『タナバタの夜に 10』
 

「姫様、本当に感謝いたします。レナを助けて下さって……本当になんとお礼を言っていいものか」

 王女の呼び出しに緊張し、しゃちほこばって突っ立っているだけで精一杯のレナに代わって、誠実な口調で謝意を告げたのは神父だった。

 まだ城で近衛兵をやっているジャックはまだしも、レナはまだとても口をきけるような状態ではなかった。
 とても信じられないとばかりに目を見張り、落ち着き無くそわそわしているレナの気持ちは、ジャックにはよく分かる。そりゃあもう、嫌と言うほどに。

(オレも、最初はそうだったもんな〜)

 一介の孤児から見れば、王女だの勇者だのその仲間なんて人種は、雲の上におわす天上人のごとく遠い人種だ。まともにしゃべるどころか、一緒の部屋にいることすら恐れ多すぎる。

 なのにこの部屋には、王女レオナに勇者ダイ、大魔道士ポップに、近衛隊長ヒュンケル、三賢者のエイミが揃っているのだ。

 パーティの翌日、パプニカ王女の私室にジャック達が呼び出されたのは、夜になってからのことだった。
 本来ならもっと早く呼び出されるはずだったが、何せパーティの翌日はただでさえ忙しい。パーティの後片付けやら、呼び集めた孤児達を元の孤児院に送り返す作業など、城中が大騒ぎという感じだった。

 そのせいで、レオナ達も手が空かなかったらしい。
 だが、そんな忙しさや苦労など微塵も感じさせない笑顔で、パプニカ王女は優雅に微笑む。

「いいえ、気にしなくていいのよ。別に、レナのためだけじゃなかったんですもの。
 今回の件は、今後の貴族の養子縁組に対する牽制の意味もあったのよ。こんな問題が発生するのを見越せなかったのは、私達のミスだわ」

 レオナのその言葉の意味を、緊張しきっているジャックには理解しきれるものではなかった。多分、レナだってそうだろう。ついでに言うのならば、ポップと並んで部屋の中に一応はいるものの、どこか退屈そうにしている勇者様もきっと分かっていないようだ。

 だが、経験豊かな神父には分かっている様子だった。
 しかも、さすがは年の功と言うべきか、レオナを前にしても臆する様子を見せなかった辺りは見事だ。

 と、言うよりも、レオナだけでなくダイやポップの正体も知ったのに、老神父は特に驚いた様子も見せもしなかった。予め知っていたかのように落ちつき払っている。

「そればかりは致し方がないことでしょう。王がどのように善政を施行しても、それが行き届くまでは時間がかかるものです」

 この部屋で最年長の神父は、むしろ年若い姫を慰めるかのような口調でそう言った。

 タナバタイベントにちなんで、孤児達が養子に引き取られる機会を増やそうとしたレオナ達の狙いは、間違いなく善意から生まれたものだ。子供が欲しいと思っていても授からず、だが、養子をもらう踏ん切りまではつかない夫婦に、きっかけを与えるのを目的としている。

 親を亡くした子に、新たなる保護者が与えられるように。そして、子を亡くした親に、愛すべき子供を再び与えるために。
 実際、そのつもりで子供を引き取る養父母が大半だった。しかし――世の中には、よからぬことを企む者はいるものだ。

 今回、レナの母親がそうしようとしたように、最初から政略結婚の手駒として利用するために養子を取ろうと考える貴族は、決して皆無ではなかった。それに気がついたからこそ、レオナは後々のために釘を刺しておこうと考えたのだ。

 だからこそ出来るだけ目立つ形でパーティに参加し、みんなの注目を集めるだけ集めてから、タナバタイベントにおける養子の結婚についての勅命を発表した。

 順番が後先になったが、いずれこの件は議会を通して正式な法律として設定されることだろう。

「でも、まさかあの人があたしとメルルを間違えるなんて、思わなかったわ。まあ、おかげで話が想像以上にすんなりと進んだのはラッキーだったけど……」

 笑いをこらえるような表情でそう言ってから、レオナはレナの方に目をやる。

「結果的にレナの母上には恥をかかせる形になってしまって、ごめんなさいね」

 正直、レオナやポップの予定ではあそこまで徹底的にあの貴婦人をやり込めるつもりなど無かった。
 個人的にどうにも好感を抱けないタイプの相手ではあったが、それとこれとは別の話だ。

