『綻びていく秘密 2』

 

「ところで、ヒュンケル。それに、ラーハルトも、パプニカにしばらく滞在してくれるのは大歓迎だけど、それならその間に少しばかり手伝ってもらいたいことがあるの」

 それは、夕食の席のこと。
 久し振りに気の置けない仲間達と一緒に夕食をとりたいからと、王女自らが望んで開いた細やかな晩餐の場だった。

 レオナ、ポップ、ヒュンケル、ラーハルトの4人で囲んだ食卓は、お世辞にも賑やかだとはいいがたかった。

 何しろ、無口で無愛想な男二人が主賓なのだ、会話が盛り上がろうはずがない。だが、彼らの無口さは心得ているポップとレオナは、特に気にする様子もなく彼らにも遠慮なく話しかけてくる。

 結果、そこそこには場が弾み、食事もほぼ終わって和んだ雰囲気が漂い始めた頃を狙い済ましたかのような、レオナの発言だった。

 目をきらきらと輝かせながらそう言い出したレオナを見て、ポップが目立たないようにヒュンケルをこずく。
 その顔に浮かんでいるニヤニヤとした笑みは、いかにも得意そうだった。

『ほら、おれの言った通りだろ?』

 はっきりと口に出して言うまでもなく、表情に浮かんでいる言葉がおかしくてたまらない。
 一年経っても、ポップの表情の豊かさは少しも変わっていないようだ。

 そして、レオナのちゃっかりさやしたたかさにも変化はない。可憐な見た目を裏切ってやり手の指導者でもある彼女は弁も立つし、他人をこき使うのも非常に巧い。

 迂闊に彼女の頼みに頷くと、いつの間にか容易ならざる仕事を押しつけられかねないのはヒュンケルも知っている。
 だが、ヒュンケルは迷わずに頷いた。

「滞在中ですむ用事なら、喜んで」

 一度、パプニカを滅ぼした負い目をいまだに捨てきれていないヒュンケルにしてみれば、ただの居候として過ごすよりもその方がよほど気楽だ。

 大戦から1年が過ぎたとはいえ、まだまだ戦火の傷跡は世界各地に色濃く残っている。復興のための手助けに繋がることならば、どんなことでもやるつもりだ。
 しかし、レオナの依頼はヒュンケルにとって予想外のものだった。

「そう、嬉しいわ。なら、この城にいる間はあなた達には近衛騎士になってほしいの」

 想定外の役職に、ヒュンケルは一瞬怯まずにはいられない。
 レオナが望むのならどんな力仕事や汚れ仕事でも引き受ける覚悟はあったが、近衛騎士と言えば国に仕える戦士として望むのであれば、最高級といっていい花形職業だ。

 常に王族の側に控え、場合によっては政治的な意味でも関与することさえある誉れ高い地位が、自分に相応しいとは到底思えない。
 だが、断りの言葉を頭に浮かべるよりも早く、レオナが畳み掛けてくる。

「あ、心配はいらないわ、近衛騎士とはいっても正式な着任ってわけじゃないわ。あくまで見習騎士という名目だけでいいのよ、それなりの身分があった方が色々と都合がいいんですもの」

 そう言われても、身分に頓着しないヒュンケルには何が便利なのかは正直分かりかねる。だが、それでもヒュンケルが頷いたのは、レオナへの信頼ゆえだった。

 自分にとっては分不相応な肩書きとしか思えないし、周囲にとっても不快と思われる可能性が高いと考えられるが、レオナの聡明さや政治的見解はヒュンケルを遥かに上回っている。その彼女がここまで言うからには、それなりの事情や理由があるのだろうと思える。


 自分の判断と食い違っていたとしても、レオナの判断を優先する程にヒュンケルは彼女を信頼していた。
 しかし、ラーハルトの方は素っ気なく首を横に振る。

「悪いが、オレは断らせてもらう。しばらくはパプニカに滞在はする予定だが、その間ずっと城にいるつもりなどないからな」

 仮にも一国の王女からの誘いを無下に断るラーハルトの反応に、給仕のために控えていた侍従達の方がわずかに眉を潜める。
 だが、レオナ本人はたいして気を悪くした様子もなく鷹揚に頷いてみせた。

「もちろん、それはあなたの自由よ。では、あなたに関しては食客扱いということで、城の出入りを自由に行える許可を出しておくことにするわ。
 一応、ヒュンケルと同じように部屋は用意しておくから、滞在中は自由に使ってちょうだい」

