『言わない言葉 ー中編ー』 |
(あいつ、何をぐずぐずしてるんだろうな?) 丁寧に火の始末をしながら、ポップは苛立ちを感じていた。 まだ昼食には早いし、小休憩というにはたっぷりと休んだ。もう、再び旅を再開してもいい頃合だ。 何度目かに草原の向こうの方に目をやってしまったことに気がついて、ポップは小さく舌打ちをする。 「いやっ、おれはあんな奴なんか待ってなんかないし!」 口に出してわざわざ独り言を言う辺り、かえって意識しているようにしか見えないのだが、ポップは自分で自分の無意識を否定する。 ポップ的にはヒュンケルは旅の道連れではなく、勝手に後をついてきている奴という認識でいる。と言うよりも、その認識でいたいと思っていたのだが、最近、その境界線が少しずつ揺らぎだしている。 最近では、ポップはヒュンケルにいちいちついてくるなと言わなくなった。言っても無駄だと見切りを付けたせいだ。 まだヒュンケルには教えていない理由で、夜に眠る時は近い場所にいる方が都合がよくもなってきている。 今だって結局、ポップはヒュンケルが気になって先に進むことは出来ない。理屈ではヒュンケルが自分からこんなに長く目を離しているチャンスはめったにないし、今なら彼を置き去りにして逃げ出せると分かっている。 「ちぇっ……」 再び舌打ちをし、ポップはごろんと草の上に身を投げ出した。休みたいとは思わないし、むしろ一刻も早く先に進みたいと思っているのだが、それでもヒュンケルを置き去りにするのは気が進まない。 普段なら頼まなくてもヒュンケルがついてくるから意識していなかったのだが、自分の後ろに見慣れた人影がいないのがこんなに落ち着かない気分になるものだとは思いもしなかった。 (まったく、いつからあいつをツレ扱いするようになったのかねー?) 眠くはなかったが、ポップはそのまま目を閉じた――。
「ん〜……ねむ……」 半ば――いや、4分の3程の割合で眠り込みながら、ポップは柔らかいベッドに身を沈めていた。 せいぜいが、中の上程度。そう高くもない宿屋のベッドとしては、悪くはない。その程度の代物だ。 アバンとの旅が長かっただけに野宿には慣れているつもりだが、それでもこんな風にベッドに横たわる気分は格別だった。 このまま、緊張を解いて眠ってしまいたい。 (……あのバカ、なにやってんのかなー?) 鍵を掛けていないドアをちらっと見ながら、ポップはわずかに迷っていた。 (いや、あいつはツレとは言えねえけどさ) ついてくるなとあれ程邪険に扱っても、気にする様子もなく後を追って来る兄弟子。いくら文句を言っても、逆に無視をしても一向に変化がなく、淡々とした表情でついてくるヒュンケルを、どう扱っていいのかポップはいまだに少し迷っているところがあった。 もし、ヒュンケルが強引に自分を連れ戻そうとするのなら、ポップも本気で抵抗するつもりでいた。 と言うよりも、時には結構便利だったりする。 その原因は――認めるのは癪だったが、ヒュンケルにあるのは間違いがない。 別に頼る気はないものの、ヒュンケルが近くにいれば敵に対して身構える覚悟もなく、安心して眠ることができるとポップはすでに承知していた。 別に、自分が気を張っていなくてもヒュンケルが代わりに、しかも頼みもしていないのに完璧にその役割をこなしてくれているのだ。 見守ってくれる人が、すぐ近くにいる安心感――ポップ本人は意識していなかったが、それはアバンと一緒に旅をしていた頃の感覚に近かった。 だが、それはさほど深刻なものではなかった。 どうせそのうち追いつくだろうと考えているからこそ、なぜ早く来ないのかと疑問に思っていたぐらいだ。 一刻も早くベッドに横になりたいと思っていたポップは、後ろなど確かめもしなかった。 