『言わない言葉 ー前編ー』

 

 自分の前を歩く、自分よりも小さな背中を見つめながらヒュンケルは黙々と歩いていた。 怪しい人影や怪物の姿などがいないかと周囲にも気を張っているのは間違いないが、なによりも一番に気をつけているのは距離を詰め過ぎないようにすることだ。

 きっちり、2メートル。
 ポップが許した接近距離を、ヒュンケルは呆れるぐらい律義に守っていた。だが、それはなかなかに難しい。

 まず、先を歩くポップは、ヒュンケルよりもずっと足が遅い。うっかりすると追い抜きそうになってしまうようなポップの足取りに合わせ、わざとゆっくり歩くのは案外骨が折れる。
 ただでさえそうなのに、ポップは時々、何の前触れもなく足を止める癖がある。

 今も、そうだった。
 不意に止まったポップに、ヒュンケルは慌てて足を止めるどころか数歩後ずさる。うっかりと近付き過ぎたのが見つかれば、ポップが機嫌を悪くするのは目に見えているのだ、それはできれば避けたい。

 いつもはヒュンケルを見向きもしないくせに、そういう時に限ってポップは目敏く振り返っては近付き過ぎだと文句をつけるのが常なのだが、幸いにも今回は見つからなかったようだ。

 ポップはヒュンケルを振り向くどころか、その場にしゃがみ込んで草むらへと手を伸ばしている。
 どうやら、ポップは道端に生えている草に目を止めたらしい。

 しばし考えてから、ポップはその草の実を丁寧に摘み始める。
 採った実は、近くに広げたハンカチの上に乗せている。小さな豆粒ほどの大きさの赤い実が、白いハンカチの上ではやけに目立って見えた。

(薬草かなにかなのか?)

 ヒュンケルには見覚えのない草の実だったが、薬草に関する知識ならばポップの方が上回っている。
 そのポップが集めようとしているのなら、なんらかの意味のある草なのだろうと見当をつけ、ヒュンケルは最初は黙って見守ろうと思っていた。

 だが――。

「いてっ」

 と、ポップが声を上げるまでそう時間はかからなかった。
 ポップが摘もうとしている実は、どうやら刺のある草になっているようだ。常に手袋をしているポップだが、魔法防御を高めた手袋は実はひどく薄い。

 魔法への耐性と動き易さを優先しているため、手袋をしたままでも食事や雑事にも不自由しない代わりに、ごく薄くて物理的な防御力はないに等しいのである。
 おまけにポップはどうも、この手の作業にはあまり慣れていないらしい。痛そうに顔をしかめながらも摘み採り作業を再開した途端、二度目の悲鳴を上がる。

 この有様では、おちおち黙って見ている方が神経に堪える。
 ヒュンケルは軽く声をかけた。

「手伝おう」

 そう言ってから返事を待たず、ヒュンケルはポップが摘んでいるのと同じ実を集めにかかった。素手のままだが、小さな頃から薬草を自分で作る習慣があったヒュンケルは薬草摘みには意外と慣れている。

 丈夫な手のひらは多少の刺などものともしないし、刺をよけて摘む技術もポップよりも巧みだ。
 たちまちポップが集めた倍以上の数を集めることができたが、この手助けはポップのお気には召さなかったらしい。

「ちぇっ、おれ、別に手伝ってくれなんて頼んでねえのによ。礼なんか言わないからな!!」


 ぶつくさと文句を言いながらも、それでも気になるのかポップはちらちらとヒュンケルの方を見ている。
 それがいかにもポップらしいなと思い、ヒュンケルは笑いを噛み殺すのに苦労する。

 両親の躾がよかったのか、ポップは他人に対して挨拶や感謝をきちんと告げる習慣が身に付いているらしい。
 口調こそはいささか乱暴でも、どんな相手だろうとまたそれがほんの些細なことだろうと、きちんと感謝の意思を示す律義さはヒュンケルから見ると感心するぐらいだ。

 だが、その律義さは時としてポップ自身の首を締めてもいる様だ。
 ヒュンケルが何かした場合、ポップは気に食わないと腹を立てる気持ちと、それでも一応礼は言った方がいいと思う気持ちの板挟みになるらしい。
 難儀な性格だと思いながら、ヒュンケルは弟弟子に声をかける。

「ああ、オレが勝手にしているだけのことだ。礼はいらない」

 この程度のことは手伝いにさえなっていないと思うだけに、ヒュンケルは最初からポップからの感謝など期待もしていなかった。
 ましてやポップが感謝すべきかどうか葛藤してほしいなどと、思いもしない。

