『六芒星の輝き ー中編ー』 
  

 ギルドメイン山脈の奥深く……人間が決して足を踏み入れないような険しい山岳地帯に、『それ』はあった。

「うぬ……!?」

 生半可な物には驚かない覚悟を固めていたクロコダインにも、『それ』を目の当たりにした驚きは大きかった。

 まさに、見上げんばかり――。
 山脈だと思えた『それ』は、明らかな人工物だった。三本の角を生やした魔族の顔を象徴的に刻み込んだ、想像を絶するほど巨大な城が、そこにはあった。

「あれが、鬼岩城だ。まだ完成するまでは少しばかり時間がかかるが、あれこそがバーン様の居城であり、地上攻略の拠点となる」

 淡々と説明するハドラーの言葉通り、よく見ればその城はまだ建設途中のようだ。ゴーレムが黙々と石材を運んだり、高い場所を複数のガーゴイルが飛行しつつ作業しているのが見て取れる。

 しかし、すでに大部分は完成しており、彼らの作業しているのはほとんど仕上げの装飾の類いに当たる部分だけのようだった。

 城の大きさだけでなく、その装飾の細かさもまた、城主の器量や経済力を無言のまま示している。一目で並ならぬ城主の器を感じ取れる居城を見て、クロコダインは内心唸っていた。

(まさか、これほどまでとはな……)

 クロコダインが驚愕したのは、その城の大きさだけではない。
 いきなり、本拠地であるはずの鬼岩城にクロコダインを招いたハドラーの態度にもまた、驚かされた。

 まだ正式に魔王軍入りの返答をしたわけでもないのに、魔王軍について知りたいのなら見た方が早いと言って、いきなりここに連れてこられたのだ。
 その言葉はある意味で正しい。

 確かにこの本拠地の大きさ、荘厳さの前ではなまじの説明など不要だ。まだ、名前でしか知らない大魔王バーンの器の大きさを、無言のままで教えてくれている。

 鬼岩城の大きさに気圧されたように足を止めたクロコダインを、ハドラーは軽く促した。

「来い。入り口はこっちだ」

 どうやら、ハドラーは外部から見せるだけでなく城の内部までにもクロコダインに見せるつもりのようだ。

 ただの客人に秘密を知られても構わないと思うほど器が大きいのか、それとも返事如何ではクロコダインを殺すつもりがあるのか――その意図は分からなかったが、どちらにせよ同じことだ。

 ハドラーとの戦いも一度は覚悟したクロコダインにとっては、たとえ後者であったとしても恐れる理由にはならない。相手が口封じを企むというのなら、戦って返り討ちにすれば済むこと。

 自分にそれだけの力がなかったとしても、構いはしない。
 戦士として生きる価値もない自分になど、クロコダインは拘泥する気もなかった。

 むしろ、万一の際に訪れるであろう戦いを楽しみにさえ思いながら、クロコダインはハドラーの後に続いた。
 とてつもなく大きく、また堅牢な印象を与える門を守るのは、アークデーモンだった。上位魔族を門番ごときに使う点にも、城主の強さが窺い知れる。

「はっ、ハドラー様お帰りなさいませ」

 その強さから傲慢になりがちなアークデーモンはよく訓練された兵士のごとく、従順にハドラーを出迎える。

「ご苦労。開門せよ」

「しかし……ハドラー様もご承知の通り、バーン様のご命令で許可のない者はお通しできない規則になっておりますが、そちらのリザードマンは……?」

 訝しがる目をクロコダインに向けるアークデーモンに、ハドラーはムッとした様子で言い返す。

「総司令であるオレが連れてきたのだ、問題はあるまい」

「し、しかし、規則では……」

「うるさい! バーン様の許可なら、オレが後で直接取る!! さっさと門を開けよ!」
 
 怒気を孕んだ声で叱責され、アークデーモンは慌てて従った。

「は、はっ、かしこまりました!」

 重く巨大な門が、かすかな軋みと共に開かれた。





 城の荘厳さは、外部だけではなく内部にまで及んでいた。
 美しくも華美にはなっていない城は、少し歩いただけで戦いのために作られた造りだと理解できる。

 城砦としての機能性と、芸術品としての美しさを併せ持った城だと、クロコダインは考えた。根っからの戦士であるクロコダインにとっては前者の方に重点を置きがちだが、そんな彼の目にもこの城は一級品の城に見える。

 少なくとも、城に関しては非の打ち所はない。
 だが――クロコダインは他の問題点が見えていた。門番もそうだったが、城の回廊の向こうから歩いてくる、年若い戦士の中にさえも。

