『消せない傷』

 

 その光景は男なら誰でも――いや、女でさえ思わず目を惹かれてしまうだろう。
 まず、肌の白さが絶品だった。
 色の白さは七難隠すという諺があるが、まさにその言葉通りだと思わずにはいられない。
 ただでさえ可憐な印象の美少女だと認識していたが、裸になってもその評価は変わらない。
 いやそれどころか、より高まったと言えるかもしれない。

 艶やかな黒髪と対照的な、透き通るような肌の白さは見事の一言に尽きる。
 意外と着痩せする質なのか、ほっそりと華奢な身体付きにもかかわらず、胸だけは意外な程にふんわりと豊かに盛り上がっている。

 巨乳と呼べるほどの大きさではないものの、羨ましい程に細くくびれた胴のせいで実際以上に大きく見えるその胸は、美乳と呼ぶに相応しい。
 もっとも、完璧な女体のラインと呼ぶにはまだ少し早いだろう。

 15才と言う年齢相応に、まだ女性としては成熟しきっていない堅さがどこかしらに感じるし、色香もまだ乏しい。
 だが、それだけに今の年齢だけしかない初々しい魅力に満ちていた。

 咲き誇る花の魅力ではない。咲く一歩手前の前の蕾ならではの魅力というのか、清純な美しさに満ちている。それは彼女の可憐な顔立ちとひどく似合っていて、妖精じみた印象を与える。

 色気に吸引力を感じない同性の目から見れば、妖艶な美女以上の魅力がそこにはあった。
 思わず、まじまじと見つめてしまった視線を感じたのか、その少女――メルルは顔を赤らめて手にしたタオルで身体を隠す素振りを見せた。

「あの……あんまり、見ないでください。なんだか、恥ずかしいです……」

 恥じらう口調や態度がこれまた可憐で、ますます目を惹きつけられてしまいそうである。

(……これなら、女湯とか着替えを覗きたいって思うポップの気持ちもちょっと分かっちゃうかも)

 と、年頃の娘にあるまじき感想をちらっと抱きながらも、マァムは慌てて謝った。

「あ、ごめんなさい。ただ、すっごく綺麗だったから、見とれちゃったの」

 ごく素直に、本心からそう言ったのだが、メルルはかえって慌てたように首を振る。

「えっ、そんな……っ。私なんかより、マァムさんの方がずっとスタイルがいいのに。羨ましいです……」

 と、メルルの黒目がちの目でうっとりと見つめられると、マァムの方が照れくさくなってしまう。

「何言ってるのよ、やぁね、メルルったら! 羨ましいのはこっちの台詞よ」

 マァムも、自分がスタイルが悪い方だとは思ってはいない。
 が、武闘家という職業柄、どうしてもマァムの身体には普通の女の子以上の筋肉が備わっている。

 特に腕やふくらはぎの太さは、メルルどころかポップとも比べたくはない。手だっていくら手袋で保護していても、拳蛸ができた荒れた手であることは否定できない。
 同じように旅をしているというのに体質の差か、メルルよりも自分の方がずっと日焼けしているのだって事実だ。

 要するに、自分は女らしくはないのだからしょうがない――それが、マァムの結論だった。

「いいえ、そんな。マァムさんはご自分の魅力に気がつかれていないだけで――」

 まだ一生懸命自分を慰めてくれようとしてくれるメルルの気遣いは嬉しかったが、マァムにしてみれば彼女が多少鳥肌をたてていることが気にかかる。

「さ、それより早く入りましょうよ、せっかくの露天風呂なんだから」

 軽くかけ湯をしてざっと身体を洗い、マァムとメルルは湯気の立つお湯に身体を沈めた。
 途端に冷えた身体がぬくもりに包まれ、開放感が広がっていく。

「温泉って、やっぱりいいわねー」

 淡い乳白色のお湯を手で掬いながら、マァムはしみじみと呟いた。
 こんな贅沢な風呂など実家にいた頃など考えたこともなかったが、旅先では割と簡単に味わうことができる。

