『六芒星の輝き ー前編ー』 
  
 

「おまえが、獣王クロコダインか」

 そう呼びかけてきたのは、威風堂々とした魔族の男だった。足音を隠しもせずに自分の元へと歩いてくるその男を見て、クロコダインはわずかに息を吐く。

(ほう……なかなか、やるな)

 まず、理屈抜きの感心がクロコダインの胸を打つ。
 クロコダインがいるラインリバー大陸随一の密林は、数多くの獣系怪物が存在する場所だ。縄張り意識を強く持つ獣系怪物は、他者の気配には驚く程に敏感だ。

 どんな意図があるにせよ、この密林に入り込む侵入者がいるのであれば、獣系怪物達はそれを逃さず察知し、警戒の鳴き声を上げることだろう。

 特に、小さく、か弱い生き物ほど他者の気配には敏感だ。たとえ一匹にでも進入したことが知られれば、瞬く間に他の獣系怪物にも連鎖的に侵入者の情報が広がる。

 その結果、密林の奥に座するクロコダインはなんの苦労もなく、手に取るようにこの密林の侵入者の有無を知ることが出来る。
 
 無数の見えない見張り役の目から逃れることが出来るのは、気配の殺し方を心得た野生の狩人だけだ。例えばクロコダインのように、戦闘能力を備えた獣系の怪物ならば自分の気配を殺してこっそりと密林の奥に足を踏み入れるのは不可能ではない。

 しかし、目の前にいる男はどう見ても純粋の魔族だ。人間に近い姿形ながら肌の色は青く、耳は大きく尖っている。
 
 だが、何よりも目につくのは、マントを羽織った上からでも一目で見て取れるはち切れんばかりの筋肉美だった。身のこなしから武道の心得を感じさせるこの魔族の強さは、ひしひしと伝わってくる。

 初めて見かける顔だがただ者ではないな、とクロコダインは直感していた。
 戦うまでもなく、目の前にいる魔族の強さをクロコダインは感じ取っていた。

 一目でこれだけの強さを感じさせながら、気配の殺し方も心得ている相手ともなれば、さぞや手強いことだろう。 
 肉体能力では、互角の戦いができるかもしれない。だが、魔族と獣系怪物では、魔法において雲泥の差がある。

 魔法を不得手とするクロコダインにとっては、魔族は戦う相手としてはいささか苦手とするタイプだ。

 しかし、それを感じ取りながらもなお、クロコダインは焦る様子も見せずに悠然と魔族の男を見返すにとどまる。その対応に、魔族の男は不満そうな表情を隠さなかった。

「なぜ、答えぬ」

 そう尋ねる声は、傲慢だった。
 それは明らかに、他人に命じる立場に慣れた者のそれだった。自分の言葉に相手が平伏し、無条件に従うのが当然と思い、疑ってもいない者のみの持つ傲慢さがそこにはあった。

 しかし、その傲慢さはクロコダインにとっては不快とは言いきれなかった。
 城もなく、領土も持たない身でありながらも獣王と名乗り、また他人からもそう呼ばれているクロコダインには、分かる。王と呼ばれる者には、傲慢さは欠かせないものだと。

 自信と傲慢さは、紙一重だ。
 己に絶対の自信を持ち、他人が自分に従うが当然とばかりに振る舞う傲岸不遜さがなければ、他者の上に立つことはできない。

 人の上に立つ気概を溢れさせている魔族の傲慢さは、クロコダインは決して嫌いではなかった。
 だが、敢えて挑発的に言い放つ。

「人に名を問うのなら、まずは名乗るのが礼儀ではないのか?」

 そう言いながら、クロコダインはわずかに胸が逸るのを感じた。
 それは、嵐を前にした高揚感に似ていた。

 戦いを前にした時に感じる緊迫感を、クロコダインは存分に楽しんでいた。この魔族の度量次第では、この場で即座に戦いに発展するだろうと分かっていながら、クロコダインは意図的に不敵に振る舞う。

 そう返されるとは思っていなかったのか、魔族は軽く目を見張る。その反応をむしろ楽しみながら、クロコダインはすぐ近くに立てかけたままの斧へと意識を集中させる。

(さて、どうでるか?)

