『腕を引く手 ー後編ー』 |
ふと見上げた空に、黒い影が見えた。 (怪物だ……!) ラーハルトがいたのは町からだいぶ離れた場所であり、周囲に何もない荒野じみた場所だった。見晴らしが効き過ぎて、身を隠せる様な場所などどこにもない。 当時、ラーハルトはまだ子供だった。 魔族特有の身体能力の高さも、当時はそれほど目立たなかったはずだ。同年齢の子供に比べれば足も早く力もそこそこあったはずだが、大人には所詮適わない…その程度だったと思う。 今にして思えば魔族としては最下級に近い程、低い能力値しかなかった。ラーハルトが急速に実力を付けたのは、第二次成長期を向かえて実戦を積み始めた頃からの話である。
並の少年なら、いきなり怪物にでっくわせば泣きだすか、腰を抜かすのが関の山だろう。もう少し冷静で賢い少年なら、追いつかれる前に逃げ出すという選択肢もあるかもしれない。 しかし、ラーハルトはそのどれも選ばなかった。 だが、あの時のラーハルトにはそうするだけの理由がなかった。 飛んで来る怪物は、一匹や二匹ではなかった。十匹近いキメラを従え、先頭を飛ぶのは人とほとんど変わりのない姿をした者だった。 詳しくは知らないが、怪物以上に魔族は危険な存在だということだけは知っていた。 町までは、そう遠くはない。 (どうせ……無駄、だ) あの町の人間は、ラーハルトを拒絶した。 ラーハルトが魔族の血筋だという理由で純粋な人間だった母親まで拒んだあの町の人間が、今更助けてくれるはずもないし、もはや彼らに助けを求める気などなかった。 「おい、そこのガキ! てめえ、こんなところで何をしていやがる? この辺はオレの縄張りだぜ、どこの配下のモンだ!!」 すぐ近くに下り立ってきた魔族に、苛立った声で怒鳴りつけられてもラーハルトは答えなかった。 「気に入らねえガキだな、やけに落ち着き払っていてよ。 舌打ちをし、ラーハルトの襟首を掴んで力任せに引き寄せる。が、その手が途中で止まった。 「――あん? てめえ、どうも妙だと思っていたら……どうも、純粋な魔族じゃねえらしいな。ふぅん、人間との混血かぁ?」 そう言われて、わずかだが驚きを感じないではなかった。 「人間の汚わらしい血の混じっているガキなら、どう料理しようと問題ねえな」 ――冷笑じみたものが、ラーハルトの顔に浮かぶ。 「おう、てめえら! この小僧を好きにしていいぜ!! 痩せっぽちの貧相なガキだが、少しは腹の足しにはなるだろうさ」 笑いながら下した魔族の命令に、怪物達が一斉に色めき立つ。乱暴に投げ出された自分に向かって、キメラ達が一斉に襲いかかってくるのを見ながらもラーハルトは逃げなかった。 死を、彼は恐れなかった。 強い者が弱い者を屈伏させる――分かりやすく単純なルールが全てだ。弱い自分に多少の悔しさが残るが、それだけだった。 ――しかし、覚悟していた苦痛は訪れなかった。 「……?」 戸惑いながら開けた目の先に映ったのは、広い背中だった。 何より目につくのは、背に背負った剣だ。 だが、その男はその武器に手を触れてすらいなかった。それにも関わらず数十匹の怪物達が怯え、萎縮しているのは一目瞭然だった。 だが、魔族は怪物ほど本能に忠実な生き物ではないらしい。一瞬、顔を引きつらせたものの、すぐに強気に言い立て始めた。 「な、なんだよ、あんた? 言っておくけどなぁ、ここはオレ様の縄張りなんだぜ!! よそ者がしゃしゃりでてくるんじゃねえよ!」 「――縄張り、だと?」 静かなその声を聞いた途端、ラーハルトは直感していた。 特に気負うでもなく、ごく自然に話しているだけにすぎない。 ただ、相手の言葉を鸚鵡返しに呟いているだけのようでいて、恐ろしいまでの覇気と、傲慢なまでの自信に満ちている。正しいのは常に己であり、自分の言葉に対しての異議を認めないという意志がひしひしと感じられる。 生まれながらの王を相手にしているように、相手の言葉が正しいと盲目的に平伏したくなる雰囲気があった。 「お、おう、そうともよ! このオレ様はな、魔王様直属の配下の方から直々に、この地域の統括を任されているんだ!! これ以上ない切り札だと言わんばかりにそう言ってのける魔族は、少年の目にさえひどくちっぽけに映る。 まあ、相手が少しでも魔王に怯える感情を持っているのなら、この脅しは極めて有効だろう。 「ほう……魔王に逆らうと同じ、か。それも、また面白い」 むしろ楽しんでさえいるかの様な響きが、その声に混じる。
