『言わない言葉 ー後編ー』

 

 怒っているのか、それとも泣き出そうとしているのか――どちらともつかない顔で叫ぶポップの糾弾に、周囲の人々がざわめいた。
 それは、いい意味合いでのざわめきではなかった。

 突然、凄まじい魔法を使ってみせた魔法使いは、人々を萎縮させた。魔法がただの威嚇だったとはいえ、あれほどの魔法が自分に向かって放たれる危険性を意識しては、緊張するなという方が無理だろう。

 だが、魔法を使うのをやめたポップはどうみてもただの少年にしか見えない。
 皮肉な話だが、魔法使いとしてではなく一人の少年として叫ぶポップの姿は人々から警戒心を奪い、突然のできごとで忘れ掛けていた怒りを思い出させた。

「なにもしてないだって……?! おまえは知らないのか、そいつは大悪人なんだぞっ!」


 一人が声高に叫ぶのをきっかけに、人々の中に再び熱気が点る。突然の出来事に驚いて一旦動きを止めていただけで、怒りが消え去ったわけではない。
 灰に埋もれ消えかけたと見えた置き火が、息を吹きかけられて再び勢いを取り戻すように、彼らもまたたやすく怒りの炎を燃やし上げていた。

「そ……そうだっ、そうだっ! その男は人殺しなんだぞっ!! 家を焼き、町を壊した! 国を滅ぼし、大勢の人を殺したっ!!」

「聞けば人間を裏切って、魔王軍の一員として働いていたというじゃないかっ! そんな男を、放っておけるものかっ!」

 怒声が広がっていく。
 初めは一人二人が、どこか言い訳がましく叫んでいた言葉だったが、その声に同調する声が上がるにつれて次第に語調が強められていく。

 人は、他人の理解を求めたがる生き物だ。
 そのためにも自分の行動が正義であるとの、確信を欲しがる。自分だけでなく他者に後押ししてもらうことで、人は初めて自分に自信を持ち、意思を強めていくものだ。
 それはいい方向に向かうこともあるが、悪い方向に流れることもある。

 どちらが真に正しいかを問うことなく、1対多数のまま意見の差が広がっていく。数の多さに後押しされるように、人々の熱気は強まっていく一方だった。
 それでも、さっきのように一方的な暴力に結び付かずぎりぎりで抑えられているのは、ポップがヒュンケルのすぐ前に立ちはだかっているせいだ。

 罪深い狂戦士に、手加減など考えない。だが、その男を庇う少年にまで凶行を振るう程には、彼らは理性を失ってはいなかった。
 それは子供に対する手加減の意識よりも、さっき見せられた威嚇魔法への恐怖の意識の方が強いものだったが、どちらにせよそれが抑止力になっていることは否めない。

 邪魔な少年を暴力ではない力で追い立てようと、人々は声の限りを尽くしてヒュンケルの悪事を罵り、自分達の怒りが正当なものだと主張しようとする。

「そこを退くんだっ! そいつのせいで、大切な人を失った人が何人いると思っているんだっ!!」

「そうだっ!! おまえなんかに、その気持ちが分かるのかっ?!」

 そう叫ぶ人々の目は荒んでいた。
 どれほど悲しんでも尽きぬ喪失感と、自分の力ではどうすることも出来なかった後悔――それらに心を悔い荒らされ、自分自身の傷に打ちのめされた者の目だ。

 悲しみに耐え、乗り越えようとする強さはそこにはない。
 自分が一番不幸なのだと疑いなく信じ、その代償を求めて当然とさえ思う傲慢さがにじんでいることに、彼ら本人は自覚すらしていなかっただろう。

 自分のことしか見ようとしない者に、他人の心の傷を見ることはできない。
 だから、その言葉が少年に与えたダメージの大きさに気がつく余裕があった者は、そう多くはいなかっただろう。

 目が大きく見開かれ、傷ついた子供の表情が彼の顔を支配する。無防備に立ちすくむその瞬間、そこにいたのは凄腕の魔法使いではなかった。
 理不尽な言葉の暴力に心の傷を抉られた、いたいけな少年がそこにはいた。

 その言葉が少年の心の、一番脆い部分を傷つけたのは疑いようがなかった。言葉を失った彼がそのまま気力も失えば、もう暴動を止めようとする者などいない。
 怒りに駆られた群衆は、それが正しいと信じながら無抵抗の青年を、もしかしたのならその巻き添えとして少年にまで捌け口を求め、己の手を血に染めただろう。

