『六芒星の輝き ー後編ー』 |
その男は、一見、人間としか見えなかった。 先程のヒュンケルと同様に回廊を歩いてくるその男に気がついたのは、クロコダインよりもハドラーの方が先だった。と言うよりも、ハドラーが微妙に緊張し始めた気配から、クロコダインは他者の接近を悟った。 それは、捕食される小動物と肉食獣の関係を思わせた。 満腹ならば、肉食獣同士は無意味に争うことなどない。敵ではない者が接近したなと、確認し合うだけの話だ。 しかし、捕食の対象となる小動物はそうはいかない。 今のハドラーの醸し出す緊張感は、どことなくそれに似ていた。 もしかすると萎縮しているのではないかと思える程、過敏な反応を見せるハドラーに、クロコダインは多少疑問に思う。 実際、彼は前に会った二人の軍団長とはまるで違っていた。ハドラーに気がついた段階で軽く黙礼をしたし、さりげない動作ながらもスッと道を譲って歩調を緩める。 ヒュンケルやフレイザードと比べものにならない程、紳士的でそつのない振る舞いをする男だった。 「……っ!?」 久しく忘れていた感覚に、背筋が一気にザワッとそそけ立つ。彼とすれ違いざま――即ち彼の攻撃範囲に入った途端、尻尾の先にまで走った震えに戸惑い、クロコダインはハッとしたように足を止め、男をまじまじと見返す。 「ど、どうしたと言うのだ?」 クロコダインの無礼とも言える反応に、ハドラーが些か慌てた口調で呼びかける。だが、ハドラーとは正反対に男はびくともしなかった。 「何か、私に用でも?」 穏やかな声でそう問いかけられてから、クロコダインは自分が斧の柄に手を触れていたことに気がついた。 思わぬ失態に、クロコダインは内心舌打ちしたい気分だった。 だが、度量の大きい城主ならば、客人の武装にいちいち口を出すような野暮な真似などしない。そして、そんな城主の度量に応じるには、己の武器に触れもしない態度こそが相応しい礼儀とクロコダインは考えていた。 さっきもあれほど挑発されながらも、ヒュンケルやフレイザードの敵意に反応しなかったのは、客人としての礼を守りたいと思ったからだ。なのに、そう思っていたことすら忘れて、武器を手にしていた自分にまず驚き、それが怯えゆえの行動だと気がついた時に、さらに驚かされた。 クロコダインが獣王と呼ばれるようになってから、ずいぶん経つ。強さを追い求め、より強い相手と戦うことを喜びこそすれ、恐れたことなどなかった。 だが、たった今感じた戦慄は、紛れもなく怯えだった。知性では他の種族に劣りがちな獣族には、その分、野性的な原始の感覚が備わっている。戦わずとも自分よりも強い敵を敏感に察知するという能力は、獣族ならば誰もが持ち合わせている能力だ。 クロコダイン自身が意識していなくとも、原始の感覚は教えてくれた。 うっすらと流れる冷や汗を感じながら、クロコダインは武器から手を離して男に向かって姿勢を正した。 「いや、無礼をした。 クロコダインの不躾な質問に、男は全く動じる気配すら見せなかった。ただ、一瞬だけ問うような視線をハドラーに向ける。 それは指示を仰ぐためと言うよりは、ハドラーにそれでいいのかと確認を取るための眼差しだった。ハドラーが軽く頷くのを見て、男は堂々たる名乗りを上げる。 「私の名は、バラン。魔王軍の超竜軍団長だ」 (この男も軍団長なのか……!) やはり、と思うべきか、意外と思うべきなのか、クロコダインはしばし迷う。 フレイザードの忠告通り、この男は確かに化け物だ。外見だけは人間に近くとも、並外れた力を秘めている事実は隠そうにも隠しきれていない。正直、バランから感じる圧倒的なまでの覇気に比べれば、ハドラーでさえ霞んで思える程だ。 その意味では、意外だった。 「ハドラー殿。彼が新しい軍団長候補か?」 「う、うむ、そのつもりだ」 短いやりとりの間にも、風格を感じさせるのはむしろバランの方だ。バランは落ち着き払った態度で、クロコダインに目を向ける。 冬山の空気のような、身を切るまでの冷たさと透明感が相混ざった目が、クロコダインを射貫く。 「良い戦士だ。ハドラー殿の慧眼には、感服する」 威嚇や挑発とは無縁の、淡々とした褒め言葉だけを残してバランが通り過ぎた後、クロコダインはゆっくりと息を吐く。 