しかし、魔族がどんなに声を枯らして怒鳴りつけても怪物達は退く一方で、男へ襲いかかろうとはしない。ついさっき少年に襲いかかろうとした時の凶暴さを思えば、嘘の様な怯えようだった。 「そいつらの方が、おまえよりもずっと賢明なようだな」 「う、うるせえっ!! てめえっ、人が優しくしていりゃあつけあがりやがって……もう容赦しねえぞっ!」 ぶちきれて怒鳴りながら、魔族が剣を抜いて切りかかってくるのは見えた。魔族の意思に釣られたのか、怪物らもそれに追従するのも見えた。 「……?!」 光が、一閃した。 剣を納める時の音だと気がついた時は、魔族どころか、怪物達もまとめて吹き飛ばされた後だった。 「ひ、ひぃいっ?!」 青い血飛沫が上がったものの、それは致命傷では無かったようだ。大仰な悲鳴を上げ、魔族は逃げ出していく。 状況の不利さを悟ったのか、生き延びた怪物達が慌てて逃げ去っていくのを、男は追わなかった。 鋭い眼光が、ラーハルトを射ぬく。 この男には――決して勝てはない。 その場で男に殺されることを、ラーハルトは半ば覚悟さえしていた。だが……男は、納めた剣の柄にさえ手を掛けはしなかった。 「おまえには用はない。親の所へ、戻るといい」 素っ気なく告げられたその言葉は、意外にも穏やかだった。口調と同じく、告げられた内容も至って穏便なものだ。 だが、その言葉に対して、命拾いしたと喜ぶ余裕などラーハルトにはなかった。むしろ、失望感すら感じながら他人事の様に答える。 「……なら、殺せばいい。そうすれば親の所へ行ける」 ラーハルトの知る限り、親の元に行くには他に方法がない。 母親は父親の話はほとんどしなかったし、ラーハルトも敢えて聞きたいとは思わなかった。父親について尋ねる度に悲しげな表情を見せる母に、それ以上を聞く気などなかったから。 そして――ラーハルトは無言のまま、真新しい墓に目をやった。 病で倒れた旅の女……しかも明らかに魔族の血を引くと分かる子供を連れた女に、誰も同情してはくれなかった。 その結果、宿も借りられず、医者や治療師にも診てはもらえないまま、母親は死んだ。 葬式はしてもらえなかったものの、町から離れた荒れ地に葬ってくれたのが、せめてもの情けというべきか。 たとえそれが、伝染病である可能性への対処方法であり、町外れの墓地に葬ることさえ嫌がられた結果だったとはいえ、少年一人では母を葬るなど不可能だったから。 ラーハルトとは口も利かず、声を掛けられるのも恐れる様に。その怯えは、むしろ滑稽なぐらいだった。 人間に助けを請うつもりなどない。 「……おまえは、死にたいのか?」 先程と同じように静かな問いに、ラーハルトは無言で首を横に振る。 どんなに誇り高くありたいと願っていても、ラーハルトはまだ保護を必要とする年齢の子供にすぎない。 この場にとどまり続けることは、死と同義だ。 もっとも、こちらが望んだとしても誰も自分などを助けてくれまいが――。 唯一、自分を愛し、必要としてくれた存在だった母親は、すでに死んだ。 怪物に殺されるのも、魔族に殺されるのも、飢え死にするのも、ラーハルトにとっては同じことだ。 だからこそ、ラーハルトは俯いたまま立ち続け、男が近寄ってきても逃げようとさえしなかった。 抜く手すらも見せないこの男の剣なら、痛みなど感じる前に自分を殺してくれるだろう……そう信じていた。 「そうか。ならば、私と来い」 素っ気ないながらも、決然とした命令にラーハルトは思わず彼を見上げていた。 人間達は常にラーハルトを嫌って追い払おうとし、関わろうとなどしなかった。だが、この男はそんな連中とは全く違っている。 「私は、人間共を滅ぼす……!! 一人残らず、だ」 静かな、だがそれだけに本気を感じさせる言葉だった。 むしろ、今迄気がつきもしなかった解決策を、いきなり提示されたことへの驚きに近かった。 しかし、それは悪くない驚きだった。 自分の居場所がない世界なら、丸ごと消し飛ばしてしまう……それは、なかなかに魅力的な考えの様に思えた。 ラーハルトは、人間が好きだと思ったことは一度も無い。もちろん母親だけは別だったが、その母ももう……いない。 「おまえは命を捨てる気なのだろう? ならばその命、私がもらい受ける。 返事を聞く必要などないとばかりに、力強い手が強引にラーハルトの腕を引く。その強引さが、むしろ嬉しかった。 ――どうせ、捨てるはずの命だった。無価値としか思えない人生だった。 必要不可欠とばかりに力強く自分の腕を引く手を見つめながら、ラーハルトはわずかに迷う。 彼は、命を助ける以上の救いを、ラーハルトに与えてくれた。 だが、他人とあまり話した経験のないラーハルトは、自分の感情を言葉にするのがひどく苦手だ。 それらがあまりに大きすぎて、言葉にしてみればひどく薄っぺらいものになってしまうように感じられる。 「おれは……ラーハルト」
「いい名だな。 それが、ラーハルトにとっては全ての始まりだった――。
