『幻の王と夢の呪文 ー後編ー』

 

「ねえ、聞いてよ! おれとポップは、おそろいの……えーと、うえでんぐどれすとかいうのを着て、一緒に結婚するんだって! 
 その時にはうんとおっきいケーキも、食べきれないぐらいのごちそうも作ってくれるんだってよ、楽しみだね、ポップ」

「いやっ、待てよっ!? なに具体的にとんでもない話を進めてんだよっ!?」

 無邪気にそう話すダイの影で、なにやら恐ろしい計画まで水面下で進行しているっぽい裏を感じ取ってゾッとし、ポップは非難する目をレオーネへと向ける。
 だが、少女の時よりもさらに器が大きくなった少年王は、怯む気配すら見せなかった。
 にこやかに笑いながら、堂々と跪いてポップを見上げる姿勢をとる。騎士が姫に対して見せる礼儀が、恐ろしいほど様になっていた。

「ああ、そう言えば順番が前後してすまなかったね。
 ぼくは君に求婚するよ、ポップ。いや……ポプリーヌ、かな? 
 ぼくとパプニカ王国のために、君の比いまれなる意思と頭脳を貸してはくれないだろうか? ぼくには君の支えが必要なんだ。
 君には正妃としての地位と、ぼくの継ぐ国の実権を捧げるよ」

「へ? だ、第一王妃って……ダイは!?」

 そんなことを気にしている場合ではないのだが、ダイを差し置いて自分を王妃へと望むレオーネの真意が分からずに戸惑ってしまう。
 しかし、彼は真顔で告げた。

「もちろん、ダイにも求婚したさ。彼女は受けてくれたよ――第二王妃としてね。
 ダイには一番の愛を捧げる……でも、共同統治者としてぼくが一番必要としているのは君なんだよ、ポップ」

 熱の籠もった瞳が、真っ直ぐにポップへと向けられる。だが、それが愛とか恋とかとは無縁な光なのはポップにでさえ分かっていた。

(まあ、考えてみれば名案といえば名案なのかもしれねえけど)

 頭のどこか、冷静な部分でそうも思う。
 王族にとって、結婚に一番大切なのは愛ではない。
 政治的判断が、第一なのだ。

 だからこそ大抵の王族は感情を度外視して、まだ子供と言える年齢のうちに王女を他国の王子や王へと嫁がせるのである。
 そして、王子や王も同じだ。

 自国にとってもっとも有益な女性を選び、正妃として迎え入れる手腕が欠かせない。その前には、自分の恋愛感情など後回しだ。
 そして、レオーネは自国にとって有益な王妃はポプリーヌだと判断したらしい。

 思えば、王女レオナの側で二代目大魔道士ポップが相談役として政治に関わるのは、いろいろと問題が発生した。
 僣越だの身分知らずだのと、ずいぶん陰口を叩かれたし嫌な思いもさせられたものだ。

 しかし、王に対して王妃が助言するのは、ある意味で当然のこと。少なくとも、それに対して表立って不満を言える臣下などいまい。

 庶民の立場でパプニカの政治に対して関わりたいのであれば、もっとも無難な上に説得力もあり、悪くない地位には違いない。……まあ、ポップはそんなものは望んだことさえなかったのだが。

 そして、ポップが政治的にレオーネを支えるのなら、ダイはその純粋な愛と無邪気さで精神的な支えとなる。
 もともと政治や堅苦しい儀礼などは苦手なダイにとっては、正妃の地位はいささか荷が重いだろうし、第一そんなものなど気にはしまい。

 有能で職務に適した女性を第一王妃を据え、最愛の女性を第二王妃にと選ぶ……ある意味で、理想的な関係とさえ言えるだろう。
 さらにいうのなら、王女が亡国の王子や庶民の男子と結婚するのなら難色を示すうるさ方も、王が望んだ女性を娶ることに関してならかなり寛大になる。

 ダイとレオナ、もしくはポップとレオナの結婚よりもよほど簡単に認められることだろう。

「ぼくは、君にもダイにも側にいてほしい。ポプリーヌにディーナ……形は違うけれど、パプニカ王にとっては欠かせない妃として同列に愛しむつもりだ。
 二人を、一生大切にすると誓うよ」

 言いながらレオーネは恭しくポップのガウンの裾を手に取り、それにキスをする。
 まさに非の打ち所のない、古来より伝わる、貴族の正式な求婚の意思表示である。――が、理想的な王子様からの求婚を前にして、ポップは思いっきりドン引いた。