(ほう……)

 その戦士は、人間だった。
 仮にも魔王軍の本拠地に人間がいること自体にも驚かされたが、その外見も十分に驚きの対象に値する。

 人間の美醜など獣系怪物にはさして意味がないものだが、それでも彼がひどく際立った容貌を持っているのは見てとれる。銀髪をなびかせた男は、まだ20才にも届いていないと思える若さだ。
 しかし、それでいながら彼は戦士として完成されている。

 彼の所作や身のこなしの端々に、鍛え上げられた戦士ならではの隙のなさが感じられる男は、人間にしては長身で筋肉質な部類だろう。しかし、魔族としても完成された肉体を持つハドラーと比べれば、その差はまさに大人と子供だ。

 だが、人間の戦士は全くハドラーに臆する様子も見せない。それどころか、魔王軍総司令たるハドラーに対する敬意すら窺えないときている。

 ハドラーが歩いているのが見えないわけがないだろうに、避ける素振りすら見せずに堂々と回廊の真ん中を歩いてくる人間の男には、不敵さを漲らせていた。

 それに対し、ハドラーが不満を抱いているのがクロコダインには手に取るように分かる。不満……と言うよりは、苛立ちや怒りと言った方がいいのかもしれない。

 それは、王ならば持って当然の怒りだ。
 王者の前では、その下につく者は服従の姿勢を見せるのが当たり前だ。本来ならば、魔王が歩いているのを見れば道を譲るどころか平服して控えているのが礼儀というものだろう。

 しかし、人間の戦士はハドラーに尊敬の意思を見せる気など毛頭ない様子だ。むしろ、挑発的に足音を響かせる戦士に対して、ハドラーもまた、回廊の真ん中を歩くのをやめようとはしなかった。
 
 広い回廊だ。
 どちらかがわずかに端に寄れば、楽に通り過ごせる。だが、互いにそんなことなど思いつきもしないとばかりに、二人の男は自分の歩みを止めようとはしない。

 少しでも相手に譲れば負けだとばかりに、互いに射貫くような眼光を相手にぶつけながら歩く二人の距離が近づくにつれ、その場にぴりぴりとした緊張感が張り詰めていく。

 まるで戦場にいるかのような一触即発の空気の中で、ぶつかり合わんばかりに近づいてからやっと足を止めたのは、銀髪の戦士の方だった。

「これは、総司令閣下……、もうお戻りだったとは」

 さも、今気がついたとばかりにそう言ってのける言葉使いこそは敬語であっても、態度や目つきがそれを裏切っていた。それにムッとした表情を見せつつも、ハドラーも表面上は平静を保って慇懃に言葉を返す。

「……予定より、早く用事が済んだからな」

 それを聞いてから、初めて人間の戦士がクロコダインに目を向けてきた。

「なるほど。では、そこにいるリザードマンが例の軍団長候補というわけですか」

 その目の険しさに、クロコダインはわずかにたじろく。
 それは、見慣れぬ新入りへ向ける不審程度の、生易しい目ではなかった。それは、どう見ても――敵に向ける目だ。

 例えるのなら、同じ縄張りを前にした同族の雄に向ける視線に等しい。隠しようもない敵愾心を露わにしてくる人間の戦士を咎めるでもなく、ハドラーは素っ気のない口調でクロコダインに向かって言った。

「ああ、紹介しておこう。この男の名は、ヒュンケル――軍団長の一人で、不死騎士団を任せている」

 その言葉に、クロコダインは今度こそ度肝を抜かれた。

「この人間が……!?」

 確かに大魔王バーンが種族に拘らない男だとは聞かされてはいたが、それでもこれはあまりにも想定外すぎた。

 そのため思わずそのままの感想が口から滑り出てしまったが、当然のごとくその言葉は若い戦士の矜持を傷つけてしまったらしい。ただでさえ険しい目に、さらにたぎるような殺気を燃やしながら、年若い人間の戦士は挑発的にクロコダインを見上げた。

「不満だとでも?」

 文句があるのならただではおかないとばかりの殺意をむき出しにしたヒュンケルに対して、クロコダインは首を横に振って否定してみせる。

「いや、特に不満はないな」

 驚くには驚いたが、クロコダインは人間をひ弱な生き物だとは思ってはいても、差別をする気はない。
 彼が人間を軽蔑しがちなのは、人間の脆弱さが問題なのではない。己を磨こうともせず、戦いもしない惰弱な姿勢こそが気に入らない点だ。