 最近になってから初めて、マァムは宿屋では風呂に力を入れているところが多い事実を知った。
 特に温泉が湧きだす地ではそれを売り物にして、様々な風呂を用意して客を引き寄せようとするものだ。

 その分値段も高くなるため、最初の頃はマァムはそんな宿屋に泊まるのは少々気がひけるというか、気後れを感じていた。
 だが、定期的にやりとりするアバンやレオナの連絡のおかげで、そんな遠慮はいつの間にか消えた。

『知っていますか? 温泉には人間の身体に良い成分が多量に含まれている場合が多くて、湯治という治療法もあるぐらいなんですよー』

 アバンにそう教えてもらって以来、マァムもメルルもむしろ積極的に温泉宿を探すようになった。
 人里離れた所に行く時はどうしても野宿せざるを得ないが、町を訪れた時ぐらいはそれぐらいの贅沢をしてもいいのではないかと思っている。

 大戦中の無茶のせいで身体を壊したポップにとって少しでも助けになるというのなら、多少の時間のロスや金銭の損など問題にはならない。
 それに、金銭的にはレオナ方全面的な援助の申し出がある。

『旅費の心配はしないで。世界を救ってくれたあなた達のために、それぐらいの褒美ぐらいはださせて欲しいわ。
 それって結局は、ポップ君の無茶を防ぐことに繋がるんだし。
 ポップ君だけじゃなくて、少しでも……ダイ君のためになることなら、ぜひ、そうしたいの』

 レオナから定期的に旅費をもらうのに感じる遠慮も、彼女のその言葉で消えた。
 ダイのために、何かをしたい――その気持ちは、レオナこそが一番強く持っているに違いない。
 だが、王女として忙しい毎日を送る彼女に、行方不明の勇者を探しにいく時間はない。
 その代わりを望んで、自分達に最大限の援助をしてくれるレオナの真心は痛い程良く分かる。
 それに実際問題、もし、マァム達が遠慮して自分達で旅費を稼ぎながら旅をする場合、その負担がポップに大きくかかるのは間違いない。

 それはマァムもメルルも、もちろんレオナも――そして、どこかにいるはずのダイも望まないことだ。

 ダイを探す意志に、変わりはない。
 だが、旅の間ずっと気持ちを張り詰めていては、それこそ神経が持たない。気が抜ける時は抜き、休むべき時には休養を取るのも重要なのだと、マァムは最近ようやく分かってきたところだった。

「そうですね、いいお湯です。疲労回復に向くそうですから、ポップさんもゆっくりと入っているといいんですけど」

「そうね、そうしてくれればいいんだけど、あいつの場合、風呂を面倒がってさっさと上がっちゃうか、じゃなきゃ覗きをするかどっちかだもの。
 本当に嫌になっちゃうわ! まったく、誰のための温泉だと思っているのよ」

 そうぼやくマァムに対して、メルルはくすっと笑う。

「心配しなくても、ポップさんは今日は覗いたりしませんよ」

 男湯との間を隔たる壁を見つめながらそう呟くメルルのうなじに、マァムはつい見とれてしまう。
 長い髪が湯に漬からないように、まとめてアップしたメルルはいつもより大人びて見えるような気がする。

 なぜ、そう断言できるのかは分からないが、優れた占い師であり予知能力を持つ彼女の言葉には、真実味があった。

「そうなの? まあ、メルルが言うのなら、安心だけど」

「はい、ご安心してくださって大丈夫ですよ」

 自信ありげにそう言って、メルルは湯から半ば上がり平らな岩に腰をかける。そうするとメルルは丁度足湯をしている格好になり、マァムより少し高い位置に座る形になった。

 顔を真っ赤に上気させているメルルは暑くなり過ぎた身体に風を当てるためにそうしたのだろうが、マァムはまだ少し暖まりたい気分だったため湯船に身体を預けたままにしていた。
 そのため視点の差が生じて、マァムは『それ』に気がついた。

