『緑と紫の混合 1』
  
 

「ポップ……非常に言いにくいんですけどねえ、やっぱりあなたはこの道に関しては諦めた方がいいんじゃないかと思います」

 それはまだ、ポップがアバンの弟子として旅をしていた頃のこと。
 苦笑交じりの笑顔で、だがきっぱりとアバンは宣告した。

 弟子を導き、教育するのだけが師の役割ではない。弟子の才能の限界が見えたのならばそれを宣告し、心を鬼にしてでも引導を渡してやる。
 それもまた、師と呼ばれる人物が負うべき役目だ。

「……そ、そんなぁ……!」

 途方もないショックを受けた様な顔で、ポップが呻く。ぶるぶると震える手から、ぼとりと音を立てて剣が落ちた。

「ほら、重すぎるからちゃんと持てもしないじゃないですか。やっぱり、あなたは剣術には向いていませんよ」

 珍しく本人がやる気を出したから剣術の訓練を受けさせてみたものの、どう贔屓目に見たところでポップは剣術には向いてはいない。素振りすらままならず剣に振り回されていて、自分で自分の身体を切ってしまいそうで危なっかしいことこの上ない。

 だいたいの所、動機だって不純だった。
 普段は体術系の訓練を嫌い、隙あらばサボりたがるポップがやる気になったのは訳がある。

 通りすがりの女の子達が剣士様ってかっこいいと噂しているのを聞いて、その気になったのだ。発端を知っているアバンは、苦笑しつつポップを慰める。

「剣は使えなくても、あなたは魔法の素質があるんですから別にいいじゃないですか」

「そんなの、ちっともよくなんかないですよ!!」

 それじゃあ、ダメなのである。
 少なくとも、ポップ的には何の意味もない。

 大体、魔法使いなんてイメージがよくない。じじむさいというか、うさんくさいというか、どうにも怪しげな感じがするではないか。魔法使いと剣士では、どう考えてみたって剣士の方が格好がいい。

 いくら魔法を使ったところで、女の子達の気を惹くためにはかっこいい剣士でなければ意味がない――と、ポップは思い込んでいた。偏見が大いに混じった意見ではあるが、ポップは本気でそう思っているのである。

「剣士の方がかっこいいし、なんか強そうだし、女の子達にキャアキャア言われるし、得じゃないですか! いっぺんぐらい、おれだって……!」

 練習はしたくない、だけど一度くらい剣士になってみたいなどと無茶を望んでいる我が儘な弟子にアバンは苦笑し……ふと、思いついたように悪戯っぽい笑顔を浮かべる。

「では、こうしましょうか――」

 アバンのしるしを手にして、アバンは優しく話しかけてきた――。






「起きたのか……!」

 目を覚ますなり、いきなり目に飛び込んできた相手を見て、ポップはギョッとした。

(え、先生……じゃなくて、ヒュンケル?)

 一瞬戸惑ってから、ポップは自分が夢を見ていたのだと気がつく。ポップがアバンと一緒に旅をしていたのは、もう、ずいぶんと前のことだ。
 よくよく見れば、ここは見覚えのある幽閉室……認めたくないが、今のポップの自室だった。

 今更ながら自分がベッドで寝かされているのに気がつき、ポップは身体を起こそうとした。

「無理をするな」

 しかめっ面でそう言いながらも、ヒュンケルは手慣れた手つきでポップを支える。そのついでに素早くポップの背中にクッションを当て、そこに寄り掛からせてくれる。さらには肩掛けをかけるのも忘れない手際の良さに、そこはかとないむかつきを感じつつ、ポップは事情を聞こうとした。

 だが、口を開きかけた途端、激しい咳がこみ上げてくる。慌てたようにヒュンケルが、ポップの背中をさする。咳の発作が治まるのを待ってから、ヒュンケルは怒ったような口調で言った。

「無理をするな、と言っただろう」

(別に無理なんかしてねえだろうがっ!! ただ、ベッドから起きようとしただけじゃないかっ)

 と、怒鳴り返したい気分は山々だったが、咳の発作の後は息が苦しくって余計な口を叩く元気もない。クッションにもたれかかってゼイゼイと息をついているポップに、ヒュンケルは慎重に水の入ったコップを差し出してきた。

「ん……」

 喉の渇きを覚えていたせいもあり、ポップはコップを受け取ろうとする。だが、ヒュンケルときたら素直にコップを手渡さず、そのままあてがって飲ませようとする。

(赤ん坊じゃあるまいし、水ぐらい自分で飲めるっつーの!!)