 だから別に悩まなくていいと伝えたくてそう言ったつもりだったが、なぜかポップのしかめっ面と眉間の皺は一層深くなる。
 いつものことだが、ヒュンケルの気遣いはまたもポップの気に触った様だ。
 ぷんと分かりやすく外方を向き、また不器用に赤い実摘みに戻ってしまう。

 その態度も、ヒュンケルは特に気にはしなかった。
 ポップが必要以上に自分を警戒し、睨みつけるのをヒュンケルは特に不快に思ったことはない。

 ポップには言ったことはないが、自分を睨んでいるポップを見ていると、決して懐かない子猫が人間を警戒して精一杯威嚇している姿を連想してしまう。
 噛まれてもちっとも痛くもない小さな牙や爪を誇示されても別に怖くも何ともないし、子猫の威嚇はむしろ微笑ましく、笑ってしまいたくなるほどだ。

 だが、子猫をむやみに興奮させ、疲れさせるのがいいことだとは思わない。子猫を刺激しないよう、そっとしておくのが一番だと思っている。

 か弱い子猫と同様に扱おうと思っているなどといえばポップは気を悪くするだろうが、ヒュンケルとしては似たような気分だ。
 だからこそヒュンケルは距離を置いたまま、黙って黙々と実を摘み続けた。

 

 

「おい、もうそれぐらいでいいぜ。あんまり摘み過ぎてもよくないしさ」

 しばらく経って、ポップにそう止められてからようやくヒュンケルは手を止めた。
 まだ赤い実はだいぶ残っているが、植物を採る時は決して全部を採らずに残しておく様にというのは、昔、アバンから習った教えの一つだ。

 そうすればまた、植物は自力で種を地に落として増え、別の誰かがいつか摘むことができるからと習った覚えがある。
 ポップも多分、同じ教えを受けたのだろう。その気になればもっと摘める量が残っているのに、惜しげもなく摘むのをやめて焚き火の準備を始める。

 まだ少し早いが、昼食にするつもりのようだ。
 別に逆らう気もなく、さりげなく枯れ枝を集めるなどの手伝いをしながら、ヒュンケルは軽く聞いてみた。

「これは何に使うんだ?」

「はあ? おまえ、知らないで摘んでたのかよ?」

 と、少し呆れた様に言いながらも、ポップは案外素直に教えてくれる。

「この実は炒ってから煎じるとお茶になるんだよ。ちょっと甘酸っぱい独特の味がするけど、滋養強壮にとても効くんだってさ」

 アバン先生に習ったんだと言うポップは、やけに嬉しそうだった。
 同じ師についていたとは言え、料理の修行に関してはヒュンケルは一切拒絶し、聞く耳ももたなかったためほとんど知らない。

 だがポップはアバンに料理についても習ったらしく、その手際は確かだ。
 大きな葉っぱを探してその上に実を乗せ、こまめに揺すりながら丁寧に炒ると香ばしい匂いが漂いだす。

 一見簡単そうに見えるが、それはなかなかコツのいる作業だ。揺すり方が悪ければ実は葉っぱからこぼれ落ちてしまうし、火に近付け過ぎても葉っぱごと実も焦げてしまう。
 しかし、ポップは絶妙の火加減と揺すり方で一粒も実を焦がさないまま手際よく炒りあげる。

「これでいいや。後は、自然に冷めるまで少し放っておけばいい」

 作業を終えたポップは、また白いハンカチに実を並べて広げる。炒ったせいで鮮やかな赤い色は褐色に変化したが、その分乾燥した感じで持ち運びしやすそうだ。

 ポップはそのままお茶を入れるつもりらしく、愛用している紙で造った鍋を取り出して水筒の水を注ぐ。
 だが、あまり量がなかったのか、水は鍋の底に少し入った程度だ。

「あー、いっけね」

 ぽりぽりと頭を掻くポップの顔を見ただけで、ヒュンケルには何があったか見当がついた。

(また、水を汲むのを忘れたんだな)

 ポップは割と、そういうところがある。
 普通では及びもつかない程に見事な知恵や技術を発揮するくせに、ごく当たり前で基本的なことでぽっかりとミスをすることが度々あるのだ。

 今回のことだってそうだ。
 並の人間なら知りもしない木の実の見分けや活用方法も知っていながら、なぜ普通の旅人なら決して忘れないであろう水筒の準備を怠るのか、理解に苦しむ。