「…………」 物思いに耽っていた時間は、そう長くはなかったはずだ。 「……何をニヤついている」 「いや、別にぃ〜。 なんとも癪に障るニヤニヤ笑いを浮かべながら、ポップは大きめのサンドイッチを一齧りする。 「おめえとダイの共通点を、だよ」 その返事に、いささかの当惑を感じる。 そんな自分と、主君に似ている部分があるなどいうのは、不遜ではないかとさえ思える。 少なくとも、ラーハルトには思い当たることなど全くない。 疑惑の思いが目に現れ、ほとんど睨みつけるような感じになったが、ポップは気にした様子はなかった。 「ダイの奴もさ……親父さんのことを『父さん』って呼べる様になるまでは、よく『あの人』って呼んでたんだぜ」 「――――!!」 やはり、この魔法使いは油断もスキもない。 しかも、ほんのわずかな言葉端さえ聞き逃さず、真相に辿り着く頭脳も持っているのだから質が悪い。 さらに、ポップはどこまでも抜け目がない。 食い意地の張った小鳥達が思いがけないご馳走に喜び、全部食べ尽くした頃を見計らって声を掛けてきた。 「ところで、おまえももっと昼飯を食ったらどうだよ? 遠慮なんかしないでさ」 遠慮もなにも、元々これはラーハルトのものである。もちろん遠慮せずにラーハルトは袋に手を伸ばしたが、手応えはなかった。 「……もう、空だぞ」 いささか責める口調でそう言うと、ポップはさも、今気がついたとばかりに、わざとらしくサンドイッチの入っていた袋を覗き込んだ。 「あれー? 悪ぃ、ちょっと摘むだけのつもりだったのに、けっこう食っちまったかな。なにせ、腹が減ってたからよ〜」 笑いながら立ち上がったポップは、何の恐れげもなくごく普通に、ラーハルトの腕を掴んで引っ張る。 「ま、食べた分は弁償するから、食堂に来いよ。借りを作るのも癪だし、出来立ての定食を奢ってやるからよ」 恩着せがましいくせに、不思議と気楽で軽い口調。 (……そういうつもりだったのか) どこかで感じていたチグハグした印象が、やっと腑に落ちた気分だ。 おそらく、今食べたぐらいの量でもポップの腹は満たされているはずだ。……というより、ラーハルトの食欲に合わせた弁当をあれだけせっせと食べたのだ、すでに詰め込みすぎなぐらいだろう。 無理を押してまでつまみ食いした目的は、どうやらここにあったらしい。 もう一度、ラーハルトは自分の腕を引く手を見返した。 ラーハルトがその気になれば……いや、ラーハルトどころか、ごく普通の人間であっても簡単に振り切れる程度の弱い力に過ぎない。 だが、その手は暖かった。 「……フン。 そう念を押すと、ポップがわずかに怯むのが分かった。 「え、えっと、おれ、は−」 露骨にうろたえる正直さに、ラーハルトは笑いを堪えるのに苦労する。頭を使った企みが得意な割には、この魔法使いは変なところだけ正直者だ。 (ふん、そうなにもかもおまえの思い通りになると思うなよ)
それに、からかい以外の目的でも、ラーハルトはポップにもう少し、食事を取らせたいと思う。 「オレも借りは作るつもりはない。割り勘でいいから、おまえも付き合え」 「え、ええ〜? お、おい、ちょっと待てよ〜」 この期に及んで往生際悪く騒ぐポップの手を逆に引っ張りながら、ラーハルトは大股で歩きだした。
もう今は――いや、ずっと前からラーハルトは、人間を滅ぼしたいとは思っていない。この心変わりを、ラーハルトはバランに告げることができないままだった。 だが、それを心残りとは思うまい。 444444hit その1記念リクエスト、『バランパパとラーハルト少年の親子エピソード』でした♪ ダイは登場させないで、ポップを絡めてほしいとのご要望だったので、ダイが行方不明中のエピソードにしてみました。 いろいろと考えた末、バランとラーハルトの出会いシーンを大捏造です。しかし…ほのぼのかシリアスというご注文だったのですが、どう見てもこれはほのぼのエピソードではない気がします(笑) おまけに過去回想をメインにしたせいで、ポップを話に絡めるのには苦労しました。 ところで、ラーハルトが発見したこの中庭は、主にダイ帰還後の話にポップのお気に入りの中庭として何度か登場していますv ついでに補足ですが、ラーハルトと出会った頃のバランは、バーンの食客としてバーンパレスにいたと筆者は考えています。 バーンがハドラーを蘇らせ、初期魔王軍を作り上げたのは2年前と公式ガイドブックに明記されているので、バランは魔王やその他のメンバーが集まるまでは、自分の好みの竜や部下を集めていたのではないかな〜と推察しとります。ボラボーンとか、ガルダンディーなどを。 ちなみに、お話に出てきたいかにも雑魚っぽい小物魔族は、あくまで自称『魔王の手下』なのであって、バーンとは全く関係はないです(笑)
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