『ときめきの白い日 2』 |
「あ、ホントだ、ジャックじゃないか。どうしたんだよ、こんな所で。今日、非番だったんじゃねえの?」 ジャックの顔を見るなり、思いがけない所で友人に会った気安さで、ポップが話しかけてくる。相手が大魔道士様かと思うと、いつもならば身に余る扱いだと申し訳ないなと思いつつ、誇らしいような嬉しさも感じるのだが今はそれどころではなかった。 (あぁあああっ、どうしてこの人はこう、無駄に記憶力がいいんだよっ!?) 世界でも指折りの魔法使いであり、天才の呼び名も高いポップはその叡智も並ではないと噂が高い。 ポップの自室には、常人には読むことすら出来ない様な難しい本が本棚にびっしりと並べられている。それが単なる飾りではなく、しょっちゅう目を通しているのは近衛兵ならば実際に目撃しているものだ。単に知識が優れているだけでなく、ポップは他人から聞いた些細なことさえきっちりと記憶する頭脳を持っている。 身分の高い人間などは使用人や兵士の顔などろくに覚えようともせず、まるで道具のように扱う者も少なくはないと聞くが、ポップはそんなお高いところなどまるでない。 それは下に仕える者にとっては得難い資質であり、長所だと思っていたが、こんな時にはとことん困る。 「え、ええと、それはそのぉ〜」 何か、いい言い訳はないものかと普段はあまりつかわない頭を働かせるジャックに対して、レオナがキラリと瞳を輝かせる。 「女、ね」 ギョッとするほど鋭い一言が、麗しの姫君から告げられる。 「今日は別に式典がある日でも何でもないし、しかも非番だというのに式服を着込むなんて、普通の兵士ならやらないわ。しかも、今日はホワイト・デー! となると、真っ先に考えられる可能性はデートのためのおしゃれね。 胸を張って得意げにそう言ってのけるレオナの完璧な推理に対して、ジャックはただ、ただ、頭を下げるしかなかった。 (さすがです、姫様……! さすがすぎます!) 先王存命の頃から、とても未成年の女の子とは思えないほど聡明だと絶賛され、他国にまでその知的さが知られ渡っているパプニカ王女の推理は無意味なまでに鋭かった。 ――が、個人的には今だけは気がつかないか、あるいは気がついても知らん顔をしてほしかったと心から思いはしたのだが。 「ふっふっふ、当たりでしょ? で、相手は誰なの? あ、誤解しないでね、興味本位で聞いているわけではないのよ、上としてはやっぱり部下の恋愛事情も把握しておかないとね〜」 言っていることだけはもっともらしいものの、その顔ははち切れそうになっている好奇心に満たされている。 (…………説得力皆無です、姫様) どう見ても好奇心から他人の恋バナに首を突っ込みたがっている王女の隣で、大魔道士が思い出したとばかりにひょいと口を出す。 「なんだ、おまえ、彼女いたのかよー、ちぇっ、このリア充め。……って、もしかして、あの孤児院にいたあの娘? そういや、最初に会った時から仲がいいと思ってはいたんだよなー」 (…………そう気付いていたのなら、クリスマスの時も遠慮してほしかったですよ、大魔道士様……!) ポップはポップで、勘はいいくせに妙な所で鈍感ときている。 「ポップ君、お相手を知っているの!? ね、どんな娘? いくつか知っている? 脈はありそう?」 「どんな娘って、姫さんだってクリスマスの時に顔を合わせてただろ? ほら、孤児院にいたシスター見習いの娘だよ。 「あ、その娘なら覚えているわ。まだ若いのに感心ねって思ったもの。ああ、そう言えば孤児院からの申請書の署名は女性名だったような気がするわ」 「そういえばそうだったっけ。えっと……ああ、レナだ。そうそう、そう言えば申請に来るのなら署名した本人が来る決まりだったよな」 「あら、それは好都合よねっ」 記憶力と観察力に優れた大魔道士と、好奇心と実行力に満ち溢れたお姫様。この二人が組むと、今まで兵士仲間にも隠しておいたはずの密かな恋愛も形無しである。 