『傷だらけの手 1』

 

「…………!」

 その男は、ポップを一目を見るなり目を見開いて息を飲んだ。
 初めて会ったはずの相手がハッと驚いたような顔をした後、人の顔をまじまじと見つめる――そんな態度は一般的に言えばちょっと失礼に当たる態度ではあるのだが、ポップはすでに慣れてしまっていた。

 ベンガーナに留学に来て以来そんな態度をとられることは度々あったし、不本意ながらその理由も知ってしまった。

(それもこれも全部、あのインチキ画家のせいだ!)

 と、ポップは思っている。
 ポップの主観では、問題は全て世界的な美人画の巨匠、ムッシュ・カタールにある。
 ポップの母スティーヌは若い頃にベンガーナ王国で侍女をしていたのだが、当時、その美貌を画伯に見込まれて絵のモデルになった。

 娘盛りの頃の母の肖像画が未だにベンガーナに残されていたのも驚きだったが、その絵に密かに惚れ込んでいる兵士の数の多さにポップはげんなりしたものである。

 当時、実際に侍女時代の母と同年代だった中年男だけでなく、ポップとたいして年の差のない絵を見ただけの新米兵士でさえ、通称『ひなげしの君』に恋い焦がれているような有様だ。

 正直、その件に関してはポップは余計なことをしまくってくれたムッシュに、ちょっぴりどころではない恨みを抱いている。

 母親の若い頃の絵というだけでも思春期の息子にとっては少々気恥ずかしく感じるものなのだが、それが自分が全く知らないところでまるでアイドルかなにかのように憧れの視線を受けていたと言う事実だけですでに面白くない。

 確かに若い頃の母は息子のポップの目から見ても、ちょっとびっくりするほど可愛らしい娘さんだったし、モデルになるのも頷けないではない。
 が、子供じみた感情だと分かっていても、自分の母親が自分だけのものではなかったのだと思い知らされるのは、なんとなくショックなものだ。

 さらにはポップに対しても女装してモデルをやらないかと口説いたりと、件の画家への恨みには事を欠かないのである。
 まあ、それはさておくとしても、村にいる頃から母親似だと言われ続けているポップを見て、驚く人にはベンガーナに来てからさんざん会った。

 だからこそ、回廊で偶然出会った相手がそんな反応をしてもポップは特に不審には思わなかった。
 それこそ目を見開いてまじまじとポップを見ているのに気がつきながらも、気にしないふりを装って普通に通り過ぎようとした。

 が、その男は通り過ぎようとしたポップに向かって、やけに切羽詰まった声を掛けてきた。

「待ってくれ、それは――っ?!」

 叫ぶなり、いきなりグイッと頭を引っ張られる感触にポップは危うくすっ転びかける。バンダナの端を掴まれたのだと分かるまで、一拍、時間がかかった。

「なっ、何すんだよっ?!」

 さすがに驚きながら、ポップは抗議する。
 子供同士のいたずらやケンカでならいざ知らず、バンダナをがっちりと掴んで引き止めるなんて真似は、いい年をこいた大人がやることではない。

 が、両手でがっしりとバンダナを掴んだ男は、それを両手の間で広げ、夢中になってまじまじと見ている。
 その目はさっき以上に大きく見開かれ、身体も小刻みに震えてさえいた。

「この織りに、色……まさかとは思ったけど……!」

 呟く声もどこかうわ言めいていて、尋常ではない。

(な、なんなんだよ、この人?! ったくベンガーナってのはこんな連中ばっかりなのか?!)


 この間会った画家と言い、絵の中の美少女に本気で惚れ込む兵士どもと言い、いきなりバンダナを鷲掴むこの男と言い、ベンガーナにきてからというものの、出会う人、出会う人が変人オンパレードである。

 目眩すら感じつつ、取りあえずポップは男の手からバンダナを離してもらうべく説得を試みる。

「ちょ、ちょっと離してくれよっ! あんまり引っ張るなって!」

 ポップにとっては、このバンダナは5つの時からずっと大事に持ち続けたトレードマークだ。それに、今となってはそれ以上の意味を持っている大切な品だ。
 見も知らぬ男に乱暴に扱われて破かれたりしては、たまらない。

 これで手を離さない様ならば魔法も辞さないぐらいの覚悟があったが、案外、男は素直だった。

「ああ、そうか。ごめん、ごめん」

 と、あっさりと離してくれる。バンダナを掴んだ時の唐突さと同じく、離す時もまた唐突だった。
 そうやってバンダナを手放してから、男は初めてポップに気がついたと言わんばかりの視線を向けてきた。

