『腕を引く手 ー後編ー』

 

 ふと見上げた空に、黒い影が見えた。
 空を飛ぶ、鳥にしてはやけに大きな影――初めて見るものだったが、ラーハルトは直観的にそれが何なのか悟っていた。

(怪物だ……!)

 ラーハルトがいたのは町からだいぶ離れた場所であり、周囲に何もない荒野じみた場所だった。見晴らしが効き過ぎて、身を隠せる様な場所などどこにもない。
 ラーハルトが相手に気がつくと同時に、彼らも気がついたのだろう。奇声を上げて、こちらに向かって飛んで来るのが見えた。

 当時、ラーハルトはまだ子供だった。
 せいぜい十歳かそこらか  まだ、なんの戦闘訓練も受けたことがなく、戦ったことすらなかった。

 魔族特有の身体能力の高さも、当時はそれほど目立たなかったはずだ。同年齢の子供に比べれば足も早く力もそこそこあったはずだが、大人には所詮適わない…その程度だったと思う。

 今にして思えば魔族としては最下級に近い程、低い能力値しかなかった。ラーハルトが急速に実力を付けたのは、第二次成長期を向かえて実戦を積み始めた頃からの話である。
 幼児期は人間の方の特徴がことさら強く出る  それが人間の血が混じった混血児の特徴だと知ったのは、ずっと後になってからのことだ。


 それも踏まえて考えれば、あの頃のラーハルトは人間の子供と大差がなかっただろう。
 だが、さして自覚はしていなかったが、とてもその年頃の子供とは思えない落ち着きがあった。

 並の少年なら、いきなり怪物にでっくわせば泣きだすか、腰を抜かすのが関の山だろう。もう少し冷静で賢い少年なら、追いつかれる前に逃げ出すという選択肢もあるかもしれない。

 しかし、ラーハルトはそのどれも選ばなかった。
 少し前だったのならば、彼は怪物を見た途端、必死になって走っただろう。たとえほとんど生き残れる可能性がなかったとしても、それこそ万に一つの希望を求めて、死に物狂いで逃げようとしたに違いない。

 だが、あの時のラーハルトにはそうするだけの理由がなかった。
 何がなんでも生き延びなければならない理由は、すでに失われていた。だからこそラーハルトは無感動に、自分に近付いてくる異形の者の姿を眺めていた。

 飛んで来る怪物は、一匹や二匹ではなかった。十匹近いキメラを従え、先頭を飛ぶのは人とほとんど変わりのない姿をした者だった。
 見るのは初めてだが、あれは魔族なのだろうとラーハルトは他人事の様に思った。

 詳しくは知らないが、怪物以上に魔族は危険な存在だということだけは知っていた。
 だが、ラーハルトは動かなかった。
 恐怖に竦んで、動けなかったわけではない。
 彼は、自分の意思で足を止めていた。

 町までは、そう遠くはない。
 必死になって駆ければ、もしかすれば魔物に追いつかれる前に町まで辿り着けるかもしれない。
 だが、そこに逃げ込もうなどと、ラーハルトは最初っから考えていなかった。

(どうせ……無駄、だ)

 あの町の人間は、ラーハルトを拒絶した。
 青い肌に、尖った耳――魔族の血を引いていると一目で分かる少年の外見を恐れ、関わり合うことを拒否した。

 ラーハルトが魔族の血筋だという理由で純粋な人間だった母親まで拒んだあの町の人間が、今更助けてくれるはずもないし、もはや彼らに助けを求める気などなかった。
 そして、それは魔族に対しても同じことだった。

