『緑と紫の混合 2』
  
 

「え、えぇええーーっ、なんだよ、これっていったいどういうことだよぉッ!?」

 極めて端正な顔が印象的な銀の髪の戦士――はっきり言ってしまえば自分の顔が、妙に表情豊かに驚きを表現しながら大口を開けてわめき立てている。その有様を、ヒュンケルは他人事のように眺めていた。

 その際、こんなことを考えている場合ではないと分かっていても、妙に感心してしまう。

(オレでも、こんな表情ができるものなのだな)

 周囲の人間からやれ無表情だの、鉄扉面だのと言われるぐらい、ヒュンケルは感情を顔に出さないタイプだ。

 どうやら自分はそういう体質なのだろうと思っていたのだが、それは体質的な問題なのではなく性質的な問題だったらしい。
 中身が入れ替わった自分が、こんなにも豊かに表情を動かしているのだから。

「とりあえず落ち着いたらどうだ、ポップ」

 まずはポップを宥めようとそう声をかけたのだが、どうやらヒュンケルの気遣いはいつものごとくポップの癇に障ったようだ。

「バカ野郎っ、これが落ち着いていられるかよっ!? だいたいおれとおまえが入れ替わっちまったってのに、なんだってそんなに落ち着いていやがるんだよ、おまえはっ!?」

(別に、落ち着いているわけでもないのだが)

 ヒュンケルにしても、驚いていないわけではない。
 だが、自分以上にここまで動転している人間が側にいると妙に冷めてしまうというか、自分まで驚かなくてもいいかなと思う気持ちの方が強いだけだ。

「いや、驚いてはいるが……、別に実害があるわけでもないだろう」

 これが、戦いの最中に敵の魔法か何かで起こった入れ替わりだとでも言うのなら、ヒュンケルだって大いに驚き、何が何でも元に戻りたいと切望しただろう。

 魔法の知識が全くないヒュンケルが魔法使いになったとしても役には立たないだろうし、同じく初歩の護身術程度の訓練しか受けていないポップが戦士になっても活躍できるとも思えない。

 だが、戦闘時でもない今ならば、それ程の切迫感はない。それに、ヒュンケルには確信があった。

「いずれにせよ、アバンに聞けば何かが分かるのではないか?」

 あの時、ヒュンケルは確かに見た。
 自分とポップのアバンのしるしが輝いたのをきっかけに、何かが起こったことを。ならば、この厄介な現象にはあの傍迷惑な大勇者が関わっている可能性が高いと、ヒュンケルは読んでいた。

 風変わりな魔法道具を集めるのを好む最初の師の悪癖を、ヒュンケルは嫌と言うほど理解していた。この入れ替わりが意図的なものにせよ、偶発的なものにせよ、アバンが主原因なのは確実だろう。

 だが、物好きで厄介な人には違いないが、アバンは無責任な人物ではない。事情を打ち明け、相談したのなら必ず乗ってくれるに違いない。

「…………」

 ヒュンケルの説明を聞いてポップも同じ結論に達したのか、考え込むような表情で黙り込んでいる。とりあえず、曲がりなりにもポップが落ち着いてくれたことにホッとしたヒュンケルだったが、その時、ドアの外の方からばたばたと走ってくる足音が聞こえてきた。

「ヒュンケルッ!? どうしたの!?」

 心配そうな顔で真っ先に飛び込んで来たのは、エイミだった。続いて、レオナやアポロ、マリンも部屋に入ってくる。部屋に入ってきたレオナは、その途端にホッとした様な表情を見せる。

「よかった……! ポップ君に何かあったわけじゃないのね」

「見舞いに来たところ、珍しくヒュンケルの叫び声が聞こえたから何があったのかと思って、焦ったよ」

 螺旋階段を一気に上ってきたせいか、多少息を切らしながらそう言うアポロを見て、ヒュンケルは申し訳なさを感じる。

 レオナを初めとする三賢者も、ポップの容態をひどく心配していた。だからこそ、勤務の合間の休憩時間にみんな揃って見舞いへと訪れたのだろう。今日は確か、他国からの大使が複数訪れて人出が足りないはずなのに、それにも関わらずポップへの見舞いに来てくれた彼らにはどんなに感謝しても仕切れない。