 彼女のほっそりとした脇腹に残る、引きつったような傷の跡を。
 それはそう大きくはない。
 だが、すでに完治しながらも歪な星に似た跡を残す傷跡は、傷一つない少女の白い肌にはあまりにも目についた。

「あ……」

 つい、声を漏らしてしまったのは、今までその傷に気がつかなかった驚きによるものだ。 今までメルルと水浴びや風呂を共にしたことは何度もあるのに、全く気がつかなかった。
 だが、それもある意味で無理もないことだろう。

 戸外での水浴びはもちろん、宿屋での風呂でもマァムはいつも気を張っていた。怪物の接近やら、ポップの覗き、さらにはポップが自分達を出し抜いて逃走する危険性を考えれば、おちおちと風呂を楽しめるはずもない。

 メルルの無事には最大限気を配っても、メルルの身体をじっくり見るような余裕などなかった。
 マァムがこんな風にゆったりと風呂を楽しめる余裕ができたのは、本当につい最近になってからのことなのである。

 それに身体の前面や背後の傷はすぐ目につくが、側面の傷というのはパッと見ただけでは気がつきにくいものだ。
 その上メルルは慎み深い性質というか、肌を見せるのを極端に恥ずかしがるタイプであり、風呂の中でも極力身体を隠す傾向がある。

 今もタオルで前面は覆っているものの、傷の位置はちょうど横腹に当たる部分だ。さすがに一枚のタオルでは隠しきれていないし、視点の差と互いの位置関係のせいでマァムからはメルルの横腹が良く見えて――それで、気がついてしまったのだ。

 だが、声を出してしまってから、マァムはそれを恥じる。
 男の子ならともかく、女の子にとって傷跡というのは全然嬉しいものではない。むしろ隠し通したいものであり、見られるのも嫌だと思う者は少なくないだろう。

 それなのに、わざわざメルルの傷を見て感情のままに驚いてしまった自分の鈍感さを、マァムは責めずにはいられない。
 だが、マァムが謝罪の言葉を口にするよりも早く、メルルは微笑みを浮かべながら指輪をはめた手で傷跡の上をなぞった。

「お気になさらないでください、マァムさん。私がこの傷を負った時のことは、あなたも知っているでしょう?」

 もちろん、マァムは知っている。
 あれはバーンとの最終決戦直前のことだった。
 ポップの命を狙って放たれた、ザボエラの凶弾。それは凄まじい速度で飛ぶ、毒をたっぷりと仕込んだ刃物だった。

 一掠りでもすれば傷自体は小さかったとしても、たちまち全身に毒が回り死に至らしめるという最悪の毒が塗り込められていたのだ。

 あまりに速い速度で飛ぶその毒牙は、誰にも止めることはできなかった。剣の達人であるロン・ベルクでさえ警告するだけしかできず、クロコダインやノヴァでさえ目で追うのが精一杯だった。

 大破邪呪文やポップに集中していた勇者一行に至っては、そもそもザボエラの存在にすら気がつく余裕はなかった。
 あの毒牙には、誰も手を出せなかったのだ。もし、あの毒の刃をポップがまともに食らっていたら――おそらく、彼は助からなかっただろう。

 そんな危険な刃を、メルルは自分の身体で受け止めた。
 ポップを庇って、自分が身代わりになったのだ。
 あの時はポップの回復魔法によって命を取り留めたものの、刃がメルルの脇腹深くに突き刺さったのを、マァムは確かに見た。

 しかし、その後に続いた戦いや、戦いが終わった後に行方不明になったダイのことや戦後の混乱に紛れ、マァムは正直そのことを忘れかけていた。
 メルルが助かったことに安堵する余り、その怪我の後遺症など考えもしなかった。

 回復魔法は怪我を癒やし、ある程度までは治すものの、それでもすべての傷を治しきれるわけではない。
 術者の力量や傷の深さによっては、傷跡が残ってしまうのは珍しいことではない。

