『言わない言葉 ー中編ー』

 

(あいつ、何をぐずぐずしてるんだろうな?)

 丁寧に火の始末をしながら、ポップは苛立ちを感じていた。
 時間を引き延ばしてゆっくりやっていたのに、お茶を煎じる作業もとっくに完成してしまった。

 まだ昼食には早いし、小休憩というにはたっぷりと休んだ。もう、再び旅を再開してもいい頃合だ。
 なのに、水を汲みに行くといったヒュンケルは未だに戻ってこない。

 何度目かに草原の向こうの方に目をやってしまったことに気がついて、ポップは小さく舌打ちをする。
 これでは、まるでヒュンケルの帰りを待っている様なものではないか。

「いやっ、おれはあんな奴なんか待ってなんかないし!」

 口に出してわざわざ独り言を言う辺り、かえって意識しているようにしか見えないのだが、ポップは自分で自分の無意識を否定する。
 成り行き上とは言え、よりによってヒュンケルと一緒に旅をするようになってから結構経つ。

 ポップ的にはヒュンケルは旅の道連れではなく、勝手に後をついてきている奴という認識でいる。と言うよりも、その認識でいたいと思っていたのだが、最近、その境界線が少しずつ揺らぎだしている。

 最近では、ポップはヒュンケルにいちいちついてくるなと言わなくなった。言っても無駄だと見切りを付けたせいだ。
 食事を取ったり休憩を取る時は近くにいてもいいと思うようになったし、食料を分け合うのも良くやる様になった。

 まだヒュンケルには教えていない理由で、夜に眠る時は近い場所にいる方が都合がよくもなってきている。
 ポップ本人の主観はともかくとして、傍目から見ればどう見ても一緒に旅をしているとしか思えない関係になっている。

 今だって結局、ポップはヒュンケルが気になって先に進むことは出来ない。理屈ではヒュンケルが自分からこんなに長く目を離しているチャンスはめったにないし、今なら彼を置き去りにして逃げ出せると分かっている。
 だが、それを実行するだけの踏ん切りをポップは持てなかった。

「ちぇっ……」

 再び舌打ちをし、ポップはごろんと草の上に身を投げ出した。休みたいとは思わないし、むしろ一刻も早く先に進みたいと思っているのだが、それでもヒュンケルを置き去りにするのは気が進まない。

 普段なら頼まなくてもヒュンケルがついてくるから意識していなかったのだが、自分の後ろに見慣れた人影がいないのがこんなに落ち着かない気分になるものだとは思いもしなかった。

(まったく、いつからあいつをツレ扱いするようになったのかねー?)

 眠くはなかったが、ポップはそのまま目を閉じた――。

 

 

「ん〜……ねむ……」

 半ば――いや、4分の3程の割合で眠り込みながら、ポップは柔らかいベッドに身を沈めていた。
 実際には、そのベッドはそんなに上等という程のものではない。質から言えば、ポップがパプニカ城で借りていた客間のベッドの柔らかさとは比べ物にもならない。

 せいぜいが、中の上程度。そう高くもない宿屋のベッドとしては、悪くはない。その程度の代物だ。
 だが、ここのところずっと野宿を繰り返していたポップから見れば、城のベッドに優るとも劣らない寝心地の良さだった。

 アバンとの旅が長かっただけに野宿には慣れているつもりだが、それでもこんな風にベッドに横たわる気分は格別だった。
 やはり、堅い上に冷えがじわじわとやってくる地面とベッドでは、身体への負担が全く違う。部屋の中の居心地のよさは、野宿とは比べものにはならなかった。

 このまま、緊張を解いて眠ってしまいたい。
 だが、完全に気を許すには、少しばかり足りないものがある。そのせいでポップはほとんど眠りかけていながらも、なんとか我慢して起きていた。

(……あのバカ、なにやってんのかなー?)

 鍵を掛けていないドアをちらっと見ながら、ポップはわずかに迷っていた。
 いくら宿屋とはいえ、鍵も開けっ放しで眠るのは不用心だ。だが、旅の連れが来ると分かっていて鍵を閉めて締め出しを食らわせるのも、いかがなものか。

(いや、あいつはツレとは言えねえけどさ)

 ついてくるなとあれ程邪険に扱っても、気にする様子もなく後を追って来る兄弟子。いくら文句を言っても、逆に無視をしても一向に変化がなく、淡々とした表情でついてくるヒュンケルを、どう扱っていいのかポップはいまだに少し迷っているところがあった。

 もし、ヒュンケルが強引に自分を連れ戻そうとするのなら、ポップも本気で抵抗するつもりでいた。
 だが、今のところ、ヒュンケルはポップの後をただ黙ってついてきているだけだ。無理強いするでも説教するだけでもなく、ただついてくるだけならそう邪魔にはならない。

