『切れない鎖 ー後編ー』

 

「ポップさんはいつだって勇敢でした……! ポップさんは、ダイさんとは違う強さと勇気を持った人です。初めて会った時からずっと……、私はそれを見てきました」

 揺るぎのない声で、メルルは訴えずにはいられない。
 ポップのことを一番よく知っているはずなのに、彼の強さを全く理解していない彼の家族に、分かってほしかった。ポップが今まで、どんなに勇敢に戦ってきたかを。

 勇者ダイの強さと勇敢さを、メルルは知っている。だが、ポップの勇気もまた、それに勝るとも劣らないとメルルは確信している。

 メルルがダイ達と初めて出会った場所は、ベンガーナのデパートでだった。祖母の気まぐれでデパート見学をしていた時、武器売り場で見かけた少年少女達――その中にポップもいた。

 武器を買う人間は、基本的に戦士か武器商人と相場が決まっている。その割合に男性の方が多いのは自明の理だ。
 そんな中で自分と同じ年ぐらいの男の子と女の子、それに少し年下と見える男の子という三人組は、子供と言う年齢も手伝って武器売り場ではひときわ目立って見えた。

 だがその時は、出会いと言うよりも単にすれ違ったに等しい。
 祖母のナバラが話しかけた相手も、ダイでもポップでもなく彼と一緒にいた一人の少女だったのだから。オークションに参加して高額な武器を買おうとしていたその少女を、ナバラは持ち前の皮肉たっぷりな口調で忠告したにすぎない。

 しかし、占い師の忠告に従うかどうかは本人が決めればいいことだ。
 ナバラは声をかけただけでそれ以上は知ったことではないとばかりにさっさとその場を立ち去ったし、三人組も別に自分達を引き留めようとはしなかった。そのままだったのなら、本当に通りすがるだけの関係で終わっていただろう。

 だが、その直後に起こったドラゴンの襲撃がメルルと三人を巡り合わせた。
 思えば、それは奇跡としか言いようのない縁だった。

 予知により、メルルは襲撃の前からドラゴンが来ることを知っていた。その予知のまま、誰よりも早く逃げ出していればメルルは三人と――言い換えるのならば、ポップと出会うことはなかっただろう。

 そして、メルルの人生はそれまでと変わりなく、予知にすがって危険から逃れながらほそぼそと生きていくだけのつまらない生き方しかできなかったに違いない。

 しかし、あの日、メルルは逃げ遅れた母子を助けたいと思った。人を見捨てて自分だけ逃げるのではなく、少しでもいいから人の力になりたいと思ったのだ。

 だが、力が全く足りず何もできずにいたメルルに手を貸してくれたのがレオナだった。内気な自分と違い、年上の男性にてきぱきと指示を出しながら母子の救助に手を貸してくれた少女に、メルルは目を見張らずにはいられなかった。

 自分よりも年下に思えるぐらいの子なのに、なんて並外れた少女だろうと心底感心したものだ。後に彼女が王女だと知って驚いたものの、やはり自分とは違う人だったのだとすんなりと納得できた。

 だが、普通の人と違うと言うのならば、ダイの方が遙かに上回っていた。
 危うくドラゴンに殺されそうになったメルルを助けてくれたのが、ダイだった。幼い容貌に似合わない、圧倒的な強さを持つ少年だった。

 素手のままドラゴンを引き裂く力を見せつけた少年は、まさに人間離れしていた。彼こそが伝説の竜の騎士に違いないと、メルルは一目で確信したものだ。

 普通の人では及びもつかない、選ばれた種類の人達もいるものだと――彼らに出会って、メルルはそう思った。そんな飛び抜けた二人の出会いの鮮烈さに比べれば、ポップの印象は最初は薄かった。 

 後になってから聞けば、彼は彼で別の場所に行き、単独でドラゴンと戦っていたというが、その現場はメルルをはじめとして誰も見てはいない。だから、最初に出会った時からしばらくの間のポップの印象は、お世辞にも良いものとも強いとも言えない。

