『バカンスは命がけ♪ 6』

「ポップ君ってば、ほんっっと〜に、諦めが悪いわよね。まだ、捕まらないだなんて」

 感心しているとも呆れているともつかない口調で言いながら、レオナはビーチパラソルの下でフレッシュジュースを一口飲む。南国特有の果物をふんだんに使って作ったばかりの即席のジュースは、王宮でいつも口にしている洗練された上品な飲み物とは全く違っていたが、野趣溢れる味わいはレオナにとってはかえって新鮮だった。

 そのすぐ隣にいるメルルの側にも同じジュースが置いてあるが、彼女の方ははそれには目もくれない。彼女はこの上なく大切そうに膝の上に水晶球を置いて、それを見ながら楽しそうにくすくすと微笑んでいた。

「ポップさん、意外と足が速いんですね。知りませんでしたわ」

 その水晶球には、ポップの姿が映っていた。
 追いかけてくる遊撃隊メンバーを相手に、必死の形相で密林の中を駆けまくっていた。レオナから見れば、ポップのおかしなぐらいに大袈裟な表情は滑稽な喜劇でも見ているようで笑えるものだったが、一途なメルルにはそれさえも愛おしく見えるのだろう。

 彼女は熱のこもった目でその姿を見つめていたが、不意に水晶球がフッと光を失ってしまうのを見て残念そうな顔を浮かべる。

 メルルは優れた占い師ではあるが、遠くの風景を水晶球に映し出すという技はそれほど得意とは言えない。その技術に関しては、祖母のナバラの方が未だに勝っている。

 メルルに出来るのは、ほんの短い間だけ望んだ対象を水晶球に映すことだけだ。時間にして数秒から数十秒ほどで、一回ごとにそれなりの休息時間を置かなければ再び姿を映すことは出来ないのだが、それでも現在のポップの様子を度々確かめることができるのはありがたかった。

(まったく、どこまでも手をかけてくれる人よねえ。さっさと諦めて、捕まってくれればこっちも気が楽なのに。まあ、今のところ元気は元気みたいだけど)

 勇者一行全員を巻き込んだこの一大鬼ごっこを提案したのはレオナだが、もちろん彼女は最初からこの作戦のメリットとデメリットを承知済みだ。
 もし、ポップが本当に体調不良を隠しているのだとしたら、この鬼ごっこのせいで体調が悪化する恐れは十分にある。

 限界を超えた時、ポップが激しく咳き込んで血を吐いたり、気絶してぶっ倒れたりする光景を、レオナは不本意ながら何度か見ている。もし、今回の鬼ごっこのせいでそんな事態が発生する可能性を危惧して、レオナはメルルを言葉巧みに丸め込んで一緒に見学としゃれこんでいる。

 メルル本人は意識してはいないだろうが、彼女は絶好の監視役だ。
 その神秘の力を使ってポップの様子を窺うのは、メルルには容易いことだろうし、ポップの様子を誰よりも熱心に見つめるこの少女ならば、彼の体調に万一のことがあれば誰よりも先に気がつくだろう。

 だからこそ、レオナはわざわざメルルに真相を打ち明けたりはしなかった。
 ただでさえ心配性なところのあるこの心優しい少女に、余分な心配などかけたくはないから。

 そのせいかメルルは思う存分ポップの様子を見て、無邪気に楽しんでいる様子だった。その気楽さをいっそ羨ましいとさえ思いつつ、レオナはちらっと空に目をやった。

(ったく、あの青色魔族ときたら! あれだけえらそうに自分は早いとか臆面もなく言っておきながら、肝心な時には遅いんだからっ)

 などと、ラーハルト本人が聞いたのなら憤慨しまくりそうなことを考えているレオナは、実は内心、結構冷や汗ものだった。
 もし、自分の判断ミスのせいでポップの体調が悪化したらと思うと、南国のビーチにいるのが嘘のように背筋にゾッとするものを感じる。しかし、そんな内面の怯えを表に出すようでは政治の世界を渡っていけるはずがない。

