『もう一つの救済 32』

 未だに鐘の音色が鳴り響く中、銀髪の戦士は地底魔城を見下ろす場所に、一人、佇んでいた。

 マグマの鳴動も変わらずに鳴り響いているが、彼はそんな物などまるで聞こえていないか、彫像のように動かない。彼が魂の貝殻に耳を傾けているのを、誰も邪魔しようとはしなかった。

 むしろ、ヒュンケルの邪魔をしないように少しばかり距離を置き、急かさずに待ち続けている。

 待っている間、彼らが何もしなかったわけではない。
 今までお互いに何があったのか、簡単に説明し合い情報交換を終えていた。もっとも、それはポップには不本意だったのだが。

 事情を話すこと自体には、別に不服はない。それにバダックとは初対面だったポップにとっては、彼の自己紹介を聞くことも出来た。自称、パプニカ位置の剣豪と名乗ったバダックの実力には少々疑問は感じたものの、この人の良さそうな老人にポップはすぐに馴染んだ。

 そこまではいい。
 だが、正直な話、ポップは地底魔城であったことをダイやクロコダイン達ならともかく、バダックやマァムには聞かせたくないと思っていた。

 特に、気が強い割には涙もろくて優しいマァムは、ヒュンケルの過去やモルグの運命を知ればきっと心を痛めるだろうから。
 それに――少しばかりは、ヒュンケルのことが気になっていたのも事実だ。ヒュンケルの過去について、勝手に話すのはなんとなく気が引ける。

 しかし、だからと言ってハドラーやザボエラが動いていたことまで内緒にしておくわけにはいかないし、都合の悪いところを適当に誤魔化して、どう話せばいいのかポップはずいぶんと悩んだ。

 が、その悩みは全く無駄だった。
 なにしろ、ダイときたら「何があったのか」と聞かれて、実に素直にありのままをぶちまけたのだから。

「うん、ハドラーが来たよ。それで、ポップが死にかけたし、モルグさんは本当に死んじゃったんだ」

 ダイのストレートな発言に、マァムやクロコダインも目を見張ったが、ポップだって目眩を感じずにはいられなかった。

 そりゃあ事実は事実なのだが、もう少し言い方を考えやがれと怒鳴りつけたくなったものである。このままダイに任せれば、インパクトのある部分だけを端的に言うのが目に見えている。しかも説明下手のダイに任せれば、余計に心配をかけるような誤解が発生しかねない。

 仕方がなくポップは自分で説明することにしたが……全てを聞いてからと言うものの、マァムはずっと俯いて肩を震わせ続けている。

 泣き止まないマァムに、最初、ダイはオタオタしていたが、さすがに年の功と言うべきか、バダックとクロコダインがしばらく放っておいてやれと忠告した。

 泣くマァムをそのままに、ダイとクロコダインは周囲の様子がどうなったか調べてくると言って、文字通りその辺をうろついている。それはバダックやゴメちゃんも同じだった。

 何もみんなで揃って似たような場所をうろつかなくても良さそうな物だが、どうやら彼らは揃って泣いている女の子の側にいるのは落ち着かないらしい。

 それはポップとて同じことなのだが、生憎と言うべきか今のポップには歩き回るだけの体力もなかった。魔法力をギリギリまでモルグの鐘に注ぎ込んでしまったせいで、今のポップには辛うじて意識を保っていられる程度の魔法力しか残っていない。

 眠り込まないように気を張っているのがやっとで、とてもうろつけるような体調ではない。

 自分だけ逃げそびれたと思いつつも、マァムの側で座り込んでいるしかない。泣くマァムの隣で、ポップは気まずく黙り込んでいるだけしか出来なかった。

(やっと、会えたのにな……)

 何があってもダイとマァムのところに帰ろうと、ポップは熱望していたはずだった。だが、その望みが叶ってようやくマァムにも再会できたはずなのに、なぜかちっとも近づけた気がしない。

 手を伸ばせばすぐ届く、肩をぶつけ合うような距離しか離れていないのに、マァムがひどく遠くにいるように感じられる。側にいながら何一つできない間抜けな自分よりも、離れた場所に佇んでいるヒュンケルの方が、彼女との心の距離が近い気がした――。

「……なんで、そんなに泣くんだよ……っ」

 思わずそう呟いてしまってから、ポップは後悔する。
 彼女がヒュンケルを思って泣いているのだと、ポップはちゃんと知っている。

 マァムは元々、ヒュンケルに対して好意的だった。
 ヒュンケルが兄弟子と知った時、ひどく嬉しそうな顔をしたのを覚えている。ヒュンケルがアバンへの憎しみを口にしてもなお、マァムは彼を説得しようとどこまでも食い下がっていた。