 最悪の場合、即座に戦いになるだろうがそれは覚悟の上だった。
 わざわざクロコダインの名を知った上で、こんな密林の奥までやってくる魔族が、友好的な相手とは限らない。

 根っからの武人であるクロコダインにしてみれば、言葉による駆け引きなどごめんだった。どうせ戦いになるのであれば、早めに戦った方がいい――その思いから、必要以上に挑発的な態度をとった。

 それに対してどんな態度を見せるか……期待と、戦いへの覚悟を交えながらクロコダインは魔族の出方を待つ。
 気短な相手ならばこの場で戦いになるだろうと予測していたが、魔族の反応は意外にも紳士的だった。

「……道理だな」

 彼の口元に、フッと笑みじみたものが浮かぶ。

「これはこちらの非礼だった、許せ。

 オレの名は、ハドラーと言う」

 今度は、クロコダインが目を見張る番だった。

「まさか……おまえが、あの、魔王ハドラーなのか?」

 人間界に暮らしている、知性を持つ怪物ならばその名を知らぬ者はいないだろう。15年前に突如として地上を席巻し、世界支配を企んだ魔王ハドラー――彼の名を、クロコダインは当然、記憶していた。

「しかし……風の噂では、魔王ハドラーは勇者アバンに倒されたと聞いたが?」

 探るように、クロコダインは問いを投げかける。
 そして、それが噂ではなくほとんど事実であったことをクロコダインは知っていた。

 魔王とは、特別な存在だ。
 どんな怪物や魔族、そして竜族であったとしても、ただ強いだけでは魔王と呼ばれることはない。魔王とは、他の怪物や魔族に対して強い影響力を持ち合わせているからこそ、その名で呼ばれる。

 無意識のうちに他者を従えるだけのカリスマ性を持ち合わせている……それが、魔を統べる王に求められる最低条件だ。古来より、魔王の存在は近くにいる怪物達に強い影響を与え、その力を数倍以上に高めると言われている。

 もっとも、話として魔王の存在や知識は知っていても、地上生まれの上に怪物としてはまだ年若い部類に入るクロコダインは、実際の魔王に会った経験はない。

 しかし、それでも今から20年以上前、突如として部下の怪物達が一斉に凶暴化した時のことを覚えている。それは、魔王が地上に現れた時に見られる現象の一つだ。

 魔王の思念波に影響され、闘争本能を極限まで高められたからこそ発生する現象だ。この傾向は、知能の低い怪物ほど顕著に表れる。

 クロコダインのように強い自我と知性を持つ怪物には、魔王の思念波の影響はさほど強くないと言われているが、それでも当時の自分が猛々しい気分に駆り立てられたことをクロコダインは覚えていた。

 その凶暴な苛立ちはそれから数年の間続き、一時期は思念波が消えていたのに時を置いて復活したりという不安定さを見せた後、完全に沈黙した。
 それは、人間達の間に勇者が魔王を打ち倒したという噂が流れだした時期と完全に一致していた。

 それらの事実から踏まえて、クロコダインは魔王ハドラーが実在したこと、そして勇者アバンに倒されたことも事実だろうと踏んでいた。それだけに、目の前にいる生きた魔王の存在に驚かされる。

「まさか、生きていたとはな……!」

 称賛を込めたクロコダインの言葉に、ハドラーの表情が一瞬とは言え歪んだ。

「いや、死んだ」

 苦い呟きだった。それだけに、その言葉が嘘でないと無条件で信じられた。

「オレは勇者アバンに破れ……、一度死んだ。だが、オレを蘇らせてくれた者がいた――それこそが、大魔王バーン様よ」

「大魔王……バーン」

 その名は、クロコダインにとっては初耳だ。
 しかし、蘇生術は並大抵の技ではない。神々に最も愛された種族――人間ならばいざ知らず、魔族の蘇生率の低さは目も覆うばかりだ。

 魔法力では人間を遙かに引き離し、長寿を誇る魔族ではあるが、蘇生魔法や回復魔法の力においては魔族は人間に劣っている。

 それにもかかわらず、魔王級の魔族の蘇生を果たすことが出来るというのであれば、確かにその魔力は卓越している。それこそ、大魔王の名にふさわしい力の持ち主だと言えるだろう。

「そうだ。オレは大魔王バーン様に敬服し、忠誠を誓った。そして、その上で地上制覇を司る魔王軍総司令の座を拝領したのだ。
 今のオレの名は、魔王軍総司令ハドラーだ」

 胸を張り、堂々とした態度でハドラーは名乗りを上げる。

(ほう……)

 その態度に、クロコダインは思わぬ感銘を受けていた。
 ハドラーの話が真実だとすれば、かつて魔王だった男が自分以上の王に出会い、その傘下に入ったということになる。それは、どう考えても格下げとしか言い様があるまい。