 と言うよりも、時には結構便利だったりする。
 たとえば野宿の間、ポップは怪物や獣、それに山賊や盗賊に対する危機感は微塵も感じていなかった。

 その原因は――認めるのは癪だったが、ヒュンケルにあるのは間違いがない。
 ポップよりもずっと気配に敏感で、しかもポップが魔法を使おうと思うよりも早く、さっさと敵を排除してしまうあの兄弟子が近くにいる限り、余分な心配をする必要はなかった。

 別に頼る気はないものの、ヒュンケルが近くにいれば敵に対して身構える覚悟もなく、安心して眠ることができるとポップはすでに承知していた。
 最初の内こそは、野宿や周囲の危険に自分で対処するつもりで気を張っていたが、旅が続くうちにその感覚は薄れてしまった。

 別に、自分が気を張っていなくてもヒュンケルが代わりに、しかも頼みもしていないのに完璧にその役割をこなしてくれているのだ。
 元々、面倒臭がりやのポップにしてみれば、二度手間になる見張りなどやっても仕方がないという気分になってきて、やりたい奴に任せればいいやと調子良く結論づけた。

 見守ってくれる人が、すぐ近くにいる安心感――ポップ本人は意識していなかったが、それはアバンと一緒に旅をしていた頃の感覚に近かった。
 ヒュンケルが近くにいると、安心して眠ることができる――だが、逆に言えばそれは、彼の姿が見えないとなんとなく落ち着かずに眠りにくい、という心理に繋がっている。

 だが、それはさほど深刻なものではなかった。
 目に見える範囲にいないのが少しばかりに気になるものの、ポップはヒュンケルがついてくるのをやめた可能性など、全く考えてもいなかった。

 どうせそのうち追いつくだろうと考えているからこそ、なぜ早く来ないのかと疑問に思っていたぐらいだ。
 ポップはもともと、ヒュンケルを撒くつもりはなかった。ただ久々の町を見て、たまにはゆっくり休みたいと思って、最初に目についた宿屋に入っただけのこと。

 一刻も早くベッドに横になりたいと思っていたポップは、後ろなど確かめもしなかった。 部屋に入ってから、珍しくヒュンケルがついてこないのに気がついたが、まさか彼が迷子になったとは思うわけがない。

 ポップから見れば、ヒュンケルは6つも年上でほとんど大人と変わらない。しかもいつだってスカした顔でポップを子供と見下している男なのだ、そんな相手がまさか小さな子供の様に迷子になったなどとどうして想像できるだろうか。
 ポップの思考は、ヒュンケルの心配よりも別の方向に向いていた。

(……まずい、かもな)

 ベッドに横たわったまま、ポップは自分の胸に手を当てる。
 ――少し、息苦しい。
 それに、やけにだるい。熱っぽいような気がするのは、気のせいだと思いたいところだが、残念ながら認めざるを得ない事実だ。

 そろそろ疲れがたまってきたせいか、体調が落ち始めているようだ。それはある程度は覚悟していたが、予想していたよりも早い。

 魔法も使わない様にしているし、癪に障るのを我慢してヒュンケルに雑魚のやりとりを任せるなど、本人的には色々と控え目に行動しているつもりだが、それでも今のポップには旅はきついのだ。

(……やっぱ、もう少し自重しなきゃダメかな?)

 一刻も早くダイを助けたいポップにしてみれば、今の旅のペースにも決して満足しているわけではない。
 むしろ、今のペースは遅すぎて苛々するぐらいだ。

 だが、このまま具合が悪化すれば、旅すらできなくなるかもしれない。ポップ一人ならともかく、自分の後をついてきているヒュンケルが黙って見逃してくれるとも思えない。 妙なところで妙に他人を庇う傾向のあるあの兄弟子が、それ見たことかと無理やり自分をパプニカへ連れ戻す図をポップは容易に想像することが出来た。

 そうなれば、もう二度と旅に出るチャンスなど巡ってはこないだろう。なにせ、ポップはレオナやアバンの手配した休養のお膳立てをすっぽかしてこっそりと抜け出してきたのだ。

 アバンはまだしも、レオナがそれを許してくれるとは思えない。掴まったら最後、厳重に閉じ込められて強制的に安静を強いられるのは目に見えている。
 正直な話、ポップ的にはそれだけは避けたい。旅の終わりのパターンで、一番気に食わないものである。

 それぐらいならば、まだ体調を保てる今のうちにヒュンケルをどうにかして撒いて、最初の予定通り独りで旅をしようか――そんな風に考えていた時のことだった。
 窓の外の方から、何か騒ぎが聞こえてきたのは。