「おい、そこのガキ! てめえ、こんなところで何をしていやがる? この辺はオレの縄張りだぜ、どこの配下のモンだ!!」

 すぐ近くに下り立ってきた魔族に、苛立った声で怒鳴りつけられてもラーハルトは答えなかった。
 無言の少年に、魔族は余計に苛立ちを感じたらしい。

「気に入らねえガキだな、やけに落ち着き払っていてよ。
 おい、返事ぐらいしたらどうだ?!」

 舌打ちをし、ラーハルトの襟首を掴んで力任せに引き寄せる。が、その手が途中で止まった。

「――あん? てめえ、どうも妙だと思っていたら……どうも、純粋な魔族じゃねえらしいな。ふぅん、人間との混血かぁ?」

 そう言われて、わずかだが驚きを感じないではなかった。
 今までラーハルトが出会った人間は誰一人として、その事実に気がついた者はいなかったのだから。だが、それを見抜いた魔族は、ニタリと嫌な笑みを浮かべた。

「人間の汚わらしい血の混じっているガキなら、どう料理しようと問題ねえな」

 ――冷笑じみたものが、ラーハルトの顔に浮かぶ。
 人間達は、魔族の血が引いているからといってラーハルトを忌み嫌い、拒絶した。だが、魔族もまた、人間の血が混じっているからといって、ラーハルトを拒絶するらしい。
 そして、それは魔族だけでなく怪物も同じだった。

「おう、てめえら! この小僧を好きにしていいぜ!! 痩せっぽちの貧相なガキだが、少しは腹の足しにはなるだろうさ」

 笑いながら下した魔族の命令に、怪物達が一斉に色めき立つ。乱暴に投げ出された自分に向かって、キメラ達が一斉に襲いかかってくるのを見ながらもラーハルトは逃げなかった。

 死を、彼は恐れなかった。
 ごく短かった人生を、悔やんだりもしない。結局、自分を受け入れてくれる者など誰もいやしないのだと、ラーハルトは諦めと共に受け入れていた。

 強い者が弱い者を屈伏させる――分かりやすく単純なルールが全てだ。弱い自分に多少の悔しさが残るが、それだけだった。
 ただ、寸前に迫った苦痛を予測して目を固く瞑る。
 一陣の風が吹き抜け、激しく肉のぶつかりあう音が響く。

 ――しかし、覚悟していた苦痛は訪れなかった。

「……?」

 戸惑いながら開けた目の先に映ったのは、広い背中だった。
 彼を庇うかのようにすぐ目の前に立ち塞がった広い背中を、ラーハルトは呆気に取られて見つめていた。

 何より目につくのは、背に背負った剣だ。
 竜を象った大仰な柄の剣は並の戦士なら持て余しそうな代物だが、彼はやすやすと背負っている。

 だが、その男はその武器に手を触れてすらいなかった。それにも関わらず数十匹の怪物達が怯え、萎縮しているのは一目瞭然だった。
 野生の獣が出会った瞬間に相手の強さを見極めるように、怪物達も敵の強さを敏感に感じ取ることができる。

 だが、魔族は怪物ほど本能に忠実な生き物ではないらしい。一瞬、顔を引きつらせたものの、すぐに強気に言い立て始めた。

「な、なんだよ、あんた? 言っておくけどなぁ、ここはオレ様の縄張りなんだぜ!! よそ者がしゃしゃりでてくるんじゃねえよ!」

「――縄張り、だと?」

 静かなその声を聞いた途端、ラーハルトは直感していた。
 これは格が違う、と。
 恫喝するかのようにやたらと大声を出し、凄みを聞かせようとする魔族に比べ、男の声は無造作だった。

 特に気負うでもなく、ごく自然に話しているだけにすぎない。
 だが、それでいて舞台の中央に立つ主役の役者の様に、彼の声は注目を集める。たった一言だけなのにも関わらず、無視しきれない力がある。

 ただ、相手の言葉を鸚鵡返しに呟いているだけのようでいて、恐ろしいまでの覇気と、傲慢なまでの自信に満ちている。正しいのは常に己であり、自分の言葉に対しての異議を認めないという意志がひしひしと感じられる。

