『言わない言葉 ー後編ー』 |
怒っているのか、それとも泣き出そうとしているのか――どちらともつかない顔で叫ぶポップの糾弾に、周囲の人々がざわめいた。 突然、凄まじい魔法を使ってみせた魔法使いは、人々を萎縮させた。魔法がただの威嚇だったとはいえ、あれほどの魔法が自分に向かって放たれる危険性を意識しては、緊張するなという方が無理だろう。 だが、魔法を使うのをやめたポップはどうみてもただの少年にしか見えない。 「なにもしてないだって……?! おまえは知らないのか、そいつは大悪人なんだぞっ!」
「そ……そうだっ、そうだっ! その男は人殺しなんだぞっ!! 家を焼き、町を壊した! 国を滅ぼし、大勢の人を殺したっ!!」 「聞けば人間を裏切って、魔王軍の一員として働いていたというじゃないかっ! そんな男を、放っておけるものかっ!」 怒声が広がっていく。 人は、他人の理解を求めたがる生き物だ。 どちらが真に正しいかを問うことなく、1対多数のまま意見の差が広がっていく。数の多さに後押しされるように、人々の熱気は強まっていく一方だった。 罪深い狂戦士に、手加減など考えない。だが、その男を庇う少年にまで凶行を振るう程には、彼らは理性を失ってはいなかった。 邪魔な少年を暴力ではない力で追い立てようと、人々は声の限りを尽くしてヒュンケルの悪事を罵り、自分達の怒りが正当なものだと主張しようとする。 「そこを退くんだっ! そいつのせいで、大切な人を失った人が何人いると思っているんだっ!!」 「そうだっ!! おまえなんかに、その気持ちが分かるのかっ?!」 そう叫ぶ人々の目は荒んでいた。 悲しみに耐え、乗り越えようとする強さはそこにはない。 自分のことしか見ようとしない者に、他人の心の傷を見ることはできない。 目が大きく見開かれ、傷ついた子供の表情が彼の顔を支配する。無防備に立ちすくむその瞬間、そこにいたのは凄腕の魔法使いではなかった。 その言葉が少年の心の、一番脆い部分を傷つけたのは疑いようがなかった。言葉を失った彼がそのまま気力も失えば、もう暴動を止めようとする者などいない。 ――だが、ポップは打ちのめされはしなかった。 「ああ……分かるぜ。大切な奴を失う痛みなら……嫌って程、知っている……!」 悲痛な叫びが、聞く者の胸を貫く。 「だから、おれ……もう、これ以上、失うのなんて嫌なんだ。 血を吐く様な叫びだった。 「あんたらだって、そうじゃないのか?!」 強く訴えるポップの目を、まともに見返せる者などこの場にはいない。獲物を手に振り上げた腕を力なく下ろし、微妙に目を逸らす人々の方が多かった。 「もし……、あんたらがどうしてもこいつを殺すってんなら――悪いけど、黙って見てなんかいられねえよ!!」 そう叫ぶポップの手から、光が生み出される。すでに日が沈んで闇が濃くなってきた中でその光は、一際目立つ。 「この馬鹿は抵抗の一つもしなかったかもしれねえけど、おれはそんなに諦めがよくはねえんだ。 身構え、魔法の光をまとわせた手を翳す少年を中心に、人々の中に静かな動揺が広がっていく。 数の上では、魔剣士を糾弾する人々の方が圧倒的に多いかもしれない。しかし、ここにいるのはごく普通の人々にすぎない。 理不尽に魔王軍が攻めてくるという状況下でさえ戦うという選択を選ばず、ただ怯え、逃げ隠れながら生き延びた人々だ。 敵に対しても拳を振り上げる勇気を最後まで持てなかった人達には、自分達の復讐心を果たすために戦い抜くだけの覚悟もなかった。 「…………」 迷う様に、ざわめきが広がる。 各自の顔から熱狂じみた色合いが消えていくにつれ、代わりに後ろめたい様な表情へと取って代わる。 手を振り上げている者より、所在無さげに手を下ろしている者の方が多くなった頃、誰かの声が響き渡った。 「……出ていってくれ」 言ったのは、誰だかは分からない。 「頼むから、早くこの町から立ち去ってくれ……! オレ達の目の届かない所へいってほしい……っ」 その願いを少年が承諾するのを見た、人々の表情は複雑だった。安堵とも心残りともつかない表情を浮かべ、潮が引く様に人々が去っていく。