 そんな時に、ポップの部屋の方から看病をしているはずのヒュンケルの叫び声が聞こえたのなら……彼らが最悪の事態を想像したとしても、何の不思議もない。

 ただでさえ忙しい彼らに余計な心配をかけてしまったことを反省しながら、ヒュンケルは軽く頭を下げる。

「すまない、それは申し訳ないことをした」

 そう言った途端、レオナと三賢者達の表情に困惑が浮かぶ。それから、レオナが一歩遅れて苦笑を浮かべる。

「いやだ、どうしちゃったの、ポップ君。あなたが素直に謝っただけでも驚きだけど、そんな堅苦しい口調なんてあなたらしくもないわよ?」

 そう言われてから、ようやくヒュンケルは自分が『ポップ』だと思われていることに気がついた。まずはその説明からしなければと思い、ヒュンケルは再度口を開きかけた。

「いや、それが実は――」

「ああ、なんでもないんだ。ポップが安静にしろと言っているのに、おとなしくしなかっただけだ」

 ヒュンケルの声を遮ってしゃあしゃあとそう言ったのは、他ならぬポップ自身だった。ギョッとして思わずそちらを見ると、銀の髪の青年が済ました顔でそう言ってのけたところだった。

 唖然としたヒュンケルが思わず絶句していると、レオナ以下一同は納得したと言わんばかりに深々と頷く。

「やだ、またなの? 元気になってくれたのは嬉しいけどね、少しは大人しくしていてちょうだいな」

「そうだよ、ポップ君。やっと熱が下がったとは言え、無理をしてまたぶり返したらどうするんだい? もうしばらくは安静にしていないと」

 レオナに叱りつけられ、アポロに幼い子に言い聞かせるように諭されてから、ヒュンケルはやっと自分がポップと誤解されている事実に気がついた。――いや誤解も何も、この身体はポップのものなのだろうからその通りではあるのだが、ヒュンケルもこの時ばかりは焦る。

「いや、違う! オレはポップではない!!」

「「「え!?」」」

 複数の驚きの声が、ものの見事に重なる。それでもさすがと言うべきか、レオナはいち早く冷静さを取り戻して問いかけてきた。

「それってどう言うことなの、ポップ君?」

 もちろん、ヒュンケルは敬愛する主君の姫に包み隠さず真実を打ち明けるつもりでいた。だが、思わぬ所から横やりが入る。

「それが、さっきからずっとこんな調子なんだ。意識が多少混乱しているようで……まあ、熱が高かったからな」

 真顔で、もっともらしくそう言ってのける銀髪の戦士の言葉は、ヒュンケルの耳にさえ説得力のある言葉として聞こえた。が、こんな言葉を黙って聞き過ごせるわけがない。

「何を言っているんだ、ポップ!?」

 思わずそう怒鳴ると、レオナを初めとする一同が唖然とした顔を見せる。

「あなたこそ何を言っているの、ポップ君? 彼はヒュンケルじゃないの」

 呆れたようにそう言うエイミの口調が、いつもの自分に対する口調とは全く違うなと、ヒュンケルはちらりと思う。
 が、そんなことは今はどうでもいい。

「違うっ、そうじゃない!! そいつだ、そいつがポップなんだ!」

 ついそう叫んでしまったが、口にした直後にヒュンケルは自分の失敗に気がついた。

 ごく冷静に、そして、客観的に考えて見れば、すぐに分かることだ。
 二日間も意識も取り戻さなかった病人が、目覚めてすぐに自分は自分じゃないと言い出したり、他人を自分の名前で呼びかけたりしたら、どう思われるか――。

 それこそ呆気にとられた顔で『自分』を見つめたレオナ達は、探るように互いの顔を見合わせた後、妙に優しい口調で気遣うように話しかけてくる。

「ま、まあ、ポップ君、落ち着いて。そうだ、少し、横になっていたらどうかな?」

「おれは落ち着いている! それより、ポップを……あいつを止めないと!」

 焦りのままにベッドから飛び降りようとしたヒュンケルだが、これも失敗だったようだ。いつもの身体ならば、二人の人間の間をすり抜けて一気に目標へ間合いを詰めるなど簡単なことだが、ポップの身体では自由が効かない。

 ベッドから降りる前に、マリンの細い手だけであっさりと抑えつけられてしまった。か弱い女性に腕尽くで押さえ込まれるという、ヒュンケル的には一度も身に覚えのない初体験に驚く余り絶句してしまった彼を、マリンとアポロは二人がかりでベッドに押し込みにかかる。