 生まれながらの王を相手にしているように、相手の言葉が正しいと盲目的に平伏したくなる雰囲気があった。
 それは多分、顔を引きつらせた魔族も感じ取った雰囲気だろう。
 だが、魔族の男は必要以上に顔をしかめながら、男には対して文句を吹っ掛ける。

「お、おう、そうともよ! このオレ様はな、魔王様直属の配下の方から直々に、この地域の統括を任されているんだ!!
 このオレに逆らうってことはなぁ、魔王様に逆らうってのと同じことなんだよ! わかってんのか、ええっ?!」

 これ以上ない切り札だと言わんばかりにそう言ってのける魔族は、少年の目にさえひどくちっぽけに映る。
 虎の威を借る狐  諺好きの母親から習った、そんな言葉を思い出す。

 まあ、相手が少しでも魔王に怯える感情を持っているのなら、この脅しは極めて有効だろう。
 だが、男は少しも恐れる様子を見せなかった。

「ほう……魔王に逆らうと同じ、か。それも、また面白い」

 むしろ楽しんでさえいるかの様な響きが、その声に混じる。
 とっておきと信じた脅しでさえ効かないことに、魔族らは明らかにたじろいだ。
 特に動物に近い怪物程、その傾向は歴然としている。
 男を襲うどころか後ずさりし始めた怪物達を見て、魔族は苛立ってけしかけようとした。


「ど、どうしやがったんだっ、てめえらっ?! 相手はたった一人じゃねえかよ、なんだってそんなに怯えやがるんだ?!」

 しかし、魔族がどんなに声を枯らして怒鳴りつけても怪物達は退く一方で、男へ襲いかかろうとはしない。ついさっき少年に襲いかかろうとした時の凶暴さを思えば、嘘の様な怯えようだった。

「そいつらの方が、おまえよりもずっと賢明なようだな」

「う、うるせえっ!! てめえっ、人が優しくしていりゃあつけあがりやがって……もう容赦しねえぞっ!」

 ぶちきれて怒鳴りながら、魔族が剣を抜いて切りかかってくるのは見えた。魔族の意思に釣られたのか、怪物らもそれに追従するのも見えた。
 だが――男がなにをしたのかは、ラーハルトには全く見えなかった。

「……?!」

 光が、一閃した。
 ただ、それだけのようにしか見えない。辛うじて剣と鞘が当たる金属音だけは聞き届けたものの、それは剣を抜く時に建てられた音ではなかった。

 剣を納める時の音だと気がついた時は、魔族どころか、怪物達もまとめて吹き飛ばされた後だった。

「ひ、ひぃいっ?!」

 青い血飛沫が上がったものの、それは致命傷では無かったようだ。大仰な悲鳴を上げ、魔族は逃げ出していく。
 その後に、柄だけを残して切り取られた剣が音を立てて地に転げ落ちる。

 状況の不利さを悟ったのか、生き延びた怪物達が慌てて逃げ去っていくのを、男は追わなかった。
 去る者には興味はないとばかりに何の恐れげもなく連中に背を向け、こちらを振り返る。 その時、ラーハルトは初めて彼と相対した。

 鋭い眼光が、ラーハルトを射ぬく。
 会った瞬間に感じたのは、圧倒的なまでの脅威だった。先程の怪物達が逃げた理由を、ラーハルトは痛い程に悟る。

 この男には――決して勝てはない。
 生き物としての、格が違い過ぎる。もし、この男がそうしたいと望むのならば、自分はあっさりと命を絶たれるだろうと納得してしまう。

 その場で男に殺されることを、ラーハルトは半ば覚悟さえしていた。だが……男は、納めた剣の柄にさえ手を掛けはしなかった。

「おまえには用はない。親の所へ、戻るといい」

 素っ気なく告げられたその言葉は、意外にも穏やかだった。口調と同じく、告げられた内容も至って穏便なものだ。
 慈悲すら感じさせる寛大さで、男は暗にラーハルトの命を保証してくれた。その上、逃げるのなら手出しはしないとも言外に告げている。

