『胸に手を当てて ー後編ー』

「…………………………」

 やけに真剣なダイの質問に、ヒュンケルはしばし言葉を失ってしまう。まさか、こんなことをいきなり聞かれるとは想定外もいいところだった。
 まるっきりのお子様だと思っていたダイが、おっぱいになど興味を持つお年頃になったとは――。

 なんだか妙に感慨深い思いを味わうと同時に、唐突に思い出したのはかつて自分がまだ幼い頃のバルトスへ質問をしたことだった。

『人間は、どうやって生まれるの?』

 何の気なしに聞いた質問だし、そう深く考えて聞いたことではなかった。バルトス達のような死霊系怪物達が無念の死によって怪物へと代わる様に、当時のヒュンケルは人間もそんな風に何かきっかけがあって誕生するものなのかと思っていたのである。

 だが、そう尋ねた時、父親がひどく困ったような顔をしていたことは今でも覚えている。 成長した後になってから、子供の無邪気な質問というものは時として大人には答えにくいものがあるという事実を知ったものだ。

(さて、どう答えればいいやら……)

 性教育、というものをヒュンケルは受けた覚えがない。
 アバンに習っていた頃はまだそんな年齢ではなかったし、ミストバーンは情操教育などに気を配る男ではなかった。

 まあ、今となってはなんだかんだでヒュンケルも性に関する知識は人並みに知ってはいるのだが、それを子供に教えろと言われれば気後れを感じてしまう。
 なにも知らなそうな無邪気な子供に、男と女のあれこれを教えるのはどうにも気が進まないというか、ぶっちゃけ照れくさくて気恥ずかしい。

 正直、こんな質問だったのなら年齢の近いポップか、でなければ口八丁では他に右に出るものがいないアバンあたりに聞いてほしかったと心から思う。

 これがまだ、新入りの兵士達がそうであるように、興味津々ながらも声を潜めてこっそりと質問を交わし合っているというのならまだ対処もしやすいが、ダイはどこまでも無邪気だった。

 自分の質問が恥ずかしいものだなんてまるっきり思いもしていないような無垢さで、重ねて尋ねてくる。

「ヒュンケルも分かんないの? レオナも答えてくれなかったし、そんなに難しい問題なのかな?」

(……姫にも直接この質問をしたのか!?)

 勇者の暴挙にさすがに驚いたものの、それでも驚いた様子を見せずに淡々とした態度を貫ける辺りがヒュンケルの自制心の高さというものだ。
 いい返答は思いつかなかったヒュンケルは、逆に質問してみた。

「いや、そういうわけでもないが……ダイ、なんで急におっ……いや、そんなことに興味を持ち始めたんだ?」

 それは、純粋たる疑問でもあった。
 ダイときたら本当にお子様お子様していて、今まで異性に興味を全く示さなかったのだから。

 何か、特別なきっかけでもあったのだろうかと思いながら、ヒュンケルはそれとなくダイの背後の方向へと目をやる。
 曲がり角付近に、ちらちらと見え隠れしているのは、長く伸びた栗色の毛だった。

 おそらく本人は隠れているつもりなのだろうが、風向きにまで気が回っていないのだろう。
 だが、これはこれでいい機会かもしれないと思い、ヒュンケルは意図的に質問を誘導してみる。

「やはり……姫が気になるのか?」

 ヒュンケルにしてみれば――いや、彼だけでなく勇者一行のメンバー全員や、パプニカの国民の大多数にとって、それは望んでやまない方向性だ。

 長い間行方不明のままだった勇者と、それを待ち続けた姫君。2年という時間を置いてやっと再会を果たした二人には、今までの頑張りに見合うように、誰よりも幸せになって欲しい。

 幼い勇者が王女への思いを自覚し、それが自然に恋へと発展して、いずれは結婚する……そんなおとぎ話の様なハッピーエンドを期待しているのである。
 が、ダイの反応は期待とは大きく違っていた。

「え? レオナ?」

 思ってもいないことを言われたとばかりに、ダイがきょとんと目を見張ってから実に素直に答える。

「ううん、おれ、レオナのおっぱいは気にならないよ」

 どこまでも素直なそのお答えに、目眩を感じたのは多分ヒュンケルだけではないだろう。 隠れていたはずのレオナが、よろけたように壁から一歩姿を見せるのが見えた。もちろん慌てて隠れなおそうとしたものの、こんな時ばかりは鋭いダイは、そのわずかな気配を感じてか振り返る。