 鶏口となるも牛後となるなかれ、と言う言葉もある。
 一度、頂点に立った経験を持つ男にとっては、ある意味で屈辱的とも言える立場だろう。

 なのに、今のハドラーの名乗りにはなんの迷いも見られなかった。初対面の相手に説明するまでもない事実まで口にしたこの男に、クロコダインはさっきとは違う意味で興味を惹かれていた。

「見事な名乗りだ……ならば、こちらも礼として、名乗り返さずばなるまいな。
 オレは、獣王クロコダイン。この密林を統べる、獣族の王だ」

 誇りを込めて名乗った後、クロコダインは単刀直入に尋ねた。

「それで、魔王軍総指令殿がオレになんの用だ?」

「魔王軍に入れ」

 問いと同じく、答えも簡潔だった。

「興味はないな」

 迷わず、クロコダインは本心を返した。
 獣王と名乗り、次々と周囲にいる怪物達を制圧してはいるものの、クロコダインは君臨しない王だ。獣族の誰よりも強い存在として頂点に立ちたいと思ってはいるが、その下につくものを従属させたいとは思わない。

 獣とは、自由な生き物だ。
 誰もが自分で自分の命に責任を持ち、心のままに生きる。自分の力で得られる以上の物も、領土も求めない――それこそが獣の生き方だ。それ以上を望む気は、クロコダインにはない。

 徒党を組むのは、クロコダインの趣味ではなかった。
 そして、魔王軍として人間と戦うことには、もっと興味は薄い。魔族の中には人間の世界を手に入れたいと望み、戦いを挑む者は時折現れるが、獣系の怪物であるクロコダインにはそんな欲望など微塵もない。

 人間に味方をする気はないが、人間になど興味はない。そもそも、クロコダインは人間のように脆弱な生き物は嫌いな方だ。戦う気概もなく、悲鳴を上げて逃げ惑うしか出来ない人間など、挑みたいとさえ思えない。

 人間が自分の領土を荒らさない限りは、どうでもいいと思える。それだけに、魔族や怪物と人間達の争いになど関心はなかった。
 しかし、その答えを聞いてハドラーはただでさえ鋭い目に一層の険を漂わせ、独り言のように呟いた。

「それは困るな。
 オレは、貴様を買っている……断るとあらば、殺すしかあるまい」

「ほう……それは、脅迫か?」

 いいや、とハドラーは軽く首を振る。

「そんなつもりはない。
 だが、おまえに敵に回られるのも困るし、バーン様の誘いを受けられてはもっと困るからな」

 その言葉に、クロコダインは興味を引かれた。
 敵に回られるぐらいならば、殺すという発想ならばなんの疑問もない。味方になろうとしない手強い中立の存在を許すぐらいならば、先々のために殺しておこうと考えるのは、軍というレベルで兵士を動かす者ならば当然の発想だ。

 しかし、クロコダインが大魔王バーンの誘いを受けることが、彼の配下であるハドラーにとってどう不利に繋がるというのか、その理由が分からない。
 だからこそ、クロコダインは聞いてみる気になった。

「面白いことを言う。おれが、その大魔王バーンとやらの誘いを受けたのなら、どうなるというのだ?」

「バーン様は、今までにない規模の魔王軍の設立を考えておられる。怪物を6つの系統にわけ、それぞれの頂点に立つ存在を軍団長として据え、指揮を執らせる所存だ。
 そのために魔族に限らず種族を問わずに腕の立つ者を揃え、それぞれに覇を競わせる……それが、バーン様の理想とされる魔王軍の基本思想だ」

 淡々とした素っ気のない声で、ハドラーは軽く説明をする。だが、熱意の余り感じられない説明に反して、その軍隊の仕組みは画期的だった。

「それは、確かに今まで聞いたことのない話だな」

 魔族と怪物との間には、明確な差があるとは言いがたい。しかし、弱い怪物の多くが動物並の知能しか持たないのを侮ってか、怪物を魔族より下へと見下す魔族の数は少なくはない。

 怪物であるクロコダインも、その扱いに腹を据えかねる思いを味わったことはあるだけに、種族を問わないというバーンの思想は大いに気に入った。

「だろうな。
 そして、この話を受けるのであれば、クロコダインよ、おまえはおそらく獣系怪物を率いる百獣魔団の軍団長へと任命されるだろう。
 名実ともに、おまえは獣王となるわけだ」

