『傷だらけの手 2』 |
「ティン殿! 正気で言っておられるのですか? 私は断固反対ですぞ!」 大仰にそう叫びながら広い円卓をバンと叩いたのは、白い手袋をはめた男の手だった。 「よりによってあのジャンクの息子がベンガーナに戻って来ているとは……! あんな一族の面汚し者の息子を我が一族の一員として迎え入れるだなんて、冗談じゃない。あの当時の騒ぎをお忘れか?」 悔しげにそう言ってから、その男はどこか侮蔑的な視線を上座に座るティンへと向ける。 ティンが座っているこの場所こそが、親族会議で当主が座るべき場所だ。一族に関わる問題が起こった場合、親族の中で代表的な者が集まり、対応や対策を協議し結論を出すのが一族の決まりである。 その際、当主こそが最大の発言権を持っている――はずなのだが、非常に残念なことにこの円卓を囲んでいる者達は誰一人としてそうは思っていなかった。無論、本人も含めてだ。 「ああ、いかに現ご当主様とはいえ、お若いティン殿はご存じないかもしれませんな。あのジャンクめのせいで我が一族がどれ程の恥を掻き、宮廷での立場を失ったことか……!」 その男の嘆きに調子を合わせるように、円卓に座っている複数の男達がもったいぶって頷き合う。彼らは揃いも揃って、同じような白い手袋を手にはめていた。 「さよう、まったくですな。何しろ、侍女ごときに惑わされて栄えある宮廷鍛冶職人の地位をむざむざ放り出した無責任な男ですぞ。 取り付く島もないとはこのことか。ジャンクに対する反発心ばかりをむき出しにする親族を前にして、ティンは表には出さないように気を付けつつ、内心で深くため息をつく。 予想はしていたことだが、一族の中ではジャンクに対する反発はいまだに根深い上に、大きい。 ベンガーナ王国では、宮廷鍛冶職人というのはかなり優遇されている。 他国では宮廷鍛冶職人という職業そのものがないか、あるいは形骸化しているのに対し、ベンガーナ王国では王宮への出入り自由を認められる特権階級となっている。 代々武勇を好む傾向のあるベンガーナ王は宮廷鍛冶職人を非常に重んじ、時代によっては側近として常に重用した例も少なくない。金銭的にも恵まれており、ある意味では大貴族並の扱いを受けているといっていい。 そのため、この国では宮廷鍛冶職人の一族に認められるというのは一種のステータスになっているし、自分達が特権階級だという意識も強い。 それだけにそれを投げ捨てたジャンクの評判は、はっきり言って悪い。そればかりか、親が憎ければ子まで憎いとばかりに、彼の息子にまでその憎しみが向けられているようである。 (ま、こんなことになるんじゃないかとは、思ってたけどね) 内心うんざりしている気分を見事に押し殺しつつ、ティンは居並ぶ親戚連中相手に素知らぬ顔で説明をする。 孫と祖父が会う――本当に、ただそれだけの話だ。普通の家庭でなら、何の問題もなく簡単にできるはず。しかも、それで何の問題も起きるはずもない。だが、自分達は特別な一族だと言う誇りや権威に凝り固まった親族達はそうは思わない。 むしろ、テインの考えの浅さを嘲笑うかのように、わざとらしい失笑を漏らす。 「やれやれ、これだからご当主様はお若いというのだ。下賤な者の中には、王や貴族に取り入るために城に潜り込んでこようと画策する者など、珍しくもない。そんなこともご存じないとは」 「さよう、さよう。全く持って嘆かわしいことに、身分のあるものに媚びて機嫌を取ろうとする一般市民のなんと多いことか。 「そうそう、父親に言い含められてよからぬ考えを持ってベンガーナに戻ってきたのかもしれませんからな。そんな危険な人物と先代様の面会を無条件で許可するなど、我ら『白き手の一族』の面子にもかかわりますぞ」 自慢げに手袋をはめた手をひけらかす年輩の男の言葉に、居並ぶ男達はもっともだとばかりに頷く。が、ティンには全然頷けはしない。 (全く、これだからお偉い連中ってのは嫌だよなぁ。なんにも分かっちゃいなんいだから) 白い手の一族 その異名は、鍛冶職人特有の火傷だらけの手を隠すため生まれた習慣からくる。傷だらけの手をそのまま晒すのは身分の高い人に対して非礼になるだろうと、初代の当主が王の側近に選ばれた時以来の習慣だ。 普通、王宮では男性が白い手袋をはめたまま行動することはめったにないため、一際目立つためについた名に過ぎないのだが、それを勲章のように自慢する連中もいるということだ。 本来ならば登城の際に手袋をはめるのは、ティンのように絶え間ない火傷を負っている現職の職人だけでいい。同じ一族であっても、職人としてではなく武器を売り買いする商人としての役割を分担している者の手は普通の人と変わりなどないのだから。 だが、一族の中にはその必要もないのに白い手袋をはめ、自分達は宮廷鍛冶職人の一員だと誇示したがる者もいる。 当主になりたてのティンは、お世辞にも親族から信頼されているとは言えない。 今のティンより若くして当主になったジャンクが、もしこの場にいたのならば、ティンのように言われっぱなしになるような無様な真似などしないだろうなと、つい苦笑してしまう。 あの従兄弟は口が悪く、短気な男だったから。
「ムカつくったら、ありゃしねえぜ!! あのじじい連中ときたら、やれ、二言目にはおまえには一族の誇りはないのかだのうるさく言いやがってよ! いかにも腹立たしそうにそう言った兄弟子の姿を、ティンはまだ覚えている。 腹を立てまくって文句を言いながら、ジャンクはガンガンと熱い鉄の塊を叩きまくっていた。素人目には、それは腹立ちまぎれに怒りを叩きつけているようにしか見えないだろう。 だが、見る人が見れば、それが熟練の技だと一目で分かる。その手並みの見事さに、ティンは息をのんで見守ってた。 まだ見習いにしか過ぎないティンの目には、見とれるほどに見事な手際だったと記憶しているが、実際には数多い徒弟の中ではジャンクは飛び抜けて優秀だったというわけではなかった。 抜きんでた天才肌の職人とは、お世辞にも言えない。 だが、ジャンクは武骨ながらも真面目で、意志の強い男だった。老獪な親戚連中を相手にしても一歩も引かず、自分の意見をしっかりと主張できる点が見込まれて一族の跡継ぎにと選ばれた。その選出は公平なものだったと、ティンは今でも思っている。 元々、白い手の一族は鍛冶職人の血脈だ。当主に選ばれるのは血筋ではなく、一族の中で一番職人として腕の立つ人間と決まっている。 当時の当主だった先代 すなわちジャンクの父親は、厳しい師匠だった。親子だからと言って、決して甘やかすような男ではなかった。 「ったく、あの頑固親父めっ! なにが秘伝はたやすく教えられるものじゃないだ、もったいぶりやがって!! ケチケチしねえで、知りたいって言う奴には教えてやればいいじゃねえかよ」 自分よりも年上の親戚連中に怯みもしない彼は、父であり先代当主でもある師匠にも遠慮がなかった。 面白いもので、新人の時は誰もが十分な教えを授けてくれない先輩らに不満を抱くくせに、いざ自分がその立場に成長した時はかつての先輩達と同様に横柄に振る舞うことが多い。 教えを請う弟子に甘えるなど怒鳴りつけ、何も知らずに失敗を繰り返す弟子達を嘲笑い、馬鹿にする兄弟子達など山のようにいた。 そんな中で、口が悪くてぶっきらぼうながらもジャンクは気のいい男だった。弟弟子にむやみに威張り散らすこともなかったし、目立たないところで親切な男だった。 照れ屋で口下手な男なだけに、手とり足とり教えを授けてくれるようなタイプではなかったが、物覚えの悪い新弟子に何度でもさりげなく手本を見せてくれる面倒見の良さがあった。 商売や王宮とのコネを作ることにばかり熱心になりがちで、王の機嫌取りへとなり下がりかけている他の親族達とはひと味もふた味も違う芯の強さを持っていたジャンクは、そのままならきっといい職人となり、また、いい当主となっただろう。 