「あ、レオナ! 珍しいね、もうお仕事は終わったの? じゃ、一緒に遊ぼうよ!」

 レオナと目が合った途端、パッと顔を輝かせて歓迎するダイがそれを心から喜んでいるのは間違いないだろう。
 …………が、今の一言はレオナの乙女心には致命的とも言える大ダメージを与えたらしく、なにやらふらついているのをエイミが心配そうに支えている。

 姫に忠実な賢者の娘はレオナを支えるだけでなく、ちょっぴり非難がましい視線を勇者へと向ける。

「ダイ君、今の言葉はあんまりじゃないですか! 姫に対して、失礼ですよ!!」

「? ……そうなの?」

 エイミの怒りの意味がまるっきり分からないのか、ダイが問う視線をヒュンケルに向ける。が、そんな目で見られても、ヒュンケルだって困ると言えば困る。

「おれ、ちょっと気になったから聞いてみたんだけど。ここのとこ、ポップがおっぱいを触ってるの、よく見かけるから」

 その言葉を聞いた途端、レオナの目にキラリとした光が宿る。

「なんですって……っ!? なによ、なによ、ポップ君がそんなセクハラをしてただけなのっ!? あの腐れ大魔道士ったら、ホントにもう……っ! いらないところだけ師匠の真似をしなくってもいいでしょうに!?」

 ほとんど八つ当たり気味な怒りではあるが、腹立ち紛れにそう叫ぶレオナを止められるものなど誰もいやしない。
 ふらつきはどこにいったのやら、レオナは一直線にポップの執務室に向かって行った――。





「入るわよ、ポップ君っ!」

 文句を言ったらただではおかないぞとばかりの気迫を込め、ノックもせずに真っ先にポップの執務室へと飛び込んだレオナは、わずかに眉を潜める。
 予想に反して、何の反応もなかったからだ。

 かといって、執務室が不在な訳ではない。書類がごちゃごちゃに広げられた机には、確かにポップが座っている。だが、彼は机にだらしなく突っ伏して、すやすやと寝息を立てている。
 執務時間中のこの態度に、レオナの怒りがさらにヒートアップしたのは言うまでもない。

「なに呑気に眠っているのよっ、起きなさいよっ!」

 と、怒鳴りながら遠慮無しにポップを揺さぶると、さすがに寝起きの悪い彼も目を覚ましたらしい。
 が、起きるなりポップはギョッとしたように悲鳴を上げる。

「う、うわっ、姫さんっっ!?」

 驚きのあまり椅子ごと後ろにひっくり返りそうになったポップの態度が、またレオナの怒りを煽る。

「なによっ、そんなに驚くことないでしょ! 失礼しちゃうわね、まったく」

 急に起こしたのを差し引いても、驚きすぎである。だが、ポップは何度もまばたきをしつつ、椅子ごとじりじりとレオナから距離を取ろうとする。

「だ、だってよ、そんな格好でいきなり迫られたら、誰だってびっくりするだろ!? なんだってそんな服着てんだよ、姫さん!?」

 ポップが顔を赤らめて指摘するのも、ある意味でもっともな話だ。
 ミニスカートが好きで、肌の露出も比較的多い服を着ることの多いレオナだが、今日の彼女の服は普段よりもさらに大胆だった。

 胸元に大きな切れ込みが入って、そこをリボンで編み上げた服は、品のよいセクシーさと可愛らしさを合わせ持っている。

 だが、思春期の少年にとってはやけに胸を強調したその服装は刺激的過ぎるのだろう。妙に恥じらうポップに釣られた様に、レオナもまた頬を朱に染める。
 ――ただし、彼女の場合は恥じらいではなく怒りの感情の方が強いようではあるが。

「そ、そんなのあたしの勝手でしょっ!? ポップ君ったらまったく普段は鈍感なくせに、腹が立つとこばっかり気が回るんだから!」

 気付いて欲しい人にはまったく気が付いてもらえず、気付いて欲しくない人に限ってあっさりと見抜かれてしまうとは、皮肉な話である。

「あー、そういえばレオナの服、いつもと違うね」

 そんなことを言うダイは、ポップのその言葉を聞いてから初めてその服に気が付いた様子だった。しかし、ヒュンケルもまた、レオナの服装にまでは注意を払っていなかったのでたった今気がついたようなものだった。