 そんな彼女が、ヒュンケルの過去を知って同情しないはずがない。
 不死系怪物の父を慕い、誤解のままにアバンを憎み、その憎しみを魔王軍に利用されていた彼に、一番強く同情を感じているのはおそらくマァムだろう。

 そして、自分の意思だったとは言え、最後までヒュンケルに忠実だったモルグの死にも、心を痛めているに違いない。
 そんなのは分かりきったことなのに、泣いている彼女を慰めるどころか、まるで非難するようなことを言ってしまう自分の小ささに嫌気がさす。

「いいでしょ、泣いたって……!」

 しゃくり上げながらも、マァムは言い返してくれた。それでも曲がりなりにもマァムが口をきいてくれたことに、ポップはわずかにホッとする。

「けどよ、そんなに泣いてばっかりいちゃ、目が溶けちまうぜ?」

 軽口めかせてそう言ったのは、マァムを怒らせてでもいいからいつもの彼女の元気を取り戻して欲しかったからだ。そんなポップの思惑が通じたのか、マァムが少し膨れた様子で言い返してきた。

「なによ、ポップだって泣いてたくせに……!」

「え!?」

 ギョッとし、咄嗟にポップは自分で自分の頬の辺りを拭う。なまじ心当たりがありすぎたせいでしてしまった仕草だったが、それを見たマァムは一瞬きょとんとしてから、クスリと小さく笑う。

「ウソよ」

「へ?」

 驚きのあまり、間の抜けた返事をするポップに、マァムは涙を拭いながらもう一度ウソだと繰り返す。

「言ってみただけ。でも、顔を拭いたってことは、ポップも泣いてあげたのね……、モルグさんのために」

 少しだけ、彼女の顔に微笑みが浮かぶ。
 しかし、それでもまだ、彼女の目からは涙が溢れる。それがこぼれ落ちる前に、マァムはポップの肩に顔を押しつけてきた。

「マ、マァム?」

 唐突な接触に、ポップはまたも驚くばかりだ。さっき抱きつかれた時もそうだったが、こんな時でさえマァムに触れられてはとても平気ではいられない。

 マァムの肌の暖かさや、ダイに抱きつかれた時とは全く違う柔らかさにドキドキせずにはいられない。心臓の音がマァムに聞こえるのではないかと心配になるぐらいだが、マァムの方はそんなこともなさそうだった。

「ごめんなさい、もう少しだけ、泣かせて。泣きたいの……だって、ヒュンケルが……泣かないんだもの」

 くぐもって聞こえる声は、涙混じりだった。

「…………」

 胸のドキドキや、好きな女の子に抱きつかれた高揚感が、少しずつ落ち着いていく。
 それは、気持ちが冷めたからではない。
 そんな気持ちを抱くのは、今のマァムに失礼だと思ったからだ。

(かなわねえよなぁ、マァムには……)

 つくづく、そう思わずにはいられない。
 ただ気が強いだけの、男勝りの女の子の様に見えて、マァムには心の奥に聖女のような清らかさを持っている。何の見返りも求めず、無償で他人に助け手を差し伸べる優しさがマァムにはある。
 今のマァムの優しさを、ポップには理解できた。

(ちくしょう、てめえばっかりスカした面しやがって……!)

 心の中でヒュンケルを毒づきながら、ポップは彼の方に目をやった。
 まだ、魂の貝殻に耳を傾けているヒュンケルが何を聞いているのかは、ここからでは分からない。

 だが、ポップはあの中身がヒュンケルの父、バルトスの遺言だと確信していた。 

 魂の貝殻は、予め遺言を封じておけるようなものではない。死の寸前になってから、初めて発動される魔法道具だ。だからこそ、モルグが予め自分の遺言を封じたわけがないと分かっていた。

 万一の時、モルグが自分の遺言を入れるための器として用意しておいた可能性も考えられるが、長い間使っていない隠し部屋の奥の宝箱にあったことを思えば、古い品だと考えた方が自然だ。

 しかもあの隠し部屋は、大人には入るのは難しい大きさだった。
 子供ならば見つけられる隠し部屋に、いざという時の遺言を残せるように用意をしておける人物――ポップの知っている範囲で、かつて地底魔城にそんな人物がいたとすれば、バルトス以外は考えられない。