 その点で言えば、このヒュンケルという男は確かに人間離れしている。
 彼が並外れた戦士だと言うことは、身のこなしや所作の端々からも感じ取れる。人間の身でありながら魔王軍に籍を置いているぐらいだ、その技量は並大抵のものではあるまい。

 それだけの強さと精神力を持ち合わせているのであれば、人間であろうが魔族であろうが問題はない。
 しかし……一つだけ、気にかかることがあった。

「だが――おまえこそ、魔王軍の目的に不満はないのか?」

 実際には、クロコダインはまだ魔王軍の具体的な目的は知らされてはいない。だが目的が何であれ、過去の歴史において魔王軍と名のつくものは、例外なく人間に多大な被害をもたらす戦火を巻き起こしてきた。

 その事実を知っているからこそ、人間の身でありながら魔王軍の軍団長の地位に選ばれた若者に問いかけずにはいられなかった。 
 ――が、ヒュンケルは欠片ほども心を動かした様子はなかった。

「ないな」

「しかし……おまえは同族と戦うやもしれぬぞ?」

 お節介と知りつつそう言ってしまったのは、クロコダインの気性と言うべきか。情に厚い獣王は、同族同士で血で血を洗う戦いがこの若い戦士を待っていると分かっていながら、何も言わないで済ませるほど無情にはなれなかった。
 つい忠告めいた言葉を口にしてしまったが、それは効果絶大だった。

「同族と戦う……?」

 整った顔に、わずかな笑みが浮かぶ。
 だが、その微笑は彼の顔に、優しさや穏やかさを与えはしなかった。形ばかりの笑みは、凄みを増した殺気の中に完全に埋没してしまった。むしろ、その笑みは彼の怒りの強さを形取っている様にしか見えない。

「オレは……人間を同族などと思ったことなどない……ッ!」

 氷のような目だと、クロコダインは思った。
 炎のような憎しみ、とは言いがたい。凍てついたように冷たく、それでいてどこか透明感を漂わせた純粋な殺意は、氷と表するのが相応しいだろう。
 
 迸るばかりの殺意が、隠しさえもしない人間への侮蔑が、ヒュンケルの氷の目には浮かんでいた。荒れ狂う吹雪を思わせるこの殺意に比べれば、先程、ヒュンケルがクロコダインに向けた敵意など春の日差しにも等しい。

 異常とも思える強い同族への憎しみを目の当たりにして、クロコダインはこの青年の持つ心の闇を垣間見た様な気がした。

 事情は知らない。
 だが、この人間の戦士は何らかの理由により、この世の何よりも人間に強い憎しみを抱いているようだ。

 その憎しみの強さに、クロコダインは自分で思っていたよりも、呆然としてヒュンケルを見つめてしまったらしい。

「……失礼する」 

 その視線で我に返ったとばかりに、彼は憮然とした様子で言い残してその場を去った。だが、あまりにもインパクトのある人間から、クロコダインはなかなか目を離せず、自然に見送る格好になる。

 その背が回廊の曲がり角の向こうに消えるか消えないかという時を見計らったように、ざらついた声が背後からかけられた。

「クカカカッ、なぁに、そう驚くことはないさ。あの男はよ、剣技以上にあの憎しみの強さが気に入られて、バーン様のお目にとまった人間なんだからよォ」

「!?」

 再び、クロコダインの目が驚きに見開かれる羽目になった。
 別に、急な呼びかけに驚かされたのではない。驚いたのは、声の主のあまりにも奇っ怪な姿のせいだ。

 いつの間に、近寄っていたのか。
 氷と炎が組み合わさった姿の怪物が、壁により掛かるようにして立っていた。

 イメージとしては、氷の身体を持つブリザードや、炎の身体を持つフレイムに近いだろう。しかし、岩石をベースにした彼の肉体は、右半身には氷、左半身には炎が揺らめいていた。

 本来のブリザードとフレイムならば、近寄り合えば互いに互いの温度に耐えきれず消滅してしまうだろうが、目前の怪物は平然と佇んでいる。しかも不思議なことに確かに炎が揺らめいているのが見えるのに、熱気はまるで感じられなかった。

 不可解な姿を持ったその怪物は、遠慮なくクロコダインにギロリと目を光らせる。

「ふぅん……あんた――クロコダインって言ったか。さしずめその怪力を見込まれたってところかぁ? ま、今の軍団長達の中にはいねえタイプだな。その体格じゃ、さぞや耐久力も高いだろうぜ。
 リザードマンってことは、水陸両用タイプってことか? ククッ、見た目よりも器用そうじゃねえか。
 あんたを真正面から倒すのは、ちょいとばかり骨だろうな……」

