『腕を引く手 ー前編ー』

 

「……?!」

 まず、最初に浮かべるのは決まってギョッとした様な表情だ。
 続いて、目の錯覚かどうかを確かめるかの様に何度か瞬きをするか、でなければ周囲と見比べる様に目を泳がせるか。

 いずれにせよ、まずいものを見てしまったと言わんばかりに目線を逸らされる結果に辿り着くのは同じだった。
 しかし、それでいてその目が自分に注がれているのは、嫌でも分かる。

 びくびくと怯えているくせに、気になって仕方がないとばかりに注目するという、矛盾に満ちた視線。
 面白いぐらい決まり切った反応だなと、人事の様に思いながらラーハルトは集まる視線を無視し、堂々と横切って歩いて行く。

 昼をわずかに回ったばかりという時間帯と、パプニカ城の中だという条件がかさなったせいで、結構な混雑ぶりだった。
 この時間帯、昼食を取るために食堂に向かう人間は多い。なにしろ侍女や兵士、文官の食事を賄うための場所だ、城のどこの回廊からも食堂に向かう人の群れが生まれる。

 だが、ラーハルトが進む方向は彼らとは真逆の方向だった。
 それに疑問を感じるのか、不思議そう……というよりも、不審そうな目をラーハルトに向ける者も少なくはない。

 しかしどことなく剣呑な雰囲気をたたえた、何よりも青い肌を持つ魔族の男に対して声をかける度胸まではないようだ。
 それどころかラーハルトに怯えた様に彼の周囲だけぽっかりと人波が薄れ、大きく道が開けられる。

 結果的に、ラーハルトが彼らを無視する様に、彼らもまた、ラーハルトを無視する格好になる。
 その反応に、ラーハルトは不満はない。

 魔族の血を引いたラーハルトは、外見が人間とは大きく違っている。青い肌に尖った耳は一目で人外の存在だと看破できるだけに、恐れられることには慣れている。
 ただ怯えられるだけでなく、魔族への反感から攻撃をしかけてきたり、罵倒したりなど極端な反応を示されたことだって、数えきれない。

 それを思えば、ここにいる人間の反応は上等の部類だ。
 城主であるレオナによって、正式に客分と認められたラーハルトに対して、少なくとも正面きって突っ掛かってきたり、追い出そうとする者など一人もいないのだから。

 遠巻きに眉を潜める程度の反応は、ラーハルトにとってはむしろありがたいぐらいだ。 自分がどう見られようと今更気にする気はないし、邪魔をされなければそれでいい。
 そう思うからこそ、ラーハルトは無言のまま人の流れに逆らい、中庭の方へと向かう。正直言ってしまえば、そこは庭と呼べる様な場所ではない。

 奥まった部分にある隙間じみた中途半端な広さの場所であり、雑草だらけの芝生と一本の木が植えられているだけの場所だ。
 眺めるための庭ではなく、建物の構造上ただ空いているだけの場所……そんなところなのだろう。

 しかし、城の外周側ではなく内部側にある部分を中庭と呼ぶのなら、ここも立派な中庭と言える。
 少なくとも、ラーハルトはそう解釈していた。

 日当たりこそはいいが、奥まった部分にあるせいか移動するにはいささか面倒な場所なのも手伝って、ここは誰も利用していないらしい。
 人が来ている様子もなく、周囲にも人の気配が全くないこの場所を見つけたのは偶然だったが、自分でも意外なぐらいラーハルトはここが気に入っている。

 休憩や昼食は、ここで取る時が多い。
 誰にも邪魔されず、木の下で過ごす一時がラーハルトは気に入っていた。だが、今日ばかりはそうはいかなかったようだ。

 木陰に腰を下ろし、食事の包みを開けようとするかしないかのうちに、真上から気配を感じた。

 鳥にしてはやけに大きすぎる影が降りてくるのを見て、ラーハルトはわずかに眉をしかめる。
 もう、その時にはラーハルトはその影の正体に見当がついていた。

「あれー? ラーハルト、おまえさ、こんな所でなにやってんだよー?」

 ふわりとその場に舞い降りてきたポップが、宙に浮いたまま不思議そうにラーハルトを覗き込む。

(それはこちらの台詞だ)