「そう言えば、君は一体誰なんだい?」

「……そりゃあ、こっちの台詞だっつーの」

 驚かされたせいと、なによりも男のざっくばらんな口調に釣られ、ポップの口調もつい素のままになってしまう。

 実際、この男の正体はポップにも謎だった。
 ポップよりも明らかに一回り以上年上の男は、そろそろ青年から中年と呼ばれる年頃だろうか。

 おっとりとした顔の人の良さそうな男で、やけに肩幅の広いがっちりとした体格が目につく。
 農村などでよく見掛ける、力仕事をしている男性特有の筋肉質な体型だ。

 山村育ちのポップにとっては馴染みやすい武骨な男の姿は、宮廷内ではいささか浮いていると言ってもいい。
 これが兵士か騎士の服でも着ていれば疑問にも思わなかっただろうが、着ている服にも多少の戸惑いを感じる。

 武骨な男にはいささか不釣り合いな程豪奢な服で、勲章じみた飾りもいくつか胸元についているし、手には白い手袋をはめている。
 ポップのような魔法使いや貴婦人ならともかく、貴族の男性で普段から常日頃手袋をはめるのは珍しい。

 結構立派な服であり使用人系統の服装ではないのは一目で分かるが、何の職業の衣装なのかすぐには分からない。少なくとも、ポップの知っている知識の中にはない服だ。
 騎士や兵士ではないのは確かだが、文官ともかけ離れている。

 口の聞き方や態度から見て貴族っぽい感じは全くしないが、その割には男の態度はやけに落ち着いているのも疑問の一つだ。一般市民が城の中に始めてはいりました、という浮ついた雰囲気が全くないし、第一ここは王宮の内部だ。

 王族かそれに準じる者しか入ることの許されない奥部であり、身分もコネもない人間が簡単に入ってこれる場所ではない。なのに、この男は当たり前の様な顔でここにいる。

(でも、この人と会うのは初めてだよなぁ)

 と、ポップは首を捻らずにはいられない。
 ポップがベンガーナ城に来てから、すでに一ヵ月近く経った。
 二代目大魔道士ポップがベンガーナ王国に留学にきたのがよほど嬉しかったのか、ベンガーナ王は迷惑な程に派手にポップの存在をアピールしまくった。

 ベンガーナに来たばかりの頃は、毎日のようにパーティだの面会だのをしては城の内外と問わずに有力者達と引き合わせてくれたものである。
 その人数があまりに多すぎたせいでさすがにポップも覚えきってはいないが、その中にこの男がいなかったのはまず、間違いないだろう。

 曲がりなりにもその中にいたのならポップだって印象ぐらいは覚えているだろうし、この男の方もポップが二代目大魔道士だと知らないわけがない。
 それに一ヵ月も城に滞在すれば、ポップの方だって普段は城にいる多くの人達と面識が出来る。

 普通に城の奥に出入りする人とはそれなりに顔馴染みになったと自負していたのだが、この男は見た覚えがない。
 が、訝しがるポップとは逆に、男はなにやら一人で何度も頷きながらポップを見ている。


「ふぅん、そうか、そうか。もしかすると君は……あ、いやいやその前に。
 失礼の上に失礼を重ねるようで悪いけど、先に手を見せてもらってもいいかな?」

「はあ? 手?」

 その唐突さには、驚くを通り越してポップも呆れるしかない。
 今まで二代目大魔道士であるポップに会うなり、いきなり魔法を見せてくれだのとは言われたこともあるが、手を見せてくれなんて言われたのは初めてだ。
 が、男はそれがごく当たり前の挨拶でもあるかの様に、力強く促す。

「うん、手だよ。だめかな?」

 にこにこと人懐っこく、だが妙に押しの強い感じの問い掛けにポップは押されてしまう。
「まあ……いいっすけど」

 呆れはしたし相手の意図も掴めないながらも、特に断る理由もなかったのでポップは手袋を外す。

「うん、頼むよ」

 やけに真剣な顔でじっとそれを見ていた男だが、手を見せた途端にどこかガッカリしたような表情が浮かぶ。

「あれ? ……違ったのかな? いや、でも間違いないと思ったんだけどなぁ?」

 当てが外れたとばかりに首を傾げながら、男はポップの手をとってジロジロと眺め回す。それも単に手のひらを見るだけにとどまらず、ひっくり返して爪やら甲まで遠慮なくチェックする男の不躾さよりも、彼が次に言った言葉の方が衝撃的だった。