バランの並々ならぬ覇気に気圧されたのか、知らない間に息を詰めていたようだ。 「ハドラー様、こんなところにおりましたか。ヒッヒッヒ、お探ししましたぞ」 やけに下の方から聞こえてきた声の主を確かめるよりも早く、クロコダインは顔をしかめずにはいられなかった。 そのしわがれ声は、どうにもこうにも聞き心地の悪い声だった。滑舌はしっかりしているし、一応は敬語ではあるのだが、妙に相手との距離感を縮めた粘っこい感じがすると言うのか、何とも不快感がある。 ペタペタと軽い足音をさせながら近づいてきた声の主を見て、その不快感はさらに強まった。 (魔法使いか) 戦士の多くに見られる傾向だが、クロコダインもまた、魔法使いを見下す方だった。ひ弱で敵と真正面から戦おうとせず、遠距離から小細工を駆使して戦おうとする魔法使いには、軽蔑すら感じている。 パッと見たところ、目の前にいるのは典型的な魔法使いだった。 魔族であることを示す肌の色と大きな耳が特徴的な魔法使いは、どうやらハドラーには知己の存在であるらしかった。 「ザボエラか」 「おっと、お隣の大男の紹介には及びませんよ。そのリザードマンの名は、クロコダイン……百獣魔団の軍団長候補でございましょう……?」 ハドラーの先手を奪い取るような素早さで、ザボエラはそう言った。 「相変わらず耳が早いな、ならば彼の紹介はいらぬか。 「ほう」 唸るように押し出した相槌には、多少の失望が混じっていたかも知れなかった。 今までに会った軍団長は、いずれも戦士系の男達だった。クロコダイン個人の考えだが、軍隊を率いる将軍位には戦士こそが相応しいと思える。多くの兵士達を従えるのは、軍規や命令だけでは出来ない。他者を従えることの出来るカリスマと実際の強さを持ってこそ、軍を動かすに相応しいというものだ。 しかし、間違っても目の前の小柄な老人にそれは望めないだろう。 「それよりもハドラー様、ご存じでしたか? ミストバーンめが、ハドラー様を探しておりましたぞ」 「ミストバーンが? 何用だ?」 「ああ、それがハドラー様もご存じの通り、あの男と来たら口一つ聞こうとしないのですから、何の用かも分かりませんでしたな。 ザボエラの口元が、大きく歪められる。どうやら笑顔のつもりらしいとクロコダインが気がつくまで、一拍の時間がかかった。 「ほれ、ハドラー様がお連れになった軍団長候補……その資質を見定めようとしているのではありませんかな? 重たげなまぶたの奥から、値踏むかのような視線がクロコダインに投げかけられる。 ヒュンケル達の目が戦う相手を値踏むための目だったのに対し、ザボエラの目は商人のそれに近い。戦いなど最初から考えもせず、損得のみを推し量る目でじろりじろりとクロコダインを観察している。ハドラーと話す間でさえ、ザボエラは観察をやめようとはしなかった。 「ですから、ワシはハドラー様に進言しに来たのですよ。ミストバーンめがしゃしゃりでてくる前に、そのリザードマンをバーン様の所へ連れて行ってはどうですか? 「うむ、分かっておる。オレも後で、バーン様にお目通り願うつもりでいた」 やけに饒舌に、そして恩着せがましくまくし立てるザボエラのおしゃべりに閉口を感じたのは、どうやらクロコダインだけではないらしい。どちらかというと面倒そうにそう答え、ハドラーは先に進もうとする。 「いえいえ、ご心配なく。すでにバーン様へのご面会の申し込みは整えております。となれば、一刻も早く魔王の間へ行かれた方がよろしいかと。 そう言ったかと思うと、ザボエラは手にした杖を軽く動かした。自分の背よりも高い、蜘蛛を模した不気味な杖の先端が強く光り輝く。 咄嗟に床を踏みしめ直そうとしたクロコダインだったが、その足が空しく空を切る。階段を踏み外した時のような落下感に焦ったが、次の瞬間、足は再びしっかりとした床を踏んでいた。 その事実にホッとした後で、クロコダインは周囲の景色が一変したことに気がついた。いつの間にか、クロコダインとハドラーは巨大な扉がすぐ目の前にある回廊に佇んでいた。 「……これはっ!?」 ついさっきまでクロコダイン達がいたのは、城の一階部分の回廊だった。だが、同じような回廊とは言え、今、窓から見える風景はどう見ても上層部分の風景だ。