 反射的に、その文句がラーハルトの脳裏を過ぎる。
 飛翔呪文を得意とするポップなら、上の階からこの中庭にいるラーハルトに気がついて降りてくるなんて簡単だろう。だが、確か、ポップは以前、魔法を使い過ぎると身体に触ると注意されていたはずだ。

 一瞬、そのことについて文句を言おうかとも思ったが、ラーハルトはすぐに自分には関係がないとその思いを押し殺す。
 自分から他人に干渉せず、相手からの干渉も黙殺する――それが、ラーハルトの主義だからだ。

「見れば分かるだろう」

 いささか憮然と返しながら、ラーハルトは手にした食事の包みを広げる。正直に言えば自分だけの隠れ家を他人に見つけられてしまったかのような悔しさを感じるが、そんな子供っぽいことに拘泥すると思われるのはもっと癪だ。

 その思いがあるからこそ、ラーハルトはことさら何事もないかの様に振るまう。ポップなど見なかったふりをして、ここ数日の習慣通りに昼食に取ろうとする。

 無視していれば、ポップもいずれ他の人間同様に立ち去るだろうと思った。――が、残念ながらというべきか、ポップは立ち去るどころか魔法を解いて地面に下り立ち、ひょこひょこと寄ってきた。

「へー、昼飯? って、これサンドイッチかよー、うっわ、意外ーっ、おまえでもハムサンドとか食べるんだー」

 無遠慮に食事を覗き込むだけならまだしも、遠慮無しに笑われるのは面白いとは言えない。ましてやラーハルトにはポップが何にウケて笑っているのか、さっぱり分からないだけに尚更だ。

「何がおかしい」

「い、いや、だってよー、おまえっていつもスカした面してえらそうにしてるのに、普通にハムサンドとかを食べるとかってよー」

 おかしくてたまらないとばかりに笑い転げつつ、ポップはちゃっかりと「あ、これ、もらうな」と言って、サンドイッチを勝手につまむ。
 その図々しさにいささか腹を立ち、ラーハルトは思わず言い返してしまう。

「当たり前だ。オレは混血児だからな……食事に関してはほぼ人間並みだ」

 その言葉に、いささかの苦みが混じるのは今まで味わった苦労のせいだ。
 高位の魔族ならば、食事はそうそうしょっちゅう取る必要はないし、また、必ずしも人間や動物の様に他の生命体を物理的に摂取する必要はない。

 間接的な方法で生命エネルギーだけを吸収することができる種族も多いし、物理的な食事を取る場合でも、人間よりもずっと効率的に、かつ大量に摂取することができる。
 そんな魔族達の食事方法を見ていたラーハルトにしてみれば、日に2、3度、一定の時間おきに食事を取らなければならない人間の食生活は不便で非効率な体質と思える。

 魔族と共に過ごす時間の多かったラーハルトにとっては、正直、自分の欠点だと認識していた。
 だからこそポロっと言ってしまったのだが、ポップにとっては耳新しい話だったのか、食いついてきた。

「へー、そんなものかねえ? じゃあさ、普通の魔族ってのはどんなのを食べてんだよ?」


 もぐもぐとサンドイッチを摘みながら、ポップはストンとラーハルトの隣に座り込む。 意外なぐらい近くに座られて、ラーハルトは不快とまでは言わなくても困惑を感じずにはいられない。

 こんな風に他人が自分の側にいるのを見るのは、落ち着かない。
 人間達はラーハルトを見ると怯えるか、忌み嫌うかで、どちらにせよ近寄りたがらないのが普通だ。

 魔王軍でも、ある意味同じだ。
 そもそも怪物や魔族は、あまり他の生き物の側に近寄ろうと思わないものだ。たとえそれが味方であったとしても、常に戦いを意識して互いに一定の距離を確保しようとするのは、半ば本能じみた礼儀だ。

 ラーハルトにとっては一番親しい人間であるヒュンケルも、その辺の暗黙の了解は心得ている方だ。食事や休息の際は、焚き火を囲んで向かう合う程度の距離をとるのが常だった。