 いかにも余裕たっぷりにくつろぐレオナは、一見したところリゾート気分を満喫しているようにしか見えなかった。
 もっとも、その偽装もさすがに完璧とはいかない。

 誰にも言えない不安を抱え込んでいるレオナは、メルルとマァムのガールズトークにも珍しく無反応だった。

「あら、あいつってば昔から逃げ足ばっかりは早かったわよ。最初の頃なんか、ダイを見捨てていきなり一人だけ逃げたりするんだもの、呆れちゃうわ」

「そんな……っ、ポップさんがそんなことをしていただなんてとても信じられませんわ」

「でも、ホントなのよ。なんなら、ダイに聞いてみるといいわ」

 どこまでもポップ擁護派のメルルに、初期からの仲間なだけに遠慮のないマァムのやりとりは、普段のレオナならば食いつかずにはいられない美味しいネタなのだが、今は気もそぞろだった。
 しかし、幸いなことにマァムはレオナのその微妙な態度に気がつかなかったようだ。

「さて、私もまたちょっと行ってくるわね。さっき、ポップは崖沿いの道を逃げていたみたいだし、海から回り込んでみるわ」

 ジュースを一息で飲み干したマァムは、もう休憩はおしまいとばかりにさっと立ち上がる。
 そして、間を置かずにいきなり海へと飛び込んだ。 
 見事に抜き手を切って泳いでいくマァムの姿が、あっと言う間に今に遠ざかる。

「すごいわ、マァムさん。本当に、スポーツ万能なんですね。私なんて、泳ぐのが苦手だから……」

 まるでイルカのように躍動感溢れる少女の姿を見つめながら、メルルが羨ましそうにため息をつく。レオナも同じくマァムの姿を見てはいたが、憧れると言うよりはひどく冷静に考えていた。

(ま、それはそうだけど、女の子としては今一歩アピールになりそうでなりそうもないポイントなのよね〜)

 運動にせよ、なんにせよできるにこしたことはないのだが、マァムの場合はどうもそれが突出しすぎて女子力の低下に繋がっている気がしてならない。一度、忠告した方がいいかもしれないと思いつつも、あのどこまでも天然な少女ではその忠告に従う……と言うか、その意味を理解できるかどうかも怪しいものだ。

 どちらにせよ、彼女が無事にポップを連れ戻してくれるといいと思いながらまた一口ジュースを飲んだ時、浜辺に音もなく降り立った男が見えた。大魔道士と名がつきながら、未だに移動呪文の着地がへたくそな某魔法使いが逆立ちしたって真似の出来ない程見事な着地を決めたのは、ラーハルトだった。

 彼が降り立ったのはレオナやメルルがいるパラソルから少し離れた場所だったが、彼はすぐにこちらへとやってきた。
 そして、前置きも何もなしに憮然として言う。

「とんだ無駄足だったぞ」

「ちょ、ちょっと待って。あっちで話しましょう」

 メルルの目と耳を憚って、慌てて席を立ったレオナはラーハルトの腕を引っ張るようにして少し離れる。占い師としては優れているメルルだが、耳の良さに関しては彼女は普通の少女と何ら代わりがない。
 多少の距離を置き、小声で話せば話を聞かれる心配はない。

 いきなりやってきたラーハルトと内緒話をしようとしているレオナに、メルルが不思議に思っている様子は有り有りと分かるが、礼儀正しい彼女は距離を置いて話をしようとしている人の邪魔をしたりはしない。

 むしろレオナ達に気を遣わせないようにと思ったのか、再び目を閉じて水晶球に念を込め始めた。
 その様子に安心して、レオナは心置きなくラーハルトへと問いかける。

「で、早速だけど話を聞かせてもらおうかしら。無駄足って言うのはどういう意味なの、まさか二人に会えなかったとか……」

 不安がちらりとレオナの胸をかすめる。だが、レオナの気も知らず、傍若無人な半魔はこれ以上ない程の仏頂面をさらに顰めて言ってのける。

「いや、会ってきた。だから、無駄足だと言っているんだ。まったく……馬鹿馬鹿しいにも程がある話だ」






「うわぁああああんっ、やっぱりだーっ、父様のうそつきーっ!! やっぱり、ダイ、海にいったんじゃないかーっ! ぼくも、ポップ達と海であそびたいのにーっ」

 ロカが泣きわめきだした時、アバンが『あちゃー』という表情で額に手を押し当てているのが見えた。それも気にはなるが、すぐ目の前にこんなうるさい子供がいたのでは到底無視しきれるわけもない。