だが、大臣とひと悶着を起こしたのをきっかけに、彼は結局は国を飛び出した。表向きには、先代が不出来な息子を勘当したことになってはいるが、ティンは知っている。 確かに、恋人との一件がジャンクの心を大きく動かしたのは間違いあるまい。だが、それだけではないだろう。 特権意識だけを強く持ち、職人でありながら自分の技術を磨くことを忘れた本末転倒な一族の連中に嫌気がさしたことが、根本的な原因だったのではないか。 元々、ジャンクは職人らしい職人だった。 当主の地位など、最初から彼にはどうでもよかったはずだ。 国や地位になど未練など持たない、潔い旅立ちだった。ジャンクにとっては、職人としての腕を磨くことを忘れ、ただ権力争いに腐心する一族の当主で居続けたい理由などなかったのだろう。 だからこそ、追放同然に追い出されたのに彼は文句一つ言わなかった。むしろ、これで自由になれるとばかりに堂々と旅立っていったのだ。 「ティン、元気でな。おまえなら、きっといい職人になれるぜ」 さばさばした口調でそう言ってくれたジャンクと違って、ティンはとてもそこまで開き直った態度はとれなかった。兄弟子との別れに耐え切れず、べそべそと涙ぐんでいた覚えさえある。 「ジャンクさん……、今までありがとうございました。おれは…、きっと、ジャンクさんみたいな立派な職人になります!」 その言葉を聞いて、ジャンクは一瞬だけ目を見張り、それから苦笑していった。 「馬鹿だな……オレなんざ見習わないで、おまえはもっと賢くやりな。おめえならできらぁ」 それが、ジャンクと交わした最後の言葉だった。
「……もし! 聞いておられるのですかな、ご当主!」 苛立った声で呼び掛けられ、ティンは物思いから引き戻される。 「まったく、ご自分から会議を招集しておいて考え事とはいい態度ですな! 鼻息も荒く言い立てる壮年男に対し、ティンは内心ではこっそりと肩をすくめる。 (いや、ジャンクさんはそんなことなんかしないと思うけど) 実際、ジャンクは一度も故郷には戻ってこなかったし、連絡さえよこすことはなかった。 疑心暗鬼に陥った者は、人の話など聞く耳を持たなくなる。自分自身が出世願望に取り付かれ、誰も彼もがライバルに見えている連中にとっては未だにジャンクは無視しきれないライバルだ。 もし、彼がベンガーナ王国に戻ってきて再び宮廷鍛冶職人に返り咲けば、自分達が出世街道から引きずり落とされると思い込んでいる。 「だいたい、ただでさえ最近は王宮で武器の威力まで見くびられがちなのか、買い渋られているのですぞ。これ以上、王の心証を悪くするようなことはしてほしくはありませんな」 不満げな顔でそう言ってのける親族達の言い分は、正しくはない。むしろ言い訳というか、言いがかりに近い理屈だ。 勇者により大魔王が倒され、怪物達が大人しくなった今、人々が武器を欲しがらなくなるのは当然の話である。別にジャンクの責任ではない。 「王が我ら一族を疎みだしたのは、あのジャンクが不興を買ったのが原因ですぞ! 本当にあの男は、どこまで迷惑をかければ気が済むのか」 「まったくですな、あの男の息子が戻ってきたなどときけば、大臣殿が気を悪くされることは疑いようもありませぬ。そんな者を、一族の一員として認めるなどは決して許されるわけがありませんぞ!」 「では、一族と認めなければどうでしょうか」 ケチをつける男の尻馬に乗る形で、ティンはさりげなく提案を変えてみる。 まるで、さも反対する面々の説得を聞き入れて意見を変えたかのようにみせかけて。 ティンのその提案に、親族達は再びざわめく。 「まあ、それならば確かに……。