驚いて窓枠から下を見下ろしたクロコダインは、遙か下に見える回廊の窓から、見覚えのある老魔法使いの姿を見かけた。 「どうやら今のは、バシルーラの変形のようだな。ザボエラめ、小癪な真似を」 苦笑するようなハドラーの言葉に、クロコダインは驚かずにはいられない。 しかも、ザボエラが魔法を使ったのは回廊とは言え室内でだった。 その魔法を、ザボエラは見事に室内で使ってみせた。いくら窓が開いていたとは言え、生半可な腕までできる技ではない。魔法に疎い戦士であっても、その腕前には驚かずにはいられない。 (なるほど、あやつも軍団長に選ばれるだけのことはある、と言うわけか) 正直、これまで出会った軍団長の中ではもっとも好感の持てない相手ではあった。だが、それでもザボエラが捨て置くことの出来ない魔法の才を持っていることだけは確かなようだった――。 扉の奥に広がるのは、奇妙な部屋だった。 床と壁の落差があまりにも大きいため、人工の建物の中にいながら自然の岩山の中にいるような錯覚すら覚える部屋だった。 まず、目につくのは巨大な玉座と、さらにそれよりも巨大な魔法陣だった。六芒星を形取った魔法陣は、どういう仕組みなのか玉座の背後に浮かんでいる。そして、その中央には三本の角を生やした魔族の顔の彫刻が刻まれていた。 岩の質感を残した無骨な彫像の顔は、鬼岩城の外観に酷似していた。 「大魔王バーン様、ハドラー、ただ今まかりこしました……!」 「……?」 ハドラーのその行動に、クロコダインは戸惑わずにはいられない。なにしろ、玉座は空なのだから。 だが、その疑問を口にする前に、その場の空気が変わった。息が詰まるほど重厚な雰囲気が満ち、石の顔の目に赤黒い光が浮かぶ。まるで鳴動するがごとく、数度点滅をくり消したその光は唐突に深紅に変わる。 「うむ、待っておったぞ」 低音の男性の声は、ちょっと聞いただけでは年の見当がつきにくいものだった。ゆったりとした落ち着きは、年配者の物とも思える。だが、声だけでも感じられる堂々たる迫力が、その声に張りを与えていた。 ごく短い言葉なのに、ずしりと腹まで響く声だった。 「新しい軍団長を連れてくると聞いて、楽しみにしていた。ほう……おまえが、そうなのか?」 「は……っ!」 思わず、クロコダインは姿勢を正してその場に跪いていた。仮にも獣王と名乗っていた男が、まるで長年仕えている主君に対するかのように。 (な……何者なんだ、大魔王バーンとは……っ!?) バーンは、今、目の前にいるわけではない。 しかし、そんな薄い繋がりしかない相手に対して、クロコダインの獣の本能は最大限の警戒心を打ち鳴らし続ける。その恐怖は、バランに会った時よりも遙かに大きかった。 (――格が違うな) バランに会った時は、クロコダインは無意識に戦闘態勢を取らずにはいられなかった。しかし、バーンへの謁見がかなった今、クロコダインは意識するより先に膝を折っていた。 バーンに対して戦うなど、思いもしなかった。 獣が戦うのは、生存のための手段だ。あるものは食糧を得るために、またあるものは己の縄張りを守るために、またあるものは自分の命を守るために、獣は常に命がけの戦いを強いられる。 しかし……これは、生存の可能性が全くない戦いだ。 直接会おうとしない無礼な態度を、非難する気にもならなかった。むしろ、相手と少しでも距離を置ける現実に安堵する気持ちすら生まれている。 少しでも気を緩めれば獣の本能に従ってそのまま逃げ出したいと思いたくなるほど、絶望的な恐怖を感じる。 「そうかしこまらずとも、よい。それよりも、なかなかの戦士ではないか……さすがはハドラーだ。余が選んだバランに続いてこの男が魔王軍に加われば、まさに盤石の部隊になることだろう……そうは思わぬか?」 わずかに問いかける様なその言葉に応じて、王座の付近の空気がゆらりと揺れた。 陽炎の揺らめきのように風景がぐにゃりと歪んだかと思うと、白い影がすうっとどこからともなく現れる。空の玉座の右側に、当たり前のように現れたのは白い長衣姿の男だった。 「……!?」 思わず、クロコダインは彼をまじまじと見返してしまった。だが、いくら見たとしても、その顔は見いだせない。