『密室からの脱出 前編』 |
ピチョン……ピチョン……――。 「……?」 起き抜けではっきりとしない意識の中で、ダイは違和感を覚える。二、三度瞬きを繰り返してから、ダイはその違和感の正体に気がついた。 (あれ……、ここ、どこ、だっけ?) いつもの自分のベッドとはまるっきり違う、固い感触を背中に感じる。おまけに見上げている天井もまた、全く見覚えのないものだった。 鉄格子の向こう側から照らし出された蝋燭の明かりだけが、唯一の光源としてその辺を照らし出している。 (あれ? なんで、おれ……牢屋なんかに?) 見覚えのない場所なのには変わりはないが、石で作られた頑丈な壁や床や鉄の柵はどう見ても牢屋だ。しかし、ダイは自分が牢屋に入れられる覚えもなければ、いつここに来たかも覚えていなかった。 戸惑いを感じつつ起き上がったダイは、キョロキョロと周囲を見回す。誰もいない、がらんとした牢屋――どうしようかと首を傾げるダイに、どこからか声が聞こえてきた。 『お目覚めかね、勇者君。ご機嫌はいかがかな?』 その声は、明らかに不自然だった。 「おはよう。機嫌はいいけど、ねえ、ここを開けてくれないかな」 「…………」 ごく普通に話しかけてくるダイに対して、少々戸惑ったように声は沈黙する。が、ゴホンと軽く咳払いしてまた話しかけてきた。 『フッ……、残念ながらそう簡単にここを開けるわけにはいかないね。もしかすると、永遠に――。 妙にもったいぶった、尊大な口調。 「いいよ、なら、別に開けてくんなくても」 『へ?』 あっけらかんとした、屈託のないお返事。それに対して、謎の人物が思わず間の抜けた声を返してしまったとしても、責めることはできまい。 「これぐらいなら、おれ、壊せるし」 ごく当たり前のようにそう言ったかと思うと、ダイは牢屋の鉄柵を両手で無造作に掴み、ぐいっと開き始めた。たいして力を込めているとも見えないのに、鉄の棒がまるで火であぶられた飴細工のように歪みだす。と、謎の声が悲鳴じみた叫びを上げた。 止められると、ダイは一応は素直に手を止めはしたものの、それでも鉄の柵を掴んだままだ。 「だって、おれ、早く帰りたいんだよ。そろそろお腹がすいてきたし、それにポップも起こしに行かないと」 窓もないし蝋燭の明かりしかないせいで時間が分からないが、それでもダイの勘と腹時計は今が朝だと訴えている。となれば、ダイは一刻も早くパプニカ城に帰りたかった。 ダイには、重要な使命がある。 誰にも起こされなければ、これ幸いとギリギリまで寝ているのがポップらしいというべきか。 まあ、それだけならまだいいのだが、ポップときたらどうやら朝食も省いて朝寝坊を決め込んでいたらしい。そのせいか、最近、少し痩せてきたように見えるのが心配だった。 だから今週はちゃんとポップを起こして、朝からいっぱいご飯を食べてもらおうと、ダイは密かに使命感に燃えていたのだ。 ダイが戻らなければポップはまた、朝食抜きでぎりぎりまで寝坊なんて不健康な真似をするに決まっている。それを思えば、一刻も早く帰りたい。自分が閉じ込められた心配よりも何よりも、ダイにはポップの朝食の方が心配だった。 さっさと牢屋をぶち破ろうとするダイだが、謎の声は悲鳴じみた声で待ったをかける。 『ええいっ、待てというのに! こっ、これを見るんだっ!!』 そう叫ぶ声と共に、牢屋の中にパアッと光が差し込む。一瞬戸惑ったダイだったが、その光の源が牢屋の中に転がっていた水晶球だとすぐに気がついた。 両手で持ってあまりあるような大きさは、メルルやナバラの持っていた水晶球によく似ていたが、そこになにやら風景が映し出されているところもそっくりだ。何気なく水晶球を拾い上げてその中の光景を覗きこんだダイだったが、その途端に顔色が変わった。 「ポップッ!?」 水晶球の中に映し出されているのは、紛れもなくポップだった。 ポップもまた、ダイと同じように牢屋に閉じ込められているのか、薄暗い石の床に俯せに倒れていた。見たところ怪我はないようだが、眠っているのか、それとも気絶しているのか、ぴくりとも動かない。 