 だが、いつの間にか、メルルの目はポップに惹きつけられていた。いつから、とは言えない。出会ってからそれほど時間もかからないうちに、メルルはいつもポップを見つめるようになっていたのだから。

 最初はいつものように、祖母に従って行動していただけのつもりだった。伝説の竜の騎士である少年を気にして、彼をテランの神殿へと案内するだけの役割の手伝い……それだけのつもりだった。

 なのにふと気がついた時には、いつだってメルルはポップを目で追っていた。
 彼が気になって、仕方がなかった。

 だからこそ、メルルは彼の後を追いかけた。たとえ自分が何の役にも立てず、足手まといになると分かっていたとしてもそうせずにはいられなかった。
 伝説の神の血を引く勇者よりも、他のどんな戦士達よりも、彼の戦いぶりの方が輝いて見えた。

 そう見えるのは、恋する少女の欲目が混じっているのかもしれない。だが、それだけとは言い切れないだろう。味方どころか敵の心でさえ動かす程の勇気を、ポップは確かに持っているのだから。

「ポップさんは……本当に、不思議な人です。いつもは明るくて楽しい方で、とても戦いに関わるような人には見えないのに。
 なのに、戦いの場になると彼は誰よりも勇敢になるんです。
 敵を恐れて、震えているもありました。なのに、それでも彼は戦うのをやめないんです」

 それがダイとポップの一番大きな差だと、メルルは思っていた。
 竜の騎士であり、勇者でもあるダイは確かに勇敢だ。だが、彼の戦いに対する姿勢はあまりにも並外れている。戦うことが己の使命だとでも言わんばかりに、ダイは戦いにためらいを見せない。

 戦いに対する恐怖など最初から知らないかのように、平常心で戦いに挑むことができる。それも勇気であり、勇者の資質とも言えるかもしれない。
 しかし、メルルにはポップの心理の方がより身近に感じられる。

 戦いに恐怖を感じているし、弱音だって吐く。だが、それでいながらポップは勇気を振り絞って戦おうとするのだ。弱い自分を叱咤するように震えながらも立ち上がり、敵に挑むポップの姿をメルルは何度となく見てきた。

 敵に対する怯えを見せることも多いポップは、恐れを知らない戦士とはほど遠いかもしれない。だが、それだけの恐怖や怯えを克己して戦う心こそを、人は勇気と呼ぶのではないだろうか。
 その意味では、ポップほど勇気のある人は他にいないだろう。

「どんな時でもポップさんは戦いを諦めませんでした。大魔王の前でさえ、そうだったんです。あんな風に恐怖も困難も乗り越えることのできる人がいるだなんて、私は思いもしませんでした……! 
 ポップさんは――本当に、すごい人なんです」

 強くそう主張してから――メルルはふと我に返った。ぽかんと口を開けて自分を見ているジャンクに、お茶の道具を一通り乗せたセットを手にしたまま今の入り口の所で足を止めているスティーヌの姿に気がついたからだ。

(あ……、やだ、私ったら)

 一歩遅れて浮かんできた羞恥心が、メルルの頬を赤く染めさせる。ひょっとしたら、いや、ひょっとしなくても自分は出過ぎたことをしてしまったのではないか――そんな想いが、メルルに生来の内気さを取り戻させる。

 もしかしてひどく失礼なことを言ってしまったのではないかと、にわかにうろたえるメルルに対して、落ち着き払った声をかけたのはロン・ベルクだった。

「――それは、面白い話だ。もっと詳しく聞きたいもんだな」

 済ました顔でそう言ってのける酔狂な男の言葉が、その場の空気を変える。そして、佇んでいた女性は優しい笑みを浮かべながらメルルのすぐ隣に腰を下ろしてきた。

「そうね。よければ、私ももっと聞きたいわ」

 手際よくお茶を注ぎながら、スティーヌは励ますように優しくメルルを促す。

「あの子ったら、今まで何をしてきたのかなんて全然教えてくれないんだもの。めったに家に帰ってもこないしね。
 機会があるのなら、聞いてみたいと思っていたのよ。ねえ、あなた?」