 軽い怪我ならいざ知らず、メルルの怪我は重傷だった。
 噴き出た血の量から言っても、また、複雑な刃の形から判断しても、浅い怪我ですむはずがない。

 そう思えば、跡が残るのは、ある意味で必然だったとも言える。なのに、今までその事実に気がつきもしなかった自分の鈍さが、腹立たしい程だった。
 だが、一度気がついてしまえば、それは良心を咎めるしこりとなる。

 こんなにも美しく、汚れのない雪原のような肌を汚す傷を癒やしてあげたいと思わずにはいられなかった。

「ねえ、メルル。その傷跡のこと、レオナに話したことがある? もしかしたら、レオナなら治せるかもしれないわよ」

 魔法の王国として名高いパプニカ王女であるレオナは、賢者の資質に恵まれた少女だ。その才能は折り紙付きで、こと回復魔法に関してはレオナの力は三賢者にも勝る。 
 特に、傷跡を残さないように治療するという技術に関しては、レオナの腕はずば抜けている。

 以前、レオナが女性の顔に残ってしまった無残な火傷の跡を、跡形もなく消し去ったのをマァムは目の当たりにしたことがある。
 それを思えば、こんな小さな傷跡を治すことぐらい、レオナには朝飯前だろう。友達であるメルルのためになら、喜んで力を貸してくれると確信もできる。

 そのために、ポップだって喜んで力を貸してくれるだろう。強力な魔法を使うのならマァムもためらうが、たまに移動呪文を使うぐらいなら大丈夫でしょうとアバンからもお墨付きをもらっている。

 ポップの移動呪文なら、レオナのいるパプニカへの往復も容易い。
 できるのならすぐにでも実行したい――早くも腰を浮かしかけたマァムだったが、メルルは困ったような顔で微笑みながらも、はっきりと首を横に振った。

「いえ……いいんです」

「どうして? 遠慮しなくても大丈夫よ、メルルの頼みをレオナが聞かないはずないもの。レオナなら絶対、こんな傷ぐらい簡単に治せるわ」

 控え目なメルルは、常に遠慮がちに、一歩後ろに引くタイプの少女だ。
 それだけに遠慮しているのだろうとマァムは思ったが、メルルはもう一度首を横に振って断った。

「いえ、本当にいいんです。……というよりも、この傷を消してしまいたくないんです。この傷は――私の、誇りですから」

 控え目な口調ながらも、そう語った瞬間のメルルの顔には輝きに溢れていた。
 傷を負って尚、どこまでも美しい少女の姿を前にして、マァムはふと思わずにはいられない。

(……ポップったら! こんな娘を、よくもフッたりできたわよね)

 いつも控え目で、可憐な女の子らしさに満ちていて。だが、いざとなると大胆で真の強いところを秘めている。
 なにより、どこまでも一途な想いをポップに注いでいる――男勝りなマァムから見れば、メルルほど可愛らしくて女の子らしい女の子など知らない。

 これほどまでに魅力的な女の子の告白を、ポップは断ったのだ。自分に告白してきたポップの気持ちは疑っていないし嬉しいとは思うが、メルルの一途さを思うとポップが途方もない罰当たり者か、見る目が全くない大馬鹿者のようにさえ思えてしまう。

 マァムは黒髪の占い師を見つめながら、独り言とも、話しかけているともつかない口調で呟いた。

「もし、私がポップの立場だったら……きっと、私、あなたの方を選んでいたわ」

 その言葉にメルルは驚いたように目を見開き、それからはにかんだ笑みを浮かべる。

「……ありがとうございます、マァムさん。そのお言葉だけでも、嬉しいですわ」

 それは女のマァムの目から見てでさえ、息を飲む程に可憐で可愛らしい微笑みだった――。


                                  END



《後書き》

 ずいぶんとお久しぶりの天界編の、さらに久しぶりなお風呂の話ですっ。
 つーか、うちのサイトって風呂の話がいくつあるんでしょうね?(笑) しかも、これからもまだまだ増やす気満々です!

 今回はマァム視点から見たメルルのお話でしたが、今度はメルル視点のマァムのお風呂話も書きたいです。

 

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