 レオナは個人的感情だけで他者を裁く程、愚かな君主ではない。そして、その補佐を務めるポップも、裁きには慎重な方だ。
 レナ本人の意向を無視した縁組を阻む気は満々だったが、だからといって必要以上に事を荒立てる必要などない。

 レオナの目の届かない所で勝手に話を進められるのを防ぐために目立つ形での舞台を整えたが、貴婦人が素直に話を承諾するならばもっと穏便に、丸く収まる形ですむはずだった。

 貴婦人……というよりも、パトリオット家がレナの婚儀を諦め、王女の意向を取り入れて進んで従順に振る舞うようならば、問題なかった。そうすれば他の貴族達も、かの一家を見直しただろう。

 王女の覚えがめでたい家というものは、それだけで貴族にとってステータスになる。
 レナを大商人の家に嫁がせるのを諦める代わりといってはなんだが、セーラの縁談話が舞い込む可能性は高かった。

 仮にもレナの家族なだけに、ある程度の配慮はするつもりはあったのだ。
 だが、一国の王女の謝罪を聞いて、レナは弾かれたようにぶんぶんと首を横に振った。

「い、いいえ、そんな滅相もありませんわっ! 姫様がお気になさることなんかありませんっ、あれはお母……いえ、母の自業自得ですから!!
 それに、おかげで私、幸いにも母にはもう二度と家に帰ってくるなと言われましたし! 今まで母から聞いた言葉の中で、一番嬉しい言葉ですわ」

(いや、それ、幸いとは言えないと思うけど)

 と、ジャックは内心突っ込んでしまう。
 普通ならばそれは親に見捨てられる不吉な言葉ではないかと思うのだが、レナは文字通り晴れ晴れとした表情を浮かべていた。

 元々、実家に帰りたいとは思っていなかったレナにとって、その脅しは全く意味がなかった。唯一の未練だった乳母のクロチーヌとの再会を果たした今となっては、その言葉はむしろ歓迎すべきものだったらしい。

「そ、そう。それは……良かったと言うべきなのかしらね?」

 苦笑交じりに相づちを打ってから、レオナは姿勢を正して向き直った。

「とりあえず、このことだけは覚えておいてね。
 あなた達の孤児院は、すでに王家の準直轄領なの。分かりやすく言えば、王の……つまり、私の許可が無い限り取りつぶされることは絶対にないのよ。もし、またあなたの実家が何か言ってきたとしても、何も心配は要らないわ」

 レオナのその保証は、レナだけでなくジャックや神父までもが未だに抱いていた心配を見事にぬぐい去る。

「は……、はい……! それもこれも、みんな姫様やポップさん……いえ、ポップ様、ヒュンケル様やダイ様達のおかげです。それに、エイミ様やアポロ様達のご尽力で、ばあやにも会えたし……本当にありがとうございました……!!」

 感極まったように目をキラキラさせて礼を述べるレナは、心の底からの感謝に溢れていた。

 その気持ちは、ジャックとて同じだった。彼らの力があったからこそレナは助かったのだし、孤児院の無事も保証された。それは実に嬉しいし、めでたいことだとは思う。
 しかし――。

(オ、オレの存在感って、空気以下っ!? いや、確かに結果的にはオレ、なんもしなかったけれどっ!!)

 悲しいながらそれは事実ではあるのだが。
 しかし、レナのために命がけで貴族の家に押し込みを決意していた身としては、パーティの最中にご馳走にぱくつく以外何もしていなかった勇者様よりも評価されない自分が、ひどく哀れな気がする。

(オレ……呼び出される意味が、あったのかなぁ……)

 ぼんやりといじけているジャックの傍らで、レナが勇気を振り絞ったように口を開いた。

「ですけど……私や孤児院のためにそこまでしていただくなんて……なんだか、もうしわけないというか」

 感激に打ち震えつつも、レナの声にわずかな疑問が混じる。なぜ、そこまでしてもらえるのか不思議でしょうがないが、それを問いただすのは非礼なので口にするのはためらわれると言ったところだろうか。
 だが、レナのそんな微妙な疑問に、ズバッと切り込んだのは勇者だった。