「な、な、なななななっ!? な、なにを言ってくれやがるんだよっ、きゅっ、うこんって、んな無茶な……っ!?」

 どんなに理屈ではこれがパプニカやレオナに取っては最善だと分かっていても、割り切れるわけがない。ましてや自分が女性の立場でもプロポーズだなんて、それだけでも我慢しきれない。

「第一おれはっ、マァムが……っ」

 動揺のあまりもつれる舌で反論しかけてから、ポップはハッと気がつく。

「あっ、マァムは!? あいつはどうなったんだよ!? それにヒュンケルも……っ」

 衝撃に続く衝撃のせいで麻痺しかけていたが、あの魔法のせいで性別が変わったというのなら、自分やダイやレオナだけですむはずがない。
 残り二人の仲間の身が、急に心配になる。

「おやおや、求婚の最中に他の男を気にされるとはね。
 まあ、ぼくも返事は急ぐ気はないけれど」

 くすくすと笑い、レオナはあっさりとガウンの裾を手放し、立ち上がってから気取った仕草でポップに手を差し伸べた。

「彼なら、今ごろはあそこにいるんんじゃないかな。ほら」

 ポップの手を引いてバスルームを抜け出して窓際へと誘ったレオーネは、軽く中庭を指差す。何気なくそちらに目をやったポップは――かっくんと顎を外してしまいそうなぐらい大きく口を開けた!

「ま……ぁむ?」

 そこにいたのは、赤毛の武闘家だった。
 ふさふさと揺れる、淡い赤毛。
 めったにお目にかかれないあの色は、紛れもなくマァムのものだ。だが、その髪は以前のように武闘家特有の形にまとめられてもいなければ、自然に肩に流されてもいない。

 やや短め切られた髪は、さながらライオンのたてがみのように靡いていた。
 顔立ちそのものに大きな変化はないのだが、おかしなものでその髪形のせいで凛々しさが増しているように見える。

 レオーネが貴族的な気品を備えたハンサムなのに比べ、マァムはワイルドな魅力の方は強い。
 もし、ここにアバンやマトリフがいたのなら、彼女の父親であるロカの面影をはっきりと見いだしただろう。

 男性用の武闘着を着た体付きも、どうみても女性のものではない。
 なにしろ、上はタンクトップしか着ていないのである。平坦な、だが筋肉をたっぷりとまとった身体の胸元が丸出しだった。

 少女だった時には柔らかさや曲線が勝っていた肉体美は、今や理想的な筋肉美として躍動していた。

(あれって……おれより逞しくねえ?)

 なにやらそれだけでも打ちのめされてしまうポップだったが、マァムは仲間達の視線に気付く様子もなく修行に打ち込んでいる真っ最中だった。
 中庭の習練場で、丸太で作った人形型の的を相手に武闘家特有の構えを見せている。
 だが、体型だけでなく動きにも変化が現れていた。

「はぁっ!」

 気迫の籠もった声と共に放たれたマァムの蹴りは、たった一撃で人形だけでなくその下の地面にも大きな穴を穿つ。
 少女だった時も並外れていたが、男になってさらにパワーアップしたその怪力ぶりに、ポップはただ目を丸くするしかできない。

「わあ、マァムってば張り切っているねー」

 ダイが声を掛けると同時に、こちらを振り返ったマァムはパッと顔を輝かせた。

「あ!」

 言うなり、マァムの身体が跳ねた。
 そのまま駆け寄ってきたマァムは、ヒラッと身を躍らせて窓から飛び込んでくる。1階だからできることとはいえ、あまりに見事な動きにポップは目を丸くするしかない。

「ポップ、目が覚めたんだね!? よかった、心配してたのよ!」

 暖かな笑顔に、親しげな口調。
 それは、ポップがよく知っているマァムのそのものだ。だが、惜しむらくはと言うべきか、声が違う。

 いかにも年相応の少女の甲高さだったマァムの声は、声変わり直後の濁声へと変化していた。
 しかも、その声で女言葉で喋っているのだから、なおダメージがでかい。

「ま、マァム、お、おまえ……っ」

 一体どこから突っ込めばいいのやら。
 ただ、立ちすくんでいるポップに比べ、レオーネはやはり大物だった。

「ダメだなぁ、マァムは。また女言葉になっているよ」

「あ、いっけない……じゃなくって、いけね、の方がいいのかな? うーん、男言葉ってどうもまだ、慣れないのよね……だぜ? あーん、難しいわ、レオはよくそんなにすぐに上手く喋れるわねぇ」

