『言わない言葉 ー前編ー』 |
自分の前を歩く、自分よりも小さな背中を見つめながらヒュンケルは黙々と歩いていた。 怪しい人影や怪物の姿などがいないかと周囲にも気を張っているのは間違いないが、なによりも一番に気をつけているのは距離を詰め過ぎないようにすることだ。 きっちり、2メートル。 まず、先を歩くポップは、ヒュンケルよりもずっと足が遅い。うっかりすると追い抜きそうになってしまうようなポップの足取りに合わせ、わざとゆっくり歩くのは案外骨が折れる。 今も、そうだった。 いつもはヒュンケルを見向きもしないくせに、そういう時に限ってポップは目敏く振り返っては近付き過ぎだと文句をつけるのが常なのだが、幸いにも今回は見つからなかったようだ。 ポップはヒュンケルを振り向くどころか、その場にしゃがみ込んで草むらへと手を伸ばしている。 しばし考えてから、ポップはその草の実を丁寧に摘み始める。 (薬草かなにかなのか?) ヒュンケルには見覚えのない草の実だったが、薬草に関する知識ならばポップの方が上回っている。 だが――。 「いてっ」 と、ポップが声を上げるまでそう時間はかからなかった。 魔法への耐性と動き易さを優先しているため、手袋をしたままでも食事や雑事にも不自由しない代わりに、ごく薄くて物理的な防御力はないに等しいのである。 この有様では、おちおち黙って見ている方が神経に堪える。 「手伝おう」 そう言ってから返事を待たず、ヒュンケルはポップが摘んでいるのと同じ実を集めにかかった。素手のままだが、小さな頃から薬草を自分で作る習慣があったヒュンケルは薬草摘みには意外と慣れている。 丈夫な手のひらは多少の刺などものともしないし、刺をよけて摘む技術もポップよりも巧みだ。 「ちぇっ、おれ、別に手伝ってくれなんて頼んでねえのによ。礼なんか言わないからな!!」
両親の躾がよかったのか、ポップは他人に対して挨拶や感謝をきちんと告げる習慣が身に付いているらしい。 だが、その律義さは時としてポップ自身の首を締めてもいる様だ。 「ああ、オレが勝手にしているだけのことだ。礼はいらない」 この程度のことは手伝いにさえなっていないと思うだけに、ヒュンケルは最初からポップからの感謝など期待もしていなかった。 だから別に悩まなくていいと伝えたくてそう言ったつもりだったが、なぜかポップのしかめっ面と眉間の皺は一層深くなる。 その態度も、ヒュンケルは特に気にはしなかった。 ポップには言ったことはないが、自分を睨んでいるポップを見ていると、決して懐かない子猫が人間を警戒して精一杯威嚇している姿を連想してしまう。 だが、子猫をむやみに興奮させ、疲れさせるのがいいことだとは思わない。子猫を刺激しないよう、そっとしておくのが一番だと思っている。 か弱い子猫と同様に扱おうと思っているなどといえばポップは気を悪くするだろうが、ヒュンケルとしては似たような気分だ。
「おい、もうそれぐらいでいいぜ。あんまり摘み過ぎてもよくないしさ」 しばらく経って、ポップにそう止められてからようやくヒュンケルは手を止めた。 そうすればまた、植物は自力で種を地に落として増え、別の誰かがいつか摘むことができるからと習った覚えがある。 まだ少し早いが、昼食にするつもりのようだ。 「これは何に使うんだ?」 「はあ? おまえ、知らないで摘んでたのかよ?」 と、少し呆れた様に言いながらも、ポップは案外素直に教えてくれる。 「この実は炒ってから煎じるとお茶になるんだよ。ちょっと甘酸っぱい独特の味がするけど、滋養強壮にとても効くんだってさ」 アバン先生に習ったんだと言うポップは、やけに嬉しそうだった。 だがポップはアバンに料理についても習ったらしく、その手際は確かだ。 一見簡単そうに見えるが、それはなかなかコツのいる作業だ。揺すり方が悪ければ実は葉っぱからこぼれ落ちてしまうし、火に近付け過ぎても葉っぱごと実も焦げてしまう。 「これでいいや。後は、自然に冷めるまで少し放っておけばいい」 作業を終えたポップは、また白いハンカチに実を並べて広げる。炒ったせいで鮮やかな赤い色は褐色に変化したが、その分乾燥した感じで持ち運びしやすそうだ。 ポップはそのままお茶を入れるつもりらしく、愛用している紙で造った鍋を取り出して水筒の水を注ぐ。 「あー、いっけね」 ぽりぽりと頭を掻くポップの顔を見ただけで、ヒュンケルには何があったか見当がついた。 (また、水を汲むのを忘れたんだな) ポップは割と、そういうところがある。 今回のことだってそうだ。 しかし、以前それを聞いてポップの気を悪くさせた経験があるので、ヒュンケルは二度同じ質問をする愚は犯さなかった。 「取引だ。水を貸す。だから、その茶の味見をさせろ」 その取引は、ヒュンケルの本心とは言えない。正直言えば、ヒュンケルは茶に拘る趣味など全くなく、別に飲めなくても気になどしない。 だが、あえて取引を持ちかけたのは、その方がポップが素直に受け入れやすいだろうと思ったからだ。 