「そんなの、当たり前だよ! だって、ジャックさんやレナさん、それに神父様がポップを助けてくれたんだから!!」

 これ以上の理由はないとばかりに言い切る勇者の言葉に、ジャックもレナも戸惑わずにはいられない。

「助けたって……そんなの、当たり前のことをしただけなのに……。それに、全然たいしたことなんかしてなかったし」

 孤児院としての活動がメインになっているとは言え、あそこは一応は教会だ。人助けをするのは教会としては当然の義務であり、見返りを期待するようなことではない。

 旅の途中で行き倒れた人を助けるなんて当たり前としか思えなかったし、実質的にはそうたいしたことをしたわけじゃない。

 あの時、倒れていたポップを看病したのは確かにジャックや神父だったが、ほとんど瀕死に近いまでに衰弱していたにもかかわらず、ポップは意識を取り戻した翌日には熱が引くのも待たずに早々と旅立ってしまった。

 彼を看病した時間は、決して長くはない。おまけに、当時でさえポップはその礼を十分に返してくれた。旅立つ前にこっそりとエースやフィオーリの怪我を魔法で癒やし、少なからぬ金貨を募金箱に入れていってくれた。

 それだけでも十分すぎるほどだったのに、その後もポップやレオナの差し金なのか孤児院には何度となく援助の手が差し伸べられた。なのに、それでもまだまだ恩を返し切れていないと、ポップは笑った。

「いいや、すっごくたいしたことだったって。
 あの時はマジで命拾いしたし、それ以上の意味でも助けられたんだ。まだまだ、全然恩返しなんてできてないって」

 大魔道士とも思えない程気さくなポップの言葉に続いて、レオナが力強く続ける。

「ええ、それは私も同感よ。
 それに、困っている人を助けるのが当たり前なら、私だってそうよ。ましてやそれが見知らぬ旅人なんかじゃなくて、知り合いなら……ううん、友人なら尚更だわ」

 レオナの言葉に、文字通りレナは飛び上がらんばかりに驚いた。

「ゆ、友人、だなんて、そんな、姫様に対して恐れ多い……っ」

「だから、そんな堅苦しい言葉遣いなんてする必要ないわよ、今日はプライベートなんだから。気にせず、この前みたいに普通に話してくれていいのよ? また、あなたと一緒にお茶をするのを楽しみにしていたんだから」

 親しげにそう言った後で、レオナは些か悪戯っぽい口調で話しかける。

「それとも、レナはあたしに友人と思われるのは迷惑かしら?」

 明らかにからかいを含んだその言葉をまともに受け止めたのか、レナは大慌てで首を横に振る。

「そ、そんな、迷惑なわけなんかないです、私だってあのお茶の時はすっごく楽しかったんですから! でも、あの、私、なんて言うかすごくビックリしちゃて、まさか、エイミさんがレオナ王女だったなんて夢にも思わなくって、って、えっ、ああっ、ごめんなさいっ、今のはエイミ様を『さん』呼ばわりしたんじゃなくて、姫様をっ、いえ、あの、そのっ!!」

 ――混乱しまくって、なにがなんだか訳が分からなくなっている様子だった。
 その様子を見て、ポップが咎めるようにレオナに文句をつける。

「あーあ、気の毒にメダパニ状態じゃないか。
 ったく、だから言ったじゃないかよ、姫さん。おれらの正体って、バラさない方がいいんじゃないかって」

 その言葉に、ジャックは思わず耳をそばだてた。

(そ、そう思っていたのならもっと早く止めて下さいっ、大魔道士様っ!!)

 まあ、今まで体験上、レオナが一度言い出したのならば、たとえ大魔道士と呼ばれるポップや、勇者ダイでさえ止められないとは分かってはいるのだが、それでもそう思わずにはいられない。

 実際、ジャックも心の底からその意見に同感だった。
 時々、ポップやレオナが息抜きに孤児院に遊びに行くだけならば、身元を明らかにする必要も無い。それならばレナも王女への礼儀や遠慮など気にすることもなく、レオナのことをたまに会う、気の合う女友達として付き合っていけるだろう。

 レオナにとっても、自分の身分を気にしない友人を持つのは悪くはないのではないかと思っていた。
 そう思ったからこそ、ジャックは今までポップやレオナの正体を孤児院の仲間達には打ち明けなかったのだ。

 が、案の定と言うべきか、レオナはポップの抗議やジャックの内心の思いなど、ものともしなかった。

「だって、いつまでも友人に隠し事をしているなんて、心苦しいじゃない?
 それに、どうせいずれはレナにはあたし達の正体はバレるんだもの、なら早めに教えた方が親切ってものでしょ」

 すました顔で言うレオナに対して、レナの戸惑い顔はひどくなるばかりだった。

「『いずれは』と仰っても――」

 一介の孤児が、一国の王女に顔を合わせる機会などそうそうあるわけがない。というよりも、普通に暮らしていたのなら一生、そんな機会などない。
 だが、レオナは笑顔で言ってのけた。