全身をすっぽりと覆い尽くす長衣の中に見えるのは、漆黒の闇……そして、二つの光がぽっかりと双眸の位置で輝いていた。 「………………」 無言のままだが、正体不明の男は石の顔にむかって恭しく頷いてみせる。あたかも、そこに絶対君主が存在するかのように。 魔王であり、魔王軍総司令の地位にいるはずのハドラーを差し置いて、そここそが自分の場所だとばかりに玉座の右手の場から悠然と自分達を見下ろす男の名を、ハドラーが教えてくれた。 「……紹介しておこう。彼は、魔影軍団長ミストバーン――軍団長の一人だ」 先程聞いたばかりの名に、クロコダインは深く納得するものを感じた。ザボエラがあれ程警戒し、フレイザードが化け物と評した軍団長の一人……確かに、今、目の前にいるのは化け物としか言いようがない。 まるで幽霊のように気配がなかった。 バランやバーンのように、一目見ただけでも感じ取れるような覇気はない。だが、その分底知れぬ不気味さが、ミストバーンにはあった。どこまでも深く、底の見えない沼のように、そこに囚われたら二度と這い上がれないのではないかと思わせる恐ろしさを感じさせる男だと、クロコダインは思う。 (これが……魔王軍か!!) それは、クロコダインが漠然と考えていた組織だった軍隊とは全く違う。あまりにも個性的な軍団長達を揃え、バーンがこの先どう戦うつもりでいるかさえクロコダインには予測不可能だった。 だが、それだけにどこかしら期待感じみた感情があった。 しかも、その長であるバーンもまた、クロコダインに興味を抱いてくれている様子だった。 「余も、そちを大いに気に入ったぞ。余からも、勧誘しようではないか。我らが軍に入って、覇を競うつもりはあるか? (おお……!) 瞬間、たとえようもない高揚感がこみ上げる。 心底恐ろしくてたまらないと思った相手に認められることが、これ程まで誇らしく感じられるとは想像もしていなかったが、舞い上がりたいほどの喜びを感じていた。 尊敬に値する王者に、自分の力が活かせる場を約束された。無条件で頷きそうになったクロコダインだったが、その時、彼は気がついた。 「…………!!」 思わず、クロコダインはハドラーを見返していた。 しかし、マントの下に隠れた場所で握りしめた拳に、彼の本音が現れていた。 白く、筋張るほどに握り占められたその手は、密林で出会った時と同じだ。 「いえ、身に余る光栄ながら、そのお誘いは断らせて頂きたい」 そう言った途端、ミストバーンの身体から冷たい殺気が放たれる。主君の誘いを断った者には死を与えるとばかりの殺気だったが、それは他ならぬバーン自身の声によって霧散した。 「ほう? 魔王軍に入るのは、嫌だと言うのか?」 怒るでもなく、むしろ面白がっているように尋ねてくる余裕がその声にはある。その度量にも感心しながら、クロコダインは答えた。 「いいえ」 今度もまた、クロコダインはきっぱりと答える。 だが、それでも男には通さねばならない意地もある。 「もし、許されるのならば、及ばずながら魔王軍の一員としてこの身を賭して戦いたいと思っております。 その発言に驚きを見せたのは、ハドラーの方だった。 「ハーッハッハッハ、これはいい!! この瞬間に、魔王軍六団長は誕生した。 END 《後書き》 620000hit その2 原作以前の『魔王軍時代のクロコダイン六団長との話』でした♪ と言っても、ほとんど出会いだけの話になっておりますが。そして、リクに混じっていないはずのバーン様が、なぜだか一番美味しい役どころをかっさらっていってる気がします(笑) バーンに勧誘されて魔王軍入りした方が出世には有利な気がするのですが、ハドラーに義理立てをするクロコダインと言うのを一度、書いてみたかったんですv ところでこの話を書く際、魔王軍時代の彼らのハドラーへの敬称に悩みました。記憶では、クロコダインやヒュンケル、バランは彼を裏切るまでは総司令殿と呼んでいた様な気がしていたのですが、念を入れて原作を見返しまくりました。 で、ヒュンケルがハドラーを総司令閣下と呼んでいるのに、ビックリしましたよ! クロコダインがハドラーを総司令殿と呼んでいたのは記憶していたのですが、閣下は記憶になかったです。……あんまり記憶力だけを当てにしない方がいいですね(笑) |