内心はらはらしているジャックの心配をよそに、二人の間でやけに盛り上がって会話が弾んでいる。 などと、つい、思いっきり不遜なことをぼーっと考えつつぽつんと取り残されたジャックに、同じく話題に乗り遅れているダイが話しかけてきた。 「えーと、よく分からないけど、ジャックもその女の子からチョコをもらったの? なら、お花とか採ってこようか?」 天然勇者様の無邪気な申し出に、やっと正気に返ったジャックは血相を変えて止めた。 「わーっ、い、いいですっ、いいですってば、勇者様っ!?」 「でも、今日は『ほわいとでー』とか言う日で、『ばれんたいんでー』の時にチョコをくれた女の子に『三十倍返し』のお返しをする日だってポップとレオナが言ってたよ」 (あの……勇者様、それ、どっちから聞いたのか知りませんけど、それってとりあえず騙されています……) いかにもたどたどしくイベント名を口にするダイは、そのイベントについてはあまりよく知らない感が丸出しだった。 世間では英雄として褒めたたえられている勇者ダイが、意外と世間知らずで子供っぽいところがある少年なのは、パプニカ城に勤めている者にとっては常識だ。 「だから、おれもバナナをレオナにあげたんだ」 「な、なぜバナナなんですか?」 ホワイト・デーへのお返しにはあまりにも個性的過ぎる選択に、つい問い返したくなる。だが、ジャックはすぐにそれを後悔した。 「だっておいしいし、黄色いもん。デルムリン島で一番大きな木になっている、一番おっきなバナナなんだよ!」 元気いっぱいにそう答えるダイは自信満々だったが、ジャックには到底理解出来なかった。 (……すみませんがオレには分かりません、勇者様) 世間一般の基準で言えば、ホワイト・デーに本命の女の子にあげる物と言えばアクセサリーか、キャンディーやマシュマロなどのお菓子であり、バナナはそこに含まれないだろう。多分。 「でも、おれ、レオナの分はちゃんと用意したけど、他の人にもらった分のお返しを忘れちゃってたんだ。 ダイのバナナな発想はともかくとして、これでなぜ三人がそろって温室にいたのか謎は解けた。いや、そんな謎などには一片たりとも興味はなかったのだが。 「だから、ジャックもお花とか贈ったらいいと思うよ。女の子はバナナよりお花の方が好きなんだって、知っていた?」 ほとんど一般常識なことを、さも大発見であるかの様に教えてくれるダイが早くも温室に向かいかけたのを見て、ジャックは必死になって止めに掛かった。 「い、いえいえいえっ、とんでもないっ、そんな滅相もないことっ」 世界を救った英雄であり、パプニカ王女の未来の婚約者と目されていて、特別な客分として大切に遇されている勇者ならば、パプニカ王宮秘蔵の温室の花を自由にとるのも許されるだろう。 が、いくらなんでも下っ端兵士がそれと同じことをしていいはずがない。それにたとえ許されたとしても、下っ端兵士の給料の数倍以上はするであろう花などをプレゼントする度胸など彼にはなかった。 「本当にけっこうですっ、お返しのプレゼントならちゃんと用意してありますからっ!」 (あ、オレ、もしかして割と墓穴を掘った?) と、ジャックが感じた嫌な予感は大きくはずれてはいなかった――。 「んふっふふっ、やっぱりねー、女の子へのプレゼントには女の子の目が必要だと思うのよ! ほら、男の人ってどこか、ちょっと鈍感なところがあるじゃない? などと、やたらと浮き浮きとおしゃべりしつつ兵士の宿舎に向かう姫君の後を、ジャックはとぼとぼと付き従う。その表情は、日曜の朝に牛市場に連れて行かれる牛と同じく、澄み切った哀愁の色合いに帯びていた。 (…………いえ、遠慮も何も最初から頼んでさえおりませんけど、姫様) 心の中で思っている言葉を口にする勇気など、当然の様にジャックにはない。 まあ、ダイとポップの名誉のために言うのであれば、彼らは十分に健闘した。 好奇心に燃えあがったレオナを押しとどめられるのは、たとえ勇者とその魔法使いであっても不可能だった。 (……意味、ないと思うんですけどねー) 決して表に出さない様に気をつけて、ジャックはしみじみと溜め息をつく。 それに女の目線はともかくとして、王女目線での指輪の鑑定などほしくはない。宝石に不自由をしないお姫様の目には、ジャックの給料三ヵ月分の指輪など子供のおもちゃにも等しいみすぼらしさに見えるだろう。 それを思うと恥ずかしい上に気後れするのだが、完全にご機嫌のレオナはスキップでもしかねないばかりの足取りである。 王族の姫ともなれば宝石には詳しくても、庶民の婚約指輪がどの程度のものか実際に見る機会もないだろう。 ……まあ、近衛兵士になってからは、レオナの『視察』が息抜き半分のお遊びも含まれていると知ってしまったが、それでも彼女が庶民の生活を理解し、国民が幸せに暮らせる様に努力していることは確かだ。 パプニカ国民としては、自国の王がそこまで国民の生活に関心を持ってくれているのは喜ばしい。 「あのー、言っておきますけど、あまり片付いていませんから……」 それで気が変わってくれたらなと思ったジャックだったが、レオナは怯みさえしなかった。 「大丈夫よ、ポップ君やマトリフ師で慣れているから」 「あー、ひでえなあ、姫さん、それじゃおれの部屋が汚いみたいじゃないかよっ!? おれは師匠ほど散らかしちゃいないぜ!」 ポップはそう反論するが、警護の立場上彼の自室をしょっちゅう見る機会のあるジャックは敢えてコメントを避ける。 (……ま、彼の『研究』直後のあれよりはましだよな?) 普段からあまり整理整頓好きな方とは言えないポップだが、たまに研究と称して何かをする時は思いっきり部屋を散らかしまくる悪癖がある。 その惨状よりは、まだ、入念に掃除をした今のジャックの部屋の方が片付いていると言えるだろう。少し気楽になって部屋のドアを開けたジャックは――目を丸くした。 「え?」 大きく開かれた窓と、はたはたとはためいているカーテンが、真っ先に目に飛び込んでくる。 「え、なんで?」 慌てて、ジャックは指輪ケースに掛けよる。大切に机の中央に置いておいたはずだったのだが、なにかの弾みで落ちたのかもしれない。 「な、ない……っ」 「「ええっ!?」」 レオナ達からも驚いた様な声があがるが、ジャックの驚きはそれどころではない。慌ててケースだけでなくその辺の床も必死で目で追うが、確かに買ったはずの指輪はどこにもなかった。 もしや、その辺に転がってしまったのではないかと諦め悪く何度もその辺を見回すが、結果は同じだ。 「そ、そんなぁ……っ、こ、これじゃプロポーズ出来ない……っ」 ショックのあまり、思わずジャックはぽろりと本音をこぼしてしまう。 そして、ジャック本人には実に気の毒なことに、すぐ側にいたレオナやポップがその一言を聞き逃してくれたりしなかった。 「まぁ、そうだったの!! 今日、プロポーズするはずだったなんて、素敵じゃない♪ なかなか隅に置けないわね」 (はっ!? オレってば、またも失言しちまったとかっ!?) ハッと気がついた時は、もう遅かった。 「けどよ、その指輪がなくなるってのも変だよな。だってこの部屋、鍵がかかっていたんだぜ? おまけに、ここって三階だしさ」 ポップの指摘通り、ここはパプニカ城の奥だ。うろんな者が迂闊には言ってこられる場所ではないし、本来なら泥棒など発生しようがない場所である。 「となると――これは、事件ね! 婚約指輪の密室盗難事件!! レオナはやたらとはしゃいでいるが、 (ああ……どうしよう、嫌な予感しかしないよ〜っ) 空の指輪ケースを握り締めて蹲るジャックの気も知らず、レオナのやる気はヒートアップする一方だった。 「お祖父様の名にかけて! 犯人は必ず掴まえてみせるわ!!」 名探偵さながらに胸を張ってそう宣言する王女の声が、高らかに響き渡った――。
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