「……なんだ?」

 祭りかなにかだろうか。
 そんな風に思って、お祭り好きのポップは窓を開けて顔を覗かせた。
 ポップが今いるのは、大通りに面した宿屋だ。おそらくはこの町の中心街なのだろう、様々な商店が並ぶ賑やかな通りだ。

 少し離れたところで、やたらと人が集まって騒いでいるのが聞こえる。だが、その喧騒はどう好意的に聞いても祭りのそれとはかけ離れていた。
 興奮し、荒々しく騒ぐ怒声――喧嘩だ。しかも、かなりの大人数の様で大変な騒ぎになっている。

 さっきまでの平和な町に相応しくない不穏な雰囲気に、ポップは戸惑わずにはいられなかった。

 戸惑っているのは、ポップだけではない。町の人達も、この思わぬ騒動にどう対処していいのか分からないのだろう。見物に飛び出てくる者、止めようとしても手を付けられずにオロオロとしている者、様々な人々が喧騒を取り巻いて右往左往している。
 そんな中、ポップに対して思わぬ声がかけられた。

「あ……っ?! あのっ、魔法使いポップ様ですよねっ?!」

 聞き慣れない声で名で呼ばれ、ポップはギクッとして下を見下ろす。
 そこにいたのは、ショートヘアに黄色のリボンを巻きつけた少女だった。ポップとほとんど同じぐらいの年頃の少女は、返事を聞く前にすぐに宿屋に飛び込んだ。

 そして、驚く様な早さでポップのいる部屋へ駆け込んでくる。息を切らして駆け込んできた少女は、挨拶や息が整うのも待たず、咳き込む様な勢いで訴えかけてきた。

「お願いします、魔法使い様っ、助けてくださいっ! わたし……わたし、とんでもないことを……っ、わたしのせいで、あの人が死んでしまう……!! わたしが、言ってしまったから! 彼が魔王軍の一員だって、バラしてしまったの! このままじゃ、みんながあの銀髪の人を殺してしまうわ……っ」

 興奮しきって、要領を得ない言葉だったが、そこに込められた切実さは本物だった。それだけに、ポップにはすぐに理解出来た。
 あの騒動が、ヒュンケルを中心に起きたものだと。

 それを察した途端、戦慄にも似た恐怖がポップを捕らえる。思い浮かぶのは、いつかの光景――。

 あれは、パプニカの神殿でのことだった。堂々と自分は魔王軍の一員だったと名乗り、武器を捨てて裁きに甘んじようとした兄弟子の姿が、脳裏に蘇る。
 あの時、レオナの見事な裁きがなければ、怒りや復讐に囚われた兵士達が彼をリンチにしかねなかったのに、ヒュンケルは抵抗一つしようとしなかった。

 そのまま殺されても構わないとばかりに、無防備に立っていた兄弟子を思い出し――ポップは窓から身を乗り出して叫んだ。

「やめろーっ!!」

 だが、その叫びは人々の喧騒の前には掻き消されてしまう。
 騒ぎは膨れ上がるばかりで、人が一番集まっている部分だけでなく、その周辺でも喧嘩や殴り合いが発生しているのが見える。

 興奮状態に陥った集団の中にポップが飛び込んだところで、飲み込まれてしまうだけだろう。
 たった一人の少年の叫びや力では、たいしたことはできない。
 だからこそ、ポップは迷わずに自分に出来る最大の手を打った。

「イオラ――ッ!!」

 ポップの手から放たれた魔法は、轟音と普通なら有り得ない輝きを放ちながら暴走する人々の頭上をかすめて飛んだ。
 派手な音を立て、離れた場所にある崖にぶち当たった魔法に驚いたのか、あれ程騒いでいた人々も絶句する。

 当たらなかったとはいえ、驚異的な威力を持つ魔法が放たれたのをやっと悟ったのだ。 暴力を他者に与えていた彼らは、自分達に向けられたむき出しの暴力に恐れを成して青ざめる。その瞬間を逃さず、ポップは再び声を張り上げた。

「やめろーーっ、あんた達、自分が何をしているのか分かってるのかよっ?!」

 叫びながら、ポップは二階の窓から飛び出した。背後から悲鳴が聞こえた様な気がするが、この程度の高さに怯える様では空など飛べはしない。

 むしろ、ついうっかりとそのまま空を飛びそうになる衝動を抑える方が大変だった。飛ぼうとした途端、激しい胸の痛みが襲ってくるのは承知しているから、ポップも飛ぶほど力を込める気はない。

 ただ、落下をわずかに弱める程度の最低限の魔法力だけを使って、地面への激突や衝撃を防いだだけだ。
 最低限の力を使っただけなせいで地面に着地すると同時に転びそうになったが、そこをなんとか堪えて人波の中心へと駆け寄る。