 話を振られたジャンクは一瞬ひどく驚いたような顔を見せ、それからぷいっとそっぽを向いて不機嫌そうに呟く。

「ふん、どうせあのガキは口ばっかり達者な根性なしだし、ろくなことを言ったりやったりするような奴じゃねえのは分かってるけどよ」

 思いっきりしかめられた顔に、尖った口調を隠しもしないジャンクの言動をそのまま見るのなら、手厳しい拒絶としか受け取れないだろう。だが、今のジャンクの態度はメルルの記憶をかすかにくすぐるものがあった。

 容赦なく怒り、憎まれ口を叩きまくりながら、それでも相手を気にしている――そんな態度が不思議に記憶に引っかかる。
 それをはっきりと思い出せたのは、目を合わせないままでぼそっと呟かれた彼の言葉のおかげだった。

「ん、ん……、あー、まぁ、だがよ……聞いてみたくねえことも、ねえな。あのバカヤローがなにをやらかしたのかをよ。ろくでもねえことをしたってんなら、ぶんなぐってやらなきゃなんねえしよ」

(あ……!)

 やけに言い訳がましくひどく言いにくそうにそう言ってのけるジャンクの姿が、バーンパレスでのポップの姿となぜか重なって見えた。ヒュンケルと再会した直後、喜びを素直に表したマァムとは対照的に、悪態をつきまくりながらかたくなに背中を向けていた黒髪の魔法使い。

 だが、メルルは知っていた。
 そして、ポップの側にいた仲間達もおそらく知っていただろう――本当は彼こそが誰よりも、ヒュンケルの無事を喜んでいた事実を。本心では兄弟子を慕ってもいるし、頼りにもしているはずなのに、素直にそれを口にできた試しのないポップの意地っ張りさを、メルルはずっと側で見てきた。

 あの時、ポップから感じたのと同じ暖かさを、今のジャンクからも感じることができる。
 その暖かさが、メルルの心を心地よく満たす。

 家に寄りつきたがらないポップと、口では息子を貶しまくるジャンク――最初はこの二人は相性が悪いのではないかと密かに心配していたが、今こそメルルは自分の誤解を悟った。

 遠慮なしに罵り合うこの親子の間に、しっかりとした絆があることをメルルは今こそ確信できた。
 だからこそ、伝えたいと思う。

 ポップが言わないのならなおのこと、ポップがあの時にどんなに勇敢に戦ったのか、家族にこそ知っていてほしいと願う。その気持ちが、メルルに恥ずかしさや僭越感を乗り越える勇気を与えてくれた。

 急かしもせず、ただ穏やかに微笑んで自分を見つめてくれるスティーヌの視線に支えられながら、メルルは思い切って忘れられない言葉を口にする。

「『バカヤロー』」

 おとなしく、しおらしげな少女の口から漏れるには相応しくない言葉に、ジャックもロン・ベルクも揃って呆気にとられたような表情を見せる。その戸惑いにくすりと笑いたくなる気持ちを抑えて、メルルは言葉を続ける。

「ポップさんは、そう言ったんです。よりによって大魔王に向かって、バカヤローって怒鳴りつけていました」

「なんだ、そりゃあ? 身の程知らずな奴だな」
 
 呆れたような顔でそう呟くジャンクに、ロン・ベルクは薄い笑みを浮かべながら頷く。

「確かにな。ほんの少しでも身の程を知っている奴なら、あのバーンにそんな言葉など吐くまいよ」

 同じような言葉を言っているようでいながら、ジャンクとロン・ベルクの認識には大きな差があった。ジャンクは単に息子の口の悪さに呆れているだけに過ぎないが、ロン・ベルクは違う。