「もしかすると、違うかもしれないけど……、君はジャンクと言う鍛治職人の知り合いじゃないのかい?」

「あんた……っ、親父の知り合いなのか?!」

 ギョッとして、ポップは思わず叫んでいた。もし、手を掴まれていなければ後ろに飛びずさっていたかもしれない。

 今や大魔道士として世界的に有名になった今もまだ、ポップにとって父親というのはおっかない存在である。
 思わず警戒してしまったポップだったが、男は逆に親しげな笑みを浮かべる。

「そうか、君はジャンクさんの息子だったのか。そのバンダナを見て、そうじゃないかとは思っていたんだけど」

 そう言いながら男はやっとポップの手を開放してくれた。だが、今度は自分の手袋を外して、再び手を差し出してくる。握手のために伸ばされた手を見て、ポップは気がついた。
 男の手は、傷だらけだった。
 火傷のせいで色が変わった箇所があちこちに見られる手は、赤い腫れやら傷跡が無数に存在している。

 王宮では異質すぎるその手を、白い手袋で厳重に隠していた意味をポップは遅まきながら悟る。
 だが、それ以上にその手はポップにとっては親しみじみた感情を抱かせる手でもあった。


 なぜならその手は、ポップがよく知っている男性の手にそっくりだったから。どんな職業でもそうだが、長年働き続ければその手には職業による特徴が刻まれる様になるものだ。 たとえば、文章を書き続ける職業の者がペンだこやインクの染みとは無縁ではいられない様に。

 新旧問わない無数の火傷の跡が残り、力仕事の影響でゴツゴツした印象の手をポップは注意深く見つめた後、ポップはその手に自分の手を重ねた。

「鍛治職人……なんですか?」

 自分の父親の手にどこか似た印象の手を握りながら、ポップは探る様に尋ねてみる。と、思いがけないぐらい強い力で手を握り込まれた。

「正解。オレはベンガーナ王国の宮廷鍛治職人のティンと言うんだ。まあ、つい2年前に就任したばかりの新米なんで、あんまり貫禄もないんだけどね」

 

 

「君はどうやらお母さんに似たようだね。その癖ッ毛だけはジャンクさんに似ているけれど、他は全然似ていないや」

 だからすぐには分からなかったよとどこか楽しそうにそう説明をする間も、ティンはポップから目を離さなかった。しかし、にこにこと人好きのするような笑顔のせいか、ジロジロ見られているという不快感はない。

「オレは君のお父さんとは、従兄弟なんだ。一応は兄弟弟子にあたるんだよ。とは言っても年も離れていたし、一緒に修行していたってほど親しい関係でもなかったんだけどね。同じ炉で共同作業したことも、数えるぐらいしかなかったから……もっと、いろいろと教えて欲しかったなぁ」

 それが残念だとばかりに、ティンは軽く首を横にふる。
 もっとも鍛冶には全くと言ってもいい程興味のないポップにしてみれば、正直、ティンのその感覚が分からないのだが。
 それにポップにとっては、ジャンクはひたすら怖い頑固親父である。

 手伝いぐらいしろと怒鳴りつけられ、拳骨でぶんなぐられながらしぶしぶと鍛冶やら店の手伝いをした経験しかないポップにとってみれば、自分から進んでジャンクに習いたいとは思わない。
 だが、それでも自分の知らない父親の過去の話は、興味深かった。

「そんな話、初耳っすよ。あの頑固親父ときたら、昔のこととか全然教えてくれないんだから。親戚とかがいるなら、ケチケチしないで教えてくれたっていいのによ」

 父親への不満混じりの愚痴が混じるのも、無理もないだろう。
 バーンとの戦いの最中、ロン・ベルクから聞くまでポップはジャンクがベンガーナの宮廷鍛冶職人だったことも、大臣をぶん殴って国を飛び出した話も知らなかった。

 ましてや、親戚がいるなんて話は全く聞いていない。
 が、むくれるポップの言葉を聞いてティンはわずかに目を見張り、それから弾ける様に笑いだした。

「はははっ、全然似てないと思ったのにやっぱり親子なのかな、変なところが似ているみたいだね。
 今の文句は、ジャンクさんによく似ていたよ」

 それを聞いて、ポップが露骨に嫌な顔をしたのがおかしいのか、ティンはまた笑う。

「知ってるかな……って、知っているわけがないか。オレやジャンクさんを初めとして、うちの一族の男子に鍛冶を教えてくれた師匠はね、ジャンクさんの実の父親なんだ。
 ジャンクさんもよくそんなことを言っては、師匠と大喧嘩していたものだよ」