 突然泣きわめきだした幼児を前にして、大魔王を前にしても不遜さを崩さなかった男が思わず後ずさる。その小さな身体からは考えられない大声を振り絞って泣く子供の声を聞きつけてか、侍女がわらわらと駆けつけてきた。

「王様、王妃様、これはいったい……!? ラーハルト様が何かをしでかしたのですか?」

 などと言いつつ、じろりとラーハルトを睨みつけてくる始末だ。
 それに関しては免罪だと言いたかったが、泣きわめく幼児が目の前にいては弁解すらままならない。

 しかし、こんな時に母親というのは強いものだ。
 おっとりとした口調で侍女達に何でもないと説明して下がらせ、落ち着き払った態度で子供に手を差し伸べる。

「あらあらあら、そんなに泣いて。ロカ、いらっしゃい」

 途端に母親にしがみついたロカは、甘えるようにより一層の大声で泣き出した。
 海に行きたかっただの、アバンの嘘つきだのと騒ぐ幼児の言葉にラーハルトは首を捻るばかりだったが、アバンが苦笑しつつも耳打ちしてくれた。

「あーあ、困ったことを言ってくれちゃいましたね。
 やれやれ、せっかくロカにはダイ君の誕生日記念ツアーは中止になったと騙くらかしておいたのに……まあ、あなたは知らなかったんでしょうから、仕方がないですが」

 我が子に対してさりげなく不穏な言葉が混じっている様子なのが気にはかかったが、とりあえずラーハルトは要点だけをズバリと聞く。

「それを知っているということは……、ポップから旅行の話を聞いたんだな」

「ええ、そりゃあもう。せっかくのお誘いでしたから、家族で参加したかたっんですけどねぇ」

 最初、ポップからその話を聞いた時、アバンは大いに乗り気だった。それは彼だけでなく、フローラやロカもそうだったのだが、問題が一つあった。
 彼らがただの親子ではなく、王族だということだ。

 王位を持つ者達が全員揃って旅行に行くなど、通常など有り得ない。万が一の事故や危険回避のため、行動はばらけさせるのが普通だ。しかも、行く先が行く先である。

 アバン一人ならまだしも、現女王のフローラと王位継承権第一位でありカール全国民の期待を一身に背負っている幼い王子が、怪物だらけの無人島に揃って出掛けることなど、重臣達が納得するはずもない。

 重臣達の猛反対の結果、家族旅行は諦めるしかなかったのだが……3歳児にそんな大人の都合が分かるはずもない。なんとか旅行は中止になったと言い包めて、誤魔化していたのだと苦笑交じりに説明するアバンの言葉に、嘘は感じられない。

 ――まあ、アバンという御仁はしれっとした顔で平気で嘘をつける人間でもあるのだが、少なくともラーハルトの目には今の彼は嘘をついているようには見えなかった。

「ならば、旅行前にポップの診察をしたのか?」

 呼吸やわずかな表情の変化など、どんな細やかな違いも見逃すまいとの気迫を込めてラーハルトは肝心な質問をぶつけてみる。その問いが意外とばかりに、アバンがきょとんとした表情を見せる。
 
「はい、しましたけど、それが何か?」

 そう言ってから、アバンはふと心配そうに眉をひそめる。

「あ……、もしや、ポップに何かあったのですか? 旅行前の診察では、特に問題は見当たらなかったはずですが。
 雨期や酷暑の時期ならともかく、この時期のリゾートならばほぼ大丈夫のはずですが、何かトラブルでもありましたか?」

 逆にラーハルトに問いかけてくるその態度は、とても演技とは思えない。この段階で、ラーハルトはレオナの心配が的外れで、自分の苦労がただの無駄足だったと確信した。

 そして、アバンとラーハルトがそんな話をしている最中も、幼児は泣き続けるていた。
 大きな目からポロポロと涙を溢れさせつつ、ロカは聞き取りにくい声で必死に訴え続けていた。

「えっぐっ、えええーんっ、ずるいっ、ダイ、ずるいっ!! ぼくをおいて、海に行って……それにポップと一緒なんて、ずるいや。だいたい、ダイはいっつも、ポップと一緒にいるくせに……ッ、ダイ、ずるい〜っ」

