『タナバタの夜に 9』 |
(な、なんなの、これは……っ!?) 呆気にとられる気持ちと、どうにも納得できない不満さに苛立つ気持ち――そのどちらが強いか分からぬまま、貴婦人は目の前の光景を見つめていた。 事実、それは見物に値する光景ではあった。 王宮の広間で、魔法の光に照らされ、特別な演奏を捧げられるというこの上ない舞台の上で上がる様子もなく、レナを見事にリードしている。 正直、レナのダンスは不慣れさやぎこちなさが一目で見て取れる拙いものではあったが、流れているのは簡単なワルツの曲だ。途切れないように身体を動かし続ける程度のことができるなら、問題は無い。 男性側のリードやフォローがうまいせいもあり、レナは他人の称賛を浴びるほどとは言えなくとも、なかなか無難に踊っていた。今は一対一の踊りだから他と比べられることはないが、これならば並の貴族の娘と比べても遜色はないだろう。 元々、貴族の娘の大半は勤勉さとは無縁だ。 それをいいことにダンスもたしなみ程度にしか練習しない娘がほとんどなのだ、そんな娘達と庶民の娘ではダンスの腕前にそう大きな差があるわけでもない。 その意味では、庶子である娘が失笑を買うような無様な踊りを披露せず、無難に振る舞っていることを喜ぶべきだろう。 (わたくしには、こんなチャンスなどなかったのに……っ) その昔、貴婦人がまだ若く、結婚にまだ夢を抱いていた頃、彼女は貴族の娘ならほぼ全てがそうであるように、王宮に招かれて素敵な王子と踊ることを夢に見た。 もちろん、そんなのは少女時代の甘ったるい、現実味のない夢にすぎない。叶わないまま終わった夢に、今更未練を持つ年ではない。 さっきまでは凍り付いたような表情で人形のように大人しくしていた娘が、謎の美少女と踊り出してからというものの表情を取り戻したのも面白くない。 踊りながら何か話でもしているのか、謎の少女はひどく楽しげだったし、それに釣られたのかレナも時折笑顔を見せるのが、また癪に障る。 「あの、もし、奥方様。これはいったい、どういうことですかな? あの娘は、いつになったらワシと踊るのですか?」 ひどく不満そうな商人に声をかけられ、貴婦人は扇に隠れて顔をしかめる。しかし、内心の侮蔑を押し殺し貴婦人は優雅に、気を持たせるように言った。 「ご安心を、次のダンスのお相手はあなたのものですわ。お望み通り、その後も、ね」 「その言葉、信じてよろしいのでしょうな? お分かりとは思いますが、あの娘との結婚が成立しないのであれば、例の援助の話はなかったことにしていただきますぞ?」 神経質に念を押す商人に、貴婦人は軽蔑を感じずにはいられない。 それを大いに軽蔑しながらも、現在のパトリオット家の財政状況では商人を無碍に扱えないのが辛いところだ。 「わ、分かっておりますわ。心配要りませんことよ」 焦りを感じつつ、貴婦人は射るような目を謎の美少女に向けて、忙しく頭を働かせる。 (それにしても……あの娘はただの貴族ではなさそうね) 上流貴族の跳ねっ返り娘ならば、別に問題は無かった。だが、彼女がただの貴族の娘ではないのが、明らかだ。王宮で、騎士や賢者、楽団までにもわがままを押し通すことができるまだ十代半ばの少女――。 (まさかとは思うけれど……) 彼女こそが、パプニカ王女レオナではないか……その疑惑が、貴婦人の中に生まれていた。 もし、そうならば少々まずいことになると貴婦人は思う。 もしもの話だが、あの男装の美少女が本物のレオナ姫で、ただの同情であれ、気まぐれであれ、レナの結婚について口出ししてくるようならば、厄介だ。 しかし、彼女の正体を確かめる術が貴婦人にはない。 こんな時に限ってと、貴婦人は唇を噛みしめたい気分だった。 いざという時に備えて、こまめにパーティやサロンを開き、噂を聞き集め、さらには人脈を増やしていくのが貴族の社交術だ。 その際、予定されている大きなパーティで顔を合わせるであろう主催者や有力貴族の情報は予め調べておくのが普通だし、実際に顔を合わせる時には他人を介して紹介してもらうものだ。 しかし、今回のパーティは普段とは全く勝手が違っていた。 分かったのは、レオナ姫が今年で17才になるたいそう美しい少女だと言うぐらいのもので、一般庶民の噂の域から出てはいない。 (まあ、噂なんてものは当てにはなりませんけれどね) 皮肉を込めて、貴婦人は心の内でこっそりと自国の王女を扱き下ろすのを忘れない。