「落ち着いて、だ、大丈夫よ、大丈夫、多分……っ。ええ、そうよ、とにかく、まずは気を静めて休んでいた方がいいわ」

 むしろ自分達の方が落ち着いた方がいいのではないかと思えるほど動揺したマリンとアポロが気遣わしげに寝かしつけようとする一方で、少し離れた場所ではエイミとレオナが声を潜めて相談し合っている。

「ど、どうしましょう、姫様、これって……あの、もしかして今度こそダイ君を呼び戻した方がいいのでは?」

「うーん、ダイ君にはできるだけ心配をかけたくはないんだけど……この調子ではそうした方がいいかもしれないわね」

 ヒュンケルの立場からすれば、いっそそうしてくれと言いたいところだったが『銀髪の戦士』はしゃあしゃあと二人を宥める。

「いや、まずは先にアバン先生に相談してみた方がいいんじゃないか」

「そ、そうね、さすがはヒュンケルだわ! それじゃ、さっそく私、マトリフ師の洞窟へ行きますわ、姫様」

 うっとりとした目で手放しにヒュンケルを褒め称えた後で、行動的なエイミは即座に動き出そうとした。だが、銀髪の戦士はその肩に手をかけて止めた。

「それはおれが引き受けよう」

 エイミの名誉のために言うのならば、彼女は一度言い出した仕事はきちんと責任を持ってやり遂げる責任感に溢れた女性だ。だが、恋する人に肩を抱かれた途端、彼女はただの恋乙女に成り下がっていた。

「え、……ええっ、お任せするわ!!」

 ポッと頬を染め、意気込んで答えるエイミに対して、銀髪の戦士が笑いかける。口端だけをあげる独特の笑い方は、ヒュンケルにはひどく見覚えのある表情だった。

「ああ、それと――ポップは混乱がひどいようだから、落ち着くまで少し、一人で休ませた方がいいんじゃないのか」

 そう言いながら、ちらっとこちらの方を見る目の色こそは紫色だったが、その輝き方はいつものポップのそれだった。

「そ、そう? でも、今のポップ君を一人にしておくのは……」

「いや、あんな様子だからこそ、一人にして頭を冷やさせた方がいい。なに、何かあるようなすぐに兵士が駆けつけてくるから心配要らない」

「……そうね、今は私達はとても手を離せないし。ヒュンケルがそう言うのなら……」

 おそらくは、差し迫った仕事とポップの安否に秤をかけているのだろう。
 少々迷いがある様子ながらも、銀髪の戦士の説得を受け入れてレオナが頷く。だが、それはヒュンケルにとっては不都合にも程がある。

 まだ、誰かが看病に残るのなら説明して誤解を解くことも出来るだろうに、一人で閉じ込められてはそれさえ無理だ。
 おまけに、この部屋に元幽閉室だ。

 見張りが厳重につくこの部屋から脱出するのは、本物のポップだって魔法を使わない限り不可能だ。ましてや魔法を使えず、その上ポップの体力しかないヒュンケルにとっては、難攻不落の要塞に等しい。

「ま、待ってくれっ、そいつを外に出しては駄目だっ!! 話を聞いてくれっ」

 ヒュンケルは必死に食い下がろうとするが、ポップとヒュンケル――どちらの信頼度が高いかと言えば、答えは歴然としていた。

「とにかく、無理せずに横になっていてね、ポップ君。心配しないで、しばらくしたらまた見舞いに来るわね」

 心配そうに何度となく振り返るレオナや三賢者達の背を押しやるように部屋から出て行く『ヒュンケル』は、出て行き間際に振り返ってニヤリと笑う。

「じゃあ、ゆっくりと休んでいろよ――ポップ」

 その言葉を残して、パタンと扉が閉められる。部屋の外側から鍵がかけられる音を、ヒュンケルは呆然として聞いていた――。






「…………」

 一人、部屋に取り残されたヒュンケルはしばし呆然としていたが、自失していた時間はそう長くはなかった。

 入れ替わった当初こそは驚き、ポップが出て行ってしまったことや閉じ込められたことに焦りを感じたが、よく考えればうろたえる必要は無いと気がついた。

 こんな突拍子もない珍事件に対処できる人物は、アバンかマトリフを置いて他にいない。知識に置いても魔法に置いても、世界トップクラスのあの二人ならばこんな途方もない事件でも冷静に解決してくれることだろう。

 レオナ達と違い、アバンに対してなら自分がポップではなくヒュンケルだと証明するのは、難しくはない。例えポップが嘘をついて、ヒュンケルに協力するどころか妨害しまくってくれたとしても、だ。