あるいは――最悪の予感が脳裏をかすめ、ダイは自分が閉じ込められていると知った時以上の戦慄に震えた。 「ポップ!? ポップ、どうしちゃったんだよっ、起きて、起きてよ!!」 思わず、ダイは水晶球を握りしめながら叫んでいた。 (よかった、生きているんだ……!) 少なくとも最悪の事態にはなっていないと分かって、ダイは大きく息をつく。 「おまえ……ポップに何をしたんだっ!?」 おそらくは無意識だろうが、凄まじいまでの殺気が迸る。ついさっき、無邪気に牢の柵を壊そうとした時とは別人のような迫力に、見えざる声の主もたじろいだのか、息を飲む音が聞こえてきた。 『フフ……、ご心配なく。大魔道士のことなら丁重にお預かりしているだけだ、彼には指一本触れていないよ。――今のところはね』 全く安心できないその言葉に、ダイは顔をしかめる。無意識に滾ったその殺気に気づいたのか、見えざる声は慌てたように付け加えた。 『……って言うか、この先も大魔道士様に何かする気などないんだからそんな殺気立たないで下さい、お願いします。ちゃんと、あなたが言うことを聞いてくれたら、彼は無事に解放しますから』 いきなり腰が低くなった腰砕けな謎の声の主に、ダイは少しばかり当惑を感じないでもなかった。だが、それ以上に彼の後半の言葉の方が気にかかる。 「おれが言うことを聞いたら、ポップを解放する? 本当なのか!?」 『あ、ああ、本当だとも。君が、この館の謎を見事に解き明かすのなら、ね』 ダイの反応を見て脈有りと判断したのか、謎の声にまた尊大さが戻る。が、今度はダイが怯む番だった。 「な、謎……!?」 『そう、我々は七つの謎を用意した。君の後ろを見たまえ、勇者君!』 その声に、ダイは素直に後ろを振り向く。 『この先、一つの部屋に、一つの謎が用意されている。正解すれば、次の部屋に進むことが出来るというわけだ。 「なら……七つ先の部屋に、ポップがいるんだな!?」 そここそが一番重要だとばかりに、ダイは説明を遮って叫ぶ。 『あ、ああ、そうだが……しかし、この謎は』 謎の声はまだ何か説明を続けようとするが、ダイはそこだけ確認すればもう十分だとばかりに、それ以上を聞きもせずに躊躇なく扉を開けた。 「……っ!?」 次の部屋を見たダイの目が、驚きに見開かれる。 しかし、がらんと殺風景で通常の部屋とは大きく違って見えた。 それだけでも困惑するが、更に不思議さを誘うのは天井からぶら下がっている『モノ』だ。普通の部屋よりもずっと高い天井を、ダイはひどく冷静に見上げる。 部屋の中央、天上からぶら下げているモノと言えば、普通ならば照明だ。しかし、この部屋に下がっているモノは――黄色くて房状の果物……バナナだった。 混乱は、あった。 助走も予備動作も無しでその場でジャンプしたダイは、天井近くに存在するバナナを一瞬でもぎ取って落下する。驚くべき身体能力の高さだった。更に驚くべきことに、落下の最中にすでにダイはバナナの房を一つ取りすかさずパクついていた。 これらの出来事は、水晶球を抱えたままで行ったことである。 『いきなり食べるなぁあ〜っっ!!』 「え? 食べちゃ、いけなかったの?」 ゴクンと、取りあえず口の中に放り込んだ分をしっかりと飲み込んでから、ダイは聞き返す。 『っていうか、問題を見ろッ、問題をッ!! 壁に書いてあるだろうっ!?』 「問題?」 言われてから初めて、ダイはこの部屋の壁に何やら文章が書かれた紙が貼ってあることに気がついた。扉を開けたら真っ先に見える壁に貼ってあるのだから、普通ならば真っ先に目に入るだろうが、ダイにとっては文章なんてどうでも良いものなだけに目にも入っていなかったのである。 それでも素直なダイは、バナナをもぎゅもぎゅと食べながら壁に書かれた文章を読み始めた。 「えっと……『手の、とどかないところに、バナナがあります。この部屋にある道具をうまく使って、上手にバナナをとりましょう』 得意げなダイの声に、悲鳴じみた謎の声が被さる。 『いいわけあるかぁあっ!! 道具を使ってと書いてあるでしょうがっ!? ちゃんと頭を使って取らないと、正解とは認められませんっ!!』 