とかく、身分の高い人間は美形だと持ち上げられるもので、その分割り引いて考えた方がいいと言うのが貴婦人の人生哲学だ。 どちらにせよ、あの男装の美少女とレナをこれ以上関わらせるのは危険だと、貴婦人は結論づける。ダンスが終わって一息ついたタイミングを狙って、急病だと嘘をついてでもここは退出した方がいい。 絶好の婚約発表の機会を失うのは痛いが、王女直々に邪魔をされるぐらいならば、この場は一時撤退した方が、まだ被害は少なくてすむ。 「……!」 彼女は周囲の貴婦人達と比べて、あまりにも格が違っていた。 彼女は、興味深そうに広間の中央を見つめている。 彼女を見た途端、貴婦人は目を輝かせる。 パプニカ三賢者の一人を共とする、16、7才程の少女――彼女こそが、パプニカ王女レオナに違いないと貴婦人は確信する。 「あの……、エイミ様、先日は失礼いたしました。このような場でご無礼ですが、一言お詫びを言わせて下さいませ」 さりげなくエイミへと近づき、彼女に向かって声をかける。 「彼女は?」 「この方は、パトリオット家の現当主の妻ですわ、姫。もっとも、あの奇跡の乙女の母と言った方が分かりやすいかも知れませんね」 軽い問いかけに対して、エイミが恭しく答える。 「まあ、あなたが、あの方のお母様? 姫がにっこりと微笑みながら、優しい声音でそう語るのを聞いて、貴婦人は今こそ全ての謎が解けたと、腑に落ちた気分だった。 上流貴族で、王女のお気に入りの友人ともなれば、王宮内でも大きな顔が出来るし、わがままも通るだろう。 「今日は彼女が面白い趣向を用意したと言ってくれたので、楽しみにしておりますの」 何も知らないのか、おっとりとした笑顔を見せる姫君の人の良さそうな顔を見て、貴婦人は勝機を見いだした。 (この娘なら、丸め込むのは簡単そうね) 持ち前の逞しさで貴婦人が素早く計算を働かせ出した時、ダンスはフィナーレを迎えていた。 曲が終わると同時に、広間がパァッと灯りに満たされる。うっかりして見逃してしまったが、どうやらあの賢者がまたなにか魔法を使ったらしい。 「ところで、次のダンスを開始する前に、ここでみなさまにお話したいことがあります。この度の奇跡の乙女についてですが――」 男装の美少女が主役顔で蕩々と話し始めるのを聞き、貴婦人はここが先途とばかりに声を張り上げる。 「お待ちになって! 普段の貴婦人ならば、この言葉で男装の美少女のみならず、周囲の貴族達が微妙に戸惑っているのに気がついただろう。 だが、商人に急かされて切迫し、さらにはレオナという切り札を見つけた興奮が、貴婦人から観察眼を奪っていた。場の空気も読まず、貴婦人は男装の美少女に背を向けて、姫君へと一礼しながら訴える。 「レオナ姫、お願い申し上げます。 そう言いおわった瞬間、貴婦人は勝利を確信していた。貴族からの訴えは、王族にとっては無視しきれないものだ。国内の最高裁判官の役割も担う君主は、貴族同士の諍いの仲裁も執り行うものだ。 その際、個人的に親しい相手を一方的に肩入れすることは、ほとんどない。まだ君主が若く、王としての器量や公平性を示さなければならない時期ならば尚更だ。 今回の訴えは親である自分に分があると、貴婦人は判断する。 「あの……それでしたら、その願いはレオナ姫に直接訴えるのがよろしいかと」 困ったような顔で姫君が首を傾げると、一房だけ垂らした長い黒髪がさらりと揺れる。 「え?」 戸惑う貴婦人に、強い口調で声をかけてきたのは黒髪の姫の後ろに控えていた三賢者、エイミだった。 「あなたは何か、勘違いなさっているようですね。この方は、テラン王国のメルローズ姫です」 先日、エイミの身分を軽んじた時とは比べものにならない険しい表情で、三賢者は毅然と声を張り上げる。 「姫の御前で、なんという無礼な……! (まさか……ッ!?) 血の気が引くのが、自分でもはっきりと分かる。 王族でしか有り得ない王者の威厳を身に纏った少女は、勝利の女神もかくやと思える微笑みを浮かべていた――。 一度は完全に静まりかえった場に、クスクスとさざ波のごとく、失笑が広間に広がっていく。それが自分の無知さを笑うものだと知り、貴婦人は身を焼かれる羞恥を味わった。 「まあ、今の台詞、お聞きになりまして?」 「ええ。でも、信じられませんわね、今のお言葉は」 「メルローズ姫に向かって、レオナ姫と呼びかけるだなんて……ねえ?」 