 ――だが、ポップは打ちのめされはしなかった。
 激しいショックを受けたのは間違いないが、少年は衝撃に心を折られたりはしなかった。 泣き出しそうな顔を拳で一拭いし、声の限りに叫ぶ。

「ああ……分かるぜ。大切な奴を失う痛みなら……嫌って程、知っている……!」

 悲痛な叫びが、聞く者の胸を貫く。
 感情に流され、暴力に訴えかけようとしていた人々の胸にさえ届く力が、その声にはあった。

「だから、おれ……もう、これ以上、失うのなんて嫌なんだ。
 こいつがどんな奴だと思われたって……それでもこいつは、おれの仲間だ。仲間を失うのは……もう、二度とごめんだ!」

 血を吐く様な叫びだった。
 彼もまた、自分にとって大切な人を失った一人なのだと、聞くだけで確信させる響きが混じる声だった。

「あんたらだって、そうじゃないのか?!」

 強く訴えるポップの目を、まともに見返せる者などこの場にはいない。獲物を手に振り上げた腕を力なく下ろし、微妙に目を逸らす人々の方が多かった。

「もし……、あんたらがどうしてもこいつを殺すってんなら――悪いけど、黙って見てなんかいられねえよ!!」

 そう叫ぶポップの手から、光が生み出される。すでに日が沈んで闇が濃くなってきた中でその光は、一際目立つ。
 魔法の知識はなくとも、さっきの凄まじい魔法の一撃を見た人々はその輝きに怯えずにはいられない。

「この馬鹿は抵抗の一つもしなかったかもしれねえけど、おれはそんなに諦めがよくはねえんだ。
 おれは全力で戦うぜ……!」

 身構え、魔法の光をまとわせた手を翳す少年を中心に、人々の中に静かな動揺が広がっていく。

 数の上では、魔剣士を糾弾する人々の方が圧倒的に多いかもしれない。しかし、ここにいるのはごく普通の人々にすぎない。
 それだけに、はっきりと戦う意思を見せた魔法使いの少年に対して、立ち向かう気概などなかった。

 理不尽に魔王軍が攻めてくるという状況下でさえ戦うという選択を選ばず、ただ怯え、逃げ隠れながら生き延びた人々だ。
 誰かの救いを待ち、ただ事態が好転するだけを祈って日々の生活を守ってきた人々には、なにがなんでも復讐を遂げたいと思う程の強意志はない。

 敵に対しても拳を振り上げる勇気を最後まで持てなかった人達には、自分達の復讐心を果たすために戦い抜くだけの覚悟もなかった。

「…………」

 迷う様に、ざわめきが広がる。
 さっきヒュンケルを責めた時のように、膨れるだけ膨れ上がった風船がはち切れそうになる寸前に見せる緊張感は、すでに消えていた。
 萎みきった風船がいつの間にか萎びる様に、人々の中から熱い感情が冷めていく。

 各自の顔から熱狂じみた色合いが消えていくにつれ、代わりに後ろめたい様な表情へと取って代わる。
 魔剣士に対する恨みの感情や、失った者や人への思いも拭いきれるものではなかったが、魔法使いの少年の叫びは、彼らにとっても無視できるものではなかった。

 手を振り上げている者より、所在無さげに手を下ろしている者の方が多くなった頃、誰かの声が響き渡った。

「……出ていってくれ」

 言ったのは、誰だかは分からない。
 だが、誰か一人がそう口にした途端、多くの人達がそれこそが自分の本音だと気が付いたように、同じ言葉を次々に口にする。
 ズレた輪唱の様に、人々は戦いを身構える少年に向かってただそれだけを望む。

「頼むから、早くこの町から立ち去ってくれ……! オレ達の目の届かない所へいってほしい……っ」

 その願いを少年が承諾するのを見た、人々の表情は複雑だった。安堵とも心残りともつかない表情を浮かべ、潮が引く様に人々が去っていく。
 集まってきたのと同じ速度で、人々はそれぞれ各自の家へと散っていった――。

 

 

 あれほど人の集まっていた広場から嘘の様に人がいなくなった頃になってから、ポップはへたりと崩れ込むようにその場に座り込む。 それから、ようやく安堵の息が漏れた。
 

(――よかったぁ……)

 心底、ポップはそう思わずにはいられない。
 ヒュンケルのためにも、町の人々のためにも……そして、自分自身のためにも。
 あのままだったら、そのいずれかに被害が出ただろう。