 だが、その言葉に対して、命拾いしたと喜ぶ余裕などラーハルトにはなかった。むしろ、失望感すら感じながら他人事の様に答える。

「……なら、殺せばいい。そうすれば親の所へ行ける」

 ラーハルトの知る限り、親の元に行くには他に方法がない。
 父親のことは、ラーハルトも知らない。

 母親は父親の話はほとんどしなかったし、ラーハルトも敢えて聞きたいとは思わなかった。父親について尋ねる度に悲しげな表情を見せる母に、それ以上を聞く気などなかったから。
 ただ、魔族であること、どうやら死んでしまったらしいということぐらいしか知らない。
 

 そして――ラーハルトは無言のまま、真新しい墓に目をやった。
 掘り起こしたばかりの土の臭いも生々しいその墓は、いかにも粗末な上に雑な作りだった。

 病で倒れた旅の女……しかも明らかに魔族の血を引くと分かる子供を連れた女に、誰も同情してはくれなかった。
 いや……同情だけならしたのかもしれない。だが、関わることを徹底して拒まれ、自分には関係のない所へ行ってくれと言葉にはしない言葉で追い立てた。

 その結果、宿も借りられず、医者や治療師にも診てはもらえないまま、母親は死んだ。 葬式はしてもらえなかったものの、町から離れた荒れ地に葬ってくれたのが、せめてもの情けというべきか。

 たとえそれが、伝染病である可能性への対処方法であり、町外れの墓地に葬ることさえ嫌がられた結果だったとはいえ、少年一人では母を葬るなど不可能だったから。
 墓掘りの役目を持った男達はひどく嫌そうに、おざなりに作業をすませると逃げる様にこの場を去ってしまった。

 ラーハルトとは口も利かず、声を掛けられるのも恐れる様に。その怯えは、むしろ滑稽なぐらいだった。
 そんな心配などされなくとも、ラーハルトの方には人間に声を掛ける気など微塵もなかったのだから。

 人間に助けを請うつもりなどない。
 子供っぽい意地かもしれないが、ラーハルトはそう思っていた。
 そんなラーハルトを、男は無言のまま見つめる。
 その顔からは、内心が全く伺えない。

「……おまえは、死にたいのか?」

 先程と同じように静かな問いに、ラーハルトは無言で首を横に振る。
 自ら死を選ぶ気など、ない。
 だが、結果的にこの選択が死に繋がるだろうということはラーハルトにも薄々と感じ取れる。

 どんなに誇り高くありたいと願っていても、ラーハルトはまだ保護を必要とする年齢の子供にすぎない。
 無人の荒野で生き延びる力など、ラーハルトにはない。戦う術も知らず、食べられる動植物の見分け方も知らない。

 この場にとどまり続けることは、死と同義だ。
 だが、そうと分かっていても母を見殺しにした人間の情けを期待してに縋りつくなど、どうしても嫌だった。たとえ自分が野垂れ死にすることになるとしても、人間にだけは助けてほしくない。

 もっとも、こちらが望んだとしても誰も自分などを助けてくれまいが――。
 自分が誰からも望まれない存在だと、ラーハルトはすでに悟っていた。世界は、人間でも魔族でもない存在を拒絶している。

 唯一、自分を愛し、必要としてくれた存在だった母親は、すでに死んだ。
 ならば  もう、いい。
 幼さに似合わない達観で全てを諦めたラーハルトは、すでに自分自身の命を投げ出していた。

 怪物に殺されるのも、魔族に殺されるのも、飢え死にするのも、ラーハルトにとっては同じことだ。
 すぐに死ぬか、時間がかかって苦しむかの違いだけの差にすぎない。それを考えれば、むしろ一気に死んだ方が楽かもしれない思える。

 だからこそ、ラーハルトは俯いたまま立ち続け、男が近寄ってきても逃げようとさえしなかった。

 抜く手すらも見せないこの男の剣なら、痛みなど感じる前に自分を殺してくれるだろう……そう信じていた。
 だが、ラーハルトに与えられたのは、半ば期待していた白銀の刃では無かった。