 タオルで汗を拭うしぐさの男っぽさとは裏腹に、女言葉の抜けきっていない半端な言葉遣いは強烈だった。

 大切に、大切に抱え込んでいたガラス細工の宝物が、ガラガラと崩れ去っていくような崩壊感に思わず泣きべそをかきたくなるポップをよそに、レオーネとマァムは楽しげに笑っている。

「TPOに合わせた会話を徹底的に学ぶのは、帝王学の初歩だからね。
 よければマァムにも伝授しようか?」

「ううん、別にいいわ。私はそういうのってどうも苦手だし、あまり慣れて無いから。
 身体を動かす方が、性に合っているし」

「そうだね、マァムってもうその身体に慣れたみたいだしね。動きが昨日よりももっと早くなっているよ!」

 ダイの褒め言葉とも思えない褒め言葉に、マァムは嬉しそうに笑う。

「ええ、男の腕力や体力って凄いのね! いきなりパワーアップできちゃったもの、嘘みたい! 
 これでもう、村も男手に困らないわ!」

 心底嬉しそうにそうはしゃいでいるマァムを前にして、ポップはただ震えるばかりだった。

(そ、そういう問題か!? これって、そういう問題なのか!? マァム……おまえ、女としても男としても、なんかものすごーーーーく間違ってるんじゃねえのか!?)

 ふるふると震える手で窓枠にしがみつき、なんとかいろいろと堪えているポップだったが、ノックとともに控え目な声がかけられた。

「……失礼。ポップが起きたと聞いたので」

 ややハスキーで硬質な印象の声は聞き覚えがないものだったが、自分の名前が入っていたせいでポップはドアに目を向ける。
 淑やかにドアを開けて身体を滑り込ませたのは、長身の女性だった。

(うわっ、美人っ!)

 途端に、目が奪われるのは男の性か。――いや、肉体的にはポップも今は女性なのだが、精神的には少年のままの彼の目はその美女に注がれてしまう。

 すらりとした長身の、巨乳美女だった。
 身体のラインをぴったりとあらわにする風変わりなドレスを着たその女性は、20才を幾つかすぎたところだろうか。目鼻立ちも整っていてたいした美形だが、男として真っ先に目を引かれるのはその豊満な胸だろう。

 マァム以上のサイズのその胸は、爆乳とよぶに相応しい。
 その胸のおかげで、女性にしては高すぎるほど高い背や、ごく短くカットされた髪などの難点もごまかされてしまう。

 だが、それでいて色気過剰に見えないのは、彼女のもつ生真面目な雰囲気のせいだろうか。
 どこか薄幸そうなその雰囲気が、色気以上に楚々とした魅力を彼女に与えている。

 ひどくセクシーな体付きとは裏腹に、まるで本人の意思とは無縁に生け贄に捧げられた乙女であるかのような表情の差がギャップとなり、不思議な魅力を醸し出していた。
 短く切られているのが惜しいと思える髪はほとんど白に近い銀色で、切れ長のその目は風変わりな紫色で――。

(え?)

 その色の組み合わせを見て、初めてポップの心臓がどくんと跳ねる。不吉な予感に喉が奇妙に渇くのを感じて唾を飲み込もうとしたが、からからの喉ではそれさえできなかった。

「……」

 だが、ポップに変わるようなタイミングで生唾を飲み込んだのは、エイミだった。強張った表情で美女を見つめる彼女の顔色は、青ざめている。
 しかし、巨乳美女はエイミのそんな素振りに気が付いていないのか、ポップの側に近寄ってきて控え目に声を掛けてきた。