(防御力には欠けている服だな)

 内心そんな感想が浮かんだものの、それは口にしないでおく。それは、賢明な判断だった。

「あたしの服についてポップ君にとやかく言われる筋合いはないわよ! 城の風紀を乱す様な真似をしているのは、むしろあなたでしょ!?
 さあ、白状しなさい。いったい誰にセクハラをしているの? ことと次第によっては、マァムに全部話しちゃうわよ!」

 興奮しまくっているレオナに対して、ポップはまだ眠そうにあくびをしながらなだめる。
「おいおい、姫さん、何を興奮してんだよ。ちったぁ落ち着けって。だいたい話すって、何をだよ?」

(……おかしいな)

 ヒュンケルが違和感を抱いたのは、その時だった。
 戦場では見事なまでの度胸でハッタリをしかけるのを得意としているポップだが、日常での彼は隠し事に向くタイプではない。

 ことにマァムが絡む様な要件なら、なおさらだ。些細なことでも動揺して、やたら慌てふためきそうなものである。

 それなのに今のポップは、全く何の身の覚えもないように平然としている。その態度は開き直っているというよりは、事情が分からないまま免罪にでっくわした人のそれに見えた。

 普段のレオナならば、ヒュンケルでも見抜ける様なそんなポップの態度を簡単に洞察できただろう。が、今のレオナは八つ当たりの相手を求めて完全に頭に血が上りきっていた。

「とぼけないでちょうだい! ポップ君、あなたねえ、それって浮気の上に犯罪なのよ!? いったい、誰の胸を触ったりしたの? 素直に白状する様なら、情状酌量してあげるわよ?」

「え? え? 胸って……ちょっと待てっ!? な、なんなんだよ、それっ!?」

 やっと自分にかけられた容疑を理解したポップは、猛然と反発する。

「おれがいつ、そんな嬉しい……じゃなくって、師匠みたいな真似したっつーんだっ!? 断じておれはそんな真似をした覚えはねーよっ、だいたいだなぁ、忙しくってここんとこずーっと執務室から出れねえおれにそんな羨ましい……もとい、浅ましいことをする暇があると思ってんのかよっ!?」

 侮辱されたといわんばかりの勢いでいかにも憤慨している様に叫ぶポップだが、言葉の端々から本音がポロポロこぼれ落ちてしまっている様である。
 が、ダイも主張を崩さなかった。

「だって、おれ、見たんだもん! ポップ、ここんとこ毎日おっぱい、触っているじゃないか」

「ほら、ダイ君がそう言っているのよ? いい加減白状なさい」

 ダイの言い分を問答無用で信じる主義のレオナは自白を迫るが、ポップは彼女にではなくダイに向かって文句をつけた。

「ふざけんなよっ、ダイ! てめえ、何をいい加減なことをぬかしやがるんだっ!? 名誉棄損もんだぞ、これっ。おれがいつ、誰に対してそんな痴漢みたいな真似をしたっつーんだよ!」

 カンカンになって怒鳴るポップに憶せず、ダイは真っ直ぐに自分の魔法使いを指差した。
「ポップだよ」

 どこまでも大真面目に、ダイは真っ直ぐにポップを見ながら言ってのける。 

「ポップ、ここんとこよく、自分で自分のおっぱいを触っているじゃないか。おれ、何度も見たもん」





 しんと部屋が静まり返ったのは、決してその告発を『衝撃の告白』と受け止めたせいではなかった。
 むしろあまりにも肩透かしな、根本的に何かを間違っている誤解にしらっとした空気が漂ったせいだ。

 レオナは怒りのやり場をなくして呆然と突っ立っているだけ出し、エイミは目眩を抑える様に頭を押さえている。
 そして、タイミングが随分と遅れてから、ポップが堪り兼ねた様に怒鳴り散らした。