「あら、レナがジャックと結婚したら、王都に来るんでしょ。近衛兵の妻ならば城の中に入る機会もあるだろうし、その時にいきなり真相を知るってのはあんまりじゃない。まずいタイミングで真相を知って、あなたが恥を掻くようなことになってもらいたくないもの」

 さらっと言ったその発言は、一撃でジャックの息を止める。その場で硬直したジャックや、キョトンとしたレナに構わず、レオナは一人、したり顔で話を進めていた。

「と、なればあんまりのんびりもしていられないじゃない? まあ、ヒュンケルからの報告ではまだジャックは近衛隊に婚姻届は出していないみたいだけど、いざそうなった時に、あまり焦りたくもないものね。
 そう言う意味では、昨夜、レナとジャックの婚約発表を出来なかったのは残念だったわ、そうすればお祝い金や家族手当を早めに支給することも――」

「え? え? え? ちょっ、ちょっと待って下さい、それって……、一体、どう言うことなんですか、エイミさん!? 誰と、誰が結婚するんですって!?」

 混乱のせいか、つい最初の呼び名でレオナに話しかけるレナの勢いに、今度は王女が呆気にとられる番だった。

「誰と誰って……、あなたとジャックに決まっているじゃない」

(ァあああああああぁあっ、いやぁあああっ、ラめぇええっ、言わないでぇええええええええ――――ッ!!)

 心の中とは言え、ジャックはこれまでの人生の中でこれ程までに心底絶叫したことなど無かった。
 しかし、そんなジャックの内心に関係なく、続けざまに攻撃が仕掛けられる。

「ジャックさん、ほわいとでーの時に、レナさんにあげるって言って『こんやくゆびわ』ってのを、買っていたんだよ。なくした時は、大騒ぎしてたもの」

 無邪気ながら、勇者の攻撃は鋭かった。しかも、ここしかないと言わんばかりの急所を、ものの見事に捕らえていた。

(ぁああっ、勇者様、パーティじゃ役にも立たなかった癖に、なんだって余計な時には余計なことばっかりぬかしやがってくださるんですかっ!?)

 まさに一刀両断された気分でその場に立ち竦むジャックは、いっそこの場から消え失せてしまいたかった。
 が、静かな声がジャックの飛びかけた正気を呼び戻す。

「……ジャック」

 レナの目が、ぴたりとジャックに向けられていた。
 思えば、レナが義母に連れ去られて以来、こんな風にジャックと向き合うのは初めてだった。

 義母に強制されていた時は、レナはジャックと目を合わせるのも避けていたし、無事に問題が解決してからも、乳母のクロチーヌやら子供達に先を越され、ジャックはまともにレナと話すことさえ出来なかった。

 そのせいもあって、自分の空気っぷりに虚しさを感じていたジャックだったが、どこか怒りを含んだレナの目に直視されて――いっそ、空気のままでいたかったと思ってしまう。
 しかし、レナはいつものことながらジャックには容赦が無かった。

「話があるの。一緒に来て」

「………………………………あ、ああ……」

 それ以外に、何が言えるというのか。
 ジャックの服従の意思を確認した後、レナはレオナ達に向き直って深々と頭を下げる。

「あの、本当にありがとうございました! それで、勝手を言って申し訳ないんですけど、これから少しジャックと大事な話があるので、御前を失礼させて頂いていいですか?」

 さすがのレオナも戸惑いを感じているのか、キョトンとした顔をしている。
「え、ええ、どうぞごゆっくり」

「感謝します! それじゃ……ジャック、行くわよ!!」

 レナに腕を引っ張られ部屋を出て行くジャックは、未練がましく室内をちらっと振り返る。
 誰でもいいから、誰か取りなすなり、止めるなりしてくれればいいとすがりつくような思いだった。

 が、誰一人としてそんな手助けはしてくれなかった。ただ、神父がおかしそうに笑いながらこう言っただけだ。

「おやおや……神のご加護のあらんことを」

 その言葉を最後に、パタンと扉が閉められた――。






「さあ、ここなら邪魔は入らないわ……! ちゃんと、全部説明をして!!」

 城の中庭で、レナはもう逃がさないとばかりにジャックを睨みつける。
 城の中でも空き地のようにぽっかりと存在するこの中庭は、めったに人が来ることもない所で、ごく一部の人間しか知らない穴場だ。人気の無い所へ案内しろと言われて、ジャックはここへとレナを連れてきた。

