『タナバタの夜に 1』
  

「ねえ、あなたはタナバタを知っているかしら?」

 可愛らしく小首を傾げ、そう問いかけてくる少女に対して、ジャックは直立不動の姿勢を取って声を張り上げる。

「はっ、申し訳ありませんが、自分は寡聞にて初耳であります!」

 敬礼の姿勢を崩さないジャックの態度が笑えるとばかりに、少女のすぐ近くにいる少年がおかしそうに言う。

「なんだよ、そんな兵士みたいなお固い言い方しちゃってさ。ここにいるのっておれらだけなんだし、もっと気楽に話せばいいのに」

 などと、少年はおかしそうに笑うが、ジャックはちっとも笑えない。

(いや、オレはこう見えたって、みたいじゃなくって、本物の兵士だから! それに、ここにいるのがあんた達だからこそ、気楽に話せないんだって!)

 目の前にいる、目も覚めるような美少女の名は、レオナ。パプニカ王国唯一の王族にして、現在の国主でもある王女だ。間違ったって、気楽に話しかけられる相手ではない。

 そして、出窓に行儀悪く腰掛けてジャックをからかっている少年もまた、ただ者ではない。

 勇者一行の魔法使いであり、今や二代目大魔道士の呼び名も高い、大魔道士ポップ。宮廷魔道士見習いと言う身分ながら、今やパプニカ王国では宰相に等しい働きをこなしていることを、兵士ならば誰もが知っている。

 そんな超大物と、孤児院育ちの一兵士に過ぎないジャックは、本来なら接点などほとんどない。こんな風に親しく話しかけられるはずもないのだが、ひょんなことからジャックは行き倒れていたポップを助けたことがあった。

 その時はまさかポップがそんな大物だとは知るはずもなく、兵士になった後でばったりポップと再会してどんなに驚いたことか。

 その時のことに恩義を感じているのか、ポップがジャックに親しく話しかけてくるのは、まあ、いい。兵士としては身分差に少々萎縮してしまうが、個人的にはポップの気さくさや明るさには好意を感じているし、他の者にバレない所でなら友達感覚で接するのに文句はない。

 が、ポップはともかくとして、王女レオナや勇者ダイまでもがジャックに妙に親しげに接してくるのが困りものだ。特にレオナに対しては、王族への忠誠を徹底に叩き込まれた兵士として、どうしたって萎縮しまくってしまう。

 なにしろ、相手は城で1、2を争うVIPだ。
 事実上のパプニカのツートップの二人に、プライベートならまだしも、勤務時間中にもかかわらず王女の執務室に来いと呼び出され、緊張するなと言う方が無理な話だ。

 だが、レオナはそんなジャックの緊張などまったく気にした素振りも見せず、楽しげに話を続ける。

「まあ、知らないのも無理はないわ。 
 東方伝説の中に出てくる、マイナーなお祭りだもの。でも、大戦後から、カール王国では毎年夏に行われているのよ。なんでも、相当に盛況みたい」

「はあ」

「考えてみれば悪くない話よね、7月は行事が少ないんだもの。盛り上がるお祭りやら行事があるのは悪くないわ。
 それで、ここだけの話だけどね、今年からパプニカ王国でもタナバタ祭りを行おうと思うのよ」

「はあ」

「盛大にパーティを開くつもりなのよ〜、うふふ、楽しみね。若い女の子を中心にした、賑やかなパーティがいいわ。そうなると、マァムやメルルも呼ばないと! ああ、忙しくなるわよね」

 とびっきりの計画を打ち明ける口調でそう話しかけてくるレオナに対して、ジャックは相槌は打ちつつもただ、ただ、困惑していた。

 正直、自国から一歩も出たことのないジャックにとって、カール王国など天国よりも遠い話だ。それに、パーティだなんて王女や宮廷魔道士には一大事かも知れないが、参加資格が最初っからない一兵士には関係のない話だ。

 せいぜい、パーティの規模によっては警備が忙しくなるかも知れないという程度の関わりに過ぎない。それに、警備の話ならばジャックよりももっと高位の兵士が責任を持つわけだし、下っ端の彼が聞いたところで何の意味もない。

 むしろ、こんな国家的機密を自分なんかが耳にして良いのかという恐れの方が先に立って、なにやら恐怖が先に立つ。そのせいも手伝って、今一歩はかばかしい返事をしないジャックに苛立ったのか、レオナが柳眉を釣り上げる。