あれほど人の集まっていた広場から嘘の様に人がいなくなった頃になってから、ポップはへたりと崩れ込むようにその場に座り込む。 それから、ようやく安堵の息が漏れた。 (――よかったぁ……) 心底、ポップはそう思わずにはいられない。 犠牲がでないまま収まったのは奇跡の様なものだと思うポップは、自分こそがその奇跡を起こしたという自覚はまるっきりなかった。 (あー、今度こそ死ぬかと思ったぜ) 震えているポップは、はっきりと自覚していた。もし、あのまま戦いが始まっていたのなら、一番大きな被害を受けたのは自分だと言うことを。 かと言って、ポップにはあの町の人達と戦うような度胸などなかった。身近なものを武器替わりに襲いかかる寸前だったとはいえ、あそこにいたのはごく普通の人達だった。 そんな人達相手に魔法を放つなんてことが、できるはずがない。当たれば死ぬと分かっている魔法を一般人に向かって放つような真似を、できるわけがない。 だから、ポップは町の人達と戦うという選択も選ぶ気などなかった。 しかし、それはポップにとっては命取りになりかねない。ダイが行方不明になった直後に移動呪文に失敗して以来、ポップは一度もその呪文を使ったことはなかったが、それでも本能的にその危険性は察していた。 もし、今度瞬間移動呪文を使うとすれば、それは一か八かの大勝負になると。まず、間違いなくポップは呪文の副作用で発作を起こすだろうし、最悪の場合はポップの息の根を止めるだろう。 だが、他に手段がなければしかたがない。 実際ポップはいざとなったらそうするつもりだったし、ダメージも覚悟の上だった。 移動呪文は、自分の知っている場所へと戻る呪文 つまり、後戻りするための魔法だ。 ポップにとって、それはダイを探す旅からの撤退を意味する。たとえ自分が死んだとしても目的が果たせるのなら構いはしないが、それ以外の理由で死ぬなんて嫌だった。 だからこそ、ポップはギリギリまで最後の手段は取らなかった。その前にせめて一足掻きと思いハッタリを仕掛けてみたのだが、なんとかそれが成功したらしい。 (ったく、ヤバかったぜー。もうちょっとでハッタリのために死ぬとこだったぞ、ホントに! ったく、なんだってこんな奴のためにそこまでしなきゃならねんだよ?!) 心の中で毒づきながらも、ポップはヒュンケルの様子を確かめようとそちらに目を向けかけ――そして、気がついた。 「……あんたは……」 一人だけぽつんと残っていたのは、褪せた緑色のワンピース姿の少女だった。ヒュンケルを助けてくれと、必死でポップに頼み込んできた少女。 その中で一番強い感情は、おそらくは怒りと悲しみだろう。 「ごめんなさい」 深く下げられた頭は、そのままあげられることはなかった。 「本当は、わたし、あなたにお礼を言わないといけないんだわ。だって、わたしが頼んだんだもの……その人を助けてって。 深く頭を下げているせいで、細い肩が震えているのがよく見える。涙混じりの声が、少しずつ小さく、不明瞭なものに変わっていくのもポップは聞き逃さなかった。 「…………なのに……わたし……今、後悔、しているかもしれない……」 嗚咽を漏らすその少女の真下の地面に、小さな水滴が何度も落ちる。それに気付いていながら、ポップはゆっくりと告げた。 「――ありがとうな」 「……っ」 驚いたはずみでか、顔を上げた少女に向かってポップは今度こそ目を合わせて言う。 「おれは、あんたに感謝しているぜ。こんな奴でも、おれには兄弟子なんだ」 それは、少女の心を安らがせるための詭弁だけではなく、ポップの本音だ。 一生引きずるに違いない、救いのない後悔を。 「や、やめてっ、じゃなくて、やめてくださいっ、そんなの。 