 バルトスの望み通りならば、ヒュンケルはアバンがハドラーを倒した日にそれを聞き、真実を知るはずだった。
 それは、ポップの推理やハドラーの言葉などよりも、よほどヒュンケルに優しく染みいる真実だろう。

 真実を見ようとさえしないヒュンケルに無性に腹が立って、ほとんど喧嘩を売るように真相を突きつけてしまったが――自分のしたことは、余計なことだったのかもしれないと今になってポップは思う。

(おれ……、今回、ぜんっぜんいいとこなかったよなー)

 自分の役立たずさに内心ため息をつきながら、ポップはマァムの嗚咽を聞いていた。
 ヒュンケルの代わりに泣く役を引き受けたかのように、静かに泣き続ける少女を、ポップはもう止めようとは思わなかった。

 神に祈るシスターを妨げようとは思わないように、ヒュンケルのために泣くマァムを邪魔したいとは思えない。

 そんな彼女のためになるのなら、自分の肩で良かったらいくらでも貸してやってもいい――ポップは本心からそう思った。
 が、どんなにそう思ったところで、心と身体は別物だ。

「は……はにゃ?」

 不意に平衡感覚が消えた。周囲がぐにゃりと曲がったと思った瞬間には、ポップはマァムごと後ろにひっくり返っていた。

「ポップッ!?」

 ポップを押し倒すような形で一緒に倒れ込んだマァムだが、すぐに元気に跳ね起きる。
 が、ポップの方はそうはいかなかった。

 身体がやけに重たくって、起き上がろうとしてもちっとも起き上がれない。タイミングを掴めず、ひっくり返ったカメのごとく藻掻いているポップを見つけたのか、ダイ達もこちらに寄ってきた。

「ど、どうしたの、ポップ? 大丈夫!?」

 平気だと答えようとしたポップだったが、それよりも早くマァムに襟首を引っ掴まれるような勢いで揺さぶられる。

「ポップッ、ちょっと、しっかりしてよ!!」

 揺さぶられ、責めるように名前を呼ばれながら回復魔法をかけられるという経験は、ポップも初めてだった。

「い、いや、回復魔法はいらねえよ、ただの魔法力切れだし……」

 そう言った途端、ポップは更に強くマァムに怒られることになった。

「なんでそれを早く言わないのよっ!? なら、こんな所にいないでどこかで休まないと……」

 涙を素早く一拭いすると、マァムはポップを引っ張り起こす。そのまま肩に担がれそうな勢いに、ポップの方が焦った。

「い、いいよっ、そんなのみっともないっ。肩を貸してくれりゃ、自分で歩けるって」

 そう言いながらも、ポップは自分で自分の情けなさを嫌と言うほど実感してしまう。

 泣いている女の子に肩を貸すどころか、支えることもできずに逆に肩を借りる羽目になるだなんて、情けないにもほどがある。しかも、なお最低なことに、そんな時に限ってヒュンケルまでもがこちらに近寄ってきた。

「大丈夫なのか」

(なんで、てめえにそんなことを心配されなきゃならねえんだよっ!?)

 八つ当たりと知りつつ、ポップはそう思わずにはいられない。
 今まで信じていた相手に裏切られ、腹心の部下を失ったヒュンケルに逆に心配されるなど、なにやら屈辱感が否めない。が、ダイはケロリとした物だった。

「えっと、魔法力なくなっただけなら、多分、休めば平気だと思う。どっか、ゆっくり眠れる所があればいいんだけど」

 キョロキョロとその辺を見回すダイだが、こんな場所で安心できる寝場所があるはずもない。が、思わぬところから不意をついた発言が飛び出した。

「おお、それならワシに心当たりがあるぞ。ワシが使っていた隠れ家へ来ればいい。ほれ、ワシとダイ君達が最初に会った場所の近くじゃ」

 ポップには全く心当たりのない場所だが、ダイとマァムには思い当たったらしくパッと表情が明るくなった。

「そっか、それなら近いね。ところで、ヒュンケルはもう、用事はすんだ?」

「ああ」

 軽く頷いたヒュンケルを見て、ポップはムカつくような、それでいてホッとした様な気持ちを味わう。いつの間にか、なし崩しにヒュンケルが仲間になったような気がしたのだ。

(このまま、とりあえずじいさんの隠れ家とかに移動ってことになるのかな)