「あ……あほか、てめーはっ!?
 そもそも、野郎の胸は『おっぱい』とは呼ばねえもんなんだよっ!!」

「え? 違うの!?」

「大違いだっ! ったく、おめえは家庭教師からいったいなにを習っていやがるんだっ!?」
 と、ポップは怒鳴りまくるが、それはいくらなんでも家庭教師に失礼だ。
 ダイの欠けている常識を補うために保健体育の授業もカリキュラムにはしっかりと組み込まれているとはいえ、『おっぱい』云々についてはどう考えても専門外というものだろう。

「ま……まあ、セクハラでないのなら別にいいんですけど……姫様、今日はもう引き上げましょうか? お召し換えをした方がよろしいでしょうし」

 気が抜けた様な声で促すエイミに半ば呆然と従いかけたレオナだったが、ふと、何かに気がついた様な表情を見せる。

「……ちょっとまって、ダイ君。あなたはポップ君が、自分で自分のおっぱいを触っていたのを見たのね?」

「ちょっとぉ、姫さんっ!? ダイに釣られてなにゐってんだ、あんたわっ!?」

 王女にあるまじき、いや、その年頃の少女に相応しくない台詞を口走る乙女に対してポップの方が赤面して舌がもつれているが、レオナはそんなことに頓着しなかった。

「そこって、ここ!?」

 と、素早くポップの胸に触れる。

「ふやぁあっ!?」

 妙に甲高い悲鳴を上げ、ポップは身をよじってその手から逃れようとする。が、レオナはしつこかった。

「ちょっとポップ君、抵抗しないでよ!」

「す、するに決まってるだろっ!? 姫さんだっていきなり他人に胸を触られて、おとなしく触られているってえのかよ!?」

 ポップはまるで痴漢に触れられた少女のごとく顔を赤くして、両手で胸を庇ってレオナの手から逃れようとする。だが、レオナはそうはさせまいと手を止めようとしない。

「いいからおとなしくしていなさいよっ、いいじゃない、減るものじゃないんだから! ああ、もう、じっとできないなら……ヒュンケル! お願い、ポップ君を抑えていて!」

 その命令と同時に、ポップの両手ががっしりと掴まれる。いつの間に背後に回ったヒュンケルの仕業だった。

「なにしやがるんだよっ、この裏切り者ぉっ! おまえまで痴漢の片棒を担ぐってのかよっ!?」

 ポップの猛烈な抗議もものともせず、ヒュンケルは暴れる彼をしっかりと、だが決して痛みを与えない様に慎重に掴まえる。
 両手を後ろに回し、胸を隠せないようにする姿勢を取らせ、レオナの前に差し出す形を取った。

「姫の命令だ。……悪く思うな」

 やっていることはともかくとして、ひどく気を使った丁寧な手つきなのは間違いなかったが、ポップのお気に召さなかったらしい。

「思うに決まっているだろうっ、めちゃくちゃ根に持って悪く思ってやるっ! スカした面してよくもまあ、痴漢のサポートができるもんだなっ!? しかもてめえ、ヤケに手慣れてねえか!? 離せっ、こんちくしょうっ!!」

「ちょっとぉ、人聞きの悪いことを言わないでよねっ。うるさいから少し黙っていてちょうだい、ポップ君。じゃないと、ヒュンケルに口も塞ぐ様にと頼んじゃうから」

「げ……っ」

 喉の奥で呻き、思わず絶句したポップに代わる様に、ダイがひょいと口を出す。

「ちかんってなに?」

 分からない単語を素直に尋ねる主義の勇者の素朴な疑問に対して、王女は答えないままにっこりと微笑む。

「それよりもダイ君、教えて。ポップ君が触っていたっていうのは、ここら辺?」

 と、レオナは白い手を伸ばしてポップの胸元をまさぐりだす。その手を嫌ってか、ポップはろくに動かない身体をよじってもがく。

「ひ、姫さん、それ、やぁっ!? やめっ、やめてくれったらっ!?」

「ええいっ、初な乙女じゃあるまいし、ぎゃあぎゃあ騒がないの!」

「っていうか、そう言うあんたが現役で初な乙女なんじゃないのかーっ!? あんたこそ何をしているんだよーっ!?」

 ぎゃあぎゃあとわめき立てる声こそは互角でも、手を押さえられたポップには結局何の抵抗もできる訳がない。レオナの手は我が物顔でポップの胸板を探り、ある一点でぴたりと止まる。
 と、ダイがこくんと頷いた。

