。 「ちょっと、疲れているというか……どこか無理しているように見えましたね。痩せたというか、一回り小さくなったというか 」 そこまで言ってから、ノヴァは自分の言葉に、ヒュンケルのみならずラーハルトまでもが凝視しているのに気づいたらしい。場を執り成すように、フォローを入れる。 「あ、でも、そう見えただけで、話したらすごく元気そうでしたよ! あの軽口も変わっていなかったし、ずいぶんと頑張っているみたいでしたし!」 そう言えば、こんなことがあったといかにもポップらしいエピソードを語るノヴァの話に耳を傾けながら、ヒュンケルは一抹の不安を消せなかった――。
ゆったりとした袖のついた長衣の服装は、見る人が見れば一目で賢者の衣装と分かる豪華な品だった。 だが、それだけ豪華な衣装を着ているにもかかわらず、頭には黄色のバンダナを巻いただけの格好なのがちょっとアンバランスだが、それは目立つまい。 大人達に囲まれているせいか、その少年は実際以上に小柄に見えた。だが、会話の主導権を握っているのは、明らかに彼なのが見て取れる。 自分よりもはるかに年上の兵士や文官達に書類を片手にあれこれと話している少年を、ヒュンケルは邪魔をしないように離れた場所からじっと見つめていた。 強い驚きに目をまんまるくしている少年に向かって、ヒュンケルは軽く手を上げてみせた。 別に、呼ぼうと思ったわけではない。 だが、そんな意図を読めないはずはないだろうに、彼は立派な衣装の裾を蹴散らしつつ、ものすごい勢いでこちらに走ってきた。 「ヒュンケル?! てめえ、なんでここに……っ?! 驚きから喜び、さらに怒りの感情へと、目まぐるしく動く表情の変化を見せるのが、ヒュンケルにはなんとなく嬉しかった。 だが、あまりに質問のテンポが早すぎて、無口なヒュンケルでは返事をする余裕がないのが、困るといえば困る。 結果、黙り込んでいるヒュンケルに、一方的に少年ばかりが話しかけてくる図になってしまう。 「なんだよ、なんだよ、せっかく久しぶりに会ったってえのにろくに話もしないでだんまりを決め込みやがってよ! 相変わらず、スカした野郎だな!!」 「…………」 矢継ぎ早の質問をぶつけられた揚げ句、この結論は理不尽だと思わないでもないヒュンケルだが、とりあえず彼が黙ったのでやっと口を開くことができた。 「――元気そうだな、ポップ」 一年振りに再会した弟弟子に、ヒュンケルはようやく挨拶の言葉を投げかけた。
「へー、じゃあ、おまえらはしばらくパプニカに滞在するのかよ」 数分後、なんとか機嫌を直したポップは、書類を抱え込んだままてくてくと歩く。 おまけにしばらくの間ラーハルトと一緒に旅をしていたせいか、常に早足のような速度で歩く癖がついてしまって、気を抜くとポップを置き去りにしそうになる。 だが、もっと急げないのかなどと言えばせっかく直ったばかりのポップの機嫌が悪化するのは見えているし、今は早く歩けと急かす理由もない。 大戦中もパプニカ城に長くとどまらなかったヒュンケルより、ポップの方がはるかにこの城の構造には詳しい。
「なんだよ、初耳だよ?! そんな話、まだ姫さんから聞いてないぜー。ったく、余計な注文やらお説教は毎日のようにしてくるし、こまめに伝言もしてくるのに肝心な話は遅いんだからよ!」 いささか膨れて、ポップが文句をつける。 「それにしても、おまえらもおまえらだよ。昨日のうちにここに来たんなら、もっと早くおれんとこにも来れただろうによ。 もちろん、それは知っていた。だが、ヒュンケルにはヒュンケルの事情があったのである。 「到着が遅い時間になったからな。寝ているのを起こすのも悪いだろう」 「なんだよ、人を子供扱いして! ガキじゃあるまいし、んなに早寝するわけねーっつの」 城を訪れた礼儀として、ヒュンケルとラーハルトはまずは城主であるレオナに面会を求めた。だが、半分とは言え魔族のラーハルトと一緒だったせいで門番に警戒されまくってしまった。 しかも、口下手なヒュンケルが自分がアバンの使徒だと説明しなかったため揉めに揉め、もう少しで牢屋に放り込まれかねない状況だったのである。 だが、門番らや兵士達が自分達の無礼さに青ざめ態度を一転させて謝罪をするなどの騒ぎになったため、それが解決するまで相当時間がかかってしまった。 ポップが確実に寝ているかどうかは分からない時間だったが、起こすにせよあるいは寝る時間を遅らせるにせよ、わざわざ睡眠を妨げるのはためらわれた。 急ぐ用事があるわけでもないし、しばらくパプニカに滞在する予定なのだから面会を焦る必要もないと思ったのだが、ポップの方はヒュンケルのその判断が不満らしい。 