 最初は海で遊びたかったと嘆いていたはずの子供の叫びは、いつの間にかダイへの集中的な恨み言に取って代わっていた。

 そう言えば、とラーハルトは思い出す。
 子供に一切構う気のないラーハルトと違って、ポップは小さな子の相手が妙にうまかった。ポップはカール王国に来た時は必ずロカと遊んでやっていたし、そのせいかロカもポップに懐いていた。

 周囲の人間はそれが実の兄弟のようで微笑ましいと見る者が多かったが、ラーハルト的には正直それはどうでもいい。
 ラーハルトにとっては、ダイこそが重要なのだから。

 ロカがポップに懐こうが、自分に怯えようがどうでもいいが、ダイを非難することだけは捨て置けない。たとえ相手が一国の王子であろうが、まだ3つかそこらに幼児だろうとも、だ。

「おい、貴様」

 と、横柄に呼びかけられ、ロカがびっくりしたようにラーハルトの方を見る。

 なんと言っても、彼は一国の王子だ。
 こんな風に乱暴に呼びかけられるのになんて、慣れていない。驚きのあまり泣くのをやめたロカに向かって、ラーハルトはまるで敵を詰問するかのような口調で、強く言ってのける。

「おまえに、ダイ様を非難する資格はあるのか? 
 ダイ様は、大魔王バーンを倒して世界を救った。それに、多くの者が感謝するのは、当たり前だろう。それのどこがずるいというのだ?」

 相手がほんの幼児だと言うのに、ラーハルトはまるで対等な相手に接するかのような態度で説教をする。
 あやすのでもなく、機嫌を取るでもないその態度で告げられた言葉に、ロカはしばし考え込んでから顔をくしゃくしゃにしつつも答えた。

「う〜……ず、るく、ない……」

 納得できていない顔ながらもそう答えるロカは、幼いながらもしっかりとした王子だ。ダイをずるいと糾弾してはいたが、それが単なる自分のわがままだと気がついたのだろう。だが、まだ事実をありのままに受け入れるだけの心の大きさを持ち合わせていない小さな王子に、ラーハルトは素っ気なく告げる。

「分かれば、いい。
 悔しいのなら、貴様もダイ様のように誰にも認められる活躍をすることだな」

 3歳児に、しかも他国の王子に向かって無茶な言葉もいいところである。が、それが無茶な夢などと、3歳児に分かるはずもない。

「うん……っ! ぼくっ、おっきくなったら勇者になるっ! それで、ポップにぼくの魔法使いになってもらうんだっ」

 泣き顔を拭ってそう宣言した小さな王子に、ラーハルトは無責任に頷いてみせる。彼にしてみれば、ダイを非難するのをやめるというのであれば、その他のことはどうでもいいのだ。

 それに、用が済んだのならこれ以上ここにいる意味もない、
 さすがに苦笑している大勇者夫妻に対して軽く一礼しただけで、ラーハルトは再び移動呪文で空へと舞い上がった――。






「つまり、あの魔法使いは嘘はついていなかったというわけだ。ついでに言うのなら、マトリフ師は本当に寝込んでいた。だいぶ咳がひどい様子だったが、毒舌ぶりは相変わらずだったな。
 どうせ見舞いをよこすのならば、三賢者の娘をよこせと言っていた」

 いかにもマトリフらしい憎まれ口にレオナは頭を抱え込みたくなったが、辛うじてそれは耐える。

 ラーハルトの無礼さについても一言もの申したい気分はありまくっているものの、それもこの際、一時押し込めておく。
 今、優先すべきは、他にある。

「それじゃあ、ポップ君はなんで、あんな風にみんなから離れてコソコソ隠れているっていうの?」

 不満げな顔で、レオナは思わず呟いていた。
 とりあえず、ポップが体調悪化を隠しているかもしれないという最悪の予想だけはないと確信できたのは朗報だが、そうなるとますます理由が分からない。

 人並み外れた聡明さと判断力を持つレオナでも、現段階で得られた情報からではポップの不審な行動の理由を推測すら出来ない。本気で首を傾げたレオナの耳に、メルルの小さな声が聞こえてきた。