 アバンとヒュンケルだけしか知らない、一緒に旅をしていた頃の思い出ならばいくらでもある。いくらポップでも、そこまで知っているはずがない。
 それらを話せば、アバンならば自分がヒュンケルだと理解してくれるだろう。

 その意味では、ヒュンケルは自分の師の聡明さを信じていた。
 そして、わざわざ呼びに行くまでもなく、アバンはパプニカ城に来訪している。ポップに飲ませるための薬を調合するため、マトリフの洞窟へ行ってくると言っていた師を見送ったのは、他ならぬヒュンケル自身だ。

 どんなに遅くとも数時間以内にアバンはパプニカ城に戻ってくるだろうし、戻り次第ポップの部屋に来るのは疑いようもない。たとえ、自分の振りをしたポップがアバンの足止めを計ったとしても、問題はない。

 どんなにポップが小賢しく説明をして気を逸らそうとしても、あの師の方が一枚も二枚も上だ。他人の口車に騙されるような手抜かりなど、アバンに限っては有り得ない。どう止められようともアバンは必ず自分の目で、ポップの様子を確かめるためにここにやってくることだろう。

 つまり、ここでじっと待っていても事件を解決するための人物はいずれは来てくれるのである。

 ならば、急いで呼び寄せる必要などない。 
 レオナや三賢者をもう一度呼び戻し、自分とポップが入れ替わったことを説明し、信じてもらってからアバンを呼び出してもらうなどという非常にややこしい上に困難な手間などかけなくてもよいのだ。

 まあ、普段のヒュンケルならば面倒だとは思っても、アバンを少しでも早く呼ぶためにそうしたかもしないが、今はそうする気にはならなかった。

 どういう原理で自分とポップの身体が入れ替わったのかは不明だが、どうやらポップの精神がヒュンケルの肉体に、ヒュンケルの精神がポップに肉体に入ったのは間違いない。

 外見はヒュンケルとなったポップは喜び勇んでどこかに行ってしまったが、彼にしてみれば自分の肉体がどうなるかなど知ったことじゃない。
 ポップの肉体……と言うより、ポップの生命の方がよほど重大問題だった――。






「た、隊長っ、大変ですっ!! 大魔道士様が……っ!」

 朝、定時がすぎても起きてこないポップの様子を確認するため、上がっていった兵士が転がり落ちるように報告した時、たまたま兵士の詰め所にいたヒュンケルもその場に駆けつけた。

 そのせいで、彼は見てしまったのだ。
 階段の途中で、ぐったりと倒れ込んで身動きもしなかったポップの姿を。半ば手を絡ませるような形で、辛うじて手摺りに寄り掛かっていたポップは、兵士達が血相を変えて呼びかけても揺さぶってもまるで反応がなかった。

 あの時は、血の気が引く思いを味わった。
 大戦の時以来、ついぞ味合わなかった恐怖感におののきながら、ポップに直接触れようとした時ほど勇気を試された時は無かった。

 もし、ポップの身体がすでに冷たくなっていたら――最悪の予想は、幸運にも外れてくれた。確かに長時間、寒い場所にいたせいで身体は冷えていたが、それは二度と目覚めることのない身体の冷たさとは別物だった。

 意識を失っているもののちゃんとポップに息があると知った時の安堵感もまた、忘れがたい強さだった。

 しかし、そうそう手放しに安心できる状態とは言えなかった。
 意識が戻らないポップは、発熱していた。それを知ったレオナは、慌ててアバンへ緊急連絡を送った。

 高熱というわけではなかったが、ただの微熱でもポップにとっては命取りになりかねないものだからだ。魔王軍との戦いやその後のダイ捜索のために無茶を繰り返したポップの身体は、見た目や本人の自覚以上に衰弱している。

 体力の衰えた老人にとって軽い風邪が時として命取りとなるように、ポップにとっては些細な風邪でも決して安堵できるものではない。その危険度を、ヒュンケルはアバンやマトリフから直接聞かされた。

 同じ話をポップも聞いたはずなのだが、ポップ本人はどうもその話を深く受け止めていないというか、さして重視せずに高をくくっているような所がある。

 本人の命がかかっているというのに、今ひとつ本気で自分の身体を案じないのである。
 だが、ヒュンケルや仲間達にとっては一瞬たりとも忘れられるような話ではなかった。

 翌日、文字通り飛んできたアバンにポップの無事を保証されても、ヒュンケルや周囲の心配が無くなったわけではない。実際、ポップが本当に目を覚ますまで、ヒュンケルは内心、気が気ではなかった。