 心の底から腹が立ったものの、ここで水を奪い取れるほどの元気はないし、仮にそうしたところで勢い余って水を零してしまうのが関の山だろう。
 何よりも、今は喉が渇いている。
 腹を立てつつも、ポップはヒュンケルの手を借りてその水を飲んだ。

 一口飲んでみて、それがただの水ではなくて適度な砂糖と塩が加えられ、果汁で味を調えたジュースのようなものだと分かる。乾ききり、咳で痛んでいた喉を優しく潤してくれるそのジュースを半分ぐらい飲んでから、ポップはそれを押しやった。

 まだたっぷりと残っているコップを見て少し眉をしかめたものの、ヒュンケルは特に文句を言わなかった。

「……先生まで、呼んだのかよ? 大袈裟だな」

 アバンの料理に慣れ親しんだポップには、今のジュースを飲んだだけでアバンの手製だと分かる。あの独特の配合はアバンにしかできないものだし、あのジュースは新鮮な果汁で作るのがコツで作り置きが効かない。

 今、この部屋にはいなくても、アバンがパプニカに来ているのは確実だ。今はカール王国の王様という地位にいるアバンを、わざわざ呼び出すなんて大袈裟だとポップは思ったが、ヒュンケルは少しもそう思ってはいないようだった。

「大袈裟なものか。おまえは、何があったのか覚えているのか?」

 怒ったような口調でそう言うヒュンケルに対して、ポップはわずかに肩を竦めた。

「ちょっと、調子が悪かっただけだろ。たいしたことじゃねえよ」

 確かにここ数日、身体が重くて少々息苦しい感じはあった。だが、正直な話ポップにとっては、それはそう珍しいものではない。季節の変わり目にはよくある話だし、特に何もしなくても大抵は数日もすれば治まる。だからこそ、ポップは気にもとめず放置しておいたのだ。

 もちろん、誰にも言わなかったのは言うまでもない。
 だが、ポップの言葉を聞いてヒュンケルの顔はなお一層険しい物になる。

「覚えてもいないのか……? おまえは、階段の途中で倒れていたんだぞ!」

「へ?」

 意外な言葉に、ポップはきょとんと目を見張る。そんなポップの反応を見て、ヒュンケルの怒りはますます強まったようだ。

「ちょうど、螺旋階段の半ば辺りで倒れていたせいで発見が遅れたんだ。見張りの兵士が発見した時は、すっかり身体が冷え切っていて……どれほどの騒ぎになったのか分かっているのか!?」

 怖いぐらいの顔で怒鳴りつけられ、ポップは慌てて弁明する。

「いや、ちょっと待てよ、それ、誤解だっ! おれ、倒れてなんかないって! 疲れたから、途中でちょっと一休みしていただけだよ」

 言いながら、ポップはようやく思い出していた。
 そう、あれは仕事が終わって夜遅くになってから、自室へと戻る途中でのことだった。

 普段は別にどうということはないが、体調が悪い時には部屋へと登る螺旋階段が辛く感じる時がある。

 そんな時、ポップは休み休み階段を昇るようにしているのだが、どうやら今回はそれが裏目に出たらしい。階段を昇っている最中、なんだか胸が苦しくなってきて座り込んだのだ。

 ポップの自己判断では、それは全くたいした問題では無かった。ほんの少し休んでいれば、すぐに治る程度のしろものだったのだ。実際、ポップがそんな風に胸苦しさを感じて一休みするのは、そんなに珍しいことじゃない。

 だが、つくづく今回ばかりは運が悪かった。
 ほんの少し休むつもりだったのだが、仕事後で疲れている上にやけに眠かったポップは――多分、そのまま寝入ってしまったのだろう。

(よく、階段から落ちなかったな、おれ)

 自分の寝相の悪さに自覚があるだけに、ポップは思わずそう思ってしまう。それは不幸中の幸いだったとポップは思うのだが、ヒュンケルは全くそうは思ってくれなかったようだ。