「……どうやら無事なようだな」

 見た目や声音の女性らしさを裏切る、素っ気なくもぶっきらぼうな一言。それを聞いた途端、ポップは確信した。

「ヒュ……ヒュンケルぅう!? な、なんだっておまえ、そんな格好っ!?」

 兄弟子の変わり果てた姿に、ポップはもう少しで腰が抜けるところだったが、驚くにはまだ早かった。

「ああ、その格好は側室用のドレスだよ。
 彼女はぼくの側室になると誓ってくれたんだ」

 あっさりと言ってのけるレオーネに、ポップは本日何度目になるか数える気もなくした絶叫を上げる。

「そ、側室ぅうっ!? お、おいっ、あんた何人、嫁さんもらう気なんだよっ!?」

 ポップの感覚からすれば、ダイと自分の二人をまとめて嫁にするという感覚からして信じられないのだが、王族というものは庶民とはその辺が違うらしい。

「あれ、妬いてくれているのかい、嬉しいね」

「違げーよっ! 断じて妬いてるとかじゃねーよっ!」

 即座に、ポップはそれだけは否定する。
 実際、レオーネが何人嫁をもらおうともそれに関して焼き餅を妬く気などポップには毛頭ない。

 まあ、ナンパ成功率の高い男子に対するやっかみじみた感情を抱いていないとは言い切れないが、それでもこれは焼き餅ではないと自信を持って言い切れる。
 どこまでも男前なレオーネにポップは必死に訴えたが、その必死さが彼に通じたとはいいがたかった。

 むしろ、そのムキになる態度こそが焼き餅の証明とでも思ったのか。可愛い子猫のじゃれつきをあやす余裕の表情で、レオーネはポップに語りかける。

「心配はいらないよ、ポップ。
 君とダイを大切にすると言った言葉に、嘘偽りはないさ。その証拠に、ヒュンケルにはヒューリーという名を与え、第三王妃ではなく側室にする。これなら、国民らも納得するだろうしね」

「……っ」

 一瞬、ポップが詰まってしまったのはその的確さを認めてしまったせいだ。
 確かに政治的な判断としては、それは納得のいく対処とは言える。
 ここのところ、ずっと結婚問題についての資料を集めていたポップは、不本意ながら王妃と側室の差も熟知している。

 王に気に入られて身近に召される女性という意味では同じでも、王妃と側室では大きな差がある。

 それは、王妃には政治的権利が与えられるが、側室にはそれが全くないという点だ。子供をもうけたとしても、王妃の子と違って側室の子の王位継承権は認められない。
 つまり、身分も低く、王位を脅かす危険の無い存在と言うことだ。

 王女が敗戦国の将軍を引き抜いて厚遇すれば、それをやっかむ者や不満に思う者は多いだろう。
 しかし……王が、敗戦国の女将軍を自分の側室にするのだとすれば、反応は違ってくる。

 なぜか男という者は、女性が嫁いだ男性に対しては従順になるという幻想を抱くものである。

 現実問題として、王族庶民を問わずにそんなことはほとんど奇跡的な確率なのであるが、そんな現実よりも女性を支配下に納めたという安心感が強いというのは否定できまい。

 そのため、戦後処理として敵国の王女を嫁とするのはごく有り触れた手段の一つだ。
 それだけに受け入れる側には屈辱的というか、少なからぬ敗北感があるはずだが、ヒュンケルならぬヒューリーはすでに自分の運命を受け入れている様子だった。

「――御意のままに。一度はパプニカを滅ぼした贖罪となるなら、この身がどうなろうと構わない。
 この身も心も、あなたの望みのままに捧げるつもりだ」

 目を伏せて淡々とそう告げる巨乳美女の言葉に、ポップは思わずにはいられない。

(いやっ、それ、ヤバいから! 男女で意味が全然違って聞こえるしっ!?)

 なにやらものすごく危ない予感に冷や汗をかくポップをよそに、レオーネは至って上機嫌に言った。

「ねえ、ポップ。
 ぼくは思うんだけど、この際だからヒューリーだけじゃなく魔王軍出身の者達にも全員モシャトルソをかけるのはどうだろう? 魔族や怪物を部下として即座に受け入れるのは難しくても、側室としてなら国民も納得しやすいだろうし」

 衝撃に継ぐ衝撃の連続の日とはいえ、このショックは他の何よりも大きかった。

 まあ、確かに異種族間の交流や絆を強めるために、結婚を増やすのはごく当たり前の手段ではあるのだが。
 王が自ら、他国や他種族の女性との婚姻を結べば、国民らもそれを受け入れやすくなるという理屈も、理解できる。

 が……メンバーがメンバーである。
 クロコダインやらラーハルトやらヒム、もしかするとチウなども性別逆転して、ヒュンケルと一緒に一挙に側室に。
 しかも、王妃は自分であり、ダイもそこに並ぶのである。

(ははは、おれ、もーだめ……)