 実際に大魔王バーンとの面識を持っていた魔族の男は、彼の恐ろしさも強さも知っている。それだけに、彼に面と向かって逆らった少年の価値を理解できたのだろう。

「オレでさえ、バーン相手にそんな暴言を吐く度胸はなかったぞ。さすがにいい度胸だな」

 からかいめかせたロン・ベルクの弱音混じりの賞賛に、メルルは真顔のまま頷く。

「ええ、私もそう思います。大魔王バーンは……別格過ぎましたから」

 バーンの強さは、圧倒的だった。
 魔界の神となると傲然と言い放ったあの男が、分不相応な野心を持っていると言える者などきっといないだろう。大魔王バーンとは、実際にそれを成し遂げるだけの強さを持つ恐ろしい魔王だった。

 彼に逆らうなど、命を縮めるだけの愚行に過ぎない。そう思わせるに足る強さを持つ、超絶的な存在――それが大魔王バーンだった。
 現在、平和を味わっている人々は知らないだろうが、勇者一行が大魔王バーンに勝利したのは途方もない奇跡があったからこそなのだ。

「私は……一生、忘れません。
 あの時、誰もが大魔王には勝てないと絶望しました。もう、戦えないと誰もが諦めてしまいました。あのままなら、きっと、この地上はなくなっていたことでしょう……」

 世間の人達は知らないだろうが、世界は本当に滅びる寸前だった。
 強さだけでなく狡猾なまでの用意周到さを持つ大魔王の叡智の前に、人間達はあまりにも無力だった。勇者一行が決死の戦いを挑んだその時には、大魔王はすでに地上にとって致命的な罠を仕掛け終わった後だった。

 戦う力を持った者達が全て敵の手に落ち、後、数分も持たずに世界の全ては爆弾で吹き飛ばされると知った時のポップのあの恐怖感を、メルルは覚えている。ずっとポップに心を寄り添わせていたメルルは、バーンパレスでの戦いをポップの目を通して知ったも同然だった。

 あの戦いで彼の感じた絶望も、苦しみも共有していた。
 勇者ダイでさえ心を折られ、言い返すどころか言葉を失ってその場に倒れ伏した瞬間だった。あの時にはもう全員が『瞳』に閉じ込められていたが、たとえ自由の身であったとしても同じことだっただろう。

 誰もがもう、バーンには勝てないと絶望した。その意味では、地上に残されて直接にはバーンを知らなかった援護者達の方がまだ幸せだったかもしれない。

 なまじバーンの強さを知っているからこそ、絶望してしまった勇者達の気持ちがメルルには手に取るようによく分かった。彼らが戦意を失ったのを、誰も責めることなどできまい。あれほどの死闘を乗り越えて戦い、それでもなお力及ばない強敵を前にして最後まで戦い抜けと強要する権利など、誰にもないだろう。

 彼らは、すでに死力を尽くしていた。その上で敗北した彼らが膝を突いたとして、なぜ責められるだろう? 
 なのに、ただ一人、ポップだけは立ち上がったのだ。
 決して諦めることなく、折れない心を抱いて。

「ポップさんは、あの時、言いました。
 何千年も、何万年も生きられる大魔王に比べれば、人間の寿命は短いものだと。それこそ一瞬の花火のようなものだと――」

 ポップがそう話し始めた時、大魔王バーンが戸惑いを見せたのを覚えている。だが、それでも彼がポップの話を遮らなかったのは、きっとそれが真実だったからだ。

 数百年もの時間のこともなげに話していた大魔王の目から見れば、たとえ天寿を全うしたとしても人間の寿命は短いに違いない。

 人間がわずか一日で死に逝く蜉蝣に対して抱くように、儚い命だと感じていたのかもしれない。
 それは、同じ魔族であるロン・ベルクとは全く違う見方だった。

「ロン・ベルクさん、覚えていらっしゃいますか。あの時、あなたは大魔王バーンと直接会話をされましたね」

 メルルが視線を向けると、ロン・ベルクがわずかに苦笑する。

「……さぁな。何かを話したかもしれんが、覚えてはいないな」

 その言葉は本当ではないと、メルルはすぐに悟った。きっと、彼は覚えているのだろう。だが、照れてそれを言いたがらない人の前で本音を暴き立てるような真似をする気は、メルルには最初からなかった。
 どちらにせよメルルが言いたいのは、彼の言葉そのものではないのだから。