 しかし、以前それを聞いてポップの気を悪くさせた経験があるので、ヒュンケルは二度同じ質問をする愚は犯さなかった。
 代わりに、自分の水筒から水をたっぷりと紙鍋へと注ぎ込む。
 そして、ポップが何かを言うよりも早く、言った。

「取引だ。水を貸す。だから、その茶の味見をさせろ」

 その取引は、ヒュンケルの本心とは言えない。正直言えば、ヒュンケルは茶に拘る趣味など全くなく、別に飲めなくても気になどしない。
 食事など栄養の取れる必要最小限のものであればいいと思う主義のヒュンケルは、旅先では水と保存食さえあればいいと思っている。

 だが、あえて取引を持ちかけたのは、その方がポップが素直に受け入れやすいだろうと思ったからだ。

 ヒュンケルにしてみれば、ポップに少しばかり手助けをするのは自分の勝手なお節介であり、彼に見返りを要求する気などない。が、ポップは妙に貸し借りに拘り、ヒュンケルが何かする度にいちいちこれは借りにしておくだの、これで借りは返しただのと言ってくるのだ。

 ヒュンケルにはどうでもいいことなのだが、それでポップの気がすむのならと好きな様にやらせている。
 ポップの言う貸し借りには幾つかのパターンがあるが、その内でもっとも分かりやすいものが食事による返却だ。

 料理が得意なポップは野宿でもこまめに調理をしているが、それをヒュンケルに分けることで借りを返そうとすることは多い。
 ヒュンケルにしても、それは願ったり叶ったりの条件だ。

 ポップの料理は文句無しに保存食よりも美味いし、それを食べることでポップが素直にヒュンケルの手助けを受け入れてくれるなら一石二鳥というものだ。
 なにしろヒュンケルは、ポップがなんの報酬を差し出さなかったとしても彼に手助けするつもりでいる。

 ポップが嫌がっても助けるべきところは助けるつもりではいるが、出来れば本人が受け入れてくれた方がヒュンケルとしても気が楽だ。

「しゃあねえな、おめえがそんなに飲みたいなら、分けてやるよ」

 ちょっと膨れた顔をしながらも、ポップは自分から水筒を差し出してくる。ポップなりの取引承諾の意思を、ヒュンケルは軽く受け止める。

「すぐに戻ってくる」

 さっき通ってきた道沿いに、川があったことを思い出しながらヒュンケルはそう告げた。木々の茂みに遮られて川そのものは見てはいないが、聞こえた水音から言ってあったことは確実だし、そう遠くもないはずだ。
 空の水筒を二つぶら下げ、ヒュンケルは元来た道の方向へと歩きだした――。

 

 

(遅くなったな……)

 その思いからヒュンケルの足は自然、何かに追われているかのように急ぎ足になる。
 川は音を聞いた場所にあるにはあったが、思ったよりも険しい沢になっているのが不運だった。川辺に下りるのにちょうどいい場所を探すのに手間取ったせいで、ずいぶんと帰りが遅れた。

 そのせいで短気な弟弟子が、腹を立てているのではないかと気が気ではなかった。
 腹を立てるだけなら、別に構わない。言っては何だが、ポップがヒュンケルに対して腹を立てるのはいつものことである。

 だが、腹を立てたポップが先に行ってしまうという可能性を、ヒュンケルは恐れていた。 元々、ポップはヒュンケルがついてくるのにいい顔をしなかった。と言うよりも、はっきりいって反対しまくりだった。

 ヒュンケルが強引に後からついていくのを、ポップがしぶしぶ黙認する様になったのはそんなに前のことではない。

 最初の頃などは、ヒュンケルを撒こうとさえしていたものである。まあ、実際にはヒュンケルの方が足が早い上に気配を察知するのに長けているため、見通しのいい草原や街道で撒くのは無理があると悟って諦めたようだが。

 だが、ポップはひどく諦めの悪い性格だ。
 一見諦めた様に見えても、そのうちしぶとく試すのではないかとヒュンケルは密かに疑っていた。

 いつもならヒュンケルはポップから目を離さない様に注意しているのだが、今は思いがけずに時間が掛かってしまった。
 これをチャンスと感じ、ポップがこれ幸いとヒュンケルを置き去りにして先に行くのは、考えられないことではなかった。