 そう言ってからレオナは侍女に向かって、目線で合図を送る。あらかじめ打ち合わせ済みだったのか、心得顔で侍女が引き下がってからしばらくして、弾むようなノックの音が聞こえた。

「失礼します、エイミです」

 礼儀正しく挨拶しながら入ってきた三賢者のエイミだが、それもヒュンケルと目が合うまでの話だった。

「ヒュンケル! ひ、久しぶりね……!」

 誇張ではなくパッと顔が薔薇色に染め、熱烈な眼差しで彼を見つめるエイミは、彼以外目に入っていないかのような有様だ。
 ヒュンケルだけでなくラーハルトやポップも一緒にいることなど、すっかりと頭から抜け出ていることは疑いようもない。

 すっかりと恋する乙女に成り下がった腹心の部下にわずかに苦笑しながらも、レオナは彼女に命令を下す。

「エイミ、しばらくの間、ヒュンケルとラーハルトが城へ滞在するの。そのための手配を頼むわ」

 本来なら客人の滞在の手配などは侍従長を通じて侍女が行うことで、三賢者ほどの高位の者が行う作業ではない。ただでさえ忙しい三賢者の業務に付け加えられる形のその命令に、エイミは不服とするどころか嬉しそうな顔で頷いた。

「ええ、お任せください、姫様!」

 

 

 

「ラーハルトは、こちらを。ヒュンケルはこの部屋を使って」

 てきぱきとそう言いながら、エイミは手際良く彼らに部屋を案内する。
 久しぶりに恋する人と再会した直後こそはポーッとなっていたとは言え、エイミもただの娘ではない。

 若くとも王家を支える三賢者の一人に選ばれただけのことはあって、業務の手続きは適格であり、見事な物だった。
 侍女や侍従とも連絡を取りながら、手頃な部屋を用意していく。

 傍から見ていては気がつきにくいが、それは単に部屋を用意するだけの作業にとどまらない。
 ヒュンケルがかつては魔王軍の一員だったことはパプニカでは有名な事実だし、一目で魔族と分かるラーハルトの姿はあまりにも目立つ。

 彼らが姫から正式に許可された客人であることを城で働く者全員に通達し、無闇な衝突や騒ぎを未然に防ぐのも彼女の役割の一つだ。

 使用人達全員の意識を統一するまでの間、ヒュンケル達にはできるだけ目立たないようにしてもらった方が助かる――その観念からエイミが選んだヒュンケル達の部屋は、はっきり言ってあまりいい部屋とは言えなかった。

 客間ではなく、非常時に兵士の仮眠部屋として使用される区画にある部屋だ。戦時中など、城に兵士が立てこもる必要がある時のみ使用される部屋であり、必要最低限の粗末な家具しかおいていない。

 だが、普段は使われていないだけに人がほとんど来ないため、ヒュンケルやラーハルトにとってはかえって気楽に過ごせる部屋だろう。

「手狭な上に、ろくな家具もそろっていなくてごめんなさい。当座の間は、ここで辛抱してもらえるかしら?
 必要なものがあったら、いつでも言って。すぐに手配するから」

 気を使ってそう言うエイミに、ラーハルトは無言のまま、ヒュンケルは短い言葉を添えて首を横に振った。

「いや、十分だ」

 人間の多い場所を避けて宿屋にもろくに止まらず、ここ一年間の間ほとんど野宿で過ごしてきた彼らにしてみれば、屋根があって乾いた床があるだけでもありがたい。

 ましてや、粗末ではあってもベッドも完備しているともなれば、彼らにとってはまさに宮殿も同然だ。
 文句を言う気など毛頭なかったが、エイミは恐縮して言い添える。

「ただ……申し訳ないんだけど、客室と違ってここの部屋には浴室がついていないの。習練場の洗い場か、城内の公衆浴場を利用してもらうことになるのだけど」

 その条件も、ヒュンケルにはさして気になる物ではなかった。ラーハルトも無言のところを見ると、特に不満はないのだろう。
 唯一の不安といえば、自分やラーハルトの正体を知っている者が同じ風呂に漬かるのを嫌がる可能性ぐらいのものだが、そのぐらいならば簡単に回避できる。

 人がほとんどいない、しまい湯の時間帯を狙えば他人の迷惑にもなるまい。
 そう思い、エイミにしまい湯の時間を聞こうと思ったヒュンケルだったが――ふと、ポップに目を止めた。

 ポップの部屋はもうすでにあるため、別に手配してもらう必要はない。が、好奇心に駆られたのか、単に面白がっているだけなのか、ポップはヒュンケルとラーハルトが部屋に案内されるのを見物していたのだ。