「……悪い話ではないな」

 魁偉な顔に太い笑みを浮かべ、クロコダインはさらに問いかける。

「では、ハドラーよ、おまえの誘いを受けたのならば、オレはどうなる?」

「同じことだ。
 オレは、おまえを百獣魔団の軍団長へと推挙する。おまえの実力ならば、バーン様はきっと承認なさることだろう」

 先程と同様、淡々とした説明にクロコダインは拍子抜けしたような思いを味わわずにはいられない。
 どちらを選んでも、結果は同じではないか。

「解せぬ話だな。それで、なぜ、オレがバーンの誘いに乗るのと困るというのだ?」

 ハドラーの話を聞く限りでは、クロコダインに与えられる軍団長という地位は、総司令の下だと考えて間違いはないだろう。つまり、どちらに魔王軍に誘われたところで、クロコダインは結局はハドラーの配下に治まるのである。

 バーンに直接誘いをかけられたのならば、ハドラーよりも高位の地位に就くいうのならばまだ分かるが、なぜこの条件でハドラーがクロコダインの誘い主に拘るのか、分からない。

 その問いかけに対して、ハドラーはすぐには答えなかった。
 余りに沈黙が続くので、答えないことこそが彼の意思表示なのだろうとクロコダインが思い始めた時のことだった。――ハドラーが、述懐のように語り始めたのは。

「…………一度死んだオレは、それまでの全てを失った。魔王としての地位だけでなく、部下も、城も、全てをだ。
 死して、どこまでも尽きぬ暗黒の闇へと落ちていった……」

 それは、クロコダインに語っていると言うよりは、独り言めいた言葉だった。その目も、クロコダインを見ているようで、彼を見てはいない。もっと遠くの、ここにはいない誰かを見ているような目だった。

「あのままならばオレは、他の亡者と同じように未練を残しながらも暗黒の中をたゆたい、いつしか消滅していったことだろう。
 だが、その時、オレは何者かに引き戻され、地上へと舞い戻った。その相手が、バーン様だったのだ」

 一度、死の淵から蘇ってきた魔王の目に、昏い揺らぎが宿る。
 九死に一生を得た男は、自分を救ったはずの相手について語っているはずだったが、その声には感謝の念以上に強い感情が見え隠れしている。

「バーン様は、仰った……余に従うのであれば、おまえの失った全てを与えよう、と」

 そう語るハドラーの手が、強く握りしめられたのをクロコダインは見た。
 白く、筋張るほどに握られた手は、抑えきれぬ彼の怒りをそのまま体現していた。

「だが! 与えられた地位、与えられた配下を指揮して地上を制覇するのが、魔王の戦いと言えるか?
 そうではなかろう……!」

 吐き捨てるような呟きが、ハドラーの口から漏れる。
 そして、今こそクロコダインは確信する。

 忠誠を誓ったと言い、一見敬意を表しているようには見えるものの、ハドラーが大魔王バーンに対して抱いている感情が、決して感謝などではないことを。

 与えられる物をそのまま受け入れるのを良しとしない気概が、ハドラーにはあった。その気持ちは、クロコダインにも分からないものではない。

 獣王という称号を、クロコダインは誇りとしている。
 それは、彼が自らの意思で望み、戦い、勝ち取った末に手に入れた称号だからだ。しかし、それが他者から与えられた褒美だったのなら、クロコダインはその名に何の執着も抱かなかっただろう。

 お膳立てされ、約束された名誉など何の価値もない。自らの手で戦い、勝ち取るからこそ意味がある――その考えは、クロコダインにとっては非常に共感できるものだった。
 だからこそ、クロコダインはハドラーの申し出にさらなる興味を抱く。

 強い相手と戦うことは、クロコダインにとって本望だ。その意味では、ハドラーは十分に満足できる相手だし、彼と戦ってみたいとも思ったからこそ、クロコダインはわざと挑発的な態度を取った。
 だが、今はハドラーと戦う以上に、彼自身に興味が湧いてきた。

「同感だな」

 クロコダインの相槌に、ハドラーは驚いたような顔でこちらを向く。今の今まで、クロコダインの存在を忘れていたとでも言わんばかりのその態度に内心苦笑しながら、獣王は己の決断を口にした。

「おまえの誘いに興味が湧いた。その魔王軍について、もっと詳しい話を聞かせてはもらえぬだろうか」

 単に誘いを断って彼と戦うよりも、その方が面白そうだった――。                               《続く》  

中編に続く
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