 そんな話を聞かされて、ポップは思わず目を真ん丸くしてしまう。

「親父の親父って……それって、もしかして、おれのじいちゃんってこと? へ? じいちゃんって、生きてたの?」

 それもまた、初耳だった。
 子供の頃は自分には祖父や祖母がいないのを残念に思ったこともあるが、正直、あまり深く考えたことはなかった。

 ポップの母スティーヌは一人っ子な上に、ごく若いうちに両親を亡くしたと聞いていた。 父であるジャンクだって、似たようなことを言っていた。

『オレにゃ、もう家族はいねえよ』

 不機嫌そうにそう言った父の言葉を幼いポップはそのまま受け止めていたが、今になってから思い返すとその言葉は意味深だ。

「なんだ、それも聞いてなかったのかい。師匠は……君にとってのおじいさんは今もお達者だよ。そろそろ70才になるがとても壮健な上に腕も確かでね、未だにオレなんかは頭が上がらないよ。
 そうそう、君にはおばあさんもいるのは知ってるかい?」

 ほがらかなティンの言葉に、ポップは黙って首を横に振る。
 初めて聞いた祖父母の話に驚きながら、ポップが思い出したのは親友のことだった。

(……なんか、ダイの気持ちがちょっと分かるよな)

 魔王軍との戦いの最中、ダイは自分の出生を知りたい一心で、テランへとわざわざ行ったことがある。
 わがままなどほとんど言わず、また、寄り道をするタイプでもないダイが唯一押し通したわがままだった。

 当時はいつになく焦っているダイの気持ちが分からなかったが、こんな風に思いがけずに身内の話を聞かされた今なら、理解できる気がする。
 今迄気にしたことがなく、両親がきちんとそろっているポップでさえ、祖父母という近しい親戚が自分にいると分かると落ち着かない気がするのだ。

 会えるものなら会いたい――そう思う。
 孤児で、自分の正体に不安を抱いていた時期のダイならば、なおさらその思いは強かっただろうなと思い返すポップに、ティンが優しく話しかけてきた。

「――君はおじいさん達に会いたいかい?」

 その問い掛けに、ポップは少しばかりためらう。
 会いたくないから、ではない。
 会いたい、会いたくないで言うのなら、会ってみたい。

 だが、ダイの捜索に熱を入れているポップには自由になる時間がほとんどない。ただでさえ時間が足りなくて、レオナや仲間達の協力を当てにして行動しなくてはいけないぐらいなのに、完全なる私事に時間を費やすのに罪悪感じみた思いさえ感じる。

 それに――誰にも言う気はなかったが、今の次期に親族に会うのはためらわれた。
 魔界行きの計画を前提にして行動しているポップは、自分のやっていることがいかに危険か、周囲が思っている以上に自覚している。

 もちろん、簡単に死ぬ気はないし最善の備えをしておくつもりだが、それでも万一のことはあるかもしれないとは思っている。

 それが分かっていながら祖父母と会いたいと思うのは、自分勝手な甘えがすぎる様でいささか気が引ける。
 最悪、会って数か月後に訃報を聞かせるだけになる可能性があるのだ――。

「おれは……」

「オレとしては、是非会ってもらいたいと思うけどね」

 ちょうどポップが返事をしかけたタイミングで、ティンがそう言った。まるで計ったかの様なタイミングが見事すぎて、ポップが続けるはずだった言葉はティンの声に完全に消されてしまう。

「こう言っては何だけど、師匠も奥様もう年が年だからね。いつもあの年齢とは思えない程元気だと言われる方だけど、いつ何時、万一ということが起こってもおかしくない」

 だから、君さえ嫌ではなかったら……と続けたティンの言葉が、ポップの迷いを吹っ切った。

 つい自分のことばかり考えていたが、考えてみればそれももっともだ。
 常識的に考えれば、ポップよりもその祖父母の方が先に逝く可能性の方が高いのは当たり前なのだ。

(そうだよな、手遅れになっちまってから後悔するより、会えるうちに会っておいた方がいいよな。第一、おれはダイの野郎と、ちゃんと生きて帰ってくるつもりなんだし)

 自分で自分にそう言い聞かせてから、ポップは返事をする。

「分かったよ。っていうか、おれも一度、親父の親父に会ってみたかったし。ばあちゃんもどんな人なのか、興味あるしさ」

 ポップのその答えに、ティンがホッとしたような表情を浮かべる。

「そう言ってくれて、嬉しいよ。じゃあ、近いうちに会える様に手筈を調えるから……少しの間だけ待っていてくれるかな?」

 それは一見、軽い口調でのやり取りにしか聞こえなかっただろう。特にポップは意図的に、軽い調子で話していたのだから。
 だが、ポップが自分の内心や危険性を秘匿していた様に、ティンの方も軽い口調に紛らせながらもその目に確かな決意の光を宿していた――。
                             《続く》

 

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