「あ……っ!?」

 戸惑いと驚きを含めた、小さな声。
 それはごく控えめなものだったし、本人でさえ自分が思わず声を発してしまったことを恥じるように黙り込んでしまったから、普通ならそのまま聞き流されてしまうようなものだった。

 だが、魔王軍との戦いの中でレオナは知っている――メルルがこんな風に不意に声を上げる時は、何らかの予知を得た時なのだと。

「どうかしたの、メルル?」

「え、ええ……今、なんだか嫌な予感がして――」

 自分の頭を抑えたメルルは、さっきまでとは打って変わった真剣さで水晶球に手を添えて念じる。

 そこに映し出されたのは、海を泳いでいるマァムの姿だった。
 崖へ這い上がる場所を探しているのか、絶壁沿いの深場を立ち泳ぎでゆったりと泳いでいるマァムの姿はいつも通りだ。まずは仲間の無事を見てホッとしたレオナだったが、突然、マァムが苦痛に顔を歪めて大きく沈みかける。

「えっ!?」

 驚くレオナとメルルの目の前で、水晶球の中のマァムは激しく手足をばたつかせてもがき出す。突然のことに、思わず呆然とする二人とは裏腹に、ラーハルトはひどく冷静だった。

「足をつったようだな」

 他人事のように――いや、実際に他人事なのだが、そう呟くだけで何もしようとはいない。

「ちょっとっ!? 少しは助けようとは思わないのっ!?」

「オレが行くまでもないだろう。あそこには、人がいる」

 そう言われて初めて、レオナは崖の上の方にポップがいるのに気がついた。ちょうど、彼の緑色の服が密林に溶け込む迷彩になっていて分かりにくかったが、草をかき分けてポップが何かを叫んでいるのが見えた。

 メルルの水晶球には音を伝える力はないので、何を叫んでいるのかは分からない。が、叫びながら崖から海に向かって飛び込んだポップがマァムを助けようとしているのは、間違いないだろう。

(よかった……!)

 と、思ったのは、束の間だった。
 なにしろマァムを助ける為にザブンと海に飛び込んだはずのポップは、彼女以上の暴れっぷりでジタバタともがきだしたのだから。足をつったマァムよりも必死の形相でもがいているポップは、どう見たって溺れている。

「どっ、どーゆーことよっ、これっ!? いったい、何のために飛び込んだのよッ、ポップ君ってばっ!!」

 思わず水晶球を鷲掴んで怒鳴ってしまったレオナだが、もちろん水晶球が答えてくれるわけがない。メルルもメルルで真っ青になり、オロオロとしているばかりだったが、ラーハルトだけは相変わらず癪に障るほどの冷静さだった。

「なに、心配には及ばない。どうせ、あの小僧以外にも人はいる」

 その指摘通り、水をかき分けて泳いでくるヒュンケルやダイの姿も見える。それに、足をつったマァム本人がポップを何とか助けようと奮闘しているのも見えるので、とりあえず彼らがこのまま溺れることはなさそうだ。
 幾分かホッとしつつも、レオナは改めて生まれた疑問に首を傾げる。

「でも……ポップ君って、確か泳げたんじゃなかったかしら? と言うか、そもそも、彼、トベルーラを使えるのになんで飛ばないのよ!?」

 泳ぎのうまいマァムが足をつって溺れたように、泳げる人間でも溺れてしまうことは稀にあるだろう。が、空を飛べる魔法使いなら、たとえ海に落ちたとしても浮き上がればいいだけの話だ。

 なのに、そうしようとさえせず、無様に溺れているポップに対して怒りにも似た強さで疑問がこみ上げてくる。その余りに口を突いてでた叫びに、答えなど求めていなかった。
 が、思いもがけずにひょんなところから答えがもたらされる。

「いくら飛べても、海が怖くて仕方がないんじゃ話になるまい」

 あまりにもあっさりと暴露された言葉に、レオナはお姫様らしからぬ間の抜けた声を上げてしまっていた。

「え? うそ……っ」

「知らなかったのか。あの魔法使いの海恐怖症は、かなりの重症だぞ。前にも、パプニカ沖の海の遺跡を調べようとした時も、あんな風にパニックを起こして溺れかけていた」

 淡々と言うラーハルトに、嘘をついている気配はない。ダイ以外の全てに無関心な彼の言葉だからこそ、それが真実だとすんなり納得できた。
 しかし、前半はともかくとして海の遺跡云々の話については初耳なため、同様が先に出てしまう。