「うん、そこだよ。ポップ、いつもそこをしばらく触ったり、撫でたりしてるんだ」

「……やっぱりね」

 小さく溜め息をつくレオナが手を当てている場所は、左胸――ちょうど、心臓の真上の位置だった。

「当ててみせましょうか、ダイ君。ポップ君がそうする時って、決まってちょっと疲れている様に見える時か、顔色があまりよくない時なんでしょ?
 でも、ここを触った後は元気になる……違うかしら?」

 確信ありげに言うレオナを、ダイは無邪気に褒める。

「すごい、その通りだよ、レオナ! だからおれ、おっぱい触るのってそんなに気持ちがいいのかなって不思議に思ってたんだ」

「ふーん……そーだったのね。いいことを教えてくれてありがとうね、ダイ君」

 にこやかな笑顔をダイに向けながら、レオナはポップへは恐ろしいまでに冷たい視線を送る。
 彼と目が合った途端、レオナは乾いた声で笑いだした。

「ほほほほほほほほほほほほほほほっ、ポップ君……よくも騙くらかそうとしてくれちゃったわね……っ」

 ごく低い声で脅しつけるような声は、すぐ近くにいるポップやヒュンケルにしか聞こえまい。

 だが、その笑い声と全く笑っていない目だけでも、充分に怖い。
 怖すぎだ。
 ひとしきり笑ったかと思うと、レオナはポップから手を離してダイの前へと立つ。

「あのね、ダイ君」

 と、レオナはダイの真正面から目を合わせ、その手をしっかりと握り締めて言い聞かせる。

「ダイ君、この際だからはっきり言っておくけど――自分で自分の胸を触りたがるのって、よくないことなのよ」

「……そうなの?」

 ぴんとこないような顔で首を傾げているダイの表情を見る限り、なにがよくないことなのか彼が理解していないことは明らかだった。 だが、レオナは力技で押し切ろうとするかの様に、強くダイに約束を取りつける。

「ええ、そうなの! だから、もし今度ポップ君が同じようなことをしているのを見つけたら、必ずあたしに教えてね。
 いい、約束よ」

「う、うん。よく分かんないけど、レオナがそう言うなら」

 レオナの迫力に押された様に、ダイがこっくりと頷く。

「ええ、それでいいのよ。
 それでね、今日からはあたしとダイ君とポップ君でお茶や夕食にしましょう」

「ほんとっ!?」

「えっ、おい、ちょっと姫さん、それって――」

 喜ぶダイとは対照的に、ポップはなにやら反対しようとしたが、レオナは目力だけで彼の反論を封じ込めて力強く頷く。

「ええ、今日だけじゃなくってこれからもずっとよ。
 これからはできるだけみんなで一緒に食事を食べる様にしましょうね。あ、時間が空いている様ならヒュンケルやエイミ達も一緒にね」

「うわあ、それだとにぎやかだよね、嬉しいなぁ!」

 にこにことダイが手放しで喜ぶのを見届けるや否や、レオナは身を翻す。

「じゃあ、ダイ君はマリンやアポロに夕食の都合を聞いておいてくれる? あたしは少し、ポップ君と話があるから……。
 ヒュンケル、ポップ君を連れてついてきて」

 そう命じたかと思うと、レオナは最初にポップの部屋に飛び込んできたのと同様に、物凄い勢いで歩きだした――。





「この馬鹿たれが。そんなろくでもねえ真似だけはするなと、前にも言ったはずだがな」

 ギロリと鋭すぎる眼光で弟子を射ぬいた大魔道士は、手にした杖を高々と振り上げる。

「気分が少しでも悪くなったり、息苦しさを感じる様なら無理をせず休め」

 その台詞とともに、ゆっくりと杖が振り下ろされ、ゴンッと音を立てる。

「しばらくじっとしていても治らない様なら、余計なことは一切せずにオレかアバンに連絡を寄越せ」

 杖がまた上下に動き、再びゴンという音がする。

「体力自体が落ちているから回復魔法をかけたところで一時凌ぎしかならないし、長い目で見れば悪化させるだけ。
 つまり、回復魔法で姑息にごかまそうなんて考えるなんて、以ての外――って、どんな馬鹿にだって分かる様にみっちりと教えこんでやったってえのに、忘れやがったのかこの大馬鹿はっ!」