こんな屈辱は、貴婦人には初めてだった。 貴族の間では、それぞれ血筋によって格が決まっている。格上の貴族に対して礼を尽くすのが、貴族間の最大のルールだ。例え初対面だったとしても、自分より身分の高い相手に対して無礼を働くのは許されないのである。 ましてやよりによって王族を取り間違えるなど、最大限の無礼であり、有り得ない失態だ。 「と言うよりも、自国の王女の顔もご存じない方がいらっしゃるとは、思いもしませんでしたわ。平民ならばいざ知らず、ねえ?」 「男装のレオナ姫を、見たこともないだなんて。姫が去年までは、よく男装でパーティに参加していたのもご存じないのかしら?」 聞こえよがしの囁き声が、胸に突き刺さるようだった。 貴族の常識では知らないものを知らないと口にするのは、恥ずかしい行為とされるのである。例え知らなかったとしても、知ったかぶりをしてそつなく振る舞うことこそが貴族のたしなみだからだ。 それに、確かに思い返してみれば、遠い噂として聞いたことはあった。 だが、自分には直接関係のない話だと思い、ろくに意識していなかった自分の迂闊さを、貴婦人は深く後悔する。 (そんな……あの娘が本当にパプニカ王女だったなんて……っ!) 王女には、王女にだけ許された装飾品がある。小冠を身につけることを許されるのは、王妃、もしくは王女だけだ。 それを身につけ、騎士と三賢者を後ろに引き連れて登場してきた少女こそが、本物のパプニカ王女だと思うのは当然ではないかと、いっそ、叫びたかった。 自国の王女が仮装をしていて、他国の姫がパーティに密かに参加しているなどと、誰が思うだろう。 驚きにこと寄せて、無知な者を情け容赦なく蔑み、優美に嘲笑う。 その恥辱から貴婦人を救ったのは、皮肉にもパプニカ王女その人だった。 だが、嘲りのさざ波から救われたことを、感謝する気にはなれなかった。 「パプニカ王女レオナは、ここに宣言します。 その言葉が何を意味するのか、貴婦人が理解するまで一拍以上の時間がかかった。 メルローズ姫――占い師としての力を見込まれて王家の養女になったかの姫君は、ありとあらゆる王女が未だかつてなかった特権を有した姫だ。 親の命令や要求にかかわらず、自分の意思で結婚相手を選ぶことが出来る……それこそがメルローズ姫に許された特権だ。生まれ落ちた時から政略結婚の宿命から逃れられない貴族や王族の娘達が、一度は夢に見る自由を彼女は有している。 その特権がレナにも与えられると言うことは、確かに名誉かも知れない。だが、それはレナを政略結婚の駒として使用できなくなるということだ。 「そ……そんな……っ」 絶望のあまり、思わず呻いてしまった自分を、貴婦人は自覚していなかった。 周囲の貴族達が微妙にざわめいているのは、貴婦人と同じ考えの者が少なからずいたという証明だ。内実は結構苦しいのは、どこの貴族も大差は無い。養女をうまく利用して、あわよくば一儲けしたいと考えていたとしても、不思議はない。 「いかがかしら? タナバタの伝説に相応しい特権だと、自賛しているのだけど」 ちょっぴり茶目っ気をのぞかせて笑うレオナの言葉に、貴族達も即座に追従する。 「いや、全く仰る通りですな、まさに伝説に相応しい粋な計らいというものです」 「素晴らしいお考えですわ、姫! この先も多くの孤児達が喜ぶことでしょう」 貴族達は口々に称賛し、拍手でレオナをたたえる。それを聞くのは、貴婦人には自分が嘲笑われる以上に耐えがたかった。 「く……っ!!」 もはや場を取り繕うこともできなかった。貴婦人は、身を翻してその場を逃げ出す。 成り行きについて行けないのか、驚いて立ち竦んでいるだけのレナに、レオナが優しく、励ますように声をかけたことを。 「さあ、次のダンスのお相手はあなたの意思で選ぶといいわ、レスフィーナ」 (……うっそ、みたいだ……) ぽかんと口を開け、ジャックは呆気にとられているばかりだった。 周囲が新たに始まったダンスの曲にあわせ踊り始めても、ジャックは凍り付いたように動けないままだった。 だが、それでも、これでレナが救われたことだけは分かる。しかも、レオナはレナに結婚の自由を与えてくれた。 (レナ……!) 心の中で叫んだ、その声が聞こえたのか。あるいは偶然か。 「……っ!?」 こちらを見たレナの目が、大きく見開かれた。