『傷だらけの手 1』 |
「…………!」 その男は、ポップを一目を見るなり目を見開いて息を飲んだ。 ベンガーナに留学に来て以来そんな態度をとられることは度々あったし、不本意ながらその理由も知ってしまった。 (それもこれも全部、あのインチキ画家のせいだ!) と、ポップは思っている。 娘盛りの頃の母の肖像画が未だにベンガーナに残されていたのも驚きだったが、その絵に密かに惚れ込んでいる兵士の数の多さにポップはげんなりしたものである。 当時、実際に侍女時代の母と同年代だった中年男だけでなく、ポップとたいして年の差のない絵を見ただけの新米兵士でさえ、通称『ひなげしの君』に恋い焦がれているような有様だ。 正直、その件に関してはポップは余計なことをしまくってくれたムッシュに、ちょっぴりどころではない恨みを抱いている。 母親の若い頃の絵というだけでも思春期の息子にとっては少々気恥ずかしく感じるものなのだが、それが自分が全く知らないところでまるでアイドルかなにかのように憧れの視線を受けていたと言う事実だけですでに面白くない。 確かに若い頃の母は息子のポップの目から見ても、ちょっとびっくりするほど可愛らしい娘さんだったし、モデルになるのも頷けないではない。 さらにはポップに対しても女装してモデルをやらないかと口説いたりと、件の画家への恨みには事を欠かないのである。 だからこそ、回廊で偶然出会った相手がそんな反応をしてもポップは特に不審には思わなかった。 が、その男は通り過ぎようとしたポップに向かって、やけに切羽詰まった声を掛けてきた。 「待ってくれ、それは――っ?!」 叫ぶなり、いきなりグイッと頭を引っ張られる感触にポップは危うくすっ転びかける。バンダナの端を掴まれたのだと分かるまで、一拍、時間がかかった。 「なっ、何すんだよっ?!」 さすがに驚きながら、ポップは抗議する。 が、両手でがっしりとバンダナを掴んだ男は、それを両手の間で広げ、夢中になってまじまじと見ている。 「この織りに、色……まさかとは思ったけど……!」 呟く声もどこかうわ言めいていて、尋常ではない。 (な、なんなんだよ、この人?! ったくベンガーナってのはこんな連中ばっかりなのか?!)
目眩すら感じつつ、取りあえずポップは男の手からバンダナを離してもらうべく説得を試みる。 「ちょ、ちょっと離してくれよっ! あんまり引っ張るなって!」 ポップにとっては、このバンダナは5つの時からずっと大事に持ち続けたトレードマークだ。それに、今となってはそれ以上の意味を持っている大切な品だ。 これで手を離さない様ならば魔法も辞さないぐらいの覚悟があったが、案外、男は素直だった。 「ああ、そうか。ごめん、ごめん」 と、あっさりと離してくれる。バンダナを掴んだ時の唐突さと同じく、離す時もまた唐突だった。 「そう言えば、君は一体誰なんだい?」 「……そりゃあ、こっちの台詞だっつーの」 驚かされたせいと、なによりも男のざっくばらんな口調に釣られ、ポップの口調もつい素のままになってしまう。 実際、この男の正体はポップにも謎だった。 おっとりとした顔の人の良さそうな男で、やけに肩幅の広いがっちりとした体格が目につく。 山村育ちのポップにとっては馴染みやすい武骨な男の姿は、宮廷内ではいささか浮いていると言ってもいい。 武骨な男にはいささか不釣り合いな程豪奢な服で、勲章じみた飾りもいくつか胸元についているし、手には白い手袋をはめている。 結構立派な服であり使用人系統の服装ではないのは一目で分かるが、何の職業の衣装なのかすぐには分からない。少なくとも、ポップの知っている知識の中にはない服だ。 口の聞き方や態度から見て貴族っぽい感じは全くしないが、その割には男の態度はやけに落ち着いているのも疑問の一つだ。一般市民が城の中に始めてはいりました、という浮ついた雰囲気が全くないし、第一ここは王宮の内部だ。 王族かそれに準じる者しか入ることの許されない奥部であり、身分もコネもない人間が簡単に入ってこれる場所ではない。