我が一族とは無縁というのなら、ジャンクの息子が何かをしでかしたところで我らに責任はないというものですし」 「そうそう、仮にジャンクの小倅めが擦り寄ってきても、我らには関係ないと突き放せばいいだけのこと」 到底歓迎している雰囲気ではなかったが、ジャンクの息子に途端に無関心になったのはティンにとっては喜ばしい反応だった。 ティンは、知っている。 一族の力は、良い方向に結束すれば末永い子孫繁栄を約束してくれるが、そうそう世の中はきれいごとでは済まされない。特に、王宮に関わるような職業に就いている者にとっては、血縁者というのは時として厄介な存在になり下がるものだ。 実際に、ジャンクが昔、宮廷鍛冶職人を辞めざるを得なくなったのは、親戚達の余計な働きかけがあったからだ。あの時、もし、ジャンクの味方になって庇う立場の者がわずかでも入れば、話は違っていただろう。 しかし当時は、テインは若すぎて兄弟子のためになにもしてはやれなかった。せめて、たまに親子が再会したいと望んだ時には会えるように、せめて手紙の連絡だけでも取りもってやる そんなことさえ、ティンにができなかった。 もし、無理にやろうとしてもなんだかんだで反対され、妨害されただけだっただろう。 その力を、ティンはジャンクの息子のために使うつもりだった。 だからこそ、ティンはわざわざ親族会議の場でジャンクの息子の存在を口にした。最初は黙ってこっそりと祖父母と会わせようかとも思ったが、後になってからポップの素性が親戚連中にバレた方が面倒な事態になりかねない。 それよりは先に親戚連中を丸め込んで言質を取り、ポップに手出しをしたくても手出しをできない状況を作ってやろうと考えたティンの企みは、なんとか成功しつつあるようだ。逸る気持ちを抑えつつ、ティンはさりげなく一同に最後の罠を仕掛けにかかる。 「では、恒例の決をとりましょうか。 一族の合議で決定したことは、一族にとっては絶対だ。国の法律に国王でさえ従う義務があるように、一族の者ならばたとえ当主であっても合議で決定された決まりには従わなければならない。 つまり、後になってから親戚連中が意見を翻したとしても、従うしかなくなるのである。 「あ、そう言えばうっかり聞き忘れていましたが、そのジャンクの息子の名はなんといいましたかな?」 ティンにとっては、まさに痛恨の一撃だった。 (な、なんでそんな余計なことを、よりによってこのタイミングで聞くんだっ?!) ジャンクへの反感と警戒心で一杯で、ジャンクの息子本人への無関心さを隠しもしなかった癖になぜここで興味を持つのか。 途方もない間の悪さで投げかけられた質問をいっそ無視したいと思ったものの、下手に隠し事をすれば後で問題になった時に言いがかりをつけられる元になる。 「確か……ポップと言いましたが」 少し前までなら、その名前は特に印象にも残らずに聞き流されただろう。少年の名としては割とありきたりの名前であり、珍しくもないからだ。 だが、今のベンガーナではその名は大きな意味を持つ。世界を救った勇者一行の一員であり、二代目大魔道士の名もポップということを、ベンガーナ王宮に少しでも関わる者ならば知らないはずがない。 大魔道士ポップが留学に来るのをことのほか歓迎し、城の内外に広く触れ回っているのは他ならぬベンガーナ王本人なのだから。今では王の一番のお気に入りの客人の地位を占めている大魔道士ポップの噂は、すでに広まっている。 その噂だけなら気にも留めなかっただろうが、ジャンクの年齢を知っている親戚達にしてみればその息子の年齢も大体逆算できる。ジャンクが駆け落ちした年数を考えれば、子供が生まれていたとすればちょうどそれぐらいのはずだと――。 「まさか……?! まさか、ジャンクの息子というのは、あの大魔道士ポップなのか?!」 勘のいい一人の叫びに、白い手の一族達は挙げかけた手を一斉に下げ、探るような視線をティンへと向けてきた――。 《続く》
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