「なに、それ? き、聞いてないわよ、そんなのっ」

「そうか? 魔王軍時代に師匠の特訓で溺れさせられるところだったとか、漂流して死にかけたとかわめいていたが、それも聞いていないのか?」

(……そう言えば確かにそんな愚痴を言ってたし、漂流だってあったわよね、そんなことがっ)

 くらくらと本気で目眩を感じつつ、レオナは今度こそ理解した。
 ポップが隠し通そうとしていたのが海恐怖症ならば、今までの疑問が一気に氷解する。

 思えば、ポップがみんなから距離を置こうとしていたのは昼間の間だけだ。夜には、呼ばれるまでもなく自分からノコノコやってきた――あれは、夜ならば泳ぎに誘われる心配がないからだろう。だから、夜はずっとダイと一緒に居たし、そのくせ朝になった途端、セコくもさっさと逃げ出してしまった。

 つまり。
 心配など、最初っからする必要などなかったのである。

「う……ふふふふふふ」

 乾いた笑いが、レオナの口から漏れる。
 真相が分かったと言えば聞こえがいいが、あまりにも情けない秘密の暴露に脱力感を覚えつつ、レオナはそれでもよろける足をしっかりと踏み直す。こんな、しょうもない秘密を抱え込んで心配をかけまくってくれたあの大魔道士に、何が何でも文句を言わないと気が済まない。

 すでにポップは助けられて浜辺に引き上げられ、いつの間にかみんなが集まってきている水晶球の光景を見つめ、レオナは自分もそこに向かおうとメルルの腕を引く。
 が、その前に、レオナにはどうしても言いたいことがあった。
 無関心な顔で佇んでいる青い半魔を射殺さんばかりに睨みつけ、レオナは息を大きく吸い込んで思いっきり叫ぶ。

「あのねっ、あなたも知っていたのならもっと早く言いなさいよね――っ!!」






(ふふふふふふふふふふふ…………っ、そ、そーよ、これが本来の目的だったはずなのよっ、これでいいんじゃないの、そうよ、これは喜ぶべきなの、そうなのよっ!!)

 翌日。
 渾身の力を振り絞って笑顔を浮かべながら、レオナは目の前の光景を眺めやる。

 その目の前に映っているのは、文字通りレオナが夢にまで見た光景――勇者ダイが、故郷の島で心の底からの笑顔を浮かべて楽しそうにはしゃいでいる姿だ。

 南の孤島で出会った、魔法が苦手な小さな勇者。
 勇者を夢見ていたダイが現実に勇者となり成長していく姿を、レオナはずっと見つめてきた。その姿は頼もしく、心強いものではあったが、レオナは密かにもう一つの願いをずっと持ち続けていた。
 苦難の戦いを乗り越えた彼に、幸せがもたらされることを。

 たとえ自分が人間に受け入れられなかったとしても、それでも人間を助けたいと寂しそうな笑顔を浮かべながら言ったダイに、人間と怪物が共存して幸せに暮らす世界を見せてあげたい……それがレオナの望みであり、譲ることのできない野心だ。

 ダイには、あんな寂しそうな顔など似合わない。
 もっと明るい、そう、言うなれば太陽のように曇りのない笑顔が一番似合っている。

 その意味では、今回のパラダイスツアーは大成功と言える。
 レオナの望んだ通り、今のダイはそれこそ太陽のような笑顔を浮かべている。人間や怪物、果ては魔族まで含めた雑多な仲間達の中心で、楽しそうに遊んでいるダイを見ているのは素直に嬉しい。

 嬉しくはあるのだが――。

「うっ、うわっ、ダイッ、ぜってー手を離すなよっ!? 離したりしたら、承知しないからなっ!」

「って、ポップ、そんなにしがみつかなくても」

「ええいっ、勇者のくせにそんなケチなこというなっ!! しがみついたって、減るもんじゃねえだろっ」

「でも、くすぐったいんだもん〜」

 などと、波打ち際できゃっきゃうふふと波に戯れるバカップルよろしく、戯れあっている勇者とその魔法使いからレオナは目を離せなかった。

(なんでっ、あそこにいるのがポップ君なのよっ!?)