なのに、この男は当たり前の様な顔でここにいる。 (でも、この人と会うのは初めてだよなぁ) と、ポップは首を捻らずにはいられない。 ベンガーナに来たばかりの頃は、毎日のようにパーティだの面会だのをしては城の内外と問わずに有力者達と引き合わせてくれたものである。 曲がりなりにもその中にいたのならポップだって印象ぐらいは覚えているだろうし、この男の方もポップが二代目大魔道士だと知らないわけがない。 普通に城の奥に出入りする人とはそれなりに顔馴染みになったと自負していたのだが、この男は見た覚えがない。
「はあ? 手?」 その唐突さには、驚くを通り越してポップも呆れるしかない。 「うん、手だよ。だめかな?」 にこにこと人懐っこく、だが妙に押しの強い感じの問い掛けにポップは押されてしまう。 呆れはしたし相手の意図も掴めないながらも、特に断る理由もなかったのでポップは手袋を外す。 「うん、頼むよ」 やけに真剣な顔でじっとそれを見ていた男だが、手を見せた途端にどこかガッカリしたような表情が浮かぶ。 「あれ? ……違ったのかな? いや、でも間違いないと思ったんだけどなぁ?」 当てが外れたとばかりに首を傾げながら、男はポップの手をとってジロジロと眺め回す。それも単に手のひらを見るだけにとどまらず、ひっくり返して爪やら甲まで遠慮なくチェックする男の不躾さよりも、彼が次に言った言葉の方が衝撃的だった。 「もしかすると、違うかもしれないけど……、君はジャンクと言う鍛治職人の知り合いじゃないのかい?」 「あんた……っ、親父の知り合いなのか?!」 ギョッとして、ポップは思わず叫んでいた。もし、手を掴まれていなければ後ろに飛びずさっていたかもしれない。 今や大魔道士として世界的に有名になった今もまだ、ポップにとって父親というのはおっかない存在である。 「そうか、君はジャンクさんの息子だったのか。そのバンダナを見て、そうじゃないかとは思っていたんだけど」 そう言いながら男はやっとポップの手を開放してくれた。だが、今度は自分の手袋を外して、再び手を差し出してくる。握手のために伸ばされた手を見て、ポップは気がついた。 王宮では異質すぎるその手を、白い手袋で厳重に隠していた意味をポップは遅まきながら悟る。
新旧問わない無数の火傷の跡が残り、力仕事の影響でゴツゴツした印象の手をポップは注意深く見つめた後、ポップはその手に自分の手を重ねた。 「鍛治職人……なんですか?」 自分の父親の手にどこか似た印象の手を握りながら、ポップは探る様に尋ねてみる。と、思いがけないぐらい強い力で手を握り込まれた。 「正解。オレはベンガーナ王国の宮廷鍛治職人のティンと言うんだ。まあ、つい2年前に就任したばかりの新米なんで、あんまり貫禄もないんだけどね」
「君はどうやらお母さんに似たようだね。その癖ッ毛だけはジャンクさんに似ているけれど、他は全然似ていないや」 だからすぐには分からなかったよとどこか楽しそうにそう説明をする間も、ティンはポップから目を離さなかった。しかし、にこにこと人好きのするような笑顔のせいか、ジロジロ見られているという不快感はない。 「オレは君のお父さんとは、従兄弟なんだ。一応は兄弟弟子にあたるんだよ。とは言っても年も離れていたし、一緒に修行していたってほど親しい関係でもなかったんだけどね。同じ炉で共同作業したことも、数えるぐらいしかなかったから……もっと、いろいろと教えて欲しかったなぁ」 それが残念だとばかりに、ティンは軽く首を横にふる。 手伝いぐらいしろと怒鳴りつけられ、拳骨でぶんなぐられながらしぶしぶと鍛冶やら店の手伝いをした経験しかないポップにとってみれば、自分から進んでジャンクに習いたいとは思わない。 「そんな話、初耳っすよ。あの頑固親父ときたら、昔のこととか全然教えてくれないんだから。親戚とかがいるなら、ケチケチしないで教えてくれたっていいのによ」 父親への不満混じりの愚痴が混じるのも、無理もないだろう。 