「ええ〜?」 『ほら、もう一度! バナナをもう一房用意するから、今度はちゃんと考えて行動するように! くれぐれも言ってくが、ジャンプは禁止だっ!!』 謎の声と共に、天井の一部が空いてするするっと鎖が引き上げられ、すぐにまたバナナが元通り下げられる。それを見て、ダイは再びジャンプしたくなったが、それをぐっとこらえて床に散らばった道具を見回した。 (えーと? 道具を使えって、どうすればいいのかな?) 取りあえず、大切に持っていた水晶球を安全そうな場所に置いてから、長い棒に目をつけたダイは、それでバナナをはたき落とそうとしてみる。だが、長めの棒は微妙に長さが不足していた。 棒でバナナに触れることは出来るものの、落とせるほどには長くはない。バナナを揺らすだけの結果に終わって、ダイはちょっぴりいらつくのを感じた。 (あー、もう、めんどうだなぁ。ちょっとジャンプすれば、こんなのすぐに食べられるのに) いっそ力業で叩き落としてしまおうかと棒を構え直したダイに気がついたのか、謎の声が慌てて先手を打って叫ぶ。 『言っておくが、必殺技も禁止だッ!! まかり間違っても、アバンストラッシュとかギガブレイクは打たないようにっ!』 「えー、それも禁止なの?」 『厳禁だっ!! って言うか、それだけは止めて下さい、本当にお願いだからッ!! ちゃんと道具を使えばとれるんだからっ!! 卑屈なのか尊大なのか分からない声に、ダイは頭を悩ませることは無かった。 しかし、普通の部屋の天井ならばそれで十分に照明に手が届くだろうが、この部屋の天井は高すぎた。椅子の上に乗ったぐらいでは、到底手が届かない。テーブルを持ってきても、同じことだ。 「ポップぅ……」 床に倒れたままのポップは、先ほどの姿勢のままでダイの呼びかけにも応じてくれない。ポップがいたのならばこんな謎などあっさり解いてくれるだろうにと思いながら、ダイはその考えを払いのける。 (ううん、おれがポップを助けないと!) なぜ、こんな状況になったのかさっぱり分からないが、そんなことなどどうでもいい。自分の先行きも、ダイはほぼ気にならなかった。そんなことよりも何よりも、ダイが優先するのは別のことだ。 まずはポップを助けるのが先決だ。それに、お腹が空いていたせいでダイだけうっかりバナナを食べてしまったが、ポップの分だって必要だ。 ダイと同じ時間に捕まったのなら、ポップだってきっと朝食抜きだろう。ポップ自身は一食ぐらい抜きでも気にしないかも知れないが、ダイとしてはそれは我慢できないぐらい嫌だ。 何が何でもあのバナナを取って、ポップにあげようとダイは決心する。 「お、なんだよ、チウ。手が届かないのか? なんなら、とってやろうか〜?」 戸棚の高い所にある物を取ろうとして、必死にぴょんぴょん跳びはねているチウを見て、ポップがそんな風にからかっていたのを見たことがある。 まだチウは年齢的に子供ではあるが、元々大ネズミ自体が成人してもそう大きくはならない種族だ。その体格のまま、人間の家で暮らすのはなかなか苦労もあるらしい。 「フンッ、誰がきさまなんかに頼むものかっ!! これぐらい、ぼく一人でも十分だっ」 そう豪語したかと思うと、チウはずるずると踏み台を引きずってきた。しかし、それだけではまだ高さが足りない。だが、チウは怯むことなく椅子も引きずってきて、椅子の上に踏み台を載せ、その上に乗って戸棚まで手を伸ばした。 もっともその手が届く寸前に、ひょいとポップが目的のものを奪い取ってチウをからかい始めたので、ケンカが始まったりしたのだが――。 (そっか、ああすればいいんだっ) パァッと表情を明るくしたダイは、なんの臆面もなく大ネズミの知恵に習う。 壁に貼った紙の後ろから聞こえた音に、ダイは素早く反応した。ビリビリと大きく紙を破ると、その下から入ってきた時と同じ重厚な扉が見えた。それもご丁寧にも、すでに扉は開いている。 「ポップ、必ず助けるから……!」 片手に水晶球を、もう片手でさも大切そうにしっかりとバナナを房ごと抱え、ダイは覚悟を決めた顔で次の部屋へと歩を進めた――。 《続く》 |