 犠牲がでないまま収まったのは奇跡の様なものだと思うポップは、自分こそがその奇跡を起こしたという自覚はまるっきりなかった。
 今になってから震えてきた身体を抑えるだけで、必死だったからだ。

(あー、今度こそ死ぬかと思ったぜ)

 震えているポップは、はっきりと自覚していた。もし、あのまま戦いが始まっていたのなら、一番大きな被害を受けたのは自分だと言うことを。
 あのままヒュンケルを見捨てるなんて選択肢は、ポップには最初からなかった。だいたい見捨てられるぐらいなら、最初から助けに飛び込んだりなんかしない。

 かと言って、ポップにはあの町の人達と戦うような度胸などなかった。身近なものを武器替わりに襲いかかる寸前だったとはいえ、あそこにいたのはごく普通の人達だった。
 魔法に対してなんの抵抗力も持たない、本来は善良な、ポップの生まれ育った村の住人と同じようにごく普通の人達。

 そんな人達相手に魔法を放つなんてことが、できるはずがない。当たれば死ぬと分かっている魔法を一般人に向かって放つような真似を、できるわけがない。
 怪物や敵となら戦えても、一般人相手では全く話が違う。そもそも魔法で他人を傷つけたり、巻き込んだりすること自体がポップにとっては禁忌だ。

 だから、ポップは町の人達と戦うという選択も選ぶ気などなかった。
 残っているのはただ一つ――自分にダメージが来るのを覚悟で、瞬間移動呪文で逃げる道だけだ。

 しかし、それはポップにとっては命取りになりかねない。ダイが行方不明になった直後に移動呪文に失敗して以来、ポップは一度もその呪文を使ったことはなかったが、それでも本能的にその危険性は察していた。

 もし、今度瞬間移動呪文を使うとすれば、それは一か八かの大勝負になると。まず、間違いなくポップは呪文の副作用で発作を起こすだろうし、最悪の場合はポップの息の根を止めるだろう。

 だが、他に手段がなければしかたがない。
 気絶したヒュンケルを助け、町の人々と戦いたくないというのなら、魔法で撤退するしか道はなかった。

 実際ポップはいざとなったらそうするつもりだったし、ダメージも覚悟の上だった。
 それでも、できるだけそうしたくなかったのは、それが自分にとってひどくダメージを与える手段だったからではない。

 移動呪文は、自分の知っている場所へと戻る呪文  つまり、後戻りするための魔法だ。 ポップにとって、それはダイを探す旅からの撤退を意味する。たとえ自分が死んだとしても目的が果たせるのなら構いはしないが、それ以外の理由で死ぬなんて嫌だった。

 だからこそ、ポップはギリギリまで最後の手段は取らなかった。その前にせめて一足掻きと思いハッタリを仕掛けてみたのだが、なんとかそれが成功したらしい。

(ったく、ヤバかったぜー。もうちょっとでハッタリのために死ぬとこだったぞ、ホントに! ったく、なんだってこんな奴のためにそこまでしなきゃならねんだよ?!)

 心の中で毒づきながらも、ポップはヒュンケルの様子を確かめようとそちらに目を向けかけ――そして、気がついた。

「……あんたは……」

 一人だけぽつんと残っていたのは、褪せた緑色のワンピース姿の少女だった。ヒュンケルを助けてくれと、必死でポップに頼み込んできた少女。
 ついさっきは走った直後のせいか紅潮していた頬は、今は見る影もなく青ざめている。
 思い詰めた様子でじっとこちらを見つめている少女の目には、一言ではとても言い表しきれない複雑な色合いに溢れていた。

 その中で一番強い感情は、おそらくは怒りと悲しみだろう。
 抑えきれない感情に揺れる瞳は、今にも泣き出してしまいそうに見える。だが、彼女は泣き崩れはしなかった。
 こぼれ落ちそうになる涙を意思の力で必死に抑え、丁寧に一礼する。

「ごめんなさい」

 深く下げられた頭は、そのままあげられることはなかった。

「本当は、わたし、あなたにお礼を言わないといけないんだわ。だって、わたしが頼んだんだもの……その人を助けてって。
 あなたはそれを叶えてくれた……なのに……」

 深く頭を下げているせいで、細い肩が震えているのがよく見える。涙混じりの声が、少しずつ小さく、不明瞭なものに変わっていくのもポップは聞き逃さなかった。

「…………なのに……わたし……今、後悔、しているかもしれない……」

 嗚咽を漏らすその少女の真下の地面に、小さな水滴が何度も落ちる。それに気付いていながら、ポップはゆっくりと告げた。

「――ありがとうな」

「……っ」

 驚いたはずみでか、顔を上げた少女に向かってポップは今度こそ目を合わせて言う。

「おれは、あんたに感謝しているぜ。こんな奴でも、おれには兄弟子なんだ」

 それは、少女の心を安らがせるための詭弁だけではなく、ポップの本音だ。
 もし、この少女がいなかったなら。
 ポップはきっと、間に合わなかっただろう。騒ぎがすっかりと済んだ頃、手遅れになってから事実を知って――後悔したに違いない。