一人で慌てふためき、急に言葉も改めだした少女にポップは苦笑する。 「いいよ、別に。フツーに話してくれていいって。様なんて呼ばれると、かえって落ち着かないしよ。 意図的に軽く言いながら、ポップはヒュンケルを軽く指差す。 「荷車か何かを、手にいられるとこって知ってる? こいつを運びたいんだ」 未だに目覚める気配のないヒュンケルを、このまま放置しておく訳にはいかない。 町の人達の感情のことを思えば、町の広場にいつまでもヒュンケルがいればまた騒ぎが再燃してもおかしくはない。 ここで肩にヒュンケルを担いで連れて行ければいいのだが、体力的にも体格的にもポップには不可能な話だ。 (まあ、荷車が手に入らないなら、引きずっていくか。こいつの頑丈さなら大丈夫だろうし、もし多少ケガをしたって後で回復魔法をかけてやりゃいいだろ) そんなことを考えているポップの気も知らず、少女は真面目な顔で頷いた。 「分かったわ、すぐに探してきます!」
「ねえ。……あなたは、…知っています…いえ、知っているの? その人が何をしたのか……」 少女の質問がとぎれとぎれになるのは、勇者一行の一員に対して敬語を使うのが礼儀と思う心と、ポップ本人の希望にそって普通の言葉の間で迷っているせいか。 ヒュンケルへのわだかまりから、素直に口を聞けないのだろうという最も真相に近い事情など気がつかないふりをして、答えを返す。 「知ってるよ。これでも仲間だし……それに、初めて会った時は敵だったんだしよ」 荷車を引っ張りながら、ポップは答える。 「もう、最初はとんでもない奴だと思ったさ。おれや仲間達のことも仇だとか言って殺そうとしていたし、手加減無しに思いっきりぶんなぐってくれちゃったりしてよ。 思い出しながらポップは、ほんの少しだけ笑う。 「ま、それは今でも似た様なものか。今だってすっげームカつくところは変わってねえし、なにかってえと人をガキ扱いしてアニキ風をふかす奴だし、仲がいいとはお世辞にも言えねえんだけどさ。 「そう、なの……」 その言葉を最後に、少女は黙りこくってしまった。それは、荷車を押すのに集中したせいだろうと、ポップは解釈する。 いくら荷車の助けがあっても、ポップと少女の力で大の男を運ぶのは至難の業だ。だが、少女はよく手伝ってくれた。 その上、町外れまでずっと荷車を押してくれていた少女は、荷車はそのまま放っておいてくれていいからとだけ言い残し、丁寧に頭を下げてそのまま無言で去ろうとした。 「待てよ。 その言葉が少女に与えた影響は大きかった。 「…………言っても、仕方がないこと、だもの」
「そうかもな。 それは、いつかその姫本人に言われた言葉であり、ポップが知らず知らずのうちに実行している信念でもあった。 敵に対してだって、ポップは遠慮をしたことがない。ならば、今は味方になったヒュンケルに対してだって、遠慮や手加減をする気など毛頭なかった。 「わたしは……きっと、ひどいことを言うわ」 「いいんじゃねえの?」 その言葉に、少女が驚いた様に目を見開く。 「あんたがこいつを殺すってんならやめてくれって言うけどさ、文句を言うだけなら別に構わねえって。 「え……、でも、そんな……いい、の……?」 少女の当惑が、ますます強まる。 「いいよ。 意図的に軽くそう言うと、初めて少女の顔に笑みが浮かぶ。その笑顔を見て、ポップはこの少女がどことなく母親に似ているなと思う。 「じゃ、今からこいつのこと、起こしてやるからさ」 そう言いながら、ポップはヒュンケルの胸に手を当てて魔法力を注ぎ込みだした――。