 しかし、ポップにはそんな感覚は皆無のようだ。無防備に自分の隣に座り込み、ごく当たり前の様な顔でサンドイッチを食べながら話しかけてくる。

「……ノーコメントだ。前にも言っただろう、オレはおまえに魔界に繋がる情報を渡す気などない」

 密かに感じている動揺を振り払うため、ラーハルトは素っ気なく突き放す。
 魔界に関する情報の遮断は、ずっと前にラーハルトの決めた信念だ。
 ポップがダイが魔界にいるかもしれないと言ったのはずいぶんと前の話だが、その時からラーハルトはポップが魔界に行くのに反対だ。

 それは、無理だと思っているからではない。
 この無茶な魔法使いならやりかねない……そう危惧しているからだ。

 普通の人間ならまず魔界に行くこと自体がほとんど不可能だし、魔界は瘴気に満ちていて人間の存在を阻む。命を危うくする場所に、そもそも行きたいとさえ思わないだろう……普通なら。
 だが、残念ながらと言うべきか、ポップは並の人間とは違っていた。

「なんだよ、魔族が何を食べるかなんて、魔界とは全然関係ないじゃねえかよー。それぐらい、教えてくれたっていいだろー?」

「断ると言ったら、断る」

 すねた様に膨れる子供っぽさに呆れつつ、ラーハルトはきっぱりと拒絶する。
 いかにも子供っぽく、時々は馬鹿馬鹿しさすら感じる言動とは裏腹に、ポップが並外れた頭脳を持っているのは承知している。

 優れた軍師がわずかな情報から敵の狙いを推察する様に、一見下らないと思える情報の片鱗でも、ポップにとっては重要なヒントになる可能性がある。
 買いかぶりかもしれないが、用心に越したことはないというのがラーハルトの考えだ。
 ついでにいうのなら、そこには細やかな思いやりも含まれている。魔族の食事というものは、人間の基準から言えば相当にひどいものである。どう贔屓目に判断しても、人間にとっては怪物の死骸を生で食べる話などは食欲を損ねる話題だろう。

 それに目的とする情報を手に入れられなければ、ポップが自分に構うのをやめるのではないかという狙いもある。
 しかし、その狙いの方は完全に当て外れだったようだ。

「ちぇっ、ケチ。あ、これ、もらい……って、げっ、トマト入りかよ、やめやめ、じゃあこっちの玉子サンドな」

 他人の弁当を勝手に摘みながら好き嫌いまでするという傍若無人ぶりに、ラーハルトは呆れ果てて言葉もでない。

 が、ポップときたらちゃっかりとサンドイッチを食べつつ、この場から離れる気配もない。
 それどころか、別の話題を振ってきた。

「それじゃあさ、竜の騎士ってのは普段は何を食べてたのか知ってる? 好みとか、あんの?」

「……なぜ、そんなことを聞く?」

 いささか警戒して尋ね返すラーハルトに対して、ポップはのんきに答える。

「別に。ただの好奇心だよ」

 本当にそうなのか、それとも内心思惑があるのを巧く隠しているのか――行儀悪く指についた玉子をぺろりと食べるポップからは、真意は読み取れない。

「魔界に関係ない話だし、それぐらい教えてくれたっていいじゃん。
 ダイの親父さんも今のおまえみたいに無愛想に食べるだけだったし、何が好みだったのかなって思っただけだよ」

「バラン様が……?!」

 少なからぬ驚きに、ラーハルトは思わず聞き返してしまう。
 尊敬してやまない主君の名前を聞き流すのは、ラーハルトには不可能だった。おまけに、ポップがバランの食事風景について話したのも、驚きだ。

 ラーハルトの知っている限り、バランの体質は魔族に近かった。普段はまだしも、戦闘時になれば隙が生まれるのを嫌い、食事は必要最小限で済ませるのが普通だ。

 そもそも他人と食事を取るのも極端に嫌っていたバランが、あれほど嫌っていた人間と食事を共にするだなんて、信じられない。
 よほど心を許せる相手とでなければ、食卓を囲むことなどなかった。
 だが、ポップはさらに驚愕すべき事実を事も無げに言う。