 口調が荒くなるのと同時に、杖の動きも激しくなる。もはやゆっくりではなく、ゴンゴンとポップの頭上を狙って振り下ろされる杖に、ポップは頭を抱えて悲鳴を上げる。

「い、痛いっ、痛いっ、痛いっ、師匠っ!? やめてくれってば、別に忘れてたってわけじゃねーよっ」

「分かってて無視したってんなら、なお悪いんだよ! ったく、どこまで果てしない大馬鹿野郎なんだ、てめえは!? 
 調子が落ち始めた時に無理をするのが命取りになるってあれほど注意したのに、まだそんな簡単なことさえ覚えられねえのか、この馬鹿弟子がっ!!」

 怒りのせいか、あるいは意図的なものか、師匠の杖の先に魔法力がこもりパチパチと火花を散らしだしたのを見て、ポップは慌ててもう一人の師の背にすがりつく。
 が、そこもまた安全圏とは言いがたかった。

「ダメじゃないですか、ポップ、バッドですよ。決して無理はしない様にと、あんなに言ったのに。
 ただでさえ季節の変わり目には体調を崩しやすくなるんですから無理は禁物だと、あんなに教えたはずなんですがねえ」

 口調は優しげながらも、アバンもやはりマトリフと全く同意見なのは疑いようがない。
「そ、それは覚えてますけど〜。
 ……って、先生? なんで……ちょっ、離してっ、離してくださいよっ!?」

 優しげに肩を抱いていると見せかけて、実はアバンがしっかりと弟子を抑えていることに気が付いたポップがジタバタと暴れだすが、もう手遅れだ。

「だいたいなんで先生までここにいるんですかぁっ、忙しいんじゃなかったんですか!?」

「たまたまいいお酒が手に入ったから、ちょうどマトリフにお裾分けにきたところだったんですよ。
 今日来て、運が良かったですよ」

 しみじみとそう呟くアバンに反して、ポップの方はそうは思っていないのは一目瞭然だった。むしろ、とんでもない不運にでっ食わしてしまったと言わんばかりの顔で、諦め悪く師の手から逃れようともがいている。

 しかし、それは無駄な努力というものだ。
 ポップに二人の師匠から逃れられるわけもないし、仮にそうできたとしてもレオナとヒュンケルがポップの前に立ちはだかっているのだから。

「まったく、まんまと騙されるところだったわ……! 胸が苦しいなら苦しいって、どうしてもっと早く言わないのよ!?」

 そう言ってのけるパプニカ王女は、ひどくご機嫌斜めだった。
 レオナの様に露骨に文句は言っていないものの、言いたい気持ちはヒュンケルにもよく分かる。

 禁呪の影響で悪化したポップの体調の悪化――それが仲間達にとってどれ程の恐怖を与えるものなのか。
 なのにポップ本人は全然自覚していないのが、腹立たしくってたまらない。

「い、いやー、だからさぁ、たいしたことないんだって、ホントに。ただ、時々ちょっと息苦しいって感じる程度だったから、別に言う程のことじゃないと思ってさ」

 機嫌をとろうとするかの様に、ヘラヘラと笑いながらのポップの言い訳を、レオナもヒュンケルもまるで信じはしなかった。
 大戦の間、ヒュンケルはポップが大呪文を放った後に苦しそうに胸を押さえている姿を幾度か見た。

 レオナも大戦の後、ポップが倒れたり気分を悪くするところに何度も行き合わせている。 反省が全く伴わない上に、口先ばかり調子のいいことを言うこの魔法使いを、信用できるわけがないのである。

「嘘おっしゃい! 
 考えてみれば、ポップ君があたしとダイ君のキューピッドなんて気の利いた真似をするはずなんてなかったのよね。
 何か裏があることぐらい、もっと早く気がつくべきだったんだわ」

 あの後、静かに怒りの炎を燃やすレオナが向かったのは、マトリフ師の洞窟だった。ポップの具合が悪いようだから診てほしいと依頼したレオナの目は、確かだった。
 アバンとマトリフは代わる代わるにポップに診察をしながら、さっそく薬の調合に入っている。

 ポップの体調不良を改善するために作られる薬は、効き目は確かだが臭いと味が何とも言えずにひどい。
 早くも洞窟内になんとも言えない嫌な臭いが立ち込めているが、それに不満そうな顔をしているのはポップぐらいのものだ。