 手持ちぶさたにその辺を眺め回している弟弟子に向かって、ヒュンケルはできるだけさりげなく誘いをかけた。

「風呂か……ポップ、おまえも一緒に入らないか?」

 だが、この誘いは明らかに不意打ちだったらしい。

「へ?」

 間の抜けた声を上げ、ポップはきょとんとした顔を見せる。
 それもある意味、無理のない話だ。

 大戦時からの仲間とはいえ、ポップとヒュンケルは決して仲がいいとは言いがたい。ダイとポップならばいつでも一緒にいたし、それこそお風呂どころかベッドまで共にしていたような仲だった。

 ダイから誘われたのなら、ポップも別に深く考えもせずに、二つ返事で快諾しだだろう。 が、ヒュンケルから誘われたのは気に入らないのか、ポップは露骨に眉をしかめる。

(……まあ、無理もないか)

 内心苦笑しながら、ヒュンケルは思う。
 ただでさえヒュンケルに反発気味なところのあるポップは、彼の提案をことごとく撥ね除ける傾向がある。

 即座に嫌だと言われてもおかしくはないぐらいだが、驚きが強かったせいかポップは即座に拒否はしなかった。
 それに付け込むように、ヒュンケルは重ねて誘う。

「おまえなら、この城の風呂には慣れているだろう。案内してくれないか」

「それはいい考えね! ポップ君、どうかしら? お願いできる?」

 声をかけたヒュンケル以上に熱心に、エイミもまた誘いをかける。
 それは、単に案内の役目を期待しての誘いではなかった。
 ヒュンケルやラーハルトが共同浴場で騒ぎに巻き込まれる可能性があるのを承知していても、エイミに打てる手は少ない。

 未婚の若い女性であるエイミとしては、どんなに熱心にヒュンケルの身の回りの世話をしたいと願っても、まさかお風呂まで付き添う訳にもいかないのだから。
 だが、ポップの付き添いがあるのなら、トラブル率は大きく下がる。

 人懐っこいポップはすでに十分にパプニカ城の住人達と馴染んでいるし、彼と一緒ならばヒュンケルに対する風当たりも少しはましになるだろう。
 少しでも早く、また円滑にヒュンケルがパプニカ城に馴染むことを期待するエイミとしては、願ったり叶ったりな話だ。

 勢い、エイミの頼み事は熱心なものになる。その勢いに乗っかる形で、ヒュンケルもまた一押しする。

「オレからも頼む。右肩に少々、打ち身を負ってな。背を流すのが億劫なんだ」

 その言葉に、ラーハルトがわずかに反応したのに気がついたのは、おそらくヒュンケルだけだっただろう。

 彼とずっと一緒に旅をしてきたラーハルトには、それがヒュンケルの口から出任せの嘘だと見抜くのは簡単だったはずだ。
 が、ポップは初めて聞くその話に、ころりと騙されたらしい。

「なんだよ、人を背中を流す役に使おうって腹かよー。
 ま、いいや、洗ってやるよ」

 エイミさんにも頼まれたことだし、と結構機嫌よく引き受けたポップに、エイミもまた嬉しそうに急かす。

「それなら、急いだ方がいいわ。今の時間帯だと、ちょうど兵士や侍従達の交代時間の狭間だから空いている頃だし。着替えは後で届けさせるから、お先にどうぞ」

「ふーん、じゃ、いこうぜ。おまえも来いよ」

 ポップはラーハルトにも誘いをかけるが、半魔族は素っ気なく断った。

「オレは別にいい。後で行く」

「なんだよ、ノリの悪い奴だなー、風呂ぐらいこまめに入らないと、モテねーぜ? 女ってのは、不潔な男が嫌いなんだからよー」

「余計なお世話だ。……それにおまえを見る限り、風呂だけが要因とも思えん」

「なんだとぉっ?! てめーっ、言うに事を欠いて何を抜かしやがるんだっ?!」

 たいして実がある会話とも思えなかったが、ポップがラーハルトにあれこれと話しかけているのは、ヒュンケルにとってはチャンスだった。
 ポップの注意がラーハルトにいっているのを見計らい、ヒュンケルはさりげなくエイミに近寄る。

「ヒュ、ヒュンケル……?!」

 急に間合いを詰められたせいか、エイミが驚くのを軽く制して、ヒュンケルは彼女の耳元に小声で囁きかけた。

「エイミ、すまないが頼みがあるんだが……」

 頼む言葉がぼそぼとしたものになるのはポップに憚っているせいもあるが、エイミに余計な用事を押しつけようとしている引け目があるせいだ。
 迷惑をかけるのは申し訳ないと思ったし、嫌なら断ってくれても構わないと付け加えるつもりだったが、彼女はヒュンケルの言葉を最後まで聞く前から力強く請け負った。