 自分から自分で逃げ道を塞いでしまったような気がするが、それはどうでもいい。怒れるレナを前にしながら、ジャックは何となく思ってしまう。

(ああ……こんなレナを見るのは、久しぶりだな)

 孤児達の前でいつも見せている、しっかり者の母親代わりという顔でもない。村人など、あまり親しくない人達に見せる当たり障りのない笑顔でもない。

 そして、昨夜までレナが見せていた、悲しいのをぐっと我慢して黙り込んでいる顔でもなかった。怒りのままに自分を睨み付ける顔は、活き活きとして見える。

 それが、ジャックには嬉しく……どこか、懐かしい。
 幼い頃のレナは誰に対しても遠慮がちでなかなか打ち解けない子供だったが、同い年なのがよかったのか、ジャックにだけは本音を見せてくれるようになった。

 遠慮無く文句を言ったり、怒ったり、わがままを言ったりする――それは、ジャックにだけ見せてくれる態度だった。
 そんな特別扱いを、ジャックはいつも内心喜んでいた。

 他の誰にも見せない顔を、ジャックにだけは見せてくれるのだから。自分だけが特別かと思えば、彼女に怒られることさえ嬉しかった。

 レナやジャックが成長するにつれて、レナに一方的に癇癪をぶつけられるようなことはなくなってきたが、それでもそれが嬉しいのは、今でも変わりはない。

「どうして黙っているのよ!? 答えない気なの!?」

 レナに叱られて、ジャックは反射的に首を横に振る。
 もちろん、答えないという選択肢などありえない。レナが望むなら、ジャックはなんだかんだ言って、いつだってそれを叶えてしまうのだから。たとえジャック本人の望みと反していたとしても、レナの望みは拒めない。

「いや……話すよ。全部」

 ポケットから指輪の入ったケースを取り出しながら、ジャックは今までのことを全てぶちまけた――。






「……信じられない。バカじゃない?」

 それが、レナの第一声だった。
 ジャックが打ち明けている間は何も言わずに黙って聞いていたが、話が終わってからしばらく経って、呟いた一言がそれだった。
 短い言葉だが、それはひどくぐっさりと胸に突き刺さる。

「――バカはないだろ」

「だって、他にどう言えばいいのよ? って言うか、ジャック、あんた、本当に本物のバカでしょ! 告白抜きで、しかも付き合ってもいない癖に、女の子にいきなり指輪を渡そうとするなんて、あんた、何考えているのよ!? しかも、半年以上も実行できないでいるなんて、どんだけヘタレなのよっ!!」

 容赦なく畳みかけてくるそれらの言葉は、さっき勇者の一撃で喰らった精神的ダメージを遙かに上回る。
 なにやら心のHPが0になったような感覚を覚えながら、それでもジャックは必死に抗弁を試みようとした。

「だ、だって……そんなの、言うまでもないと思ったから……。レナもオレの気持ちは知っていてくれるだろうって――」

 言いながら、言葉が尻つぼみになっていくのは、それが自分の勘違いかも知れないという恐ろしい可能性に気がついたからだ。

 確かに、ジャックはレナと昔からずっと一緒にいたし、彼女のこともよく知っていると思っていた。
 だが――それが単なる思い上がりというか思い込みで、自分の一方的なものだとしたら?

(そ、そういや、この間捕まえたストーカー男も同じようなことを言っていたような……)

 血の気がさあっと引いていくのを感じて、ジャックは意識せずによろめいた。貧血じみた目眩のせいで、ジャックはその場に蹲る。
 もう、二度と立ち上がれる気がしなかった。

「……迷惑かけてごめんな、レナ。オレが今言ったこと、気にしなくていいから、さ……」

 顔を見せないようにしっかりと膝に埋めつつ、ジャックは声が震えない様に努力しながらそう言う。
 このまま、レナが立ち去るのを待つつもりだった。

(明日までには、このこと……何とか忘れないとな。子供達を孤児院まで送る間、気まずくさせちゃ悪いし)