 ポップだけでなく、おそらくはみんなもそう思っていたところに、さらりと爆弾を落としたのはダイだった。

「ヒュンケル、まだ、おれと戦いたい?」

 その発言のせいで、張り詰めたようにその場に緊張感が高まる。
 今まで忘れていた――いや、気がつかないようにしていた刃が、急にむき出しになったかのように、空気が緊迫した。

 だが、張本人であるダイだけは、そんな空気など全く感じていない様子で、無邪気に言葉を続けた。

「地底魔城で言ったよね。ポップを助けた後だったら、戦ってもいいって」

「ダ、ダイ、おまえ、何を言い出すんだよッ!?」

 というか、そんなとんでもない約束をいつの間にしたんだと、ポップは問いつめたい気持ちで一杯だった。しかも、そんな話は、ポップは一言も聞いていない。

 しかし、ダイは動揺するポップに構わず、落ち着き払った口調で淡々と言った。

「ヒュンケルはポップを助けるのに協力してくれたし、おれ、感謝してるんだ。
 だから――ヒュンケルが望むんなら、戦うよ」

 きっぱりとそう言いきるダイには、何の迷いも感じられない。
 その顔は、紛れもなく勇者のそれだった。

(ああ……やっぱ、こいつってただ者じゃねえよな)

 普段は単純で、子供っぽいだけの少年の様に思えて、ダイには戦いの場だけで見せるもう一つの顔がある。そんな時のダイは、ポップよりも年下の子供とはとても思えないような、不思議なぐらい大人びた表情を見せる。

 それは、おそらくは心のありようが現れているからだ。
 今のダイなら、きっとそうするとポップは確信できた。ヒュンケルと最初に戦った時、迷いがあるのか戦いたがらなかった時とは明らかに違っている。

 ヒュンケルの過去を知り、モルグの死を見ても揺るがない物が、今のダイの中にはある。その決心の前には、ヒュンケルと共闘したことでさえ問題にならないらしい。

 ポップの方は――もう、とてもヒュンケルと戦う気になどなれないというのに。

 認めたくないが、わずかの間だというのにポップはすっかりヒュンケルに対する敵愾心をなくしてしまった。彼に対して、個人的に癪に障る感情やら苛立ちを感じないわけではないが、敵として倒すべき相手だとはもう思えない。

 ポップにとって、ヒュンケルはすでに許せない敵ではない。彼の過去を知ったポップは、彼の怒りや復讐の念も理解できてしまう。だからこそ、敵だと決めつけて戦うことはすでにできない。

 心構えの段階で、ポップはダイに後れを取っている。
 こんな時、ポップは焦りを感じずにはいられない。

 同じ先生について習ったのに、いや、むしろ自分の方がずっと長いこと習っていたというのに、ダイはものすごい勢いで成長して駆け足で追い抜いていく。

 一足飛びに先に進んでしまうダイに、負けるのが悔しいというのとは少し違う。
 ダイの特別さを、ポップは実感している。あいつなら、どれだけ先に進んでもおかしくはないと思えるから。

 だが、ダイとの距離が離れてしまうのだけは我慢ならない。
 ダイが行くところなら、ポップもついていきたいと望む。なら、ダイの駆け足がどんなに早かったとしても、それに遅れるわけにはいかない。

 そして、ダイが戦うというのなら――その相手が誰であろうと、引くわけにはいかない。

「……ダ……」

 何かを言いかけたマァムの肩を強く掴んで引き留め、ポップはもう片手をこっそりと握りこむ。マァムの肩に掴まらなければ立てない様な有様だが、それでも力を振り絞ればまだ魔法の一発ぐらいは放てる。

 ダイが戦うというのであれば、ポップもそれを援護する覚悟だった。ともすれば薄れそうになる意識を集中させ、ポップはヒュンケルの返答を待った――。







「…………」

 返事をする前に、ヒュンケルは目の前にいる者達をしっかりと見つめる。 
 自分を真っ直ぐに見つめる小さな勇者と、僧侶の娘に肩を借りながら、それでも戦いを決意した目をしている魔法使いの少年を。

