『ときめきの白い日 1』 |
その日は、特別だった。 女の子がチョコレートを送って、意中の男の子に愛を告げる日がバレンタイン・デーならば、ホワイト・デーはそのお返しをする日だ。 異性が気になって仕方がないお年頃の男女にとっては無視できない重大な日であり、恋人を作る、あるいは恋人ともっと親密な関係になる絶好のチャンス。
(今度こそ……今度こそ、決めてやる!) 不退転の決意をもって、ジャックは固く心に誓う。――いや、三ヵ月ほど前にも全く同じ決意を持って大失敗したりもしたのだが、それはとりあえず心の片隅へと追いやることにしておく。 その手に握られているのは、若い男性には全然似つかわしくない小洒落た指輪ケースだ。すでに三ヵ月以上大切に持っているその指輪ケースの中には、彼の給料三ヵ月分に匹敵するお値段の指輪が入っている。
本来なら、ジャックはもっと早くプロポーズをするつもりだった。 城では新年を期に色々な行事が行われるため、それにいちいち駆り出される近衛兵士は死ぬほど忙しい時期だ。 それにちょうど一段落がついたのがつい最近であり、折りよくホワイト・デーにジャックの意中の人であるレナが、パプニカに来るのだ。それを思うと、運命的なものすら感じて有頂天に舞い上がりたくもなる。
「レナ、この前はありがとう」 まず、まっさきにそう言いたい。 それはそう大きいものではなく、むしろすごく小さい物だったが、別に構わない。
レナの手をとって、ジャックはそっと指輪を差し出す。普段の日と違い、今日はホワイト・デーだ。今日と言う日にそうしたのなら、その意味をレナはすぐに悟ってくれるだろう。 「レナ。これ、受け取ってくれるかい?」 その時、彼女はどんな顔をするだろうか。恥ずかしくて赤くなるだろうか。それとも、嬉しそうなとびっきりの笑顔を見せてくれるだろうか。
己の脳内に浮かんだラブストーリーに興奮するジャックは、城の中は結構人がごった返していてなかなか二人っきりになれる場所なんてないだとか、そもそも綺麗で見栄えのする場所は下っ端兵士では近寄るのも難しいなんてことも忘れている。 (ああ、レオナ王女、ありがとうございますっ、あなたにはどんなに感謝してもしきれません……っ!) 神に祈りを捧げるよりも熱心に、ジャックはレオナへの感謝の祈りを捧げずにはいられない。 クリスマスに孤児院を訪れたレオナは、その際、抜かりなく視察も同時に行ったらしい。その結果、レオナはあの建物はそろそろ立て替え、もしくは補強が必要だと見抜いた。 世間には孤児院は無数にあるのだし、その中にはそろそろ修理を必要とする建物も数多い。個人的に知っている孤児院を優遇するようでは、王女としての公平さを疑われてしまう。 しかし、密かに根回しを張り巡らせ、合法的な手段で最速で助成金を受けられるように、レオナは密かに手を回してくれた。 申請手続きのために孤児院の関係者がパプニカを訪れる気はないかと、後で三賢者を通じて告げられた時はジャックは夢かと思ったものだ。 だが、問題なのは手続きのために移動する人材である。 本来なら責任者である神父がくるのが妥当だろうが、老齢の彼には長旅はきつい。そこで、子供達のうちで最年長の者……即ち、レナがパプニカまで来る運びになったのである。 辺境の孤児院と王城は、かなりの距離がある。馬車を使ったとしても片道に3、4日はかかるだろう。 たかが一週間とは言え女の子の一人旅など危なすぎるが、幸いにも孤児院を巣だった先輩達がいろいろと力を貸してくれることになった。 レナが留守にしている間は、先輩の中で手が空いている者が交替で孤児院に泊まり込み、子供たちの面倒を見る手筈もついている。 (レナ、喜んでくれているかな) 今ごろは馬車でこちらに向かっているであろう少女を思い浮かべながら、ジャックはせっせと髪を梳かしつける。なんと言っても今日、意中の女性にプロポーズする予定なのである。 できれば、立派な格好をしておきたいではないか。 これは本来、近衛兵が他国へ旅行へ行く時やパーティなど、武装を解いた状態で公式行事に参加する時に着る服であり、経験の浅いジャックは今までせいぜい1、2回ぐらいしか着たことはない。 非番の日に着るのに相応しい服とはいいがたいのだが、ジャックの持っている中では一番高価で立派な服なのである。 この服を着て町中で騒ぎを起こしたりすれば問題だが、城の中で少しぐらい散歩する程度なら問題はないはずだ。 女性には仕事中の自分の格好のよさをアピールし、なおかつ同僚には自分はこの女性にたいして本気だと密かにアピールできる、一石二鳥の勝負服なのである。 (よ、よぉしっ! これで準備は万全だっ) 肝心要の指輪の入ったケースは、目立つようにと窓際の机の真ん中に鎮座している。普段は大事に大事に机の引き出しの奥に隠してあるのだが、今日ばかりはいざと言う時に持って行くのを忘れては困ると思い、目立つところに置いたのだ。 