部屋に入ってから、珍しくヒュンケルがついてこないのに気がついたが、まさか彼が迷子になったとは思うわけがない。 ポップから見れば、ヒュンケルは6つも年上でほとんど大人と変わらない。しかもいつだってスカした顔でポップを子供と見下している男なのだ、そんな相手がまさか小さな子供の様に迷子になったなどとどうして想像できるだろうか。 (……まずい、かもな) ベッドに横たわったまま、ポップは自分の胸に手を当てる。 そろそろ疲れがたまってきたせいか、体調が落ち始めているようだ。それはある程度は覚悟していたが、予想していたよりも早い。 魔法も使わない様にしているし、癪に障るのを我慢してヒュンケルに雑魚のやりとりを任せるなど、本人的には色々と控え目に行動しているつもりだが、それでも今のポップには旅はきついのだ。 (……やっぱ、もう少し自重しなきゃダメかな?) 一刻も早くダイを助けたいポップにしてみれば、今の旅のペースにも決して満足しているわけではない。 だが、このまま具合が悪化すれば、旅すらできなくなるかもしれない。ポップ一人ならともかく、自分の後をついてきているヒュンケルが黙って見逃してくれるとも思えない。 妙なところで妙に他人を庇う傾向のあるあの兄弟子が、それ見たことかと無理やり自分をパプニカへ連れ戻す図をポップは容易に想像することが出来た。 そうなれば、もう二度と旅に出るチャンスなど巡ってはこないだろう。なにせ、ポップはレオナやアバンの手配した休養のお膳立てをすっぽかしてこっそりと抜け出してきたのだ。 アバンはまだしも、レオナがそれを許してくれるとは思えない。掴まったら最後、厳重に閉じ込められて強制的に安静を強いられるのは目に見えている。 それぐらいならば、まだ体調を保てる今のうちにヒュンケルをどうにかして撒いて、最初の予定通り独りで旅をしようか――そんな風に考えていた時のことだった。 「……なんだ?」 祭りかなにかだろうか。 少し離れたところで、やたらと人が集まって騒いでいるのが聞こえる。だが、その喧騒はどう好意的に聞いても祭りのそれとはかけ離れていた。 さっきまでの平和な町に相応しくない不穏な雰囲気に、ポップは戸惑わずにはいられなかった。 戸惑っているのは、ポップだけではない。町の人達も、この思わぬ騒動にどう対処していいのか分からないのだろう。見物に飛び出てくる者、止めようとしても手を付けられずにオロオロとしている者、様々な人々が喧騒を取り巻いて右往左往している。 「あ……っ?! あのっ、魔法使いポップ様ですよねっ?!」 聞き慣れない声で名で呼ばれ、ポップはギクッとして下を見下ろす。 そして、驚く様な早さでポップのいる部屋へ駆け込んでくる。息を切らして駆け込んできた少女は、挨拶や息が整うのも待たず、咳き込む様な勢いで訴えかけてきた。 「お願いします、魔法使い様っ、助けてくださいっ! わたし……わたし、とんでもないことを……っ、わたしのせいで、あの人が死んでしまう……!! わたしが、言ってしまったから! 彼が魔王軍の一員だって、バラしてしまったの! このままじゃ、みんながあの銀髪の人を殺してしまうわ……っ」 興奮しきって、要領を得ない言葉だったが、そこに込められた切実さは本物だった。それだけに、ポップにはすぐに理解出来た。 それを察した途端、戦慄にも似た恐怖がポップを捕らえる。思い浮かぶのは、いつかの光景――。 あれは、パプニカの神殿でのことだった。堂々と自分は魔王軍の一員だったと名乗り、武器を捨てて裁きに甘んじようとした兄弟子の姿が、脳裏に蘇る。 そのまま殺されても構わないとばかりに、無防備に立っていた兄弟子を思い出し――ポップは窓から身を乗り出して叫んだ。 「やめろーっ!!」 だが、その叫びは人々の喧騒の前には掻き消されてしまう。 興奮状態に陥った集団の中にポップが飛び込んだところで、飲み込まれてしまうだけだろう。 