「私は覚えています。そして、ポップさんもきっと覚えていらっしゃるでしょう……、あなたの言葉で小さな頃のことを思い出したと言っていましたから。
 まだ、5才か6才の頃、『死』が怖くて夜中に泣き出してしまったことを話してくれたんです」

 そう話した途端、ジャンクとスティーヌがハッとしたような表情で顔を見合わせたのが、メルルには嬉しかった。思い当たることがあるに違いないと思っていたが、予想していたよりも早い反応に親子の絆の強さを思い知る。

「もしかして……あの時のことか? 突然、死ぬのが怖いだとかなんとか泣き出しやがったが」

「ええ……、でもあれはまだポップが5つになったばかりの年でしたよ? あの子、まだ覚えていたのかしら……!?」

 長い間思い出を共有していた関係ならではの、言葉少なで通じる会話にふと羨ましさを感じながら、メルルは言葉を続ける。

「多分、それであっていると思います。お母様はその時、ポップさんに何を言ったのか……覚えていらっしゃいますか?」

 尋ねながらも、メルルは返事は待たなかった。
 こんなにも息子を愛し、些細なことまで覚えている母親が覚えていないはずがない。
 彼女は泣きじゃくる幼い我が子を抱きしめて、こう言ったのだ――。

『人間は誰でもいつかは死ぬ……。
 ……だから…みんな一生懸命生きるのよ』
 
 幼いポップの心にしみこんだその言葉は、あの最悪の時でさえポップを支える指針になった――。

「ポップさんのあの言葉は……忘れられません。あの時、あの場にいた人達はポップさんの言葉に勇気づけられたんです。
 たとえ短くても、最後の最後まで一生懸命で生きるんだってポップさんは言いました。
 たとえ一瞬でも、閃光のように――」

 思い出すだけで、胸が熱くなる。
 あの時のポップは、まさに閃光のようだった。あの輝きが未だに目に焼き付いて、離れない。その輝きに目を奪われたのは、きっとメルルだけではないだろう。

 ポップのその勇気に導かれるように、ダイも立ち上がった。
 一度は完全に戦いを諦めた竜の子に、再び勇気を与えたのはほかの誰でもないポップだったのだ。

「世界が救われたのは、ポップさんのあの言葉があったからこそです。ポップさんは――本当にすごい人なんです」

 何度繰り返しても足りないと思える賞賛の言葉を重ねてから、メルルは一息つく。そうしてから初めて、自分の顔が熱くなっているのに気がついた。どうやらメルルは自分で思っているよりも、興奮していたようだ。

 ずっと抱え込んでいたものを一気に吐きだした爽快感と、ちょっとした恥ずかしさを感じて、メルルは今更ながら黙り込んでしまう。
 急に静まりかえったように感じる居間に、お茶の香りだけが漂う。
 と、その沈黙を破ったのは魔族の男の低い笑い声だった。

「……確かに、すごい奴だな、あいつは。
 あの大魔王バーンに面と向かってそんなことを言える魔族なんて、オレの知っている限りいやしなかったし、歴史をひっくり返したっていなかっただろうよ。それを人間が、とはな。
 ……つくづく人間ってのは、すごいもんだな」

 そうは思わないかと話を振られたジャンクは、相変わらず仏頂面のままだった。

「ふん……、そりゃあ買いかぶりってもんだろ。あのくそガキは昔っから、口だけ達者で減らず口なだけだ。
 でもまぁ……、今回は戻ってきてもぶん殴るのはやめといてやらぁ」

 本来だったら、女の子に無理をさせた罰にしこたまぶん殴ってやるところだがと、ボリボリと頭を掻きながらブツブツ言っているジャンクの言葉に、今度はメルルは異議を差し挟まなかった。

