『腕を引く手 ー前編ー』 |
「……?!」 まず、最初に浮かべるのは決まってギョッとした様な表情だ。 いずれにせよ、まずいものを見てしまったと言わんばかりに目線を逸らされる結果に辿り着くのは同じだった。 びくびくと怯えているくせに、気になって仕方がないとばかりに注目するという、矛盾に満ちた視線。 昼をわずかに回ったばかりという時間帯と、パプニカ城の中だという条件がかさなったせいで、結構な混雑ぶりだった。 だが、ラーハルトが進む方向は彼らとは真逆の方向だった。 しかしどことなく剣呑な雰囲気をたたえた、何よりも青い肌を持つ魔族の男に対して声をかける度胸まではないようだ。 結果的に、ラーハルトが彼らを無視する様に、彼らもまた、ラーハルトを無視する格好になる。 魔族の血を引いたラーハルトは、外見が人間とは大きく違っている。青い肌に尖った耳は一目で人外の存在だと看破できるだけに、恐れられることには慣れている。 それを思えば、ここにいる人間の反応は上等の部類だ。 遠巻きに眉を潜める程度の反応は、ラーハルトにとってはむしろありがたいぐらいだ。 自分がどう見られようと今更気にする気はないし、邪魔をされなければそれでいい。 奥まった部分にある隙間じみた中途半端な広さの場所であり、雑草だらけの芝生と一本の木が植えられているだけの場所だ。 しかし、城の外周側ではなく内部側にある部分を中庭と呼ぶのなら、ここも立派な中庭と言える。 日当たりこそはいいが、奥まった部分にあるせいか移動するにはいささか面倒な場所なのも手伝って、ここは誰も利用していないらしい。 休憩や昼食は、ここで取る時が多い。 木陰に腰を下ろし、食事の包みを開けようとするかしないかのうちに、真上から気配を感じた。 鳥にしてはやけに大きすぎる影が降りてくるのを見て、ラーハルトはわずかに眉をしかめる。 「あれー? ラーハルト、おまえさ、こんな所でなにやってんだよー?」 ふわりとその場に舞い降りてきたポップが、宙に浮いたまま不思議そうにラーハルトを覗き込む。 (それはこちらの台詞だ) 反射的に、その文句がラーハルトの脳裏を過ぎる。 一瞬、そのことについて文句を言おうかとも思ったが、ラーハルトはすぐに自分には関係がないとその思いを押し殺す。 「見れば分かるだろう」 いささか憮然と返しながら、ラーハルトは手にした食事の包みを広げる。正直に言えば自分だけの隠れ家を他人に見つけられてしまったかのような悔しさを感じるが、そんな子供っぽいことに拘泥すると思われるのはもっと癪だ。 その思いがあるからこそ、ラーハルトはことさら何事もないかの様に振るまう。ポップなど見なかったふりをして、ここ数日の習慣通りに昼食に取ろうとする。 無視していれば、ポップもいずれ他の人間同様に立ち去るだろうと思った。――が、残念ながらというべきか、ポップは立ち去るどころか魔法を解いて地面に下り立ち、ひょこひょこと寄ってきた。 「へー、昼飯? って、これサンドイッチかよー、うっわ、意外ーっ、おまえでもハムサンドとか食べるんだー」 無遠慮に食事を覗き込むだけならまだしも、遠慮無しに笑われるのは面白いとは言えない。ましてやラーハルトにはポップが何にウケて笑っているのか、さっぱり分からないだけに尚更だ。 「何がおかしい」 「い、いや、だってよー、おまえっていつもスカした面してえらそうにしてるのに、普通にハムサンドとかを食べるとかってよー」 おかしくてたまらないとばかりに笑い転げつつ、ポップはちゃっかりと「あ、これ、もらうな」と言って、サンドイッチを勝手につまむ。 「当たり前だ。オレは混血児だからな……食事に関してはほぼ人間並みだ」 その言葉に、いささかの苦みが混じるのは今まで味わった苦労のせいだ。 間接的な方法で生命エネルギーだけを吸収することができる種族も多いし、物理的な食事を取る場合でも、人間よりもずっと効率的に、かつ大量に摂取することができる。 魔族と共に過ごす時間の多かったラーハルトにとっては、正直、自分の欠点だと認識していた。 「へー、そんなものかねえ? じゃあさ、普通の魔族ってのはどんなのを食べてんだよ?」