「そうか。ならば、私と来い」

 素っ気ないながらも、決然とした命令にラーハルトは思わず彼を見上げていた。
 こんな風に言われたのは、初めてだった。

 人間達は常にラーハルトを嫌って追い払おうとし、関わろうとなどしなかった。だが、この男はそんな連中とは全く違っている。
 男はラーハルトを真正面から見下ろし、淡々と告げる。

「私は、人間共を滅ぼす……!! 一人残らず、だ」

 静かな、だがそれだけに本気を感じさせる言葉だった。
 その宣言に、ラーハルトは多少の驚きを感じる。
 それは悪い意味の驚きではない。

 むしろ、今迄気がつきもしなかった解決策を、いきなり提示されたことへの驚きに近かった。
 そんな道もあったのか――そんな、新鮮な驚きだった。

 しかし、それは悪くない驚きだった。
 人間達が自分を徹底して拒絶し、世界から爪弾こうとするのであれば――その逆をやって、なにが悪いというのだろう?

 自分の居場所がない世界なら、丸ごと消し飛ばしてしまう……それは、なかなかに魅力的な考えの様に思えた。

 ラーハルトは、人間が好きだと思ったことは一度も無い。もちろん母親だけは別だったが、その母ももう……いない。
 ためらう理由は、一つも無かった。

「おまえは命を捨てる気なのだろう? ならばその命、私がもらい受ける。
 私の目的のために、力を貸せ」

 返事を聞く必要などないとばかりに、力強い手が強引にラーハルトの腕を引く。その強引さが、むしろ嬉しかった。

 ――どうせ、捨てるはずの命だった。無価値としか思えない人生だった。
 だが、その虚無感をこの男が覆してくれた。誰にも必要とされないと思った自分に、新しい世界を、新しい目的を与えてくれた。

 必要不可欠とばかりに力強く自分の腕を引く手を見つめながら、ラーハルトはわずかに迷う。
 それは、その手について行くことへの不安ではない。この男に従う覚悟なら、もう固まりきっている。

 彼は、命を助ける以上の救いを、ラーハルトに与えてくれた。
 その恩義に、報いたい。
 自分で役に立てるのなら、この男のために力を貸したい……心からそう思う。

 だが、他人とあまり話した経験のないラーハルトは、自分の感情を言葉にするのがひどく苦手だ。
 この決意を、今の自分が感じている感謝の気持ちを、どう告げればいいのかが分からない。

 それらがあまりに大きすぎて、言葉にしてみればひどく薄っぺらいものになってしまうように感じられる。
 だからこそ迷った揚げ句、ラーハルトはやっと一言だけ口にした。

「おれは……ラーハルト」


 突然の名乗りを、男がどう受け止めたのかは分からない。ただ、それでも、男の険しさが少しばかり和らいだように見えた……のは、ラーハルトの願望の混じった記憶だろうか。 だが、男がこう答えてくれたのは、確かな事実だった。

「いい名だな。
 私は、バラン……竜の騎士だ」

 それが、ラーハルトにとっては全ての始まりだった――。

 

 

「…………」

 物思いに耽っていた時間は、そう長くはなかったはずだ。
 だが、眩しさを感じて青空から目を逸らした際、なんとなくポップの方を見てしまったラーハルトは、真っ先に失敗したと思ってしまう。

「……何をニヤついている」

「いや、別にぃ〜。
 たださ、見つけたと思っただけだよ」

 なんとも癪に障るニヤニヤ笑いを浮かべながら、ポップは大きめのサンドイッチを一齧りする。
 もっとも、もう最初の時程の食欲はないのか、何となく持て余し気味のように見えた。 そのまま行儀悪くもごもごと口を動かしながら、魔法使いは確信ありげに言い切った。
 