 凄まじい魔法を使って見せた少年に怯えたのか、どいてくれと頼むまでもなくサッと道が開けたのは幸いだった。おかげで、倒れているヒュンケルをすぐに発見出来たのだから。


「…………!」

 倒れている兄弟子の姿に、ポップは思っている以上に動揺する自分に驚く。
 だが、今は怯えたり竦んだりしている暇などはない。一時でも、時間が惜しい。
 ポップはすぐにヒュンケルの側にしゃがみ込み、手を当てた。その手に、ヒュンケルが全く反応を見せなかったことにヒヤリとせずにはいられない。

 しかし、ヒュンケルの首筋に触れてみると脈はちゃんと感じられた。とりあえず、彼は死んではいない。
 だが、楽観出来る状況ではなかった。

(この……バカ野郎がッ!)

 ヒュンケルの負った傷は、ほとんどが打撲症だった。血があまりでていないし、殴られて間もないせいか痣の色合いもまだそれ程ひどくはない。そのため見た目はそれ程重傷の様には見えないかもしれないが、ポップはアバンから目には見えない傷の恐さを教え込まれていた。

 特に、頭部の打撲ほど恐いものはないとアバンはよく言っていた。頭を打って意識を失った場合、大した怪我ではないと思っていても後で後遺症が出る場合もあれば、最悪の場合二度と目覚めない場合もある、と――。

 手遅れになるかもしれない……その怯えから、ポップは考えるよりも早く魔法を発動させていた。
 それこそ、ありったけの力を込めて最高回復呪文を放つ。途端に、ポップの全身が見事な金色の輝きに包まれる。

 強い魔法を放つ時に術者の身体全体が輝くのは、珍しくはない。だが、それ程強い魔法を使える術者の存在は、ごく珍しい。
 せいぜい初級回復呪文程度の回復魔法しか見た経験のない人々の目には、神聖さを感じさせる輝きに包まれた魔法使いの姿は驚異の存在として映った。

「……っ?!」

「えっ、な、なんだぁっ?!」

 周囲の人々が驚き、ざわめく。
 とても無視しきれない魔法の輝きは、人々の興奮を一時冷ますには十分だった。
 だが、魔法に集中しているポップにはそこまで気を配る余裕もない。無我夢中で魔法を使い始めたものの、自分自身の不調に気がつくまでそう時間は掛からなかった。

(まずい、か……?)

 息が苦しくなってきて、胸の痛みが強まってくる。
 その感覚は、ポップにとっては嫌という程覚えのあるものだった。強力な魔法を使った直後に決まって感じていた苦痛と同じ感覚に苛まれながら、ポップは歯がみせずにはいられない。

 ポップにしてみれば、今の呪文などたいしたものではない。中級程度の攻撃魔法に、回復魔法……そう難しい呪文でもないし、魔王軍と戦っていた頃なら、ほんの片手間に掛ける程度の魔法にすぎない。

 だが、今のポップは明らかに衰えている。
 たったそれだけしか使っていないのに、早くも音を上げてしまう自分の身体の虚弱さが情けなく、腹立たしい。

 自分の体調が落ちているのは自覚しているつもりだったが、ここまでひどくなっていると思い知らされるのはしみじみと辛かった。
 だが、どんな状況や精神状態であれ、現実を冷静に計る判断力がポップにはある。

 これ以上魔法を使えば倒れると判断した段階で、ポップは回復魔法を止めた。
 ヒュンケルを完全回復するには全く足りず、彼の意識さえ呼び戻すことができていないが、とりあえず命の危険だけはない段階までの回復はなんとかできた。
 ここで、全力を使い果たして自分も倒れるわけにはいかない。

 ふらつきそうになる身体で必死にふんばりながら、ポップは周囲の人々に目をやった。 ここにいるのは、ついさっきまでヒュンケルを糾弾し、暴力を振るった人々だ。
 だが――同時に、どこにでもいるような普通の人々でもある。手に持っているのも、武器でさえない。

 鍬や鎌を持ってるのは、まだいい方だ。フライパンや麺棒など、ごく日常的な調理道具を手にしている者の方がずっと多い。
 多分、咄嗟に一番手近で、武器になりそうな物を手にして飛び出してきたのだろう。そして、興奮のままに暴行を行った……。

 その事実が、たまらなく心に痛かった。やりきれない怒りとも悲しみともつかない激情が、ポップの内部の柔らかい部分を焼き荒らす。

「……なんで……っ」

 ギュッと、ポップは手を握り締める。手が白く、筋張る程に力を込めて。

「なんで……っ、なんでこんなことをするんだよっ?! こいつ……なんにもしてなかったじゃねえかっ!」

 そう叫ぶ声には、ほとんど悲鳴に近い悲痛さがあった――。        《続く》

 

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