「ちょっとぉ、さっきからなに? 他人事みたいな、気のない返事ばかりして」

「い、いえ、そんなつもりはないのですが……、ただ、自分にはあまり関係がなさそうな話じゃないかな〜と思いまして」

「あら」

 ニッと、美しい唇に悪戯っ子じみた笑みが浮かぶ。

「そんなことないわよ〜。
 この話があなたにぴったりだと思うからこそ、わざわざあなたを呼び出したんだから。
 いい? タナバタ伝説ってのはね、離ればなれになって会うことのできない恋人のお話なのよ」

「は、離ればなれですか?」

 さすがと言うべきか、レオナの放った言葉はものの見事にジャックの急所にクリティカルヒットする。

 その言葉は、ジャックには聞き捨てならない。
 まだ恋人とは呼べないが、ジャックにも遠く離れた場所にいて、滅多に会えない大切な少女がいる。それだけに、タナバタ伝説が急に他人事とは思えなくなってきた。

「それって、どんな話なんですか?」

「んー、そうね。タナバタ伝説なら、あたしよりポップ君の方が詳しいんだけど」

 ちらりとレオナが視線を送るが、ポップは知らん顔で足をぶらぶらさせているだけだ。説明する気などなさそうなその態度を見て、レオナは自分で説明を続けることにしたらしい。

「まあ、かいつまんで言うと、悲恋の恋人同士の話ね。事情があって引き裂かれてしまって、それでも互いを思い続ける二人が、7月7日の夜にたった一夜だけ巡り会うことができるっていう伝説があるのよ。
 ロマンチックだと思わない?」

 うっとりとした表情でそう言うレオナに、ジャックは賛成すべきか、反対すべきか、一瞬迷う。

 王女に忠実な臣下としては、是非もない。王女が白と言ったら、カラスでも白、王女の意見に全面的に従い賛成するのが、あるべき兵士の姿だ。
 しかし、悲恋話をロマンチックだと思える程、ジャックの恋は順調ではない。と言うよりも、前途多難というか、絶賛座礁中の案件である。

 クリスマスの日に告白し、プロポーズしようとして給料三ヶ月分をはたいて指輪を買ったまでは良かった。――が、なんだかんだで邪魔が入ってムード台無しになり、失敗。

 気を取り直して、再プロポーズしようと挑んだのは、冬が過ぎて春になったホワイト・デーの話である。――しかし、これもとんだ失敗だった。

 なにやら、プロポーズをしようと思う度に邪魔だのトラブルが起きるせいで、一向に話が進まないのである。パプニカ城勤務のジャックは滅多に実家代わりの孤児院に帰ることができないので、孤児院で最年長の女子としてみんなの世話役として忙しく働いているレナとは、なかなか顔を合わせる機会もない。

 まあ、忙しさだけが原因ではなく、ジャックに強引さというか積極性が欠けているの一番の問題ではないかという意見もあるが、どちらにせよこの恋が順調ではないのは確かだ。

 そう言う意味では、離ればなれの恋人同士という点に共感してしまうせいか、タナバタ話は安易にロマンチックな話だとは思えない。むしろ同情心が先に立ってしまう。
 だが、女の子は男とは感性と違うのか、ひどくご機嫌だった。

「こういうロマンチックな話に、女は弱いのよね〜。きっと、レナもこの話を聞いたら気に入るわよ!
 それにね、タナバタってのは願い事が叶う日でもあるの」

「はあ? 願い事が、ですか?」

「そうよ、タナバタには、特別な木……ええと、ササって言ったかしら、とにかくその木にタンザク……まあ、自分の願い事を書いたカードね、それを飾ると願い事が叶うんですって」

 なぜ、悲恋の恋人達の話と、願い事が叶うのが関係があるのだろうかとジャックは頭を悩ませたが、レオナはそんな疑問など一切感じていないらしい。
 
「このタンザクがカールでは人気なの。カールでは子供達に無料でタンザクを配って、誰でも自由に願い事を書けるようにしているんですって。
 だから、パプニカでもそれを真似しようと思っているんだけど、何分、初めての試みでしょう? 最初から城の前にササやタンザクを用意しても、そうそう人が集まるとは思わないわ」

「それはそうでしょうね」

 今度は自信を持って、ジャックは頷いた。
 なにせジャックにしてみれば今日初めて聞いた話ばかりだし、今、説明を聞いてもさっぱりなにがなんだか分からない話だ。一般市民がそうそう知っているとも思えない。