ましてや、親戚がいるなんて話は全く聞いていない。 「はははっ、全然似てないと思ったのにやっぱり親子なのかな、変なところが似ているみたいだね。 それを聞いて、ポップが露骨に嫌な顔をしたのがおかしいのか、ティンはまた笑う。 「知ってるかな……って、知っているわけがないか。オレやジャンクさんを初めとして、うちの一族の男子に鍛冶を教えてくれた師匠はね、ジャンクさんの実の父親なんだ。 そんな話を聞かされて、ポップは思わず目を真ん丸くしてしまう。 「親父の親父って……それって、もしかして、おれのじいちゃんってこと? へ? じいちゃんって、生きてたの?」 それもまた、初耳だった。 ポップの母スティーヌは一人っ子な上に、ごく若いうちに両親を亡くしたと聞いていた。 父であるジャンクだって、似たようなことを言っていた。 『オレにゃ、もう家族はいねえよ』 不機嫌そうにそう言った父の言葉を幼いポップはそのまま受け止めていたが、今になってから思い返すとその言葉は意味深だ。 「なんだ、それも聞いてなかったのかい。師匠は……君にとってのおじいさんは今もお達者だよ。そろそろ70才になるがとても壮健な上に腕も確かでね、未だにオレなんかは頭が上がらないよ。 ほがらかなティンの言葉に、ポップは黙って首を横に振る。 (……なんか、ダイの気持ちがちょっと分かるよな) 魔王軍との戦いの最中、ダイは自分の出生を知りたい一心で、テランへとわざわざ行ったことがある。 当時はいつになく焦っているダイの気持ちが分からなかったが、こんな風に思いがけずに身内の話を聞かされた今なら、理解できる気がする。 会えるものなら会いたい――そう思う。 「――君はおじいさん達に会いたいかい?」 その問い掛けに、ポップは少しばかりためらう。 だが、ダイの捜索に熱を入れているポップには自由になる時間がほとんどない。ただでさえ時間が足りなくて、レオナや仲間達の協力を当てにして行動しなくてはいけないぐらいなのに、完全なる私事に時間を費やすのに罪悪感じみた思いさえ感じる。 それに――誰にも言う気はなかったが、今の次期に親族に会うのはためらわれた。 もちろん、簡単に死ぬ気はないし最善の備えをしておくつもりだが、それでも万一のことはあるかもしれないとは思っている。 それが分かっていながら祖父母と会いたいと思うのは、自分勝手な甘えがすぎる様でいささか気が引ける。 「おれは……」 「オレとしては、是非会ってもらいたいと思うけどね」 ちょうどポップが返事をしかけたタイミングで、ティンがそう言った。まるで計ったかの様なタイミングが見事すぎて、ポップが続けるはずだった言葉はティンの声に完全に消されてしまう。 「こう言っては何だけど、師匠も奥様もう年が年だからね。いつもあの年齢とは思えない程元気だと言われる方だけど、いつ何時、万一ということが起こってもおかしくない」 だから、君さえ嫌ではなかったら……と続けたティンの言葉が、ポップの迷いを吹っ切った。 つい自分のことばかり考えていたが、考えてみればそれももっともだ。 (そうだよな、手遅れになっちまってから後悔するより、会えるうちに会っておいた方がいいよな。第一、おれはダイの野郎と、ちゃんと生きて帰ってくるつもりなんだし) 自分で自分にそう言い聞かせてから、ポップは返事をする。 「分かったよ。っていうか、おれも一度、親父の親父に会ってみたかったし。ばあちゃんもどんな人なのか、興味あるしさ」 ポップのその答えに、ティンがホッとしたような表情を浮かべる。 「そう言ってくれて、嬉しいよ。じゃあ、近いうちに会える様に手筈を調えるから……少しの間だけ待っていてくれるかな?」 それは一見、軽い口調でのやり取りにしか聞こえなかっただろう。特にポップは意図的に、軽い調子で話していたのだから。
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