 一生引きずるに違いない、救いのない後悔を。
 それを負わずにすんだのは、この少女のおかげかと思えば自然に頭も下がる。だが、それを見た少女は焦った様にポップを止めた。

「や、やめてっ、じゃなくて、やめてくださいっ、そんなの。
 っていうか、よく考えたら失礼ばかりしてすみませんっ、魔法使いポップ様に助けていただいて、その上、あまつさえ文句まで言って、頭を下げられるなんて……っ、やだ、わたしったら?!」

 一人で慌てふためき、急に言葉も改めだした少女にポップは苦笑する。

「いいよ、別に。フツーに話してくれていいって。様なんて呼ばれると、かえって落ち着かないしよ。
 それよりさ、一つだけ聞きたいことがあるんだけど」

 意図的に軽く言いながら、ポップはヒュンケルを軽く指差す。

「荷車か何かを、手にいられるとこって知ってる? こいつを運びたいんだ」

 未だに目覚める気配のないヒュンケルを、このまま放置しておく訳にはいかない。
 町の人達にもここから立ち去ると約束したことだし、一刻も早くここから去った方がいいと分かっている。

 町の人達の感情のことを思えば、町の広場にいつまでもヒュンケルがいればまた騒ぎが再燃してもおかしくはない。
 だが、回復魔法を再度かけようにも、すぐにはとても無理だ。少なくとも少しは時間をあけてからでなければ、使えない。

 ここで肩にヒュンケルを担いで連れて行ければいいのだが、体力的にも体格的にもポップには不可能な話だ。

(まあ、荷車が手に入らないなら、引きずっていくか。こいつの頑丈さなら大丈夫だろうし、もし多少ケガをしたって後で回復魔法をかけてやりゃいいだろ)

 そんなことを考えているポップの気も知らず、少女は真面目な顔で頷いた。

「分かったわ、すぐに探してきます!」

 

 

「ねえ。……あなたは、…知っています…いえ、知っているの? その人が何をしたのか……」

 少女の質問がとぎれとぎれになるのは、勇者一行の一員に対して敬語を使うのが礼儀と思う心と、ポップ本人の希望にそって普通の言葉の間で迷っているせいか。
 それとも、重い荷車を押すのに力を入れているせいか。そのどちらかだろうと、ポップは思うことにした。

 ヒュンケルへのわだかまりから、素直に口を聞けないのだろうという最も真相に近い事情など気がつかないふりをして、答えを返す。

「知ってるよ。これでも仲間だし……それに、初めて会った時は敵だったんだしよ」

 荷車を引っ張りながら、ポップは答える。
 荷車に横たわっているヒュンケルの顔も、後ろから荷車を押してくれている少女の顔も見えないだけに、言いやすいこともある。

「もう、最初はとんでもない奴だと思ったさ。おれや仲間達のことも仇だとか言って殺そうとしていたし、手加減無しに思いっきりぶんなぐってくれちゃったりしてよ。
 その他にもいろいろあったし、こいつぐらいムカつく奴なんかいなかったぜ」

 思い出しながらポップは、ほんの少しだけ笑う。

「ま、それは今でも似た様なものか。今だってすっげームカつくところは変わってねえし、なにかってえと人をガキ扱いしてアニキ風をふかす奴だし、仲がいいとはお世辞にも言えねえんだけどさ。
 でも……それでも、おれは――こいつが死んじまうのは、嫌なんだよ」

「そう、なの……」

 その言葉を最後に、少女は黙りこくってしまった。それは、荷車を押すのに集中したせいだろうと、ポップは解釈する。

 いくら荷車の助けがあっても、ポップと少女の力で大の男を運ぶのは至難の業だ。だが、少女はよく手伝ってくれた。
 そんな義理などないのに、古ぼけた荷車をどこからか借りてきてくれた上に、ポップがヒュンケルを荷車に乗せるのにも手を貸してくれた。