 だからこそ、自分からポップの看病をかってでてずっと付き添っていたのである。

 やっと意識が戻ったとは言え、二日も寝込んでいたポップがすぐに動いていいとはとても思えない。少なくともアバンやレオナの許可が出るまでは、安静にしているべきだろうと思っていた。

 その考えは、互いの身体が入れ替わったとしても微塵も変わらない。むしろこの機会にしっかりと休養を取らせておくべきだとばかりに、ヒュンケルはついさっきまでポップが眠っていたベッドに、自主的に入った。






(……退屈なものだな)

 おとなしくベッドに横たわっている――そんなことは、ひどく簡単なことだとヒュンケルはずっと思っていた。

 何度言っても言うことを聞こうともせず、体調が悪いのに無茶ばかりをするポップにヒュンケルは何度となく注意したし、時には休めと強引に部屋まで引きずっていったことも度々ある。時には、半ば無理矢理ポップをベッドに押し込んだことある。

 何もヒュンケルは、無茶を要求したつもりなどない。
 いつもそうしろとさえ、言ってはいない。体調が悪い間ぐらいは、せめて数日間はじっとして欲しいだけだ。

 なのにポップときたら、たったそれだけの要求さえ常に無視してしまう。少し具合が良くなったかと思うと、早速ベッドから抜け出してうろつきだすせいで、結局体調の悪さが長引いてしまうという悪循環を何度繰り返したことか。

 その度にヒュンケルは苛立ちを感じたし、何度となくポップに説教もした。
 だが実際に自分で体験するまで、眠くもないのに昼間から横になって休むのがこんなにも退屈で、それでいて心を疲れさせる物だとは思いもしなかった。

 何もすることがない――というよりも、出来ないのだ。
 あまりに退屈なのでヒュンケルは、本でも読もうかと思った。実際、そのつもりで本棚まで足を運んだのだが……ただそれだけの行動で息が切れたのには驚かされた。

 ポップの部屋は確かに、並の兵士の部屋に比べれば広い。なかなかに立派な部屋で高級な宿屋の続き部屋ぐらいの広さはあるが、それでも所詮は室内だ、そうたいした距離ではない。

 しかし、ポップの身体はヒュンケルが驚くほどに脆弱だった。実際はポップの方が年下なのに、この身体になってからというもののヒュンケルは自分がひどく年老いた様な気さえする。

 とにかく、身体に力が入らない。微熱のある身体はひどく重く感じられて、絶えずつきまとう倦怠感に辟易させられる。ろくに動けない身体は、魔王軍との戦いの直後のヒュンケル自身の身体と似ていたが、決定的に違うのはどうにも不快な息苦しさだった。

 身体の重さや痛みだけを比べるのならば、戦えないと言われた頃のヒュンケルの身体の方が、ひどかっただろう。ヒュンケルのダメージは、主に筋肉や骨部分にあると言われていた。

 だが、ポップのダメージは内臓に現れている。
 心臓に負担がかかり肺機能が低下しているとの説明を受けてはいたが、ヒュンケルはそれがどんな悪影響をもたらすものなのか、真の意味で理解していなかったようだ。

(こんなに……苦しいものだったとは、な)

 戦いのダメージにより動けなくなった時、ヒュンケルが強く感じたのは苛立ちだった。痛みに邪魔をされて思うように動かない自分の身体へのもどかしさが、腹立たしく、辛かった。

 だが、ポップの身体はそれとは根本的に違う。
 今、ヒュンケルがベッドから本棚まで歩いたように、動こうと思えば動くことが出来る。そこが最大の問題なのだと、ヒュンケルは体験して初めて実感した。

 実際、大人しく横になっているだけならばなんともないし、多少動く程度ならばさしたるダメージを感じない。次第に退屈さの方が強くなってきて、動きたくなる気持ちもよく分かる。

 だが――体調が完全でない時に動き始めれば、ポップの身体が抱え込んだ爆弾は、如実にその効力を発揮する。寝ている時はなんともなくとも、動いているうちに徐々に息苦しさや倦怠感が膨らんでいく。

 それが、ごく軽いものなのが厄介な点だ。
 おそらくこの程度の疲れや少しぐらいの息苦しさならば、我慢しようと思えば我慢できるだろう。それどころか、うっかりするほど忘れてしまいかねないれかもしれない。現実問題として、苦痛のレベルとしてはたいしたことは無いのだから。