 とんでもないハーレム風景が脳裏を過ぎり、ポップの残り少なかった精神力は完全に刈り取られてしまった。

「わ、ポップ!? ポップ、どうしたの、しっかりして――っ!?」

 慌てたようなダイの声を聞いたのを最後に、ポップの意識が遠ざかっていった――。






「……ップ、ポップ!! しっかりしてよ、大丈夫!?」


 何度も心配そうに自分を呼ぶ声が、ポップの意識を呼び起こす。やけに重い身体と意識にうめきながら、ポップはゆっくりと目を開けた。

「あ、起きた?」

 思いがけないぐらいすぐ目の前で自分を覗き込んでいるのは、レオーネとダイ――。

「う、うわぁあああっ!?」

 思わず悲鳴を上げて飛び退いたポップに、二人は呆気に取られた表情を見せる。が、片方はすぐに正気に返った。

「もう、なによ、ポップ君ったらっ! 人の顔を見て、化け物にでも会ったみたいに怯えないでよ、失礼しちゃうわ!」

 長い栗毛を靡かせてご立腹するパプニカ王女……その姿を、ポップは何度となく見返して、瞬きする。

「え……あ……レ、レオ……いや、姫、さん?」

「そうよ、他の誰に見えるのよ?」

 呆れたようにそう言いながらも、取りあえず腹立ちを納めたのか近寄ってきたレオナはそのほっそりとした手をポップの額に当てる。
 白く、細い指は明らかに少女のものだった。

「……熱はなさそうだけど。でも、ひどく顔色が悪いわね、気分でも悪いの?」

「ポップ、大丈夫? 机なんかで寝ちゃ、体に悪いよ」

 心配そうに覗き込んでくるダイは、少女では無かった。どう見ても元気一杯の、いかにも少年らしい少年のままだ。

「机……?」

 改めて、ポップは自分の居場所を確認する。
 ここはパプニカ城の客室の一室であり、ポップの自室として貸し与えられた部屋なのは間違いがない。

 そして、ポップは机に座ったままだったし、着ているのだって寝間着ではない。いつもの服だ。

「いやね、もしかしてあの後ずっと仕事を続けていたの? 無理しないでねって言ったじゃない」

「い、いや、ずっとってわけじゃ……じゃあ、おれ、机で寝てた、のか?」

 言われてみれば、やけに身体の節々が痛むし、妙に寒気がする。この季節にベッドで横にならずに机で一晩寝てしまったのなら、何の不思議もない――と、ポップ的にはすんなり納得できたのだが、ダイは憤慨したように文句を言い出した。

「机で寝てたのかって、ポップ、ダメじゃないか、ちゃんとベッドで寝なきゃ! すっかり身体だって冷えちゃってたし、顔色だってすごく悪いし、うなされていたし、おれ、すごく心配したんだよ!」

「全くよ、無理をしろなんて誰も言ってないじゃないの。だいたい君は、普段は怠け者の癖に一度何かを始めると根を詰め過ぎるのよ。
 ペース配分に気をつけて、体調管理をしっかりとするのも大切なのよ?」

 こんな時ばかりは意見がぴったりと一致して責め立ててくる二人に対して、いつものポップなら笑ってごまかすなり、あるいは言い返すなりと、それなりの反応を見せただろう。

 だが、今日ばかりはそれどころじゃない。ついさっき見たばかりの悪夢で、胸がどきどきしていまだに動悸が静まらない。

(ゆ、夢、だったんだよな、あれ? 夢、でいいんだよな?)

 あまりにもリアルで、現実を超える程に現実的だった悪夢に震えているポップを見て、ダイは心配になったらしい。

「……? ポップ、なんか様子が変だけど、本当に大丈夫? 調子が悪いんだったら、無理しちゃダメだよ」

 そう言いながら、見た目以上の力でしっかりとポップを抱きかかえて立ち上がったのは、ダイだった。

 小柄ながらがっちりとした体格のダイは、ポップ以上に力が強い。以前に比べればずっと男らしさが目立ち始めた身体は、子供っぽさの中にゴツゴツとした堅さが混じり始めている。

 間違ってもぽよんぽよん感などないダイの胸に持たれかかって一瞬安堵を感じたポップだが、ハッとしてもがいた。

「え? ポップ、ちょっと、暴れないでくれよっ!?」

 ダイが騒ぐが、それどころではない。
 身をよじったせいで床に落下したのも構わず、ポップは即座に跳ね起きてバスルームに飛び込んだ。

(まさか、まさか――まさかとは思うけどっ!)