 そして、人間はよく知らないことやよく分からないことには、案外保守的なものだ。いくらただであっても、こんな行事をいきなりやれと言われても困惑するだけだろう。

「だから、言い方は悪いけど『サクラ』を用意しようと思ってさ。
 今回の戦いで、家族を亡くしたり離ればなれになった子供達は、少なくない。王宮にそんな子供達を呼び寄せてもてなす代わりに、タナバタのデモンストレーションに協力してもらおうってわけだよ」

 ひょいと出窓から飛び降りたポップが、突然、話に割り込んでくる。

「聞いての通り、不遇な子供達への慰問を兼ねたイベントだから、対象となるのは孤児なんだ。国内に多数ある小規模な孤児院を対象にして、抽選で5つの孤児院を選んだんだけど……」

 と、そこまで言ってから、ポップは疑わしげな視線をレオナへと向ける。

「姫さん〜。この抽選って、本当に無作為なんだろうな?」

 一見、無礼とも思えるポップのその質問に、レオナは大袈裟に驚いた表情を見せる。

「まっ、何を言うのかしら、ポップ君ったら。
 もちろん、無作為に決まっているじゃない、抽選は公平なんだから♪」

 楽しげに声を弾ませるその態度が、あまりにも大袈裟すぎてわざとらしく見えてしまうのは、決してジャックの気のせいではないだろう。

 実際にポップも、到底信じられないとばかりの目つきで彼女を見ているが、これ以上追求しても意味はないと判断したらしい。
 肩をすくめて、ジャックに話しかけてきた。

「ま、いいや。とにかく、このタナバタの特別招待客として、ジャックの出身の孤児院も選ばれたんだよ。
 選出された孤児院から引率者も含めて最大20名まで、タナバタの前後一週間、パプニカ城に招待される。その間の旅費や滞在費は、もちろんパプニカで持つ」

 その厚遇に、ジャックは口をぽかんと開けて聞き入ってしまう。
 言うまでもないが、ほとんどの孤児院は豊かではない。中には金銭的に恵まれた孤児院もあるかも知れないが、そんなのはごく一部の例外に過ぎない。

 少なくとも、ジャックの育った孤児院は上に極貧とつけたくなるほどに貧乏だった。
 そんな彼らにとって、お城に来るだなんて夢のまた夢だ。

 旅なんて贅沢とは一生縁の無いまま送るかも知れない貧しい孤児にとって、まるで夢のように幸運な招待だ。あまりにも素晴らしすぎて、ジャックは言葉もなくして硬直してしまっていた。

「どうだ、悪い話じゃないだろ? それに、これって、孤児達にとってもチャンスだと思うんだよな。
 このイベントの企画中、養子を望む者達や行方不明の子供を探している者達も、無条件で城に招く手配が整っているんだ。運が良ければ、養子話がまとまるかも知れないだろ?」

 願ってもない好条件に、ジャックはこくこくと頷くしか出来なかった。
 ジャック自身には養子のお呼びなど全くかからなかったが、孤児院で暮らす子供達にとって子供を欲しがる両親に選ばれて家族を持つのは、ある意味で理想の未来だ。

 だが、残念なことにと言うべきか、養子を欲しがる者はそれ程多くない。特に、あの孤児院のように辺境にあると、わざわざ訪れてくる者すら滅多にいない。

 養子縁組がまとまるのは、交通の便がよくて首都に近い孤児院の子が多いと聞いたことがある。

 それを聞いた時、ジャックは世の中はどこまでとことん不公平に出来ているのかと、嘆いたものだ。個人的な贔屓目が混じっているかも知れないが、ジャックの育った孤児院の子供達は、どの子も良い子達ばかりだ。

 利口で、言いつけもよく聞くし、お手伝いだって進んでやる。そんな子達が、養子になれるというチャンスを一度も与えられないまま苦労して育つのは、不公平すぎる。

 ジャックは、前々から思っていた。
 自分にとっては弟や妹と思える子供達が、もし養子に引き取られるチャンスに恵まれたのなら、全力で応援しよう、と――。

「で、この話に異存がないのなら、ジャックにこの話を孤児院に伝えてもらって、子供達を城まで連れてきてもらうつもりでここに呼んだんだよ。どうせなら、知り合いの方がいいだろ?」