こんな風に他人が自分の側にいるのを見るのは、落ち着かない。 魔王軍でも、ある意味同じだ。 ラーハルトにとっては一番親しい人間であるヒュンケルも、その辺の暗黙の了解は心得ている方だ。食事や休息の際は、焚き火を囲んで向かう合う程度の距離をとるのが常だった。 しかし、ポップにはそんな感覚は皆無のようだ。無防備に自分の隣に座り込み、ごく当たり前の様な顔でサンドイッチを食べながら話しかけてくる。 「……ノーコメントだ。前にも言っただろう、オレはおまえに魔界に繋がる情報を渡す気などない」 密かに感じている動揺を振り払うため、ラーハルトは素っ気なく突き放す。 それは、無理だと思っているからではない。 普通の人間ならまず魔界に行くこと自体がほとんど不可能だし、魔界は瘴気に満ちていて人間の存在を阻む。命を危うくする場所に、そもそも行きたいとさえ思わないだろう……普通なら。 「なんだよ、魔族が何を食べるかなんて、魔界とは全然関係ないじゃねえかよー。それぐらい、教えてくれたっていいだろー?」 「断ると言ったら、断る」 すねた様に膨れる子供っぽさに呆れつつ、ラーハルトはきっぱりと拒絶する。 優れた軍師がわずかな情報から敵の狙いを推察する様に、一見下らないと思える情報の片鱗でも、ポップにとっては重要なヒントになる可能性がある。 それに目的とする情報を手に入れられなければ、ポップが自分に構うのをやめるのではないかという狙いもある。 「ちぇっ、ケチ。あ、これ、もらい……って、げっ、トマト入りかよ、やめやめ、じゃあこっちの玉子サンドな」 他人の弁当を勝手に摘みながら好き嫌いまでするという傍若無人ぶりに、ラーハルトは呆れ果てて言葉もでない。 が、ポップときたらちゃっかりとサンドイッチを食べつつ、この場から離れる気配もない。 「それじゃあさ、竜の騎士ってのは普段は何を食べてたのか知ってる? 好みとか、あんの?」 「……なぜ、そんなことを聞く?」 いささか警戒して尋ね返すラーハルトに対して、ポップはのんきに答える。 「別に。ただの好奇心だよ」 本当にそうなのか、それとも内心思惑があるのを巧く隠しているのか――行儀悪く指についた玉子をぺろりと食べるポップからは、真意は読み取れない。 「魔界に関係ない話だし、それぐらい教えてくれたっていいじゃん。 「バラン様が……?!」 少なからぬ驚きに、ラーハルトは思わず聞き返してしまう。 ラーハルトの知っている限り、バランの体質は魔族に近かった。普段はまだしも、戦闘時になれば隙が生まれるのを嫌い、食事は必要最小限で済ませるのが普通だ。 そもそも他人と食事を取るのも極端に嫌っていたバランが、あれほど嫌っていた人間と食事を共にするだなんて、信じられない。 「ああ、最後の戦いのちょっと前だったかな……ダイの親父さんがおれ達と一緒に戦ってくれたんだよ。その時、おれらの砦に一晩泊まったんだ」 「……!」 驚く反面で、納得する気持ちがないわけではなかった。 バランは、自分が大魔王バーンか、それともダイと差し違えて果てる最後を望んでいた。 バランを父と呼んだダイの反応から見て前者だったのだろうと察してはいたが、実際に確認した者の口から聞かされると不思議な程の安堵感を感じる。 「そう……か。バラン様はダイ様と共に戦われたのだな」 それは、喜ばしいことだった。 数奇な運命に引き裂かれ、勇者と魔王軍の将軍としてようやく再会した親子だった。親子で憎しみをぶつけ合うことなく、和解し、共闘できたと言うのなら、言うことはない。
「……そうだったのか」 バランのために、ラーハルトはそれを喜ばずにはいられない。 「なんだよ、おまえ、知らなかったのかよ。ヒュンケルから話を聞かなかったのか?」 あいつの方がこの話には詳しいはずなんだけど、などと言いながらポップがまたもサンドイッチを摘むが、もはやラーハルトはそれも気にならなかった。 「いや、別に」 興味が無かったとは、言わない。 「マジかよ?! おまえら、一年も一緒に旅してたんだろ? なんだってそんなことさえ話してねえわけ? 信じらんねー」 などとポップは大袈裟に騒ぐが、ラーハルトにしてみれば、その反応自体が理解しがたい。 「別に、話す必要もないだろう」 「だってよー、気になったりしねえのかよ? おまえ、ダイの親父さんをあんだけ尊敬してたんだしさ……」 「だからこそだ」 気遣っているのか控え目になったポップの声を遮って、ラーハルトは短く告げる。 「オレはバラン様を信じている。だからこそ、だ」 話など聞かなくても、同じことだ。 バランは、潔い戦士だ。 息子が立ち向かう敵の強大さを、バランは誰よりも知り抜いていたはずだ。大魔王バーンにもっとも肉薄した強さを持つと言われた竜の騎士だからこそ、バーンの真の恐ろしさも、そのバーンを敵に回した人間達の未来のなさも理解できただろう。 その上でバランは冷静に自分のできることを計り、息子のために最善となる方法で自分の命の全てを費やす覚悟があったに違いない。 バランが誰と戦い、どんな最期を遂げたにせよ、彼がそれを悔いたとも心を残したとも思えない。 「あの方は……出会った時からずっと、尊敬に値する方だった――」 ふと、ラーハルトは空を見上げる。よく晴れ渡った空には眩い太陽が輝き、世界を明るく照らしている。
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