 やっぱり自分は空気のままでいるべきだったし、これからもそうするべきだと、他人事のようにそう思うジャックの肩に、やんわりとした手が乗せられた。

「レ……レナ?」

 戸惑いながら顔を上げると、レナがまだそこにいた。

「な、なんで……?」

 てっきり、自分に呆れ果てて孤児達の所に戻ったと思ったレナがそこにいることに、ジャックは本気で混乱していた。
 そんなジャックを、レナは静かに見下ろしていた。

「ホントにバカなんだから……! 気にならないわけ、ないでしょ」

「え?」

 つい、心が跳ね上がるのは、どうしようもない。レナの言葉を勝手に、いい方向に解釈したりしちゃダメだと自分で自分に言い聞かせようと思ったが、その前にレナから次の言葉が放たれた。

「それに……あんたの気持ちなんか――知っているに、決まっているじゃない」

「……ぇっえっ!?」

 さっきとは正反対の方向性のダメージに、思考が真っ白になる。なのに、それを喜びとして身に染みこませるよりも早く、レナの叱責が飛んでくる。

「……手を抜かないでよ……!! 順番が違うってことが、まだ分からないの……!?」

「ご、ごめ――」

「だから、謝らないでよ! 他に言うことはないの!?」

 強く言われてから、ジャックは少し黙って頭の中を整理する。それから、やっと正解を見つけた。

「レナ。オレは……おまえが、好きだ」

 目を見ながら真っ直ぐにそう告げると、レナの顔に微笑みが浮かんだ。それに勇気づけられた様に、ジャックは順番を踏む。

「付き合って、欲しいんだ。今度の休みに……デートに誘ってもいいかな?」

 思えば、ジャックはレナとデートをした覚えすらない。いつもいつも、孤児院で顔を合わせる時は一緒に居たから、それでいいと思っていた。だが、多分、それだけではダメなのだ。

 仲間や家族ではなく、恋人へとステップを進めたいのならば。
 そして、これもどうやら間違っていなかったらしい。

「いいわよ」

 ふわりと、レナは微笑んだ。

「ほ、ホントにいいのかいっ!?」

「ええ。でも、少しだけ待っていて。私……、孤児院を出るつもりだから。一度、孤児院に戻って仕事を引き継いで、それから王都で新しい仕事を探すから。だから、新しい仕事の最初の休みの日に、ね」

 レナの言葉に、ジャックは何度も頷くだけで精一杯だった。
 ちらりと、それなら『少し』なんてものではなく、思っている以上に時間のかかるだろうし、待たされるだろうとは思ったが、そんなことなど全く気にならない。

 さっきまで空っぽだった心のエネルギーが、満タン以上に膨れあがった気分だ。もう二度と立てないと思っていたのも忘れ、ジャックは勢いよく立ち上がっていた。

「うん……うんっ!!」

 無我夢中で、レナの言葉に全肯定する。
 レナの言いなりになるのに、ジャックは何の抵抗もなかった。しっかり者のレナの言うことは大抵は正しかったし、昔から彼女に従うのは少しも苦にならない。

 だからジャックは、レナが自分の手から勝手に指輪を取り上げるのを見ても、抵抗一つしなかった。

「これは、使う時まで私が預かっていてあげる。ジャックだと、無くしそうだもの」

 前科があるだけに、ジャックに異存は無かった。
 それに、そんなことを言いながらも、レナは指輪ケースをそのまましまったりはしなかった。ケースから指輪を抜き取り、それを自分の左手の薬指に嵌める。

 そここそが本来の場所だと言わんばかりの輝きを見せる指輪を見て、ジャックは目を輝かせる。

「ああ、しっかり持っていてくれよ、レナ。オレが、ちゃんとプロポーズする日まで……!」

 そう言いながら、ジャックはレナを抱きしめる。それに、レナは一切抵抗をしなかった。それどころか、自分もジャックの背へと手を回す。
 星空の下、たった今恋人同士になった二人の影は、一つになった――。






 それは、タナバタの夜ではなく、その翌日……ごく普通の日のできごと。
 この日、恋人同士になった二人の恋は、きっとタナバタ伝説のように悲恋にはならない。
 二人を祝福するように、今夜も天の川は美しく輝いていた――。

                                                   END 

 
 

《後書き》

 やった、ずいぶんと時間がかかりましたが、ジャックとレナの恋物語、完結編ですっ♪
 思えば、ほんのちょい役のつもりで書き始めたこの二人がくっつくまで話が進んだのは、多くの人にご声援を頂いたおかげですよっ。

 そうでもなきゃ、恋愛話が苦手な筆者はわざわざ書こうとも思わなかったでしょうし、当然ジャックはずっと兵士Aのままだったでしょうね(笑)
 こんな時、サイトをやっていてつくづくよかったと実感しますv


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