 その上、町外れまでずっと荷車を押してくれていた少女は、荷車はそのまま放っておいてくれていいからとだけ言い残し、丁寧に頭を下げてそのまま無言で去ろうとした。
 その様子が余りにも痛々しく見えて――ポップは、つい、引き止めていた。

「待てよ。
 あんた、こいつに言いたいことがあるんじゃないのか?」

 その言葉が少女に与えた影響は大きかった。
 びくりと足を止めた少女の顔に、苦痛の色合いが浮かぶ。だが、彼女は心を押し殺す様に、小さく呟く。

「…………言っても、仕方がないこと、だもの」


 ひどく苦しそうな表情だった。
 諦めたくないものを、無理やり諦めなければならないと我慢しているような顔――それが、ポップの知っているとある姫君に重なる。 だからこそ、ポップは少女に言わずにはいられなかった。

「そうかもな。
 でも、言いたいことは言っておいた方がいいぜ」

 それは、いつかその姫本人に言われた言葉であり、ポップが知らず知らずのうちに実行している信念でもあった。

 敵に対してだって、ポップは遠慮をしたことがない。ならば、今は味方になったヒュンケルに対してだって、遠慮や手加減をする気など毛頭なかった。
 なのに、少女は申し訳なさそうに首を横に振る。

「わたしは……きっと、ひどいことを言うわ」

「いいんじゃねえの?」

 その言葉に、少女が驚いた様に目を見開く。

「あんたがこいつを殺すってんならやめてくれって言うけどさ、文句を言うだけなら別に構わねえって。
 言えば、ちったぁスッキリするんじゃね?」

「え……、でも、そんな……いい、の……?」

 少女の当惑が、ますます強まる。
 だが、今度の当惑は明らかに心を動かされたことによる戸惑いだ。

「いいよ。
 言いたいことがあるなら、存分にこいつに言ってやればいい。
 ってか、おれだってよく言っているし」

 意図的に軽くそう言うと、初めて少女の顔に笑みが浮かぶ。その笑顔を見て、ポップはこの少女がどことなく母親に似ているなと思う。
 スティーヌに比べると、少しばかりそそっかしそうで活動的だが、イメージは近い。
 そんなことを考えた後、気持ちを切り替えてポップはヒュンケルへと向き直る。

「じゃ、今からこいつのこと、起こしてやるからさ」

 そう言いながら、ポップはヒュンケルの胸に手を当てて魔法力を注ぎ込みだした――。

 

 

(……あれ……?)

 スウッと意識が浮上した時、ポップが見上げている空はすでに暗くなりかけていた。
 シンと静まり返った夜の森に、自分が横たわっているのだと気がついた途端、ポップははじかれた様に飛び起きる。

 慌ててその辺を見回したポップの目に映ったのは、たった今つけられたばかりと見える焚き火と、ヒュンケルの姿だった。

「目が覚めたのか?」

 そう声をかけられた後で、ポップは自分がそれを見て、やっと完全に覚醒したのを自覚する。
 が、その途端に、猛烈な怒りが込み上げてきた。

「目が覚めたか、じゃねえよっ?! なんだってこんな時間まで起こさなかったんだよ、てめえはっ?!」

 ポップが寝入ったのは、昼前のことだ。ヒュンケルが戻ってくるまで、一休みのつもりで眠った――そのつもりだった。

 なのにとっぷりと日が暮れるまで起こそうとさえしなかったヒュンケルに対して、本気で怒りが沸き上がる。
 が、ヒュンケルは憎らしいぐらいにいつも通りだった。

「よく寝ていたからな」

「起こせばいいだろう、起こせばっ?! どうしてくれるんだよっ、半日も棒にふっちまっただろうがっ!」

 恨めしげに、ポップはヒュンケルを睨む。
 街道沿いならまだしも、森の中で夜歩くのは自殺行為もいいところだ。

 昼間のうちに少しでも遠く、安全な場所を探して歩くのが常識だと分かっているのに眠ってしまった自分にも腹が立つが、それを知っていながら起こしもしなかったヒュンケルにはもっと腹が立つ。

 よく見ればポップの上にはマントがかけられているし、おまけに焚き火までたいているのだが、そんな気遣いをする余裕があるぐらいならさっさと起こせと怒鳴りつけたい。
 が、ヒュンケルは平然とした顔でしらっと言う。

「……頼まれなかったからな」

(頼みもしないのに、人の後を追いかけてまで無償でボディーガードしてる奴が、何を言ってやがるっ)