「イオラ――ッ!!」 ポップの手から放たれた魔法は、轟音と普通なら有り得ない輝きを放ちながら暴走する人々の頭上をかすめて飛んだ。 当たらなかったとはいえ、驚異的な威力を持つ魔法が放たれたのをやっと悟ったのだ。 暴力を他者に与えていた彼らは、自分達に向けられたむき出しの暴力に恐れを成して青ざめる。その瞬間を逃さず、ポップは再び声を張り上げた。 「やめろーーっ、あんた達、自分が何をしているのか分かってるのかよっ?!」 叫びながら、ポップは二階の窓から飛び出した。背後から悲鳴が聞こえた様な気がするが、この程度の高さに怯える様では空など飛べはしない。 むしろ、ついうっかりとそのまま空を飛びそうになる衝動を抑える方が大変だった。飛ぼうとした途端、激しい胸の痛みが襲ってくるのは承知しているから、ポップも飛ぶほど力を込める気はない。 ただ、落下をわずかに弱める程度の最低限の魔法力だけを使って、地面への激突や衝撃を防いだだけだ。 凄まじい魔法を使って見せた少年に怯えたのか、どいてくれと頼むまでもなくサッと道が開けたのは幸いだった。おかげで、倒れているヒュンケルをすぐに発見出来たのだから。
倒れている兄弟子の姿に、ポップは思っている以上に動揺する自分に驚く。 しかし、ヒュンケルの首筋に触れてみると脈はちゃんと感じられた。とりあえず、彼は死んではいない。 (この……バカ野郎がッ!) ヒュンケルの負った傷は、ほとんどが打撲症だった。血があまりでていないし、殴られて間もないせいか痣の色合いもまだそれ程ひどくはない。そのため見た目はそれ程重傷の様には見えないかもしれないが、ポップはアバンから目には見えない傷の恐さを教え込まれていた。 特に、頭部の打撲ほど恐いものはないとアバンはよく言っていた。頭を打って意識を失った場合、大した怪我ではないと思っていても後で後遺症が出る場合もあれば、最悪の場合二度と目覚めない場合もある、と――。 手遅れになるかもしれない……その怯えから、ポップは考えるよりも早く魔法を発動させていた。 強い魔法を放つ時に術者の身体全体が輝くのは、珍しくはない。だが、それ程強い魔法を使える術者の存在は、ごく珍しい。 「……っ?!」 「えっ、な、なんだぁっ?!」 周囲の人々が驚き、ざわめく。 (まずい、か……?) 息が苦しくなってきて、胸の痛みが強まってくる。 ポップにしてみれば、今の呪文などたいしたものではない。中級程度の攻撃魔法に、回復魔法……そう難しい呪文でもないし、魔王軍と戦っていた頃なら、ほんの片手間に掛ける程度の魔法にすぎない。 だが、今のポップは明らかに衰えている。 自分の体調が落ちているのは自覚しているつもりだったが、ここまでひどくなっていると思い知らされるのはしみじみと辛かった。 これ以上魔法を使えば倒れると判断した段階で、ポップは回復魔法を止めた。 ふらつきそうになる身体で必死にふんばりながら、ポップは周囲の人々に目をやった。 ここにいるのは、ついさっきまでヒュンケルを糾弾し、暴力を振るった人々だ。 鍬や鎌を持ってるのは、まだいい方だ。フライパンや麺棒など、ごく日常的な調理道具を手にしている者の方がずっと多い。 その事実が、たまらなく心に痛かった。やりきれない怒りとも悲しみともつかない激情が、ポップの内部の柔らかい部分を焼き荒らす。 「……なんで……っ」 ギュッと、ポップは手を握り締める。手が白く、筋張る程に力を込めて。 「なんで……っ、なんでこんなことをするんだよっ?! こいつ……なんにもしてなかったじゃねえかっ!」 そう叫ぶ声には、ほとんど悲鳴に近い悲痛さがあった――。 《続く》
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