「ああ、最後の戦いのちょっと前だったかな……ダイの親父さんがおれ達と一緒に戦ってくれたんだよ。その時、おれらの砦に一晩泊まったんだ」

「……!」

 驚く反面で、納得する気持ちがないわけではなかった。
 ポップに嘘をついている気配はなかったし、その必要もない。そして、ラーハルトの敬愛してやまないバランが残してくれた遺書の記述とも、矛盾してはいない。

 バランは、自分が大魔王バーンか、それともダイと差し違えて果てる最後を望んでいた。 バランを父と呼んだダイの反応から見て前者だったのだろうと察してはいたが、実際に確認した者の口から聞かされると不思議な程の安堵感を感じる。

「そう……か。バラン様はダイ様と共に戦われたのだな」

 それは、喜ばしいことだった。
 バランがどれほど人間を憎み、また、どれほど人間の血を引いた我が子を愛し、探し求めていたのか――彼に仕えていたラーハルトは、それをよく知っている。

 数奇な運命に引き裂かれ、勇者と魔王軍の将軍としてようやく再会した親子だった。親子で憎しみをぶつけ合うことなく、和解し、共闘できたと言うのなら、言うことはない。


 その上、ダイとバランがわずかな間であっても平和な一時を共有できたのであれば――それはバランにとって至福だっただろう。
 ラーハルトの無表情な顔に、ほんのわずかだが笑みらしきものが浮かぶ。

「……そうだったのか」

 バランのために、ラーハルトはそれを喜ばずにはいられない。
 だが、ポップはラーハルトの反応が意外だとばかりに、首を傾げる。

「なんだよ、おまえ、知らなかったのかよ。ヒュンケルから話を聞かなかったのか?」

 あいつの方がこの話には詳しいはずなんだけど、などと言いながらポップがまたもサンドイッチを摘むが、もはやラーハルトはそれも気にならなかった。
 黙って、好きな様に食べさせることにする。

「いや、別に」

 興味が無かったとは、言わない。
 だがラーハルトもそうだが、ヒュンケルも至って無口な方だ。これから先の旅に関する話ならばともかく、過ぎたことをいちいち聞く気も話す気もなかった。

「マジかよ?! おまえら、一年も一緒に旅してたんだろ? なんだってそんなことさえ話してねえわけ? 信じらんねー」

 などとポップは大袈裟に騒ぐが、ラーハルトにしてみれば、その反応自体が理解しがたい。

「別に、話す必要もないだろう」

「だってよー、気になったりしねえのかよ? おまえ、ダイの親父さんをあんだけ尊敬してたんだしさ……」

「だからこそだ」

 気遣っているのか控え目になったポップの声を遮って、ラーハルトは短く告げる。

「オレはバラン様を信じている。だからこそ、だ」

 話など聞かなくても、同じことだ。
 あの遺書を見た時から、ラーハルトはバランの死を疑っていなかった。

 バランは、潔い戦士だ。
 しかも、武勇だけでなく知性にも秀でた優秀な戦士だった。
 生き延びる可能性がわずかでもあるのなら、念のため遺書を残すような未練がましい男ではない。

 息子が立ち向かう敵の強大さを、バランは誰よりも知り抜いていたはずだ。大魔王バーンにもっとも肉薄した強さを持つと言われた竜の騎士だからこそ、バーンの真の恐ろしさも、そのバーンを敵に回した人間達の未来のなさも理解できただろう。

 その上でバランは冷静に自分のできることを計り、息子のために最善となる方法で自分の命の全てを費やす覚悟があったに違いない。

 バランが誰と戦い、どんな最期を遂げたにせよ、彼がそれを悔いたとも心を残したとも思えない。
 確かめるまでもなく、ラーハルトはそれを確信している。

「あの方は……出会った時からずっと、尊敬に値する方だった――」

 ふと、ラーハルトは空を見上げる。よく晴れ渡った空には眩い太陽が輝き、世界を明るく照らしている。
 勇者がいなくなった時を彷彿とさせる青空を、ラーハルトは目をわずかに眇めて眺めやった――。
                                    《続く》

 

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