 憤慨を込め、レオナは思わずにはいられない。その位置こそは、レオナが心の底から望んでやまない場所だというのに。

 昨日まではダイを初めとする戦士集団の多くは、海で泳ぐと言えば勢いよく沖まで遠泳して遊んでいた。すでに遊びの域をとっくにはみ出して、追いかけたくても絶対に無理な超人的な遊びに、レオナはとてもついて行けなかったものだ。

 それで仕方がなく諦めて見物に回っていたのだが、本心を言えば一緒に遊びたいと思っていた。それも、贅沢を言うのならば、自分から申し出るのではない方がいい。

 素直なダイは、レオナが望めばもちろん応じてくれるだろう。たとえ、ダイには物足りないような波打ち際の水遊びにでも、喜んで付き合ってくれるに違いないと分かっていた。

 だが、だからこそ自分から言いたくはなかった。ダイが体力任せな遊びよりも自分と一緒に居たいと思う気持ちを優先してくれる――そんな、乙女ドリームが多大に混じった夢がレオナにはあった。

 が、その夢の光景が自分にではなくポップに恵まれたことについて、不満を抱かずにはいられない。
 まあ、レオナの夢と違ってダイとポップは二人っきりというわけでなく、仲間達がほぼ全員が側にいるのではあるが。

 海が怖いという秘密を暴露されたポップは、開き直ったのかようやく仲間達と一緒に浜辺で過ごすようになった。そのせいか、勇者一行は昨日までとは比べものにならない程大盛り上がりを見せている。

 海恐怖症が暴露され、泳げないポップを気遣ってか、昨日までは遠泳を楽しんでいたはずのメンバーまでもが今日は浜辺でたむろしている。

 波を怖がっていちいち大袈裟な反応を見せるポップを面白がってマァムやチウが水をかけたり、騒いだりして実に楽しげにじゃれ合っているし、その他の仲間達もそれを冷やかしたり、からかったりと気ままに過ごしている。

 誰も彼も、皆、心の底からこの南の島のリゾートを楽しんでいた。その光景を見つめながら、レオナは常夏の太陽の下にもかかわらずわなわなと震えていた。

 ちなみに余談ながらレオナの三日目の水着は、明るい色彩と可愛いデザインの割には露出度の高いパッションオレンジのビキニだったのだが、それに対してダイは特に反応しなかったし、それどころか気がついた様子さえ皆無だったりする。

 いや、それは本筋にはほぼ関係のないことなのだが。
 しかし、その事実は確実に、レオナの中の怒りのパラメーターを燃やす燃料となっていた。

(ふ、ふふふふふ、そうよ、これでこそ本望というものじゃないの! ダイ君もみんなも喜んでいるんだし、ポップ君も結局は何ともなかったんだし、万々歳よっ。絵に描いたようなハッピーエンドじゃないのっ)

 レオナ個人としてはポップには友達意識を抱いているし、彼の無事はもちろん喜ばしい。密かな心配が取り越し苦労で終わったのは、この上ない幸運だとは思っている。

 思ってはいるのだが――が、それでも、何やら自分一人がひどく割を食ったような気がするのはなぜなのだろうか。

(ふふふふふふふふっふ、ふふふふふふ……っ)

 とりあえず。
 レオナの心の仕返しリストに、ポップの名前が不動のトップとして刻み込まれたのは、確かなことだったのである――。

   END 

  
 

《後書き》

 350000hit その3『世界を巡って』の続きの、みんなで海水浴に行くお話でした♪ 

 ところで、うちの話ではルート分岐したとしても各キャラの経験したことは同一という解釈で書いているので、ポップが海(正確には、動く水)が苦手という設定は、裏道場と同じだったりします。

 それに絡めてちょっとしたドタバタ話を書くはずが、レオナの乙女ドリームとオールキャラの活躍に力を入れてたら、思ったより長引きましたね(笑)

 しかし書いてて思いましたが、命がけなのはバカンスそのものよりもその後のような気がしますけど(笑) レオナの八つ当たりの対象となるであろう、仕返しリストナンバー1とついでに2位の某半魔に幸あらんことをv


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