 さっき以上に嫌な感じで心臓がどきどきするが、ポップは敢えて胸を押さえないようにして鏡の前に立つ。
 一応、自分の服装から見て問題はないとは思っていても、まだ恐怖がこびりついている。

 確かめるよりも先に目を瞑りたいという衝動が沸くが、勇気を振り絞って鏡を見ると――そこに写るは、見慣れた自分の姿だった。

「…………よ、よかったー……」

 一気に緊張が抜け、ポップはバスルームの床にへたりこんだ。
 心の底から安堵し、無意識に押さえた胸はぺったんこだ。いつもなら自分の薄い上に頼りない胸板は好きではないが、今ばかりは喝采をあげたいぐらいその手応えに安堵する。

 が、密かに喜びまくるポップの内心など知らないダイとレオナは、彼の行動を理解できるはずもない。
 ますます心配そうな表情になるばかりだ。

「ポップー? いったい、どうしちゃったんだよー?」

「ポップ君……あたしの頼んだ仕事は、別に急ぐ話でもないんだしゆっくりでも構わないのよ? だいたい、最初から実現は難しいかもって思っている話なんだし。
 あまり無理をせず、少し休んだ方が――」

「いいや!」

 気遣うレオナの言葉を決然と遮って、ポップはすっくと立ち上がる。
 もし、レオナのその言葉を昨日聞いたのであれば、ポップはこれ幸いとばかりにのんびりモードの作業に移行しただろう。

 なにしろポップ自身がやりたいと思ったわけではなく、レオナから押しつけられたからこそしぶしぶ行っていた仕事だったのだから。

 優秀な頭脳を持っていながらも、ぎりぎりまで追い詰められないと本気にならないという、修行時代から変わらない癖を持つポップは乗り気でないことはなかなかやろうとはしない。

 だが、今やかつてないほどの切迫感と危機感が、ポップの精神に火をつけた。
 大魔王に立ち向かった時もかくやと思わせる気迫をもって、ポップは机に戻った。

 その際、ポップは机の上に魔法書がないかどうかをちらっと確かめる。思った通り、机の上にあるのは法律の古文書ばかりで魔法書など一冊もなかったが、だからといって一度火のついたポップのやる気を減じる理由にはならなかった。

 万が一にも。
 そう、万が一にもあの恐ろしい世界を再現させるような要素など、あってはならない。

 レオーネ王子の野望――それを防ぐためになら、ポップはなんでもするつもりだった。
 幻の王は、幻のままで終わらせなければならない。
 まかり間違っても、あんな地獄のハーレムなど認めるわけにはいかないのである。

「休んでいる暇なんか、ねえって。これからは本気でいくぜ……! のんびりなんかしていられるもんかよ」

 たとえ魔王を倒した勇者や、世界を救った勇猛果敢な姫であっても、本気になったポップを止められるはずもない。
 いままでののろのろとした作業ぶりが嘘のような勢いで、ポップは猛烈なスピードで作業を再開した――。






 かくして、この日を境にパプニカ王女レオナとアルキード王国の遺児と噂される勇者ダイの婚約話はとんとん拍子に進むことになる。
 その裏には二代目大魔道士ポップの獅子奮迅の活躍があったとされているが、彼が二人の婚約のためになぜそこまで尽力したかを知っている者は、誰もいなかった――。
         

                                     END



《後書き》

 500000hit 記念企画、『アバンの使徒5人の性転換ネタ』(健全、ギャグ)でした♪
 これは以前書いたアナザーワールドの『白い結婚』の直前の話というか、同じ世界観のお話だったりします。

 つまり、ダイが魔界にいかずに一年後に地上に帰ってきて、ポップもダイ捜索ためにの無茶をせず、パプニカ城に勤めていないという設定……そのせいで、ポップの自室は魔界ルートでお馴染みの幽閉室ではなく1階の客間になってます♪
 いや、別にお話にはそれほど関係のない細かい部分なのですが。

 しかし、自分で書いてて思いましたが…レオーネ王子が誕生した方が、いっそ世界統一が進むような気がします(笑)

 内容が内容なだけに夢落ちネタにしちゃいましたが、これをマジもので続けたらもれなく地下室向きな話になりそうで怖かったですよ〜。
 でも、リクエストは健全ギャグなのでここでめでたくお話は終了です♪

 

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