 その文句が喉元まで込み上げてきたが、それを言わなかったのはヒュンケルが火の上に見覚えのある紙鍋を掛け直そうとしているのを見たせいだった。

「あーっ、それ、暖めたりするなよ、それは冷ましてから飲むもんなんだよ!」

 言って、ポップは奪う様に紙鍋を取り返す。

「そうなのか?」

「そーだよっ! だからわざわざ火から下ろしておいたんだからよ!」

 言いながらポップはすっかりと冷めきったお茶をコップに注ぎ、一口ごくりと飲む。
 懐かしい、香ばしい味と香りにささくれた気持ちが少し和んだ。
 大抵のお茶は熱いうちに飲んだ方が美味しいものだが、このお茶は例外だ。熱いうちは渋みやえぐみが強くて、とてもじゃないが美味しいと言えるようなものではない。

 だが、このお茶は冷めてからが真価を発揮する。
 冷めると自然な甘みが強まり、喉越しがよくなるのだとアバンに教えられたものだった。 習った通りの味に仕上がったことに満足して、ポップは余っているコップにもお茶を注ぎ、それを突き出す様にヒュンケルに渡す。

 そんな渡し方でも文句一つ言わずに受け取ったヒュンケルは、同じようにお茶を一口飲み、呟いた。

「……美味いな」

 よほどその味が気に入ったのか熱心に飲んでいたヒュンケルだが、ふと気がついたように焚き火から下がろうとする。
 と言うよりも、正確に言うなら焚き火に近寄ったポップから遠ざかろうとしたと言うべきか。

 こんな状況でもどこまでも律義に2メートルの基準を守ろうとするヒュンケルに、ポップはなんだかムカッとする気持ちを感じる。
 だが、それを素直に言う程ポップは殊勝な性格ではなかった。

「逃げるなよ。これから飯を作るんだから、おまえもちったぁ手伝えよな!」

 その言葉に、ヒュンケルは軽く目を見張る。
 頼んでいるとはとても思えない、まるで喧嘩を売っているような口調を気にすることなく、ポップが一番気付いてほしくないところだけ的確に質問してくる。

「どういう気紛れだ?」

 そう聞いてくるのも、無理はないだろう。今まではポップは、食事の時にヒュンケルに誘いをかけたことなんてない。
 自分は自分、ヒュンケルはヒュンケルで勝手にすればいいと思っていたし、実際にそうしていたのだから。

「い、いいだろ、別に! おまえのせいで時間を無駄にしたんだから、責任とれよっ! 昼飯を食い損なった分まで食ってやるんだから、てめえも手伝え!」

 本気でもない上に理屈にもなってないことを、ポップはごまかす様に怒鳴りちらす。
 本当のことなど、決して言う気はない。

 ――起きた時には、本当にびっくりしただなんて。
 あんな夢を見たせいかもしれないが、ヒュンケルの姿が見えないのに気がついて、思わず跳び起きるぐらいに驚いた。

 驚くというより、不安になったという方が正しいかもしれない。
 ヒュンケルが自分の側からいなくなるはずがないと、根拠も無くそう思っていた。当たり前の様にそう思っていたからこそ、それが崩されたと知り不安になった。
 また、あの時の様に勝手に死にかけているんじゃないかと思って――。

 だが、起きたらいつも通りヒュンケルが側にいると知って……不覚にも、ホッとしてしまった。

(ったく、有り得ねえぜ! あいつの顔を見て、ちょっと嬉しくなっちまっただなんてよ……!!)

 いくら寝起きだったからとはいえ、本気でそう思ってしまった自分が腹立たしくてたまらない。

 そんな動揺に気付かれたくなくて、いつも以上につっけんどんに振る舞ってしまう。だが、ポップの気を知ってか知らずか、ヒュンケルは腹が立つくらいに飄々としたペースを崩さない。

「それは――いい提案だな」

 素っ気ない、だが、どことなく苦笑を交えたような口調でヒュンケルが頷く。その反応に安心してしまっただなんて――やっぱり、決して言ってやる気などない。
                             END


《後書き》

 すっごく久々の、ポップとヒュンケルの二人旅の番外編ですv
 3話ではヒュンケル視点で進めていただけにポップが何をしていたのか書けなかったので、前から書いてみたかった部分なんです。

 この頃からポップもヒュンケルの心配をする様になったし、近くにいても(そんなには)怒らなくなったんじゃないかな〜と思っています。
 でもまあ、ポップはヒュンケルが気絶していた間の出来事は、きっと一生言わないでしょうね(笑)

 


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