「忙しいのは分かりますが、お茶や食事の時間まで削って居眠りをして凌いでいる様じゃ本末転倒もいいところですよ。
 前にも言いましたが休養の基本はたっぷりと食事をとって、ゆっくりと眠ることです。 ところでポップ、食欲はあるんですか?」

 アバンの質問にポップが答えるよりも早く、ヒュンケルが口を出す。

「どうせ、食事もちゃんと取っていないのだろう」

「な、何言ってんだよ、ヒュンケル。おれ、ちゃんと食っているって! だいたい、てめえや兵士達が差し入れとか持ってきているんだろっ!」

 ポップがムキになって言い返すが、ヒュンケルはその言葉を全く信じることはできなかった。
 ついでにいうとレオナも同感らしく、疑わしい目でポップを眺めている。そんなレオナの様子を見ながら、ヒュンケルは静かに言った。

「今日、ダイが中庭で小鳥にパンくずを大量にやっているのを見た。おまえに頼まれたと言っていたが、あそこの小鳥達はずいぶんと人に慣れているらしいな。
 まるで、毎日、たっぷりと誰かから餌をもらっているように」

 言いながらヒュンケルは、ダイの持っていた紙袋を思い出す。
 ポップは仕事が忙しくて食事をとる暇がない時などは、食堂に頼んで片手で食べられるような弁当を手配してもらっている。その弁当は、決まって紙袋に入れられてポップのところへ届けられているはずだ。

「前にラーハルトに聞いたことがある。おまえが中庭で、小鳥に昼食を半分以上与えているところを見た、と」

「お、おまえらなーっ、肝心なことは何一つ話し合いもしてねえくせに、なんでそんなどうでもいいことばっかり情報交換しているんだよっ!?」

「そんなことはどうでもいい。ポップ、おまえは一人で食べている時は、いつも残さずにきちんと食べているのか?」

 ヒュンケルのその質問に、ポップの顔がぎくりと音を立てそうな勢いで引きつる。それを見ただけで、答えは知れるというものだ。

「――予想通りね。
 やっぱりこれからは、食事だけでなくお茶も複数でとった方がよいみたいね。仕事上忙しいでしょうけど、ヒュンケルもできるかぎり協力をお願いするわ」

「御意」

 躊躇せず頷くヒュンケルを見て、ポップが反論をしようとする。

「冗談じゃねえよっ、なにもそんな大袈裟なっ。だいたい、姫さんだってダイと二人でお茶するって話に乗り気だったのに――」

 そのポップの言葉を言い終わるまでも待たず、レオナは噛みつかんばかりの勢いでまくし立てる。

「何言ってるのよ、ポップ君みたいに嘘つきで危なっかしい人を、一人で放っておけるわけがないでしょっ! 今は二人でお茶なんかしている場合じゃないわよっ、そりゃものすごく悔しいし勿体ないけどっ!」

 勇猛さでは名が知られており、ただでさえ怒ると怖いと定評のあるパプニカ王女だが、今日の彼女は一際迫力に満ち溢れていた。未練たらたらのその迫力に、勇気の使徒であるはずのポップもたじろがずにはいられない。

「ひ、姫さん、……なに、そんなに怒ってんだよ?」

「知らないっ! 自分の胸に手を当てて聞いてみればっ!?」





 その後。
 勇者とお姫様が二人っきりでお茶をするイベントはまったくといっていいほど発生せず、代わりに魔法使いも加わって三人でお茶を飲むのがパプニカの定番となった。
 それにより、勇者と姫の恋愛フラグがどの程度遠ざかったかは、神のみぞ知ることである――。

 

            END


《後書き》

 ダイが魔界から戻ってきて、地上にもだいぶ慣れて落ち着いてきたころのお話です。
 ポップの体調悪化を知らないダイ一人が幸せで、他のメンバーはそれなりに大変だったり、ちょっぴりがっかりしたりとドタバタしまくっとります(笑)

 とりあえずダイ君には正しい性教育が必要ではないかと、原作を見た時からずーっと思っておりましたv
 それにしてもエイミさんがちょっとガツガツしすぎでは(笑) 肉食系女子にしちゃってごめんなさいっ。

 

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