彼女が息を飲んだのが、ジャックにもはっきりと分かる。 「あ……う、そ……っ。もう一度……会えるなんて……」 掠れる呟き声は、ジャックの内心とぴたりと重なる。 もう、レナとは二度と会えず、このまま別れ別れになってしまうのではないかと言う不安が拭いきれず、怖くて仕方が無かった。 「会いた……かった……っ」 そう呟き、レナがこちらに走ってきた。その動きは、お世辞にも早いとは言えなかった。それも当然で、貴族の娘として通用するようにと着慣れないドレスを着た彼女が、いつも通りに動けるはずがない。 だが、長いドレスをいかにも邪魔そうにたくし上げて必死に走ってくるレナの姿に、ジャックの胸が熱くなる。 動きにくいはずなのに、それでもこんなにも必死に駆け寄ってきてくれる事実が、ただただ、嬉しい。それがあまりにも嬉しくて、可愛らしく見えたから、ジャックはその場に立ち竦んだまま彼女を待っていた。 (レナ……ッ!!) 両手を大きく広げ、ジャックは最愛の人を待ち受ける。 「……え?」 現状を認識しきれずに呆然とするジャックの背後で、レナの感極まった声が響き渡る。 「ああ、もう一度会えるなんて……! あたし、ずっと、ずっと、心配していたの、会いたかったわ……っ!」 強張った姿勢のまま後ろを振り向くジャックの目に映ったのは、泣きじゃくりながらも相手に抱きつくレナの姿だった。それが異性だったとしたら、ジャックはこの場で嫉妬のあまり心臓麻痺を起こしていたかもしれないが、幸いにもと言うべきか、それは老婆だった。 「それはこちらの台詞ですよ、レナちゃま……! よく……よくぞ、無事で。もっとお顔を見せて下さいな、ああ、本当に綺麗になられて……あんなに小さかったレナちゃまが――」 溢れる涙を拭いもせず、何度もレナの頬や頭を愛おしそうに撫でる老婆に、レナは幼い子供のようにすがりついて泣いている。 「えーと、あの……姫様の命令で、パトリオット家の乳母だったと言うクリチーヌという女性をようやく探し出したので、お連れしたのだけど……その、タイミングが悪かったかな?」 どこか申し訳なさそうな顔で、言い訳がましく説明してくれたのは、三賢者のアポロだった。 (――悪いどころか最悪です、アポロ様……っ!) 未だ腕を広げて固まった姿勢のまま、ジャックは不敬と思いつつも恨めしげな目を彼に向けずにはいられない。 もちろん、これが非常にありがたい配慮だとは理解できる。 下級貴族に仕えていた十数年前の使用人を探し出すのは、相当に大変だったはずだ。 そして、レナの乳母だったクリチーヌは、血の繋がった父や義理の母姉以上に親しい存在だったはずだ。レナにとっては、家族同然の存在として記憶に刻まれていたのも知っている。 幼い頃、レナが両親ではなく乳母に会いたいと泣きべそをかいていた姿を、ジャックは何度も見ていたのだから。 (けど……っ、けどっ、よりによって、今じゃなくっても……っ) まだ幼い頃に引き離され、それっきり会うことの出来なかった子供と乳母の再会は、涙無くしては見ることのできない感動の再会ではあった。 「ちょ、ちょっと、これってどういうことよ!? ここはジャックとレナが熱烈に抱き合うって言うシーンじゃなかったの!?」 「いや、そんな文句、おれに言われてもっ!」 「どうしてくれるのよ、あたし、このまま婚約式の手配になだれ込めるように用意しておいたのに!?」 「はぁっ!? そんな計画はおれも聞いてねえよっ、姫さんどこまでやるつもりだったんだよっ」 ポップとレオナが声を潜めてなにやら言い争っているのが、丸聞こえだ。 (……………………ああ……なんか、いろいろと気が早すぎです、姫様……) 三賢者にヒュンケルのみならず、メルローズ姫や騎士マァムというめったにパプニカに来ない貴人までもが自分に同情の視線を注いでいるのを感じて、ジャックは思わず顔を背けてしまう。 と、その目に映ったのは勇者ダイだった。 というよりも、ダイはジャックなど見向きもせず、喜々としてテーブルに用意された軽食にかぶりついていた。テーブルに置かれた皿の大半が空になっているところを見ると、どうやら広間が暗くなったのをいいことにせっせと一人で軽食を食べまくっていたらしい。 ポップとレオナを信じ切っている彼は、ダンスや貴婦人とのやりとりなどまるっきり興味が無かったようだ。 (……何やってるんすか、勇者様……) ――世間は、色々と厳しかった。 |