「それなら、なぜ、助けを呼ばなかった? 兵士がすぐ近くに居ることは、知っていたはずだろう!?」

 とんでもないミスをしでかしたと言わんばかりに、ヒュンケルはなおも険しい目をポップに向ける。

「助けって、そんな大袈裟な。ちょっと、疲れただけだって言ったろ」

 確かに、螺旋階段の途中からでも人を呼ぶのは簡単だ。
 なにしろ、兵士達はその階段のすぐ下で24時間態勢で見張りをしているのだ。

 おまけに、空洞状態の階段の内部での物音は、良く響く。声を張り上げるまでもなく普通に呼びかけてもおそらく階下にいる兵士には聞こえるだろうし、万一声を出せなかったとしても手摺りを叩くなどして合図を送れば、異変を感じた兵士達は必ず様子を見に来てくれたことだろう。

 そして、ポップが疲れて階段を昇れないと知ったら、即座に手を貸してくれたはずだ。

 だが、それが分かっていただけにポップは兵士達に呼びかけようとは思わなかった。たいしたことでもないのに、任務の邪魔をするのも悪いと思ったのだ。――それに、そんなことがレオナやヒュンケル達にバレたら、後で面倒になると思いもしたことだし。

「だから、大袈裟すぎるんだよ。あの程度のことで、わざわざ仕事の邪魔をするほどのことじゃねえだろ?」

 しかし、ヒュンケルはポップのその考え自体が我慢ならないとばかりに、烈火のごとく怒り出す。

「何が大袈裟だ!? 朝、兵士がおまえを見つけた時に、どんな騒ぎになったか分かっているのか!? おまえは階段に一晩いたせいで熱を出して、二日も意識が戻らなかったんだぞ!!」
 
「ふ、二日ぁ!?」

 正直、この事実こそがポップを最大限に驚かせた。

「二日って、冗談じゃねえよっ!? それじゃ、書類の提出期限が過ぎちまってるじゃねえかっ! ああ、それにカールに訪問するって予定はどうなったんだよっ!?」

 ぎっしりと詰まっていた仕事の予定を思い浮かべ、焦りのままにポップはベッドから降りようとする。だが、当然のようにヒュンケルはそれを許さなかった。

「どこに行く気だ!? 無理をするなと、何度言わせるんだッ!!」

 肩を押さえつけられ、起き上がるどころか逆にベッドに押し倒されてしまう。その扱いに、ポップは猛然と反発した。

「なにしやがるっ、離せよっ!! おれは忙しいんだよっ!!」

 じたばたと必死になってもがくが、それは全く効果が無かった。むしろ、余計に強くベッドに縫い止められるだけだ。

「身体を壊してしまっては、忙しいも何もないだろう!! 仕事なら、姫が引き受けて下さった! こんな時ぐらい、大人しく寝ていろ!!」

「てめっ、ふざけんなよっ、もう起きたんだし、平気だってえの!!」

「そんな顔色で何を言っている!? まだ、熱も下がりきっていないだろう、許可が出るまで絶対安静させろとの厳命だ、大人しく横になっていろ!」

 怒鳴りつけながら、ヒュンケルは強引にポップをベッドにと押しつけ続ける。いつにない手荒い扱いは、ヒュンケルの本気の怒りを示している。その怒りはそのまま心配度の裏返しと言えるが、今のポップにそこまで相手の心理に思いやるだけの余裕はない。

 持ち前の兄弟子への反発と、ぐいぐいとベッドに押しつけられる息苦しさも相まって、怒りがこみ上げてくるばかりだ。そうなると、大人しく従うどころかムラムラと反発したくなるのがポップの気質というものだ。

「なんだよ、それ!? 寝ていろ、寝ていろってうっさいんだよっ、そんなに言うんならおまえが代わりに寝てりゃいいだろっ!」

 いかにもポップらしい無茶な言い分に、いつものヒュンケルならば受け流しただろう。仮にも兄弟子だ、弟弟子の屁理屈など平然と流せる程度の寛容さは持ち合わせている。

 が、今回ばかりは、我慢ならなかった。
 冷静さで知られる魔剣士には珍しいことに、彼は売り言葉に買い言葉とばかりに言い返す。

「ああ、いっそそうしたいぐらいだ、代われるものならな!」

 ヒュンケルがそう叫んだ瞬間、二人の胸元が光り輝く。いつにない強い輝きに、興奮して怒鳴り合っていた二人もさすがに気がつき、目を見張った。

「な、なんだ!?」

「アバンのしるし、か!?」

 服で隠れていても、常に首に提げている涙型のペンダントは、アバンの使徒全員が共通して持っているアクセサリーだ。それが今、服の下にあってもはっきりと目視できる程強く輝いていた。