(……あれ……?) スウッと意識が浮上した時、ポップが見上げている空はすでに暗くなりかけていた。 慌ててその辺を見回したポップの目に映ったのは、たった今つけられたばかりと見える焚き火と、ヒュンケルの姿だった。 「目が覚めたのか?」 そう声をかけられた後で、ポップは自分がそれを見て、やっと完全に覚醒したのを自覚する。 「目が覚めたか、じゃねえよっ?! なんだってこんな時間まで起こさなかったんだよ、てめえはっ?!」 ポップが寝入ったのは、昼前のことだ。ヒュンケルが戻ってくるまで、一休みのつもりで眠った――そのつもりだった。 なのにとっぷりと日が暮れるまで起こそうとさえしなかったヒュンケルに対して、本気で怒りが沸き上がる。 「よく寝ていたからな」 「起こせばいいだろう、起こせばっ?! どうしてくれるんだよっ、半日も棒にふっちまっただろうがっ!」 恨めしげに、ポップはヒュンケルを睨む。 昼間のうちに少しでも遠く、安全な場所を探して歩くのが常識だと分かっているのに眠ってしまった自分にも腹が立つが、それを知っていながら起こしもしなかったヒュンケルにはもっと腹が立つ。 よく見ればポップの上にはマントがかけられているし、おまけに焚き火までたいているのだが、そんな気遣いをする余裕があるぐらいならさっさと起こせと怒鳴りつけたい。 「……頼まれなかったからな」 (頼みもしないのに、人の後を追いかけてまで無償でボディーガードしてる奴が、何を言ってやがるっ) その文句が喉元まで込み上げてきたが、それを言わなかったのはヒュンケルが火の上に見覚えのある紙鍋を掛け直そうとしているのを見たせいだった。 「あーっ、それ、暖めたりするなよ、それは冷ましてから飲むもんなんだよ!」 言って、ポップは奪う様に紙鍋を取り返す。 「そうなのか?」 「そーだよっ! だからわざわざ火から下ろしておいたんだからよ!」 言いながらポップはすっかりと冷めきったお茶をコップに注ぎ、一口ごくりと飲む。 だが、このお茶は冷めてからが真価を発揮する。 そんな渡し方でも文句一つ言わずに受け取ったヒュンケルは、同じようにお茶を一口飲み、呟いた。 「……美味いな」 よほどその味が気に入ったのか熱心に飲んでいたヒュンケルだが、ふと気がついたように焚き火から下がろうとする。 こんな状況でもどこまでも律義に2メートルの基準を守ろうとするヒュンケルに、ポップはなんだかムカッとする気持ちを感じる。 「逃げるなよ。これから飯を作るんだから、おまえもちったぁ手伝えよな!」 その言葉に、ヒュンケルは軽く目を見張る。 「どういう気紛れだ?」 そう聞いてくるのも、無理はないだろう。今まではポップは、食事の時にヒュンケルに誘いをかけたことなんてない。 「い、いいだろ、別に! おまえのせいで時間を無駄にしたんだから、責任とれよっ! 昼飯を食い損なった分まで食ってやるんだから、てめえも手伝え!」 本気でもない上に理屈にもなってないことを、ポップはごまかす様に怒鳴りちらす。 ――起きた時には、本当にびっくりしただなんて。 驚くというより、不安になったという方が正しいかもしれない。 だが、起きたらいつも通りヒュンケルが側にいると知って……不覚にも、ホッとしてしまった。 (ったく、有り得ねえぜ! あいつの顔を見て、ちょっと嬉しくなっちまっただなんてよ……!!) いくら寝起きだったからとはいえ、本気でそう思ってしまった自分が腹立たしくてたまらない。 そんな動揺に気付かれたくなくて、いつも以上につっけんどんに振る舞ってしまう。だが、ポップの気を知ってか知らずか、ヒュンケルは腹が立つくらいに飄々としたペースを崩さない。 「それは――いい提案だな」 素っ気ない、だが、どことなく苦笑を交えたような口調でヒュンケルが頷く。その反応に安心してしまっただなんて――やっぱり、決して言ってやる気などない。 《後書き》 すっごく久々の、ポップとヒュンケルの二人旅の番外編ですv この頃からポップもヒュンケルの心配をする様になったし、近くにいても(そんなには)怒らなくなったんじゃないかな〜と思っています。
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