ヒュンケルにしてみれば、ポップに少しばかり手助けをするのは自分の勝手なお節介であり、彼に見返りを要求する気などない。が、ポップは妙に貸し借りに拘り、ヒュンケルが何かする度にいちいちこれは借りにしておくだの、これで借りは返しただのと言ってくるのだ。 ヒュンケルにはどうでもいいことなのだが、それでポップの気がすむのならと好きな様にやらせている。 料理が得意なポップは野宿でもこまめに調理をしているが、それをヒュンケルに分けることで借りを返そうとすることは多い。 ポップの料理は文句無しに保存食よりも美味いし、それを食べることでポップが素直にヒュンケルの手助けを受け入れてくれるなら一石二鳥というものだ。 ポップが嫌がっても助けるべきところは助けるつもりではいるが、出来れば本人が受け入れてくれた方がヒュンケルとしても気が楽だ。 「しゃあねえな、おめえがそんなに飲みたいなら、分けてやるよ」 ちょっと膨れた顔をしながらも、ポップは自分から水筒を差し出してくる。ポップなりの取引承諾の意思を、ヒュンケルは軽く受け止める。 「すぐに戻ってくる」 さっき通ってきた道沿いに、川があったことを思い出しながらヒュンケルはそう告げた。木々の茂みに遮られて川そのものは見てはいないが、聞こえた水音から言ってあったことは確実だし、そう遠くもないはずだ。
(遅くなったな……) その思いからヒュンケルの足は自然、何かに追われているかのように急ぎ足になる。 そのせいで短気な弟弟子が、腹を立てているのではないかと気が気ではなかった。 だが、腹を立てたポップが先に行ってしまうという可能性を、ヒュンケルは恐れていた。 元々、ポップはヒュンケルがついてくるのにいい顔をしなかった。と言うよりも、はっきりいって反対しまくりだった。 ヒュンケルが強引に後からついていくのを、ポップがしぶしぶ黙認する様になったのはそんなに前のことではない。 最初の頃などは、ヒュンケルを撒こうとさえしていたものである。まあ、実際にはヒュンケルの方が足が早い上に気配を察知するのに長けているため、見通しのいい草原や街道で撒くのは無理があると悟って諦めたようだが。 だが、ポップはひどく諦めの悪い性格だ。 いつもならヒュンケルはポップから目を離さない様に注意しているのだが、今は思いがけずに時間が掛かってしまった。 ただでさえ、ポップは先を急いでいる。 自分自身の身の安全や体調すら構わないで行動するポップにとって、彼を気遣ってついていくヒュンケルはさぞや邪魔な存在だろう。 考えれば考える程、ポップが先に行ってしまったように思えて、ヒュンケルはほとんど走るような勢いで元いた場所へと戻る。ポップの所に戻るためにと言うよりは、ポップを探す起点を求めて。 だが――意外にも、と言うべきか、ポップはそこにいた。 最初は、疲れがでて居眠りをしているのかと思った。だが、周囲を見回してそうではないことが分かった。 火は、きちんと消してある。 荷物の入った袋を枕に気持ちよさそうに寝息を立ているポップを、ヒュンケルは起こす気はなかった。 (……待っていてくれた……と、考えていいのだろうか) ふと、そんな自惚れじみた考えが頭をよぎり、苦笑してしまう。 いや、そもそもマントをかけれる程近付いたこの距離自体が、約束違反だと怒りかねない。 その距離に、ヒュンケルはなんの不満もない。 なにより、ポップはヒュンケルを置き去りにしてはいかなかった――その事実が、嬉しかった。 (……そう言えば、前もそうだったな) ふと、少し前に行った町のことを思い出す。 傷ついた身体を魔法で癒してくれただけではなく、群衆に殺されかけていたはずのヒュンケルを救ってくれたのは彼だと、確信している。 あの時、ポップがどうやって荒れ狂う人々を沈めたのか、気絶していたヒュンケルは知らない。 そのせいでヒュンケルはいまだにあの時、ポップが何をしたのかは知らない。 だが、ヒュンケルはおそらくはそうではなかっただろうと思っている。思う、というよりはそれはすでに確信に近い。 勇者と共に戦い続けてきたとは言え、ポップは元々戦いを好まない。敵にさえ助け手を差し出す様な少年だ、どんな強力な攻撃魔法が使えたとしても人間相手に使ったりはしないだろう。 それにポップならば、他人の心を動かすのは難しくはないはずだ。 それにポップの言葉には、力がある。あの魔王軍との戦いの最中にも、彼の言葉に大きく心を揺さぶられた者は敵味方問わず多くいた。 ポップ本人には言ったことがないが、彼の言葉に救われたことは一度や二度ではない。魔王軍との戦いの最中も、そして、今の旅でも、だ。 (……まあ、正面きって聞いたところで、決して教えてはくれないだろうがな) 意地っ張りな弟弟子の答えを予測しつつ、ヒュンケルはそのまま静かにポップの眠りを見守る。 《続く》
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