 素直ではないジャンクの言い方に慣れてきたせいもあり、苦笑するだけですませてしまう。

「メルルさん、ありがとう。あの子の話を聞けて、嬉しかったわ。あんなに話してくれたんだもの、喉が渇いたでしょう?」

 スティーヌが微笑みながら、お茶を入れ替えてくれる。そのお茶は甘く、とても美味しく感じられた――。






「よっ、メルル!! 元気になったんだって!?」

 ノックとほぼ同時にポップが部屋に飛び込んできたのは、翌日の午後になってからのことだった。二階のポップの部屋にいたメルルは、驚きに目を丸くする。

「ポップさん? いつ、帰ってきたんですか?」
 
「ついさっきだよ。ノヴァとマァムも一緒だ、あいつらは下にいるけどさ。
 ん、メルル、顔色もいいしホントによくなったみたいだな、よかったぜ。もう動いても平気なのか?」

「ええ、大丈夫です。もう、旅にも出られますよ」

 そう言いながら、メルルは裁縫箱を片付けにかかる。ちょうどカーテンもできあがったところだし、体調も何の問題もない。それを聞いてポップは頷いてから、ふと真剣な顔になった。

「それはよかったけど――なあ、メルル。もう、こんなことしないでくれよ」

 静かな、落ち着いた口調。
 だが、不思議なぐらいどきりとしたのは、メルルに思い当たることがあったせいだ。

「おれも、覚えがあるからさ」

 打ち明けるようなその言葉に、メルルは確信する。

(ああ……やっぱり、ポップさんは気がついていたんだわ)

 風邪を引いただけなら、メルルのせいとは言えないかもしれない。
 だが、自分が風邪を引いたことを仲間に打ち明けず、それがひどくなるままに任せたのは、明らかにメルルの責任だ。なぜなら、メルルは半ば意図的に風邪を放置したのだから。

 中級レベルの回復魔法までしかえ使えず、また、戦士の素質の方が勝っているマァムには分からないかもしれない。
 しかし、優れた魔法の使い手なら知っていて当然の感覚だ。

 肉体が弱った時ほど、魔法に対する感知力は強まる。だからこそ、巫女や神官は自らの感覚を強めるために敢えて身体を虐めるかのように断食や厳しい修行を課したりするのだ。

 極限まで追い込まれた時こそ、精神の力は研ぎ澄まされる。
 熱が上がるのを感じながら、メルルは感知能力がいつもよりも増しているのを感じていた。今ならば、ダイの行方が見えるかもしれないと思ったからこそ、メルルは熱を下げるための薬を敢えて飲まなかった。

 マァムは気がつかなかったようだが、ポップはそれに気がついていたのだろう。
 ちょっぴり気まずさを感じながら、メルルは謝罪する。

「ええ……、こんなことはもうしません」

 結局、感知能力を高めてもダイの居場所は分からなかった。ならば、もう一度試したとしても同じことだろう。成果も上げられないのに、仲間に無駄に迷惑や心配をかける気はメルルにはない。

「そっか。なら、いいんだ。
 それにしても思ったより時間がかかっちまって悪ぃな、こんな田舎の村じゃ退屈しなかったか?」

「いいえ、少しも。――お母様達と色々とお話もできましたから」

 そう言った途端、ポップが悪戯の見つかった子供のような顔を見せるのがおかしかった。

「えー? 話って、何をだよ? し、しかも色々!?」

「ふふ、内緒です」

 わざと悪戯めかせてそう言ってから、メルルはふと聞いてみた。

「ところでポップさん、これからすぐに旅立つんですか?」

 昼下がりになる中途半端な時間から旅に出るなど、普通の旅人ならば考えもしないことだが、ポップは移動呪文の使い手だし、旅を急ぐ目的も持っている。案の定、ポップはあっさりと頷いた。