 すでにクロコダインの名を知った上で、軍団長候補だという身分も把握して値踏む視線には、氷のような冷静さが感じられる。だが、それをわざわざ口にする好戦的な態度には、炎の揺らめきに似ていた。

 事実、その呟きに応じるように、彼の炎の部分の揺らぎが強まったのが見て取れる。ライバル意識をむき出しにする感情の高ぶりがそのまま身体の温度に影響するのか、先程は感じられなかった熱気が自分のところまで届くのをクロコダインは感じていた。

 その態度以上に熱気にもたじろいだクロコダインに対して、彼はチンピラじみた口調で気安く話しかけてくる。

「おいおい、鳩が豆鉄砲を食ったような面をしているじゃねえか。何をそんなに驚いているんだよ? まさか、そんなにもオレのこの姿が珍しいってえのかい? ククククッ……!!」

 クロコダインの戸惑いが面白くてたまらないとばかりに笑う怪物に対して、ハドラーが諫めるような口調で言う。

「よさないか、フレイザード。この男は軍団長候補であるより先に、オレの客だということを忘れるな」

「へいへい、ここは親父殿の顔を立てるとしますか」

 軽く肩をすくめ、おどけるような口調でそう言ったフレイザードの言葉に、クロコダインは思わず彼とハドラーを見比べてしまう。

「親父だと?」

 どこからどう見ても似ても似つかない姿に戸惑っていると、フレイザードがさらに口を出してきた。

「まあ、『生みの親』だという意味ではそうなるな。だけどよ、普通の意味での親子とは全く違うぜ。オレは、ハドラー様より禁呪法により生み出された存在なんだよ」

 フレイザードの説明を聞いて、クロコダインはようやく納得した。
 クロコダイン本人には魔力がないからつい忘れがちになるが、高い魔力を持つ魔族の中には無生物に疑似的な生命を与えられる者もいると聞いたことがある。

 ハドラーもまた、その一人なのだろう。
 禁呪によって生み出された生命体は、本人の性格に色濃く影響されるとは言え、一個の生命体には違いない。本人と似通うものを持ちながらも、本人とは違う個性と意思を持っているという点では、確かに分身と言うよりは子供という方が近いかも知れなかった。

 血の繋がりとは違うが、ある種の絆があるのも否めない。
 反抗的な態度なのはフレイザードもヒュンケルと大差がないとは言え、フレイザードに対してはハドラーの態度の少々甘いように思える。

 ヒュンケルに対しては、不快さを押し殺すだけでやっとと言う張り詰めた緊張感がハドラーにあったのに対し、フレイザードに対しては「仕方がない奴だ」と容認しているような雰囲気が感じられる様な気がした。

 それに気がついているのか、フレイザードの言動には些か調子に乗っていると言える。親が自分のわがままを聞き入れると承知している子供のように、ギリギリ一杯まで我を通そうとしているように見えるのだ。

 事実、フレイザードの態度や口調はハドラーの諫めの後も、大差はなかった。

「まあ、焦ることはないな。
 あんたがオレと同じ軍団長になるのだとすれば、チャンスはいくらでもある……! そうでないなら、別に用もないことだしな? ククク……ッ」

 意味ありげな口調でそう言いながら、挑発的に睨めあげるフレイザードに、クロコダインは今度は驚きを感じなかった。

 ヒュンケルもそうだったが、どうやら魔王軍の軍団長という者達は強さを貪欲に追い求めるようだ。彼らにとっては、仲間である軍団長同士でさえ敵らしい。
 まだ軍団長候補にすぎないクロコダインにさえ、早くも威嚇しているのだから。

 もっともいくら好戦的とは言え、この場で戦いを仕掛ける気まではないらしい。言いたいことを一方的に言った後、フレイザードもまた、もう用は済んだとばかり形ばかりの挨拶だけをしてその場を辞去する。
 が、去り際にさも思いだしたとばかりに振り返った。

「ああ、そうそう、一つ、忠告しておいてやるぜ。軍団長は、癖が多い奴揃いだから気をつけるこったな。オレ程度で驚いている場合じゃないぜ? 残りの軍団長ときたら、化け物揃いだからな――クワーハッハッハハッ!!」

 それだけを言うと、高笑いを残しながら異形の怪物としか言えない男は回廊を去っていった――。         

             《続く》

 

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