 最初にパプニカの神殿で出会った時には、いかにも頼りなく見えた三人組だった。
 だが、今、ヒュンケルの目に映る三人はあの時とは全く違って見えた。

「……いいや」

 ゆっくりと首を振り、ヒュンケルは鎧化を解除した。戦いの意思がないと、言葉以外でも示すために。
 
「もう、その理由もない」

 真相を知り、自分の間違いや愚かさを思い知った今となっては、ヒュンケルにはもはやダイ達と戦う理由もない。
 それに――戦って、勝てる気もしない。

 実力以上に、ダイ達の凄さをヒュンケルは思い知らされた。ダイの真っ直ぐさも、マァムの優しさも、アバンを彷彿とさせるものだ。そして、ポップには何度救われたことか。

 時としてアバンを凌ぐのではないかと思える頭脳を発揮しつつ、感情にまかせて無茶をするポップのアンバランスこそが、ヒュンケルに真実を教えてくれた。

 彼らこそが、アバンの使徒に相応しい。
 今となっては、心からそう思う。実力以前に、心の持ち方の時点でヒュンケルは彼らに完敗したも同然だ。

 謝罪をして許されるとは思えないが、それでも謝罪の意思を伝え、彼らとは二度と関わらないようにしよう――ヒュンケルはその時、そう思っていた。

 魔王軍の一員として今まで自分がしてきたことを思えば、この場で勇者である彼らに討たれても文句は言えないが、ヒュンケルにも真の仇だったハドラーを倒したいという気持ちがある。

 できるのなら、ハドラーを倒すために旅立ちたい。……もし、ダイ達が許してくれるのなら、と言う条件付きではあるが。
 しかし、ヒュンケルの前に指し示されたのは、思いも寄らぬ提案だった。

「そっか、よかった。なら、ヒュンケル。おれ達と一緒に行こうよ! 一緒に、戦って欲しいんだ」

「……っ!?」

 驚きが強すぎて、ヒュンケルは言葉もなくす。
 が、そんなヒュンケルに代わるように、マァムは嬉しそうな声を張り上げた。

「そうしてくれれば、心強いわ……! お願い、ヒュンケル、私達に力を貸して」

 それは、初めて会った時の再現のようだった。
 ダイとマァムは、兄弟子と名乗ったヒュンケルに無邪気な信頼を寄せ、これ以上の味方はいないとばかりに勧誘してきた。全てを知った今も、ダイとマァムの熱心さは最初に会った時と何の変わりもなかった。

「おまえ達は……オレを、信用するのか……?」

 到底、信じられなかった。
 実際、もしヒュンケル自身が逆の立場だったとしたら、とてもではないがこんな台詞を言えはしないだろう。
 だが、ダイの目には迷いはなかったし、マァムは微笑みすら浮かべている。

「だって、私達は同じ先生に教えを受けた仲間だわ……! そうでしょう?」

 そう言いながら、マァムは懐に手を入れて中から何かを取り出す。小さくきらめくそれが、投げ捨てたはずのアバンのしるしだと気がついて、ヒュンケルの目はなお一層大きく見開かれた。

「これは、あなたの物よ」

 手の上にアバンのしるしを乗せ、マァムは励ますような微笑みを浮かべたまま、その手を差し伸べる。
 ヒュンケルが投げ捨てた物を、彼女は大切に持ち続けてくれたのだと思うと、それだけで心に暖かいものが広がっていく。

 それは、あまりにも大きな誘惑だった。
 一度は投げ捨てた正しい道を、アバンの残した弟子達が導き直してくれようとしている――それこそが、実は心の底から望んでいた道なのだと、ヒュンケルは今になってから気がついた。

 だが、それだけに迷いがあった。
 復讐に狂い、罪を犯した自分に、こんなにも真っ直ぐな兄弟弟子達の手を取る資格があるのかどうか、不安だった。そのためらいが、伸ばしかけた手を一度止めさせる。

(……やはり、オレには――)

 辞退すべきではないかと思う気持ちに傾いた時、刺々しい声が叩きつけられた。

「言っとくけどな、おれはおまえを信用したってわけじゃねえや」

 初めて会った時と同様に、けんか腰の口調がかえって耳に心地よかった。思わず顔を上げると、ポップと目が合う。

 初めて会った時は、一瞬たりとも逸らさないとばかりに油断なくヒュンケルを睨み付けていた魔法使いの少年は、今は目が合うと、ぷいっと顔を背けた。
 それから、やけに言い訳がましい口調で早口に言う。

「けど……、先生が言ったんだ。アバンのしるしを持っている者に会ったら、それは同じ志を持つ仲間なんだって。だから……、仕方がないから、おまえのこと、認めてやるよっ」

 ストレートなダイやマァムとは違う、少し捻くれたポップの勧誘にヒュンケルは無意識に笑ってしまう。そのおかげで気負いが消え、ヒュンケルは自分でも驚くほど自然に、アバンのしるしを再び手にすることができた。