「それにしてもさ、おまえらなんでいきなりパプニカに来たんだよ? この辺の捜索とかは、真っ先にやったんじゃなかったっけ? この辺に、何か用事でもあんのか?」 訝しげな質問に、ヒュンケルは思わず苦笑する。 だが、聡い癖に自分の価値には鈍感な弟弟子は、その可能性は全く思い当たらないらしい。 「おまえだけならまだ、姫さんに用があるのかと思ったけど、ラーハルトもってのが意外だったぜ。 容赦のないポップの言葉だが、ヒュンケルもまったく同感だった。 それは、ある意味でラーハルトとの旅を中断させたいという提案に等しかった。 次にどこに行くのかを互いに提案することはあるし、反対する理由がない限り一緒に行動しているものの、意見が分かれた時には別行動を取るという暗黙の了解が二人の間にはある。 だからこそ、久々にポップの安否を確認したいというヒュンケルの個人的な欲求に基づく寄り道など、主君の捜索第一主義のラーハルトは拒否すると思っていた。 それだけにその理由が気にかかっていたが、ポップの方はさして気にもしていない様子だった。 「まっ、それよりおまえら、覚悟しといた方がいいぜー。姫さんってあれでちゃっかりしているからよ、居候にただ飯なんか食わせてくれないぜ。絶対、なんか用事をいいつけられるようになるに決まってら!」 楽しそうなポップの声を、ぶっきらぼうな一言が断ち切る。 「それは願い下げだな」 それに驚いて振り返ったのは、ポップだけだった。ヒュンケルの方は、足音をほぼ立てないラーハルトの接近にとっくに気が付いていたのだから、驚くには値しない。 「ラーハルトッ?! なんだよ、おまえ、いつの間に?! 人を驚かせんなよ、ったく、おまえもヒュンケルの奴と一緒だな、狙ったタイミングででてくるんじゃねえって。
「しっかしよ、おまえらって、なんか……なんとなく雰囲気変わったよなぁ」 ポップがそう言ったのは、再会の挨拶が一通り済み、場所を食堂に移した後だった。ついさっきまでおおはしゃぎしてあれこれおしゃべりしていたポップもやっと落ち着き、銘々がセルフサービス式の食事を手に席に着いたところだ。 ポップがしみじみとした口調でそう言うのを聞いて、ヒュンケルとラーハルトは軽く目を見合わせた。 「そうか?」 「そうかって、自分で気付いてないのかよ? なんかさー、二人とも日に焼けて前より逞しくなった感じじゃねえか。肩回りとかも厚くなった感じだし……ずりいよなー」 何がずるいのかは分かりかねるが、そう言われれば思い当たらないでもない。 それに、ヒュンケルにしろラーハルトにしろ、まだ年齢的に伸びしろはある。さすがに身長の伸びは止まっただろうが、まだまだ筋肉をつけていくことはできるだろう。 「ふん、馬鹿馬鹿しい。そう言う貴様は、そう変わったようには見えんな」 戦いの時と同様、ずばっと切り付けるように核心を突くのは、いかにもラーハルトらしい。 「なんだよ、どこに目をつけてんだよ? これでも最近は、結構魔法使いっぽく見えるようになったって言われてんのによ」 確かに、今のポップは前よりも格段に魔法使いらしく見える。 「ああ、見掛けはな」 今のポップは、以前よりも大人びた印象は確かにする。 15才から16才へ。 顔立ちもまだまだあどけなさが強く残っていて、ヒュンケルの記憶の中のポップとの相違点が見当たらない。 「そもそも、ろくに食べないから伸びないんだろう」 と、ラーハルトは不作法にも食べているフォークでポップのトレイを指す。 昼食だから軽くしようとしたヒュンケルやラーハルトのトレイに比べると、半分以下である。 育ち盛りの男子としてはずいぶんと軽めの食事に、ラーハルトはさも馬鹿にしたかのような一瞥を送る。 「そんなちゃらちゃらした格好をするより、もっと食べたらどうだ」 「余計なお世話だ! 今日は、あんまり腹がへってないだけだっつーの! 「喧しい。食事中に騒ぐな」 「てめえからケンカふっかけといて、なんだよ、その言い草はっ?!」 激しく言い争う と言うよりは、やたらと突っ掛かるポップをラーハルトが軽くいなしている印象が強いが、元気いっぱいのやり取りにヒュンケルは微笑ましさを感じていた。 いかにもポップらしい気の強さや、ぽんぽんと文句をぶつける言い草が、懐かしかった。そういう点では、ポップはほとんど変わっていない。 他人を巻き込むこの調子のよさが、懐かしかった。 一年という空白時間などなかったかのように、前と同じく接してくる弟弟子にヒュンケルは大いに安堵していた。 変わりがないのは嬉しいが、あまりにも変わりがなさ過ぎるのではないか、と――。
|