「おめえとダイの共通点を、だよ」

 その返事に、いささかの当惑を感じる。
 魔王軍の一員だった自分と、勇者として立派に戦い抜いたダイ――比較するのも馬鹿馬鹿しいぐらい、違い過ぎる。あの輝かしいまでに真っ直ぐな少年が光そのものだとしたら、自分などは影だと思う程に、違う。

 そんな自分と、主君に似ている部分があるなどいうのは、不遜ではないかとさえ思える。 少なくとも、ラーハルトには思い当たることなど全くない。
 もしやその発言は主君と思い定めた少年に対する侮辱になるのではないかと、内心疑いつつラーハルトはポップを見る。

 疑惑の思いが目に現れ、ほとんど睨みつけるような感じになったが、ポップは気にした様子はなかった。
 むしろラーハルトの反応を面白がっている様な顔をして、とびっきりの秘密を打ち明ける口調で言った。

「ダイの奴もさ……親父さんのことを『父さん』って呼べる様になるまでは、よく『あの人』って呼んでたんだぜ」

「――――!!」

 やはり、この魔法使いは油断もスキもない。
 いつの間にかするりとすぐ近くに忍び込んできて、人の本音を引き出してしまうところがある。

 しかも、ほんのわずかな言葉端さえ聞き逃さず、真相に辿り着く頭脳も持っているのだから質が悪い。
 ――こんな他愛のない共通点でさえ、嬉しいと思ってしまう自分の心の奥底を、ものの見事に見透かされてしまうとは。

 さらに、ポップはどこまでも抜け目がない。
 ラーハルトが珍しくも、思わず絶句してしまったのに気がついているだろうに、素知らぬ顔をして食べ掛けのサンドイッチを崩してその辺にいた小鳥に投げてやっている。

 食い意地の張った小鳥達が思いがけないご馳走に喜び、全部食べ尽くした頃を見計らって声を掛けてきた。

「ところで、おまえももっと昼飯を食ったらどうだよ? 遠慮なんかしないでさ」

 遠慮もなにも、元々これはラーハルトのものである。もちろん遠慮せずにラーハルトは袋に手を伸ばしたが、手応えはなかった。

「……もう、空だぞ」

 いささか責める口調でそう言うと、ポップはさも、今気がついたとばかりに、わざとらしくサンドイッチの入っていた袋を覗き込んだ。

「あれー? 悪ぃ、ちょっと摘むだけのつもりだったのに、けっこう食っちまったかな。なにせ、腹が減ってたからよ〜」

 笑いながら立ち上がったポップは、何の恐れげもなくごく普通に、ラーハルトの腕を掴んで引っ張る。

「ま、食べた分は弁償するから、食堂に来いよ。借りを作るのも癪だし、出来立ての定食を奢ってやるからよ」

 恩着せがましいくせに、不思議と気楽で軽い口調。
 いたって調子のいい笑顔を浮かべている魔法使いの言葉を、ラーハルトはそのまますんなりと受け入れたりはしなかった。

(……そういうつもりだったのか)

 どこかで感じていたチグハグした印象が、やっと腑に落ちた気分だ。
 前に一緒に食事をした時に気がついたのだが、ポップの食事量はずいぶんと細やかだった。ラーハルトやヒュンケルに比べると格段に少なく、あんな調子だから貧弱なのかと密かに呆れたぐらいだ。

 おそらく、今食べたぐらいの量でもポップの腹は満たされているはずだ。……というより、ラーハルトの食欲に合わせた弁当をあれだけせっせと食べたのだ、すでに詰め込みすぎなぐらいだろう。
 最後には食べきれず、小鳥に分けてやっていたぐらいなのだから。

 無理を押してまでつまみ食いした目的は、どうやらここにあったらしい。
 人間から離れ、一人でいようとするラーハルトを食堂へ連れて行く口実を作る――ただ、それだけのために。