 ポップの物は、緑色に。
 ヒュンケルの物は、紫色。

 それぞれの魂の色のままに強く輝いたアバンのしるしは、爆発的とも言える輝きを見せた。その目映さに、ポップもヒュンケルも思わず目を閉じる。それにもかかわらず、目を焼く輝きが強烈な目眩を引き起こしたのか、ポップが呻き声を上げる。

「大丈夫か、ポップ?」

 ついさっきまでの諍いも忘れ、目を開けるよりも早くそう呼びかけたヒュンケルだったが、声を出した途端に違和感を強く感じる。
 声が、変なのだ。

 やけに高い。意図的に裏声を出したとしても、こうは高くならないだろうと思う声だった。

 だが、そんな疑問をヒュンケルはすぐに振り切った。
 声の高低よりも、今はポップの具合の方が優先だ。そう思って目を開けたヒュンケルは、意外すぎる程意外な物を目の当たりにした。

「……っ!?」

 自分の上に、覆い被さっている銀髪の男。それが、鏡の中で毎日お目にかかる顔だと気がついたのは、身体を全く動かせない不快感を感じた後だった。自分が相手に肩を押さえつけられていると認識するより早く、ヒュンケルはその手を振り払って起き上がろうとした。

 状況を把握するよりも先に、まずは戦いに有利なポジションを確保したいと考えるのは戦士にとっては基本中の基本だ。相手の正体や自分の現状以上に、そちらの方がよほど重要だ。

 だが、起き上がろうとした身体は全く動かせなかった。
 まるで万力で抑えつけられているように、身体をビクリとも動かせない。起き上がろうと藻掻いてから、ヒュンケルは自分がいつの間にか仰向けの姿勢で銀髪の男を見上げている事実に気がついた。

 紫色の目が、当惑したように瞬く。
 その驚きの色合いが、男の顔に妙に子供じみた印象を与えていた。そして、聞き慣れない声が、どこか聞き覚えのある口調で言う。

「なんで……、おれがそこにいんだよ??? え? あれ? ヒュンケルは……っ?」

 整った顔立ちの銀髪の男が、落ち着き無くキョロキョロと周囲に目を彷徨わせる様は些か滑稽だったが、今のヒュンケルは笑うどころではなかった。

 驚くべき予想が、脳裏をかすめる。一旦はまさかと打ち消したが、目の前にいる『自分』を見れば見るほどその予想は大きく膨れあがり、確かめずにはいられなかった。

「おまえ――もしかして、ポップか?」

 そう尋ねると、銀髪の男は無防備に驚いた表情を見せる。それを見て、ヒュンケルは自分の疑惑を確信した。

 鏡の中ではついぞお目にかかったことがない程、大袈裟に表情を動かした銀髪の男は弾かれたように飛び退いた。そのおかげで身体の拘束を解かれ、ヒュンケルはようやく起き上がることが出来た。

 ベッドの上に起き上がりながら、ヒュンケルは改めて自分の腕を見やる。驚く程細くて、やけに小さい手は、本来の自分の物とは似ても似つかない代物だった。

 鏡を見るまでもなく、その手を見ただけで分かった。
 今、見ているこの身体は自分の物ではない、と。

 改めて銀髪の男を見やると、彼もまた自分で自分の手をまじまじと見つめていた。信じられないとばかりに、何度も掌を開いたり、閉じたりを繰り返している。

 だが、その驚きや戸惑いはそう長くは続かないだろうと、ヒュンケルは思った。

 彼が『ポップ』なら、すぐに真相に気がつくだろう。
 実際、ヒュンケルがそう思ったか思わないかのうちに、ポップは混乱しつつも結論に辿り着いていた。

「じゃ……、おまえがヒュンケルなのかよ!? な、なんだっておれ達、身体が入れ替わっちまったんだ!?」           《続く》

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