 ただでさえ、ポップは先を急いでいる。
 どこに行くつもりかは決して言おうとしないが、ポップが目的を持って行動しているのは明らかだ。

 自分自身の身の安全や体調すら構わないで行動するポップにとって、彼を気遣ってついていくヒュンケルはさぞや邪魔な存在だろう。

 考えれば考える程、ポップが先に行ってしまったように思えて、ヒュンケルはほとんど走るような勢いで元いた場所へと戻る。ポップの所に戻るためにと言うよりは、ポップを探す起点を求めて。

 だが――意外にも、と言うべきか、ポップはそこにいた。
 さっきの焚き火の場所の近くにごろんと転がって、目を瞑っている。それを見て、思わずヒュンケルは足を緩めた。

 最初は、疲れがでて居眠りをしているのかと思った。だが、周囲を見回してそうではないことが分かった。

 火は、きちんと消してある。
 紙鍋も火から下ろしてあり、上に軽く葉っぱで蓋をかぶせてあるところを見ると、少なくとも火の番をしながらうっかり眠ってしまったわけではないのだろう。

 荷物の入った袋を枕に気持ちよさそうに寝息を立ているポップを、ヒュンケルは起こす気はなかった。
 むしろゆっくりと休ませてやりたいと思い、起こさないように最大限の注意を払ってポップの上にマントをかけてやる。

(……待っていてくれた……と、考えていいのだろうか)

 ふと、そんな自惚れじみた考えが頭をよぎり、苦笑してしまう。
 もし、ポップに向かってそう問い掛けたりした日には、それこそ怒髪天をつく勢いで怒りまくるだろう。

 いや、そもそもマントをかけれる程近付いたこの距離自体が、約束違反だと怒りかねない。
 ヒュンケルは黙って、2メートルの距離をあけて座った。

 その距離に、ヒュンケルはなんの不満もない。
 以前は5メートル以内に近寄るなと癇癪を起こしていたのだから、この距離でもずいぶんと近付けたように思える。

 なにより、ポップはヒュンケルを置き去りにしてはいかなかった――その事実が、嬉しかった。

(……そう言えば、前もそうだったな)

 ふと、少し前に行った町のことを思い出す。
 あの時もポップに撒かれたと思った。だが、ポップはヒュンケルを置き去りにするどころか、助けてくれた。

 傷ついた身体を魔法で癒してくれただけではなく、群衆に殺されかけていたはずのヒュンケルを救ってくれたのは彼だと、確信している。

 あの時、ポップがどうやって荒れ狂う人々を沈めたのか、気絶していたヒュンケルは知らない。
 聞いてはみたのだが、ポップは『話す程のこっちゃねえよ』と言って、答えてはくれなかった。

 そのせいでヒュンケルはいまだにあの時、ポップが何をしたのかは知らない。
 魔法を使って止めたのか、それとも別の方法で止めたのか、それさえ分からないままだ。 ポップほどの魔法力があれば、あの程度の人数を軽くいなせるのは承知している。

 だが、ヒュンケルはおそらくはそうではなかっただろうと思っている。思う、というよりはそれはすでに確信に近い。

 勇者と共に戦い続けてきたとは言え、ポップは元々戦いを好まない。敵にさえ助け手を差し出す様な少年だ、どんな強力な攻撃魔法が使えたとしても人間相手に使ったりはしないだろう。

 それにポップならば、他人の心を動かすのは難しくはないはずだ。
 一見平凡な様に見えて、ポップは不思議なほど人の心にやすやすと入り込んでしまう。あの人懐っこい態度に気を許してしまうと言うのか、敵とでさえ元からの味方の様に馴染んでしまう気安さが彼の持ち味だ。

 それにポップの言葉には、力がある。あの魔王軍との戦いの最中にも、彼の言葉に大きく心を揺さぶられた者は敵味方問わず多くいた。
 心を偽らない、飾らないポップの言葉に救われた者は少なくない。ヒュンケルとて、その一人だ。

 ポップ本人には言ったことがないが、彼の言葉に救われたことは一度や二度ではない。魔王軍との戦いの最中も、そして、今の旅でも、だ。
 それだけにヒュンケルはただ、純粋に聞いてみたいと思う。ポップがあの町の人々に何を言い、それによって彼らがどう心を動かしたのかを――。

(……まあ、正面きって聞いたところで、決して教えてはくれないだろうがな)

 意地っ張りな弟弟子の答えを予測しつつ、ヒュンケルはそのまま静かにポップの眠りを見守る。
 その顔にはほんの僅かだが、微笑と呼んでも差し支えのない表情が浮かんでいた――。

                                    《続く》 

 

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