 もう一度、ラーハルトは自分の腕を引く手を見返した。
 その手は、戦士の目から見れば、どうしても細くて頼りない印象の方が強い。
 かつて、無人の荒野から魔族の世界へとラーハルトを連れ出した手の逞しさや、強引さはない。

 ラーハルトがその気になれば……いや、ラーハルトどころか、ごく普通の人間であっても簡単に振り切れる程度の弱い力に過ぎない。

 だが、その手は暖かった。
 本人には何の得にもならないのに、策を弄してまでラーハルトを人間の世界へと引っ張り込もうとするその手を、ラーハルトはしばし、じっと見つめる。
 そして――口を開いた。

「……フン。
 そこまで腹が減っていたと言うからには、おまえも食べるんだろうな?」

 そう念を押すと、ポップがわずかに怯むのが分かった。

「え、えっと、おれ、は−」

 露骨にうろたえる正直さに、ラーハルトは笑いを堪えるのに苦労する。頭を使った企みが得意な割には、この魔法使いは変なところだけ正直者だ。

(ふん、そうなにもかもおまえの思い通りになると思うなよ)


 ポップの企みに付き合ってやってもいいが、なにからなにまで彼の思惑通りにはまるのも癪だ。
 これぐらいのからかいをしてやっても、いいだろう。

 それに、からかい以外の目的でも、ラーハルトはポップにもう少し、食事を取らせたいと思う。
 前よりもずっと痩せて細くなったポップの手を掴み返し、ラーハルトは自分から強引に引っ張った。

「オレも借りは作るつもりはない。割り勘でいいから、おまえも付き合え」

「え、ええ〜? お、おい、ちょっと待てよ〜」

 この期に及んで往生際悪く騒ぐポップの手を逆に引っ張りながら、ラーハルトは大股で歩きだした。

 

 

 もう今は――いや、ずっと前からラーハルトは、人間を滅ぼしたいとは思っていない。この心変わりを、ラーハルトはバランに告げることができないままだった。

 だが、それを心残りとは思うまい。
 もし告げることができたのなら、きっとあの方は喜んでくれたに違いないのだから。何の根拠もないが、ラーハルトはそれを確信していた――。
                                     END 


                           
《後書き》

 444444hit その1記念リクエスト、『バランパパとラーハルト少年の親子エピソード』でした♪ ダイは登場させないで、ポップを絡めてほしいとのご要望だったので、ダイが行方不明中のエピソードにしてみました。

 いろいろと考えた末、バランとラーハルトの出会いシーンを大捏造です。しかし…ほのぼのかシリアスというご注文だったのですが、どう見てもこれはほのぼのエピソードではない気がします(笑)
 つーか、バランパパもおちびラーハルトも殺伐としまくってますよ!(笑)

 おまけに過去回想をメインにしたせいで、ポップを話に絡めるのには苦労しました。
 でも、ラーハルトとポップの食事光景は初めて書いただけに、新鮮で妙に楽しかったです♪

 ところで、ラーハルトが発見したこの中庭は、主にダイ帰還後の話にポップのお気に入りの中庭として何度か登場していますv

 ついでに補足ですが、ラーハルトと出会った頃のバランは、バーンの食客としてバーンパレスにいたと筆者は考えています。
 バーンが、ソアラを失った失意のバランを勧誘したのは事実なのですが、何年間なのかは書いてないだけに分からないんですよね〜。まあ、筆者としては、ソアラの死のショックから抜けきっていない頃に付け込んだ(笑)と考えています。

 バーンがハドラーを蘇らせ、初期魔王軍を作り上げたのは2年前と公式ガイドブックに明記されているので、バランは魔王やその他のメンバーが集まるまでは、自分の好みの竜や部下を集めていたのではないかな〜と推察しとります。ボラボーンとか、ガルダンディーなどを。

 ちなみに、お話に出てきたいかにも雑魚っぽい小物魔族は、あくまで自称『魔王の手下』なのであって、バーンとは全く関係はないです(笑)

 

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