 しかし、無理を重ねれば重ねるほど、そのダメージは確実に蓄積され段階的に強まっていく。終いには身体そのものに力が入らなくなり動くことさえ難しくなることを、ヒュンケルはよく承知していた。

 限度を超えたポップが、そんな風にバッタリ倒れるところをヒュンケルは何度も目撃してきたのだから。

 心臓が身体の源だという事実を、嫌と言うほど実感させられる。
 かすかな息苦しさを感じながら、ヒュンケルはようやく辿り着ついた本棚の前で一休みして、結局、本も手に取らずに引き返した。

 並んでいる本がポップの趣味や知識に偏っているせいで特に読みたいと思わなかったせいもあるが、読書を断念したのにはもう一つ理由がある。考えて見れば、本を読むためにはどうしても手や肩を毛布の外に出さなければならない。

 体調の弱ったポップの身体にとって、そんな些細なことでさえダメージになるかもしれない。事実、夜更かしして本を読みすぎたポップが、身体を冷やして熱を出したのは一度や二度では効かない。

 もしポップ本人がここにいれば別に本を少しぐらい読んだぐらいで熱があがるわけじゃないと反論しただろうが、ヒュンケルにしてみればその危惧感は捨てきれない。

 なにしろ、部屋の中を歩いた程度で息が上がっているのだから。
 これが自分自身のことならば、ヒュンケルは身体の負担など気にせずやりたいことをやっただろうが、ポップの身体だと思えばそうする気にもならない。

 しかし、読書も出来ないとなると、ますます退屈さを強く感じてしまう。こんな風に何もしないまま、無為に横たわっているのはひどく苦痛だった。

 そうしなければならないと分かっているし、また、自分の意思でそうしているのにもかかわらず、まるで脱出不可能な部屋に無理矢理閉じ込められたような閉塞感があった。

 大袈裟に言ってしまえば、自分一人が世界から取り残されたような気さえする。

(…………ポップが嫌がるのも、無理もないか)

 しみじみと、そう思わずにはいられない。
 当事者の身になってから、初めて分かるものというのもあるようだ。この時になって、初めてヒュンケルは自分がポップに対して酷なことを強いていたものだと思い返す。

 今は、まだいい。
 だが、ダイを探していた頃――急かされるように勇者捜しをしていたポップにとって、横たわっているしかできない無為の時間はさぞ苦痛で、身を焼かれる思いを味わっただろう。

 少しでも目を離せば、文字通りベッドから這い出かねなかった当時のポップを思い出しながら、ヒュンケルはなんとか退屈な時間をやり過ごそうと目を閉じる。

 幸いにも、程なく緩慢な眠りが訪れてくれた。そして、ヒュンケルは懐かしい夢を見た――。







「私はね、このペンダントにちょっぴり、魔法を仕掛けておきたいと思っているんですよ」

 得意げにそう言いながら、アバンは滴型のペンダントを見せびらかすように幼いヒュンケルの目の前で揺らす。
 それは、アバンと旅をし始めてから半年ほどのことだっただろうか。

「魔法力に反応する宝石は他にもありますが、この輝聖石は複数の人間の意思や魔法力に対してより強く反応するという、珍しい特徴を持っているんですよ。
 この性質をうまく使えば、古代期の呪文を再現することも可能でしょう」

 アバンのその説明に、ヒュンケルはほとんど興味を示さなかった。
 ヒュンケルは、幼くとも根っからの戦士だ。
 魔法の素質はないし、また関心もない。自分には全く関係の無い話だとばかりに無関心を決め込んでいたが、アバンはヒュンケルのその心も読んでいた。

「まあ、今のあなたにはあまり関係がないかも知れませんね。ですが、いつかこれが大きな意味を持つ日も来ることでしょう」

 そう言いながら、アバンは笑う。どこか悪戯っぽいその笑顔のまま、アバンは思わせぶりに言ってのけた。

「ヒュンケル、あなたは私の初めての弟子です。ですから、私がこの後に育てる弟子は、あなたにとっては弟弟子や妹弟子になります……彼らと協力してならば魔法がかけられるかも知れませんよ」

「別に、仲間なんか欲しくない!」

 必要以上に強く、そう言い返すヒュンケルに対して、アバンは笑った。さも、分かっていますよと言わんばかりのその笑顔がひどく癪に障ったことを、ヒュンケルは懐かしさと共に思い出していた――。                      《続く》

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