「なんでも言ってください! 私にできることなら、なんでもしますわ!!」

 なぜか顔を真っ赤にほてらせているエイミに戸惑いながらも、ヒュンケルは頼み事を彼女へとこっそりと告げた――。

 

 

 

「おせーよ、ヒュンケル」

 がらんとした大浴場に、ポップの声がやけに大きく響き渡る。エイミの言った通り、時間がよかったのは今は他に利用者はいなかった。
 まさに貸し切り状態という恵まれた状況で、ポップはヒュンケルを待っていた。

「ったく、女じゃあるまいし、着替えになにチンタラ時間をかけてやがるんだよ」

 口を尖らせて文句を言いながらも、先に風呂場に入ったポップはすでに準備万端だった。石鹸をたっぷりつけて泡立てたタオルを片手に、兄弟子を待ち受けている。
 どうやら、ヒュンケルが言った出任せをそのまま信じてくれたらしい。いつになく素直な反応に罪悪感じみた感覚を味わいながら、ヒュンケルは曖昧にごまかした。

「ああ、悪い。肩がな」

 痛みもしない肩を抑えてみせると、ポップはそれで納得したらしい。肩が痛むせいで、着替えに手間取った――そう解釈したのだろう。
 だが、実際には、ヒュンケルが手間取ったのは着替えのせいではない。風呂に入る前に、心の覚悟を決めるために多少の時間がかかったせいだ。

「ほれ、背を流すからとっとと座れって」

 急かされるままに椅子に腰を下ろすと、ポップがごしごしとタオルをこすりだす。正直、力が弱すぎて物足りないというか、くすぐったい気がするが、ヒュンケルは文句を言う気などなかった。
 どうせ、背中を流してもらうなどとは言い訳にすぎないのだから。

「ふーん、特に痣とかはないけど、打ち身ってのは痛みだけしつこく残ったりするからなー」

 一応、回復魔法をかけとくかと聞くポップに、ヒュンケルは首を横に振った。

「いや、いい。それ程大袈裟な痛みではないからな。それより、交替しよう」

 おざなりに自分の身体をささっと洗い流し、ヒュンケルは素早くポップの後ろへと回り込む。

「えー、別にいいのによ」

 そう言いつつも、ポップは特に嫌がる様子はなかった。それに安堵しつつ、ヒュンケルは手加減しながらポップの背を流す。力を入れないようにそうするのは、なかなか難しかった。

(やはり、細いな……)

 魔法使い風の装束は、重ね着が基本だ。それだけにパッと見ただけでは分かりにくかったが、裸になれば身体つきをごまかしようもない。
 肋骨や背骨がはっきりと数えられる痩せ方に眉をしかめながらも、ヒュンケルは注意深くポップの身体を眺め回す。

 ともすれば、真実から目を逸らしてしまいそうになる自分の中の怯懦を叱咤し、ヒュンケルは努めて冷静に自分の記憶を辿る。
 特に、ヒュンケルが注目したのはポップの左肩だった。

 ダイの父、バランによって負わされた傷跡は、今も白く変色した星の形となってポップの肩に残っている。
 それをまじまじと見つめながら……ヒュンケルはポップに気付かれないように、小さく溜め息をついた。

 

 

「あれー? なんだよ、この服?」

 風呂から上がって着替えを手にしたポップが、何度か瞬きをする。その手に掴まれている服は、ポップは入浴する前に着ていた豪華な服とは似ても似つかない。質素な、だがヒュンケルにも見覚えのある服だった。
 鮮やかな緑色を基調とした、旅人の服――それは大戦中、ポップが愛用していた服だ。


「ったく、誰か間違えたのかなー」

 そう言いながらも、ポップは慣れた手つきでさっさと着替える。

(やはり、この方がポップらしいな)

 見慣れた姿になったポップに、安堵感を覚えなかったと言えば嘘になる。
 魔法使いらしく見えるかどうかという観念から見れば、再会した時の服装の方が格段に勝敗が上がる。

 だが、仲間としては、変わりのない姿の方がポップには相応しく見えるし、似合っているとも思う。
 しかし……そう思う心の奥で、落胆が膨れ上がってくる。

 ポップと再会してから、漠然と感じていた不安。
 それは、今や確信へと代わっていた。
 自分の恐れの正体を、ヒュンケルは今こそ確信していた――。
                                                   《続く》

 

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