「――なら、これでおまえはオレを認めてくれるわけだな」

 その途端、わっと歓声じみた歓迎の叫びがダイとマァムから同時に上がる。ついでに、ポップが嫌そうに顔をしかめつつも、ホッとしたようにため息をついたのもヒュンケルは見逃さなかった。

 そんなヒュンケルの肩を、ごつくて太い手が軽く叩く。
 無言のまま、だが、それでもよかったなという意味合いを込めて肩を叩いてくれたクロコダインに対して、ヒュンケルも無言のまま、頷き返した――。







 いつの間にか、鐘が鳴り止んでいた。
 マグマの鳴動もすでにかなり治まりはしたが、まだ赤いマグマが煮えたぎった海のように蠢いている。
 その中に飲み込まれた地底魔城は、もう影も形も見えなかった。

(モルグも、もう逝ったのだろうな……)

 モルグが鳴らした、最後の鐘。
 最後の鐘は、鐘の音の聞こえる範囲にいる全ての自然ならざる生命体に作用する。

 自然ならざる生命を、あるべき姿……すなわち、本来の意味での死者へと戻すための音色だ。

 城にいた数え切れないぐらい多くの不死系怪物達は、地底魔城と共にそのまま地に還った。今度こそ、彼らが安らかな眠りに就いたことを願ってから、ヒュンケルは手にした魂の貝殻を放り投げた。

 マグマの中に飲まれた魂の貝殻は、一瞬で見えなくなった。だが、それでいい。
 父の遺言を聞くのは、一度だけでいい。

 あの言葉は、あまりにも優しく、耳に心地よかった。ヒュンケルの全てを肯定し、愛を注いでくれるかのようなバルトスの言葉は確かにヒュンケルの心を癒やしてくれた。

 しかし、だからこそ思い出にしがみつきたくはなかった。あれが手元にあれば、ヒュンケルはきっと思い出にすがってしまう。そうしないために、ヒュンケルは過去との決別の意味も込めて魂の貝殻を手放した。

「もう、いいの? じゃ、そろそろ行こうか」

 その間、律儀に待っていてくれたダイの誘いを受けて、ヒュンケルは歩き出そうとする。
 ――が、ふと耳をかすめた音に引かれて、思わず足を止めた。

「どうした、ヒュンケル? 何か、気になるのか?」

 クロコダインに問われ、ヒュンケルはわずかに首を傾げる。

「いや……今、何かが聞こえなかったか?」

 そう言いはしたものの、ヒュンケルにはさして確信があったわけではなかった。
 実際、他の者には聞こえていなかったのか、別に何の反応もしていない。

(今……、かすかな鈴の音が聞こえたかと思ったのだが――)

 鈴の音と言えば、ヒュンケルはどうしても常に鈴を鳴らし続けていた忠実な執事の姿を、思い浮かべてしまう。
 もしかして、彼がまだどこかにいるのではないかと、あり得るはずもない未練が頭をもたげたが、不機嫌な声がそれを遮った。

「そんなの、聞こえなかったぜ。気のせいだろ」

 ダイとマァムに両方から支えられ、やっと歩いているポップの頭上には、ゴメちゃんがちょこんと乗っている。見ていて和むというか、どことなく笑いを誘う光景だ。

「……そうだな。おまえがそう言うのなら、きっとそうだろう」

 正直言えば、まだ耳元に鈴の音色の名残が残っている様な気がしたが、ヒュンケルはその未練を捨てる。

 ポップの言葉は、今までずっと正しかった。
 狙い違わず、真実だけを見事に見抜いたこの魔法使いの言葉ならば、信じるに値する。

 もう、ヒュンケルは振り向かなかった。
 仲間達の後を追って、沈み逝く地底魔城を後にした――。   

                                                    END

 
 


《後書き》
 
 やった、やっと完成いたしました!
 『もし、ヒュンケル編でマァムではなくポップが捕まっていたのなら』というIFから発生したこのお話、短期連載の予定がなんと9ヶ月にも渡って書き続けた(笑)、予想以上の大長編になってしまいましたが、無事に完結しました♪

 原作とは違う形で、ヒュンケルが勇者一行と和解するストーリーを書きたいと思ったのは、ずーっと昔の話なのですが、自分の腕では書くのは無理じゃないかなと思ってためらっていた時間が長かったですね。

 それが、今になってから実現するとは感無量です。いやー、何事もやってみるものですね♪

 


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