 やっと話が繋がって、ジャックは納得すると同時に深く感謝する。 
 客人を招待する際、移動を手伝うのも兵士の業務の一つだ。貴族のように身分の高い人間ならともかく、孤児達の移送なんて簡単な業務ならばどの兵士がやってもいい仕事に過ぎない。

 だが、それをわざわざ新米近衛兵である自分に割り振ってくれたのは、ポップとレオナの心遣いだ。

 並外れて聡明で、意外なぐらい他人に心配りをするこの二人は、そこまで考えてくれていたらしい。身に余る厚遇に、ジャックは身震いするほどの感激を味わう。

「あ……っ、ありがとうございます! みんな、どんなに喜ぶことか……っ」

「お礼なんていいのよ、だってこれは抽選なんだもの。
 子供達だけでなく、レナも喜んでくれるといいわね。彼女は元気かしら?」

 社交辞令とは思えない口調で、レオナは楽しげに言う。
 本来ならば、一国の王女と孤児院育ちの少女に接点などあるはずもないのだが、類い希なる偶然と言うべきか、あるいは王女の気まぐれの結果と言うべきか、レオナとレナは面識がある。

 身分を隠してお忍びで外出する悪癖のあるレオナは、名前を偽ってレナと一緒にお茶をした仲だ。会ったのはごく短期間のはずなのに、女の子という者は男から見れば信じられないぐらいにおしゃべりをしては仲良くなれるものらしい。

「じゃ、詳しいことはこの書類に書いてあるから、後はヒュンケルの奴と相談して出発日とかを決めればいい。任せたぜ」

 軽い口調で言いながら、ポップが必須事項やら任命を正式に文章化した書類数枚を、ひょいと渡してくる。それを受け取ってから、ジャックはもう一度丁寧に頭を下げ、執務室を後にした。

(えっと、この時間なら隊長は練兵場かな?)

 近衛騎士隊長であるヒュンケルの元へ向かいながら、ジャックは大切な家族達に与えられた幸運に胸を弾ませていた。そして、家族同然の孤児院仲間達の中で、最も親しみを感じている少女を思い浮かべる。

 ちょっと気が強くて、少しばかり口うるさいところがあって、だけどとても優しくて面倒見が良い幼なじみの少女、レナを。
 離ればなれになった恋人達が再会できる夜とは、考えて見ればプロポーズの絶好のチャンスではないかと、ジャックは今更のように気がついた。

 自分でも自覚があるが、元々、ジャックはあまり気が利いている方ではない。世の大半の男どもがそうであるように、女の子を易々と口説けるような要領の良さなど皆無なのである。

 だからこそプロポーズするのにも、マニュアル通りとでも言いたくなるほど、ベタなイベント日を狙わずにはいられなかった。自力でロマンチックな演出を作り上げる自信がないだけに、最初から恋人同士に相応しいイベントのある日の力を借りたいと思ったのである。

 しかし、クリスマス、ホワイトデーと続けざまに失敗してしまい、ジャックは実は途方に暮れてしまっていたところだった。

 次のイベントと言っても、そうそう思いつかない。
 せいぜい、秋の収穫祭かハロウィンかと言ったぐらいしか浮かばなかったが、両方とも恋愛っぽい雰囲気に欠ける上に秋まで待たなければならない。

 それではいくらなんでも時間が空きすぎだと、一人でもやもやしまくっていたジャックにとって、タナバタはよくは知らないけど、実に都合の良いイベントだった。

 ササ、という木の下で――まあ、実際にはどんな木か知らないので想像はあやふやだったが、とにかく木の下で二人並んで立つ所を想像してみる。

 レナはあれでなかなかのロマンチストだから、恋人達の悲恋話には大いに興味を持つことだろう。気が強い割には優しいから、結ばれない運命の恋人達に本気で同情する姿まで目に浮かぶ。

 そして、星のきらめく夜空の下でジャックはレナに――この世で最も大切な少女に向かって告げるのだ。

「伝説の恋人達は悲恋で終わったかも知れないけれど……オレとレナはそうはならないよ。
 いつまでも、一緒に居よう」

 そう言って指輪を差し出したのなら、今度こそプロポーズは成立するだろうか。
 いや、今度こそ、絶対に成功するに違いない。

(そう、そうだよ、今度こそっ!)

 期待に胸を膨らませ、ジャックはそれこそスキップでもしそうな足取りで練兵場へと向かった――。         《続く》

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