「うん、ルーラでこの前の町まで戻れば、明日には目的の洞窟にいけるしさ。あ、でも、メルルの具合が良くないんなら、明日の朝にしてもいいんだぜ?」

 気遣ってくれるその言葉が、嬉しい。
 それに久しぶりに実家に帰ったポップに、自分の家で過ごしてほしいと思う気持ちだってないとは言えない。
 だが、メルルは間を置かずに答えた。

「いいえ、私は大丈夫です。すぐに支度をしますね」

 すぐにその選択をできたのは、ここ数日ポップの両親と過ごした時間のおかげだ。

 ポップと、ポップの家族の間を繋ぐ絆は、堅くて揺るぎないものだ。
 たとえどんなに遠く離れてもポップは決して両親を忘れないだろうし、両親もまた、我が子を忘れることはないだろう。
 決して切れることのない鎖にも似た、強い絆。

 それを確信しているからこそ、ポップは実家にろくに帰らなくても平気でいられる。
 今回の滞在で、メルルはそれを思い知った。

 家族という絆で結ばれた縁に比べれば、自分とポップを繋ぐ絆は鎖どころか糸のように頼りないものだろうとメルルは思う。それこそ、油断をすればいつ切れてもおかしくはないかもしれない。

 夢中になったポップが糸が切れたことも気がつかず、そのままふらふらとそれこそ糸の切れた凧のように飛んでいきかねない。
 だがそうはさせないとばかりに、メルルはそっとポップの手を取った。

「え……!?」

 ポップが焦ったような表情を見せるのを楽しみながら、メルルはわずかに甘えた声を出す。

「すみませんが階段を降りる間、手を引いていただけますか?」

 その説明に、ポップがホッとしたような顔を見せる。

「あ、なんだ、そーゆーことか。うん、いいぜ! うちの階段って急な上に手摺りもないからさ、ほんとボロ家でわりいな、メルル」

 早口にそんなことをいうポップに対して、メルルは何も言わなかった。本当はもう、一人でこの階段を平気で上下できることを内緒にしたまま、ポップの手にすがるように握りしめた――。

            END 


《後書き》

 480000HIT記念リクエスト『ランカークス村を訪れてたメルル(メルローズ前です)がジャンク、スティーヌ、ロン・ベルクにポップの大魔王様との戦いを暴露』でしたっ♪

 最初はメインルートで考えてみたんですが、姫になった後のメルルがランカークスに来る設定が難しそうなので、もっと移動が楽な天界編でのお話にしてみました。

 病気で倒れるシーンはポップがダントツで多いので、メルルが倒れるシーンを書くのが妙に新鮮でしたよv 
 ところでこのお話の後、大人達がこっそりと話していたんじゃないかと思われる細やかなおまけがあります♪



おまけ『月下氷人達の会話』

「ふん……、あのメルルとか言う娘、気弱そうに見えてなかなか芯のしっかりした娘じゃないか」

 酒瓶を片手にそう呟くロン・ベルクの声音には、おもしろがっているような響きがあった

「あの武闘家の娘……マァムも、勝ち気だしな。どちらも甲乙つけがたいってところか。あいつは、どっちの娘を選ぶのやら」

 両手に花とばかりに、ポップは二人の美少女と一緒に旅をしている。
 外見も性格も正反対と言えるほど両極端な少女達だが、どちらの少女も美少女であり、めったにいないようなしっかりした少女であることに違いない。

「どちらにしても、尻に敷かれることは間違いなさそうだな。……その辺は父親似というわけか?」

 くくっと喉の奥で笑いながら上機嫌に酒を煽るロン・ベルクとは対照的に、ジャンクは仏頂面で酒の入ったコップをテーブルにたたきつける。

「けっ、こきやがれ。だいだいだな、あんな半人前がいっちょ前に嫁をもらうなんざ、十年は早いんだ」

「あら、私はそうは思わないけれど? 子供の成長は早いものよ」


 と、夫と正反対の意見を言いながら、酒のつまみを手早く作って差し出したのはスティーヌだった。

「マァムさんもメルルさんも、本当にいい子だわ。いっそ、二人ともお嫁にほしいぐらいよ」


                                                                                                         END

 

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