独身の男の悲しさで散らかり放題だった部屋は、昨日、徹夜して掃除し、綺麗な部屋とまでは言えなくとも、なんとか人並みの部屋にまでは落ち着いた。 門番の当番兵士には、今日、孤児院の陳情に来る女の子の特徴や、自分の知り合いだとすでに伝えてある。 つまり、後はレナが来るまで呑気に待っていればいいだけの話なのだが ジャックはどうにも落ち着かなかった。 普段の休日などは、ジャックは日頃の疲れを解消するとばかりに思いっきり朝寝坊をするのだが、今日ばかりはそんな気分にはなれない。 (そうだ、気晴らしに散歩でもしよう!) どうせ、じっと待っていても少しも落ち着ける訳がないのだ。ならば散歩でもしていた方が気が紛れるし、レナにプロポーズするのに相応しい場所の下見をしておくのも悪くはない。
だが、高価な薬草も多数植えられているため、温室に入れるのは許可を得たごく一部の人間だけであり、ジャックのような一般兵士には無縁の場所だ。 元々この庭園は先代の王妃、つまりレオナ王女の亡き母に当たる女性のために、国王が特別に作らせた庭園だと聞いている。 王妃やレオナがことさら愛する薔薇の花が多く植えられた庭園は、常にきちんと手入れをされ、季節を問わず花が咲いている。 そして、場所を選べばガラス張りの温室の中の、華の楽園を垣間見ることができる。 ずっと昔に食料難対策に花壇を潰して畑に換えた時には、ずいぶん残念がったのを覚えている。 それを知っていただけにできればレナの花壇はそのまま残してやりたかったが、悲しいことにそれだけの余裕もなかった。 邪魔な石や木の根を取り除き、土を掘り返して肥料を混ぜ、収穫可能な畑にと作り替えるにはそれなりの時間と費用が必要だ。 それでも、レナの気持ちを慮って花壇を潰すのに難色を示していたジャックや神父を説得したのは、他ならぬレナ本人だった。 その辺に咲いている野の花とは比べ物にならないほどに美しく、整った花々の多さに驚く顔を見てみたい。 (ここでプロポーズもいいかもなぁ) うっとりとそんな想像に浸っていたジャックだったが、温室の中からその優雅さに似つかわしくない声が響いてきた。 「わーっ、何してんだよっ、ダイッ?! その辺の物、食べるなよーっ?!」 「え、ダメなの? だって、これ、食べれる実だよ」 「そーゆー問題じゃねえんだよっ! いいか、ここのものを勝手に食べたりしたら姫さんに怒られるぞっ!! それ、どんだけ貴重な植物だが知ってるのか?!」 「きちょう、なの? これ、デルムリン島ではいっぱい生えてるんだけどな」 「あのね、ダイ君、南の島とこのパプニカを一緒にしないでちょうだい。ここでは温室で入念に手入れをしないと、その植物は育たないんだから!」 やたらとけたたましい少年少女の騒ぎ声が聞こえてきては、優雅さやら華やかさがいろいろと台無しである。 なぜなら、よりによって温室の中ではしゃいでいる三人の少年少女は、この国で……いや、世界的な意味でも最も貴く、得がたい人々なのだから。 見事に大魔王バーンを倒し世界を救った勇者ダイに、その片腕と言われる大魔道士ポップ。 年若いとはいえこの国のトップスリーとも言うべき彼らが、城内をどこでも自由に出入りできるのはもちろんだ。たとえ貴重極まりない温室ではしゃいでいたとしても、誰も文句など言えるわけがない。 (……み、見なかったことにしよう) ここは関わらない方がいいだろう それは、ジャックの直感だった。 特にポップとは以前偶然とはいえ彼の命を救った形になったせいか、プライベートでは割と親しくさせてもらってはいる。 ジャックにしてみれば、まさに今がその時だ。 あの、クリスマスのプロポーズを決意した日。 意外とお祭り好きで他人の恋愛話には興味津々なレオナや、陽気でその場を明るくするのには向いていてもロマンチックなムードを台無しにしてくれるポップのせいで、せっかくのプロポーズはグダグダの失敗に終わってしまった。 彼らにバレない様、こっそりとこの場から逃げ出してしまおう そう決心し、泥棒の様にこそこそとジャックはその場から逃げ出しにかかる。 気がついてほしくないと心から願ったジャックの心を読み取ったのかようなタイミングでこちらを見たダイと、ぴたりと目が合う。 何やら嫌な予感に顔を引きつらせているジャックに対して、ダイはいつもの様に明るい笑顔で親しげに声をかけてきた。 「あ、ジャックさんだ。おーい、そんなとこで何をやっているの?」 ガラス越しでもよく通るその声に反応して、レオナやポップまでもがジャックを振り向く。 (うわ、なんか面倒なことになりそうな気が……っ) 失礼ながらもそう思ってしまったジャックの背筋が、不吉な予感にぞくりと震えた――。 《続く》
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